ソカメン亡き後、中路地域は異様な混乱に陥った。まず、旧相国皇族が新たな「南相」を立ち上げた。それと同時に、アデム民族復興を掲げ、「銀」「故」「発」などの国が独立を宣言した。一方で、蛮夷からも「前弯」「前沙」「九」などが独立し、群雄が割拠した。
その中で最も大きな勢力を誇ったのは、西域の「銀」であった。
ソカメン亡き後、中路地域は異様な混乱に陥った。まず、旧相国皇族が新たな「南相」を立ち上げた。それと同時に、アデム民族復興を掲げ、「銀」「故」「発」などの国が独立を宣言した。一方で、蛮夷の地でも「前弯」「前沙」「九」などが独立し、群雄が割拠した。
その中で最も大きな勢力を誇ったのは、西域に拠点を置く「銀」であった。ここを率いた曹操は、もともと南相や周の将軍であり、祖先は功臣として名を馳せた名家の血を引いていた。
西域出身でアデム民族の曹操が力を付けると、盟主となり、西域軍閥をまとめあげた。曹操は当初、南相王に従い「真」を滅ぼして聖地奪還に力を貸したが、その後は独自行動を取り、東征を開始。「故」の都である平陽を占領した。
しかし曹操は故都で略奪を行い、民衆を苦しめた。その後、南相王の派遣した孫権将軍に敗北する。孫権は最初こそ南相に帰順したが、やがてその力不足を見限り、独断で海賊たちを率いて「前沙」を攻め滅ぼし、「号」を興した。激怒した南相は兵を派遣するも、得意の海戦で撃退される。さらに孫権は「前弯」に侵攻した。
これに対し、曹操は軍を派遣し、孫権軍と「前弯」で激突した。しかしこの決戦に勝利したのは孫権で、そのまま「号」は勢力を拡大した。この時、「前弯」の民は驚くことに孫権に味方した。もともと「前弯」は倭寇と呼ばれる日の国の海賊たちが興した国であり、現地の民にとって倭寇は征服者であり憎悪の対象であった。だが征服後、号の海賊たちが海上交易を維持し、多くの貿易が繁栄をもたらした。また、陸上では「右氏」という部族が強い影響力を持ち、「号」に協力した。そのため「号」の勢力は急速に拡大したのである。
一方、「号」に敗北した曹操は南相に対して、勢力奪還を謀ろうと、禅譲を迫ったが、拒否された。そこで再び軍を派遣する。南相は幼少の皇帝と「号」による敗戦で意気消沈し、対応できなかった。
そして1231年、南相は滅亡した。初代皇・趙国が建てた大皇国は、ついに歴史の幕を閉じたのである。
1231年に聖地はついに曹操の手に落ちた。しかし、彼の支配下に置かれたこの聖地は、以前のような宗教的荘厳さを失い、静かで冷徹な軍政の支配下にあった。曹操は合理主義者であり、寺院の建設や修復、巡礼者の歓待といった宗教施設の運営には全く関心を示さなかった。彼にとって、神や聖位、守護の権威などは現実の政治や軍事戦略に何の役にも立たぬものにすぎず、民の信仰心や祭祀の儀式も、国家統治の道具としてのみ価値があると見なしていた。
その統治は徹底して効率を重んじ、秩序と収益を最優先するものであった。聖地の住民は曹操の合理的な施政に従わざるを得ず、祭礼の華やかさや宗教的慣習は次第に影を潜めていった。寺院の屋根は朽ち、鐘楼は鳴ることもなく、僧侶たちは僅かな信者に囲まれ、生活の糧を確保することに追われる日々を送った。
曹操にとって重要なのは、聖地が戦略上の拠点であり、物資と情報の流通路を押さえること、そして民衆からの徴税や労役を確実にすることであった。宗教的権威や聖位の象徴に価値を見出さぬ曹操は、民の信仰心を利用することはあっても、神聖さそのものを尊ぶことはなかった。聖地はかつての聖なる場所でありながら、曹操の下では冷徹な行政都市へと変貌していったのである。
――
