帝国志   作:kita1751

10 / 15
■四章大越帝皇シルク■海の子シルク

神我――豊沃の地にして、古より神々が生まれた聖域とされる。

中族たちはこの地を荒らすことなく、あえて開拓もしなかった。

しかし、やがて「神土を治めることこそ覇権の正統性を証する」と知られ、帝王たちはこぞって神土を目指すようになった。

シルクは漢語で「朱玖」と記す。

シルルク神の末子シヒルニカを祖とする相の武官・朱金、そのひ孫にあたるのがシルクである。

朱一族は代々、相皇朝に仕え、朱羅の代には西域への移住を命じられた。

以来、彼らは西域民族との交易管理を担い、そのため異民族の言語にも精通していた。

ソカメンの反乱後、大陸は内乱の渦に包まれる。

朱一族は曹操に仕えたが、それは表向きであり、真の目的は曹操を監視し、相の宗廟を守ることであった。

やがてアールが銀を滅ぼすと、朱一族の一人・朱高(1216〜1249)は元国へ逃れる。

しかし囚われ、元都へ送られた。

その才を見込んだテムジンは朱高を家臣に迎える。

当初、異民族である元に仕えることを朱高はためらったが、アールが聖地を焼き、聖地に住まう朱一族を族滅させた報を受け、激怒。

「アールに復讐すること」を条件に、元への仕官を決意する。

朱高は通訳、道案内、交渉、交易などの任務から始め、一兵卒として戦場にも立った。

やがて武将として銀や発を攻め、数々の武功を挙げ、ついに南元後将軍の位に昇る。これは極めて異例の出世であった。

元国では、文官には相人を雇う例もあった。

元には文字がなく、法律や税制においては相人の知識が勝っていたからである。

だが武官となると、元人には敵わないとされていた。

彼らは物心つく前から武人であり、狩人であったため、純粋な戦闘能力は群を抜いていた。

ある相人将軍は「元人一人は相人三人の強さに匹敵する」と評している。

さらに戦術面においても、幾多の草原での修羅場を生き延びてきた経験が机上の兵法を凌駕していた。

それでも朱高は、元人に匹敵する武勇と知略を併せ持ち、その実力は元人からも尊敬された。

やがてテムジンの親族の娘を妻に迎え、朱命・朱均・朱理の三子をもうける。

しかしその後、元国内の内乱により朱一族は分裂し、その勢力も縮小、左遷の憂き目を見ることとなった。

 

■ 時は1260年。朱理(1239〜1270)はテムジン王から、娘カリン姫を後妻に迎えるよう命じられ、祝言を挙げたのち、クロー地方・周の町の主官である九周郡守に任じられた。現在で言えば町長にあたる職である。朱理はかつて朱高の将軍にまで任命された人物であったが、この任は明らかに格下であり、冷遇とも取れる人事だった。当時、朱一族は微妙な立ち位置に置かれていたのである。

このころ、テムジンの兄弟間で内乱が起こり、元人同士が争っていた。一方で、主要な相人官僚たちは、良くも悪くも辺境へ飛ばされる傾向にあった。

1260年、朱理にシルクが誕生する。シルクは5歳で文字を覚え、8歳で詩を作るほどの天才だった。朱理はこの才を深く愛し、生涯にわたって可愛がった。

シルクは港町で育ち、世界を直に感じながら成長した。南国の風土、草原の文化、相族の文芸、東部の風習が混ざり合い、まるで小さなシーア大陸のような場所であった。多民族が集まる町は、文化の衝突そのものを体現していた。

朱理はこの難所とされた町の統治を任され、宗教の自由と集会の自由を認め、各宗派を保護した。また各民族の代表を「長老」として登用し、意見を述べられる場を設けた。一方、他民族間の犯罪には厳罰を科した。例えば相人が相人の牛を盗めば鞭打ち百叩き、異民族に同じことをすれば二百叩きを課した。こうして、大きな民族間衝突はほとんど起こらなかった。

この経験は、後のシルクの統治に大きな影響を与えた。

「民族とは宗派や思想、価値観が異なるものだが、それが必ずしも争いの原因にはならない」

そう考えるようになったシルクは、相語・東語・元語を習得し、流暢に話せるようになった。

しかし、シルクにはもう一つの顔があった。精励勤勉さは父朱理に似ていたが、「人間の本質はそれだけでは測れぬ」とも悟っていた。彼は時に街の不良仲間とつるみ、喧嘩や盗み、博打といった悪行にも手を染めた。

