「先生」
「ん、いつもありがとうカカシ。ご苦労さま」
ミナトを気遣うように一礼し、はたけカカシは静かに病室を退室した。カカシが去った静寂の中、規則的な生命維持装置の音だけが無機質に時を刻んでいた。
あの大惨事から、一週間が過ぎた。
窓の外に目をやれば、至る所に刻まれた生々しい傷跡が目に付く。中でも里の象徴たる火影岩の無残な姿は、この惨事が残した爪痕の深さを物語った。彫られたばかりの四代目の顔は跡形もなく崩落し、まるで最初から何もなかったかのような断崖絶壁に成り果てていた。
多くの犠牲者の葬儀もまだ執り行えず、被害者の総数すら把握しきれていない。里は戒厳令下の厳戒態勢が続き、出入りは全て封鎖されたまま、任務受付再開の目処も立っていない。安否不明の火影に代わり、里の指揮は相談役と上忍が組織した対策本部に委ねられていた。いつ他里が機に乗じてくるかも分からない情勢下で、ミナトもその中核を担い、里の防衛体制の再構築と情報統制に昼夜を問わず明け暮れていた。
木ノ葉病院には今なお数えきれないほどの負傷者が運び込まれている。その一室で、クシナは昏睡状態のまま横たわっていた。尾獣を引き抜かれ、そして再封印されるという前例のない事態に見舞われながら、こうして生きていること自体が奇跡だった。ミナトはベッドの傍らの丸椅子を手繰り寄せ、妻の寝顔を見つめながら静かに腰を下ろした。
封印が完了する寸前、九尾が口腔で炸裂させた尾獣玉のエネルギーは、里の外縁部一帯を巨大なクレーターに変えた。半径数キロメートル圏内の木々はなぎ倒され、大地は熱でガラス状に変質し、そこにあったはずの瓦礫すら残さず一切が消し飛んでいた。あの刹那、時空間結界は間に合わなかった。ミナトが守れたのは、腕の中のクシナとナルトだけだった。
四代目火影の大蛇丸、師である自来也、うちは一族の族長フガク、そしてフガクの護衛にあたっていた暗部イ班の忍たち。彼らは皆、あの爆心地で閃光に呑まれた。その行方は依然として知れず、遺体すら見つかっていない。あの爆心地にいた以上、生存の可能性は限りなくゼロに等しかった。
この惨劇を引き起こした、あの面の男。その仮面の穴の奥で禍々しく輝いていた赤い瞳を、ミナトはその目ではっきりと見ていた。奇しくもミナトと同じ高度な時空間忍術の使い手であった襲撃者は、あの写輪眼で九尾を完璧にコントロールしたのだ。あれほどの瞳術を行使できるのは、うちはの血を引く者以外には考えられない。――弟子であるカカシが、任務の度にチャクラの枯渇に苦しんでいるのが証拠だった。
現在まで他里に追撃の素振りはなく、暗部が張り巡らせた感知網にも不審な動きは見られない。外部勢力の絡む奇襲作戦であった可能性は、時と共に限りなく低くなっていた。必然的に、容疑は里の内部へ向かう。すなわち、うちは一族が単独で引き起こした、純然たる内乱だ。なら、一族全体としての関与度合いは?
