雨ははたしていつ止むか?   作:川に揺蕩う論理の箱

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探偵と歌姫、そして頼み事

 ヴィセントは肉じゃがを食べ、日本酒を飲むと、美味しそうにイヴリンの料理を食べるアストラを観察した。アストラはその視線に気づき、彼女はヴィセントに顔をむけ、いたずらげに笑った。

 

 彼女は表に顔を出すときのように化粧はしてなかったが、それでも微笑む表情どのシャワーで火照った顔だのどれをとても美しかった。要するに、ヴィセントは彼女に視線を奪われていたのだ。

 

 なるほど、これがおとぎ話に出るような世の男たちを虜にする姫というのだろう。ヴィセントは、「どうしたの?」という彼女から視線を外し、日本酒を誤魔化すように飲んだ。日本酒は辛く、それが彼を落ち着かせるのに成功した。

 

 アストラは不思議そうに首を傾げたが、淡々と食事を進めるイヴリンに顔をむけ、「イヴ、この肉じゃが、とてもおいしいわ、どうやって作ったの?」と、嬉しそうに訊いた。

 

 イヴリンは、お褒めに預かり光栄だ、お嬢さま、といい、軽く説明をした。アストラはそれを訊くときらきらと目を輝かせて、肉じゃがをまた食べ、絶賛していた。

 

 イヴリンが、明日の予定を言おうとすると、それを遮るようにアストラは今日、起きたことを話す。イヴリンはため息をつき、口をつむぐ。そして仕方なそうに苦笑し、その話に応じる。

 

 姫に振り回される騎士のようであった。彼女たちは、あるべきものがあるべき場所に戻ったようにぴったりとあっていた。しかし、ヴィセントが何よりも驚いたのは、イヴリンの顔の穏やかさだった。ヴィセントは思い出すのは、穏やかさと冷たさが混じったあの青色の瞳だった。いま、彼女の瞳に湛えるのは、彼女が今日向けてきたあのおおらな海であり、生き生きとした希望であった。

 

 ヴィセントは、横を向き、新エリー都の夜景色をみる。星々がきらめき、青しろいホロウに侵された月が浮かぶ空の下、街の灯の中で、まるで人類が歩んできた希望の道のような一点の光の列が忙しくなく動いていた。それは、自身が帰るべき処へ向かうものたちであり、いくべき処へ向かうものたちの光芒であった。その光芒をヴィンセントは追うが、ひとつの建造物に遮れて、そこで見えなくなっていた。耳を傾ける。音楽やアストラたちの会話。外の静けさ。そしてその繋ぎ目のない静寂の裏には、誰かが追いかけ、誰かが逃げている。

 

 犯罪が満ちている都市の夜中、ギャングが、違法薬物の取引をし、抗争で銃を撃ち合い、誘拐した人物の臓器を売買する。酒に酔った愚者が、貧困に飢えたものが、怒りに呑まれたものが、レイプをしようとし、ガラスを破り、金を盗もうとし、人を殺す。人々は、殴られ、切られ、首を絞められ、轢かれ、強姦され、病院に運ばれ、そこで命の天秤にかけられる。その天秤の仕組みは簡単で、片方は時間と傷の深さで、もう片方は医者の技量だった。時間と傷の深さが医者の技量より重くなった瞬間、その患者を命を落とし、あるいは均衡になった瞬間、その患者は思考をすることができなくなる。───そも、病院に運ばれることなく、死ぬのかもしれない。この闇の中で、人々は死に、いつの日か降り注ぐ雨が、血を洗い流し、残るのは虚な瞳を残した死体だけになる。ヴィセントは、それらをこの目で見たことがある。

 

 それがこの都市だった。というより、都市とはそういうものだった。目を見渡す限り、埋め尽くす建造物の中で、外で、その影で、あるいはホロウの中で、火花が散り、犯罪は行われる。我々はそれを観測することはできなく、また助けの声が聞こえることは少ない。そして、朝になると、あのテレビで我々は確認するのだ。昨日死んでしまった死者たちの顔を。我々は気を止めることなく、それを流し見ていく。というのも、人々がこの都市で生きることは、すなわちそれらの闇に触れても挫けないことであり、誰でも涙を流す優しさを持つというのは死とキスを交わそうとするのと同じだからだ。

 

 ヴィセントは連続殺人犯が潜んでいるこの都市から目線を外し、日本酒を飲んだ。そして最後の一口を食べた。

 

 時刻は夜の十二時半になった。酔いがだいぶ回ってきた。眠気がきたヴィセントはうつらうつらとなり始めるとアストラが肩を軽く叩いた。ヴィセントが目をむけると、アストラはソファーの後ろに立っていた。彼女は白いネグリジェをしていた。

 

「ここで寝たら、風邪を引いてしまうわ」

 

