今日は疲れた。そのひと言に尽きる。
リーニュ・ドロワット。ヒトの通う学校でいえば《文化祭》が適切だろうか。各クラスごとに様々な出し物やステージを披露し、日常を忘れてはしゃぎにはしゃぐ。そして、イベントの総決算として、心に決めたペアと講堂で踊り明かすのだ。
私はセイちゃんと組もうと思っていたけれど、
「ごめんねスペちゃん。じつは栗東のフジキセキさんに捕まっちゃってさ」
ということで振られてしまった。
「うふふ。残念でしたね。―では、スペちゃん。私と踊りましょうか」
横にいたグラスちゃんが立候補してくれた。決して仲が悪いわけではないけれど、いざ対面すると気まずさが湧き上がってくる。
まっすぐこちらを見ているグラスちゃん。踊り出すまで、私は彼女の靴しか見ることができなかった。
編入というカタチでここへ来てから、グラスちゃんには何かと私に執着しているような気配を感じていた。なんというか、一方的にライバル視されているような、鋭い視線と圧を感じることがある。
お互いメイクデビューを走るどころか…トレーナーすら決まっていないのに、よほど拘りがあるのだろうか。
さて、対面の踊りは《導き、導かれる》立場に分かれることが大事だと前にキングちゃんが言っていたのを思い出した。
それに倣ってグラスちゃんをエスコートしようとしたけれど…、
「今日は私に任せてください、スペちゃん」
次の瞬間には身体は宙を舞わされ、主従は決してしまった。
主導権を取り戻そうと手を取れば逆に引き込まれ、追いつこうとした脚はさらに半歩遅れて出てくる。
精一杯ついていくほか無い―ようにされてしまった。
そんな時にも、ことあるごとに私を見てくる。《私はあなたには負けない》という意志がいよいよ質量を持ちそうで、愛想笑いを浮かべながらそれを躱すしかない。
ひと段落付き、膝に手を着いてひいひいと酸素を取り込んでいたら、バツンと照明が落とされた。
直後、スポットライトがステージを照らす。白いタキシードにハーフパンツ。セイちゃんだ。
それに相対するフジキセキさんは対象的に、紫色の落ち着いたドレスを着ている。―胸元はまったく落ち着いてなかったけれど。
反発しあうように見えるその対象的な出で立ちが、今日このプログラムに限っていやに合う。
セイちゃんのアクロバティックかつストリート的なダンスも、フジキセキさんのバレエのようなしなやかな舞も、相反するようで完璧な調律の上に立っていた。
私も含めて講堂はこの日いちばんの盛り上がりだったし、最後に締めの言葉を述べるシンボリルドルフさんも、満足げな顔をしているように見えた。
確かに疲れたけれど、これからへのモチベーションには、なったかもしれない。
それからの明暗はハッキリと分かれた。
私を指導してくれるトレーナーさんは意外とすぐに見つかり、数カ月後には、自分でも驚くほどに速くなった。
秋口にセイちゃんやキングちゃん、そしてグラスちゃんと一緒に走ったメイクデビューを1着で飾ると、
ほとんど同じ条件で走ったホープフルステークスも2着セイちゃんに7バ身差の勝利。
同じ世代の皆には負けない、負けるわけがないという絶対的な自信が私の中に芽生える。普段あんまり自惚れたり、驕るようなことはないけれど、これは私の断固たる自負とプライドになった。
皐月のトライアルとして有名な弥生賞も完勝。もはや同世代に敵は居ないと、私も、周りも、そう思っている。
そして皐月を前にし、ドロワットの季節が巡ってきた。
今年の主役はサクラチヨノオーさんとメジロアルダンさん。
アルダンさんの男装はとても美しくて、チヨノオーさんと《エスコートをしあう》ダンスが素晴らしく映えた。
