原作の裏側ではこんなこと考えてたのかな、みたいな独自解釈が入ってます。
実際お弁当作れる子は本当に尊敬します。
タッタッタッタッタ
まだまだ夏は続いているものの多少は暑さが和らいでいる平日の夕方。
西に傾きかけた陽光が長く影を伸ばすなか、並んで走る僕と陽子ちゃんの足音が、住宅街のアスファルトに軽やかに響いていた。
陽子ちゃんはスポーツブランドのTシャツにショートパンツ、髪は後ろでざっくり纏めている。いつも通りラフな格好で、僕と息を合わせるように、軽やかなペースで走りながらも、口元には楽しげな笑みを浮かべ、時折弾んだ声で話しかけてくる。
「……っでさぁ、明後日シノの家で勉強会やるんだよね」ハッハッ
「いいねぇ、是非とも綾ちゃんを頼ってあげてね」フッフッ
「もちろーん!……というより、情けないけど綾の助けがないとマジで赤点コースなんだよね~」ハッハッ
照れ笑いを浮かべつつも、陽子ちゃんはペースを落とさず走り続ける。
忍ちゃんと陽子ちゃんは、高校受験のときも綾ちゃんを頼りにしていたらしい。綾ちゃんは、2人の親友と一緒にいたい一心で進学先を今の高校に決めたほどだし、そうやって自然に頼られることは、あの子の性格からして嬉しいことだろう。
──綾ちゃん良い友達を見つけたなぁ。
どこか誇らしい気持ちを胸に、汗をぬぐいながら走っていると、陽子ちゃんが一瞬、前を見つめていた視線を僕に向け、何かを思い出したように眉を上げた。
「そういえばさ、英司兄ぃが来てくれたりは?」
「妹とその友達の勉強会に参加するのは、ちょっと場違いかな…」
「えー、いいじゃーん。私もシノもアリスもカレンも知ってるし、勇姉ぇとも同じクラスだったんでしょ?」
陽子ちゃんは、普段は弟と妹の面倒を見るしっかり者の長女。人に甘えるより、天然に周りを気にして引っ張っていくタイプ。
でもこうして僕といる時は、時々ふと妹っぽい表情を見せることがある。まるで小型犬が飼い主にだけ無防備になるみたいだ。
陽子ちゃんにとって、僕は“親友の兄”という以上に、あまり気を遣わなくていい“ちょっと年上の近所のお兄さん”くらいの距離感なのかもしれない。
「いや、まぁ……知り合いなのは確かだけど、流石に男ひとりってのは、向こうも気にするんじゃない?」
「……ちぇー。英司兄ぃがいたら、綾以外にも質問できる相手いたのにな~。綾もだけどさ、英司兄ぃ話聞くの上手いし、説明もわかりやすいし」
そう言って、陽子ちゃんはわざとらしくため息をついたあと、ニカっと笑ってみせた。
まったく悪気のない、ただの冗談混じりの甘えだった。子どもっぽく見えるその仕草に、思わず苦笑いがこぼれる。
「また今度ね」
陽子ちゃんはぶーぶーと唇を尖らせながらも、それ以上は何も言わなかった。
西の空は少しずつオレンジ色に染まり、蝉の鳴き声もどこか名残惜しげに聞こえている。そんな夕暮れの中、僕たちは並んで、息を切らしながらも同じリズムで走り続けた。
*
:
*
目標距離を走りきって陽子ちゃんと別れたあと、夕焼けの中をゆっくり歩いて帰ってきた。
シャワーを浴びて汗を流し、Tシャツに着替えてリビングに戻ると、綾ちゃんがソファに腰かけていた。
膝の上には、一冊の雑誌が開かれている。
「あれ、料理雑誌なんて珍しいね」
声をかけると、綾ちゃんはページをめくる手を止めて顔を上げた。
「あ、兄さん……。うん、今度、お弁当を作ってみようと思って」
その言葉を聞いた瞬間、僕の脳内で何かが爆ぜた。
お弁当を作る
⇓
どこかに出かける
⇓
誰かと食べる
⇓
デート!?
⇓
男!?!?!?!?
