ちなヤクおばさんには悪いことをした…
しかし、桑原はナイス。
見事、轟、真田の連戦に勝利した大塚と御幸。
「いいボールきてるぞ、大塚。」
「感覚もよくなっていますしね。指にかかりやすくなっています」
応援席の先輩たちも、
「―――――丹波の出まかせが当たるだと?」
クリスが目を見開いていた。さすがの彼もこの結果は予想できなかった。
「――――いや、出まかせだけど、大塚ならやってくれると思うんだが―――――意識しだすと打たれると言うし、しばらくは黙っておこうぜ」
丹波は大塚を過大評価している傾向だが、彼の予想が近づいていたので、興奮を隠せない。しかし、迷信を信じて口をふさぐも、
「もう遅いよ。いつか見た動画に、その2秒後に打たれる奴があってね。アレは傑作だったね」
小湊亮介にフラグを構築されてしまう。
「やめろ。本当に打たれるかもしれんから」
その後、先代主将結城が二人をなだめるのに労力を使うことになった。
試合は速いテンポで6回表に入ってくる。
この回から青道の3巡目。1番東条がカットボールをライト方向に流す打球で出塁する。
『外流したぁぁ!!! ライト前ぇぇ!! 先頭打者がこの回も出ます、青道高校!!』
ここで小湊はバントの構えを見せない。ここでは徹底して強硬策を貫く青道高校。
打球は一二塁間へと転がるが、セカンド増田が身を挺しての捕球で外野へ抜けない。
『セカンド飛びついたぁぁぁ!!! ああっと、どこにも投げられないぃ~~~!!! チャンス広がります、青道高校!!』
そして白洲がこの局面で2度目の犠打を決める。堅実で器用な白洲が3番にいることで、巧打者たちの進塁をアシストする。
一死、二塁三塁。外野フライで1点のケース。
主将御幸は最低限を果たす。
「くっそっ!!」
打球が上がった瞬間、真田の表情が歪む。
打球はライトのほぼ定位置。犠牲フライには十分すぎる飛距離。
『三塁ランナーホームイン!! 青道この中盤で追加点!! 差を2点差とします!!』
ここで大塚に打席が回る。今日は2度出塁している強打者。なおも二死三塁のチャンス。
「っ―――――(詰まらされたっ、シュートか)」
強引に振り切った当たりは外野に飛んだが、飛距離が伸びない。フェンス手前で失速し、レフトフライに打ち取られる大塚。
5球目の内角シュートを捉え切れず、凡打に終わる。
それを見ていた落合は、
「うーむ、大塚にしては欲が出たな」
タイムリーを打つ局面だが、もう少し冷静さが必要だったと彼は考えていた。
落合の解説で、まだまだ青い部分があることに気づいた高島副部長は、
「ようやく年相応のプレーが出ましたね。本来ならいけないのでしょうが、少しホッとしています」
と、少し安堵していた。
「他者にここまでメンタルを心配されるのは如何なのものか。しかし、彼がまた一段と伸びる兆候でもある。冬が楽しみですよ」
しかし、この6回表で2点目をもぎ取った青道。6回裏、7番から始まる下位打線にも唸りを上げ始めているストレートを中心に、凡退の山を作る。
球速も6回にきて150キロを3度計測するなど、薬師のバッターが当てることが難しくなってきていた。
『ここでストレートぉぉぉ!! 見逃し三振!!! 7番阿部、8番米原を連続三振に抑え、ツーアウト!! マウンドの大塚、いまだにヒットを許しません!!』
外角低めに決まった150キロのストレートが決まり、手が出ない米原。右打者、左打者関係なく外角に投げ込める制球力に、この威力。
9番森山にはインコースのカットボールで詰まらせ、ファウルを打たせると。
『ここで縦のカーブ!! 決まってツーナッシング!!』
『狙い球が一球来るかどうか、ストレートの比率が高いとはいえ、これだけ変化球を投げ分けられると、コンタクトも難しいですね』
甘いコースではあったが、間合いを完全に狂わされた森山はバットを出せなかった。
アウトコースの縦スラが外れ、4球目。
『ああっと中途半端なスイング!! 三振!! この回は3者連続三振の大塚!! 6回終わって未だに完全ペースです!!』
インコースストレートにバットのヘッドが間に合わず、中途半端なスイングを喫し、凡退の森山。バットが出ただけでも頑張ったほうだろう。
立ちふさがる青道大塚。薬師の攻撃を完ぺきに封じ込み、反撃のチャンスすら与えない。
それが、真田の投球に影響を与えたのは、前園への初球だった。
7回表、6番前園への、不用意な一球。
――――甘い球や!!!
