天下り先は魔法学校   作:ハセガワ

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対戦よろしくお願いします。


第一話 六十八歳の春だから

 身も心も爺さんである。

 思い残すことなんてそんなに無いか、とっくに割り切り済みだった。

 

 たとえば過去の恋の失敗――押せばイケそうだったあの娘とか、格好つけてる内に他の野郎に取られたあの娘とか――なんていう脂っぽい懊悩は、もっと胃の腑が頑健だった頃に済ませてある。

 まあ……仕事についても、ぼくの裁量でやれる範囲のことはそれなりにこなせたんじゃないかな。

 

 考えるべきは人生をどう手仕舞いするべきか。

 それだって、揺り椅子の上でぼうっと過ごすならどこがマシだろうか? と思い悩むくらい。

 遅かれ早かれ、墓の下に送り込まれるのだから大した違いもない。

 

 そんなこんなで六十八歳の春である。

 隠居するにはうってつけの……はずだったんだけど……。

 

「えーっと、園丁さんや」

 

「はいはい?」

 

「三色すみれの植え替えが終わったよ」

 

「さすが仕事がお早い」

 

 ぼくの報告を受けて、淡い翡翠色の髪を丁寧に結った若者が微笑みかけてくれる。

 身のこなしこそしなやかだけれど指は泥汚れに染まっていた。

 かの人物がこの場の植栽の世話いっさいを担っている、これが証拠だった。

 

 という訳でぼくらは今、お揃いの作業着に身を包んで、花壇の手入れに勤しんでいる。

 花壇は校舎の正面に配されていて、校舎は広大な丘陵地に建っていて、丘陵地は島の西北端に位置していて、そう、ここは島だった。

 生国の都から遠く離れ、世界地図の端あたりにピンの頭ほどのサイズで描かれる孤島。

 

 気候は穏やか、豊かな自然を誇る、ここは地の果てだった。

 ああ、さっきから盛んに聴こえる鳥の鳴き声すら聴きなれない響きと音階をしている。

 さっき横切ったウサギっぽい生き物に角が生えていたのは見間違いじゃなさそうだった。

 

 あのクソガキ、こちらの気も知らないでとんだ姦計に巻き込みやが――

 

「――い、校長先生、どうされました?」

 

 園丁さんの気づかわしげな声で我に返る。

 いつの間にか物思いにふけってしまっていたらしかった。

 歳をとると、現実世界への足がかりがどんどん弱まり、脳みその中の世界に没入しがちでいけない。

 こうやって人は耄碌していくんだろうね……おおいやだ。

 

「校長先生?」

 

「ああ、ごめんごめん」

 

 未だに慣れない役職名だから、どうしても反応が遅れてしまう。

 

 この島には、奇妙な土地柄に相応しい風変わりな学校がある。

 色々あって空席になっていた校長のポストにねじ込まれ、ぼくが本国からこの島へ居を移して、ようやく一週間目だった。

 

「今日の作業はここまでにしておきましょうか」

 

「そうかい? ごめんねえ」

 

 この若い園丁さんは、今のところ唯一このぼくとまともに交流してくれる職員だった。

 引継ぎもされずに校長室とかいうがらんとした部屋に封じられた老人を哀れに思ってか、なんの得もないだろうに相手をしてくれている。

 今日も今日とて仕事の手伝いという名目で、おそろいの作業着を借りて土いじりに勤しんでいた。

 

 何しろ、本来の業務は振ってもらえないからね。

 ヒマなんだよ。

 

「いえいえ、おかげさまでおおよその段取りは済みましたから。恐れ入りますが、移植ごての片付けだけお願いできますか?」

 

「もちろん構わないよ」

 

 移植ごてはロッカールームに仕舞うことになっている。

 どうせ着替えに戻る先なので、さしたる手間じゃない。

 園芸用品まで鍵つきで収納するのは大げさに見えるが、校内の金属製品はそうするのがルールなのだ。

 ――魔力を伝導する以上、杖の代用になる可能性を排除できないというのが理由だそうだけど。

 

