それに
古来より魔女が行う奢覇都は、その8つ。
中でも次の奢覇都である
家畜を小屋に戻し、永遠の夜が謳われるドルイドの大祭である。
この夜を以て時間は失われ、安らぎの名の
やがて日毎に太陽の力は弱まり続け、縛めが緩み旧き神々が蘇る時期。
つまりは、お化けの季節である。
なので秋分も終わるこの時期ともなれば、巷の魔女たちもそこはかとなく、
どこかしら浮足立ち、当然ながら魔女さんも例に漏れず浮付いていた。
大祭に向け呪い紐を量産し、気が向けば
魔女さんバレーチームの応援などもこなしつつ、帰宅する深夜の空。
空飛ぶ箒の上、二次会明けの火照った肌を夜風が冷やす。
箒の先端には買い物袋が引っ掛かっており、中には幾つかの生鮮食品、
24時間営業の激安スーパーで買ってきた夜食の材料である。
いまだ残暑が厳しい時期、首元までをぴっちりと隠す魔女衣装でなく、
袖の無い白シャツにミディ丈のスカートを合わせた魔女さんコーデ。
使い魔の黒猫は、やたら大きい愛用の魔女帽にしがみ付いていた。
「魔女さん魔女さん、何か転がってる」
そんな猫が上空から見つけたのは、公園に倒れている見知った顔。
頭巾に鈴懸、括袴の山伏然とした身嗜みの、鼻筋の通った若者。
淡い、色の抜けた短い髪を持ち、背中には烏の羽根が在る。
密教系の下寺でこき使われている、旧知の烏天狗であった。
すわ何事かと着陸すれば、面倒そうな顔をした黒猫が猫手を回し、
妖力で空中を回転しながら近場のベンチに放り込まれる烏天狗。
「ぐへッ」
一瞬意識が戻った物の、ベンチに横たわったままに白目を剥き、
ぷるぷると痙攣している様に、本当に何事かと魔女さんが焦る。
「び、びたみんを、くだちぃ」
呼び掛けて見れば、僅かに意識を戻してそんな譫言を述べる。
なので魔女さんはとりあえずトマトを洗い、天狗の口に突っ込んだ。
もそもそとトマトを齧りつつ、身体を起こす逝き倒れ。
「トマト凄く凄い、もう指先に力が入る」
「どう考えても錯覚よねそれ」
枯渇していた栄養素の補給に身体が喜ぶ感覚が、生命の燃焼を呼び、
栄養素が行き渡っていないはずの肉体が回復しきったと錯覚させる。
そんな事は承知の上で生き返ったと、烏天狗は恭しく礼を述べた。
「うーん、慇懃無礼」
「それはまあ、天狗ですから」
若干のやり取りの内に落ち着いたのか、魔女さん組の抱く疑問、
交通事故後の烏的に路傍に死していた経緯が簡単に語られた。
「近場で秘仏の継承が途絶えましてね」
係累が死に絶えるわ、仏罰が隣近所にまで飛び火するわの大騒動で、
祀場を整えるのに連日連夜の勤行尽くしであったと、疲れた声。
首を捻る魔女さんの帽子の上から、夜毛の猫手が挙げられた。
「いやでも、そもそも契約者ならそんな状況には成らないんじゃ」
「そのはずなんですけどねえ、外つ国の呪いでも受けましたか」
比較的詳しい化け猫が問えば、烏天狗は諦観を込めた見識を述べる。
なお西洋妖怪の魔女さんは、よくわからないが大変なんだなあと、
物凄く他人事な顔をして聞き流していた。
そんなポンコツ空気を醸す主人に、とりあえずと使い魔は語る。
秘仏、名を出すのも畏れ多い幾つかのそれは、俗説に、
仏師が生命を捧げて生涯只一度彫り上げる事が出来る仏と謳われた。
実際の話ではそこまででは無いが、とにかく消耗が激しいので、
生涯に1、2回しか彫れない、ぶっちゃけ彫りたく無い代物と言う。
「とにかく霊験あらたかな代物なんだ、恐ろしい程に」
「どんな馬鹿でも理解できてしまうほどに、御利益が在る仏でしてね」
「そーなんだー」
正しく祀れば、極めて強力かつ直接的な現世利益を享受出来る。
だがそれだけに、約束事を破った時の反動もまた極限に凄まじい。
「普通の神経なら絶対に手を出さない類の話なんだけど」
「まあ生まれから違う方々は、価値観も根本的に違いますからねえ」
諦観の滲む会話を繋げる猫と烏、ともあれ後始末に追われ、
ここ最近はとにかく忙しく、まともに帰宅も出来ないほどだったと。