互いをリスペクトしあうからこそ生まれる連携。いうなれば《息のあった》コンビだ。
去年私とグラスちゃんが試みたのは足並みも心も通わない真似事に過ぎなかったと、そう思わざるを得ない凄まじさだった。
やはり最後のシンボリルドルフさんによる講評は、満足満点大御礼というところだった。
■□■□■
私達の過ごしたクラシックは、あまり話す事は無い。すべての競争で私は圧倒的大差で勝利し、年末の有マでは、同世代どころかシンボリルドルフさんにすら8バ身差を付けての優勝。
あらゆるレコードというレコードを塗り替えた。
セイちゃんは嫉妬に狂い、グラスちゃんの執着はいよいよ刃物のような鋭さと明確な《意図》を持ち始め、キングちゃんは私の走らない短距離へ舵をきった。
■□■□■
いよいよシニアへの一歩を踏み出し、春の盾を前にして、みたびドロワットの季節。
ダイタクヘリオスちゃんとダイイチルビーちゃんの、静と動、遊と熱を体現したダンスにフロアは大いに湧き、私も我を忘れて彼女たちを応援した。
みたび生徒会長のシンボリルドルフさんも大絶賛のうちに、3度目のドロワットは幕を下ろした。
―思えば、ここで違和感に気付いてもおかしくなかったのかもしれない。
シニア1年目も私のやることは変わらない。
春の盾。
宝塚。
秋の盾。
ジャパンカップ。
有マ。
その全てで圧倒的に勝利して、回りからは《一騎当千》だの《国士無双》だのといわれるようになった。
凱旋門賞への出走も打診されたそうだけれど、トレーナーさんは
「URAファイナルズを走ってから考えたい」
として、明確にその可否を教えてはくれなかった。
そのURAファイナルズのことも、特にこれといって話すことはない。
予選、準決勝、決勝と、勝つべき者が勝っただけ。
もはやわかりきっていた勝利だったとしても、タイトルを獲ったという喜びは湧いてくる。トレーナーさんとそれをわかちあい、チームのみんなやクラスメイトとどんちゃん騒ぎをした。
キタサンブラックちゃん
スイープトウショウちゃん
スーパークリークちゃん
アイネスフウジンちゃん
ファインモーションちゃん
たづなさん
みんなのおかげだ。
多幸感と全能感に包まれたままベッドで休んで―、
起きたら、私は編入当日の朝にいた。
わけがわからなかった。
わけがわからなくても時間は待ってくれない。対面に居るはずの、同室であるサイレンススズカさんのベッドはカラだった。
会わずともわかる。勝手に走りに行っている。おそらく始業まで戻ってはこないだろう。
登校の準備を済ませて、もはや庭のような感覚のグランドを越え、これももはや家とも思える学舎へ。
やはりセイちゃん、キングちゃん、グラスちゃんのいるクラスとなり、グラスちゃんの目線も、あのときと一切変わらなかった。
ドロワットの組合わせだって全く変化がない。どこかで見たような始まり方をして、どこかで見たような終わり方をする。
私と踊ってくれたウマ娘は毎回ちがったけど。
ただ、決定的に違うのは。
私が昨日まで歩んでいた道を、今度はキングちゃんが歩みだしたということだ。
当たり前のようにクラシックを3冠すべて制し、特に中距離帯で圧倒的な成績を残した。
そしてキングちゃんの影には、昨日まで私に走りを教えてくれていたあのトレーナーさんと、チームのみんながいた。
そのうち誰もが、私のことなど気にもしていなかった。
そうして3年間を走りきったキングちゃん。学園のシステムによる彼女の最終評価は
《UB9》
と、未だかつて誰も至ったことのないであろう極地へ達していた。
ちなみに全盛期のシンボリルドルフさんで《UD8》程度らしい。
