GWも忙しかったと言う罠。
3番小島を見逃し三振に取って切る降谷。しかし彼の苦難は続く。
4回表、一死一塁三塁。バッターは今大会のホームランを最も打っている男、長田。
『さぁ、このピンチ、目覚めたかのようなストレートでまず一つアウトを取った降谷。しかし、ここで今大会注目のスラッガー、長田に回ります』
『彼のスイングスピードはすごいですからね。降谷君自慢のストレートでも、甘く入ると危険です。ここは低めの変化球を投げきれるか、そこがポイントですね』
「―――――――――――」
マウンドで沈黙を続ける降谷。投球に集中はしているものの、先ほどから感じていたあることが今になって妙に気になりだしていた。
―――――こんなにバットを振る音がする打者が続くなんてこと、なかった
成孔がフルスイングを信条としているのは戦前の分析でも理解できていたことだった。当然それを頭に入れていたし、降谷も覚悟を決めていた。
――――――制球と球威、でも――――
簡単にはじき返された制球重視のストレート。球威で先ほどはねじ伏せて見せたものの、制球という武器を手放すのが惜しいと感じていた。
だが、心の中で降谷はこの迷いを切り払う。
―――――中途半端はだめ。ここはいくしかない。
自分を支え続けていた、そして自分が本当に追い求めていたもの。
究極のストレート。それは、あの大塚ですら手の届かない絶対的な武器。
―――――投げられるか?
投げる。
―――――投げ切れるのか?
投げ切る。
―――――投げる気はあるのか?
僕は、逃げない。
自問自答の末、降谷の集中力は極めて深いものとなりつつあった。
降谷の変化は、打席にいる長田、そしてミットを構える御幸にも伝わっていた。
―――――腹をくくったようだな
笑みをこぼす御幸。その笑みを知る者は御幸のみ。彼のマスクをのぞき込むようなものはいないのだ。
――――なら俺は、投手の力を最大限、活かすだけだろ?
長田は、先ほど小島を打ち取った時から降谷の雰囲気が変わったことをかなり警戒していた。
――――開き直った奴ほど、怖いやつはいねぇ。俺もそれに頼ってきたわけだからな
長田自身、その開き直りによって殻を破ってきた経験がある。今のフルスイングを作り上げた土台がそれなのだ。
いわば同類に等しい降谷の雰囲気を、長田が感じ取れないはずがなかった。
―――――ぶち込んでやるッ
長田はたぎっていた。滾ることを止めようとしなかった。
『さぁ、降谷。セットポジションから初球――――』
ドゴォォォォォンッッッ!!!!!
うなりを上げるストレートがまず頭の高さにまで外れる。完全なボール球。だが、今日一番の圧力を感じるボール。
電光掲示板に表示されていたスピードガンを見て、長田は絶句する。
―――――154キロ、だと――――――!?
153キロも1年生がそう簡単に出していいスピードではない。降谷も、153キロを常に投げられる体ではない。しかし、ここで自己最速の154キロ。
甲子園第2位の記録をたたき出したのだ。ここが、スピードの出やすい球場といわれる神宮球場であったとしてもだ。
「ねじ伏せる。」
難しく考えるのを放棄した降谷。今はただ、このピンチでこの4番をねじ伏せる、ただそれだけを意識していた。
内野陣も、降谷の開き直りが功を奏すことを期待していた
「いいぞいいぞ!! ストレートきてるぞ、降谷!!」
「バッター集中!! 降谷君!!」
「ねじ伏せろぉぉぉ、降谷ぁぁぁ!!」
沖田が、春市が、そして金丸が、同級生の決意を後押しする。
「そうや、それでええんや!! 自慢のストレートでねじ伏せてやれ!!」
そして、前園が降谷のストレートを後押しする。それらの声援は降谷にも当然届いている。
――――――もう僕は、一人じゃない。
このマウンドは、青道投手陣を背負って立っている場所。
このボール、この一投は、チームの命運を背負うもの。
長いイニングを投げる、抑える。そんな単純なものではなかった。エースになるというのは、そんな簡単なものではないのだ。
―――――エース、その称号は、なるものじゃない。
『第2球―――――』
ドゴォォォォォンッッッ!!!!!