「いや、俺はここでいいですよ」ヴィセントはいう。

 

 アストラは腰に手を当て、「だめよ、お客さんなんだから」

 

「お嬢さん、俺はふかふかのでかいベッドに眠るのが嫌なタチなんです。俺にとってこういうところで寝るほうが安心する。何より、起きたらすぐにテレビを見ることができる。悪くはないでしょう?」

 

「うーん……そう考えると、悪くはないわね。決めた、ねえ、ヴィセント、私もそこで寝ていい? 私ね、誰かと一緒に夜中、テレビを見るのが夢だったの。どうかしら? だめかしら」

 

「……悪いですが、それはお嬢さんでもだめですかね……お嬢さん、ここはお客さんのわがままだと思って聴いてくれないですか?」

 

「わかったわ、だけど条件があるわ」

 

「ほう? その条件とはなんでしょうか?」

 

「そうね、……じゃあ、そんな堅苦しい口調をやめること、とかどうかしら?」

 

「なるほど、───お嬢さんがそう言うなら、従いましょう」

 

「そのお嬢さんを禁止、アストラって呼んで」

 

「これは失敬、ではアストラ嬢って呼んでも構わないか」

 

「それも嫌だけど……まあ、いいわ」

 

「感謝する。───そういえば、イヴリンはどこにいるんだ。どこにもいないが」

 

「イヴなら、シャワーを浴びているところよ、そうそう、ヴィセント、あなたとイヴの関係について聞きたいわ」

 

「俺とイヴリン?」ヴィセントは耳を傾ける。シャワーを浴びる音が聞こえた。

 

「ええ、だってイヴが誰かを、それも男の人を、家に連れていくなんて一度もなかっただもの。ねえ、ヴィセントさんってもしかして、イヴと()()()()関係なの?」

 

「いや、アストラ嬢が期待しているような関係ではないさ、今回はあいつの頼み事を訊くということもあるが、家に帰りたくないからここにいるって感じだ」

 

「家に帰りたくないって、あ、私はそういうの聞いたことあるわ。たしか、家出というのでしょう?」

 

「家出か、まあ、正確には違うが、少々めんどいやつが家の前にいてな、今日は疲れていたもんで、話したくなかったんだ」

 

「あ、もしかして、パパラッチとか? あいつら、本当にしつこいんだから」

 

「いや、パパラッチではない。だが、まあそいつらに匹敵するぐらいのうざさはあるな」

 

「うわあ、それは嫌よね。ふーん、だからここにきたんだ、あなたも大変なものね」

 

「まあ、アストラ嬢ほどではないな」

 

「そうかしら、私はイヴがいるから────あ、あなた、話を逸らして誤魔化そうとしているわね。そうはさせないわ、イヴとあなたの関係は洗いざらい、吐かせるんだから」

 

「吐かせる、とはまた物騒なことを、俺は修羅場で鍛えられてるんでね、口はそう簡単には割れない。──どうしてもって言うなら、とびっきりの自白剤でも用意するんだな」

 

「むむ、わかったわ、じゃあ、これ、これを飲みなさい」

 

「スコッチか、たしかにも自白剤と言えるかも知れないが………」ヴィセントは渡されコップを飲み干し。「……しかし、まあ、いい、話すとするか」

 

「そう来なくちゃ!」彼女はソファーに座った。

 

「とはいっても、大した関係ではないさ。俺とイヴリンは、相棒として組んでいた時期があってな、そのよしみが今も続いているという感じだ」

 

「相棒? つまり、イヴはあなたと探偵をしていたの?」

 

「まあ、そうだな、というより、仕事柄、一緒になることが多いという感じだな。協力関係のほうがしっくりくる」

 

「ふうん、───だけど、協力仲間ってだけで、ここまで仲良いのは信じれないわね、あのイヴがあそこまで心を開くなんて」

 

「別に、背中を預けあった仲だ、それ以上でも、それ以下でもないさ」

 

「うーん、まだ納得できないところがいっぱいあるけど、いいわ、今日はここまでにしてあげる」

 

「そういっていただいて助かるよ、俺は早く起きないといけないんだ」

 

「早く? 何かあるの?」

 

「裁判に行こうと思っているところだ。個人的に気になっているんだ」

 

「裁判? あなたってそういうとこにいくのね」

 

「むしろ、こんな職業だから、いくというべきだろうな」

 

「裁判ね、どんな事件なのか、聞いてもいい?」

 

「コーヒーカフェ襲撃事件だ」

 

「コーヒーカフェ襲撃事件って、ああ、アキラたちが襲われたといってたあれね」

 

 ヴィセントは眉を上げた。「アキラたちって、アストラ嬢は店主たちとも交流があるのか?」

 