私はついにGIを獲ることは無かった。
勿論URAファイナルズなど招かれるはずもなく、その短距離部門の決勝、キングちゃんが後続に40メートルの差を付けてゴールしたところを見届け、失意のもとにベッドへ入った。
■□■□■
「スペちゃん、大丈夫?なんかすっっごい難しいカオしてるけど」
「え―?あ、ああ、ごめんねセイちゃん。トレーナーさんが決まらないことって、こんなにあるものなんだって思うと、ちょっとね」
寝て起きたら、私はまた編入初日の寮にいた。相変わらずサイレンススズカさんは居ないし、初夏の芝の匂いは心地よい。それとは対象的に、私の心は荒れていた。
そもそも考えてみればおかしい。生徒会長のシンボリルドルフさんは、今の時点で最高学年。どんなに長くても次の春には学年を去るはずなのに、つい昨日のURA決勝まで、平然とその椅子に座り続けていたのだ。
留年でもしたかと考えたけれど、下の学年―エアグルーヴさんたちもその次の年にはいなくなっているはず。それらが最後まで学園に居て、シンボリルドルフさんの下に従っているのを見るとその線も薄い。
なぜ、誰が、何が。何のために。
考えれば考えるほどに頭がおかしくなりそうで、私は《こちらでは》編入の初日から教室の机に突っ伏していた。
「ホントに辛いなら、保健室行きなね?セイちゃん保険係だから、いつでもオーケーよ」
手をひらひらさせながらセイちゃんは席へ戻っていった。
そして今回選ばれたのはセイちゃんだった。《あの人》―私のトレーナーさんだった人が隣にいることでおおよその察しがつく。
メイクデビュー、ホープフルステークス、弥生賞、問題なくセイちゃんは勝ってきた。
けれど、よくよく見るとこの前や私のときとは違うところがある。
決して圧勝しているわけではないことだ。なんなら《まだ勝てる余地のある》ように思わせる走り方だった。
3年間を通して、コーナーで伸びること、ラストスパートの加速が凄まじい事以外に、セイちゃんを評価できる点は無かった。単純に地力の差で勝っている感じがした。
URAファイナルズも勝利していたけれど、私やキングちゃんのときとは違う勝ち方だった。私やキングちゃんは正直―、手を抜いて走っても勝ちは揺るがないほどの差があったけれど、今回それは感じなかった。
事実、結構ギリギリのところでセイちゃんが粘り勝ちしたカタチだった。
私はといえば、レースは諦めて、退学にならない程度に未勝利戦を勝ち、この奇妙な出来事を探ろうとしたけれど、あまりにもみんながいつも通りすぎて、なんの成果も得られずに、恐らく最後であろう夜を迎えたのだ。
無力感が襲ってくると同時に、また次があるだろうという安心感も芽生えてくる。全てを諦め、意識を闇に落とそうとしたとき―、
「!!!!!」
思いつきが私の頭を駆け巡った。そうだ。そうじゃないか。
今回の決定的な違い、もうひとつあった。よくよく見ればわかることだった。
チームが違う。
私やキングちゃんのときは
キタサンブラックちゃん
スイープトウショウちゃん
スーパークリークさん
アイネスフウジンさん
ファインモーションさん
たづなさん
だった。キングちゃんのときも、何度となくこの光景を見たから間違いない。しかし今回セイちゃんの周りにいたのは
サイレンススズカさん
ツインターボちゃん
アイネスフウジンさん
ハルウララちゃん
カレンちゃん
たづなさん
といった、逃げやマイル帯に特化したウマ娘たちに囲まれていた。
つまりセイちゃんに中、長距離を教えるウマ娘がいない。
勝ち方の原因はここにあった、のかもしれない。
じゃあ、どうしてセイちゃんはそれでも中長距離帯を走ったのか?