長田、低めに決まったストレートに手が出ない。轟音とともに低めに決まったストレートは、先ほどの威力そのままに、今度はコースに入ってきたのだ。
『ストライク~~~!! これも154キロ!! マウンドの降谷、一転して球威がかなり上がっています!!』
『明らかにギアを上げてきましたね。』
―――――打たせない。
降谷はかつてない手ごたえを感じていた。全身がまるで軽く、今は自分が明らかに集中していると自覚できる。
思うがまま、思う通りの投球が今ならできる。
自分が理想とする投球が、一投を実現できる強い確信があった。
続く3球目もストレート。これは154キロのストレートが高めに浮いたが、長田はこれに掠ることもなく空振り。2ストライクと追い込むことができた。
『これも154キロ!! ピンチの場面で覚醒しています、マウンドの降谷!』
『神宮の表示であっても、ここまでのスピードが計測されるということは、それだけのボールを投げ込んでいるんでしょうね。ここから見ても、相当手元で伸びているのがわかるくらいに』
――――――そして、最後の詰め
自分は詰めが甘い。それを自覚しているからこそ、降谷は肩をわずかに上下させた。力むなというのが難しい局面。しかしそれでも如何にして力みを少なくするか、その努力、行動がその確率を下げ、投球への集中度を増す大切なものであることを自覚する降谷。
油断も、慢心も、甘さも存在しない。それでも降谷は完全にそれをなしたとは思わない。
その心が、甘さを生むことを知っている。
片鱗を見せる降谷に勢いがある。誰もがそう思う中、ある男だけは警戒を緩めていなかった。
それは、降谷のボールを受ける御幸である。
ここにきて御幸はうれしい誤算と一抹の迷いを感じていたのだ。
――――今までにないほどストレートが伸びている。このままストレートで押すか?
しかし、相手は明らかにストレートを狙ってきている。ここまでまともに掠らせていない降谷のギアを入れたストレートだが、この大ピンチでポンポン投げるのは難しい選択である。
マウンドで自分を凝視している降谷が目に映る。
「――――――――――――」
自分のサインを待っている。集中した表情で、御幸のリードを待っているのだ。
―――――今、勢いを曲げることこそ、こいつの集中力を削ぐことになる。
賽は投げられた。
高めの速球でねじ伏せろ
降谷はそのサインに頷き、セットポジションで構える。
『さぁ、勝負の4球目!!!』
一方、長田は降谷、御幸の様子を見て一段と確信していた。
―――――ここまで球威がきている状況。勢いを殺すことだけは避けたいはず。
もし、これが大塚なら変化球もあり得る状況。彼は豪速球と変化球のコンビネーションを駆使できる、高校野球でも稀有な存在。
もし、沢村ならばチェンジアップとスライダーという選択肢が、何の躊躇いもなく入ってくる。
しかし、もともと制球に不安がある降谷の急な覚醒。変に変化球を入れた場合、縦の変化球しかもっていない彼は、ワイルドピッチの危険もありうるのだ。
そこまでのリスクを、この捕手が背負えるのか。ストレートの状態を一番感じている彼が、そうするのか。
カキぃぃぃンッッ!!
完全に詰まらされた打球がショートへと転がる。しかし、降谷の球威に押されたのか、勢いを感じさせない、ぼてぼてのゴロでもあった。
「くっ!!」
前進守備とはいえ、こうも勢いがなければ沖田も苦い表情をする。さらに転がった打球方向も二遊間。
そして、成孔はこの一投を勝負と見極めたのか、三塁ランナーの走者がスタートしていたのだ。
三塁ランナー枡はもうホーム近くにまで進まれてしまっていた。そして、2塁ランナーの山下は自重していた。
―――――仕方ねぇ!!
今から本塁に投げても間に合わない。ランナーなしでもややきわどい打球。二塁をさせるとは考えていなかったが、傷口を広げないためにも一塁への送球を決断する。
『成孔!! 内野ゴロの間に1点を返します!! 球威に押されましたが、それが幸いしたか!!』
『完全に内野ゴロを狙っていましたね。しかし予想以上の球威でああいう打球になった、ということでしょう。しかし、これで1点差。青道が攻撃で流れを失っている中、こういう地味な得点は嫌でしょうねぇ』
――――――ヒットを打たれていないとはいえ、いやな失点だな
二塁三塁の場面で、縦の変化球がどうなるかわからない以上、変化球を要求しづらかった。
そう、今の降谷は“計算ができなかったのだ”。ギアを入れた時のフォームと、制球重視は違う。
