ハード寄りミリタリーがお好きな方、よければご一読をば!
それでは山永の人生と旅をお楽しみください!
第1話「国内編」
よき母を持ったと思う。父には、感謝はしている。
弟が一人いる。まじめに社会人をこなしているようだ。
あのちゃらんぽらんも真人間になれて何よりだ。
そう悪くない人生だったと思う。だが、それは終わった。
彼はどうだろう。
――彼は、戦士になった。
「第2ハァァァァンッッ!!」
大気を引き裂く班長の声。真夏の暑さ、いや熱さに一瞬彼は意識が飛んでいた。
「事後の前進は組前進ィィィィィンッッ!!前方50立ち木の線まで早駆けぇぇぇぇッッ!!」
ぜィぜィと息が切れる。決して体力がない方ではない。むしろ彼はある方だ。
それでも伏せているだけで吐き気を催すばかりの熱波が彼を襲う。
それに炎天だけではない。短時間とはいえフル装備で全力ダッシュから匍匐に入っているのだ。
体の芯からも込み上げるような熱が湧き出してくる。たった50メートル進んだけで汗みずくになった。
「リョウカァァァッァイッッ!!」
裂帛の返答。
「1番3バァァァァァァンッッ!!前方200、新教台、左台脚、シメェェェイッッ!!」
相棒の1、3番を呼び、射撃支援。2番である彼自身は再び早駆けで躍進する。
『リョウカァァァァァイッッ!!』
二人が答える。次の前進目標の堆土を確認するため匍匐しながらわずかに堆土から顔を出し、
「カクニィィィィン!!」
わざわざ叫ぶ必要もないものを、などと思いながらも声を出す。新隊員は大きな声にこそ意義があるそうだ。
また堆土の後ろに伏せたまま隠れ、発進準備。小銃を右手に、左手は胸の下に。
「1番射撃準備ヨォォォォォッシッッ!!」
「3番準備ヨォォォォォッシッッ!!」
「1番3番、撃てェェェェェェッッ!!」
ぱん、ぱん、ぱぱんと空砲の軽い音。全身に力を込め、足をバネにして、跳ね出すように早駆ける。
「2バァァァァァァンッッ!!」
向こうからの応射はない。当たり前だ。なにせ空砲の数は限られている。仮設敵の班付たちも弾をケチってるのだろう。
とはいえこっちの弾倉の中身もお寒いものだ。1弾倉に20発、もう1弾倉に6発きり。
弾が切れたら自分の口でバンバンと呼称するという間抜けな有様なのだから。
「第2ハァァァァンッッ!!」
班長の声が戦闘訓練場に響く。全組が突撃発揮位置まで到着したのだ。
後は突撃を発揮するだけだ。
いつもの水曜日。彼のルーティンがある。
夜の営門は静かだった。
外出申請は通っている。グラフィカルTシャツに黒のジーンズ、ボディバッグ。いつもの外出装だ。
特に悪事を働きに行くわけでもない。が、表門ゲートの認証端末に手のひらを当てとき、“課外評価監視”の文字が浮き上がる。
いつものことだがうっとおしい。課外に俺が何しようが俺の勝手だろうが。まあいい。知らん。
チラチラと評価スコアを振りかざすこのシステムが彼は大嫌いだった。
駐屯地を出てしばらく歩き、住宅地よりの通りへ。
道の中途にはホログラムの浮かぶ店、無人接客バー、評価ランキングがウィンドウに並ぶカフェ──
そういった今風の“安心店”を通り過ぎ、山永は古びた木札の看板の前で足を止めた。
「飲み食い処 葵」
AR非対応。レビュー未掲載。評価スコアと紐づかない店。
だが、彼にとってここは──“価値がある”場所だった。
「……おう、ムネ!水曜やけん、来る思っとったよ」
カウンターの奥から、大将が笑った。
この声を聞くと、少しだけ、訓練の疲れが抜ける。
あざっすと軽く首を下げると8席あるカウンターの奥に通される。
「おまかせ松?」
