異世界から転生者である勇者を追いかけてきた魔法使いの王女、無事現代文明に敗北する   作:蘇芳ありさ

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あの老人の悪戯も偶になら悪くありません

 

 

 

 ……もう何も考えられないぐらいの満足感です。

 

 美味しい料理をお腹いっぱい食べることがこんなに幸せだなんて、初めて知りましたよ。

 

 こんな自明の理も知らないなんて魔法使いの身で不甲斐ない限りですが、言い訳させてください。

 

 

 何しろ私たちの世界は親の代から続いた魔王災害の時代に、ようやく終止符を打ったばかりですからね。

 

 食料も不足気味ですし、時代そのものが贅沢な食文化を許さなかった面もあります。

 

 滅びた国も数知れず。失われた伝統料理もどれほどの数になるのでしょうか。もっとも貧しい時代に生まれた私が無知だったのも故あってのことなのです。

 

 

 ……ただし、それは過去の話です。

 

 私たちの世界も復興を進める予定ですから、この世界の極めて優れた食文化は大いに導入すべきです。

 

 

 よって反省なさい、反省を。

 

 おじさんたちのお陰で戦況が劇的に改善され、生活に余裕ができたのにも関わらず。

 

 戦勝パーティの卓上に腸詰肉(ソーセージ)麦酒(エール)を見つけ、とりあえず満足してしまった王国騎士たちよ。

 

 領主として国内を統治する貴方たちがそんなだから、我が国の食文化はいつまでも貧しいままなのです。

 

 あまり他国のことに言及したくはありませんが、蒸した芋をすりつぶしたモノを他人にも勧める連合王国の騎士ともども……私の手で食に改革を起こした暁には反省してもらわないと困ります。

 

 

「ふわぁああ……お口の中が溶けちゃいそうです」

 

 

 ……などと自国の食文化を脳内でコキおろしながら食後のデザートに頂くのは、彼が近所のコンビニなるお店で買ってきたというシュークリームなるお菓子です。

 

 

「いやぁ、何を買うか迷ったけど……その顔を見るに、やっぱりシュークリームを選んで正解だったかな」

 

「しゅー、くりーむですか。美味しいです。とても、とても美味しいですね」

 

 

 いや、何ですか。この暴力的な甘みは。

 

 私の知る最高の甘みである蜂蜜を塗った焼き菓子(クッキー)を軽々と超えてきたじゃありませんか。

 

 しっとりとしたパン生地風の包みにこれでもかと言わんばかりに閉じ込められた、この極限まで糖分を凝縮させたようなクリームの味わいときたら……こちらの常識など歯牙にも掛けぬ超文明の片鱗に、疲れ切った頭が癒されるのを感じますね。

 

 

 ……いえ、癒されたのは無意識の内に酷使していた頭脳だけではありませんね。

 

 至高の食事と究極のデザートに心も体もポカポカになって、今の自分が幸福であると認識する以外の機能が私の中で完全に停止しています。

 

 

 さながら今の私は満腹した牛みたいなものでしょうか。

 

 怠惰に身を横たえて反芻する以外、何もできそうにありません。

 

 

 そんな私の向かいから、ペットボトルなる魔法の容器に詰められた飲み物に手をつけたおじさんが心底嬉しそうな笑顔で話しかけてきました。

 

 

「なんていうか、女の子が甘い物に目がないってホントなんだな……。こんなに喜んでもらえると、おじさんもコンビニにダッシュして色々買ってきた甲斐があるってもんだよ」

 

「……すみません。何も考えずおじさんの分まで頂いてしまって」

 

「リアちゃんに食べてほしくて渡したのはこっちなんだから、気にしなくていいよいいよ」

 

 

 いやもう、手をつける前に気づけって話ですよね。

 

 事前に連絡もせず押しかけて素晴らしい夕食を頂いておきながら、考え無しにおじさんのデザートまで頂いてしまうとか私の馬鹿馬鹿……おかげで顔が真っ赤になってしまいましたよ。

 

 

「ところでリアちゃん」

 

「はい?」

 

「以前、俺が向こうで話したスマホの話は覚えてる?」

 

「……ええ。確か無限に情報が集積された《インターネット》なる魔法の書庫に接続して、神々の叡智に触れることができるという魔導具(アーティファクト)……でしたか?」

 

「そそ。これが現物ね」

 

 

 とまぁ、そんなタイミングで見せられてしまったワケなんですよ。

 

 彼の生きる国々が生み出したとされる、超抜技術の結晶を──。

 