「銀」の首都は「白都」と呼ばれる。人口は30万人を超える世界有数の大都市であり、商業区や工業区がそれぞれ栄えていた。豊富な食料や工芸品、色鮮やかに着飾った人々など、白都には様々なものが溢れかえっていた。
その中心にそびえる王宮は白く美しい宮殿で、「白亜宮」と呼ばれる。ここが曹操の居所である。
この曹操に仕える亜琉という男がいた。亜琉は5歳で詩文を作り、7歳で本を読みこなすようになった天才児である。10歳になると官吏登用試験を受験し、見事合格。その結果、最年少の11歳で状元(首席)に輝いた。これは前代未聞の快挙であった。
その知らせを受けた曹操は大いに喜び、
「その若さで科挙に合格するとは聞いたことがない!実に喜ばしいことだ!」
と賞賛を惜しまなかった。
亜琉はその才能に驕ることなく、努力を続けた。官吏としての仕事も完璧にこなし、非の打ち所がない青年であった。だが、完璧すぎるがゆえに嫉妬も多かった。特に大臣の趙掛は露骨な態度を示し、
「亜琉殿は優秀でございますな。だが、未熟者ゆえ至らぬところがある」
と嫌味を言う始末であった。これには亜琉も困惑した。
やがて曹操は、ある町の治水工事を趙掛に任せ、亜琉をその補佐とした。治水工事は難航を極めたが、亜琉が助言を行うと、驚くほど順調に進んだ。これを見た趙掛は愕然とする。
「このままでは、私の立場が危うい……何か手を打たねば」
趙掛は曹操にこう進言した。
「亜琉は治水工事で功績を上げました。ぜひ、北方への対処をお任せください」
「しかし、亜琉は優秀だ。それに私は彼を信頼している」
「逆でございます。亜琉は官吏の中で最も若い。『銀』国の長い繁栄のためにも、あの若者に北方の狩猟民族の監視を任せるべきかと」
曹操はこれを聞き入れ、亜琉の派遣を決めた。
この報せに亜琉は驚愕した。
「なぜ私が?私はまだ都で働くことを夢見ておりました。どうか、都に残らせてください」
しかし、その願いは却下された。
ここで、都の背景について述べておく。
そもそも『銀』という国は、かつて『相国』の皇族が西方で興したものであった。英雄ソカメンの死を機に中路へ進出したが、当時の中路には既に多くのシルルク教徒が暮らしており、激しい反発を招いた。やむなく彼らを保護しつつ、東へ、さらに東へと進み、ついにはシーア大陸中部を制圧する大帝国を築き上げたのである。
そして白都の中心に、巨大なシルルク教の寺院を建立した。これが後に改修され、現在の白亜宮となった。
さて、亜琉には病弱な母があった。この母を支えるためにも、彼は都に留まりたかった。だが、その願いは叶わなかった。
曹操は本来、二、三年後には亜琉を都へ呼び戻すつもりであった。その頃には彼の才能は広く認められ、北方の狩猟民族の監視という要職を果たした功績によって、さらに重用されると踏んでいたからである。
しかし趙掛は、この意図を亜琉に一切伝えず、あたかも左遷であるかのように吹き込み、「若き才人を辺境へ追いやるとは、曹操殿も冷酷なお方だ」と周囲へ触れ回った。表向きは亜琉を案じるふりをしつつ、その実、曹操への不信を煽ったのである。
こうして亜琉は北方へ赴任した。そこでは馬の世話、盗賊討伐、商人の出入りの取締りなど、都で何百銀もの予算を動かして公共事業を監督していた日々とは比べるべくもない、単調で退屈な仕事が待っていた。だが亜琉は腐らず、与えられた任務を黙々とこなした。
趙掛はさらに追い打ちをかけ、ことあるごとに曹操の非道を吹き込み、やがて亜琉は趙掛を実の父のように慕うようになった。
亜琉の母・亜夫人は若くして夫を亡くした。貴族の婦人が働くなど前代未聞のことだったが、彼女は幼い我が子を育てるため、下女のような仕事に身をやつした。