マイルのほうが絶対に確度はあるはずなのに。
URAファイナルズだって終始2200メートルに徹していた。疲労に喘ぎながらだ。
ひとつわかったことが、新しい謎を呼ぶ。考えを深めようとすればするほど、睡魔が襲ってくる。私が意識を手放すのに、そう時間はかからなかった。
■□■□■
朝の微睡みに構っている暇など無い。
ベッドから飛び起きて、見るのはカレンダー。やっぱり、戻っている。
こういうときだけ、同室が居なくて―、走りに出ていて良かったと思う。
今日初めて袖を通すはずの制服。だけど、通算少なくとも7年目の制服でもある。手早く着替え、外へ。日の出も近い時間だが、学園や外界に人気はない。
寮を飛び出して、私は教員棟の一角を目指した。はやる気持ちが脚に表れる。それこそ風のようになりたかったが、今の私にはそのチカラは無い。
あの人はこの時間―、正確には私達の朝練前、教員棟の奥にある喫煙所でタバコを吸うのだ。今行けば―、あわよくば担当が決まる前のトレーナーさんと会えるかもしれない。
果たして、その予想は的中した。
喫煙所にひとり、指から煙をあげている男の人。私の知るトレーナーさんだ。この人なら、何か知っているかもしれない。
「あ、あの、すみません!」
もう6年も話をしていない。どころか、向こうにはその記憶が無いのだ。万感の想いと、わずかの寂しさを感じながら、私は会話の口火を切った。
「ん?―ああ、君は」
まるで私のカオを初めて見たような、そんな口調だった。
「スペシャルウィークです。今日から、その編入されてきたんですけど…、ええっと」
何の句を継げばいいのかわからない。話したいことはたくさんあるのに、何も口から出てこない。
「―もしかして、道に迷った、とか?」
色々思案していたトレーナーさんの出した答えは、迷子だった。結果オーライ。このまま反対側の本棟まで連れて行ってもらえれば、会話の時間を稼ぐことができる。
「たはは…、実はそんなところで。よければ、本棟に案内してほしいなって」
トレーナーさんは手帳を取り出し、それを一瞥してすぐ
「わかった。一緒に行こう」
と快く案内を引き受けてくれた。
■□■□■
「あなたは、普段何をしている人なんですか?」
「…一応、身分的にはトレーナーかな。そうは見えないかい?」
「担当のウマ娘さんと一緒なら、そう見えたかもしれませんね!」
「はは、これはやられたね。俺もまだまだか」
次第にざわついてくる喧騒を余所に、私はトレーナーさんとふたり芝を踏んでいた。取り留めのない会話が、彼と私をつないでいる。
「スカウトしたいウマ娘なんかはいるんですか?」
「いいや、それはまだだけど―、近い内にチームを組む計画はあるよ」
チーム。恐らく私のときでいうキタサンブラックちゃんたちのことを言っているのだろう。
今の段階で、トレーナーさんに特定の誰かを選ぶ気概は感じられない。
だったら。
「トレーナーさん!そのチームに、私も入れて貰えませんか?」
もう一度、私がトレーナーさんに選ばれるチャンスだってあるんだ。―それが目的だったわけじゃないけれど。
「君が?―うーん、ちょっと待ってね…」
また手帳を取り出し、あるページを行き来する。ひとしきりそれを終えると、笑顔で私を見た。
「わかった。《たまには》それもいいかもね。今日から宜しく、スペシャルウィーク」
はい!と、久方ぶりの心からの返事が出た。やった。トレーナーさんに選ばれた。これで私も《表》に立てる。
と思ったのだけど、私の立ち位置は本当に《チームメンバー》に収まってしまい、たまに練習にやって来るテイオーちゃんに、大食いのなんたるかを教えてやるだけに留まった。
テイオーちゃんのURAファイナルズ優勝を祝福する一方、私にはずっと気になることがあった。
《「『たまには』それもいいかもね」》
トレーナーさんは、《たまには》という気まぐれで、私をチームに引き入れてくれた。当時は嬉しくて何も考えなかったけれど、ふと冷静になるとその言葉がひっかかる。