 

「こ、これがあの……?」

 

「うん。これがあれば調べ物や連絡には困らないし、ゲームや音楽、動画まで楽しめる。便利でしょ?」

 

「は、はい。正直、手の震えを自覚するほど……」

 

 

 見た目は掌にすっぽり収まる大きさの、薄い金属製の筐体にガラスで蓋をした手帳のような板切れです。

 

 それが彼の操作によってガラス面が明るくなり、目まぐるしく切り替わる映像が映し出されました。

 

 

 とりあえず《翻訳》の魔法は使用済みなので、内容を読み解くことには問題がありません。

 

 しかしながら、ソレが理解できるかどうかは別問題です。

 

 

 ……スマホの機能自体は何とか理解できます。

 

 あの老人の語るところによれば、私たちの世界にも創世の神々に事象の《記録》を命じられたゴーレムが築いた魔法の書庫があるとされます。

 

 そこを訪れ、ゴーレムの課す試練を乗り越えることで書庫の利用を許されれば、私の魔法でも似たような魔導具は作り出せるやもしれません。

 

 

 ……しかし、しかしです。

 

 彼の話によれば、このスマホはこの世界では何ら特別なものではなく、お金さえあれば誰でも購入できるありふれた小道具でしかないというのです。

 

 

 なんかまた頭がクラクラしてきましたが、こんなものはまだ序の口です。

 

 

 確かにその概念──いつでも、どこでも。誰でも、簡単にという基礎理念。設計思想は恐るべきものです。

 

 封建制度を維持するにあたり、民に余計な知恵を付けさせないことに腐心する我々の為政者では到底辿り着けない未来の産物でしょう。

 

 

 ……しかし、真に恐るべきはその用途にあります。

 

 スマホの所有者ならば誰でも閲覧、情報発信ができる動画サイトを観れば一目瞭然。

 

 そこでは一廉の知識人と思しき人物が様々な啓蒙活動を行っているかと思えば。

 

 美麗な映像を自在に操作する遊具を用いて娯楽に興じる人も()り。

 

 可憐な少女の肖像がまるで生身と錯覚するほど自在に動きながら、なぜか私たちの世界で活動する旅芸人のように、人々の笑いを誘う動画もあるのです。

 

「で、この娘が俺のイチ推しのVtuberさんたちね。可愛いでしょ?」

 

「あ、あ、あ……待ってください! あまりの情報過多に頭がパンクしそうです!!」

 

 

 ええ、頭からプシューッと湯気が出てますよ。知恵熱ですね。

 

 

 ……なんてことはありません。

 

 私たちの基準では神々の叡智そのものにも等しいと言えるこのスマホも。

 

 彼らの基準では他に代用の利く娯楽用品の一つでしかないという事実を前に、世の真理を探究すべき学徒である私の価値観が崩壊しかけたんですよね。

 

 

 それも当然──踏むべき階梯を踏まず、前提となる知識を蓄えることもなく。

 

 遥か高次元の常識に触れてしまえば、魔法使いなら誰だって似たような状態に陥ります。

 

 例外はあのヒトデナシの大賢者くらいですが、アレは本当に例外中の例外だと思っていただかないと、私の立つ瀬がありません。

 

 

 ……本音を吐露してしまうと逃げ出したかったです。

 

 これは私の手には負えない。そう諦めて出直すことができればどんなに楽だったか。

 

 ですが、私の中にある矜持が……たとえ名ばかりであろうとも、民を導く側にある王族の一員である第三王女としてのプライドが、私に安易な逃避を許しませんでした。

 

 

 今はすべてを理解できずとも構いません。

 

 しかしこれほどまでに先進的な文化に触れておきながら何も学ばず、何も掴めずではいけません。

 

 せめて概略だけでも持ち帰り、民の幸福に活かさなければ──そんな意地を張ったがために私は完全に目を回して、腰掛けたソファーにグッタリと横たわってしまったのでした。

 

 

「あー……リアちゃん大丈夫? 俺の手が幾つあるか分かる?」

 

「は、はい……とりあえず無限にブレて見えるので、手を振るのは止めていただけると助かります……」

 

 

 とりあえずスマホの何たるかを、初見で理解しようとしたのは無謀すぎましたね。

 

 

「うーん。さすがのリアちゃんをもってしてもスマホは強敵じゃったか」

 

「……そうですね。おじさん曰く、私たちの文明はこちらの中世……およそ500年前くらいに相当するようですから、今日のところは100年以内の発明に止めるべきでした」

 

