なので、奮発して書き上げました。
最高という言葉では表現できない逆転に次ぐ逆転。
そのゲームで今シーズン初の貯金生活はこみ上げるものがありました。
三上投手は疲労がピークを過ぎているかも。休ませてほしい。
調子が取り戻せば、6月30日のように必ず結果を出してくれる選手なんです。
7回裏、薬師は秋葉を打ち取られ、続く増田が打席に立つ。
――――――正直、ライチが打てないボールを狙っても打てない、そう考えてたけど
相手は明らかにストレートで勝負をしてこない。冷静に最善手を打ってくる。力勝負にこだわるような相手ではなく、ストレートに狙い絞る意味がないことを悟る。
しかし、それこそ楊の術中。低めの変化球への意識が向いた瞬間、高めの釣り球で誘い出す明川バッテリー。
打者の反応を見て、楊が増田の意図を見抜いていたのだ。
―――――ミットめがけて投げる、だけでは足りない
自分の仕事は、打者を抑えること。相手の反応を見ずに投げるバカがどこにいる?
最善を尽くす、夏の大会ではそれが徹底できていなかったことを思い知る。
―――――感じろ、読み取れ。思考を、意図を
考えて野球をしろ。頭を常に働かせろ。
初球の釣り球にピクリと反応する。だが、捕手から見れば
―――――反応したけど、すぐにやめてる。これは低め狙いか?
目線もどこか低めを意識しているように見えなくもない。
続くワンバウンドのスライダーに空振りを奪われる増田。ゾーンが低く設定されており、アッパーに近い。
それを見た明川はインハイのストレートを選択。簡単に追い込んだ。
――――ここでゾーンに来るのかよ。
手を出すことができず、焦りの表情を出してしまう増田。もし、ストレートへの意識が高ければ、とドツボにハマりそうになる。
続くアウトハイのボールは明らかに見せ球。明川バッテリーが彼の出方を見ているのだ。
ここで、彼が低めの変化球への警戒をさらに強めていることが読み取れる。
低めを捨てているようにも見える明川の選んだ選択は、
増田にスイングを許さない、これ以上ない正解だった。
――――――インロー、ストレート、だと!?
ピンポイントに対角線のリードを選び、成し遂げた楊瞬臣。ストライクゾーンに入ったストレートは、自画自賛の一球だった。
――――悪くないが、次だな
しかし切り替えを刹那のうちにしてしまうのが彼の恐ろしいところだ。
続く3番三島もスライダーで内野ゴロに打ち取るが、これで三振の数は15となる。打者21人に対し、半分以上の三振を奪う離れ業。
―――――ボールがバットに当たらない。
試合は終盤の8回表。明川学園はついに継投策に適応する。
先頭打者の8番ライト亀田が軽打で出塁。
「なっ!?」
秋葉のストレートを簡単にはじき返したのだ。速いモーションに対応するために、トップの位置を早く作るという指示がハマり、亀田は苦も無く打球をライト前に飛ばす。
確かにテンポの良かった秋葉だが、内側に入った速球を簡単に引っ張られたことに驚きを隠せない。
続く9番ショート柿谷がセーフティを試み、これも決まってしまう。ここで、秋葉は不運にも逆を突かれ、打球への対応が遅れる。
「―――――――痛すぎる、致命的だな」
白洲が渋い顔で今のプレーの感想を述べる。
「ああ。ここで送りバントを決めれば一死二塁三塁。犠牲フライでも点が入る。今日の楊瞬臣の出来だと、この失点は致命傷だ」
倉持も、今日の楊の調子を考えれば、ここで点を取られた瞬間に試合が決まると踏んでいた。
1番センター鈴木は左打者。レギュラーのうち6人が左打者の明川。バントの構えを見せ、時には引いたりと薬師バッテリーにゆさぶりをかけてくる。
「くっ」
秋葉もカウントを取りづらく、間を取ってしまう。歩かせた瞬間に満塁。しかもノーアウト。
「―――――――厳しいですね」
大塚もさすがにこの状況ではもう明川に完全に流れが来ていると感じていた。
「上がってくるのは、明川か?」
あの大塚が言うほどだ。倉持が大塚に尋ねる。
「わかりません。ただ、薬師はここでカードを切らなければ手遅れになります。流れを変えるきっかけさえ生まれれば。……厳しいでしょうが」
秋葉を含む内野陣が集まる。ここで守備のタイムを使う薬師高校。
