【時を紡ぐ軌跡】〜女神の子と死霊術師とオネエ神、奇跡の珍道中〜 作:えびふぉねら
翌朝、夜の冷気がまだ森を包む時刻。
朝霧が木々の間を漂い、淡い陽光が葉の隙間から柔らかく差し込んでいた。遠くで鳥のさえずりが響き、小川のせせらぎが静寂に寄り添っている。
ミーティアは肩に小さな荷袋を担ぎ、隣では妹のエルネアが眠たげな目をこすっていた。彼女の小さな手は、姉の袖をしっかりと握っている。
ミーティアはふぅと息を吐き、遠くヴァルグレアの国境門へと視線を投げた。
黒い瞳には、故郷への未練よりも、新たな一歩を踏み出す決意が宿っていた。
「あんたらには世話になった……俺も、もうお尋ね者だな。ここには、いられない」
その声は乾いており、ただ現実を淡々と告げている。だが、内に潜むのは妹を守るために全てを捨てた覚悟。
セラは唇を結び、エルネアの手を見つめた。少女の小さな指が姉の袖を握る姿に、どこか懐かしく、温かな同情が広がる。
ミーティアは妹を見やり、柔らかな笑みを浮かべた。彼女の顔には、疲れと安堵が混ざり合い、妹の無事が心の重荷を軽くしていた。
「行こう。国境まで出れば、あとはどうとでもなる」
シードとセラは、二人を国境まで見送ることにした。
街道に足音だけが静かに響き、四人はしばらく言葉なく歩いた。森の空気はひんやりと肌を刺し、椋鳥の群れる声が旅の寂しさを和らげていた。
やがて、国境を示す苔むした石柱が霧の先に現れた。その古びた表面は、長い年月の重みを物語っていた。ミーティアはそこで足を止め、振り返った。
「……また、どこかで会うかもな」
その言葉は別れの挨拶というより、微かな希望のようだった。
命を奪おうとした相手に、家族を助けられた。その礼もできないもどかしさが、ミーティアの進む足を少しだけ遅める。
彼女の瞳には、未来への不確かな期待と、別れの寂しさが混じっていた。
セラは小さく微笑み、深く頷いた。彼女の笑顔には、二人の旅路が無事であるよう、祈りを込められている。
「はい。お二人とも……どうかお元気で」
「あのっ……ありがとうございましたっ!」
エルネアが弾むような声で言い、ぺこりと頭を下げた。ミーティアは妹をそっと促し、二人は霧深い森の奥へと消えていった。
その背中が木々の影に溶けるまで、セラは静かに見送った。胸の奥でそっと再会を願って。
* * *
二人の姿が完全に消えた後、シードがぽつりと口を開いた。
「……君とは、話の途中でしたね」
セラはその声に顔を上げた。
シードを処刑から救い、逃げ延びた直後の会話の続きだった。彼女の心は、緊張と決意で高鳴っていた。
「はい」
一瞬の躊躇の後、セラは息を整え、言葉を紡いだ。
本当のことは伝えられないが、父の前で嘘はつけなかった。そんなものは簡単に見抜かれてしまうだろう。
「信じてもらえないかもしれませんが……私は、未来から来ました」
シードの銀色の瞳が僅かに細められる。驚きというより、探るような観察の視線。だが、その奥には微かな興味が揺れていた。
「ほう……それで?」
「シード様。あなたは……私のいる未来で命を落としました」
その言葉を口にするだけで、セラの胸は締め付けられるように痛んだ。
彼女が生まれた時、すでに父はこの世にいなかった。女神とは言え、セラはまだ幼い。その寂しさが声音にありありと滲み出ている。
「あなたを蘇らせるため、この巻物に力を込めなければならないんです」
セラは道具袋から「奇跡の巻物」を取り出した。ひょんなことからゼオラシュトから譲り受けた、失われた命を取り戻す、神界の秘宝。
巻物は淡い光を放ち、金色の軌跡が表面に浮かんでいる。その輝きは、まるで命そのものが宿っているようだった。
