PSYCHO-PASS ANOTHER INSPECTOR   作:Natural Wave

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Jhon 8:7

But when they continued asking him, he looked up and said to them, "He who is without sin among you, let him throw the first stone at her?"


ヨハネによる福音書 第8章7節

彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして彼らに言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」


第1句 Jhon 8:7

 

 

「智水監視官?以上が現場の状況だ。何か質問は?」

 

 ふと、()()()()()()()()()()名前を呼ばれたような、強い雨音の中で名前を呼ばれた。意識を声の主へと向けると目の前の男性はこちらを少し訝しむような目を向けている。宜野座伸元(ぎのざのぶちか)監視官。自分の上司であり、公安局に転職した自分と同じ監視官の先輩となる。顔を合わせて感じたことは自分と一つ二つ違う年齢の割に若々しいという印象だった。青い、ともいうべきだろうか。身長も自分とほとんど変わらないか気持ち低く線も細めなことから見た目からは頼りがいがあるとはならない。だが年齢(とし)が下でも階級が上なんてことは軍にいたころからよくあることだし能力如何に関わらず階級や()()()()()()が多い相手ならば敬うべきだ。とはいえ部下や後輩が多くいたあの時と違い今の自分は新人という立場で着用しているものも官品の迷彩服ではなく私物のシャツとスラックスに革靴、公安局のジャンパーだ。このあと握るであろう武器も火薬を用いる小銃ではない。改めて自身の立場の変化を実感しつつ息を吐いた。

 

「ありません。ところで宜野座監視官。私と同じく新人の監視官は?」

 

「もうすぐ来るはずだ」

 

 周囲でチカチカと光る公安局のドローンと車両の回転灯、さまざまな言語のネオン管の看板。簡易テントの下、目の前に広がる廃棄区域の地図と正面に広がる実際の廃棄区域の景色。立ち入り禁止表示の向こうでは野次馬が物珍しそうにこちらを覗いていたが視線を向ければすぐに離れていく。すると野次馬をかき分けるようにスーツ姿の女性がこちらへと向かってきた。女性はドローンに身分証をかざすとこちらへと走り寄る。

 

「遅れてしまい申し訳ありません!常守朱です。本日をもって公安局監視官に配置されました!」

 

 声の張りや意気からまず間違いなく研修を修了後そのままここに送られたのだろう。遅れてきた常守監視官を見て少しだけ宜野座監視官は目を細めた。

 

「遅いぞ。状況は刻一刻と悪化してるんだ。二人には悪いが新人扱いはしていられない。()()()が到着次第行動を開始する。一つ言っておくが今から来る奴らは俺たち監視官とは違う。全員がこの社会から潜在犯として認定された存在。唯一我々の手足となり、盾や矛となることで初めてこの社会と関わることが許された執行官。油断すればこちらが食われるだろう。一線を引いて扱え」

 

 宜野座監視官が視線を向けた先に一台の護送車が停まると、護送車の重厚なテールゲートが開きぞろぞろと人間が4人出てくる。男3に女1。壮年の男性、同年代の男性、髪を明るく染めた若い男性、髪を結った若い女性。それぞれの特徴はなんとなく捉えた。キャラクターが被っている印象は受けないことから各々を覚えることは容易いだろう。宜野座監視官は毅然とした態度で全員の前に立った。

 

「お前達は車内で状況を把握している前提で動く。全員()()()()()()を取れ」

 

 ドミネーター。それは公安局の人間にのみ支給される拳銃型の装備だ。ドミネーターは自分が触ったことがある拳銃とは違い、火薬ではなく電力を使用する。銃の中にCPUが埋め込まれ、使用者を識別し、向けた存在をリアルタイムで判定し発射されるエネルギーが対象を執行する。そのエネルギーの射出方法も執行レベルによって変わりそれを可能にする変形機構を搭載することによってドミネーターは銃口に向かうにつれて放射状にフォルムが広がるという特徴を持っていた。ドローンが全員のそばに停まり、上部がスライドして中から複数の銃把(じゅうは)が覗くと執行官たちは何も言わずにドミネーターを抜いて各々のホルスターに差した。

 

「常守監視官は征陸(まさおか)執行官と、智水監視官は狡噛(こうがみ)と共に行動しろ。(かがり)六合塚(くにづか)は俺と来い。逃亡中の大倉信夫は女性を人質にとってこの廃棄区画内に逃げ込んだ。人質の色相が悪化する可能性が高い。迅速に保護し大倉信夫は即座に執行しろ」

