【時を紡ぐ軌跡】〜女神の子と死霊術師とオネエ神、奇跡の珍道中〜 作:えびふぉねら
ラナス中央大陸の最西部、港町カリオストは、白い石造りの建物と波止場に連なるマストで活気づいていた。商人や旅人の喧騒、カモメの鋭い鳴き声、船員たちの怒号が響き合い、潮風に魚の匂いが混じる。
夕陽が海面を金色に染め、港の雑踏に温かな光を投げかけていた。
その喧騒の中を、セラが歩いていた。ドレスの裾が風にふわりと揺れ、胸元の宝石ブローチが光を反射した。
いつもは旅装束の彼女だが、今は幻術で仕立てられた「貴族の令嬢」の姿。優雅な装いとは裏腹に、彼女の足取りには僅かな緊張が滲んでいた。
隣を歩くのは、黒髪の青年。黒い燕尾服に白手袋を纏い、完璧な執事の装い――だが、その正体は賞金首の死霊術師、シードだった。彼の落ち着いた佇まいは、港の喧騒と対照的に静かで、どこか異質な気配を漂わせていた。
「……本当に、これで大丈夫なのでしょうか?」
セラは頬を赤らめ、小声でシードに尋ねた。ドレスの重さと人々の視線に、胸がざわついていた。
「大丈夫です。幻術は外見だけでなく、周囲に与える印象も覆います。あなたは今、誰が見ても由緒正しき家の令嬢です」
「で、でも……歩き方とか、変に思われてしまわないでしょうか」
シードは冷静に答えた。
「多少の所作のぎこちなさなど、人は気にしません。むしろ箱入りのお嬢様らしさとして映るでしょう」
その理知的な声に、セラは少し安堵したが、落ち着かない気持ちでドレスの裾を握りしめた。すると、蝶の髪飾りから、彼女にしか聞こえないゼオラシュトの艶やかな声が響いた。
『セラちゃん、本当に素敵よォ。幻術のおかげなんかじゃない……アナタ自身が輝いてるから、誰が見ても目を奪われちゃうの♡今のセラちゃんなら、王子様だって一目惚れするんじゃなくてェ?』
「もうッ、あまりじろじろ見ないでくださいッ!」
思わず声を張り上げたセラに、シードが訝しげに首を傾げた。彼女の顔が一層赤くなった。
「あっ……違います! な、なんでもありません……っ」
誤魔化せたかどうかは怪しかったが、シードはそれ以上追及せず、歩みを進めた。
――やがて、セラは眉をひそめた。
港の中心から離れ、人通りの少ない路地へと進んでいることに気づいたのだ。潮の匂いが強くなり、ざわめきが遠のいた。
「……あの、船着き場はこちらではないのでは?」
セラが尋ねると、シードはちらりと視線を向けた。
「正規の客船には、魔術を感知する術者が必ず乗っています。僕の幻術を見抜かれる危険がある。よって、利用できません」
「……それで、わざわざ人の少ない方へ?」
「ええ。僕たちに必要なのは、身元を問わずに乗せる船――つまり、荒事を厭わぬ連中のものです」
二人が辿り着いたのは、港の影にひっそりと停泊する一隻の船だった。黒ずんだ帆、傷だらけの船体、甲板に座り込む無精髭の男たち――どう見ても「まともではない船」だ。
潮風に混じる油と酒の匂いが、セラの鼻をついた。
「……ここ、ですか?」
シードは淡々と頷いた。
「はい。僕たちにとっては客船より安全です」
そう言い切ると、彼は執事然とした仕草でセラの前に立ち、道を開けた。
「お嬢様。さあ、船へ」
船の前に立つと、甲板から数人の男たちがこちらを睨み下ろしてきた。日に焼けた肌、乱れた髪、粗野な笑み――港町の荒くれ者そのものだった。
セラの肩が強張り、華やかなドレスがかえって視線を引き寄せた。