フォームこそ変わらないが、そのバランスは変わってくる。
御幸は、そのリスクを背負うことができなかった。
その後、一時的にマウンドへと駆け寄る御幸。
「ボールは悪くない。ストレート待ちの相手をねじ伏せられている。アウトを一つとれただけでも儲けもの。今の場面は、完全に俺たちにアウェーだったからな」
「はい」
「相手もこれで相当ストレートを意識するはずだ。次は変化球から入るぞ」
「わかりました」
簡潔な返答。今の降谷は投球に集中しているのか、目に燃えるものを感じさせる。
御幸も闘志に曇りがないのを確認し、マウンドを後にする。
「―――――――――――――」
マウンドに一人残る降谷は、先ほどの配球について考えていた。
御幸先輩は、どうして変化球を要求しなかったのだろう、と。
確かに、ストレートにかなりの手ごたえを感じていた。ストレートで押していけると考えていたし、ストレートで4番打者を詰まらせることができた。
しかし、そこに変化球が加わるとどうなるのか。
自分には空振りを奪う変化球と打たせて取る変化球がある。この場面で空振りを奪うことが出来たら――――――
「ストラィィクッッ!!」
5番玉木を迎え、何の問題もなくSFFでカウントを奪う青道バッテリー。要求通りのコースに決まった変化球を見て、御幸の目が鋭くなる。
――――――読み違えたか――――
だが、すぐに切り替える。降谷がこのフォームで問題なく変化球を投げられるなら、今日の所はある程度計算が整う。
その後、変化球を2球続けたバッテリー。そして、同じようなコースに空振りを奪われて凡退する玉木を取って切る。
6番西島には一転して外のストレートで追い込み、最後はワンバウンドのチェンジアップで空振り三振を奪い、何とか成孔の攻撃を終了させる降谷だが、やはり失点を気にしていた。
――――――さっきの失点で、一点差
これ以上は点を取られるわけにはいかない。チームを背負って、投手陣を背負って、マウンドに立っているのだ。これ以上無様な姿は見せられない。
もしくは、このイニングで点を取る。
8番金丸は、先ほどの守備が終わった直後、降谷が悔しそうな顔をしながらマウンドを去る姿を見ていた。
――――何とか点を取ってやらねぇと。ここは俺がまず塁に出なきゃ話にならねぇ
下位打線とはいえ、繋げば小湊、沖田にまで回るかもしれない。
中盤で1点差のスリリングな試合。降谷はおそらく、長くて後2イニングまで。そんな状態で後のマウンドを託す。
そんなことを簡単にうなずける男ではないというのは理解している。
――――俺らが、降谷のために頑張らねぇといけねぇだろっ!!
もうイメージはできている。縦には緩いチェンジアップがあるとはいえ、大塚のそれとは雲泥の差。精度も見る限り、ここまで温存するほど完全ではない。
もし、この球種が万全であるならば、最も効果的な局面で使うはずだ。
1点差に詰め寄り、突き離されたくない状況で、出し惜しみは出来ないだろう。
だとするならば、狙うは外のスライダーをライト方向に打つことだろう。この球種が序盤の終わりから中盤まで多投されている。
しかし、唐突にその思考を中断させられる事態が起こる。
『成孔学園、選手の交代をお知らせします。』
「「!!!」」
ここで、大塚と沖田が身構える。渡辺先輩からは聞いていたが、ここで出てくるかと、二人は同じことを考えた。
『ピッチャーの小島君がセンター。センターの城島君に代わって、ピッチャー、小川君』
成孔学園はここで巨漢左腕、小川を投入してきたのだ。青道もここで彼の調子が不調ならばと考えているが、ブルペンで成孔も彼の調子を見ていたのだろう。
ここで投入するということは、マウンドの小島よりも最適だと判断したからこそ。
――――確か、スクリュー使いのサウスポー。ストレートの球速は147キロが最速。降谷と並ぶ、原石の剛速球投手。
大塚はその鋭い目で小川を凝視する。
大柄な体格は、降谷以上。上背の高さならば、悠々と大塚が追い抜いているが、その筋肉の比率は大塚以上のものだろう。
大塚ほど角度はないものの、それでも並の投手ではない。
『ここで成孔は投手交代!! 左の小川にマウンドを託します』
『彼のストレートは東京でも屈指の威力を誇りますからね。これがコースに決まると、前に飛ぶのが難しくなりますよ。荒々しさもありますが、なんとも魅力的な投手ですからね』
その投球練習、投手交代に舌打ちをする金丸。
――――ちぃ、ここでスイッチかよ。右打席の俺に当てるとはいい度胸だなぁ!!
