真夜中の校舎。そこをデンジとレゼは探検していた。物静かな校舎は不気味であり、僅かな月明かりだけを頼りに二人は進んでいく。
「デンジ君恐くないの?」
レゼにそう問われたデンジは頭を掻き、曖昧な返答をした。
「あ〜。恐いっつーか、変な感じっつーか……」
「なんじゃそりゃ。……少し怖いから手、繋いでいい?」
レゼが少し不安げに、しかし期待を込めてそう言うと、デンジの手を取った。そして彼女に手を取られたデンジは振りほどくことはせず、ただ放心をしてマキマのことを考える。
──マキマさん。ホントは手なんて繋ぎたくないんです。
──でも、体が勝手に……。
月明かりの入る教室で、デンジとレゼは授業の真似事をしていた。教卓に立ったレゼが黒板に書かれた計算式を指差し、机についたデンジに問題を出す。
「ではこの問題解ける人!」
黒板に書かれた計算式とは、“1+1=”であった。
「はいハイハイ! 2!2!」
「正解! 天才!」
レゼが黒板消しで計算式を消すと、次に英単語を書いた。書かれた単語とは、“big ass.”だ。
「この英語はなんと読むでしょう!」
「ハイ! 知らねえ!」
「正解はデカケツです!」
「エロ女!」
レゼへ声を張り上げたデンジは机に頬杖をつく。そして、感慨深いように話した。
「はあ〜、学校ってこんな感じなんだな。だいたい掴めてきたぜ」
「デンジ君って本当に小学校も行ってないの?」
「あ? うん」
「それってさ……なんか、なんかダメじゃない?」
レゼが少し憤るように言った。しかし、デンジは何故彼女が怒っているのかがよく分からなかった。
「ダメ?」
「ダメっていうか……おかしい」
レゼが、真実を語るかのように話し出す。
「十六歳ってまだ全然子供だよ? 普通は受験勉強して、部活がんばって、友達と遊びに行って……。それなのに、デンジ君は悪魔を殺したり殺されそうになったり。今いる公安っていう場所は本当に良い場所なの?」
レゼにそう言われ、デンジは今の生活が普通ではないと気付いた。しかし、わざわざ捨てたいと思うほど不満はなかったのだ。それ故にデンジは反論する。
「まあ凄えいいトコだぜ? 一日三回食えるし、布団で寝れるし」
「それって、日本人として最低限の……当たり前の事だよ?」
レゼの言葉に、デンジは考え込んでしまった。彼女が言うには公安は良い場所ではないのだろう。しかし、公安にはマキマがいる。アキがいる。パワーがいる。姫野がいる。そして、最低限の当たり前の事がある。それは良い場所とは言わないのだろうか。
もはや、デンジには何が正しいのかが分からなかった。
「う〜ん……。考え過ぎて頭熱くなってきた」
「じゃあ少し冷やしますか」
デンジはレゼに手を取られると、ある場所を目指して連れられた。
雲一つない夜空の下、デンジはレゼと共に屋外プールへとやってきていた。
「はは、冷た〜い!」
プールに手をつけたレゼが声を上げる。それを見ていたデンジは、なんとなしに呟いた。
「俺、あんま泳げないんだよな」
「じゃあ教えてあげる、泳ぎ方」
「──え!?」
レゼが服に手を掛け、脱ぎ始めていた。
「脱ぎなよ。服着てると沈んじゃうよ?」
「エッチすぎじゃないすか……?」
「泳げるようになりたくないの?」
服を脱ぎ、下着姿となったレゼをデンジは見る。控えめに主張する胸。女性らしいくびれた腰。大きな臀部。デンジは間近で見るレゼの身体に動揺をした。だが、その時。
「オあえ!?」
レゼが下着さえも脱ぎだしたのだ。彼女はブラジャーを外すと、最後に残っていたパンツさえも下へと下ろす。
「デンジ君もハダカになっちゃお。どうせ暗くて見えないよ」
デンジは初めて見る女体に、頭がパンクしてしまっていた。だが、ここで自分も脱いではマキマを裏切ることになると分かっていた。しかし……本能には抗えなかったのだ。
「あはは! つめたっ! デンジ君もおいでよ!」
レゼがプールから手を振り、裸になったデンジを誘う。もし彼女の誘いに乗ってしまったら、間違いなくデンジの心はそちらへ行ってしまうだろう。
「ははあ〜ん、分かった! さては泳げないからプール恐いんだな?」
デンジは悩みに悩んだ末──プールに飛び込んだ。
「あははは!」
「ハハ、冷てえ!」