2打席ともツーシームでやられていた前園。ここにきて頻度が僅かに上がった失投。
これを3打席目で逃す男ではなかった。
『打ったぁぁぁ!!! 打球左中間!! 左中間~~~~~!! そのまま飛び込んだぁぁぁ!!!! ホームラァァァァァンッッッ!!!!!!』
飛距離十分、打った瞬間にホームランを確信する当たり。前園はその瞬間に形容しがたい感覚を感じ、打球を見ていた。
その打球は神宮球場のレフトスタンド中段に叩き込まれていた。
「お、おっしゃぁぁぁぁ!!!!!」
吠える前園。得点圏できょうは凡退も、この先頭打者の状況で貴重な追加点。大きすぎる一発となった。
――――これが、これが公式戦のホームランの感触なんか……
これが公式戦で放ったホームランの感触。練習試合とは比べ物にならない。
『6番前園のホームランでついに3点差!! 完全ペースの大塚に心強い援護点が入ります!!』
『3巡目、甘い球はきっちり一振りで仕留めましたね』
これには引退した上級生たちも、
「よく飛んだな。スイングがかみ合ったか」
このホームランに声のトーンこそ変わらないが、嬉しそうな結城。
「左中間なんて、余程タイミングがあったんだろうね」
あれだけ速球ばかりだとね、と苦笑いの小湊亮介。
「ランナーいるときにしろよ!! ランナーいるときに!!」
伊佐敷は、ソロアーチストと化した前園に甘いと苦言を呈していた。
これには、ほかの応援席からも熱い声援が送られる。
「ゾノが打ったぞ!!」
「うお!! ゾノぉぉぉ!! 大一番で結果出してよかったなぁ!!!」
「後続も続けよ!!」
「次が肝心だぞ、金丸!!!」
「前園先輩がホームランですよ、ホームラン!!」
「大塚君のことをもっと褒めてもいいんだよ、春乃――――」
「終わるまで褒めません!」
「―――――将来大塚君、尻に敷かれそうだよね、春乃に」
「ええ!? そんなことしませんよぉぉ!!」
最後の言葉までを聞いていた大塚栄治は、
「俺には厳しい。けど、試合が終わるまで俺は気が抜けないし、仕方ないね」
声援がないことを、少し気にしていた大塚だった。
しかし、徐々に真田を捉え始めている青道。続く金丸がストレートを引っ張り長打コース。
『引っ張ったぁぁぁ!!! レフト線!!』
動揺を隠せない真田を休ませない、痛打が続く。
「おし、初ヒット!!」
塁上で吠える金丸。
続く麻生が進塁打で確実にランナーを進め、
『ゴロゴー突っ込む!!! ホームは―――セーフっ!! 前進守備の薬師には難しい高いバウンドの打球!! ホームクロスプレーはセーフ!! バッターランナー倉持はその間に一気に二塁まで進んだぁぁ!!!』
ここで金丸と秋葉の判定の間に、倉持がすかさず二塁まで進み、またしても得点圏を作る青道打線。
力の差が出始めていた。
ここで先頭に戻り、前の打席ヒットの東条。
『ツーシームおっつけたぁぁぁ!! センターへ転がる!! 今日2本目のヒット!!』
青道打線が止まらない。切り込み隊長が復調し、尚も一死一塁三塁のチャンス。
真田もこれ以上の失点は許されない。
―――――3巡目、ここまで当ててくるのかよ!!