 

「えー!?俺可愛い子と一緒がいいんだけどー?」

 

 文句を言いながら宜野座監視官についていく縢執行官と六合塚執行官の背中を見送り、地図に記されていた別ルートへ向けて歩き始めると何も言わずとも狡噛執行官は着いてくる。道すがら、常守監視官の前に立つ。

 

「常守監視官、ご注意を。」

 

「あ、はい!」

 

 そう同期に言い残し薄暗い路地へと入っていくと狡噛執行官が隣に立った。なんとなく横目にだが狡噛執行官の視線を感じ、言で向かうのも居心地が悪いため簡単に挨拶をすませる。

 

「狡噛執行官、大蔵の居場所に目処は?」

 

「大体はな。可能な限り廃棄区画中央のビル。それでいて地下道や地下駐車場から別の地上出口に繋がっている逃走ルートを確保しやすい場所。これだけ違法に増改築しているビル群だ。ビル同士が渡り廊下で繋がっていて左右の移動もしやすいならほぼ間違いないだろう。」

 

「なるほど。ではそれでいこう」

 

 胸元からシガレットケースを取り出しオイルライターで火を点ける。狡噛執行官も同じように胸元から形の崩れたソフトパックの煙草を取り出したところで動きを止めた。

 

「嗅いだことがない香りだな監視官」

 

「SEAUnで手に入れたものだが、吸うか?」

 

「政府非公認のたばこか。監視官殿はギノのようなお堅い人間じゃないらしい」

 

 シガレットケースから煙草を一本取り出して狡噛執行官に渡す。狡噛執行官は自身のオイルライターで火を点けると深く香りを吸い込んだ。

 

「美味いな。葉の良い部分と香料が使われてる」

 

 シビュラにより依存性の点から成分や香料に規制がかかった国産に比べ、規制のない海外生産。当然違法物品なため見つかれば没収即色相の抜き打ち点検だ。

 

『もっしも~し、こちらハウンド4。奴さん見つけたぜ。でも結構ヤバ目な状況だ。女のほうも限界来てるぜ』

 

 ハウンド4ということは縢執行官だ。囁くような声色で無線を送っているということは犯人が近くにいておそらく目視できている状況だということ、そして緊迫した状況だということだ。半分ほど吸い終えた煙草を携帯灰皿でもみ消して懐にしまう。端末で縢執行官の位置を確認する。中央付近のビルで地下倉庫に通じ、隣接したビルへの渡り廊下もある。狡嚙執行官の読み通りだ。

 

「君の読み通りだな狡噛執行官。近いのは……常守監視官と征陸執行官か。バックアップとして動く。地下倉庫へ急ぐぞ」

 

「あぁ」

 

*

 

「俺は…今まで全うに生きてきた…喧嘩だってしたことはない!酒もたばこも色相が濁るようなことは一切手を付けなかった!……だってのに一回チェックに引っかかっただけでこれだ。ふざけやがって…聞いたことあるぞ。公安の人間も潜在犯を利用してるって……お前らだって同じじゃねぇか!!」

 

 大蔵が女の首元にナイフを突きつけながら叫ぶ。とはいえこの状況はすでに詰みだ。彼の正面に立つ常守監視官と征陸執行官が既にドミネーターを向けていて、大蔵に感づかれていない位置からもすでに狡噛執行官がドミネーターを向けている。さらにはあと数分もすれば宜野座監視官達も来るだろう。既に逃げられる状況ではない。とはいえ女性を道連れに心中をされても困る。征陸執行官へ簡単なハンドサインを送ると征陸執行官は両手を挙げた。

 

「わかったわかった。落ち着きなさいなって。ほら、危ないもんは無しだ。話し合おうぜ」

 

 激昂した大蔵の意識を女性から自身に向けようと、征陸執行官がドミネーターを大蔵のほうへ滑らせ、習うように常守監視官もドミネーターを置いた。大蔵が征陸執行官のドミネーターを拾い征陸執行官へと向ける。そこまでを見届けて狡噛執行官の肩を叩き自分はドミネーターをホルスターに差し、懐から煙草を取り出す。オイルライターで火を点けるのとほぼ同時、狡噛執行官のドミネーターが発射され大蔵が爆ぜる音が背中越しに聞こえた。