頭の中を「危険信号」が駆け巡る。
呼吸が一瞬止まり、指先がわずかに震えるのが自分でもわかった。
それでも、なんとか声を絞り出す。
「そ、それって……デート……!?」
綾ちゃんは目を丸くしたあと、間髪入れずに言い返してくる。
「違うわよ!」
バシッと一撃を食らったような衝撃に、胸の奥から安堵が湧き上がる。
「よ、良かった……」
危うく脳が破壊されるところだった。
綾ちゃんはソファの背にもたれて、呆れ顔で腕を組んだ。
「まったく……。将来私が結婚する時とか、大丈夫なのかしら、兄さん……」
けっこん…………?
綾ちゃんが白いウェディングドレスを着て、知らない男と手を取り合っている光景が、なぜかスローモーションのように脳裏に浮かぶ。知らない筈の男の顔にだけモザイクがかかっている。その“見えなさ”が逆にリアルで、胸がざわついた。
指輪を交換し、神父の前で誓いを交わすふたり。
その後ろで、僕はきっとひとり静かに涙を───
「ま゛だ゛行゛か゛な゛い゛で゛ぇ゛~~~!!」
「なに急に!?!?」
突如として泣き叫びながら綾ちゃんに抱きつこうとした僕を、綾ちゃんはしっかりと両手で制止した。
「はぁ…兄さん、ちょっと想像力豊かすぎるのよ」
呆れたような声だったけれど、どこか慣れているような諦めも混じっている。
僕は肩で息をしながら、ようやく現実に帰ってきて、ソファの端に腰を下ろした。
「……で、なんで料理雑誌見てたの?」
さっきの騒ぎを引きずらないよう、努めて冷静な声で尋ねる。
綾ちゃんは小さく息をついてから、雑誌のページをもう一度開いて視線を落とした。
「今度、シノの家で勉強会するのよ。その時に持っていこうかなって」
なんと、それはついさっき陽子ちゃんから聞いたばかりの話題だった。
「あ〜、明後日のやつかな?さっきランニング中に聞いたよ」
「今日は陽子と一緒だったのね。……それでね、私、今までちゃんと料理したことがないから、色々調べてみようと思って」
そう言いながら、綾ちゃんは手元の雑誌をぱらぱらとめくった。
それぞれのページには彩りのいいお弁当や作り置きレシピが載っていて、彼女の視線はその一つひとつを真剣に追っている。
「なるほどね、偉いぞ~」
僕は笑いながら、素直にその努力を褒めた。相変わらず努力家な綾ちゃんを褒めるべく、そっと頭に手を置いて軽く撫でる。
いつもなら「やめてよ」なんて言いそうなものだけど、今回はなぜか特に抵抗せず、綾ちゃんは素直に俯いたままされるがままになっている。
照れたように目をそらす綾ちゃんの横顔が、なんだかほんの少しだけ子どもっぽく見えた。
「………それでなんだけど、良かったら兄さん、料理教えてくれない?」
「…ん?もちろん大歓迎だけど…母さんじゃなくて大丈夫?多分僕より色んな事教えてくれると思うけど…」
僕も普段から料理したりお弁当を作ったりしているからそこそこ自信はあるが、その僕に料理を教えてくれたのは母さんである。
前世では結局ほとんど自炊なんてして無かったから、小学生時代に教えてもらったのだ。
「明後日はお母さん、朝から県外にバーゲンに行くのよ。多分、夕方まで帰ってこないと思う」
──ああ、そういえば数日前、母さんが妙に張り切った様子で言ってたっけか。
「年に一度のスーパーセールなのよ!あのショップも、このショップも半額!」なんて、ちょっとした遠征でもするかのような気合いの入りようだった。
夫婦で朝イチで電車に乗って、爆買いする気満々だったから、たしかに一日中帰ってこないだろう。もちろん父さんは荷物持ちである。
「そゆことね」
納得しながらうなずくと、綾ちゃんは小さく笑った。
*****
どうして私がこんなに早起きして、朝からキッチンに立っているか、その理由は2つある。
1つは、今日がシノの家に行く初めての日だから。
いつも学校か外で遊んでたし、お家にお邪魔するのはちょっとした特別感がある。それなら少しくらい、ちゃんと気合いを入れておきたいって思った。何と言っても勇さんがいるし、初めての訪問で手ぶらっていうのも、なんだか落ち着かないし。