「おっ? それならそろそろお風呂にはいってみる!?」

 

 

 なんて疲労困憊のタイミングでこの提案ですよ。

 

 お風呂という単語の意味を理解した私は文字通り飛び上がりましたよ。

 

 

「お風呂!? この家には浴室が備え付けられているのですか……!!」

 

「勿論あるよ。さっき途中でし⚪︎むらによって着替えも確保したし、今からピッカピカに磨いてお湯を張ってくるから、リアちゃんはもう少し休んでなよ」

 

「あっ、あの待って……待ってくださいおじさん……」

 

 

 起き上がりこそしたものの、いまだに足元がおぼつかない私では追いかけることもかなわず。おじさんはルンルン気分のステップを踏んで廊下の向こうに消えてしまいました。

 

 いや本当に何がそんなに楽しいんですかねぇ……?

 

 

「まぁ、私の身分でとやかく言うのも何ですが……この部屋で独りになると、なんとも心細い限りですね」

 

 

 今さら言うまでもありませんが、私にとっておじさんの家には遥か未来の常識が詰まってますからね。

 

 

 卓上に放置されたままのスマホは言うに及ばず。

 

 その向こうに目を向ければほとんど同じ構造の、より巨大な映像受信機と思しき筐体が備え付けられているし。

 

 天井付近には材質、原理、動力すべて不明な長方形の物体が快適極まりない涼風を循環させていますからね。

 

 うっかり深入りしたが最期……今度こそ脳が焼き切れる自信があります。

 

 

「……ふぅ。少し気持ちを切り替えましょう」

 

 

 とりあえず気持ちを落ち着けるために、おじさんが私のために用意してくれた給水筒(ペットボトル)の蓋をひねり、中身をいただきましたが……このカ⚪︎ピスなる飲み物の喉越しときたら、なんと清涼な……。

 

 私では原材料を割り出すことも……って、いけませんね。過度の詮索は禁じたばかりでした。

 

 この世界において、私は文明の何たるかも知らぬ未開人も同然です。

 

 その自覚を持って、好奇心の赴くままに脳を鞭打つのは控えないと……。

 

 

「……しかし困りましたね。よりにもよっておじさんの家でお風呂ですか」

 

 

 つい直前に自分のことを野蛮人と揶揄しましたが、さすがにお風呂ぐらいは知っています。

 

 身体を清潔に保つことで病を未然に防止して健康を維持する。

 

 そのために適度な温度に調節した湯を満たした浴槽に身を沈め、その中で体を洗う入浴という文化は私たちの世界にもあります。

 

 

 ……しかしながらその手間暇。特に大量の湯を沸かすための人手と、そのための燃料として使用する大量の薪を用意できるのは富裕層に限られるのが実情です。

 

 そのため庶民は河川や井戸の周囲で水浴びが精一杯。旅の仲間たちも、宿が用意してくれた桶にお湯を注ぐのにヒイヒイ言ってましたね。

 

 

「だっていうのに、この世界では本人曰く庶民のおじさんの家にもお風呂があるんですか……本当に頭がクラクラしそうなほど豊かな文明ですね」

 

 

 これでは市民たちのために公共の浴場を用意していたという、超古代の偉大なる帝国も霞んでしまいますね。

 

 本当に我ながらとんでもない世界に飛び込んできましたが……実のところ今回の本題はそこではありません。

 

 

「そうですね。問題は異性の友人である私に入浴を勧めたおじさんの真意ですか……」

 

 

 私は育ちが育ちなので人類社会の習慣に疎いところがあります。

 

 そんな私を憐れんだのか、育ての親である老人は外出の機会があるたびに私を連れ出し、女性宅を転々としながら人々の生活様式を学ばせ……あ、だんだんハラが立ってきましたね。とりあえずカル⚪︎スをもう一口頂いて怒りを鎮めましょう。

 

 

 ……ともあれ、私はそうした日々で学びました。

 

 あの無節操な老人が入浴できる環境を整えるときは、決まって女性の寝室に忍び込むときだと……。

 

 

「…………」

 

 

 本当にそんなことがあり得るのでしょうか……?