捉え始めている。ツーシームのズレも関係ない。強い打球が内野の間を抜き始めている。
2番小湊はヒッティングの構え。今日は真田のボールを悉く捉え、最も球数を投げさせているこの打者相手に、真田は焦りを感じていた。
焦りがボールを浮かせる。
『打ち上げたぁぁぁ!!! これも飛距離十分!! 三塁ランナータッチアップ!!』
ここで勝負を決める5点目が入り、この試合の勝敗が決まる。
『5点目ぇぇぇ!!! 2番小湊の犠牲フライで5点目が入ります!! すかさす一塁ランナー東条が二塁に進塁し、また得点圏にランナーを進め、攻撃の手を抜きません!!』
『走塁とケースバッティング。この両方ができているから、攻撃力も跳ね上がっているのでしょうね。相手投手は力むので、必然的にチャンスの確率も上がります』
しかしこの回は白洲で攻撃が終わる青道。前園ホームランから流れが完全に傾き、青道ペースとなった試合展開。
「はは、点差以上にきついな、この試合」
ややぐったりとしている真田。得点圏を嫌というほど作られ、失点を重ねてしまった。
――――地力が違いすぎるか。くっ、全国準優勝の実力は飾りじゃねぇわけか
轟監督は、真田をここまで打ち込んでくる青道打線を目の前に、継投を考え始めた。
―――――仕方ねぇ。次の回も行かせるが、ピンチになりそうなら雷市にスイッチだな
6回を投げて被安打9、四死球は1つ。そして重すぎる5失点。
7回裏、大塚は二つの三振を奪い、薬師に得点を許さない。隙を見せない大塚と3度目の対決に向かう轟。
8回裏、その3度目となる、大塚対轟。
―――――1打席目にストレート、2打席目にスライダー、3打席目
特に、この3打席目が一番注意の必要な打者。点差は開き、変に意識する場面ではない。
記録よりも、勝利優先。
しかし――――
ドゴォォォンッッッ!!!!
「ストライィクッ!!」
ここで今日最速の151キロが高めに決まる。轟も初球から食らいつきに行ったが、空振りを奪われる。
―――――気持ちが昂りすぎだ、もっと低くな!
高いというジェスチャーを交え、御幸は大塚に注意を促す。
続く2球目、
「!!!」
ここでパラシュートチェンジ。バットこそ止めたが、体勢を崩す一球。前の空振りしたストレートを思い出してしまう。
獣のごとく、反応していた夏とは違い、人の知性を交えた強打者になりつつある彼が、その考えに、ストレートを意識するのはごく自然なこと。
「ストライクツーッ!!!」
ここで落ちるボール。伝家の宝刀スプリット。轟相手には出し惜しみすらしない、大塚の決め球。
『空振りぃぃ!!! ここでスプリット!! 追い込んだ青道バッテリー、追い込まれた轟!!』
――――色気を出すな、やるからには徹底的に。
しかし、ここで大塚は御幸のサインに首を振る。
―――――ここは落ちるボールでいいだろ? スライダーか?
