【時を紡ぐ軌跡】〜女神の子と死霊術師とオネエ神、奇跡の珍道中〜 作:えびふぉねら
夕暮れの丘が、沈む陽に照らされている。橙に染まる空の下、草原に長く伸びた影が揺れた。
風はどこか寂寥の気配を運び、セラの胸に小さな波を立てた。草の匂いと土の湿気が、静けさを一層深くしている。
丘の上に立つ二人。
シードの黒衣の外套が夕風に揺れ、隣でセラは額の汗を拭いながら構えている。
足元の大地には、鍛錬の痕跡が生々しく残っていた。焦げた草やえぐれた土、風に散った木の葉――そこには、彼女の努力の時間が確かに刻まれていた。
「……敵が直線的に迫ってきた場合、どう対処しますか?」
シードの声は問いかけというより、観察者が条件を突きつけるような冷静な響きだ。その言葉には、セラの判断を試し、彼女の限界を見極めようとする意図が隠されていた。
セラは一瞬迷ったが、すぐに息を整え、答えた。
「足を止めず、幻術で場を乱して……できるだけ時間を稼ぎます!」
その答えに、シードは小さく頷いた。
夕陽が彼の銀の瞳に淡く反射し、静かな承認を映していた。
「よろしい。では、防いでみてください」
その言葉と同時に、彼の指先に淡い光が集まった。
短く鋭い詠唱が、詩の一節のように空気を震わせた瞬間、圧縮された風が弧を描き、鋭利な刃となって飛んだ。
空間を切り裂く一閃は、獣の爪よりも速く、鋼よりも鋭い。
精霊の唸るような音に、セラの脚は思わず震えた。
「きゃっ――!」
反射的に詠唱を始めようとしたが、舌がもつれ、言葉が遅れた。
視界の端で空気が歪み、耳を裂く音と共に風の刃が迫る。
頬に冷気が走り、皮膚を掠める痛みが先に届いた。
(だめ、間に合わない――!)
その刹那、白銀の花がふわりと咲き誇った。まるで時を逆流させるように、空間が輝きに満ちた。
セラを中心に幾重もの花弁が舞い上がり、旋律のように重なり合う。
風の刃は花弁に触れた瞬間、音もなく砕け、銀の霧に溶けていく。
一枚一枚の花びらが盾となり、衝撃を吸い取った。最後の花弁が散ると、丘は再び静寂に包まれた。
――残されたのは、夕焼けの光と、息を呑むセラだけだった。
シードは足を止め、銀色の瞳に魔術研究者のような関心を宿した。驚愕の色は見えないが、理論を超えた現象を前に、深い思索が滲む。
六元素のどれにも属さない、詠唱も構築もない力――それが世界に受け入れられていることに、彼の心は揺れ動いていた。
「……今のは」
「えっ……あ……ご、ごめんなさい! とっさに、身体が勝手に……!」
セラは狼狽え、掌を見下ろした。微かに残る光が揺れ、花弁の幻影が風に溶けていく。
父の目の前で「創造の魔術」を使ってしまった。彼女の胸に驚きと不安が募る。
シードは一歩近づき、彼女を観察するように見つめた。だが、声は冷静そのもの。
「問題ありません。緊急時に反射的に発動したのであれば、それもまた実力のうちです」
「でも、これは――」
「今日はここまでにしましょう」
彼は遮るように訓練の終わりを告げた。いつも通りの平坦な口調だったが、瞳の奥には確かな好奇心が表れていた。
「夕刻です。視界が悪くなる。続きはまた」
背を向け、外套が風に翻った。遠ざかるシードの背中を、夕陽が長く影に伸ばした。
そして、彼の銀色の瞳が細められる。
(……処刑台で僕を救った時と同じ力。あれは「
その思考は闇に溶け、沈んだ。
* * *
「ふぅ……」
丘に残されたセラは、膝をついて息を整えた。
夕暮れの風が額の汗を冷やし、白髪をさらりと揺らす。彼女の胸は、父の視線への緊張で高鳴っていた。
その静寂を破るのは、妖艶な男の声。
「ウッフフ……お疲れさま、セラちゃァん」
ぞくりと肩が震えた。髪飾りから青紫の蝶が舞い、宙で捩れ、姿を変えた。
現れたのは、艶然な笑みを浮かべる男神――ゼオラシュト。その姿は夕陽に映え、まるで幻のように浮かんでいた。
「パパに似て、ホントにお勉強熱心ねェ。だけど人間の魔術なんて、アタシたち神からすればただのおまじないよォ? そんなのより『神術』を磨いた方がいいんじゃなァい?」
セラは立ち上がり、ゼオラシュトをまっすぐ見据えた。彼女の瞳には、確かな決意が宿っていた。
「……私はこの時代では『人間』です。だから魔術を学ばなければ生きていけません」
言葉に力を込め、さらに続けた。
「それに、お父様の魔術には、すごく……惹かれるものがあるんです。まるで詩みたいで、美しくて……」
「ふゥん?」
ゼオラシュトは軽やかに宙を舞い、セラの背後に降り立った。耳元で囁くように、甘い声が響いた。
「でもォ……魔術には限界がある。アナタもわかってるでしょォ? さっきの花を生み出す『創造の魔術』……あれこそアナタの本来の力。人をも花に変えられるんじゃなァい?」
「……それは」
セラは言葉を詰まらせた。否定はできなかったが、肯定すれば取り返しのつかない一歩を踏み出す気がした。胸の奥で、恐怖と誘惑がせめぎ合った。
「……でも私は、人間の力を知りたい。お父様が魔術書を通して示そうとした意味を……知っていたい」
ゼオラシュトの目が細まり、艶然と笑った。
「あらあらァ……ホント、パパにそっくりねぇ」
「ゼオラシュト……」
「なんでもないわァ。ウッフフ……そういう頑なな所、大好きよ♡」
蝶の羽ばたきと共に、その姿は髪飾りへと戻った。
声だけが空間に溶け、夜の気配に紛れた。
「せいぜい頑張ってお勉強なさァい。アタシ、影ながら応援してるワ」
セラは空を見上げ、深く息をついた。
人間でいることの意味、魔術を選ぶ価値、そして父が選んだ道――それらが彼女の胸で絡み合っていた。
風が草を揺らし、白い花が一輪転がる。セラはそれを拾い、胸に抱いた。
「私は、私らしくありたい――」
少女の儚い言葉は夜空へ消えていく。
静寂の戻った丘に、答えを求める者の影だけが残った。