「――――――よくここまで投げてくれた。サンキューな、秋葉」
真田が気さくに、このピンチを招いている秋葉に対し、なんでもなさそうに声をかける。
「っ!!! 真田先輩。けど、明日の試合は――――」
「―――――監督もわかってるはずだ。今日勝てなきゃ、明日もねぇよ」
真田は、打てる手をすべて打ってこそだと言い放つ。暗に、自分を登板させろと。
「エースの華は、チームを勝利に導く投球だろ? 俺に預けてくれねぇか、この試合も、明日の試合もよ」
真田は、じっと轟監督のいるベンチを見る。
轟監督も、ここで彼が何を思ってこちらを見ているかがわからないほど愚鈍ではない。
――――軽いキャッチボールしかやらせてねぇのに、ここで投げたい、か
轟監督の指示通り、真田には座らせて投げることを留めていた。チーム力が上がり、目先よりも先を見据え過ぎた。
最善策と言いながら、目の前の試合に最善を尽くせていなかった。
だが、連投を許していいのか。真田の連投を防ぐために、下級生を散々しごいてきた。ここで、酷使を許していいのか。
―――――エースと心中、か
轟監督がベンチを出た。
その瞬間、大塚は席を立ち上がる。
「――――――ここで来るか!!!」
真田が投げる。その意味の重さを知る。この試合、ここまで温存をしてきたのは明日のことを考えたからだろう。だが、そんな余裕もなくなったということだ。
『シートの変更をお知らせします。ピッチャーの秋葉君がキャッチャー。6番、キャッチャー、秋葉君。キャッチャーの三島君がファースト、3番、ファースト、三島君。ファーストの真田君がピッチャー、5番ピッチャー、真田君』
「見ものだな。」
御幸が冷静にそう言い放つ。ここで真田が得点を許さなければ、流れはまだわからない。
初球は、真田らしからぬ137キロのストレート。2番三森の内角を突く。
―――――さほど球威を感じない。緊急登板だからか?
すかさず、二塁へのけん制を行う真田。こういうところには疎いはずだったのだが、この試合の真田は真っ先に、明川の盗塁を警戒していた。
「―――――データにない行動? けど、今更修正した?」
渡辺も、不可解な真田のけん制に首をかしげる。
続く2球目は外に外れるシュート。並行カウント。
ここでも真田は二塁へのけん制を行う。当然のことながら、二塁はセーフ。付け焼刃のけん制でランナーを刺すことなどできない。
続く3球目はカットボールが外れてボール。これでバッティングカウント。
「!!!」
「どうことだ、こりゃ」
白洲、倉持が真田の奇行に目を見開く。ここで3度目のけん制を行ったのだ。
明らかに打者の集中を削ぐようにしか見えない行為。それをエースが行っている事実に観客の間でもざわめきが起こり始める。
しかし、真田がブルペンで投げてないことを知る御幸は、
「―――――グレーだけど、俺でもそうするわな」
何とかして、真田の肩を作ろうとしている。一時の恥を惜しむことなく、勝利するために何をするべきか、覚悟を持って行っている。
観客からのブーイングは意外なほど少なかった。真田の投球スタイルを知る者からすれば、困惑以外何もなく、球速が上がらない現状を知る者は、すぐにそれを看破した。
そして、第4球
うなりを上げるストレートが姿を現す。
147キロのストレートが、ど真ん中に決まるが、それを空振りする三森。いきなり伸びのあるストレートを投げ込んできて、悔しそうな顔をする彼は、どうやら先ほどまでの真田の行動を理解していたようで、それに驚きをさほど感じてはいなかったようだ。
続く5球目――――――
「え!?」
手元で沈んだストレートに芯を外されたのがわかる。
ツーシーム。真田が会得した3番目の変化球。打たせて取るストレート系にバリエーションを加え、彼が欲した答えの一つ。
打球はサード。完全に打ち取った当たりだった。
が、
「なっ!?」
轟の目の前のベースに当たり、ボールはイレギュラー。無情にもファウルゾーンに転がる。
「!!!!」
薬師ナインにとってはツキがなさすぎる。表情を変えるなというのが難しいだろう。
―――――まじかよ、ここまでツキに見放されるのかよ!!!!