 

「お疲れ」

 

「初陣としては完璧だな監視官」

 

 シガレットケースを差し出すと狡噛執行官は一本煙草を取って自分のオイルライターで火を点けた。張りつめていた空気が緩んでいくのを感じていたが、女の叫び声で意識が締まる。見れば人質になっていた女が倉庫の奥へと駆け出していた。おそらく女の色相をチェックしようとドミネーターを向けた際執行された大蔵のように殺されると考えパニックに陥ったのだろう。しかし常守監視官と征陸執行官は彼女を追うでもなくドミネーターで彼女を執行する必要があるのかということで揉めているようにも見えた。

 

「任務継続。女性を追う。場合によっては即執行を許可。これ以上彼女の色相を悪化させないように」

 

「オーケー…監視官」

 

 女の後を追い、コンテナ倉庫の奥へと進むと丁度女が燃料缶のポリタンクに引っかかって転げたところであった。衝撃でタンクが破損したのだろう、女の周囲には燃料が漏れだしている。どんな拍子で周囲の燃料に引火するかわからない。これ以上状況を悪化させまいと、パラライザー状態のドミネーターを彼女に向ける。

 

『対象の脅威判定が更新されました 執行モード リーサル エリミネーター 慎重に照準を定め 対象を排除してください』

 

 しかし、シビュラシステムが彼女に下した判定は彼女にとって最悪なものだった。手にしていたパラライザーモードのドミネーターがエリミネーターモードに変形したのだ。エリミネーターモードに変形した以上彼女も先の大蔵のように撃たれれば爆ぜて死ぬ。とはいえパラライザーモードで気絶させて一件落着というわけにもいかなくなった以上もう取れる手は無い。そこまで思案したところで狡噛執行官がドミネーターを構えた。自分のドミネーターと同様に狡噛執行官のドミネーターもエリミネーターへと変形する。

 

「――監視官」

 

 狡噛執行官は自分の合図を待っている。先ほどと同じだ。自分の合図で彼がドミネーターを発射して彼女は死ぬだろう。自分のドミネーターを降ろしてホルスターにしまい、ジャケットのボタンを留めた。

 

「……先の通りに」

 

「了解だ――「待ってください!」」

 

 執行命令を下し狡噛執行官が改めて女へとドミネーターを向けた瞬間、常守監視官の声が倉庫内に響いた。背後へと視線を送ると丁度常守監視官が息を切らしながら立っている。

 

「狡噛執行官、やめてください。彼女は巻き込まれた被害者です」

 

 確かに彼女は被害者だ。しかし常守監視官も今気づいたようにすでに狡噛執行官のドミネーターはエリミネーターへと変化。彼女の生存を認めないという形で判定を下している。そうなった以上執行官である狡噛執行官がすることはただ一つ。狡噛執行官はドミネーターに改めて指をかけそして――

 

「やめて!!」

 

 常守監視官のドミネーターに撃たれその場に倒れこんだ。

 

「なっ、あっ…も…もう、もう来るなよぉぉぉ!!」

 

 数秒の沈黙の後、女は再びパニックがぶり返したのかどこかで拾ったのであろうライターを取り出して火を点けた。もしあのライターの火が燃料に近づけば彼女は火達磨になるだろうし周囲に引火すればこちらも危うい。常守監視官もそう考えたのか一歩女に近づいた。

 

「もう止めて、そのライターを捨てて。でないと、この銃があなたを殺しちゃう。お願い、あなたを助けたいの!だからライターを捨てて!!」

 

 今にも泣きそうな声で女に呼びかけ、極度の緊張で強張った表情筋でぎこちない笑顔を向ける常守監視官。そうしてやっと、女は落ち着きを取り戻したのかライターのスイッチから手から離した。そこまでの光景を見届けて、ジャケットのボタンを外して常守執行官の方向を見ていた女の背中にドミネーターを向ける。

 

『対象の脅威判定が更新されました 執行モード ノンリーサル パラライザー 落ち着いて照準を定め 対象を制圧してください』

 

 バチン!と感電したように体をビクリと震わせた女が倒れる。何が起きたのかわからないのだろう、放心しながらへたり込みこちらを見る常守監視官を無視して倒れた女を燃料溜まりから起こし、少し離れた場所へ寝かせてジャンパーをかける。その後に狡噛執行官を担ぎ上げ同様に少し離れた位置に寝かせた。そして――

