【時を紡ぐ軌跡】〜女神の子と死霊術師とオネエ神、奇跡の珍道中〜 作:えびふぉねら
ドン、と湿った木材が鈍く響き、踏み台が蹴り飛ばされた。
支えを失った銀髪の男――シードの身体が宙を舞い、麻縄が首を容赦なく締め上げる。黒衣がはためき、足先が虚空を掻く。
それはセラの知る、未来で神となる冷たくも優しい父の姿。だが今、彼は魔力を封じられ、ただの人間にすぎなかった。
(お父様……!? ここはあの処刑台……本当に時間が戻ってる……!?)
セラの視界はまだ霞み、頭に浮遊感が残る。現実味が薄れる中、目の前の出来事は幻とは思えなかった。
「──いってらっしゃい、二週目ェ〜。出血大サービスよォン」
耳の奥で甘い声が響く。
ゼオラシュト――セラの髪飾りに宿る時の神は、死の惨劇を観客のようにはしゃいでいた。
気がつけば、セラは処刑場の柵の陰に立っていた。ゼオラシュトの計らいだろう。この距離ならば、救出が間に合うかもしれない。
木製の柵に群衆の手が重なり、処刑を見物している。縄の軋む音と、首筋の皮膚が削れるような響きが耳にこびりつく。
「セラちゃん、頑張って! パパ助けたいんでしょォ?」
セラは答えず、唇を噛み、父の命を蝕む縄を見据えた。
踏み台はすでに外れている。一刻の猶予もない。
(攻撃の魔術なんて使えない。考えて……どうすれば……)
もがき苦しむシードの姿に、目を背けたくなる衝動が襲う。
だが、セラは白銀の目を見開き、惨状に向き合った。
その時ふと、視線が縄の繊維に引き寄せられる。
麻――植物。なら、創造の魔術で呼びかけられるかもしれない。
(こんなのやったことない。でも、賭けるしかない!)
胸の前で手を組み、息を吐く。
距離、人混み、衛兵の目――失敗すれば次はない。
「お願い、応えて……!」
祈りが魔力に変わり、セラの周囲に温かな奔流が巻き起こる。
春風のような柔らかな力がシードに届くと、ぱしゅ、と乾いた音とともに縄がふわりと解けた。
草に変わった縄は彼の首から滑り落ち、床に舞い降りる。
「……っ!?」
落下したシードを、草のクッションが受け止めた。
彼は咳き込みながら、僅かに息を取り戻す。
「……おと……シード様!」
安堵と焦りが混じる清らかな声が、群衆のざわめきを突き抜けた。
魔術は成功したが、喜ぶ暇はない。衛兵の視線がセラに向く。金属の鎧が軋み、剣が抜かれる音が響く。
(隠さなきゃ……!)
処刑台――木、これも植物の成れの果てだ。セラは大地に願いを送る。
ギシリ、と木材が枝葉に変わり、処刑台は瞬く間に樹木の塊と化した。群衆と兵士の視線を完全に遮る。
「やるじゃない、セラちゃん!」
ゼオラシュトの拍手混じりの声を無視し、セラはシードに駆け寄った。
腕の拘束具を外し、その手を握る。だがシードの足元はおぼつかず、走って逃げられる状態ではない。
「君……は……」
「こっちです! 急いで!」
セラはシードを引きずり、枝葉の影を抜けて路地裏に飛び込んだ。だが――
「いたぞ! 死霊術師シードと白髪の女だ!」
追手の声が響く。複数の甲冑が石畳を叩き、路地の先、左右から別部隊の足音が迫る。挟み撃ちだ。
「っ……!」
セラは近くの樽を倒し、木板を蔦で絡めてバリケードを作った。だがそれは数秒の猶予にしかならない。
金属音が間近に迫る。逃げ道はもはやない。
「下がってください」
掠れた声が響く。振り向けば、シードがかろうじて立ち上がり、右手を翳していた。
路地の石畳が黒く染まり、霊気のような死の気配が溢れる。
「くそ……!」「何をしている、逃すな!」
衛兵の一人が怯んだ隙に、セラは地面に手を突き、花と雑草を一斉に芽吹かせた。
瞬く間に路地は緑に覆われ、追手の足がもつれた。
「走って!」
セラはシードの腕を引き、角を曲がった。
背後で怒号と剣戟が重なり、樹木の枝が折れる音が響く。
シードは焼けるように痛む肺と喉を庇い、前後不覚のままセラに引っぱられていた。
だが、足を止めれば終わりだ。
路地の隙間から外の光が見える――しかし、その前に一隊の兵が立ちはだかる。
(そんな……間に合わない!)
その瞬間、母なる女神の気配が足元を包んだ。
精霊の風が舞い上がり、二人の身体を持ち上げる。
枝葉を突き抜け、兵士たちの頭上を越えて飛び抜けた。
(これはお母様の力……ありがとう……!)
着地と同時に膝が崩れたが、草原の匂いが鼻を満たす。
石壁の外――追手の足音はまだ遠い。
セラは肩で息をしながら、シードの手を握った。
彼は無言だが、体温は温かい。「父」は確かに生きている。
「脱出成功ネ。おめでとう、セラちゃん」
ゼオラシュトの笑い声が、追手の怒声に紛れて遠ざかっていく――。
シードは限界を迎え、意識をゆっくりと手放していた。