しかし、大塚はこのサインにも首を振る。
「――――――」
そして3度目のサインに頷いた大塚。大塚が要求したボール、それは――――
『インコース低めぇぇぇぇ!!! 見逃し三振~~~!!!! 轟のバット、出ませんでした!! 最後は自己最速153キロ!!』
強打者相手に見逃し三振、今日最速のボールを以て、完全勝利を果たした大塚栄治。
低めの変化球を強く意識する場面。大塚は敢えて低めぎりぎりのストレートにこだわった。
回想したのは、準決勝で見せた轟の我慢強さ。
3打席目、楊のスプリットを我慢した、あの光景。我慢した結果がツーベース。そして、楊と同じく低く沈む決め球を持つ大塚栄治。
イメージが被るはずだ。あの成功イメージが脳裏に焼き付いているはずだ。
大塚は、轟を見ていた。しっかりと勝負をするための準備をしていた。
この一球は、傍から見るとナイスボール。受けた御幸には、衝撃を受けたボールでもあった。
―――――これはもう、本能みたいなもんだよな。
自分が読み切れなかった、選べなかった正解にたどり着いた嗅覚。
――――さすがだな。
ただリードに従う投手ではいずれ限界が来る。投手が肌で感じた感性を取り入れれば、もっといい投球が、
バッテリーが作り出す、作品が生まれる。
続く真田には、変化を加えるリード。自分を客観視し、相手を読む。
轟の打席で、ストレートのイメージが強い中、いきなりのチェンジアップは読み切れなかっただろう。
「―――!」
初球空振り。落差のある緩い、しかし急激に沈むパラシュートチェンジ。
さらに、
「(マジ、かよ……)」
チェンジアップ連投。ワンバウンドのボール球。先ほどのストライクからストライクではなく、ゾーンから外れる同じボール。
『チェンジアップ決まって2ストライク!! 記録を意識する場面、大胆な配球ですねぇ』
『逆に逆手に取っていますね。この状況を』
そして最後は、
『カーブ空振り三振~~~!!! 三球三振!! 三振の山を築きます、マウンドの大塚!! そして、この時点でいまだに完全ペースが途切れません!!』
縦のボールになるカーブに手が出てしまい、空振り三振。悔しそうな顔をしながら打席を去る真田。
――――全部緩い球だった。正直、1球くらい速球が来るだろうと思ってたけど、
なんという落ち着き、そして、この打席で1球も大塚は首を振っていない。
――――強すぎだろ、このバッテリー
6番平畠も外のカットボールでセカンドフライに仕留め、この回も無安打を続ける大塚。
8回表、青道の攻撃は4番御幸、5番大塚がフライアウトになるも、前園が何かをつかんだのか、外のカットボールをセンター前に運ぶ。
難しいコースに決まっていたが、前園はフルスイングでこれを強打。にしては打球の角度はつかず、しかし鋭い当たりがセンターを襲ったのだ。
無理に引っ張らない、右方向。前園はようやくスイング軌道でボールをとらえ始めていた。
「―――――見えたで、ワイの目指すべき道が!!」
何かを感じていたようだが、続く金丸が凡退して無得点。
「―――――――」
この投球に、さすがの沢村も
―――――俺がいい投球をして、抜いたと思ったんだけどなぁ
沢村は、決勝でこんな投球をされてはたまらないと考えていた。
「やっぱりすごいね。ストレートが低めに決まって、変化球も決まると、こんなに簡単にアウトがとれるんだ」
降谷は、感じ入るように大塚の投球を眺めていた。つい先ほどは、幸子が書いていたスコアブックを見ていたほどだ。
そのボールにいったいどういう意図があるのかを、少しずつではあるが学習しようとしていた。
片岡監督も、
「――――――(大舞台に強い、これは教えることができない要素。奴はそれが出来ている)」
集中力、流れを読む力。集中すればするほどその嗅覚が研ぎ澄まされている。
「大塚は、3度目の正直でやれるでしょうか。」
太田部長が大塚の投球を見てそわそわしていた。
「一応川上に準備はさせている。奴がノーノーを意識して崩れるようなら容赦なく代える。」
片岡監督はあくまでその理想を求めていたが、最悪のケースに備えて川上にラストイニングの準備をさせていた。
そして、9回表青道の攻撃が終わり、9回裏に入る。
マウンドに向かう際、
「――――――」
応援席のほうを見る大塚。
「―――――大塚?」
御幸が立ち止まっている大塚を訝しんだ。あとは投げるだけ、今更緊張をしているのだろうかと。
そのまま無言のまま踵を返し、マウンドへと向かってしまう。今のはいったい何だったのだろうか。
『さぁ、いよいよこの決勝戦も9回裏までやってきました。許したヒットはゼロ、許したランナーもゼロ! 四死球も与えない完ぺきな投球でここまできました、マウンドの大塚』
『いよいよ、ですね。これまでそのチャンスは何度かありましたが、9回にたどり着いたのは1度、記憶にも新しい夏の甲子園デビュー戦。西邦高校との試合。あとアウト一つの所でヒットを許しましたが、1年生投手のデビュー戦で最高に近い投球を見せてくれました』
『過去の自分に勝てるか、どうかですね。』
『さぁ、いよいよその瞬間は訪れるのか? 注目が集まります!!』
マウンドの大塚の表情に変化はなし。御幸も問題ないと考えていた。
ノーワイドアップから初球。打者は7番の阿部。
このラストイニング。大塚にアクセルを緩める理由が存在しない。
ドゴォォォォンッッ!!!!