 

『公安局監視官 常守朱 犯罪係数アンダー50 執行対象ではありません トリガーをロックします』

 

 ふと抱いた疑念を確かめようと常守監視官にドミネーターを向けると、無機質な音声が流れた後常守監視官の心理状態が数値として表示され脅威判定の結果トリガーがロックされた。それと同時にカツン、とコンテナの上で鳴った革靴の音。見れば女を多角的に撃てる位置を取っていただろう宜野座監視官が怒りを滲ませた声色でこちらを見下ろしていた。

 

「何をしているんだ、お前たちは」

 

 

*

 

 

 公安局へと帰ったあと、当然のごとく自分と常守監視官は宜野座監視官のデスクの前へ呼び出された。呼び出された理由は当然各々の問題行動に対してだ。

 

「では、君が常守監視官にドミネーターを向けたということはなんら問題行動には当たらないということか?」

 

「えぇ、彼女の行為は少なくとも監視官としては疑問を抱かずにはいられません。狡噛執行官に対してパラライザーを使用したことも、征陸執行官が彼女にドミネーターを向けた際止めるようなことをしなければ人質の女性は最低限の色相悪化で済んでいました。そこまでを思案しまして、彼女の色相に何らかの変化があったのではと憂慮しドミネーターを向けました」

 

 端末に表示された報告書に目を通しながら宜野座監視官は一度うなずくと端末を置いた。報告前の顔に比べたら幾分険しかった表情も落ち着いていた。

 

「良いだろう。智水監視官の報告と現場での行動においては理解した。初めての現場としてみれば上出来とも言える。これからも職務に励んでほしい。もう上がっていいぞ」

 

 軽く頭を下げて自分に与えられたデスクに戻る。この後は非番として業務を上がることになる。そうして荷物を纏めていると常守監視官がため息をつきながら隣のデスクに戻ってきた。

 

「絞られたみたいですね常守監視官」

 

「え、あぁ、まぁ…はい」

 

 落ち込むのも当然だろう。初めての仕事で目の前で犯人が死亡し、人質も矯正センター行き。挙句の果てには同僚の執行官をパラライザーで気絶させたと来た。新人の初日としては重過ぎる。今でもあの状況がリフレインしているのか、緩慢な動きで荷物を纏めている。

 

「この後は上がりですか?」

 

「えぇそうです」

 

「では、どうでしょう。少し気分転換に行きませんか?」

 

 パッ、と常守監視官が視線を挙げた。

 

*

 

 宿直となる宜野座監視官や六合塚執行官に挨拶をし、「デートだデートだ!!」と囃す縢執行官を躱してから常守監視官と共に公安局を出て私用の車を走らせる。少しだけ居心地が悪いのか、そわそわと座席に何度も座りなおす常守監視官。それはそうだ。いきなり男に誘われてどこに行くのかもわからず車に乗せられたのだから気味悪がらないほうがおかしい。だがそれでも付いて来てしまうのは彼女の純真さの賜物だろうか。

 

「お疲れのところ申し訳ありません。決して下賤な考えで誘ったわけではないです」

 

「えぇ。大丈夫です」

 

 口では"大丈夫"と言っていてもまだ雰囲気が固い。多少気まずさでも解消できればと車内のメインモニターを操作し曲を流すと、常守監視官が「あっ」と驚いたような声を上げた。

 

「これ…。よくおばあちゃんが聞いてた曲です」

 

 人々が人生において様々な選択を各々の意志で決定していた頃から存在する曲だ。常守監視官の祖母ということはこのアーティストを知っていても何らおかしくはない。

 

「"Enya"です。素晴らしいアーティストだと思います」

 

 そう聞いて"少しいいですか"と彼女はメインモニターを操作してアーティスト情報などを確認すると手元の端末を操作した。おそらく家でも聞けるようにプレイリストを編集しているのだろう。

 

「よかったらどうぞ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 こちらも手元の端末を操作し彼女のそばに腕を出す。すると彼女は嬉しそうに端末を通信状態にして同じプレイリストをダウンロードしているようだった。

 

「私のおばあちゃん、今は施設で暮らしているんですけど昔はおばあちゃんが学校に送り迎えしてくれた時があってその時車で流してくれたのがこの曲なんです。いつもこの曲聞いてて気づいたら助手席で寝ちゃってて。なんで忘れてたんだろう…こんな綺麗な曲なのに…」