 

 

 私は今まで女性として扱われたことはありませんし、男の人も知りません。

 

 旅の仲間たちも、私が野暮ったいローブを着用していることから『芋虫の嬢ちゃん』なんて呼んでましたし。

 

 おじさん自身も私のことを子供扱いして、ちょっとでも段差のある岩場に差し掛かると、遠慮なくおんぶの姿勢を取ってきたのに……それが昨日の今日で寝室に誘う心変わりを? まずあり得ませんね。そんなコトは。

 

 

 私自身、自分で言うのもなんですが、女性的な魅力に乏しいほうだと思っています。

 

 聖女様のように、男性なら誰でも望むような豊満さはカケラもなく。

 

 幼児体型とまでは言いませんが、全体的に痩せぎすで……無理して私のような娘に相手をさせなくても、仲間の傭兵がよく通っていた娼館に出向けばよほど素敵な出会いが待ってるはずです。

 

 おじさん自身はそういったお店に関心を示しませんでしたが、だからって私みたいな引き取り手のない娘を娶るつもりだったなんて……容易には信じられません。

 

 

「……一応確認する手段はあるんですけどね」

 

 

 これはあの老人が懇意にしていた女性から聞いた話です。

 

 あの方は私の身の上を知って情が湧いたのでしょう。私が悪い男の餌食にならないように見分ける手段を伝授してくださいました。

 

 その方法は──入浴の際に、あえて一緒に入るか確認するというものです。

 

 

 そこで鼻の下を伸ばして喜ぶようならロクな男じゃないから、遠慮なく張り倒してやりなと。

 

 そして何かと理由をつけて遠慮するようだったら、私のコトを大事に思ってるからゆっくりと自分の気持ちを確かめながら後悔のない選択をしなと……。

 

 

「──リアちゃんただいま。お風呂沸いたよ。色々と説明するから来てくれる?」

 

「──はい、喜んで」

 

 

 いよいよ来ましたね。私の正念場が……。

 

 

 以前にも言いましたが、私はおじさんのことが普通に好きです。

 

 おじさんが私のことを子供扱いすることが多いから、私自身もおじさんのことを結婚相手や恋愛対象として見たことはありません。

 

 

 しかしながら私の世界の少女たちは、私ぐらいの年齢で恋も知らぬまま嫁いでいくことが当たり前です。

 

 私は魔法使いとして生きていくことが決まっている身ですから、年齢的な焦りとは無縁でしたが……もし、仮に。

 

 おじさんが生涯の伴侶として私を望んでくださるなら、私もこの世界で生きる決心はまだついてませんが、そのちょっと……嬉しいかもしれません……。

 

 

「──というワケで、蛇口は基本右にひねればお湯が出てきて、左にひねればお湯が止まるって寸法ね。あとこれが身体を洗うタオルで、そこにある石鹸をつけてゴシゴシすれば良くて……髪を洗うのはシャンプーだね。こいつのテッペンを押し込めば、中身がポンプに吸い出されてくるから」

 

 

 なんてピンク色の思考をしているところに、ポンプみたいな画期的な発明をねじ込んでくるのはやめてくれませんか?

 

 おかげで一気に学者モードになった頭脳が、直前までの乙女の思考を認識して恥ずかしくなってきてましたよ……。

 

 

 でも、恥じらうばかりではいけませんね。

 

 なにしろこれは私の人生を左右する一大イベントです。

 

 知り合いの女の子をなんとかベッドに連れ込もうとする、男性特有の邪心などカケラも伺わせず。

 

 親切心しか認められない爽やかな笑顔で、清潔なタオルや着替えを手渡してくるおじさんを見上げて、臆病な私はこう切り出しました。

 

 

「……正直あまりにも異質なお風呂なので、独りでは不安です」

 

 

 なぜでしょうか。ゴクリと喉が鳴ってしまいました。

 

 

「ですから、最初だけでも一緒に入っていただくワケにはいきませんか?」

 

「いやいや、おじさんは男だからさ。レティシアさんのように、リアちゃんと一緒ってワケにはいかないのよ」

 

 

 そんな私の一世一代の博打に、おじさんはいつものように困ったような笑顔でそう返しましたが、これはどのように判断したらいいんですかねぇ……?