「そうよ、こないだだってリンとね、映画を一緒に観に行こうと話になったの」

 

「へえ、そいつはいいことじゃないか」

 

「そういうあなたこそアキラたちと知り合いなの?」

 

「まあな、ちょうどコーヒーカフェ襲撃される前に話していたんだ」 

 

 そのとき、イヴリンがドアを開けて、入ってきた。シャワーを浴び終えた彼女は、まとめていた金髪を下ろしていた。彼女は、ヴィセントにさらに話しかけようとするところを

 

「お嬢さま、明日は早い、ベッドにご同行を願おうか」と、いった

 

「でも、イヴ───」

 

「話はまた明日だ」ヴィセントはいう。「アストラ嬢も早いのだろう、なら、話す時間はあるさ。俺は疲れたもんでね、シャワーを浴びて、寝ることにするよ」

 

「───なら、仕方がないわ………イヴ、朝早く起こしてね、私まだ彼とお話をしたいの、それじゃあ、おやすみなさい、ヴィセント」

 

「ああ、おやすみ、アストラ嬢、いい夢を」

 

 

 そのあと、ため息がついた彼は立ち上がり、スコッチを飲むとソファーに倒れた。疲れていた。今日起きたあらゆることがどうでも良くなり、眠りにおちた。

 

 誰かに頬をつつかれて、ヴィセントは目が覚めた。目を開けると、ドラマが流れているテレビがあった。横に視線をむけると、そこにはアストラがいた。アストラは、頬杖をし、もう一方の手で、ヴィセントの頬をついていた。ヴィセントが起きてるのに気づくと、笑顔を浮かべ

 

「あら、起きたの? おはよう」

 

「ああ、おはよう、はやいな」

 

「ええ、だって、イヴに起こしてもらったんだから」

 

「イヴリンか、なるほどな、あいつが起こしたのなら、間違いがない。それで、昨日の続きだっけ」

 

「ええ、そうよ。……だけど、その前にお腹減ってない?」

 

「減ってはいるが、どうしたんだ」

 

 そう言うとアストラはぱっと笑顔を浮かべ、「ならここで待っておいてね」と、いった。

 

 彼女は台所へ駆けて、そばにある冷蔵庫を開けた。食材を取り出そうとしているようだった。彼女は朝ごはんを作っているあいだ、ヴィセントは起き上がり、ドラマを眺めた。時刻を確認した。六時二十三分。彼が普段起きている時間よりも幾分早かった。

 

 イヴリンが戻ってきたのは、部屋に香ばしい匂いに満ちはじめたときであった。イヴリンは玄関を開け、タブレットで予定を確認しながら入ってきた。そしてイヴリンは一度匂いを嗅ぐと、顔を上げて、奥にいるアストラをみた。それから、ソファーに座っているヴィセントをみた。

 

「ヴィセント、これはどういうことか説明してもらおうか」

 

「アストラが飯を作ってくれる、といったのさ。俺が命令したわけではない」

 

「そうじゃない」

 

「そうじゃないなら、なんなんだ」

 

 イヴリンは首を横に振り、ため息をついた。「やれやれ、君がこんな命知らずだと私は知らなかった。覚えておこう」

 

「その発言にはとくに反論の余地はないが、どうやらアストラ嬢はうまくやってるみたいだぜ」

 

「お嬢さま」イヴリンは返事をせず、彼女に話しかけた。「車の用意ができた。朝ごはんの準備は私がやる。お嬢さまは先に行ってもらいたい」

 

「え〜、でもイヴ、私、ヴィセントに朝ごはんをつくる約束をしたの。ダメ?」

 

「………わかった、しかし、作ったすぐにいくということが条件だ」

 

「ありがとう、イヴ。いつも、助かってるわ」

 

 イヴリンは彼女に側に行くと、彼女の手伝いをはじめた。そうして朝ごはんは迅速に作られた。

 

「はい、召し上がれ!」

 

 アストラがテーブルにオムライスとコーヒーを置いた。ふわふわとした半熟気味の卵の上には、彼女のサインがケチャップで書かれていた。そして、彼女はコーヒーにミルクを入れた。

 

 ヴィセントは礼をいうと、オムライスを食べた。

 

「どう? 美味しい?」

 

「ああ、うまい」

 

 アストラはふふ、と嬉しそうに笑い、「そう、よかったわ。───それで、それで、アキラとリンの話をしてくれるわよね?」

 

「してもいいが………」ヴィセントはケチャップがついたスプーンでイヴリンを指をさした。「そろそろ、いかないとまずいんじゃないか」

 

「ああ、そうだったわ! これから、すぐに事務所いかないと怒られちゃう。ごめんなさい、頼んだのに、またその話を聞かせてね」

 

「ああ、スマホで連絡してやるよ」

 