「くっ、9回でこんな――――」
振り遅れ、ボールの下。9回100球を超えてなお、ボールに勢いがあった。
『初球高め149キロ!! 空振りぃ!!』
続くボールもストレート。
「ファウルボールッ!!」
しかし、上級生の意地。バットに何とか当てた阿部。しかし、ボールは斜め後ろに飛んでいく。
打球は前に飛ばない。
そして、
『スライダー!!! 三振~~~!!! まずアウトを一つ取りました!! マウンドの大塚!!』
右打者の外角のスライダーでアウトを奪う大塚。インコース攻めの速球からの大きく横に滑る緩いスライダーでスイングを誘った。
『ここで緩いスライダーですか。9回を全力で抑えに行っていますね。この緩急だとどうしても手が出ますよね。いやらしいコースに投げ込まれていますし』
続く8番米原には外側、横のスライダーで空振り三振を奪い、これで17個目の三振を奪った。
『三振~~~~!!これも三振!! 最後もスライダー!!』
今度は一転して横のスライダー。外角速球、チェンジアップを意識させてからの変化球。緩急と球の出し入れで打者を翻弄する。
9回のラストイニング、大塚がアウトを奪うたびに歓声が大きくなっていき、大塚の体にもその歓声が降り注がれる。
勝利目前にもかかわらず、緊迫の場面が続く。そのプレッシャーは大塚だけではなく、フィールドプレーヤーにも同等のものを与えていた。
「―――――打球飛んでこないけど、すごい緊張する。」
東条は大塚の背を見てワクワクしていた。
「この試合、打球を1回しか処理していないんだが」
白洲は、グラブを見つめ、バッテリーの活躍に目線を移動させる。
「――――――みられるようなことをしていないぞ、畜生」
麻生もヒットこそないが進塁打ときっちり仕事をこなしている。しかし持ち味の守備の機会はなかった。
外野組は暇を持て余していた。
対照的に、一方で内野組は
「――――――――――――」
小湊を筆頭に、緊張で無言になっていた。あの前園もマルチヒットの余韻をかき消され、こわばった表情でファーストを守っていた。
「ツ、ツーアウトな!! 大塚!! 打たせてもいいんだぞ!!」
さすがの倉持も緊張していた。
―――――声裏返っているぞ、倉持
御幸も倉持の引き攣った笑みのおかげで冷静になっている状態であり、一種の興奮状態に近い。
――――けど、お前は淡々と投げているよなぁ
マウンドの大塚はコントロールミスをほとんど許さないパーフェクトに近い投球。彼にプレッシャーがかかっているにもかかわらず、ナインの中で一番冷静だったのは大塚。
しかし――――
――――――ついに、この瞬間に戻ってきた。さっさと単打を打たれたほうがよかったのに
当の大塚は、今更いろんなことを考えるようになっていた。
いよいよあとアウト一つの場面。そのことが、大塚にこの状況を自覚させたのだ。
ああ、もうツーアウトなんだと。あとアウト一つなのだと。
それが今になって彼に襲い掛かっていた。
「――――――」
夏予選決勝のマウンドは、ラストイニングを投げなかった。正確には、痛みで投げられなかった。
言い訳にもならない、くだらない怪我、その後のくだらない離脱。
怪我をする投手は、如何に優秀でも意味がない。その全てが無意味になる。
一番大事な時に、
一番苦しい時にマウンドに向かうことが出来る投手。
それも、エースの最低条件。
――――ほんとうは……
あの時、口では理性的なことを言っても、悔しかった。