 

 女性好きの老人のように鼻の下を伸ばすでもなく。

 

 かといって聖女様──あ、さっきおじさんが口にしたレティシアさんっていうのが聖女様のお名前ですけど、あの方に『久しぶりに姉弟で背中の流しっこをしましょうか』と誘われた弟くん(私より年下)のように毅然と説諭するでもなく。

 

 おじさんの反応ときたら、本当に小さな妹さんを自立させようとする態度ですからね……これは判断に困りますよ。

 

 

「……わかりました。それでは実際に困り事が生じたら頼らせていただきますので、声の届く範囲に居ていただけると助かります」

 

「オッケー。もちろん覗いたりしないからゆっくりしてきなよ」

 

 

 いやいや……。なんていうか脱衣所から出ていくおじさんの背中を見ていたら、途中でガックリしてしまいそうな顛末でしたね。

 

 しかしながら私の内心はそこまで悪いものにはなり得ませんでした。

 

 

 裸になって浴室を一望すればわかります。

 

 私ためにピッカピカに磨いておくと宣言したおじさんの言葉に偽りはありません。

 

 私はここまで清潔で快適な浴室を他に知りません。

 

 私のためにここまでしてくれた浴槽に身を沈めると、なんだか極寒の荒野で私を包み込んでくれたおじさんの温もりを思い出しそうです。

 

 

 例えおじさんに女性として見られてなくても。

 

 例えおじさんが単なる世話好きでも。

 

 私はやはり、おじさんのことが大好きなようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありゃ? やっぱり一度向こうに帰っちゃうんだ?」

 

「私のために着替えまで用意していただいたのに、すみません……。やはり一つしかないベッドをおじさんから奪うのは心苦しいので、一度出直してこようかと……」

 

 

 まぁ、着替えをしっかり拝借しておきながらこれですからね。

 

 おじさんが意外そうな顔をするのも当然ですが、もちろん理由は他にも色々あります。

 

 

 例えば自分の気持ちをもう少し整理したいというのもありますが、他にもいま着ているこの服をじっくり研究してみたいというのがやはり大きいですね。

 

 合理性の極致にあるとしか思えない女性物の下着もそうですが、このジャージとかいう着心地と運動性を極めた服は、人類が衣服に求めた結論を体現しているとしか思えません。

 

 脱衣所で身体を拭くことも忘れて夢中になってしまいましたが、今の私でもギリギリ理解できるこの製法を一般化して、広く普及させたいという情熱が止まるところを知りません。

 

 

「まぁおじさんに私と同衾する意思がおありなら話は別ですが、今度は週末にでもまた顔を出そうかと」

 

「……うん、そうしようか。今度はご馳走を用意しておくからさ。またお腹いっぱい食べに来なよ」

 

 

 気持ちは有り難いのですが、おじさんの口からご馳走なんて言葉が出てくると、食べたばかりだというのにお腹が空いてきそうですね……。

 

 

 さて、名残惜しいのは事実ですが、おじさんのいうようにまた会えますし。

 

 亜空間に収納した私物の中から、魔法の行使に必要な杖を手元に戻し。

 

 念じますは、彼方の世界と此方の世界を接続する次元扉(ディメンジョン・ゲート)の魔法を──。

 

 

「あれ……?」

 

 

 行使したら、なんかポンッという間抜けな音とともに、一枚の紙切れがヒラヒラと落っこちてきましたね?

 

 

「…………」

 

 

 それを拾ったおじさんが心底イヤそうに顔を顰めましたが、横から覗き込んだ私もたぶん、おじさんと同じかそれ以上にイヤそうな顔をしていたことでしょう。

 

 何故ならそこには、あの大賢者(ファッキン・シット)の直筆でこう書いてあったからです。

 

 

『いやぁ、失敗失敗。リアに授けた次元扉の魔法に、無視できない構成ミスを発見してしまってね。安全のためにこの魔法は開発者権限でロックさせてもらったから、悪しからず了解してね。ちなみに修正にかかる期間は、最短でも半年かな? というワケで我らが勇者ケーイチロー・ミカムラよ。僕の大事な弟子は君に任せるよ。本人も乗り気だし、好きに孕ませて構わないからベッドを買い足す必要はないからね?』

 

「なにほざいてんだクソ野郎が。ブチ殺すぞ」

 

 

 温厚なおじさんが思わず本気の怒りを露わにするほど、そこに書かれていたのはヒドイ内容でした。

 

 さてはあのクソボケ半魔め……最初からこのつもりであの魔法を伝授してきましたね。

 

 

「とりあえず落ち着いてくださいおじさん。なまじ怒りで思考を曇らせれば、ますますあの老人の思うツボです」

 

「まぁそうなんだけどさ……。俺だけならともかく、リアちゃんのことをなんだと思ってるんだよコイツは」

 

「良くて観察対象。悪くてペットですが、あの老人の悪戯好きは今に始まったことじゃありませんしからね。付き合うだけ損ってもんですよ」

 

 

 そう答える私の内心も平静にはほど遠かったですが、これは油断してあの老人に踊らされた私の不覚です。

 

