帝国志   作:kita1751

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■終章■シーア大陸統一

シルクは、史上初となるシーア大陸統一という偉業を成し遂げた。

戦乱を制した後、彼は神我地方の大港湾都市「港都」を新たな首都と定めた。港都は交易と文化の中心であり、統一帝国の象徴としてふさわしい地であった。

さらにシルクは諸王・諸侯の処遇を決定した。

敗れた最帝の遺児ユジラを「西最王」とし、ホールの遺児エルスを「西発王」、ビライの遺児を「西元王」とした。これは滅びた王統を完全に断たず、形式上の地位を与えることで反乱の芽を和らげるためであった。

一方、戦功を挙げた功臣にも厚く報いた。ハット一族からはホウリを「湾王」とし、ゲッショウを「号王」、セッタを「砂王」とした。これにより旧来の勢力と新たな功臣との間で均衡を保ち、大陸支配の基盤を固めたのである。

そしてシルクは、統一の正統性を示す象徴を手中に収めた。

帝王たちの遺児から献上された三つの玉璽――「アデムの玉璽」「シルルクの玉璽」「ソカメンの玉璽」である。これらはいずれも大陸の王権を示す至宝であり、三つが一人の手に揃うのは史上初のことであった。

 

 

 

1300年、シルクはついに自らの支配領域の中心たる聖地へ赴いた。

聖堂の鐘が鳴り響くなか、「聖地保護の儀」は厳かに執り行われた。各地より参集した僧侶、諸侯、軍将は列をなし、膝を折ってその時を見守った。

儀式の中でシルクは「聖地保護の任」を正式に拝命し、さらに神会より「聖四位」という最高栄誉の位階を授かった。

これは、彼が単なる覇者ではなく、神々の加護を受けた正統なる守護者であることを示すものであった。

儀式の終わり、諸侯はこぞって推戴の礼を行い、シルクに「帝位」を奉じた。ここに、大陸史上初めて「大越帝国」が名実ともに誕生したのである。

即位したシルク帝は、ためらうことなく諸国へ使者を派遣した。

「越の天命、大陸を一にす」と。

その威令に逆らう者はほとんどいなかった。大越の圧倒的な軍事力と豊かな経済力は、既に各地に轟いていたからである。西方の砂漠国家から東海の海商都市に至るまで、諸国は次々と使者を迎え、忠誠を誓った。

こうしてシーア大陸は初めて一つの帝国のもとに収まり、史上唯一の大陸統一が現実となった。

1301年、中央神会はシルク帝に「大帝」の尊号を授与した。

翌1302年には「太皇」、さらに1303年には歴史上空前の称号「帝皇」を与えられる。これは神聖と世俗の両面において、彼が他の支配者を遥かに凌駕する存在であることを意味していた。

治世においてもシルク帝は英断を重ねた。

彼は大陸を横断する東西交易路を整備し、陸路に加えて海路の安全を確保した。とりわけ海上貿易を重視し、造船技術を刷新し、港湾施設を拡充した結果、莫大な富が帝国にもたらされた。やがてこの新たな交易網は後世「シルクロード」と呼ばれ、四百年にわたって大陸経済の中枢を担うこととなる。

また、内政においては人頭税を大幅に軽減して民の負担を和らげ、開墾政策を推し進めて農地を拡大した。これにより人口は増大し、農業生産力は飛躍的に向上、各地で手工業や新たな産業が芽吹いた。飢饉や災害があれば直ちに救援を行い、民の声に耳を傾けたため、帝国内では内乱も反乱もほとんど起こらず、長き平和が実現された。

さらに文化面においても革新をもたらした。

帝国全土に共通する言語と文字を定めるべく、各地の学者を都へ召集し、改良を加えさせたのである。もとより元朝の主要言語であった「元語」を基礎に、発音・文法・文字体系を整理し、誰もが理解しやすい言葉へと練り上げた。

この新たな言語は「英雄の言葉」と呼ばれ、やがて後世に「英語」という名で大陸全土へ広まっていった。

1315年、シルク帝は病に倒れ、ついに床に臥すこととなった。

最期の刻、彼は後を継ぐ息子エルクの手を取り、静かに言葉を残した。

「エルクよ、我が後を継ぎ、大業を守れ。

弟・路にはルドを、炎にはメルクを分け与えよ。

兄弟力を合わせ、国を乱すことなかれ――」

こうしてシルク帝は大陸の行く末を託し、長き治世に幕を下ろした。

 

 

「交易をさらに広げよ。大越は海をもって世界を抱くべし」

それが帝の遺言となった。やがてシルク帝は静かに息を引き取り、波乱と栄光に満ちた六十余年の生涯を閉じた。

エルク王は父帝の偉業を称え、聖地近くに巨大な陵墓を築いた。陵墓は「大帝廟」と呼ばれ、帝国の象徴として長く人々の信仰を集めることとなる。また、各地には「シルク廟」と呼ばれる祠が建立され、民はそこに香を手向け、彼を神のごとく崇めた。

 

シルクの後を継いだエルクは、父の遺臣である那蘇や右影の意見をよく聞き入れ、国の制度を次第に整えていった。

税制は帝国時代よりも軽減され、民の生活は安定した。その一方で「五人組」を設け、互いに監督させて税の徴収を管理させた。

また、官制を整備し、諸侯王や親類王の領地には必ず朝廷から官吏を派遣することを義務とした。

しかしながら、恩賞に不満を抱く勢力もあり、欧州ではフーリスの乱、カイラルの乱、中州では与周の乱といった反乱が相次いだ。とはいえ、いずれも鎮圧され、越の支配体制は揺るがなかった。

この経験から、エルクはさらに直轄領を細かく分け、息子のカンに「兆」を、オルドに「周」を与えて親類王とした。

また諸侯王として「東発」「南発」「快」を新設し、既存の諸侯王の勢力を牽制するため、あえて仲の悪い親族を王に封じる策を用いた。

さらに兵制改革を行い、徴兵権を朝廷のみに限定することで中央集権化を一層進めた。

かくして、エルクの治世において越の国家体制は完成を見たとされる。その体制は以後四百年にわたり維持され、安定と繁栄を誇った。

諸侯王や親類王の家は、不手際や子孫断絶、あるいはお家騒動や謀反によって取り潰されることもあったが、越本国そのものは極めて平和であった。

大陸における越の影響力は大いに広がり、それとともにシルク帝の名声もますます高まっていった。

 

 

 

 

後世の史家はシルク帝をこう評する。

「シルクはアデム民族とシルルク民族の融和に尽力し、卓越した経済感覚と先見性をもって交易を発展させ、大陸全土の文化と産業を高めた。その功により越四百年の礎を築き、さらに軍事においては異民族の知を取り入れ、精強なる軍を育て上げ、幾多の敵を退けて建国を成した。そのカリスマと才略は、古今を通じて大偉人の域に達していた。」

こうしてシルク帝は、ただ一人の覇者としてだけでなく、大陸を導いた「大帝」として永遠に記憶されることとなった。

 

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