「アパートに帰っても米と酒、保存食品しか無くてですねー」
コンビニぐらい寄ればと魔女さんが言うも、烏天狗は遠い目で語る。
食う、身体を洗う、寝る、以外の行動をとれる余裕は無かったと。
「米だけを延々と食っていると、虚し過ぎて心が死ぬのです」
せめて濃い味が欲しいと即席麵を作り、米に乗せて食っていた。
そしたら何故か涙が止まらなかったと嘆く烏に、猫が呆れて言う。
「炭水化物に炭水化物を合わせるって」
使い魔の言葉を受けて、死んだ目のまませめてと烏天狗が抗弁する。
「知らないんですか、炭水化物と書いて幸せと読むんですよ」
「幸せがふたつで不幸せだね」
そして魔女さんの悪気無い感想で、致命傷に至る。
倒れ伏し公園のベンチで泣き出した社会の犠牲妖怪の有様に、
同情からかトマトとハムを譲り、元気付けて立ち去る魔女主従。
心からの礼を述べる天狗を後にして、魔女さんたちは帰宅した。
思わぬ時間の浪費が在った物の、夜明けにはまだ遠く、
猫にカリカリを出し、就寝前に軽く夜食を作ろうと試みる。
まずは豚コマを焼く。
かつて魔女さんは、生姜と醤油、砂糖、味醂、日本酒、と入れて、
豚肉に好みの味を付けていたが、在る時に気が付いてしまった。
エバラすき焼きのタレでいいや、と。
人によっては麺つゆや焼き肉のタレ、好みでそれぞれを使う所だが、
魔女さん的には出汁も大蒜も胡麻油も、欲しければ別口で入れる。
そんな感じの割り下チョイスであった。
そこに夏場は、冷やし饂飩などに付属する余った生姜パックを使う。
これが普段通りのルーチンであったが、しかし今日は違っていた。
もっとこう、深夜に相応しく。
疲れた胃腸は味が薄く、それでいてソリッドな感じを求めている。
なので火の通った豚肉にジンジャエールをぶちまけて、醤油を回した。
フライパンの上で炭酸が激しく泡を作り、肉に軽く味が染みていく。
適当な所で火を止めて、皿に盛ったら合わせるのは白ご飯。
余ったジンジャエールに氷を入れたら、奇麗な生姜尽くしである。
―― 生姜焼き
戦後復興期時代の深夜、銀座の飲み屋に出前の注文が入り、
残った食材で何か適当にとの注文を受けて作られた料理。
思い付きのまま、余った豚肉を生姜と割り下で炒めたそれは好評を博し、
そのまま店の定番出前メニューと化し、やがて日本国内に広く普及した。
同様のレシピは獣肉の臭み消しの都合上、戦前から存在こそしていたが、
普及に至った物は無く、現代の生姜焼きの経緯は結局そんな話になる。
使った醤油も少なく、色合いも薄目なそれで白米が消費された。
簡素に豚肉だわと零す魔女さんに、1枚分けて貰った使い魔が述べる。
「まあ要は、牛鍋や鋤焼きの延長に在る料理だよね」
大正生まれの化け猫は、豚や猪を使った生姜フレーバーだと語った。
巷でそういう食材や味付けを行う者も、たまには居たと。
「漬け込んで大量に焼いて、味の濃い二日目とかも好きなんだけどね」
前日に残ったそれをレンジに入れて、脂と水分を抜いてカリカリにして、
やたらと味が濃くなった生姜焼きは、豚そぼろ的なふりかけとして使う。
豚焼肉丼とは多少趣が異なるそれが、魔女さんは結構好きであった。
何にせよ本日は薄味と夜食を消費しきり、後を片付ける。
食器を洗いながら魔女さんが、ふと思った様に猫に問い掛けた。
「そ言えばさ、天狗って破戒したお坊さんのお化けなんだよね」
「だね、増長慢の果てに堕ちた僧のあやかしかな」
返答を聴いて、首を捻る西洋妖怪。
「めっさ真面目に勤労してなかった」
「まあさ、実に見事な破戒っぷりだったね」
微妙に会話の内容がすれ違っている。
どういう事じゃらほいと表情から滲む主に、使い魔は多少と苦笑を零し、
そもそも釈尊が菩提樹の下でこう悟ったでしょと、要因を述べた。
「弦は中ほどが良く響くって」
過ぎたるは猶、及ばざるが如し。
ブラックな労働は仏教的には完全なアウトである。
信仰も何もかも違うが、烏天狗の安寧を祈る魔女さんが居た深夜であった。