轟監督も、このイレギュラーに唇をかむ。
だが、そんなイレギュラーに食らいつく男がいた。
―――――終わらせない!!!
打球を見た二塁ランナー亀田が三塁をオーバーランしているのが見える。ファウルゾーンの端まで向かうであろう打球だ。躊躇いもないだろう。
彼はこれまで守備で迷惑をかけてきた。
だから、これ以上守備で言い訳をしたくなかった。不甲斐ないプレーをする自分が許せなかった。
夏の練習で思い知った守備の重要性。連勝をする中で、自分の守備が狙われていることを自覚した。
バカな彼でも分かる。あれだけ、サード方面に打球が飛んできたら。
自分のエラーが失点に繋がる光景を見せつけられたら。
完敗をして、悔しさを感じて、自分にもう言い訳をしたくなかった。
――――――止まりたく、ない。
―――――終わりたく、ないっ!!!!!
獣のような反応で、打球に飛びついた轟。大歓声の中、亀田は三塁からホームへ突っ込んでいるのが見える。
彼は今、膝をついた体勢。ふつうなら立って送球したほうが正確だ。だが――――
「!!!!」
真横から、真田は雷市が両膝をついたまま送球するのが見えた。
―――――おいおい……
この親子に出会ってから、自分たちは充実の日々を、そして今まで以上に悔しい気持ちを味わうことができた。
―――――こんなことがあるのかよ
胸の高まるようなプレー。この試合ではもう見ることすらないと思っていた。
無謀のように見えて、一番アウトを取れる方法を取る彼の本能的なプレー。それはまるで、自分がねじ伏せたいと思っていた男のようで
亀田の足よりも速く、轟の思いを込めた送球が秋葉に届いた。
「アウトぉぉぉぉぉ!!!!!!」
呆然とした表情で宣言を聞く亀田。大歓声の薬師応援スタンド。このビッグプレーに会場がわいた。
「――――――これが、野球か。」
大塚は、分からないものだなと思う。たった1球で試合の流れがガラリと変わる。轟のスタンドプレーにも似たファインプレーが、薬師の消えかけていた勝機を取り戻したのだ。
「おいおい。なんて守備だよ。なんてむちゃくちゃな」
倉持が唖然とする。スナップだけのギャンブルにも等しいプレーだ。それを行う覚悟、いやそれを体がやったことに驚いている。
「この出鱈目さ。どこかで見覚えがあるな」
御幸は、楽しそうな笑みを浮かべている。
――――まるでお前みたいじゃないか、沖田。
ノーアウト一塁二塁の場面で明川は二塁ランナーを失うものの、一死二塁一塁のチャンスが続く。
しかし、勢いに乗る薬師の真田はバックを信じ後続を見事に断ち切った。
「ここで、守り切ったか。なんて奴らだ」
倉持は薬師の粘り強さを前に賞賛の言葉以外でなかった。
「ああ。エースの登板で、流れが変わる。薬師の目も出てきたぞ」
8回裏、先頭打者はファインプレーを見せた轟から始まる。明らかに2打席で打ちのめされていた彼の様子ではない。
しかし、楊も簡単にヒットを許すわけではなく、低めの変化球を駆使する明川バッテリー。
それでも我慢を覚え始めている雷市が低めの変化球を見極めるシーンが出始めていた。
―――――ここで低めの見極めができるようになっているのか
前の2打席とは違う。低めの落ちるボールを初球見逃すあたりから、何かが違う。
「――――――――――」
興奮するような場面。特に8回表のヒーロー。叫び声をあげるのが予想されたにもかかわらず、轟雷市は静かな所作で打席に入っていた。
――――夏から秋に入る頃だっけな、あんなライチを見るようになったのは
雑念やら何やらがすべて消えた、完全に集中している姿。声すら上げることを忘れた姿。
そんな彼は、決まって必ずチームを何度も救ってきた。そんな彼にチャンスで回せば何かが起きる。
続くストレートが若干高いがこれもファウル。彼にしては珍しく、ストレートを打った打球は後ろへと飛んでいく。
弾丸ライナーでライト線に切れるようなものではない。
―――――読みづらくなった。何が狙いだ?
