「な、にを」
愕然と大蛇丸が口走る。フガクは、自分で自分の頸動脈を掻き切ったのだ。クシナが悲鳴を上げる。
「だめぇ!」
気づけたのは、仰向けでいたためだった。幾本もの金色の鎖がクシナの身体から九尾へと放たれる。うずまき一族の扱う封印術の奥義、金剛封鎖はしかし、間に合わない。
叫び声が重なった。
「クシナ!」
「大蛇丸様!」
「四代目!」
「ぐあああああぁぁぁ!」
胴体を串刺しにされた大蛇丸が絶叫した。背中から胴体を貫き腹部より飛び出る九尾の爪の先端は、クシナの左胸に到達する寸前で動きを止める。クシナが咄嗟に発動した金剛封鎖により、九尾の全身は寸前で雁字搦めに縛り上げられた。
「ぐぅぅぅ……こんな、こんなバカな、ことが……」
幻術が解け、封印の器を真っ先に狙った九尾の右手と、横たわったクシナの対角線上にいたのが大蛇丸だった。目の当たりにした至高の血継限界が、持ち主自身の理解不能な行動によって永遠に失われる。その信じ難い現実は、常ならあり得ざる致命的な不覚を大蛇丸に齎した。
「ふざけるな畜生風情がァ……! よくもこの私に……!」
口からも血を撒き散らし、自分を貫いている九尾の巨大な爪に大蛇丸は手のひらを叩きつけた。ぼんっ! と白煙が周囲一帯に立ち込める。九尾に負けず劣らずの巨大なシルエットが現れ、蠢く。
「これは……」
「マンダ様……」
痙攣するフガクの蘇生を試みていた暗部の面々が、緊張で一瞬動きを止めた。口寄せされたのは、小山のような巨体と四本の角を持つ、紫色の鱗をした毒々しい大蛇だった。
「めんどくせェとこに呼び出しやがってテメェ」
「マンダァ……そいつを押さえつけていなさいィ……」
「いつになく無様じゃねェか。ねちっこいテメェに自殺願望があるとは新鮮な驚きだぜ。死ね」
ちろっと舌をなめずり鎌首をもたげ「シャアー!」と威嚇音を発したマンダは、図体に見合わない俊敏な身のこなしで躊躇なく大蛇丸に襲い掛かった。しかし、毒牙が大蛇丸の脳天に届く間際でピタリと動きが止まる。口寄せに使ったのと同じ左手を掲げ、殺意に満ちた形相で大蛇丸はマンダを睥睨していた。血を溢れさせ、呼吸しづらそうにゼェゼェ喘ぎながら絞り出すように迫る。
「大人しく、言うことを聞きなさい。私は、今、機嫌が、悪いのよ」
片手印で金縛りの術を行使した左手の震えは、痛みではなく、怒りが原因のようだった。荒立つチャクラと振り撒かれる殺気も相俟ち、人あらざる化け物の雰囲気が滲み出ていた。
「分かってんだろうな、大蛇丸。やってることの意味。ええ?」
マンダは欠片も怯まずにドスの利いた恫喝を返す。ギリギリギリ、と歯噛みし、大蛇丸は無理矢理に矛を収めた。
「出すものは、出すわ。早く、なさい」
両者の関係は、大蛇丸の差し出す生贄を対価とするギブ・アンド・テイクが全てだった。
「覚えとけよ……俺様への態度」
金縛りが解かれ、触れれば殺すと言いたげな殺気を四方八方に撒き散らしながらマンダが動き出す。
「ワシが封印する!」
泰然自若とし八卦封印の準備を進めていた自来也が、両手を合掌させ宣言した。例え何があろうと戦略目標である九尾の封印をこの場で遂げる覚悟が、その不動の姿勢には込められていた。
「待ってください」
制したのはミナトだった。訝しむ自来也へ、クシナが狙われた動揺で乱れた封印の印を巻き返すため印を結ぶ手を止めないまま、ミナトは決然と言った。
「自来也先生。クシナに、陰のチャクラのみを封印していただけませんか? もう半分、陽のチャクラは、俺が、ナルトに封印します」
「なぜだ?」
その場をミナトは見渡した。マンダと金剛封鎖で雁字搦めに押さえつけられた九尾、血だまりに沈むフガク、絶望に満ちた目で横に首を振るクシナ、そしてその腕に抱かれた我が子。
クシナの眼差しを受け止めながら、ミナトは答えた。
「世界とこの子の、未来のためです」
「……お前がそう言うのならば、分かった。大蛇丸」
「好きに、すれば」
拘束から逃れようと力任せに九尾が動く度、激痛に顔を顰める大蛇丸は、投げやりに火影としての意思決定を下した。
「……そんな、ミナト」