 

 懐かしそうに微笑みがながら手元の端末を眺める常守監視官。リラックスできているのだろう、車に乗った当初はどこか身体に硬さがあったがいまでは座席に深く体を預けている。祖母の話題を出してから、幾分と表情も柔らかくなっていた。

 

「常守監視官はお祖母ちゃん子なんですね」

 

「あ、わかりますか?」

 

「お祖母様のお話をしている時の表情を見ればわかります」

 

 あはは、と彼女が恥ずかしそうに頬を掻く。そこから目的地に着くまでの間車内には無言の時間が流れた。とはいえ流れる曲に聞き入っているようで常守監視官に気まずそうな雰囲気はなかった。

 

 

 

 そこから十数分ほど車を走らせ目的地に到着し、車を停めると彼女は少しだけうとうととしていたようでパッと驚いたように顔を上げた。

 

「あ、すいません。ありがとうございます――って…」

 

 なんてことのない古びたマンションの前に停まった自分を見て少しだけ困惑した表情を浮かべる常守監視官。

 

「ここの4階に()()()()()()があるんです」

 

「えっと、ここってマンションでは?それにこの区画ってそもそも廃棄区画だと…」

 

 当然手元の端末もシビュラシステムの感知圏外だ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()があるんです。アルコールも提供する店ですから。ですが安心してください。この辺りで人を襲うような人間はいませんし、ましてや()()()()()()()()()を襲う人間なんていません」

 

 恐る恐る、といった様子で着いてくる常守監視官の前を歩きながら大して掃除されていないだろう路地に面したマンションに入り4階の一つの扉の前、『荻野(おぎの)』と書かれた表札のある部屋のインターホンを押す。すると気だるげな女性の声がインターホンから返ってきた。自分であることを告げると少しして扉が開かれ少しだけ開かれた玄関の扉から長い黒髪を垂らした女が顔を覗かせた。

 

「久しぶり――って、誰この子。彼女?」

 

「えっ!?」

 

 改めて自分の顔を確認した女は扉を開けたが、その姿はいかにもと言わんばかりのランジェリー姿だった。その姿に驚いた常守監視官が驚いて一歩下がる。いくら旧知の仲とはいえその恰好はやめてくれとため息を付きながら女の横を通って玄関をくぐった。

 

「同期だ。あと服を着ろ千尋(ちひろ)

 

「同期って…貴方ねぇ…」

 

 玄関から少し外の様子をうかがった後、一度長い黒髪をかき上げて常守監視官を見下ろした千尋はため息を付くと廊下の奥に消えていった。

 

「突然すいません。彼女は私の古い馴染みです。上がってください」

 

「あ、はい…失礼します…」

 

 玄関を抜けて廊下の先の扉を開けて二人で入ると、そこは紛れもなく夜の街にあるようなバーそのものであった。キッチンを改造した調理場、大きな棚に所せましと並んだ酒瓶、高めの丸椅子と二つしかない丸いテーブル。キッチン手前のカウンターの奥には千尋が立っており、下着姿ではなくシャツを着用していた。下は相変わらず下着だけだが。そんなあられもない千尋の姿を見て常守監視官はどこを見てよいのかと視線を泳がせている。

 

「お前下は?」

 

「いやよめんどくさい。もうパンツのほうはアイロンかけたんだから。履いて来いっていうなら帰りに貴方がアイロンかけてよね。得意でしょ」

 

「俺が除隊になったの知ってるだろ」

 

「なぁに?除隊したらアイロンの掛け方も忘れちゃうわけ?――あと早く座んなさいよ。そっちの子も。注文は?」

 

「え、あっと…」

 

「ラガヴーリンの12年とチェイサーで水。彼女はなにかジュースでいい。適当な菓子かナッツを頼む。――今日は奥の部屋で飲む」

 

「良いけど、()()()()()()

 

「なわけあるか。――無視してもらって大丈夫です」

 

少しだけ意味深な笑みを常守監視官に向けた千尋。当の常守監視官はよく意味が分かっていなかったようで困ったような愛想笑いをしている。意味が伝わっていないのを悟った千尋がため息を吐いて酒の準備に取り掛かったのをみて常守監視官を連れてリビングを抜け、部屋の扉の一つとしては随分と取っ手の重厚な扉の前に立ち扉を開けた。

