【時を紡ぐ軌跡】〜女神の子と死霊術師とオネエ神、奇跡の珍道中〜 作:えびふぉねら
食事のひと時は、束の間の安らぎだった。
焚き火の弾ける音が響き、甘い蜜の香りが漂う中、満腹感がセラをうつらうつらと眠気に誘っていた。森の静寂が心地よく、木々の間を抜ける夕風が頬を撫でた。
だが、その穏やかな世界を切り裂くように、無機質な音が響き始めた。
──ガシャン、ガシャン……。
鉄靴が地面を踏みしめる重い音が、地を這うように近づいてきた。静寂だった森は、侵略の気配にざわめき始めふ。
セラの視界の端に、陽光とは異なる鋭い銀光がちらついた。鎧の反射する鈍い輝き。
「……っ!」
一瞬で頭が冴え、セラは身体を起こした。視線を巡らせると、四方を漆黒と白銀の鎧に身を包んだ兵士たちが取り囲んでいた。
堂々とした立ち姿、漂う緊張感と威圧感──ヴァルグレアの精鋭「
「……追跡は初めから察していました。頃合いでしょう、ここで掃討します」
シードが立ち上がり冷たく断じた。彼の声は、戦いの予感に揺らぐことのない湖面のようだった。
騎士団の中央に立つ男が剣を引き抜き、威勢よく掲げる。低く、しかし力強い声で号令を発した。
「我が名は、国葬騎士団を統べる者、ガルヴェリウス・ノクタルム。死霊術師シード、そして白き髪の娘よ――王命に背き、禁忌を犯した罪、余さずここに断罪する! 抵抗するならば、その身、我が剣の錆と知れ!」
セラは息を呑んだ。すぐそばで、シードの黒衣が風に揺れる。
彼の表情には微塵の焦りもなかった。冷徹な沈着さが、まるで死そのものを体現しているようだった。
「……命はない、ですか」
シードの声は、焚き火の残り香のように静かで、よく通った。森の空気が彼の言葉に凍りつくようだった。
「不思議ですね。殺意を掲げながら、死を語ることに矛盾を感じないとは」
黒衣の裾が風にはためき、草原をなぞるように広がった。彼の足元から、淡く、確かな死の気配が漂い始めた。
セラの胸に、言い知れぬ不安が広がった。
「自ら死地へ足を踏み入れた者の末路は、一つしかありません。残念ながら、あなた方は選択を誤った」
その言葉と同時に、大地が脈打った。地を這う魔力が一気に噴き出し、兵士たちの足元を飲み込む。
「霊び遍く宿怨の魂魄よ。腐毒の吐息を以て此に跪け――」
紫黒の瘴気が立ち昇り、死霊術の術式が不気味に顕現した。
瘴気は鎧の隙間に染み込み、霊気とともに肉体を蝕んでいく。まるで猛毒の霧のようだ。騎士たちの呻き声が次々と響いた。
「ぬ、抜けろ! 防御結界を張れ!」
「くそ……押さえきれん! ゲホゲホッ!!」
騎士たちは聖印を掲げ、眩い光の障壁を展開した。
一瞬、瘴気を押し返すかに見えたが、すぐにバリンと音を立てて結界が砕けた。光は闇に呑まれ、死の気配だけが残った。
「やめて……! やめてください……命を奪わないで!」
セラの叫びが霧の中で木霊したが、その声は届かなかった。彼女の足元で、兵士たちが苦痛のうめきとともに崩れ落ちていく。
魂が抜け落ち、その残滓がシードの掌に吸い寄せられた。触れた魂は不死の兵として再構成され、腐臭を纏いながら再び刃を向けた。
「あガァァァッ――!!」
シードのしもべと化した騎士団長ガルヴェリウスが、仲間だった兵を次々と屠っていく。
血と霧、呻きが交錯する戦場は、もはや戦いではなかった。それは一方的な蹂躙、死者を素材とした儀式のようだった。
セラはただ立ち尽くすことしかできず、心は恐怖と無力感で締め付けられた。
──数分後。
静けさが戻った時、生者の声は消えていた。セラの足元に、倒れた兵士の手が微かに触れ、動かなくなっていた。
霧の向こうで、シードの姿が逆光に浮かび上がった。陽光が彼の銀髪を冷たく照らし、まるで別世界の存在のようだった。
「……君は、理解していないようですね」
その声は、氷の刃のように鋭く、セラの心を刺した。銀の瞳が彼女を捉え、動揺を見透かすように淡く光っていた。
「君が助けたのは『死霊術師』です。世界にとっては、見せしめとして処刑すべき禁忌の存在。その男を救えば、次に刃が向くのは……君です」
セラは声も出せず、ただ草を握りしめた。胸が締め付けられ、息が苦しさが襲う。
――だが、それが現実だった。
彼女の心は、理想と現実の狭間で揺れ動いていた。
「僕にとって、殺すことは手段の一つにすぎません。……では、君は? いざという時、他者の命を絶つ覚悟がありますか?」
「……私は……」
セラは答えられなかった。
彼女はこれまで一度も命を奪ったことがなかった。争いを避け、傷つけることさえ躊躇してきた。
だが、その甘さが、シードの冷徹な言葉で容赦なく突き刺されていた。彼女の胸に満ちるのは、後悔と無力感。
「……連れていけませんね。足手纏いは不要です」
その言葉は、冷たい断罪のようだった。セラの心に鋭い痛みが走った。
それでも、彼女は震える手で草を握り、ゆっくりと顔を上げた。瞳には涙も迷いもなく、ただ焔のような決意が宿っていた。
「お願いです。……稽古をつけてください」
風が霧を巻き上げ、二人の間を吹き抜けた。森の木々がざわめき、陽の光がその影を長く伸ばした。
シードは銀灰の瞳で彼女を見据える。その覚悟を確かめるように。
「……」
「私は、戦えるようになります! 誰かを傷つけるためじゃない。守るために、あなたのそばにいたいから……。だから、教えてください。私に力をください!」
その声は、命を奪えないと悩む少女の声ではなく、守るために戦う決意を宿した者の声だった。
セラの瞳は、未来への希望を燃やすように輝いている。
父を守れるほど強くなりたい――その一心で。
シードはしばらく黙って彼女を見つめた。無感情な視線に、微かな揺らぎが走る。
風が止み、二人の影がほんの少し近づいたように見えた。