「お前は海の子のようだ」

旧友はそう評した。シルクは何事にも好奇心旺盛で、人から勧められれば大抵は試してみる性分だった。

「どうだい? シルク、やってみないか?」

「お前さんが言うなら、やろう」

そう言って悪事にも加担したが、そこには抜け目がなかった。彼は必ず町の郊外や人目の少ない場所を選び、痕跡を残さぬよう立ち回った。この狡猾さは、後年、彼が乱世の荒波を乗り越えるための重要な素地となる。

1270年、晩年を迎えた朱理は「我の唯一の心残りは、我が子が幸せになることだ」と語り、そのまま息を引き取ったという。

その跡を継いだのが、息子シルクであった。

 

シルクは父の死後まもなく、九周郡守として街の管理を正式に任されることとなった。

若き日の彼は悪事に手を染めたこともあったが、統治の責を負って以降は一切それを断ち切り、むしろ逆に海賊や盗賊の討伐に乗り出した。

「悪を知る者こそ、悪を断つことができる」

そう語ったと伝えられる。

シルクは地の利を活かし、街道や港を巡視する兵を増やし、交易の安全を確保した。これにより町は急速に繁栄し、商人や旅人が集うようになった。

だが彼は単なる治安維持にとどまらず、捕らえた盗賊の中から有能な者を選び、自らの兵に組み込むこともあった。

「腕と胆力さえあれば、昨日の賊も今日の将となる」――その言葉通り、彼は人材登用に一切の偏見を持たなかった。

こうして、かつて「海のよう」と評された奔放さは、次第に民を守り治める大器へと昇華していったのである。

 

シルクは街の統治を任されると、真っ先に思い浮かべたのはかつての悪友たちだった。

彼らは盗みや博打に明け暮れ、時にはシルクと肩を並べて喧嘩に加わった者たちである。世間から見れば無頼漢にすぎぬが、シルクにとっては誰よりも裏表のない仲間であり、その胆力と腕っぷしを知り尽くしていた。

「お前たち、俺に仕えぬか?」

突如として放たれた言葉に、不良仲間たちは唖然とした。

「冗談だろう、シルク。俺たちは盗賊あがりだぞ」

「盗賊あがりだからこそ、道を守れる。盗みの道も知る者が、盗みを防ぐのだ」

シルクは笑みを浮かべながらそう言った。

やがて彼らはシルクの護衛として集められ、街の警護を担うことになった。

粗野ではあるが勇敢で、金や地位には惑わされぬ忠誠を誓う者ばかりであった。彼らは「黒衛兵」と呼ばれ、民衆からは当初こそ不信の目を向けられたが、盗賊討伐や街道の治安維持で目覚ましい働きを見せると、次第に恐れと尊敬の入り混じった存在として語られるようになった。

シルクはこうして、過去の悪行さえも糧とし、自らの統治を支える力へと変えていったのである。

 

シルクはただ悪党に厳しいだけではなかった。

罪を犯した者には容赦なく罰を下す一方で、やむなく盗みに手を染めた貧者や孤児には、必ず正しき道を示した。

ある夜、飢えた子どもが市場で干し肉を盗んだとして、役人に突き出された。

役人は「法に従えば鞭打ち百叩き」と言いかけたが、シルクは静かに手を上げ、声を抑えながら告げた。

「飢えた者を孤児であり、盗人と呼ぶことはできぬ。法とは民を守るためにあるもので、飢えに抗えぬ者を裁くものではない」

そう言うと、シルクは市場の倉より干し肉を取り出し、子どもに手渡した。

そしてそっと教えた。「これを口にするのはよい。しかし、明日からは私の役人の下で働き、己の手で糧を得るのだ」

子どもは涙を浮かべながら頷き、シルクの名を胸に刻んだ。

このような柔軟かつ公正な裁きは、街の民に深い信頼をもたらし、やがて彼の統治下では、法と慈悲が共に行き渡る秩序が築かれることとなった。

 

 

1275年、元帝ビライが即位すると、その政に不満を抱いた末弟コヤンが兵を挙げ、都は一時的に混乱と恐怖に包まれた。街路には緊迫した空気が漂い、門前には武装した民衆と兵士が立ち並んだ。

この時、シルクは平連やロワンと共に、反乱鎮圧のため出陣する。

コヤンの兵は果てしなく膨張し、四十万にも膨れ上がった。理由は単なる動員数の増加ではない。 反乱を支援する諸侯や地方勢力が次々に兵を寄せ、流民や傭兵までも徴集されたためである。この年、オロス地方で大規模な飢饉があり

 

 