亜琉はその母に報いるため、必死に学び、官吏となって母を安らかに暮らさせようと励んだ。
その情熱の源を知った趙掛は、ついに最後の一手を打つ。彼は亜夫人を密かに殺害し、亜琉へこう書き送った。
「亜夫人は、その美貌ゆえ曹操様に見初められ、後宮に入れるよう命じられた。だが、亡き夫への想いを理由にこれを固く辞したため、怒った曹操様の手により殺された。」
この手紙を読んだ亜琉は、怒りに我を忘れた。
「母は、そんなことで命を奪われたというのか……!」
もはや『銀』への忠義も故郷への想いも、彼の胸には残っていなかった。
そして、その日のうちに官庁を去ったのである。
■■
そのころ、北方で一人の英雄が頭角を現そうとしていた。
騎馬民族の暮らす大地は過酷で、資源は乏しい。夏は干ばつ、冬は豪雪――彼らは常に厳しい自然と対峙し、生き延びてきた。そこは食うか食われるかの弱肉強食の世界であり、俊敏な動きと高い戦闘能力を身につけるのも当然であった。
人口は農耕民族の十分の一にも満たず、ゆえに彼らは時折、圧倒的な武勇とカリスマを備えた者のもとに集い、英雄を中心に一つの勢力を築く。
その名をヌルハチという。彼は高い騎乗術と弓の腕を誇り、幾度も危機を武力で切り抜け、ついには王者として北方に君臨した。
元は痩せた商人にすぎず、北方で採れる薬草を中央に住む相人へ卸して暮らしていた。だが、相の商人たちは真族を奴隷のように扱い、その横暴にヌルハチは深い不満を抱いていた。
当時、相は周辺国に対し、武力を背景とした威圧外交を推し進めていた。しかし、北方の遊牧民族の長たちはそれに屈しなかった。相の軍人は真族同士を争わせる策を弄し、やがて戦火が広がった。その戦に巻き込まれ、ヌルハチは父と友を失う。
わずかな報奨と官位で遺族の口を塞ごうとする相――その仕打ちに、彼の憎しみは決定的なものとなった。
ついにヌルハチは立ち上がる。相人を討ち、その一族とわずかな民を率いて独立国家「最」を建国した。「最」は彼の天才的な軍略と人を惹きつける力によって瞬く間に勢力を拡大していった。
――そんな「最」に投降してきたのが、亜琉である。
彼はわずかな路銀と馬を献上し、最軍の前に姿を現した。
「自分は銀の中央官吏でした。銀の国の情報を、最王に献上したい」
堂々と言い放った亜琉を尋問したのは、最の将軍フォオンであった。フォオンはヌルハチの従兄弟で、前線で戦う歴戦の武人にして優秀な将軍であり、相語も解した。
最の兵たちは当然、亜琉を間者と疑い、その場で斬ろうとした。
しかし亜琉は、落ち着いた声でこう言った。
「私を殺せば、必ず後悔しますよ……フォオン殿」
「なぜ、わしの名を知っておる?」
亜琉はフォオンだけでなく、副将たちの名まで言い当てた。
「私は部下を使い、真軍のことを探っておりました。もちろん、貴殿らのことも」
さらに亜琉は、北方の狩猟民族が持つ優れた技術、周辺諸国の情勢、風土、勢力図まで語り、フォオンを感心させた。
「最王に伺おう」――こうして亜琉は一応、捕虜として拘束された。とはいえ比較的自由が許され、労務や簡単な書類作成、代文の筆写などを任されることとなった。
その間、亜琉は真族の言葉を覚え、一月後には通訳を務められるほどになった。
なお、言語について補足しておくと、かつて等時代に等語が広く統一され、北方にも伝わった。相の時代になると、北方民族の言葉と混じり合い、相語が生まれ、公用語となった。相の力が衰えても相語は北方でも通じ、「最」では古来の真語と相語の双方が公用語とされている。ゆえに真族も、多少の訛りこそあれ、相人と意思疎通が可能であった。
亜琉は一ヶ月後、最王のもとに召された。
ヌルハチは銀の国について尋ね、亜琉の境遇に同情した。