「です。今日はなんがあるっすか?」
「大村湾のナマコあっぞ。いるか?」
「いいんすか?」
「いいけん言うったい!」
そのままボトルの赤兎馬を頼む。だいぶんこの銘柄も手に入りにくくなった。そもそも酒を飲む人間が追いやられていっているからだ。需給というやつだ。
「しめ鯖ないとっすか?」
「2日しかしまっとらん。客にゃ出せんな。」
「マジすか。」
しょんぼりする山永。
「しょんなかなぁ、そげに言うなら出すか。」
キッチンペーパーに包まれた冊を取り出し、手早く引く。その包丁さばきは本物だ。
「ほい。」
「あざっす!」
口に運ぶと、しっとりとした歯ざわり、酢の酸味は丸い。
口の中で溶ける脂、何よりどういう理由かこの身の脂はなぜか甘い。
「いっつも思っとったっすけど、なんで甘いっすか?」
「砂糖は使うとらんぞ。酢だけで甘うなるっさ。」
理屈はわからないがとにかく大将の腕前は本物だった。ここに来てハズレはない。そしてこのしめ鯖には焼酎がキマる。
「うまそうに食いよる。」
大将は嬉しそうだ。
赤兎馬のロックを手前で作り、しめ鯖の後味が残った状態でチビリ。生きててよかった。
「ほれ、酢ナマコ。」
とんっ、とナマコが置かれた。これも本気でうまそうだ。
「ムネ、大丈夫とや?」
「何がっすか?」
「評価下がらんかね」
少し考えて、
「下げても来たかっす。」
「馬鹿やねぇ……」
やはり嬉しそうな大将。
好きなことを好きなようにやってなぜ咎められなければいけないのか。別に誰にも迷惑かけていないのに。
ロックを煽りながら考えた。
ふと、気づく。
うっとおしい機械の目玉から開放されたこの瞬間が、自分を一番自分にしている。
そう信じていた。
陸曹教育隊というのは自衛官にとって恐怖の期間の一つである。なぜなら教官助教が大手を振って虐めてもいい教育期間だからだ。
「おせぇぞこんボンクラァッ!!」
区隊付の怒声が晴れ渡る夏空に響く。
『ハイッ!!!』
学生たちが学生らしい畏怖と恭順に満ちた返事を返す。ここは天下の教育隊、鬼の5曹教。学生は弱者。助教たちは神。陸士が陸曹になるために絶対に通らなければいけない地獄橋。
「取締ィ!並ぶとに何分掛けとっとやァ!!はい並べェ!!」
3班長が追い討ちの合いの手を打つ。
今週の取り締まりは岡本学生だ。なぜ中隊が受からせたか理解に苦しむヤバい人。案の定もたついて教官助教に狙い打たれている。
「ど、道路上西向きに3列縦隊、集まれ!!」
『ヤーッ!!!』
キビキビ整斉と、学生たちが並んでゆく。チンタラしてるとまた怒声だ。しかも銃点検もやっていない。
「番号ッ!始めッ!」
『イチっ、ニッ……』
これは忘れていると気づいた山永。
『10ッ、二欠ッ!!』
「……岡本学生……、岡本学生!銃点検……!!」
助教たちにガられる前にとひそひそ山永が助け舟を出す。区隊は一心同体だ、助け合う以外答えはない。
「じゅ、銃、点検!!」
『銃点検ッ!!』
ボルトを解放で固定し薬室点検。薬莢が入っていないことを確認した後各部部品の脱落を点検する。89式小銃は最早骨董品だ。ブラックテープでぐるぐる巻きにせざるを得ない。いや訂正、新品でも落ちる部品は落ちる。
「……やべ脚のブラテとれた……」
「すぐ出すっや?巻いてしまえ!」
「時間なかぞ急げ……!」
ここから隊舎まで楽しい楽しいハイポートの時間だ。部品を落として捜索なんてたまったものではない。
「元へ、筒ッ!!」
陸教前期も半ばを過ぎ、学生の練度も上がっている。
ガシャガシャと音を立てながらボルトを戻し引き金を引いて銃点検を終わらせていく。
「目標、10号隊舎舎側!駆け足ッ!」
