【完結】俺は死んだはずだよな?   作:破れ綴じ

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処刑の可能性と新しい発見

 昼の鐘が鳴った。いよいよ今日の仕事開始だ。

 回廊の空気がわずかに揺れて、庇の下を下働きが通る。俺は筆を取らず、椅子を引いたまま机の端で指を組んで、今後の顔をどう作るかだけを詰めていた。

 

 処刑名簿には俺の名前が載っていた。これが意味することは一つ。今の俺は盗賊の頃の俺と紐づけることが可能。だから、無計画な逃走は自分をさらに追いやるだけであり、今の地位から安全に抜け出すには「円満」あるいは「俺の意思に反するように見える」関係の断絶が必須になるということ。

 となれば、狙いは一つだ。怠け者でも嘘つきでもなく、ただ仕事に向いていない文官、これを目指す。露骨に手を抜かないし、悪意がある訳じゃあない。しかし遅い、確認も多い、字が少し揺れる、人の手を借りる回数が多い、害は小さいが利は薄い──そう見せる。

 これなら不忠の筋から外れて単なる無能と扱われる。理由なく即処刑なんてあり得ねえワケだ。徐々に配置替えが行われ、次第に軽い席へ落とされ、最終的にはクビ。周りも俺が消えることを何も疑問に思ったりしない。それが最善。

 

「そこに至るまでになるべくデカい問題起こしちゃいけねえってのも大事だよな……」

 

「? どうしましたか、先輩?」

 

「いんや、独り言だ。無視してくれ」

 

 致命的な線は踏まない。失敗すりゃ王家にまで及ぶ大事故、あるいは国の機密を酒に酔って公開──そんなことすりゃ飛ぶクビは現実の方になる。意識しておくのに越したことはねえ。

 誰の目に、その像を刻むかも決めておくべきだ。何の決定権もない奴とか、影響力の少ない奴とか、俺にあんまり関係しない奴とか。そういう奴にアピールしたって無駄でしかない。問題が無い限り、相手は選ばなきゃならねえ。そうだな──。

 

 吏長には「誠実」だと思われてる。そこに「だが遅い」を追加しよう。

 タリエは俺を「良い奴」だと思ってる。だから「何を教えても進まない」と思わせることで、印象を壊さず無能認定させよう。

 ソラナは俺を「怖がる」ようになっちまった。だから「重荷になるほどではない」程度で「苦手な相手」、そう思わせるのが正解か? 

 で、台番やその他の知り合いには「真面目だが用具の扱いが覚束ない」。

 同じ奴に同じ鈍さを何度も見せりゃただの芝居になる。時間と狙いは適度に散らして、似たような失敗は三回目になる前でストップ。そこまで決めてりゃ十分か? 

 

「その、アシェルさん、は……どう、しちゃったんでしょうか。きゅ、急に走り出したり、変なこと言い出したり、急に黙っちゃったり……」

 

「……気にしない方がいいんじゃないですか。あの人なんか急に変になっちゃったから」

 

「や、やっぱり……! 変、ですよね、アシェルさん! え、えへへ……」

 

「誰が変だっておい?」

 

「ひぃっ!?」

 

 苦手な相手……こういう感じか? 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「先輩、今回の控えの正確な見本、ここに置いておきますね。原文から少し変わっているので、分かんないみたいんだったら横にあると楽ですよ」

 

 タリエが板に写した見本を置き、束を三つに分ける。んなもんあったのか。

 聞いたら、様子のおかしい俺のために頑張って調べて荷物室の奥の奥から頑張って探してきたとかタリエは言っていた。

 声は穏やかで、語尾もやわらかい。いつもの調子に戻ってやがる。俺が原因なんだが切り替え早いなコイツ。

 

「ア、アシェル、さん……。その、筆……こっちの細い方がいい、と思います。紙、今日の束は滲みやすいので……」

 

 ソラナは背を丸くして筆立てを探り、細い筆を両手で渡す。眼鏡がずれて、慌てて押し上げる。

 

「あ、ああ。借りるぞ」

 

 俺は細筆を掌で転がし、墨に沈めてから、一行目の『定めの文』に筆先を落とした。

 まあ当然書ける。だが、今回は遅さを強調すべきだ。字の間を測るふりで一息長く置き、見本に視線を落としてから戻す。わざと視線が行き来する道を作って無駄な時間稼ぎを──。

 

「(……こういう手順、前は口で言わなくても進んだと思うんです)」

 

「(わ、私も……。あの、先輩、なんだか、きょ、今日は、ゆっくりで……)」

 

「(無理はさせられませんけど、手順だけ先にまとめて並べておきますか)」

 

「(は、はい。私も時間を見つけて、もう少し手助けを……)」

 

 机の端で紙を揃えながら、二人の囁きが耳に刺さる。分かってる、分かりやすい助け舟だ。クソ、やりづれえ……。

 自分らの仕事もあるだろうに、アイツら俺の様子がおかしいからってめちゃくちゃサポートしてきやがる。なんだよソラナ、お前仕事できない側じゃなかったのかよ、普通にできるのかよ。