「ぜひ、我が国王のお役に立たせていただきたい」
「だが、お前をまだ間者と疑う者もいる。しばらくは我が国の使者として働いてくれ。そうすれば周囲も信じるだろう」
こうして亜琉はヌルハチの下で働くことになった。主な仕事は書庫の管理、代筆、通訳であった。やがてヌルハチは何度か亜琉の意見を求めるようになった。
「最と銀は戦うべきではございません。銀は農業生産力が高く、人口も多い。いくら最軍が局地的勝利を重ねても、国力の差は埋まりませぬ。それより、北方の脅威を取り除くべきです」
当時、最国には「マタ族」「シシラ族」など、ヌルハチに反発する部族が存在した。特にマタ族は凶暴で、幾度もヌルハチに刃を向けていた。
「だが奴らは遠縁ながら親族であり、私の妻の親族でもある。できれば殺したくはない」
ヌルハチは勇敢な戦士である一方、身内には甘いところがあった。幼少期に家族が離れ離れになった経験から、家族への情が人一倍強い。かつて弟が謀反を起こした際にも、討伐を一度はためらい、一族の説得でようやく決断した。その後、弟の親族は無罪放免としている。この寛容さはヌルハチの美徳であり、同時に弱点でもあった。
「マタ族を討てばシシラ族は降伏します。シシラ族を救うためにも、マタ族を討つべきです」
亜琉の進言に、ヌルハチはついに決断した。最軍はマタ族の集落に攻め込み、亜琉はさらに女子供を人質に取る策を提案した。騎馬民族にとって女子供は戦利品であり、奪われれば奴隷や妻とされるのが常だった。しかし亜琉はあえて彼らを丁重に扱い、マタ族の内部離間を狙った。最初こそヌルハチは戸惑ったが、助言に従い人質策を実行。その結果、マタ族は分裂し、ついに滅びた。シシラ族もこれに従い降伏した。
こうしてヌルハチは、亜琉の策どおり北方の脅威を排除することに成功した。
■■
ヌルハチは亜琉の功績を大いに称え、「相国」の地位を授けた。相国は現代でいえば総理大臣に相当する。
地位に就いた亜琉は、まず亜族の文化導入を推進した。書物や農業技術、医療を取り入れ、国民の生活水準を向上させた。またヌルハチの政策を円滑に進めるため、行政文書の翻訳や代筆も担った。
そして、増加する人口に対応すべく亜琉は献策した。
「狩猟民族に農業は向きませぬ。降伏した中族や移民を積極的に受け入れるべきでございます」
「しかし、間者が紛れ込むのではないか?」
「大きな度量をお持ちください。間者の害よりも、得られる利益の方がはるかに大きいのです」
亜琉は農業政策の重要性を説き、北方の地においては米や粟といった収量の少ない作物を避け、麦や芋への転換を進めた。さらに根菜類の栽培を奨励し、塩漬けや干し肉といった保存食の技術を広め、食糧供給の安定化を図った。
これらの施策により、北方における食糧不足は著しく改善され、民衆の生活も次第に安定を取り戻していったのである。
1236年、最軍は銀の国へ侵攻した。狙うは小都市サラス、戦略上欠かせぬ要衝である。最軍の精鋭は、ここを制圧するべく派遣された。
曹操はこれを知るや、ただちに応戦を命じ、銀軍も急ぎ進軍した。銀軍の兵力は約6万5000に達し、対する最軍はわずか2万。しかし最軍には機動力という圧倒的な利点があった。銀軍は歩兵主体の編成で、騎兵は少数にすぎない。対して最軍は騎兵を豊富に揃え、戦場を自在に駆け巡ることができた。
最軍は銀軍を待ち伏せるため、街道を外れた山中に身を潜めた。銀軍はその存在に気付かず、無警戒のまま接近する。距離が詰まった瞬間、最軍は一斉に奇襲を仕掛けた。銀軍は瞬く間に混乱し、真軍は容赦なく攻撃を加えて、敵を敗走させたのである。
サラスの奪取は単なる都市の占領にとどまらなかった。ここは東西の国々を結ぶ交通の要衝であり、抑えれば交易が活発化する。また、亜琉の望んだ米の栽培も可能な土地であり、戦略的価値は極めて高かった。