 

「うわぁ…すごい…」

 

 玄関の扉より分厚い扉を開けて中に入ると、常守監視官が感嘆の声を上げた。

 

「シアタールームです。彼女とお金を出し合って作りました。昔の記録媒体に記録された映画を収集してたまにここで観てるんです。良ければここで気分転換をしてもらえればと」

 

 入口から見て正面に大きく広げられたスクリーンに天井に設置されたプロジェクター。部屋の隅と正面に設置されたスピーカーやウーファー。中央に据えられたソファに机にパッケージングイラストがよく見えるように壁一面に飾られたDVD。DVDは棚にしまわれたものも含めれば100本以上はある。今の環境では検閲で観る事が出来ない物もここでなら見る事が出来る。

 

「1900年代末あたりから2000年代の検閲で映画の公開が減るまでの名作は可能な限り揃えています。ですが、当然ここにあるものより遥かに映画は多かった。ここにあるものなんて氷山の一角です。どれか、気になるものは?」

 

 そう聞くと、常守監視官はDVDのパッケージが飾られた壁の前に立ってまじまじとパッケージを眺めていた。洋画、邦画、アニメーションと視線を滑らせて一つのパッケージを手に取った。

 

「これ…」

 

「『となりのトトロ』ですか。いいですね。初心者ならジブリシリーズは最適でしょうしこれを見ましょうか」

 

 常守監視官からパッケージを受け取って開き、中からDVDを取り出す。常守監視官は初めて見るであろうDVDをまじまじと見つめていた。

 

「もっと昔の記録媒体として磁気テープがありますが、磁気テープはこういったDVD…光ディスクに比べて保存性も悪く今はもう残っていないんです。もし残ってたら相当高価で取引されてるでしょうね」

 

 DVDをプレーヤーにセットして再生ボタンを押し、映像が始まったのを見て常守監視官を中央のソファへと促すと素直に常守監視官はソファの中央に座る。

 

「シビュラシステムどころかインターネットの概念すらない時代を背景にした作品です。確か1950年代、日本が帝国として戦争を終えた後のお話です」

 

「そんな昔のこと教科書でしか見聞きしたことないです」

 

「ですよね。今の生活に慣れた我々からすればとても新鮮な描写が見れると思います。上映時間は凡そ1時間半ほど。ゆっくり楽しんでください」

 

 千尋が持ってきたウィスキーとグラス、つまみなどが乗ったトレイを受け取り彼女の座ったソファの前のローテーブルに置き彼女の座った位置から一人分スペースを開けて座る。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 口ではお礼を言いつつも彼女の目はスクリーンに釘付けだ。この様子ならストレス発散になるだろう。ウィスキーをグラスに注ぐと、カラン、と氷がグラスを鳴らした。

 

*

 

 となりのトトロを見終えてどこか心ここにあらずな常守監視官を私用車で家まで送る道中、彼女は車の窓から外を眺めていた。

 

「家のアバターをトトロに出来ないんですかね」

 

「アバターのコスチュームには無いでしょうね」

 

「猫バス…猫バスに乗りたいです」

 

「難しいでしょうね」

 

「まっくろくろすけ…家にいないかなぁ…」

 

「人が住んでいないところに住み着くらしいですから、いないでしょうね」

 

 ぽつぽつと呟く常守監視官。相当トトロが響いたらしい。特段深い意味もない問答を数度繰り返したところで常守監視官が体を起こした。

 

「あの、また映画観に来てもいいですか?」

 

 遠慮がちに、そして伺うようにこちらを見る常守監視官。さながらまた友人の家に遊びに行っても良いか聞く子供のようだった。20歳、年相応な幼さだった。

 

「大丈夫ですよ。自分も一緒に何度か通えば千尋もシアタールームに通してくれるようになるでしょう。ただ千尋と仲が良くなるまでは暫く自分も一緒ですが」

 

「?」

 

 どういうことかと目を瞬かせた常守監視官。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「私が貴方にあのお店を……千尋を会わせた理由こそががあの店が廃棄区画で運営している理由であり千尋が廃棄区画にいる理由でもあります」

 

 

 

 "千尋は潜在犯なんです"。そういうと、常守監視官の目が見開かれた。

 

 

 