一つの可能性は、フガクが主導した一族全体による狂言、里での権勢を誇るために仕掛けた自作自演だ。九尾を操り里を強襲し、フガクが表立って万華鏡写輪眼の力を見せつけ九尾を鎮めることで、一族の威光を里に示す。
しかし、その仮説はフガク自身の死によって論理的に破綻する。目的達成の寸前で、抑止力たる万華鏡写輪眼を見せつけた主役が自ら命を絶つ必要性は皆無だ。何者かに操られ殺されたのだとすれば、それはフガクにとって計画外の裏切りを意味する。どちらにせよ、この線は合理性に欠ける。うちは一族は紛れもなく抑止力を失っているからだ。
では、うちは内部の過激派による独断専行の線はどうか。フガクの制止を振り切り、暴走した挙句、邪魔になった族長を何らかの術で殺害した。これも考えられる。だが、里を壊滅寸前に追い込み、族長まで手に掛けて、彼らに一体何の利益があるのか。先日、対策本部の激務の合間を縫ってミナトはその目で確かめたが、九尾の被害はうちはの居住区や警務部隊本部にも甚大な爪痕を残していた。フガクだけでなく、一族からも少なくない死傷者が出ている。もしこの惨状が彼らの望んだものだとすると、あまりに経済性に欠ける。現状、一族が得たものなど、何一つないのだから。
思考のピースを組み合わせていくうち、推測は歪な形を帯びる。犯人の目的は、「木ノ葉隠れの里の転覆」でも「うちは一族による実権掌握」でもない。「双方の瓦解」そのものにある。
九尾を従え、うちはを罪人とし、想定外に九尾を止めたフガクも処理して、里とうちは双方に混乱と不信を植え付ける。両者を内側から破壊する策略ならば効果的だ。
だとすれば、犯人はうちはの血を引いていながら、うちは一族に、そして木ノ葉に、混じり気のない害意を持つ存在。
第二次忍界大戦以降、うちは一族に抜け忍は確認されていない。しかし、里の転覆や一族の利といった合理化のできる動機を状況から見出だせない歪さが、突拍子もない結論を支持した。
抜け忍の手配に漏れがあるか、あるいは、亡霊が出歩いている。
九尾を操るうちは。そう聞いてミナトの脳裏に浮かぶ名前は、ただ一人。九尾を率いて木ノ葉に反旗を翻した、黎明期の抜け忍――うちはマダラ。
下手人は最低でも、九尾を苦も無く操れるだけの瞳力と、木ノ葉とうちはへの害意を持っている。本人でなくとも、その脅威はマダラに等しい。いっそマダラその人であったほうが、復讐という明確な動機が見出だせるだけ、まだ読みやすいかもしれない。
そして、うちはと里への純粋な害意というこの仮説は、もう一つの未解決事件に繋がっていく。三代目火影の暗殺事件だ。九尾事件の犯人は、木ノ葉の厳重な感知結界を物ともしなかった。三代目を殺害した下手人もまた、里の内部での犯行後、忽然と姿を消している。もし、下手人が今回の襲撃者と同じ時空間忍術の使い手だったとしたら? 三代目ほどの忍が、不覚を取ることも有り得たかもしれない。
ぞっとする仮説だが、それらの整合性は、看過するには不都合だった。だからこそミナトは独断で、自身の知る情報を秘匿する政治判断に踏み切った。現段階でうちは一族を容疑者として追及することは、それこそが敵の思う壺。里が内乱に陥れば、敵の目的は完全に達成される。そうでなくとも、現段階でうちは一族を容疑者として公表すれば、必ずや里は深刻な疑心暗鬼に包まれる。ただでさえ疲弊しきった木ノ葉に、内部から崩壊しかねないその一手打つ余裕はない。真犯人を特定するまで、この件はうちはとは切り離して捜査を進める。少なくとも、表向きには。それが、里を守るための唯一の道だった。
もっとも、全ては状況証拠からの類推に過ぎない。正体不明の敵が、今も里のどこに潜んでいるか、あるいは既に外へ逃れたのかすら定かではない。クシナとナルトが次の瞬間、再び襲撃されるかもしれない。
自分の手で守りたいのは山々だったが、対策本部の激務がそれも許さない。カカシを護衛部隊長に抜擢したのもそのためだった。うちは以外で唯一写輪眼を持ち、実力は上忍の中でも頭一つ抜けている。最愛の妻は目覚めず、恩師も行方不明の状況で、信頼する弟子の存在は極めて大きかった。
ミナトは、動かぬクシナの冷たい手を、両手でそっと包み込んだ。
「クシナ……ナルトは、元気だよ。九尾を封じたことで、里では色々と言う人もいるけど……俺が、俺たちが必ず守るから」
まだ何の返事もない相手に、それでもミナトは真摯に語りかける。