ヌルハチはこの勝利をきっかけに勢いづき、周辺の豪族を次々と降した。だが、ヌルハチには大陸南部への興味は失われつつあった。理由は、復讐相手である「相」が滅んだこと、そして「銀都はこれ以上の高さを誇ります」と銀人の捕虜から聞かされ、その城壁の高さに度肝を抜かれたからである。
ヌルハチは独立し、銀のサラスを占領した時点で、その体制を守勢に転じようと考えていた。つまり、平和で安定した国家を目指すことにしたのだ。意外にも、狩猟民族の方が平和的な思想を持つことが多い。遊牧民族は、自らの糧と安全のために戦っているのであって、それ以上は望まないからである。中路の豊富な食料資源により国を発展させることができたため、これ以上強大な軍事国家を築く必要を感じなかった。
だが、亜琉は復讐のために最に亡命しており、亜琉は粘り強くヌルハチに進言した。
「農耕民族は自ら文化を育み、発展させます。そして独特の自国中心主義を持つようになります。そのため、多文化に関しては排他性を持つことになるのです。銀国は虎視眈々と機会をうかがっています。
我々は今こそ銀国を叩き潰し、聖地を最人の物にするべきです。。その功績はすべて陛下のものとなり、歴史に残るでしょう。そして陛下こそが真の君主であり、聖者にふさわしいことが明らかになるでしょう」
しかし、ヌルハチは動かなかった。
そうして半年が過ぎていった。
もう一つ、ヌルハチを聖地へ招こうとしていた組織がある。「中央神会」である。
■
曹操が聖地を治めたが、中央教会には関心を示さず、献金も減少した。これを受け、第百四十代聖皇はただちに北方の諸部族へ勅を下した。
「汝らをシルルクの後継者、正しき王と認める。その代わり、聖地を護れ」
さらに多くのシルルク僧を草原へ送り、教えを広めさせた。
僧たちは説く――
「シルルクは善神、アデムとバキャクは悪神なり。シルルクの民は救われるべし」
この言葉、草原の民、とくに中流以上の遊牧貴族に大いに受け入れられた。
もとより彼らは身分が固まり、戦の功でしか上に出られぬ。
それゆえ「祖先が聖戦を戦い、偉大な頭目と英雄を生んだ」という教えは、権威を高め、誇りを満たすものであった。
こうして宗教は民族の心をまとめ、国への忠義を強めていく。
ヌルハチも初めはこの教えを許し、布教を認めた。
やがて信徒は急増し、ヌルハチは密かに恐れを抱く。
しかし同時に、その勢いが軍の力となると見て、黙してこれを容れた。
――やがて、最軍は東方の要衝「東安」を落とす。
城内はすでに僧らが逃げ去り、無法の巷と化していた。
その折、一人のシルルク僧が捕らえられ、新京へと送られる。
名は高炎。
高炎、謁見の間にてひざまずく。
「拙僧はシルルクの者にて候。どうか、殿のお力添えをさせていただきたく」
ヌルハチ、眉を寄せて問う。
「ほう……見返りは?」
高炎、静かに答える。
「陛下をシルルクの正しき後継者と仰ぎましょう。また、我が信徒すべてを殿の国の民といたしましょう」
――大陸を一つにまとめる。それは夢物語と笑われるほどの大業。
広大な地、異なる民族と文化、信仰、価値観――
これらすべてを束ねた者など、歴史にもほんのわずか。
その頃、ヌルハチはすでに五十の齢。
草原の民は医や養生に疎く、彼もまた己が身に衰えを感じていた。
ヌルハチは亜琉を呼びつける。
亜琉、医に通じ、小さな病なら癒せる腕を持つ。
診るや、首を振った。
もはや壮健とは申せぬ身であった。
――そしてひと月後。
ヌルハチは静かに息を引き取る。
跡を継いだのは、嫡子・タイジ。
新たな時代が、ここから始まる――。