「犠牲だと、君は思うかもしれない。けど俺は今日、三つのことを確信した。妙木山の大ガマ仙人が自来也先生にお告げになった、忍の世界にもたらされる厄災と変革の予言。その厄災を呼ぶのは、俺たちを襲った面の男だ。奴は間違いなく、これからも世界に災いを振り撒く。そのときに、九尾の人柱力としての力は必ず、未来を切り開く助けとなる。そして、忍世界を災いから救い、変革をもたらすのは、この子なんだと、俺は思う。今日という日も、自来也先生が名付け親であることも、偶然の出来事じゃない。予言の子は、この子なんだ」
ミナトは言い切った。
「クシナ、君と俺という忍の、子だからだ」
ミナトの目を見つめるクシナは、疲れ切って眠るように力無く瞼を閉じた。瞳に溜まっていた涙が目尻から溢れ、頬を伝った。その姿を静かに見守り、自来也はミナトと頷きあった。
「八卦封印!」
断末魔のように慟哭する九尾から赤黒いチャクラが引き剥がされ、狐の輪郭を形作りながらクシナに殺到した。流れ込むチャクラの荷重に身体を跳ねさせ悶え苦しみ、クシナは意識を失う。同時に九尾を縛っていた金剛封鎖が消滅した。
マンダは鎖が消えた瞬間に九尾の喉笛に毒牙を突き立てた。攻勢に出ようとする九尾の爪がついに胴体から抜かれ、支えを失った大蛇丸は顔からぐしゃっと地面に崩れ落ちた。
「あ、あァ……うっ……」
呻く大蛇丸は、顔面を正面に向け大口を開けた。指が五本、口の中から出てきて、手探りし、上唇を掴む。更にもうひとつ、手が出てきて下唇を掴み、顎が外れ口の端が裂けるまで口蓋を伸ばし広げた。手を掛けた唇を支えに、口腔からずるずると人影が這い出てくる。致命傷の自分を脱皮した、粘液まみれの大蛇丸は、地に伏したまま激しく咳き込み、顔に掛かる髪の隙間から戦況をじっと見つめた。
陰のチャクラを失い、九尾の身体は二回りほど小さくなっていた。しかし、有する力は変わらずに超常的だ。首に喰らいつかれながら、自身もマンダの尾に獰猛に噛みつき、身体に巻き付く胴体を鷲掴みにして引き千切ろうとする。マンダの胴体は鍛造される鋼のように引き伸ばされ撓んでゆく。巨体が互いを喰らい合う格闘は、輪廻を象徴する太古の意匠、尾を嚙んで円形をなす蛇のように、神々しさすら帯びていた。
「どてっぱらにどでかい風穴あけられて無傷とは、いよいよお前も人外だのォ……。頼めるか?」
自来也の言葉に、大蛇丸は血の味を確かめるように唇を舐めた。
「フン、……誰に物を言ってるのかしら?」
「それもそうだ」
大地を揺るがせる神話の闘いへ、自来也は果敢に飛び込んでいった。劣勢のマンダへ跳び乗り、乱回転するチャクラの球体を右掌に生成し一目散に駆けてゆく。マンダの胴を掴む九尾の手まで辿り着くと、ミナトが三年をかけて開発した超高等忍術をその手へと叩き込んだ。
「螺旋丸!」
大砲でも撃ったような音が響き、九尾の手がマンダの胴から大きな衝撃で弾き飛ばされた。九尾はマンダに噛みついたまま、思わぬ打撃を加えた自来也を鬱陶しそうに睨みつける。
人がハエを叩き潰そうとするのと同じ動きで迫る九尾の爪を、自来也は絡み合う二つの巨体を足場に跳び回り、紙一重で避け続ける。だが、その動きは精彩を欠き、見るからに危うい。この場の誰が増援に駆けつけるより前から孤軍奮闘を続けてきた消耗が、一瞬の反応の遅れ、着地の僅かな乱れとなって現れていた。
陽動に回った自来也に防衛を任された大蛇丸も、叩いた減らず口ほど無事でなかった。瀕死の有り様からの変わり身に膨大なチャクラを奪われ、マンダの口寄せの維持にもチャクラを消費し続けている。
「ミナト……アナタ私や自来也より封印術得意だったでしょ……まだなの?」
ミナトにしても、九尾と、そして九尾を操るほどの術者との連戦で、チャクラが底を尽きかけていた。
限界の近さから霞み始めている視界で、ミナトは確かに九尾と目が合った。手負いの獣の目だった。九尾の喰らいついたマンダの鱗がじゅうじゅうと音を立て、焼ける肉の臭いが立ち込める。九尾が灼熱を発している。ミナトの背筋に悪寒が走った。
「封印!」
赤ん坊の腹部に二つ重ねられた四象封印、八卦の封印式へ、九尾が吸い込まれてゆく。役目は終えたとばかりにマンダが自ら口寄せを解いて消える。もはや牙を突き立てるものがない九尾の顎が、一段強く噛み締められる。マンダの消えた余波の風圧を背中に受け、自来也がミナトたちの方へかっ飛んだ。封印されゆく九尾の牙の隙間から熱線と閃光が迸り、すべてが光に染まった。