大きな波飛沫を上げたデンジは、思わず楽しげに笑った。そして、レゼが嬉しそうに声を上げたのだ。
「教えてあげる! デンジ君の知らない事、できない事──私が全部教えてあげる!」
両手を差し出してきた彼女に、デンジは全てを委ねるのだった──。
「デンジ君! 息継ぎ、息継ぎ!」
レゼはそうデンジに声を掛けながら、彼の手を引く。順調に泳ぎが上手くなっていくデンジに、レゼは心から笑っていた。
その時、雨が降り始めたのだ。初めは疎らだったが、やがて土砂降りとなりプールの水面を激しく叩く。レゼは悲鳴を上げるデンジへ笑いかけると、一緒に校舎へと避難した。
薄暗い教室で、レゼはデンジと共に時間を潰す。そして、窓を叩く雨の音を背景にレゼは話し出した。
「デンジ君はさ、田舎のネズミと都会のネズミ。どっちがいい?」
「……なにそれ?」
──イソップ寓話の一つだよ。
雨宿りをしていたアキは、天使の言葉を静かに聞いていた。
「田舎のネズミは安全に暮らせるけど、都会のようにおいしい食事はできない。その逆に、都会のネズミはおいしい食事はできるけど、人や猫に殺される危険性が高い」
天使が続けて話した。
「僕は田舎のネズミがよかった。けど、マキマに捕まって都会に連れてこられたんだ」
ただ呆然とした様子で、天使がアキに言う。
──僕の心は田舎にあるのさ。都会のキミに付き合って危険な目はごめんだね。
「俺ぁ都会のネズミがいいな」
考え込んでいたデンジが、やがてそのような回答をした。
「え〜!? 田舎のネズミのほうがいいよ〜。平和が一番ですよ」
レゼは田舎のネズミが好きだった。平穏で、静かで、ささやかな幸せのある田舎のネズミが。
「都会のほうがウマいモンあるし楽しそうじゃん」
「キミは食えて楽しけりゃいいのか?」
「ああ」
レゼはその答えを聞き、黙り込む。しかしすぐに口を開いた。
「じゃあ明日さ、近くでお祭りがあるから一緒に行かない? きっと楽しいし美味しいよ」
「……仕事終わってからならいーよ」
「いえーい、やった! 約束だからね!」
レゼは喜びを見せると、デンジに一言声を掛けて教室を出た。
真っ暗な廊下を歩いていたレゼは、背後に気配を感じた。デンジかと思い、彼女は振り向く。
「デンジ君……?」
「そーそー、デンジ君だよ俺はさあ」
その者は明らかにデンジではなかった。──顔に大きな傷のある、見知らぬ男だったのだ。
「俺もちょうどションベンしたかったんだよね。──連れションしようぜえ? なあ?」
レゼは即座に逃げ出した。
息を荒げながらも廊下を走り、レゼはひたすらに逃げる。時折躓いてしまうが、すぐに起き上がり追いつかれぬようにと駆け出した。
やがて、雨の降りしきる屋上へとレゼは辿り着いていた。
「お〜い、もしも〜し。キミは屋上でションベンすんのか〜?」
「アナタ、アナタなんなの!?」
「そういう事聞く自分こそ、己が何者なのかわかっているのか?」
焦点の合わない瞳で、ぼんやりとこちらを見る男が話す。
「俺はお前を知ってるぜ。お前はチーズだ。ネズミを表に誘き寄せる為のチーズ」
「何をいってるの……? お願いやめて」
「これからお前の顔の皮を剥いで、目をくり抜いて、チェンソーに見せつけてこういうんだ。──キミの大切な女性は、まだ生きているよ」
男が高笑いを上げ、雨空を見上げた。
「するとだいたい、みんな俺の言う事を大人しく聞いてくれるんだ……! だから後は殺すだけ。お前の体で欲しいのは皮と目だけなんだ」
──命は、いらない。
男が凶器を振り上げ、レゼへと迫ってきた。レゼは悲鳴を上げながらも手を突き出し──男の腕を絡め取るとそのまま圧し折った。そして流れるように背後へ回り、羽交い締めをする。
男が逃れようと必死に藻掻く中、レゼはただ静かに首を絞め続ける。やがて抵抗の弱くなったところで、男の首を折った。
レゼは起き上がると、屋上にあった排水口を見つめる。そして、デンジには見せたことのない冷たい表情で話し始めたのだ。
「嵐で学校に閉じ込めたのキミでしょ、台風」
『レゼ様ガイタトハ、知リマセンデシタ』
「今回の事は見逃すから、しばらく私に服従ね」
レゼは、ただ淡々と言葉を告げた。
──この男の死体は処理しておいて。