 目の前でわざと失敗したり、チンタラ仕事して緊張を煽るのは今だってことは分かってるんだが……。そんなに苦労させちまうと俺としても心地が悪い。

 ……ああもう、止めだ止めだ。これだけはもう真面目に終わらせちまおう。足引っ張るのは次だ、畜生。

 

 次の束を手前に寄せる。今度の仕事は市門の出入り帳だ。札の欄は「人数」「荷」「刻」「番」の四つ。それを控えに写すだけの単純作業だ。

 まあ、そんな作業でも学のない盗賊崩れにはちょっと厳しいかもしれない。ここで数字を一つずらせば、大きくはないにせよ面倒がきっと広がるだろう。分かってる。やるなら今だ。

 

「先輩、控え板ここに置きますよ。昨日の分も横に出しておきますね。書き方を揃えるので」

 

「そうか、置いとけ」

 

 わざと人数の欄を一度だけ間違える。三を二に置き、筆先を離す。そしたらソラナが横から軽く札の端を指さした。

 

「あっ……アシェルさん、ここ、三、です。その、荷の欄の横で、数え直した跡があるので、三のまま……のはずです」

 

「……見えてたか」

 

「あっはい、見え、てました。……確認に通す前で良かったですね、そのままだと怒られちゃうので」

 

 俺は怒られたかったんだよ……! 

 数字を直して次の札だ。荷の欄に「樽二、布一」。ここを「布二」に膨らませれば……。

 

「せ、先輩。荷の欄、昨日の分と同じ記しがあるので、樽二、布一……だと思います」

 

「……そうだな、そうだよな」

 

 ああそうだよなぁ……。さっき一回指摘してるんだから同じミスが見逃される訳ねえよな。口の裏で吐き、聞こえないように飲み込む。気分が沈む。

 まあでも、これでコイツらから「仕事できない奴」だって思われさえすれば、まだなんとか……。

 

「け、結構、初歩的なミスです、ね……! アシェルさんも、そういうとこあったんだ……ちょっと親近感湧くかも……!」

 

 嘘だろおい。

 逆に「慣れ親しみやすい奴」みたいなイメージ持たれかけてるぞ。元の持ち主はどれだけ完璧人間やってやがった。

 

「あっ先輩。倉庫の仮置き、期限のとこ間違ってたんではこっちで直しておきましょう。今日から七日です。受理を押したあと、控えに移せば終わりです」

 

 ……それは俺がわざと間違えた奴だ。

 いや、待て。ここで何とか新しい無能アピールをするんだ。「独断で勝手に変えようとした」なんて言えば、「やる気だけはある無能な働き者」として頭に残るはず。そういう奴が一番厄介だ、味方にいるだけで全体の勢いを下げちまうぐらいには。だから──。

 

「──いや、七日で足りるのか気になってな。独断だが、勝手に変えようとしてな、だろ?」

 

「そうですね、いつもは足りません。今回は祭が終わっているので、延長無しで何とかなるそうだが」

 

「あっ、そう……! そういうことって、あります、よね! 私も、たまに思っちゃうことあって……」

 

「確かに。いつも静かに仕事してたのに、頭の中だと意外と色々考えてたんですね、先輩」

 

 嘘だろおい。

 

 文官じゃこれ、あるあるなのかよ。「じゃあはい」と渡された紙を持って立ちすくむ俺。

 二人の顔がこっち向いてる。……ダメだ、クソ、大事なとこだけ無駄に都合の悪い解釈しやがって。筆先が落ちる。崩しきれない。色々助けてくれる二人の事を考えると、胸の奥が重くなる。

 別に俺は善人じゃない。けど、ここまで手を出されると、あからさまにやらかすのが気持ち悪い。畜生、次のヘマを考えねえと。

 どうして真面目にやるよりヘマする方が頭を使うんだよ、ったく……。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 夕の気配が机の端まで這ってきた。結局は滑らかに進んじまったな。数字の数え直しは三度、字の書き直しも二度、他にも色々。狙って無能を出したつもりだが、横から丹念にフォローしてくるタリエとソラナのおかげでこの有様だ。胸の内で舌打ちしながら、最後の封を押す。

 箱を引き寄せて蓋を落とした。肩の力が抜ける代わりに、胃の奥が重くなる。今日はたいして崩せなかったな。致命線は踏まない、なんて決めごとのせいで、どうにも張り付いた芝居になって、二人に先回りで塞がれる。ああクソ、明日やり方を変えるか……。

 ふと見ると、廊下から足音が寄って、吏長が戸口に立った。疲れ切った目が机を一列舐める。

 

「祝祭の残り、今回分は終了だ。毎年通り、また労いの席を取る。明日は休息日なので丁度いいだろう。来れる者は来い、以上」

 

 それだけで踵を返す。周りの机も一斉に布と紐の音。

 へえ、労いの席。毎年通りってことは祝祭の度に飲みをやってるってことか。堅そうな人間だと思ってたが、メリハリをきっちりつけるタイプなのか。さっきの言い方だと、他にも催しごとにこういった会を開いてるのかもしれない。激務っぽいしな。発散できる機会が欲しそうだ。

 俺もせっかくだから乗ってみるか。相変わらず家の場所が分からねえから早く帰っても意味ねえし。酒の席で失敗すればさらに無能アピールができるだろ。今度は仕事と違って、二人に庇える内容でもない。ああ、利点しかないな。行こう行こう。

 

「じゃあ先輩、また来週ですね」

 

「わ、わたしも、また。えっと、その……アシェルさん、今日は、あの、ゆっくりでしたけど……だ、だいじょうぶ、ですからね……!」

 

 ん? 