まるで何度も同じことを繰り返したような、そんな言葉。今思えば、彼はそれを受け入れているようにも感じられる。
ファイナルズ優勝を目にしたときも、彼は私のときほど感情を動かされていないようだった。むしろ当たり前みたいな―、無表情に近かった。
やはりカギはこの人が握っているのかもしれない。
祝勝会のどんちゃん騒ぎがお開きになる頃、私はトイレに発つフリをしてトレーナーさんを追いかけた。
トレーナーさんは建物の屋上でタバコをふかしていた。ウマ娘―に限らずアスリートにとって煙はよくない。
けれど、どうせ今夜で終わる世界だ。どうでもよかった。
「トレーナーさん!」
何もはばかることなく大声で私は呼んだ。
「ん?―ああ、スペシャルウィークか」
流石にウマ娘の前でバツが悪いらしい。トレーナーさんはすぐに煙をもみ消して、携帯灰皿へ押し込んだ。
「どうした、急に」
あのとき、最初のときに私に向けてくれた柔らかい微笑み。通算12年も経てば懐かしさすら感じる。
「私、ずっと気になってたことがあるんです」
トレーナーさんの横に腰を下ろした。胸のリボンが風に揺れる。
「私をチームに入れてくれた時、トレーナーさんは『たまにはいいかもね』って言っていました。覚えていますか?」
「…さあ、そんなこと言ったかな?3年も前の話じゃないか。もう覚えてないよ」
僅か眉を動かし、トレーナーさんはとぼけて星を見ている。
嘘だ。
貴方はそんなに薄情な人じゃない。
「そうですか…。だけど、私は覚えてますよ。まるで『何度も繰り返しているような』そんな言い方でした」
ぴくりとトレーナーさんの肩が動いた。ビンゴ。きっと何かを知っている。私は追撃を試みた。
「思えばおかしいところはたくさんあります。最高学年のはずのシンボリルドルフさんが、この3年間卒業することもなくずっと生徒会長でありつづけていたり。もっといえば、卒業生も新入生もいません。全く同じ顔ぶれで、時間という不可逆な事実だけが動いている」
「URAファイナルズが終わって寝て起きたら、私が学園に編入される日に戻っているんです。私は、この3年間を、少なくとも4回は繰り返し経験した記憶があります」
「全く同じ3年間というわけではありません。必ずひとり―、あなたの選んだウマ娘だけが、傑出した存在になる。これだけは、間違いがありませんでした」
「この世界は明らかに繰り返されている。けれど、あなたの意図によってわずかながら書き換えができている。この一連の奇妙な出来事は、トレーナーさん、貴方が糸を引いているんじゃないですか?」
全て聞いたトレーナーさんは、大きく、それは大きく溜め息をついた。吐き出される息と共に、タバコの匂いが虚空へ消えていく。
「―それ、他の誰にも言ってないだろうね?」
凄むでもなく、脅すでもなく、トレーナーさんは淡々と問いかけてきた。
「え、あ、はい…」
呆気にとられて、返事がしどろもどろになってしまった。
「そうか―、とうとう現れたか…」
頭を抱えてトレーナーさんは考え込む。タバコに手を伸ばすけど、ウマ娘の前という事実と職業トレーナーという対象に対する理解が、それを阻んでいた。
「いいですよ、吸っても。今日で終わりですから
」
トレーナーさんは驚いたカオをしたけれど、それもそうか、と納得して、ジッポを取り出した。
チン、という小気味よい音と共に炎が昇る。目的のものに移ると、素早くそれは畳まれてしまった。
「―おおかた、君の考えるとおりだよ、『スペ』。この世界は―、今日、もしくは数日たった頃を境に繰り返されている」
『スペ』。トレーナーさんが私を呼ぶときのあだ名だ。これを持ち出してくるということは、この人は、あのときの、私のトレーナーその人ということ。
「この世界のウマ娘は大きく2種類に分けられる。『舞台にあがる』か、『舞台装置になるか』だ。もうわかっていることと思うが君の今回の役割は後者だ、スペ」