もう1つは──
「火、弱めにするよー」
兄さんの声が後ろから飛んできて、思考がふっとかき消えた。
振り返ると、フライパンの横で小皿を手にした兄さんが、いつもの穏やかな顔で立っていた。
……なんとなくタイミング悪い、なんて考えたが、流石にこれで兄さんに八つ当たりするのは違うと思って、代わりに小さく「うん、ありがと」とだけ返した。
そんなこんなで、なんとか形になったお弁当。
パチン、とお弁当のフタを閉じる音が、朝の静けさをほんの少しだけ揺らした。
湯気が少し残るキッチンカウンターには、色とりどりのおかずが詰まったお弁当箱が2つ。卵焼き,ミートボール,ほうれん草の胡麻和え,そしてウインナーやミニトマト。
──見た目も崩れて無いし、味見も、多分問題無い……はず。
「……ふぅ」
私はそっとため息をついて、指先で前髪を耳にかけた。
朝からずっと、心臓が早足で動いている。
昨晩から何度もレシピを読み返して、頭の中で調理工程をシミュレーションした。でも実際に作るとなると、手際の悪さもあってうまくいかないことも多くて──結局、兄さんに何度も助けてもらった。
「火加減は最初だけ強めでいいよ」とか、「焦げ目は香ばしさだから、ちょっとついても大丈夫」とか。
隣で優しく教えてくれた兄さんの声が、まだ耳に残っている。
ドジをして落ち込んでも、兄さんは怒ったり呆れたりせず、ただ「大丈夫だよ」と笑ってくれた。
その笑顔が心強くて、気がつけば自然と手が動いていた。
作り終えた後は、兄さんと一緒に後片付けをして、それから急いで着替えとメイク。いつもより早起きだったはずなのに、気づけばもう出発の時間が迫っていた。
服装を整えて玄関に向かうと、兄さんが台所からお弁当をそっと持ってきてくれた。
「それじゃ、行ってくるわね」
「うん、車には気を付けてね」
私の家からシノの家まで歩いて大体30分ぐらい。もう高校生だけどいつまでも兄さんにとっては小さい妹なのか、ソワソワと心配そうに私のことを見つめていた。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。でも、ありがとう」
玄関先で兄さんと分かれて、シノの家へと歩を進めた。
*
:
*
5人で教科書を広げて、それなりに真面目に勉強を進めた午前中。
途中からカレンが堂々と漫画を読みはじめたけど……まぁ、想定内だったし、誰も突っ込まなかった。
少し笑って、ちょっと呆れて、それでも勉強会はそれなりに成立していた。
時計がちょうどお昼を指したころ、誰からともなく「お腹すいた〜」と声が上がり………という訳ではなく、私のお腹が鳴ったことで勉強会は一旦お昼休憩になった。
「綾ちゃんがお弁当を作ってきてくれました~」
シノが嬉しそうに紹介してくれると、アリスが目を輝かせて身を乗り出す。
その反応が少しくすぐったくて、私はそっとお弁当のフタを開けた。
「わ~!すご~い!」
「自分で作ったのー?お料理上手ね~」
シノとアリスの感嘆の声が重なって、内心くすぐったくなる。横から覗いていた勇さんも、穏やかに微笑みながら言ってくれた。
「あ、ありがとう…と言っても、兄さんに結構手伝って貰ったから」
素直に胸を張れない自分が、少し情けない。
でも、ウソをついてまで褒められたくはないし……それでも、頑張ったのは事実だ。
「それでも作れるのはすげーよ!綾は良いお嫁さんになれるなぁ」と陽子が言う。
その言葉が、不意に耳に入ってきて──
瞬間、顔に熱がぶわっと上がっていくのがわかった。
胸の奥がざわついて、言葉がうまく出てこない。思わず、照れ隠しで強めの声を張り上げてしまう。
「そ、そんな…そんなこと無いわよばかぁ!」
「なんて笑顔なんだ!」
6人で手を合わせて「いただきます」と声を揃えたあと、それぞれがお箸を手に取って、お弁当のおかずに手を伸ばしていく。
(……緊張する……)