 そうして園丁さんと別れ、目的地へ向かうさなか、ぼくはふと気まぐれを起こす。

 使い込んだ木のハンドルつき、手のひらサイズの木の葉型のシャベル。

 それは土ぼこりを被っていて、金具のふちには泥汚れもついていた。

 

「せっかくだから水洗いくらいしておこう」

 

 汚れは早めに落とすに限るものね。

 園丁さんも、その方が助かるだろう。

 

 そう独り決めしたぼくは、手近な水場へ寄り道するのを思い立つ。

 

 

 

 ……で、その結果が今ってわけだねえ。

 

「どけよジジイ!」

 

 どん、としたたかな衝撃を受け、ぼくは芝生の上に尻もちをついた。

 今まさにぼくを押しのけた若者は、舌打ち混じりにこちらを一瞥してから通り過ぎていく。

 

 若者の腕力には敵わないなあ……やれやれどっこいしょ。

 ぼくが膝と腰を最大限にいたわりつつ立ち上がる間に、件の若者は数人の仲間たちと共に目の前の井戸へ向かったようだ。

 

 若者らはポンプで汲み上げた水を豪快に流しながら、歓声混じりに顔や手足を洗い清めている。

 彼ら彼女らは揃いの訓練着を身につけていたけれど、その髪や瞳の色は一人として似ていなかった。

 薄紅や青、一見して黒に近いものも光に照らされた部分がはっとするほど鮮やかな色彩を帯びている。

 盛りの時期のワイルドガーデンや貴婦人の宝石箱をぶちまけたかのようだ。

 

 うん、確かにどの子もこの島の子供たちに違いない。

 その身に強い魔力を宿した、生まれながらの魔法の天才たち。

 

 それにしてもこの詰襟の訓練着、母国の兵学校と様式が似ているなあ。

 

「おお、そうか。君たちは兵装科の子等だね」

 

 近くまで歩み寄ったぼくが声をかけた途端、子供たちの眼が一斉に()()()と見据えて来た。

 その表情に台詞をあてるなら『おいおい、我らが神聖な学び舎に汚い犬が紛れ込んでいるぞ?』が適当だろう。

 

「はァ? 俺らは『精選』兵装科だ! 雑用係がわかった風な口を利くんじゃねえよ」

 

「おや、エリートだ」

 

 相槌の打ち方を間違えたのか、辺りの空気がピリピリと緊張感を帯び始める。

 一体全体、子供たちの何を刺激してしまったものやら。

 

「ったく誰のおかげで安穏と暮らしていると思ってんだ?」

 

「それは、君たちの先輩が海の向こうで汗を流して勤めを果たしたからだねえ。でもね、」

 

「……まさか、ご老人が僕らに訓示を垂れるとはね」

 

 こちらの言葉をさえぎって、朗々とした声が響いた。

 口答えしてきた爺さんへの悪口雑言をポンポン投げかけていた若者たちがぴたりと動作を止める。

 次の瞬間には一斉に声の主のために道を開けた。

 

 つまり声の主は水場に一番近い立ち位置で、それはこのミニ軍隊じみた子供たちの作った猿山のてっぺんに陣取っている人物を意味していた。

 

 そうして悠然とした足取りで姿をあらわしたボス猿は、染み入るような鮮やかな青色の髪を垂らした少年だった。

 顔立ちは涼やかで、猿というよりは大型の水鳥に例えた方が似合いそうだ。

 

 すらりとして見えるのは、それだけ手足の長い体躯ということ。

 魔法使いの卵の中でも兵装科に集められるのは変わり種で、杖ではなく剣や鉾を携え、白兵戦を得意とする子たちだ。

 なので、体格に恵まれるのも立派な資質のひとつといえた。

 

 うーん、強いなあこの子。

 立ち姿に隙が無い。

 なにより、魔力にほとんど乱れが無い。

 

 ……うん、あくまでほとんど、だ。

 彼の魔力には微細な波紋のような乱れが発せられ始めている。

 怒気と言い切るにはいささか薄暗いものが混じりすぎていて、だからこのブレンドはアレだな、ええと……。

 

 ――そうそう、悪意。

 