打席に向かう金丸は青筋を浮かべつつも、
―――――おっと、ここで冷静にならなきゃ、打球も上がらねぇ。
深呼吸をし、一礼してからバットを構える。
マウンドの小川は、枡から言われたことを思い出す。
「1点差の中盤で出てきた意味、分かってんだろうな?」
「うっす。投球で流れを呼び込んで、勝ちを引き寄せるっす」
マイペースな口調で、枡の問う意味を理解する小川。能天気そうに見えて、意外と頭はよく動く。
「――――――(本当にわかってんのか、理解が早すぎて怖ぇんだが)要求通りに全部行くとは思ってねぇ。力まず、焦らず、ボールの圧力でねじ伏せるぞ、ツネ」
場面は進み、8番金丸との勝負。右打者にとって、左投手はやや分が悪いといわれている。
が、小川には右打者にとって、逃げながら落ちるスクリューがある。
金丸は、打席から見た小川の威圧感に目を細める。
――――――降谷や大塚並の存在感。これが怪物ってやつらかよ
その初球がいきなり金丸の胸元にえぐりこむ。
轟音とともにミットに突き刺さる音、見たこともない角度から放たれたボールの軌道、
その初球に彼は圧倒された。
「ッ!!!」
思わず打席から退いてしまう金丸。
「ストライィィクッッ!!」
球速表示はいきなりの146キロ。左の部類では桁違いのスピード。彼は大塚たちと同じ一年生なのだ。
―――――な、なんだ。こいつの球。
初見とは言え、無様な姿を晒し、まったく打ちに行くことができなかった。
――――クロスファイアーなんて比じゃねぇぞ……
沢村のクロスファイアー以上の圧力。ボールの圧力が降谷と同等ほどにあるのだ。
むしろ、左のほうが体感的に速いといわれるので、球速が降谷ほどではなくても、その脅威は彼に全く引けを取らない。
2球目もインコース。しかし高めのボール球。
「!!」
ボールの圧力に押し負け、そして冷静さを破壊された金丸が手を出すが掠らない。
―――――この化け物めッ
その様子を見ていた枡は。
―――――すべてストレート。ねじ伏せるぞ、ツネ
―――――うっす
小物程度に変化球を出すまでもない。ここは相手打者の金丸を最大限利用し、
ドゴォォォォォンッッッ!!!!!
「―――――――っ」
目を思わず伏せる金丸。最後はアウトコースのストレートに自分のスイングをできずに空振り三振。
角度と球威のあるストレートの前に完敗を喫し、打席を去る金丸。
枡はこの打席の勝負を青道に見せたかった。この僅差の場面で彼らにプレッシャーをかけることに全力を尽くしていたのだ。
――――――ツネの圧力を見せつけ、青道に攻守でプレッシャーをかける。
成孔にとって、金丸はその絶好の的だったのだ。
続く降谷もストレートのボール球に空振り三振。自身の投げる球と戦っているかのような感覚に、さすがの彼も冷や汗をかいた。
―――――まるで、自分のボールと戦っているよう…
そして思い知る。この投手から連打は生まれにくいと。
―――――これ以上奪われるわけにはいかない。
その思いが強くなる。それも、枡の、成孔のねらい目だった。
この下位打線から始まる場面であえてスイッチした理由。
男鹿監督の判断もそうだが、一番プレッシャーを与えたい相手と、一番力を見せつけることができる相手がいたからこそ、小川というカードを切ることを判断したのだ。
そして、これは終盤の場面で必ず影響があると踏んでいた。
男鹿はベンチに座るある男を凝視する。
―――――大塚栄治、やはりまだ動じないか。
その男は小川の球威に驚いてはいたが、プレッシャーを感じているように見えなかった。それが少し残念である一方、
―――――隣の男はなぜ目を輝かせているんだ――――
隣の男、沖田道広。血が滾っているかのように、目を輝かせてバットを持っていたのだ。
続く東条に対しては初めて見せるこのボールが威力を見せつける。
―――――これが、小川のスクリュー!
「ストライィィクッッ!!」
外角に制球されたスクリューボールに空振りを奪われる。初見とは言え、あの東条が低めのボールに掠ることができなかったのだ。
―――――圧倒しろ、ツネ!! お前の熱意は、あの夏から―――――ッ
「っ」
小川の目に訴えかける枡の鋭い瞳。それを感じないほど、彼は愚鈍ではない。
――――――アンパンマン。
彼の歌は、自分に勇気を与えてくれた。
傷ついても、負けても、それでも必ず立ち上がる。這い上がる。
自分が諦めない限り、戦いはまだ続く。
――――――っ! っ~~~~♪
彼のフレーズが脳裏に響く。
「ストライクツーッ!!」
東条が外角のストレートに空振りを奪われる。スクリューを見せられた後の速球。コースに決められたボールに彼も相手にならない。
―――――左投手の降谷君、あまりにも出鱈目過ぎる
「!?」
そして最後の詰め。小川は迷うことなく東条のインコースをえぐりこんできた。
「ぼ、ボール!!!」
コースは外れたものの、完全に青道の打線を圧倒している小川。一イニングとはいえ、ここまで青道打線を沈黙させた一年生投手が東京にいただろうか。
彼の存在感は、横浦高校の1年生コンビに通ずるものがあった。
「ストライィィクッ!!! バッターアウト!!」
切り込み隊長の東条も軽くひねられ、三振。この回の小川は、青道のバッター陣に、掠ることすら許さない。
鬼気迫る表情で投げ込む、巨漢の投手小川常松。
この投球によって次のイニングから流れが変わることになる。