「……おいおい、なんだぁありゃ」
「ドレスなんざ着たお嬢様が、こんなとこに迷い込むか?」
「おまけに……執事だと? 場違いにもほどがあるぜ」
嘲笑と囁きが響く中、セラは唇を噛んだ。だが、シードは動じず、背筋を伸ばして一歩進み出た。
「船長にお目通りを願いたい。我が主人が、渡航の便をお求めです」
抑揚のない理知的な声。その冷ややかな響きに、ざわめきが一瞬止まった。
だが、すぐに誰かが豪快に笑い出した。
「ははっ、冗談だろ? 嬢ちゃんをこんな船に乗せるつもりかよ!」
「いや待て、もしかして……攫って売り飛ばそうってんじゃねぇのか?」
「それだ! よくできた執事役者だぜ!」
笑いが広がり、セラは思わずシードの袖を掴んだ。だが、彼は落ち着き払い、銀の瞳を細めて低く告げた。
「……僕は忠告しましたよ。主人に対する侮辱は、船長の前でこそ仰ってください」
その言葉に、荒くれ者たちの笑いがぴたりと止まった。執事の声色に宿る抗いがたい冷たさが、空気を凍らせた。
彼らは顔を見合わせ、僅かな逡巡の後、しぶしぶ縄梯子を垂らした。
「……へっ。いいだろう。船長に会わせてやる。後で泣いても知らねぇぞ」
セラは震える手でドレスの裾を握り、シードの背に隠れるように船に足をかけた。荒くれ者たちの視線が刺さる中、心臓が早鐘を打った。
だが、執事の顔をした死霊術師は涼しい顔で言った。
「大丈夫です。ここからは、僕に任せてください」
* * *
船の揺れと共に、甲板は荒くれ者たちが慌ただしく行き交う喧騒に満ちていた。
そこへ、長身の男が大股で近づいてきた。荒波に鍛えられた風貌、鋭い眼光、背に背負う立派な長剣――船長キャプテンバルナックだった。
「……で? テメェら、名前はなんてんだ?」
低く響く声に、セラはびくりと肩を震わせた。顔を赤くして口を開くが、言葉が空回りした。
「セ、セ……セ……っ!」
喉が締まり、視線が宙を泳ぐ。明らかに怪しい態度だった。
シードが一歩前に出て、表情を変えずに告げた。
「お嬢様のお名前は――セレイナ・フォン・ルーメン。私はその執事、エルディオと申します」
「……っ!」
唐突な偽名に、セラは思わず彼を振り返った。だが、シードは当然のように涼しい顔をしていた。彼女の心臓は、驚きと緊張で高鳴った。
バルナックは胡散臭そうに鼻を鳴らし、セラを頭から爪先までじろりと見た。高価なドレスとぎこちない仕草――どう見ても「温室育ちのお嬢様」そのものだった。
「セレイナ……フォン……なんとか、ねェ。聞いたこともねぇ名だが……まぁいい。貴族なんざ、山ほどいるからな」
豪快に笑い飛ばしたが、その眼光は鋭く、笑っていなかった。粗野な笑みの裏に、獲物を値踏みする狡猾さが潜んでいた。
「ここじゃ身分なんざ通用しねぇ。――だが、金の他に『価値』を示せるなら話は別だ」
にやりと唇を歪め、セラのドレス姿をなぞるように視線を這わせた。セラは息を呑み、思わずシードの袖を掴んだ。
だが、彼は一歩も引かず、銀の瞳を細めて冷ややかに言い放った。
「……我が主人を値踏みするその目、今すぐ改めなさい。命を賭ける覚悟があるなら――別ですが」
一瞬、空気が凍りついた。バルナックは鼻を鳴らし、大声で笑い飛ばしたが、その笑いの奥に不穏な響きが漂った。
甲板のざわめきが、緊張に満ちた静寂に変わった。
セラは胸の鼓動を抑えながら悟った。――これは旅立ちではなく、試練の始まりだ。