気味の悪さすら感じる彼の打席への入り方に警戒を強める楊。
3球目はアウトローのスライダー。これはわずか外れてボール。しかし際どいボールであるにもかかわらず、明らかに対応力が上がっているのが見て取れる。
―――――ここはストライクからボールのツーシームスプリット。
――――わかった。ずっと、これで戦ってきたもんな。
楊の明かす、落ちるボールの正体。それはツーシームの縫い目にそう握り方に、浅いフォークの握り方を加えた、特殊な変化球。
大塚の予想は間違えてなどいなかった。このボールはツーシームフォークの派生版にして、楊の資質に大きく依存している球ともいえる。
ゆえに、浮いたと思うような高さであってもこのボールの変化量は落ちない。むしろ、浮き上がり、鋭く落ちるために逆に打ちづらい面すらある。
ストレートに対していまだに大ぶりのファウルをしていた彼相手に、一番とれるボールだと信じて。
カキぃぃぃぃンッッッ!!!!
しかし、ここで二人にとってありえない光景が目に入る。
―――――ここで、軽打だと!?
軽く合わせるような、腰をくいっと小さく回転させたようなスイングを見せたのだ。それは、これまでホームランや長打が目立つ彼にはありえないスイング。
しかも、打球は鋭い当たりでないにもかかわらず、左中間を破ったのだ。
「!? ここで、この場面で!! 軽打で記録を破れるのか!!!」
愉快そうな声を上げる御幸。この大記録を実現させてしまうであろう投手相手に、3打席目で食らいついて見せたのだ。
「―――――落ちるボールを狙っていた、わけではないよね? いや、あれは狙っていたのかな。本能で」
先頭打者の轟が塁に出る。ノーアウト二塁のチャンスに続くは5番真田。
―――――あのフルスイングの雷市が執念を見せたんだ。
バットを握る力が強くなった。この局面で心を突き動かされないわけがない。
―――――………ライチが塁に出たんだぞ。
ここで少しでもランナーを次の塁へ進めることができれば、自分がヒーローになるのではなく、勝利するために必要なのは、
今は、綺麗なヒットはいらない。
「!!!」
真田は敢えてヒットを捨てたバッティングを試みた。地面にたたきつけるような打球が高くバウンドし、轟の三塁への進塁を許してしまう。
この試合初めて表情が少し崩れる楊。これまで完璧な内容で薬師を封じ込めていただけに、この一死三塁の場面はかなり重い場面である。
ここで6番はライトの平畠。当然ながらノーヒット。しかし、バットに当たれば何かが起こる局面。
明川の踏ん張りどころであることに変わりはない。
「―――――明川は内野フライか三振しか許されない場面。必然的に空振りを奪う可能性の高い場所にしか投げてこない」
球威で抑え込むか、キレで打者を圧倒するか。
明川はここで前進守備。内野ゴロで突っ込んでくるゴロゴーへの警戒を強める。外野も前進し、内野と外野の間を埋める。
注目の初球は低めストレート。落ちるボールを警戒していたであろう平畠はそれでも果敢にスイングをしてファウルになる。
―――――ここで必要なのは、高いバウンドのゴロ。それ以外は狙うな!!