――――本当は、あの時も投げたかった。
9回を投げ切ること。
それが本当に久しぶりな気がする。その戸口の目の前までたどり着いた。
――――あと、アウト一つ。
ドクンっ、
―――――色々考えるな、最後は……
高鳴り、緊張。今までのアウトよりも重い。
その重さを、考え過ぎてしまった。
「大塚君!!!」
その時、やはり背を押してくれるのは彼女だった。
――――君は……
彼にとって、その事実は情けないが、うれしかった。
「頑張って! あとアウト一つだよ!」
大声で叫ぶ彼女。後でカメラに写って恥ずかしがっても知らないぞ、と含み笑いをしてしまう大塚。
「―――君は、僕の太陽」
西洋のナンパ男になったつもりか。思わず呟いた独白に苦笑いする大塚。
鏡がもし目の前にあったとすれば、そこにはだらしのない顔をした自分がいるだろう。
「………最後まで格好がつかないな、僕は」
誰にも聞こえない、大塚にしか聞こえない声で、そうつぶやいたのだった。
そんなことを口走ったことなど知らない吉川は、大塚の顔から力みが取れたことを見て安心していた。
「春乃? どうして今になって声をかけたの?」
夏川が彼女に尋ねる。今までさんざん大塚が完全投球、完全投球と騒がれていたとき、彼女は落ち着いて大塚を応援していたのだ。
「なんだか、今更大塚君が緊張しているかな、と思ったの」
「え? 今更ぁ? 大塚君らしいと言えばそうなのかも。無理をする子だし、緊張を制するタイプ? でも、良く見えているね、春乃」
私、全然そんな風に見えなかったよ、と笑う夏川。
「あとアウト一つ。その時、遠目から見て引き攣っていたように見えたの………うーん、私の見間違いなのかな?」
その時だった、
すっ、
大塚がこちらに視線を向け、帽子の鍔に手を置き、離した際、
「――――――――」
見間違いなどではなかった。自意識過剰でもなかった。
―――――ありがとう
微笑む大塚の顔が二人の目に映ったのだ。
『さぁ、いよいよあとアウト一つ、ノーワインドアップから第一球』
ラストバッター森山は左打者。その彼にとって一番遠い場所。
『ボールッ!! ここでシンキングファストが外れてボール!! まずは外側、ボールから入りました、マウンドの大塚!!』
続く2球目、
『今度も外!! 横から曲がってきたスライダーが決まり、ワンストライク!! 観客もその瞬間を待ち構え、見守っています!!』
――――次はこれだ
御幸がサインを送り、大塚が受け取る。
『空振りぃぃ!!! ここでドロップカーブ!! 追い込んだバッテリー!! さぁ、いよいよ最後の一球となるか!!』
―――――次は何で行く? 正直、スプリットでも、ストレートでもいいぞ
しかし、ここで大塚はその二つの球種に首を振る。
大塚が要求したのは、
―――――インコース低め、高速縦スライダー。ラスト一球、決めます
憧れから始まった父親譲りの宝刀ではなく、
父が完全試合のエンディングに選んだ一球でもなく、
今まで、最も投げ込んできたであろう速球でもない。
紆余曲折を経て出来上がった、自分の新たな武器に、この大記録の命運をかける。
自分が編み出したオリジナルの変化球。それで締めたかった。
――――俺が一から考えた、俺の変化球で、この試合を締める!!
意図を理解した御幸は納得した。
これは決別の意味も込めたラストボールになる。
もう彼の後は追わないという、強い意志を自分に示すための覚悟。
―――――来いっ、栄治!!