ザッザッと一糸乱れぬ控え筒。
「進めッッ!!」
ようこそお待ちしていましたと、地獄が始まった。
「イチッイチッイチニッ!!」
『ソーレッ!!』
子気味良い歩調と区隊全体の合いの手。陸教名物レンジャー歩調だ。
「我らッ」
『我らッ』
「精強ッ」
『精強ッ』
「3区隊ッ」
『3区隊ッ』
「どんなッ」
『どんなッ』
「道もッ」
『道もッ』
「走るッ」
『走るッ』
「最強ッ」
『最強ッ』
「区隊ッ」
『区隊ッ』
「ならばッ」
『ならばッ』
「声もッ」
『声もッ』
「最強ッ」
『最強ッ』
「だからッ」
『だからッ』
「聞かせてッ」
『聞かせてッ』
「くれよッ」
『くれよッ』
「連続歩調ぉぉおおぉ調ぉおぉぉちょうちょう、ソーレッッッ!!」
『イチッ!!』
「ソーレッ!」
『ニッ!』
「ソーレッ!」
『サンッ!』
「ソーレッ!」
『シッ!』
「ソーレッ!」
『イチッニッサンッシッ、イチニサンシイチニサンシィィッ!!!』
かれこれ40分、駐屯地内をくるくるくるくる、ひたすら引き回される学生たち。先頭を走るのは精強無比、空挺団上がりの区隊長だ。恐らく50近いはずなのに、どこからあの体力は湧いてくるのか。
「ハアッ……ハアッ……!」
歩調を一人で取り続けるのは無理がある。何人もが指揮者を交代しながら声を張り上げる。山永は次に出ていく準備をしていたので素早くバトンタッチ。叫ぶ内容は決めていた。歩調というより歌だ。万朶の桜。
「万朶の桜か襟の色ぉぉッッ!」
『万朶の桜か襟の色ぉぉッッ!』
実は歌はきつい。単節が長いからだ。だが、山永はこれを皆で歌いたかった。
区隊長が白手袋を付けた右手を高らかに天に突き上げた。このまま隊舎へ帰るか、それともお代わりでハイポートするか、ガッツを見せろの合図だ。
「歩兵の戦さは射撃にてェッ!」
『歩兵の戦さは射撃にてェッ!』
「敵を怯ませその隙にィ!!」
『敵を怯ませその隙にィ!!』
「前進前進またぜんしぃん!!」
『前進前進またぜんしぃん!!』
「肉弾届くーところまでぇ!」
『肉弾届くーところまでぇ!』
「我が一軍の勝敗はァッ!!」
『我が一軍の勝敗はァッ!!』
「突撃最後の数分時ィィッ!!」
『突撃最後の数分時ィィッ!!』
一人残らず腹から声を出し、地を割らんばかりに駐屯地を揺らす。
さぁ、真っ直ぐ隊舎か右へお代わりか。……残念ながら区隊長の腕は右に振り下ろされた。区隊に満ちる絶望の雰囲気。だがここでしょげればさらなるお代わりだ。山永はさらに声を張り上げた。
「連続歩調ぉぉおおぉ調ぉおぉぉちょうちょう、ソーレッッッ!!」
地獄は続く。どこまでも。
結局1時間を超え、ようやく舎側へたどり着く。銃点検を終え、健康状態の異常の有無を確認したところで、区隊付がスっと区隊の前に出てきた。
「よか声やった。ばってん、一つ
口は悪いが決して悪魔ではない、情熱の塊のような区隊付だ。何を言うのだろう。
「ワイら歩調で精強ば名乗りよったろ?」
確かにレンジャー歩調のとき、その節は皆で叫んだなと、皆顔を見合わせた。それがよくなかったのだろうか。
「覚えとけ。精強は名乗るもんじゃなか、目指すもんたい。」
区隊が静まり返る。いや、もともと私語などしていなかったが、区隊が神妙な空気になった。山永も、じっと区隊付を見つめる。
「以上。取締、上がって武器手入れ。」
「はいッ!以後は示されたとおり、分かれッ……」
陸曹とはなんだ。山永は改めて考えながら階段を駆け上った。
自衛隊って大変ですねぇ……
一体ここまでやってなんの価値があるのか……
国民の負託に答える自衛官というのはどうにもこうにも!