 魔力発動のピーク到達を0.1秒単位まで縮められたら、ひとまず戦場でやっていけるようになるだろう。

 才気のほどを鑑みれば卒業には間に合いそうだ。

 いやはや、若いというのは恐ろしくも素晴らしい限りだね。

 

 そうこうしているうちに、ぼくの手にあった筈の移植ごてはあっという間に奪い去られた。

 あのね、十代の若者が掴みかかって来たのを、爺さんがさばける筈もないでしょ。

 彼の視線と予備動作からして、ただちの危険はなさそうだったし。

 

 この歳になると急に動いてどこかの筋をいわす方がリンチより怖い。

 老いたる者の知恵っていうのは、こういうのを指す。

 

「我ら学徒はあなた方の安穏とした暮らしを守るため、こうして粉骨砕身しているんだ。この平穏の代償は誰の血で支払われているとお思いで?」

 

 ふむふむ。

 読めて来たぞ、つまり魔法学校の生徒たちにとって「学校出の魔法使い(+候補生たる自分たち)」と「非・魔法使いの島の住民」の間には厳然たるヒエラルキーが存在するのか。

 

 身のこなしが素人くさい老人、それも泥つき作業着姿ときたら典型的な一般人(パンピー)にしか見えないだろうね。

 それが、自分たちの縄張りの水場をウロチョロしていて、あまつさえ話しかけてきた。

 

 才気走る若者が「ちょっと思い知らせてやろう」と考えても、そりゃあ仕方ないね。

 

 そうこうする間にも、若者たちの輪はじわじわと狭まってきている。

 隠し切れない嗜虐心を表情に滲ませながら、包囲が完成しつつあった。

 

「シバさん!」

 

「やっちまえシバ!」

 

 ふむ、青髪の少年はシバ君というらしい。

 

 シバ少年は手の中で移植ごてをくるりと回転させ、起動詞(キー)を唱える。

 

 音律に乗って魔の力が励起し、形作られた魔法が発動する。

 

 移植ごての表面がみるみる曇り、結晶状の霜が浮かぶ。

 エッジの部分から透明な氷が湧き出すように伸長して、一呼吸の後には移植ごては両刃の立った氷のナイフへと姿を変えていた。

 

「見たところ、ぼくはただの老人だ。きみの魔法に対抗する術があるかもわからない」

 

 周囲の少年少女から失笑が漏れる。

 まるで『対抗なんてできるはずもないだろ』と言わんばかりに。

 

 シバ少年は肩をすくめ「それで?」と問い返してきた。

 

「その刃を使って危害を加えるのは、一線を超えた行いだ。今ならまだ何もなかったことにできるよ」

 

 返答はなく、氷の刃がひらめいた。

 刃先がぼくの鼻先すれすれの位置で止まる。

 

「――一線を超えたとして、誰がそれを証明するんです?」

 

 そうだね、溶けてしまえば凶器すら消え失せる。

 ぼくを取り囲んでニヤニヤと成り行きを見守る悪童たちが正直に証言するはずもない。

 

 ……いやまあ、新任の校長先生なんだけどね、ぼく。

 新学期は明日からだから、まだ生徒たちには面が割れていないけれど。

 

 しかしこの立場の弱さでは、いかな校長といえど誰も味方になってくれない可能性はあった。

 困ったねえ、この場を穏便にやり過ごすにはどうしたものか……。

 

 うーん、難しいな。

 

 シバ少年の振るった刃が、乾いた音と共に斜め上に跳ね上がる。

 

「――ッ!?」

 

 青色の前髪がひと房だけ翻り、持ち主が虚を突かれたような表情を浮かべている。

 

 ……うん、よし。

 この場はなんとかなりそうだ。

 ベストじゃないけど、ベターではある。

 

 穏便とはとても言えないけれど、解決の目途が立った。

 

 取り囲む悪童たちはまだ異変に気づいていない。

 ぼくはじりじりと後ずさる準備を始める。

 

 あと数秒ほどのうちに、どえらいのがやって来るようだから。

 ぼくの緊張を肩代わりするかのように、足元の芝生がざわりと震えた。

 

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