「実際は"恐らくそうだろう"という段階です。千尋が最後に街頭スキャンに判定された際のPSYCHO-PASSは矯正施設に連行される寸前のレベルでした。セラピーも受けたようですが効果は薄く、時間の問題だろうと判断した千尋は自分との共通の趣味であった映画と酒を楽しみたいという理由で廃棄区画に移り住みました」

 

 廃棄区画であれば街頭スキャンに晒される恐れはない。しかし、街頭スキャンがないということは様々な理由で後ろ暗い事情を抱えた人間が集まるということだ。独り身、ましてや若く見目も良い千尋が廃棄区画に入ることなど肉食獣の檻に生肉を放り込むようなものだ。喰われない訳がない。そこまで考え至ったのだろう、常守監視官が少しだけこちらに乗り出す。

 

「智水監視官、事情は分かりましたがそれはあまりにも危険です!このままではいつか彼女が…」

 

「"犯される"でしょうね。下手したら嬲られて殺されるでしょう。――ですから軍人であった自分があの区画の治安維持に努めたんです。簡単に言えばマフィアや自警団の真似事です。見かけない人間がいれば自分に知らせろ、揉め事があれば解決に尽力しろ。そうホームレスや千尋のような人間をまとめたんです。対価は廃棄区画で流通している現金や廃棄区画外でしか入手できない物品、煙草、酒などです。もし危険な潜在犯が廃棄区画に紛れ込めばは私が捕獲して街中に放り出したりもしました」

 

 メインモニターを操作し、自動運転に切り替えハンドルから手を放してシートを下げる。脚を組み一度常守監視官を一瞥すると常守監視官はやはり迷っているような素振りだった。

 

「……でもやっぱり施設で保護するべきです。色相の回復の見込みもないわけではありません」

 

「私たちは関係が長いですから、お互いに理解できてしまうんです。"彼女の色相が回復することは無い"と」

 

 そして何より千尋自身がそのことを是としている。もともと検閲に引っかかるような映画を愉しむ趣味なのだからそれくらいはあり得る話だというのがお互いの共通認識だった。そしてそれが実際に起きた――それだけの話だ。

 

「なぜ…私にこの話を?」

 

「その質問に答える前に、一つだけ聞かせてください。先の事件でなぜ常守監視官は人質となった彼女をドミネーターで撃たなかったのですか?」

 

 突然の質問に常守監視官は狼狽えた。しかし自分の問いがこの会話の本質にかかわるものなのだろうと理解したようだった。

 

「それは…彼女が被害者だったからです。平穏な日常を過ごしていたのに突然攫われて人質になって、あんな事件に巻き込まれたんです。犯人の大蔵信夫のように執行されるのはあまりにも酷いと思ったんです」

 

「ですがドミネーター…シビュラシステムは彼女を執行するべきと判断しました」

 

「それでも、彼女をドミネーターで撃つべきではないと思いました」

 

 その答えに常守監視官にドミネーターを向けた時の疑問が確信に変わった。

 

「先ほどの質問に答えましょう。常守監視官、私が貴方を千尋に会わせたのは貴方が()()()()()()()()()()()()()()からです。ドミネーターの下した善悪の裁定に疑問を抱き、自身で善悪の判断も奔らせる事が出来る。そんな人間だから私は貴方を千尋に会わせたんです。世間との繋がりをほとんど絶ってしまった彼女を理解してくれる人間がいてくれたらと思ったんです。――そして、貴方ならそれが出来る」

 

「それは…」

 

「時間です。着きましたよ」

 

 丁度、車が常守監視官の家の前に着きアイドリングモードに入った。車を降りて助手席のドアを開けて何か言いたそうな常守監視官をエントランスまで送る。彼女がエレベーターに乗り込んだところでエレベーターの挟み込み防止の安全装置を手で押さえると、エレベーターの中から彼女が階数のボタンを操作しながらこちらを見た。

 

 

 

「常守監視官、私―― "人を殺したことがあるんです"」

 

 

 

 彼女の目が大きく開かれるのと同時に、安全装置が解放されたエレベーターの扉が閉まった。




Profile.
姓名:荻野 千尋
性別:女
生年月日:2089年9月2日
血液型:O+
出身:東京都
身長:170cm
体重:55kg
座右の銘:『今日を生きよ、明日を信じるな』

モデルはシティーハンターの野上冴子。
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