【時を紡ぐ軌跡】〜女神の子と死霊術師とオネエ神、奇跡の珍道中〜 作:えびふぉねら
死と静寂――それ以外に、この場を満たすものはなかった。
地面には命の名残が累々と横たわり、鉄と血の匂いが重く漂っていた。乾き始めた赤黒い染みが草を固め、風が吹くたびに、落ちた剣が虚しく音を立てた。それはまるで鎮魂の鐘のように響き、かえって死の重さを際立たせていた。
セラの瞳に映るのは、兵士たちの抜け殻だった。ヴァルグレアの精鋭部隊、国葬騎士団ですら、シードの前では寄せ木細工のように砕け散っていた。その光景は、彼女の胸を悲しみで締め付けた。
生者として立っている自分が、彼らの沈黙を踏みしめていることに、深い痛みが走る。
――死と恐怖の神。
彼女の時代で、父シードはそう呼ばれていた。その名が、今、目の前の現実と重なる。
そんな中、不意に降ってきた声が、彼女の心臓を凍りつかせた。
『アラァ、あらあらあら……ヤダァ……死体だらけじゃなァい?』
甘く絡みつくような声。艶やかで場違い、どこか戯けた響きが耳にまとわりついた。
セラの肩がビクリと震え、背筋に冷たいものが走った。
空気に溶け込むその声は、セラにしか聞こえない。
――時の神ゼオラシュト。
今は髪飾りに宿り、気まぐれに言葉を投げかける存在。狂気と遊び心を纏い、あらゆる感情を弄ぶ声だった。
彼の視線が、死者一人ひとりを舐めるように這っているのが、セラには感じ取れた。ぞわりと肌が粟立ち、吐き気を抑えるのに必死だった。
『気持ちよくお昼寝してたのに……何してくれちゃってるのォ? アタシ、起きちゃったワ』
ふざけた響きの奥に、底なしの興味と狂気が潜んでいる。セラの心は、恐怖と嫌悪でざわめいた。
『ねェ、これ……全部? もしかして……シードちゃんが? たったひとりで……?』
言葉が終わるより早く、幻影がふわりと現れた。紫紺と薄緑の髪が揺れ、絢爛な衣をまとった姿は、まるで舞台の主役のように目を奪った。
ゼオラシュトは舞うようにシードの背後に移動し、頬を擦り寄せた。
当然、彼には見えていない。
『ああ……やっぱり、人間のままでも強いのねェ……シードちゃん……ウッフフ』
うっとりとした囁きに、セラの胸が煮え立つように熱くなった。羞恥と怒り、焦燥が一気に爆ぜた。
「もうっ、やめてくださいッ!」
気づけば叫んでいた。感情が抑えきれず、喉から飛び出した声だった。
彼女の白髪がふわりと揺れる。
シードの背が僅かに動き、銀の瞳が鋭くセラを射抜いた。
「……何の話ですか?」
短い一言。追及や非難ではなく、ただ状況を読み解こうとする冷徹な声。
セラは喉を詰まらせた。途端に言葉が石のように重くなる。視線を逸らし、頬に熱が上るのを感じた。
「あっ……い、いえ……なんでも……ありません……っ」
羞恥と困惑が絡みつき、思わず唇を噛む。自分でも掴めない焦燥感が、胸を締め付けていた。
シードはそれ以上問わず、死の気配へと視線を戻した。その横顔は氷の彫像のように隙がなく、感情の揺らぎを一切見せなかった。
陽光が彼の銀髪を淡く照らし、まるで別世界の存在のように映った。
そして、淡々と口を開いた。
「……稽古の件、了承しましょう。ただし――僕の指導は決して生温いものではありません。心を削り、血を吐く覚悟がなければ、容赦なく斬り捨てます」
その言葉に、セラは息を呑んだ。冷たい刃のような宣告だったが、同時に彼女の恐怖を挑戦へと変える響きでもあった。
父の背に追いつくためなら、迷う理由はない。彼女の瞳に、決意の炎が宿った。
「……はい! お願いします!」
声は震えていたが、確かな意志が滲む。
魔術書でしか触れたことのない、父のあらゆる魔法をこの目で見ることができると思うと、セラは嬉しくてたまらなかった。
風が草原を撫で、彼女の白髪をそっと揺らした。まるで母が祝福しているかのように。
ゼオラシュトは興味深そうにそのやり取りを眺め、髪飾りへと潜り込んだ。だが、その前に甘やかな囁きをセラの耳に残した。
『セラちゃ〜ん。アナタ、創造の魔術が使えるでしょォ? 魔物をお花に変えちゃう、あの素敵な力。あれを人間に使えばァ……敵なんて、チョチョイのちょいじゃなァい?』
心臓が強く跳ねた。頭に、あり得ない光景が広がった。
人を花に変える――その力は、今まで魔物と、ある強大な神にしか行使したことはない。残るのは、無垢で残酷な美しさ。セラの身体が震えた。
「……それは……できません」
声は小さく掠れていたが、拒絶は確かだった。彼女の心は、倫理と恐怖で固く閉ざされていた。
足手纏いにはなりたくない、だが、もしあの力を人間に使ってしまえば――父のような血に塗れた自分になるのではないか。
恐怖とほんの一滴の誘惑が、胸の中で渦巻いた。
シードの銀の瞳が彼女を見やった。問いかけはない。ただ、その沈黙は確かに問いだった。
(……それはできない、か)
彼は心中でその言葉を反芻し、その意味を測った。
力があるのに行使しない――恐れか、倫理か、優しさか。理由は無数に考えられたが、彼は何も言わなかった。
だが、その背には微かな揺らぎがあった。理解でも受容でもない、ただ何かを「見た」者の静かな変化だった。
ゼオラシュトは、その背を見ながら小さく笑った。
『……セラちゃん、アナタ優しすぎるのよォ。でも優しいだけじゃ、これから先……どうなるかしらねェ?』
ようやく風が空気に新たな色を運んだ。
それでも、無数の命が絶たれた冷たく悲しい現実が消えることはない。
父がこんなことをしなくてもいいよう、自分が力をつけねばならない――そう誓いながらも、セラは心の奥でわかっていた。
「優しさ」を捨てられない限り、その力は父に届かないのだと。