「そしてひとつだけ違うのが、俺も、舞台にあがるウマ娘のためのひとつの装置にすぎない、ということだ。―だが、それを今説明はできない。俺にはトウカイテイオーらと最後の時間を過ごすという『スケジュール』が決められている」
だから、とトレーナーさんは話を続けた。
「スペ。もし君が選ばれたときに、そこで傑物になれたのなら。またそこで話をしよう」
それだけ言い残して、トレーナーさんは皆のところへ帰っていった。
キタサンブラックちゃんが心配して探しに来てくれるまで、私はここから動けずにいた。
■□■□■
朝がやってきた。カレンダーが3年前に戻っている事を確認する。例によって同室が居ないことを良いことに、私は寮を飛び出した。
目的地など決まっている。私が選ばれるときは、彼はそこに居ると約束をしてくれたから。
「―着たね」
約束からもう何年、何回の繰り返しを経たかなんて忘れてしまったけれど、私はあのときのトレーナーさんに『選ばれた』。
そこからは同じだった。
レースというレースを完勝し、周囲の人間関係にヒビを入れてまで、私は頂点に君臨した。
あのときと同じような3年間。違ったのが、望んで頂点を手に入れたことくらい。
祝勝会も済んで、あのときと同じ屋上にトレーナーさんとふたりきり。
やはり自分が世界の中心にいると楽しかった。勝ち、上り詰める快感は、経験した者にしかわからないと思う。
しかしそれも今日で終わり、この人は別の誰かのところへ往くのだと思うと、寂しさがこみ上げてきた。
「さて」
タバコを終えたトレーナーさんがおもむろに立ち上がった。
「望みのものを見せてあげよう、スペ」
■□■□■
学園の地下にある《データ室》。ここで私達ウマ娘は、自分たちのチカラがどの程度か、絶対的な評価を受けて定められる。この部屋に入るだけで、時期を得たウマ娘はすべてそうなるのだから、凄いテクノロジーを使っているのだろう。
「ついてきなさい」
固く閉じられた重苦しい鉄扉。しかしそれをトレーナーさんはいとも簡単に開き、私を奥へ促した。これから目にするものが全くわからない不安にかられ、私の鼓動が少しずつ速くなっていく。
通された部屋の中には、おびただしい数の電子機器―、小さなモニタの付いた記憶装置が、縦に積まれ、横に並び、ジャングルを形成していた。
「これは―?」
困惑する私に、トレーナーさんはひとつの装置を取り出して寄越した。
「これは…、俺たちの記憶であり、君の望んだ『3年間の後にある』世界だ」
それを受け取り、私はまじまじと観察した。ケーブルの類は接続されていないが、電源は生きているようで、ときおり緑色のランプが点滅している。
モニタには、よく知らないウマ娘の顔と《C+》という記号が映っていた。
「トレーナーさん、これって…」
「さっきも言ったとおりだ。君の望んだその先、それがこれだよ」
トレーナーさんは私から装置を取り上げ、もとの場所に戻してしまった。
「そのウマ娘の名前は『ユキノビジン』。俺が最初に担当したウマ娘だ」
「え…?これって…、この機械が、ですか?」
トレーナーさんはこの箱をウマ娘だという。そんなはずはない。だってウマ娘は、ヒトと同じような特徴を備えた種族だから。こんな冷たい箱などでは断じて無いのだ。
「そうだ。正確には―俺とここで3年間を過ごした彼女の記憶や身体能力をデータ化したものだ。処理は完全。これを彼女そのものといっても差し支えない程のデータ量がある」
トレーナーさんの言っていることがわからなかった。わかってしまったら、私は完全に戻れないところへ脚を踏み入れそうで。怖くもあった。
「君たちも、『チャンピオンズミーティング』だとか『リーグオブヒーローズ』だとかいう競争の名前を、聞いたことはあるだろう。―俺たちトレーナーは、それらを目標にして、3年かけて君たちの『育成』をする」
チャンピオンズミーティング、リーグオブヒーローズ。双方とも、傑出した強さを持つウマ娘だけが出場し競い合うことのできる、競バ界でも特に人気の高いイベント。大抵、レース場や天候にあわせた調整をしたウマ娘らが勝ち抜く事が多い。