ミットを構える御幸。ここでスライダーを要求したことも、大塚栄治らしい、大塚の考えていることなどお見通しだといわんばかりに、御幸はその最後の一投を待つ。
そして――――――
『空振り三振~~~~!!! 試合終了~~~~!!! 青道のエース、大塚栄治!! 復活を印象付ける見事な投球!!! 完全試合の大記録を、18個目の三振で締めました!!!』
三振を奪った時、大塚は静かに、ゆっくりと拳を上げた。しかし、興奮した様子はなく、どこまでも淡々としていた。
「――――――っ」
彼はその余韻を噛み締めるように、この空気を味わっていたのだ。
一方、ほかの青道ナイン。ベンチ入りメンバーはそれどころではなかった。
『ああっと!! マウンドで淡々としていた大塚!! ナインにもみくちゃにされています!! さすがのエースも、チームメイトの手荒い祝福にはかなわないようです!』
『大塚君は淡々としていますが、これは大変なことですからね。あまりにも淡々としているので、彼が戸惑っているように見えますが、そうではないですからね』
『そうですよねぇ!!! この大舞台、秋季東京都大会決勝で完全試合!! 本当に今日はその大舞台に恥じない投球だったと思います!!』
『奪三振18、外野フライ1つ、内野フライ2つ、内野ゴロ6つ!! 球数、119球!! なんと、打球が今日は外野に1回しか飛んでいません!! 圧巻のパーフェクトゲーム!!!』
選抜を決める試合で、人生最高の投球を成し遂げた大塚栄治。
「―――――ひどい目にあった。」
「お前があまりにも喜んでいないからだよ!!」
やや興奮した声色で突っ込む御幸。さすがの主将も、最高の投球を前に感情を爆発させていた。
「5対0で青道!! 礼ッ!!!」
ありがとうございました!!!
試合後の挨拶が終わると、2年生エースの真田がやってきた。
「今日の投球は本当に手も足も出なかった。完敗だ」
負けてもさわやかだった真田。イケメンはこういうところが絵になる。
「まあな、正直、ここまでやれるとは考えていなかった。詰めが甘いところがあったし、どうせ最後の最後に打たれるんじゃねぇかって、な」
思ってもないことだが、このまま大塚を天狗にさせるわけにはいかないので、こんなセリフになってしまう御幸。
「先輩ッ!? それはひどいですよ!!」
「いや、大塚の投球は参考になったよ。やっぱ緩急は必要だなって。3巡目辺りから急に打球が鋭くなったから、マジで焦ったわ」
「まあな、こっちも無策で来たわけじゃねぇし。そこはな。」
「――――けど、点差は縮んだし、次は接戦をものにさせてもらうぜ」
真田の挑戦的な瞳は試合後も死んでいない。堂々とリベンジを口にすることに、真田の精神的な強さを感じさせる一言。
「ロースコアの大塚は、強いんだぜ」
御幸はそれに対し、大塚の接戦での勝負強さを口にした。
「知ってるぜ。今日、嫌というほど思い知ったしな」
思わず苦笑いの真田。
すると、ここで轟もこちらにやってきた。
「――――――今まで見たことがなかった。」
「――――それは光栄、かな?」
語彙の少なさをうまく汲み取った大塚。彼が何を言いたいのかはわかる。
「―――――3打席目、狙ってたの?」
やはり、あの打席のラストボールが気になっていたのだろう。
「ああ。楊さん相手にあの局面で見逃した、轟君の打者としての力量を信じた、というのはずるい言い方かな?」
「――――――悔しい。けど、ゾクゾクした。すごい投手と、対戦できたことがすごかった」
轟に涙はなかった。晴れやかな顔がそこにあった。
「次は絶対に打つ。けど、また―――――」
そのあとの言葉が続かない轟。顔を赤くして、何やら言葉に詰まっている。何を言いたいのかがわからないわけではないが、恥ずかしがっている。
「次も相手になるよ。悔しい思いをしたくないから、勝ちを譲る気は無いよ」
朗らかに、そして荒々しく再戦を望む言葉を言い放つ大塚。
「ああ!! 俺も今度はお前を追い越す!!」
両者がっちりと握手をする。
―――――僕の同年代の選手、1年で変わりすぎだろうに。
大塚は、自分のいるチームだけではなく、前々からある程度マークしていた彼まで意識改革を果たしていることに、困惑した。
――――簡単に東京を勝たせてくれないみたいだね、野球の神様は
