【時を紡ぐ軌跡】〜女神の子と死霊術師とオネエ神、奇跡の珍道中〜 作:えびふぉねら
その時だった。
――ぐぅ。
唐突に響いたのは不協和音のような音。 発したのはセラの腹の虫だった。
「……あっ」
セラは頬を赤らめ、両手でお腹を押さえた。神としての矜持など、空腹の前には無力である。彼女は必死に取り繕うように言葉を紡いだ。
「あの……す、すみません。この世界に来てから、まだ何も食べていなくて……」
声は消え入りそうに小さく、しかし恥ずかしさは隠しきれない。 彼女は慌てて道具袋を探り、紙袋の底から少し硬くなりかけた食パンを取り出した。
「えと……私、食パン二枚持っているんです。よければどうぞ……」
差し出したそれは心ばかりのもの。焼きたての香ばしさはなく、味を楽しむ余地もない、ただ人を生かすための糧。
「バターも、マーガリンも、ジャムもありませんけど……」
そう言うと、シードは黙したままパンを一瞥し、思案する素振りを見せた。
「……ふむ。それだけでは味気がありませんね」
冷徹とも取れる淡々とした声色。だが、彼女を責めるわけではなく、あくまで事実を述べるのみ。
彼は背後の大森林を指し示した。
「あの森で『マヒムシダケ』を採りに行きましょう」
セラは瞬きを繰り返した。
「ま、マヒムシダケ……ですか?」
耳慣れぬ響き。だが語尾の「ダケ」からして、どうやらキノコの一種らしいと察する。
彼女はてっきり「パンに塗るペーストにでもするのだろう」と解釈したが、心の奥には不安が芽吹いていた。
『ウッフフ、マヒムシダケねェ〜。名前からして怪しいけど?』
髪飾りの中からゼオラシュトが含み笑いをもらす。何か知っているのだろう。
セラは自らに言い聞かせるように思考を締めくくった。
(お父様が言うなら……きっと大丈夫。大丈夫、だよね……?)
森は朝霧がゆるやかに晴れ、清らかな風が静けさを運んで来る。鳥のさえずりが反響し、広がる青空に溶けていく。
* * *
セラとシードは並んで森へ足を踏み入れた。
小道は馬車が通れる程度に踏み固められており、左右には膝丈の草花が茂る。少しでも逸れれば、鬱蒼とした「ダンジョン」と化すであろう濃緑の世界。
――ヴァルグレア大森林。 大地の豊穣と精霊の息吹が眠る場所。
「豊かな森ですね……。地精霊の声で満ちているのが分かります」
セラは胸いっぱいに空気を吸い込み、思わず呟いた。
「君は精霊の声を聴けるのですか。巫女の素質があるのかもしれませんね」
振り返らずにシードは答える。
巫女シャーマン――精霊と人とを繋ぐ特別な職。時に神意に触れる者。
女神であるはずの自分が「巫女の素質」と言われることに、セラは妙な感覚を覚えた。
『ウッフフ。セラちゃん、女神なのに巫女候補だなんて、二重職業? ねぇ、どんな気分?』
「……ちょっと……複雑です」
セラはゼオラシュトの囁きを無視するように、軽く応じた。
シードは一定の歩調で森を進む。やがて小道を外れ、膝上まで草が伸びる密林へと足を踏み入れた。
「あの木の麓を見てください。あれがマヒムシダケです」
指差した先には、どぎついピンク色の笠を持つ大きなキノコが群生していた。紫色の斑点が散りばめられ、見るからに毒々しい。
「え、あれが……」
セラの顔が引きつる。 どう見ても「食べてはいけない色」をしている。
だがシードは迷いなく近づき、手早く二つもぎ取った。片方をセラに差し出し、自らはもう片方の笠をかじる。
(え……? すり潰して塗るんじゃなくて、かじるの……!?)
セラは固まった。誰もが毒と断ずる色合い。
だが彼は表情ひとつ変えずに咀嚼し、飲み下している。
「君も食べてください。すぐに来ますから」
命じるような調子ではないが、拒否を許さぬ確信の響き。
「あ、はい……」
セラは恐る恐る震える指でキノコを掴み、意を決して口を開いた。
そして――そっと笠をかじる。
「うっ……!?」
瞬間、身体がゾクリと跳ね、舌が痺れるような衝撃に襲われた。
甘さ、苦さ、辛さ、酸味――あらゆる味覚がごちゃ混ぜになり、喉を駆け抜ける。胃が拒絶し、背筋が総毛立つ。
「うううう……!? こ、これって……」
「セラ、我慢して飲み込みなさい」
シードの声は冷静そのもの。だがその眼差しは、確かに彼女を見据えている。
セラは涙目になりながら、どうにか喉を通した。 次の瞬間――。
全身を駆け抜けるのは、熱。 凍えるような冷気の中で焚かれた炎のように、身体が拒否反応を起こす。
(うぇぇぇっ……ま、まずい、吐き出したいっ……お父様っ……!)
セラの運命や、いかに――。