「……あれ?」
セラは息を呑んだ。真っ白だった巻物の表面の一部が、いつのまにか光を刻みこんでいたからだ。驚きと期待が彼女の心を駆け巡った。
――その時、上から軽やかな声が響いた。
『あら、気づかなかったのォ?』
しばらく静かだった時の神が何か言いたげに髪飾りを震わせる。
『さっきシードちゃんがエルネアちゃんを助けた時、巻物がピカーッて光ってたわよ〜』
ゼオラシュトの声は、どこか楽しげだった。セラは小さく首を振って気持ちを切り替え、シードを真っ直ぐに見据えた。
「あなたと旅をすることで、この巻物は力を取り戻します。どうか……私を連れて行ってください」
そう言ってセラは、再び自分の道具袋に手をやった。そこには、ずっと胸の奥で重みを感じていた一冊の本がある。
――魔術書だ。革張りの表紙は使い込まれ、角がすり減っていた。ラナスの居城の書斎で見つけ、読み耽っていた大切な本。
そして、セラとシード、過去と未来をつなぐ架け橋のような存在。
「未来であなたが書いた魔術書……これが証拠です」
シードはそれを受け取り、手のひらでその重みを確かめるように持ち上げた。
静かにページをめくり、指先がある行で止まった。
「……なるほど。初見の術理ばかりですが、構成に見覚えがあります。詠唱構文の簡略化、補助術式の配置……そしてこの筆跡、訂正の癖。僕自身のものと一致している」
彼の目はさらにページを追い、眉間に僅かな皺を寄せた。
「この定着術式……少なくともこの時代には存在しない。しかし、ここには完全な応用例が記されている。未来の魔術というわけですか」
ふと首を傾げ、彼は呟いた。
「しかし……死霊術師が綴ったにしては、あまりに優しい」
そこに記されていたのは、癒しや守りに特化した術ばかりだった。
自分がこんな偏った内容に手間を惜しまない違和感に、驚きと戸惑いが混じる。
「まるで……子どもに読み聞かせる物語のようだ」
セラは言葉を返せなかった。
それは未来で、彼女が母の腹にいた頃、父としてのシードがまだ見ぬ子のために書き残した魔術書だったのだ。
彼女の胸は、懐かしさと切なさで締め付けられた。
『さっすがシードちゃん、賢くて鋭いわァ』
ゼオラシュトが茶化すように言った。
『人間の時は冷酷な死霊術師だったのに、神になったら立派なパパしてて……アタシ、感動!』
だが、その声はシードには届かなかった。彼はセラを見据えて言った。
「……君は、未来を変えようとしているのですか?」
はい、とセラはまっすぐ頷いた。彼女の瞳には、揺るがぬ決意が宿っていた。
「未来で、あなたは……事故から子供を庇って命を落としました。あなたを取り戻すために、この巻物に『絆の軌跡』を刻むこと。それだけが私の旅の理由です」
森の奥からそよぐ風が、木の葉を擦れ合わせた。二人の間に沈黙が満ち、朝の光がその間を優しく照らした。
シードは再び魔術書に目を落とし、低く言った。
「ならば、せめて教えてください。未来の僕が、この術を書いた理由を」
その声には、先ほどの冷徹さとは異なる、微かな温もりが混じっていた。まるで、知られざる自分を探ろうとするかのように。
セラは視線を落とし、静かに答えた。
「……あなたは、誰かのために祈ったんです。その人が、優しくあってほしいと」
再び沈黙が降りた。
だが、それは冷たいものではなく、人としての小さなを温もり含む静寂。
椋鳥の声が遠くで響き、朝霧がゆっくりと晴れていく。
シードは夜の闇が残る中、魔術書のページを一枚、また一枚とめくり続けた。
まるで、未来の自分がどんな存在だったのか、その答えを追い求めるように。