手ごわいライバルがいる。あの沖田に比肩する実力の持ち主が、都内のライバルチームにいる。
――――でも勝つよ、神様。僕は欲張りだから
薬師とのあいさつを終え、ベンチに戻ってきた大塚を待ち構えていたのは、
「―――――よくやってくれた。最高の投球をした余韻はどうだ?」
日頃は厳しい監督も、表情が幾分か柔らかくなっていた。
「―――――悪くない気分です。ですが、余韻に浸るのは今日まで。神宮も、選抜もありますからね」
「ふっ、言ってくれるな。」
言葉とは裏腹に、嬉しそうな監督の顔。
「大塚!! ついに過去の自分に勝ったな!! おめでとう!!」
「過去の自分? どういうことですか?」
キョトンとした顔で太田に聞き返す大塚。
どうやら意味が伝わらなかったようだ。
その後、
「―――――うむ、やはりインタビューというのは慣れんな」
「まあ、あそこは特別な場所ですから。慣れてしまっては困ります」
「俺のほうのフォローはなしかよ!!」
テレビの前で漫才を続ける主将とエース。そしてどこか抜けている監督。
その映像をテレビ越しで見ていたのは、
「いやぁぁ。マジで前園先輩打ちやがったよ。栄治の完全試合よりも驚いたし」
沖田が病院のベッドで彼女が剥いてくれたリンゴをフォークで食べながら観戦していた。
「もう。素直に祝福すればいいのに。」
隣にいる彼女は、そんな先輩に対して「聞いたら怒るだろうな」という言葉をぼやく沖田に苦言を呈する。
「そうだよ兄ちゃん!! すごいホームランだったよね!! というか、全打席すごい打球を飛ばしてたじゃん!!」
弟の雅彦は、兄のツン気味な評価に不平を言う。
「まあな。あの人もようやくツボをつかんだと思うし、神宮からあの人も爆発するだろうな。あとは貫くだけ。それが出来たら、一流の仲間入りだな」
沖田もわかってはいるのだ。前園が覚醒の手ごたえ、きっかけをついにつかんだのだと。
パワーで勝る彼が技術を手に入れかけている。恐ろしいことだ。
「というか、祝福とか、二次会に行きたいんだが――――」
「だめ! 病院安静!!」
妹の薫が離さない。
「ま、家族を心配させるわけにはいかんよなぁ」
「私も心配したんだけど」
ジト目で睨む彼女に、
「お、俺も妹や君と一緒にいたいと思ったんだよなぁ!! ハハハハ!!!!」
「目が泳いでいますよ、沖田先輩」
球場ではなく、今日は沖田の病室にいた大塚美鈴。兄のことを放置して、心配が残るほうを優先した結果である。後にこれを聞いた大塚がひどく悲しむが、安心もしていたという。
「まあ、なんにせよ。今度は連れてってもらう立場になったわけだし。完治したら練習のフルマラソンの開幕だな」
「もう――――この野球バカ。」
「あいつらが待っているわけだし、俺も立ち止まるわけにはいかんのよ。ま、地に足つけて頑張るさ。無茶をしたら、引っ叩いてでも止めるんだろ?」
「ふん――――」
そして球場に戻り、応援席では
「やったな、あいつら」
結城が感慨深げにつぶやいた。
「ああ。もうこれでスタンドまで行く心配もねぇな」
伊佐敷も、こいつらはもう大丈夫だ、と安心していた。
「まあ、大学の練習に早く合流しないとやばいんだけどね」
小湊亮介も、それどころではないと言い放つ。大学でのレギュラー争いも、かなり熾烈なのは間違いがないのだから。
「ああ。東都のあそこではないとはいえ、練習は厳しいみたいだからな」
丹波はやや青い顔をしながら、練習のことを考えていた。東都リーグ一部、駒学への進学を決めた丹波。
「ああ。そういえば、あの軍隊コースの所にも推薦もらったんだよね、丹波は。まあ、大阪の主軸選手が、2年連続で瞬殺されたし、あそこはよほどの覚悟と実力じゃない限り無理だろうしね。」
「俺も危なかった。監督の助力がなければ、俺もあそこだった」
クリスも珍しく青い顔をしていた。
後輩離れが進む上級生たち。高校野球に思い残すことはなかった。
青道高校、選抜の切符をつかむ、見事な優勝。東京代表として、神宮へと進む。
大塚のガッツポーズはドジャース時代の野茂投手に近いです。
しかし、神宮の背番号1は沢村。
御幸はプロで、原作で組めなかった相性バッチリの投手とバッテリーを組めたらいいな。
あと、渋い色の球団が似合いそう。