 巻き込んでしまったおじさんには申し訳ありませんが、もう一度頭を下げさせていただきましょう。

 

 

「今日は帰ると言っておきながら図々しいこと甚だしいのですが、帰還の手段を潰されてしまいました。私にできることなら何でもしますから、次元扉の再構築が終わるまでお側に置いていただけないでしょうか?」

 

「ああいや、リアちゃんは悪くないよ。俺の方こそリアちゃんのためなら何でもするから、あまり気に病まないでくれると有り難いな……」

 

 

 そんな私に何か悪いことをしたみたいに、必死に謝ってくるおじさんを見ていたら笑いを誘われてしまいましたね。

 

 とりあえずこの異質な世界で生きていくことになったのは予定外もいいところですが、これはこれで悪くありません。

 

 そんなふうに思ってしまうのは、やっぱり私の中におじさんがしっかりと根を張っているからなんですかね……?

 

 

「ふふ、お互い謝ってばかりじゃ話は進みませんから、あえてこう言わせてもらいます。──おじさんも知っての通り私はかなりの不束者ですが、これからもよろしくお願いしますね?」

 

「……こちらこそ足りない物が多すぎるおじさんだけど、リアちゃんが不自由しないように頑張らせてもらうよ」

 

 

 互いにまじめくさってお辞儀をした後、ほとんど同時に吹き出してこの話は終わりだ。

 

 その後は外の景色が見たいとおじさんにお願いして、カーテンの向こうにあった展望(バルコニー)からこの世界の夜景に圧倒されました。

 

 

「すごい……。まるで天空の星々を捕まえて、散りばめたような夜景ですね」

 

 

 雲のない夜空に星がなかった代わりに、その輝きは天高く乱立する塔に封じ込められているかのよう。

 

 これがこの世界……魔法がない代わりに、ありとあらゆる神々の法則を(つまび)らかにした、はるか未来に繁栄する科学文明の姿……。

 

 

「ところで後で話すって言ってたけど、リアちゃんがこっちにきた目的ってこのタイミングで聞いていい話?」

 

「それが笑い話にもならないですが、私の父親がですね……おじさんをどうしても自国の用心棒にしたいって食い下がるもんですから、やっぱりダメでしたって言えるだけのアリバイ作りが主目的だったんですよ」

 

「あ、その話か……。悪いけど俺、やっぱりあの世界に永住するのは……」

 

「ええ。私たちの基準では行き遅れの大年増である姉を嫁にと押し付けられたら、おじさんじゃなくても困っちゃいますよね」

 

 

 ふと話がそっちに引き込めそうだったので、もうちょっと頑張ってみます。

 

 

「なんせおじさんときたら、ようやく結婚適齢期に達したばかりの私も娶ってくれそうな気配がありませんからね。あの走り書きにあった私の気持ちはまるでデタラメってわけでもないんですよ」

 

「あー、その件はなんと言うか……もう少し慎重に精査して、リアちゃんがより幸福になる選択を用意してからにしたいというか、なんていうか……」

 

 

 もしかしたらおじさんは、単純に女性の扱いに慣れていないだけなのかも……。

 

 そう思えば、私の肩を優しく抱いてくれただけでも賞賛に値します。望外の幸福とはこういうコトを言うのかも知れませんね。

 

 

「とりあえず今夜寝るところはどうしましょうか?」

 

「以前使ってた布団があるから、俺はそっちを和室に敷いて寝ようかなと。リアちゃんは気にせず俺のベッドを使って休みなよ」

 

「むむ。普通逆なのでは……? おじさんが昨日まで使ってたベッドに私を寝かせるなんて、さては私におじさんの匂いを染み込ませようと……」

 

「え? 俺そんなに臭い……?」

 

「あまり迂闊なコトは言えませんが、なんでしょうか……以前、漁村でご馳走になったイカの燻製とよく似た香りが……」

 

「まじっ!? やっぱりそういうのって匂うものなんか!!」

 

 

 おじさんのあまりの慌てぶりに我慢できず、吹き出す私の姿がツボに嵌まったのでしょうか。

 

 ややあっておじさんも笑い出し、相乗効果で私も笑うのやめられず……やがて隣室からそれを咎めるような罵声が飛んできました。

 

 

 それがおじさんに再会した初日の顛末。

 

 異世界に迷い込んだ魔法使いの私が、後の苦労を忘れて笑い転げた始まりの夜の出来事でした。

 

 

 

 

 

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