ここで必要なことは、轟を如何にして生還させるか。余計な色気は出さない。確実に点を取れる、一番勝利に近い選択は何かを考える。
緊迫の終盤8回の攻防。続くボールは楊も力が入ったのか、スライダーが高めに抜ける。
高めの抜けたボールは完全なボールとなる。これでワンボールワンストライク。ここでストライクを奪いたい明川。
―――――ここで来る確率が高いのは、高めの速球か、低めの落ちるボール。
叩きつけるバッティング。地面にたたきつける打球がほしい。
3球目、高めの速球に空振りを奪われる。当然楊も力を入れる場面。球速も148キロといいボールがミットに突き刺さる。
この攻防を見守る御幸たちは
「―――――」
固唾を呑んで見守っていた。
恐らくこの攻防を制したチームが明日の相手。目をそらすことなどできない。
緊迫の場面、楊の4球目。彼が選択したボールは縦のスライダー。外角に投げ込まれたが、
「ボールっ!」
これを見る平畠。低すぎたのか、バットを出してこない。これで並行カウント。ここにきて連投の疲れも出始めたのか、ようやく楊に疲労の影響が出始めていた。
むしろ、この準決勝まで疲労の影響を感じさせない彼が末恐ろしい存在ではあったが。
そして、勝負の5球目がやってくる。
楊がセットポジションから投球モーションを始める、構える平畠。
それを見守る大塚栄治。この勝負がどうなるのか、ここを凌いで明川が来るのか、それとも薬師が決めるのか。
青道のエースという立場を忘れ、一野球ファンとしてこの勝負を食い入るように見つめていた。
「―――――――――――え?」
勝負を見守っていた。
楊の投げ込んだボールがワンバウンドし、後ろに逸れた。それを見た轟が敢然とホームへと激走。後逸したボールがクッションボールとなり、捕手の対応が遅れていた。
――――――なん……だと…!?
大塚の心を騒めかせる。それは観客も同じだろう。彼の心と同じように彼らは大きなどよめき声をあげる。
大塚にとって、今目の前で起きている現実、
轟がホームインしている姿、
楊瞬臣が、
今大会無失点の彼が、ワイルドピッチで大会を去ってしまうかもしれないことを確信させる光景など、
――――――これが、野球、なのか――――――
ワイルドピッチをしてしまった楊は、轟がホームインし、守備のタイムを取った後に空を見上げていた。
大塚と同じように、悟ってしまったのだろう。ここが、この試合の分岐点だったことを。
試合はそのあと9回表一死まで動きを見せない。
先頭のバッターが倒れ、ランナーを出したい明川学園。マウンドには真田。打席には全打席出塁の楊瞬臣。
初球147キロのストレートにファウル。続くカットボールを見た楊。やはり投打で彼が大きな存在だったことは否めない。
しかし―――――――
真田の新しい球種、ツーシームを芯で捉えるも、セカンド増田の好守に阻まれ、ヒットにならず。
試合はそのまま薬師が逃げ切り勝利。予想外の幕切れに、観客は戸惑うばかり。
「…………」
スリーアウトになった瞬間、楊はそれまでの闘志を霧散させ、ほんの少しの心残りと、自分の高校野球が終わったことを実感していた。
――――――甲子園は、果てしなく遠く、険しい舞台だったのだ
台湾で自分を鍛え、日本で野球をやれる機会に賭けた。しかし、現実はそう甘くはなく、甲子園へたどり着くことはできなかった。
「瞬……」
監督が朗らかな顔で彼を励まそうとする。冷静な自分よりも、酷く感情をあらわにしたその顔に思わず困ったような笑みを浮かべてしまうのは、仕方ないだろう。
「それでも、私は日本で、高校野球をやり切りました。」
だからそんな悲しそうな顔をしないでほしいと、楊は心から思う。
秋季大会ベスト4。ただの中堅校だった自分たちがここまで来たことに、満足している者はいなかった。その空気を作ったのは、このチーム全員だ。
断じて、自分がいたからこうなったわけではない。全員が努力したからこそ、ここまでこれた。
「その機会を与えてくれた母校と、一緒になって戦ってくれたチームメイト。」
だからこそ、これで最後になる高校野球に、しっかりとけじめをつけたい。その1年を通して、世界が変わったのだ。
「日本の父である貴方に支えられた1年を、幸せに感じています」
楊瞬臣は、ワイルドピッチによる今大会唯一の失点よって大会を去る。試合終了後、最後の挨拶をする彼は、そのことで感情を爆発させることはなかった。
「よく頑張ったぞ、楊!!」
「プロで見たい!! 必ずドラフトに出てくれ!!」
「また世界であの投球が見たい!!」
「ナイスピッチ、瞬臣~~~!!!」
夏に引き続き、温かい声援が降り注ぐ。今度は準決勝という超満員の舞台で。
―――――プロ、か
楊はこれから公式戦に投げることが出来なくなる。代表招集がなければ、もうアピールする機会はない。
重くのしかかる現実。試合勘の欠如は、それほどまでに致命的なものだ。プロを目指すには、この困難を乗り越えなければならない。
――――――先にプロで暴れといてください。で、もう一度勝負しましょう。
不意に、夏に出会った好敵手の言葉が脳裏をよぎった。
――――――今日のようで、結果の分からないハラハラする試合を!!