自分が作ったものを、他人が食べる。
しかもそれが友達で、こんな風に輪になって座っていて──。
皆が1口目を運ぶ瞬間、何だか自分が試されているような気がして、無意識に喉を鳴らしてしまった。
そんな中、最初に声を上げたのは陽子だった。
「……ん!うまっ!」
その一言が、まるで心の中に差し込んだ光のようだった。
ビクッと肩が跳ねて、次の瞬間、思わず胸を撫で下ろしていた。
「…ほ、ほんと?よかった……」
息を詰めていたことに気づいて、自分でも小さく笑ってしまう。
それを合図にしたかのように、他のみんなも次々と感想を口にしはじめた。
「ミートボール、これ市販のじゃないよね!美味しい!」
「家庭の味ですね~」
「見た目もキレイで、売ってるみたいデス!」
「この卵焼き、甘すぎなくて良いわね。好みだわ」
皆が口々に褒めてくれる。
口に入れてくれるだけでも十分だったけど、それが「美味しい」という返事で返ってくるのは、もっと嬉しかった。
うまうまとご飯を口に運んでいた陽子が、一度水を飲んで落ち着いて口を開く。
「やっぱ綾は良いお嫁さんになれるな~!また作ってよ!」
「……そ、それって…!ま、まぁどうしてもって言うなら!考えなくも無いけど!」
「どうしても!」
「し、仕方無いわね…」
照れ隠しの声は、たぶんちょっと震えていた。
でも、その震えも、どこか嬉しいものだった。
*
:
*
お弁当を食べ終え、「ごちそうさま」の声があちこちで響くと、シノと勇さんが片付けを申し出てくれた。私たちはそのお言葉に甘えて、勉強再開までの小休憩の時間になった。
そんな中、ぼーっと窓の外を見ていたカレンが、ぽつりと英語の発音で呟いた。
『……───』
独り言みたいなその声は、誰に向けたわけでもなく、ふとこぼれ落ちたようだった。
アリスが首を傾げてカレンを覗き込むと、彼女はすぐにいつもの笑顔を取り戻して、軽く私に抱きついてきた。
「アヤヤ、お弁当すごく美味しかったデス!」
「あ、ありがと…!…でも、さっきも言ったけど兄さんにも結構手伝ってもらったから…」
「エージは料理も出来るんデスね!…いつものアヤヤのお弁当もエージが作ってるデスか?」
「…?えぇ、最近はずっと兄さんね」
──ちなみに、お母さんはそんな現状に「ゆっくり寝られてありがたいわ~」とニコニコしていたらしい。
「いつもエージのお弁当が食べれるの、羨ましいデス」
その言葉に続けて、カレンはふと視線を落とす。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけだけど──その横顔が、いつもより静かに、どこか物思いにふけっているように見えた。
結局、私たちはカレンと兄さんがどこで会ってどんな関係性なのかは詳しく聞いていない。というか、兄さんに聞いても“迷子から助けた”ことと“九条家とは仲が良い”ことぐらいしか教えてくれない。
何を考えていたのかまではわからないけれど、どこか遠くを見ているようなカレンの目に、私は少しだけ胸がざわついた。
「…それなら、兄さんに頼んでみましょうか?多分、カレンのぐらいだったら作ってくれそうだけど…」
兄さんのことだ。「全然良いよ~」なんて言いながら了承してくれそうである。
「ホントデスか!?じゃあ、今度お願いしてもいいデスか?」
「うん、多分大丈夫よ。兄さんのことだから、きっと二つ返事だと思う」
カレンは嬉しそうに笑って、「やった~!」と両手を上げた。
その笑顔は、いつもの無邪気な笑顔。本人もそこまで深く気づいていないかもしれない──でも、ほんの少しだけ、その奥にある気持ちを覗き見たような気がして、なんとなく暖かい気持ちになった。
綾ちゃんが原作のあの時点でどれだけ料理が出来るのかは明記されていませんでしたが、「味薄いよ~」って言われてたので、そこまで慣れているレベルではなかったのかなと。
今作ではお母さんや英司くんがいつも作ってくれていたのでほぼほぼ初心者、ってレベルだということになりました。