この年、オロス地方で大規模な飢饉が発生しており、飢えに苦しむ民衆が食料を求めて武器を取り、コヤンの軍勢に加わった。流民や農民が戦列に組み込まれ、統率の乱れも顧みず前線へ押し出されていく。こうして兵の数は圧倒的に膨れ上がったものの、士気や戦術的統制には大きな不安定さが残る膨張となった。

ロワンとシルクは、圧倒的なコヤン軍の攻勢を前に、戦線を維持することが困難と判断した。やむなく昆陽城へ退却し、堅固な城壁の内に身を寄せる。城内では急ぎ防御陣を整え、火矢や石弾を用いた守りの準備が始まった。民兵や残兵とともに城門を固め、城内の水源や食料の確保を急ぐなど、長期戦に備える緊迫した状況が展開された。

 

コヤンの四十万の大軍は、昆陽城を取り囲むと猛攻を開始した。

城壁に火矢が降り注ぎ、投石機や大型の破城槌が容赦なく打ち込まれる。兵士たちは恐怖に耐えながらも必死に防戦し、城門の板を押さえ、矢を放ち返す。

城内ではロワンとシルクが冷静に指揮を執り、兵士の士気を鼓舞した。火計や偽装工作を駆使して敵を攪乱し、狭い城壁の上で戦うことで数の差を補おうとする。城外では流民や傭兵も巻き込んだ混戦が続き、四十万の大軍を相手にしても、城内の防衛は簡単には崩れなかった。

この猛攻の中、シルクは自ら城壁に立ち、矢を放つ敵を狙撃し、戦術的な指示を飛ばして混乱を最小限に抑える。戦場全体が火と煙に包まれ、昆陽城は絶え間ない圧力に耐える緊迫した様相を呈した。

だが、とうとう城内の矢も兵も尽きかけた。火矢は残り少なく、石弾を投げる者も疲労のあまり腕が震え、城壁の防衛線は次第に圧迫されていく。城門の扉は何度も打ち鳴らされ、敵の足音が低く響くたびに緊張が走った。

シルクは冷静に戦況を見極め、傍らのロワンに低く告げた。

「それがしが兵を率いて援軍を迎えに参ります。それまで、どうか城を堅く守り給え」

 

 

ロワンは一瞬、胸の奥に影を覚えた。

「援軍を呼ぶなどと口にしながら、実のところ逃げ去るのではないか……?」

疑念が脳裏をかすめる。しかしすぐに彼は打ち消した。――シルクは義を貫く男だ。この修羅場で己ひとり助からんとするような卑怯者では断じてない。

「……心得たり、信じ奉る」

ロワンは低く答え、深く息を吸い込むと、疲弊しきった兵士たちの前に歩み出た。

「皆の者、恐れることはない! 朱将軍(シルク)は必ず戻る。我らはこの城を守り抜くのだ!」

その一喝に、兵らの眼にわずかな光が戻った。

矢を構える者、石弾を投げる者、城壁を駆け巡り仲間を支える者――皆が声を合わせ応じ、必死に戦の構えを整える。

傷を負いながらも剣を振るう者、倒れ伏した友を抱き起こす者。

疲労は極みにあった。だが、その背筋は一本の矢のごとく真っ直ぐであった。

――誰ひとり、後ろへ退く者はない。

シルクは夜陰に紛れ、僅か十三騎を率いて城を抜け出した。

敵兵の包囲は厚く、闇の中で松明の灯が点々と揺れていたが、彼は地の利を知り尽くしていた。険しい谷間と林を縫い、血路を開きつつ進む十三騎は、やがて夜の闇に紛れて姿を消した。

残されたロワンと兵たちは、ひたすら持ち堪えた。

火矢は尽き、矢倉に立つ兵は血と汗に塗れながら石を投げ続ける。水は濁り、糧食は底をつき、飢えた者が草木の根を噛みしめる有様であった。

そして二週間――。

城壁は幾度も炎に包まれ、兵は半ばに減り、矢も石ももはや残らぬ。

ロワンは剣に身を預け、最後の決死を覚悟していた。

その時――遠く地平の彼方に、土煙が立ちのぼった。

鬨の声、太鼓の音。

「――援軍だ!」

待ち焦がれたその叫びは、疲弊しきった兵たちの胸を突き抜け、死地にあった心を再び奮い立たせたのであった。

 

シルクは十三騎と共に昆陽城を脱したのち、直ちに都へ向かわず、まずは商家を訪ねた。

戦の最中に軍資金を求めるなど、常ならぬこと。だが彼は真直ぐに頭を垂れ、こう言った。

「兵を集めねば城は持ちませぬ。命あっての商いも、またこの地あってこそのもの。

 どうか、我に金をお貸し下され。必ずや乱を鎮め、この地を安んじ、倍にしてお返しいたします」

 