そして見つけた。この試合結果に驚いている大塚栄治の姿を。
「楊さん―――――」
彼は内心期待をしていたのだろう。それを思うと、そのifを連想してしまう。しかし、この秋季大会を経て自分の気持ちは変わったことを、彼に伝えなければならない。
「―――――俺は何が何でもプロに行く。お前へのリベンジだけではない。自分と、彼らの夢を背負って、俺はプロで、必ず活躍する」
”夢をみることは、重荷を背負うことだ”
日本の偉人の一人が、いつか言い放った言葉。その意味をようやく理解できた。
「だから、俺は止まらない。俺は、止まらないからな」
声援を最後まで送ってくれた観客、そして立ち尽くす大塚に、深々とお辞儀をしてベンチの裏へと消えていった。
多くの観客に惜しまれつつも、高校野球を終え、空白の期間に突入する楊瞬臣。
「ええ。空白期間があるとはいえ、上位指名で取らなければならない選手です。」
多くの球団が、空白期間を経験した選手の上位指名を諦める中、ただ1球団の、ただ一人のスカウトが、それでも彼を推す。
彼は、同世代で輝きを放っている柿崎則春、成宮鳴らを諦め、来年の大卒投手を1位指名では諦めろというのだ。
「彼は文字通り10年に一人の逸材。秋季大会を一人で投げ切ったスタミナは勿論、圧巻はあの制球力。現時点で常時140キロ前半を投げ、最速149キロ。他の候補と比べても、あそこまで制球の良さをアピールできる投手はいません」
この男は、それでも電話の主、大阪ブルーバファローズの球団部長に進言する。
『うーむ。確かにいい投手だが、冒険せずに社会人を1位指名でいいだろう』
「外国人枠を使ってでも、1位で取る必要のある選手です! 何よりあの細身であのスピードボールを放れます。現段階でも即戦力で、上積みも十分見込めます」
彼の中で評価の上がっている投手は青道の沢村栄純、横浦の辻原公康、そして光陵の成瀬達也。
いずれもサウスポー。強烈な特徴を持った投手。
無論、青道のエースも、マークしていたが、大塚栄治は横浜とのパイプが強すぎる。
本人の意思に関係なく、横浜入りが既定路線だ。他の球団は本郷や降谷のような剛速球、もしくは大学生投手に目が向いている。
だが、もし楊を取ることが出来れば―――――
彼らがライバル関係であることはリサーチ済みだ。球場でのあのやり取りから見ても間違いない。
『上位は無理だ。3位辺りで残っていたら、という方針にしよう。』
楊にとっての戦いは終わったが、楊を巡る戦いは水面下で始まっていたのだ。どこがギリギリまで我慢し、最初に獲得するか。
もしくは、彼の可能性に賭けるか。
多くの球団が撤退するなか、ブルーバファローズは楊へのマークを強めるのだった。
そして、彼らは知らない。横浜が大塚世代で本当に欲しい選手を。
投手豊作の再来年のドラフト。球界に激震が走るドラマまで、あと少し。
大人たちの駆け引きなど知らない若者たちは、この試合の余韻から抜け出せない。
それほどの試合だった。まだ、試合は続いているんじゃないかと。
そんな今日の第二試合を見ていた倉持は呟いた。
「投手が抑え続けても、いつか限界が来る、か」
援護が続かないと、いつかはこうなる。
「ああ。援護点がないと、必ずこうなる例を嫌というほど見せつけられた気分だ。正直、明川が来ると俺は思っていたんだけどな」
御幸は、まさか楊がこの大一番で唯一の失投、ワイルドピッチをしてしまったことに驚きを隠せなかった。
「――――――正直、俺は安心してるぜ。真田も相当厄介だが、結局楊から放ったヒットは1本。薬師打線は轟のツーベース一本に抑え込まれたんだからな。」
倉持は、明川の楊が来るのではなく、薬師が来てよかったといってしまう。しかしそれも仕方ないだろう。今年の夏に続き、楊は敗戦したにもかかわらず、その評価は上がり続けている。しかし、今大会で楊の甲子園への出場は絶望的となっただろう。