 それからアストラはイヴリンのもとに駆け寄り、支えてくれた玄関をくぐり抜けた。そのとき、イヴリンは二言ほど、彼女に何かいうと、アストラは頷き、玄関を閉じた。残ったのは、オムライスを食べるヴィセントとイヴリンだった。

 

 イヴリンは向かい合わせになるように座った。足を組んで。

 

 閑散とした部屋のなか、彼女は口を開いた。「昨日はすまなかった。私もすこしばかり酔っていて、変なことが口走ってしまった。気を悪くはさせてはないか」

 

「いいや、まったく。隣にレディーがいるのに、他の女性の話をするのは、俺も配慮が欠けてるな、と思っているさ」

 

「レディーか」イヴリンはその言葉に思うことがあるのか、目を伏せ、いつの間にか取り出したナイフをみつめていた。彼女の癖のひとつだった。それから何かを決めたようにヴィセントと目を合わせ、「ヴィセント私は君に聞きたいことがあるのだが、構わないか?」

 

「構わない」

 

「なら、思い切って聞こう」一拍の間を置き「───私のことをどう思っている?」

 

「……難しい話だな」ヴィセントはカフェラテを口に運んで、考えた。

 

「いいや、ヴィセント。君にとってこの質問は難しくないはずだ。君はもう自身が思っていることを自覚しているはずだろう。私が君のことをどう思っているのか、はっきりとわかっているはずだし、私はそれを示してきたつもりだ。だから、私が聞きたいのは、ヴィセント。もう一度いうが、君は私のことをどう思っている?」

 

 ヴィセントは背もたれに体重を預けた。目を閉じる。目を開け、見つめてくるイヴリンを見つめ返した。彼女の目には信頼の色がこもった優しい目つきをしていた。

 

「変わったな、お前は」

 

 唐突にこんなことをヴィセントはいった。そしてすぐに誤解がないように、

 

「別に、そのことを悪く言うつもりはない。むしろ、俺はそれを嬉しく思っているさ、なぜなら、あのときのお前はまさしく鞘がない刀って感じだったからな。いまはお前は、心から信頼できる人がいる。お前が、どこまで話したのか分からないが、それでも、彼女に心を許し、そして今までなかった変化が訪れている。その変化の具体的なことは俺には分からない。だけど、わかるのはいまのお前は、いや君は美しい、ってはっきりと言える。好ましい、とでも言ってもいいだろう」

 

「なら───」

 

 ヴィセントはその先の言葉を手のひらを彼女に突き合わせて制した。

 

「すまない、俺はどうにも臆病な人間なんだ。これ以上のことは、俺は口にすることはできないし、するつもりもない。いまじゃないんだ。いま、言うときじゃないんだ」

 

 それからヴィセントは黙った。

 

 ヴィセントは彼女と目を逸さなかった。それが、彼ができる誠意だった。

 

 イヴリンは沈黙を貫いていたが、やがて彼女は微笑み、「君らしいな、だけど、同時に酷い言葉だと思わないか?」

 

「ああ、そうだと思うさ」

 

「そうだろう。酷い言葉だ。私が勇気出したのに、結局答えは得れないなんて、まったく、君は本当に酷い男だ」

 

「いっそのこと笑ってくれないか?」

 

「悪いが笑うことは苦手だから、私は君を失笑することはできない。だが─────」

 

「だが?」

 

「それでもいい。私はいつまでも君が答えるのを待とう。君がいうそのときがくるまで」その言葉をいうと彼女は一度両手を叩き、「これでこの話はおしまいだ。失礼、邪魔をした」

 

 そして彼女は席を立った。

 

「ちょっと待ってくれ」ヴィセントは焦るようにいった。

 

「なんだ、君の答えを言ってくれるのか」

 

「頼み事がある」

 

 イヴリンは苦笑し、「聞こう」

 

「いま話題になっている連続殺人事件があるだろう?」

 

「ああ」

 

「その被害者の過去を徹底的に洗ってくれ」

 

「過去? なぜだ?」

 

「カンだ。なにかしら被害者に共通点があるはずだ、と踏んだんだ。今回の依頼の報酬として、それをやってもらいたい」

 

「……仕方がない。時間があるときにしよう。それでもいいか?」

 

「ああ」

 

「わかった。───それではまた会おう」

 

「ああ、また」

 

 今度こそ彼女は玄関まで行って、アストラのもとへいった。彼女の匂いはしなくなり、足音もやがて聞こえなくなった。

 

 ヴィセントは朝ごはんを食べ切り、食器を洗い、乾燥台においた。そしてヴィセントは玄関へ行き、開けた。ふと、ヴィセントはこう思った。

 

 彼女は変わった。

 

 なら、俺は?

 

 俺ははたして変わっただろうか。

 




アクション、そろそろ描きたい。
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