「よろしいでしょう。朱将軍ならば、我らの金子を託すに足ります」

年老いた商家の主が静かに口を開いた。その声には恐れと覚悟とが入り混じっていた。

「ただし、この乱が長引けば、商いも町も立ち行かぬ。将軍、どうか必ず……この地をお守り下され」

シルクは深くうなずき、両手をついて礼を述べた。

「承知した。義を違えしこと、これまで一度もなし。今回もまた然りだ」

こうして得た軍資金で、彼は即座に兵を募った。

シルクの熱意に打たれ、多くの若者や旧知の仲間が次々に馳せ参じ、わずか二週間のうちに三千の兵を整えるに至った。

 

シルクは商家の支援で三千の兵を募り、ついに城へと舞い戻った。

対するコヤン軍は依然として四十万を誇ってはいたが、長きにわたる攻城戦に疲弊し、糧も尽きかけていた。兵の多くは寄せ集めであり、士気も低く、ただ数にものを言わせるばかりであった。

シルクはその虚を突かんと、あえて真正面から軍を進めた。

寡兵の身で攻勢に出るなど常道ではない。だが、敵はあまりの大胆さに驚愕し、「三千の軍が正面から突入するはずがない、必ず後ろに大軍が潜んでいる」と恐れたのである。

その動揺はたちまち全軍に広がり、統制は崩れ始めた。

シルクはこれを見逃さず、鬨の声を上げて一気に突撃。

鋭い矛先は大河を割る刃のごとく敵陣を切り裂き、わずか三千の軍が、十倍百倍の力を持つかのように猛威を振るった。

「後詰めあり! 大軍が迫るぞ!」

敵兵の間に偽りの叫びが飛び交い、四十万の大軍はついに総崩れとなって退いた。

こうして、シルクは寡兵をもって大軍を撃破し、昆陽城を救ったのである。

 

 

 

コヤンは敗走ののち、わずかな供を連れて荒野をさまよい歩いた。

都へ戻ることも叶わず、民の支持も失い、最後は深山の洞穴に身を潜めた。

だが飢えと疲労に耐えきれず、密告によって潜伏先を知られる。追手の兵が洞穴を取り囲むと、もはや抗う力もなく、コヤンは囚われの身となった。

鎖を掛けられ、都に連れ戻された彼は、兄ビライの前に引き据えられる。

往時の威勢も失せ、乱臣の末路はただ惨めであった。

「領地を没収し、幽閉せよ」

冷徹な裁断が下され、コヤンはすべてを失った。

幽閉の生活は長くはなかった。

日ごとに積もる屈辱と後悔が、彼の心を蝕んでいく。

二年ののち、なおも恨みと怒りを抱えたまま、ついに憤死したと伝わる。

こうして末弟コヤンは、反乱の野望を果たせぬまま、哀れな最期を遂げたのである。

この功績により、シルクはついに 相武左将軍・九周州太守 を拝命した。

乱を鎮めた功は都じゅうに鳴り響き、その名声は敵味方を問わず広く伝わった。

またこの頃、彼は山栄(さんえい)、具弦(ぐげん)という二人の傑士を配下に迎え入れる。

山栄は豪胆にして剛腕、千軍をも恐れぬ猛将。

具弦は沈着にして機知に富み、奇策をもって敵を翻弄する智将であった。

シルクは彼らの才を見抜き、厚く遇してその力を余すところなく発揮させた。

以後、シルクを中心とする勇壮の将たちは、戦場に紅旗を翻し、幾多の戦で無敵の進撃を遂げた。

やがて世の人々は彼らを「紅二十八将」と称え、その名は後世にまで語り継がれることとなった。

 

紅二十八将を詳しく調べると、その顔ぶれの大半は一騎当千の猛将であり、いずれも戦場で名を上げた勇士であった。

しかし、軍師のように策を弄し、戦略を練る者はほとんど存在しなかった。

無論、文官として政務や兵站に長けた能吏も数名は加わっていたが、彼らの役割はあくまで補佐にすぎず、戦の主導権を握ることはなかった。

すなわち紅二十八将とは、知略で動く集団というより、シルクの号令一下に集う精鋭武人の群であったのである。

ゆえにこの集団の真価は、将たちが個別に才を競うことではなく、シルクというただ一人の統率者に全てを委ね、一糸乱れぬ働きを見せるところにあった。

策をめぐらすのはシルク、これに従い血路を開くのは将たち。

この明確な役割分担こそが、寡兵であっても大軍を打ち破る原動力となったのであった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。