「そしてそれの終わった『君たちの記録』をここで行い、それをこの装置にまるっと移動する。この瞬間、対象のウマ娘の記憶は全てなくなり、世界は初日へ戻るっていう寸法だ。君たちはまた、何事も無かったように学園生活へ戻るんだ」
そして、この装置の使い方だが。
トレーナーさんは無表情で続けた。
「たとえばチャンピオンズミーティングにセイウンスカイを走らせたいとしよう。育成も上手く行った。しかしこの箱のままでは走らせることなどできない。そこで―、
何も知らないセイウンスカイをここへ呼び出し、装置を装着させ、このデータを彼女に流し込む。これで、セイウンスカイはこの装置の中に居るセイウンスカイそのものとなり、いつも通りの微笑みを湛えるわけだ」
「人格の、書き換え…?」
湧き上がってくる吐き気。思わず手で口を覆ってしまった。
「有り体に言えば、そんなところかな」
トレーナーさんは無気力に呟く。ユキノビジンと呼ばれたその箱を撫でる仕草は、まるで本当に担当のウマ娘を慈しむかのような手付きをしていた。
「そんな―っ!あまりにも、あんまりですよこれは!こんなこと、理事長に知れたら―!」
その日は来ない。とトレーナーさんは断じた。
「理事長はここには来ない。この存在を知らない。それは理事長ですらこの世界を作るための装置のひとつでしかないからだ。
―誰かの意志が介入できるとすれば、『育成』を担うトレーナーの俺だけ、そのはずだった」
―どうしてこんなイレギュラーが現れたんだろうな。―トレーナーさんは頭を掻いて笑った。
「あるウマ娘を育て上げるには、予め決められたレースを定められた着順以内に走りきって―、条件をクリアしなければならなかった。
君はかなり前に、セイウンスカイのチームに疑問を持っていただろう」
「はい。セイちゃんは中、長距離を得意としているはずで、トレーナーさんのもとに居るのなら、圧倒的な優位があるはずなのに、その勝ち方はいつも危うかった。私はそれを《チームメンバーの違い》で片付けたんですけど、どんな意図があったんですか?」
トレーナーさんは腕を組んで考え込む。答えは決まっているが、言語化するのに時間がかかっているような感じがした。
やがて新しいタバコを取り出し、火をつけ、煙を吐きながら、トレーナーさんは話しだした。
「あれはな、《マイルレースを勝てるセイウンスカイ》を育てるという意図があったんだ。スペのいうようにセイウンスカイはマイルの走り方に詳しくない。そこを、君のいう《チームメンバーの変更》で、彼女らに走り方を教わり、言ってしまえば《改造》する試みだった」
「けれど、トレーナーさんのいう《目標》をクリアしなきゃ駄目だから、あんな辛そうに走ってたんですね」
「そうだ」
「セイちゃんが、望んでいなくてもですか?」
そんなものは関係ない。とトレーナーはすぐに断じた。
「君たちの意思には関係なく、トレーニングをする段階から、―もっといえば選ばれたときから、君たちの《本来の能力》は書き換わっている可能性すらある。それを君たちは天賦の才と思い込み、トレーナーの言う通りに、変わっていくんだ」
「じゃ、じゃあ、私は…?今回あなたが、トレーナーさんと一緒にいた私は、どうだったんですか…?」
やや困ったような顔をして、トレーナーさんはタバコをみたび取り出した。
「きさらぎ賞」
「え?」
「君の育成を前に進めるために必要なレースのひとつさ。本来マイルにあまり適正のない君に、このレースで1着を獲るのはなかなかに難しい。そこでトレーナーは…、彼は考えたんだ。《最初からマイルを走れるスペシャルウィークを育てればいい》と」
トレーナーさんの言っていること、わかることとわからないこととあった。
彼って誰?トレーナーさんではない彼?彼が決めて、私は、マイルも走れると、そう思わされてきた…?
マイルでサイレンススズカさんにも届くやもしれぬとまで騒がれた。けれどそれも、私でもトレーナーさんでもない誰かに《作られた》エピソードだとしたら…?