もう高校野球で楊と対戦することはない。それは安心することではあるのだが
「―――――――――」
大塚は、この結果に黙り込んでしまっていた。いまだに現実を受け入れきれない。そして、ある事実だけが残った。
―――――結局、あの人を攻略できたチームは、最後まで現れなかった。無論薬師も、青道も攻略したとは言い難い。
そして来年の秋まで彼は表舞台に上がることはないだろう。実戦経験のない彼が代表に選ばれる可能性も低いだろう。
この試合の余韻に浸っていた一同に朗報が舞い込んでくる。
「――――――それは本当ですか!? はいっ!! はい、わかりました!!」
渡辺の電話から、沖田の意識が戻ったという報告も舞い込んできたのだ。生命の危機はないということで、1か月後には問題なくプレーができるというので一先ず安堵する一同。
「――――――第一声が、『知らない天井だ』はさすがに沖田らしかったね。本当に良かった…」
「ああ。コントどころじゃなかったからな、俺たちは。」
上級生たちが安堵する中、
「―――――よかった。沖田は、無事……だったんだ」
大塚は肩の荷が下りたような気分になった。が、明日の試合もあるので、
――――沖田、必ず選抜に行くから。だから、僕は必ず、やり遂げるから―――――
強い、そして譲れない想いを秘めて、彼の病室へと向かう決意をするのだった。
しかし、当然ながら明日の試合、そしてその先の神宮は出ることができない。ベンチ入りメンバーから外すことも決定され、それを沖田は異議もなく承諾したという。
「試合も終わったし、俺たちで最後に沖田に会いに行こうぜ。」
倉持がそういうと、一同も異論はないのか固まって行動し、沖田がふんぞり返っているであろう病院へと向かうのだった。
その病室では、
「いやぁあ。マジで死ぬかと思いましたよ」
上半身を起こし、体の下半分を布団で覆い、ベッドの上でケラケラと笑う沖田がいたので、
「その笑顔を見て心配する必要がねぇと今確信したわ」
倉持が沖田の笑顔を見て苦笑いをする。
「本当に具合は悪くないのか? 大分長い意識障害の脳震盪だったのだろう?」
白洲が長時間の意識障害の脳震盪について不安を口にする。
「ええ。お陰様で。幸運の女神に愛されているんでしょうね。ホームランも1本打てたし。ただ、眠いっすね。疲れまし――――――イッ!?」
その時、驚いたような顔をする沖田。
「お、おい!? 本当に大丈夫か!? やっぱりどこか痛いのか?(ん? 布団? なんか盛り上がってね?)」
御幸が突然痛がった沖田を心配する。しかし、不自然に布団が盛り上がっていることにも気づく。
「い、いえ!! ちょっと舌噛んだだけです。あまりにも無警戒だったもので。すんません、心配かけて」
少し慌てた表情を見せる沖田。御幸と白洲、倉持は沖田の様子ばかりに目を向けていた。
「沖田、心配させないでよ。無理しちゃだめだ(本当にどうしたんだろう、まだ頭痛がするのかな?)」
大塚も、心配そうに声をかける。が、その気苦労はすぐに無駄になることを知らない。
「?」
首をかしげる渡辺。
「体はしっかり治せよ」
「ああ。選抜でお前の力は必ず必要になってくる。」
倉持、白洲には激励の言葉をかけられる沖田。
先ほどから御幸は唇を固く結んでいた。これはあれだ。何とか吹き出しそうになるのを耐えている顔だ。
「そっか――――っ。じゃあ俺たちも、沖田の言う“幸運の女神”とやらに、感謝しないとなぁ?」
余程おかしいのか、ついに含み笑いを隠すこともできずに、意味深な発言をする御幸。
「え、えぇ!! 感謝してますよ!!」
途端に狼狽え始めている沖田。