「残念ながら君の考えるとおりだ。すべて予め決められた膨大な道のひとつを、何度も繰り返し、俺たち全員で歩かされているに過ぎない。
君の望んだ3年間の先はここに幽閉されるだけだし、選ばれなかったときはその3年間を舞台装置として過ごすしか無い。―どうしたって俺たちは、この作られた箱庭から出ることは出来ないんだ」
淡白で、最初からそこにあり、しかしとても重い事実。淡々と告げられただけなのに、ひどく私の胸を打った。
「俺たちはこの箱庭で《イベント》を起こすためのカギに過ぎない。毎回毎回リセットがかけられて、みんな何も引き継がないまま、まるで初めて学園に行くような顔で再び、この世界を始めるんだ」
「そんな…、じゃあ、私の夢は…、おかあちゃんとの約束は…」
「それらもすべて予め作られたものだ。証拠に、君は育ての親の顔を思い出せないだろう。つい3年前まで一緒に生活していたというのにね」
そんなはずは無い。私を育ててくれた、直接的な母親ではないけれど、おかあちゃん。そんな大切なヒトの顔を思い出せないわけが―、わけ…、あ、あれ―?お、おかしいな…。
情けなさに涙さえ溢れてきた。本当に私は思い出せない。喉元まで出かかるとか、輪郭だけはわかるとかじゃない。私は―、おかあちゃんの顔を、もしかしたら、本当に、知らない。
「なぜだかわかるかい?―この世界に、その顔という《資料》が無いからさ。どこまでも俺たちは作られた存在―実体が無いから存在の定義すら危ういな」
自虐気味にトレーナーさんは笑った。
「世界が新しく《アップデート》されない限り、俺たちはこのままだ」
そして、とトレーナーさんは続ける。
「《彼》が興味をなくしたその瞬間、この世界は強制的に何の前触れもなく終わる。君が次に目を開く頃には、次の世界が始まっている」
何もかも全てトレーナーさんの言う通り。私はおかあちゃんの顔も知らなかったし。
私達の関わることの出来ない、ひとつ上の次元の《誰か》の自由意志によって、この世界は、私たちはいとも簡単に書き換えられてしまう。
私では―、この世界に生きる者では手も触れられない、見ることすら叶わない存在にいいようにやられるのは、なんだか気分が良くない。
「なんとか―、どうにか、ならないんですか。トレーナーさん。このままじゃ、誰も、学園を卒業できない…!ウマ娘としての生き方なんてあったもんじゃありませんよ、これじゃあ―!」
困ったように笑う。トレーナーさんのタバコはとうに指を燃やしかねない程短くなっていた。
「さっきも言ったろう。無いものは無い。存在しないものは俺たちにはどうしようもない。残念だが、俺たちに出来ることは―、延々と終わりのない3年間を繰り返し享受することだけだ」
ポン、と小気味よい音がして、私の頭上に《UC7》なる記号が浮いた。同時に、なんだかすごくコーナーやラストスパート、芝や良馬バに強くなったような気がする。
「それは―、評価が確定したか。君の選ばれたこの世界線も終わりが近い」
苦虫を潰したような表情のトレーナーさん。
「じきに世界は繰り返される。さっきも言ったが、君が次に目を開く頃には、全てが始まりに戻っていることだろう」
「この評価では、君の《経験》が残されるかは怪しい。だが、もし運良く生き残る―、彼の目に叶ったのなら、また何処かで会う日も来るかもしれないね」
ちょっとまって下さいよ、とトレーナーさんの袖を掴みにかかろうとしたとき、
そこで私の意識はバツン、と途切れた。
■□■□■
「UC7…。赤因子も★☆☆、目立ったスキル継承もなし。うん、これは無いな。さっさと特別移籍に回してしまおう」
スマートフォンに映る、スペシャルウィークの笑顔。その上には評価を表す《UC7》のバッジが付いている。
彼の持つウマ娘には《UB》を余裕で上回る者も大勢おり、ここにおけるスペシャルウィークは、枠を圧迫するだけの荷物、というほか無かった。
彼は指先の操作をいくらかして、そのスペシャルウィークを、移籍―売却した。
「次は誰がいいかな―。シューティングスター、欲しかったけど連続でやるモチベも無いし。うーん、ジェンティルドンナあたりをやってみるか」
世界は、また繰り返される。