「どうしたんだ、御幸? それに沖田も様子がおかしいぞ」
倉持は、二人が意味不明なコントを始めたと勘違いし、やや呆れた声色で二人の様子を訝しむ。
―――――いや、これは。まあ、なぁ……
そして大塚。
沖田しか見ていない御幸を除く先輩たちとは違い、布団が少しだけ盛り上がっていることに目がいっていたが、コメントする必要はない、コメントしたらひどいことになると結論付けたのだ。
布団の下に、僅かだが黒い布が見えたのだ。そしてそれを知るのは”4人”だけだろう。
―――――ないよ、これはないよ。あんまりだ。人が心配したのにそれなの、沖田……
「先輩。沖田はもう大丈夫そうなので帰りましょう。」
さりげなくこの場を去ることこそ、“彼ら”にとって最善だろう。正直、今はちょっとむかむかするので、すぐに離れたい気分だった。
――――けど、今どういう気持ちで隠れているんだろう。気になるなぁ
しかし、気になる自分もいるどうしようもない状態の自分に悟る大塚。
「?」
「大塚? まあ、準備はしないといけないが」
結局、御幸を除く何も知らない上級生たちを連れて病室を後にする一同だったが、
「あ、悪い。ちょい忘れ物。」
御幸が思い出したかのように病室に戻る。何を忘れたというのか、渡辺は不審に思ったが特に言及せず、
「ちょっと主将を“監視して”おきます。僕がつくので先輩方はお先にどうぞ」
大塚ももっともらしい理由をでっちあげ、この場を離れる。
「お、おう。御幸の奴、気でも抜いてるんじゃねぇのか」
倉持が軽率な御幸は珍しいといいながら、白洲と渡辺とともに先に青心寮へと戻るのだった。
その後、
「とりあえず、危なかったな。彼女さんはどうした? なぁ、どうしたぁ?」
御幸が煽るように言う。沖田は引き攣った笑みを浮かべるだけだった。
「えっと、その。いや、すいません。けど、あそこまで心配してくれて…間が悪かったというか。まさか先輩方が入るとは思っていなかったので…」
「まあいいや。あそこまで想ってくれる奴がいるとか、うらやましいなぁ、畜生」
「す、すみません。いっぱい心配をかけてしまったので。あの後すぐに出ていっちゃいました…」
しかし、そのうらやましい目にあっている彼は悲しそうだった。何やらそのあと、赤面のまま彼女は病室を後にしたそうだ。沖田がもうちょっといてほしいなぁ、という前に姿が消えてしまったので、かなりテンションが下がってしまっていた。
「ところで、明日の試合はどうするんだ? もしかして、病室で二人っきり? 甘いねぇ~~」
「えぇ!!? ちょっ、勘弁してくださいよぉぉぉ!!!」
うろたえる沖田だったが、
「け、けど!! イチャイチャするのは楽しいっす、先輩!!」
「ぐぬぬ……嫌みか!! 嫌みだよな!? 嫌みだな!! 嫌みだなんだろぉ!! 俺だって、俺だってやる気になればなぁ!!」
それは、沖田の彼女が戻ってくるまで続いた。
その会話を外で聞いていた大塚は、
「――――――もう知らないよ………一日だけ知らない」
ぷいっ、と病室の外でいじけるのだった。
「一日だけ知らないって、それもどうかと思うけど」
彼女にその件について突っ込まれ、御幸と仲良くとぼとぼと病室を後にするのだった。
楊君の挑戦は終わりました。選抜も絶望的ですね。
点を取れなきゃ勝てない。薬師戦に勝利した先の決勝戦でも同じです。なので、楊が負けるのは予定通りでした。
本作の時系列を2011年あたりにしようと思います。高校は架空選手ばかりですが、大学、社会人は似た選手がいる設定です。
いつになるかはわかりませんが、番外編に1年生、2年生たちが参加するドラフトもしたいと考えています。
2012年→御幸世代
2013年→大塚世代
まあ、さすがに現実の選手の順位を優先する予定?