 

「お前ら行かねえのか?」

 

 口が勝手に出た。二人の目が同時に丸くなる。

 

「え、行くんですか、先輩? 珍しいですね。いつもは『先に失礼します』と帰ってたのに」

 

 は? 

 

「……普通、こういうのは行くもんじゃねえのか?」

 

「あえて詮索しませんけど。先輩は、行かない方でしたね」

 

 マジか。前の俺、どんだけ真面目な帰宅人間だったんだ。机→鍵→家、の三歩で毎度終わってたってか。そんなに家が恋しかったのか。俺は覚えてないってのに。

 

「僕も寄り道せずに帰ることが多かったです。先輩に倣って」

 

「わ、私も……。お酒と人混みが、あんまり得意じゃない……ので。知ってる人もほとんどいないし……」

 

 ……なんだこのノリの悪いトリオは。普段から三人で動いてるのも同じ理由だったりするのか。

 まあそんなことはどうでもいい。もう俺は行くって決めたんだ。

 

「まあ、たまには顔出す。そういう日もあるってだけだ」

 

「──そうですか。じゃあ僕も行きます。すぐ帰るつもりでしたが、先輩が行くなら」

 

「ん?」

 

「えっと……じゃ、じゃあ、わたしも、少しだけ……」

 

「は?」

 

 タリエは頷いて、荷物を肩にかけた。ソラナも指をもじもじさせて呟く。

 え、俺が来るから行くって言ってんのコイツら。どんだけいつも一緒に行動してんだよ。

 

「……仲良しかよ」

 

「いいえ。ただの労いですよ。様子のおかしい先輩を一人にする訳にもいきませんし」

 

 ん? ……ああ、そうか。今の俺は都合も事情も何もかも忘れてるちょっと心配な知り合いなのか。妙に真面目な返ししやがって。

 俺は肩をすくめ、机の引き出しに手を入れて、袖の影に茶封の重みが残っていないのを確認する。よし、大丈夫だな。

 

 にしても、酒か。

 兵士の頃は確か一滴も飲まなかったな。飲むのは盗賊の頃に酔った上の連中に絡まれたときぐらいか? だいぶ久しぶりな気がするが。

 ソラナじゃないが俺もあんま酒好きじゃねえんだよな。マズいし、ガツンとくるし、ぐらぐらして気持ち悪くなるし。

 まあそれぐらい体調悪くなる方がヘマも起こしやすくなるだろ。我慢は得意なんだぜ俺。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 奥の机がざわついてる。笑い声にまじって、しゃがれた声が転がる。見ると、吏長が頬を真っ赤にして盃を振っていた。脇に直属の部下が二人、困った顔で座ってる。机の前に樽があるぞ。まさか吏長専用か? 

 マジか、結構お堅いイメージだったんだが。実際辞職を頼みに行ったときは冷たくつっぱねられたし。酒は人をこうも変えちまうのか……。

 

「上の面子はとにかくキナ臭いんだよ。権力争いだの、領域の奪い合いだの。それの尻拭いをさせられるのはいっつも私だ。……お前らも、出世するならほどほどにしておけよ。食っていけるぎりぎりの地位で満足しておけ。深入りすると骨が折れる、私みたいにな」

 

「は、はあ……」

 

「どちら様のことかは存じませんが、ここではお静かに……」

 

「静かにぃー? 労いの席で静かに、は無理だろ。何のために貸し切りにしたと思ってるんだ。……ほら、飲め。飲んで忘れろ。まあ忘れられんこともあるがな、アッハッハッハ!」

 

 吏長は盃を自分で満たして、口をつけながら空になった部下の器にも注いだ。注ぎ口が乱れて卓に少しこぼれる。眉間の皺はふだん通りなのに、口だけが緩んでいる。舌がほどけると、こんな愚痴ばっかりになるのか。

 

 ──大変だな。上から押され、横から引かれて、下は見てやらにゃならん。あの目の隈は飾りじゃねえか。普段冷たいのも仕事に真面目な証拠なのかもな。んな中で急に辞めたいなんて言われてもそりゃ困る。

 あの部下も可哀想だな。ああいう絡み方をされるなんて、「偉くなるのはほどほどに」を体現してら。俺もほどほどの文官のままでさっさと抜けだそっと。

 

 向こうから目を外す。目の前には「あの人毎回ああらしいですよ」と呟いて水を飲むタリエと、「そうなんだ……えへへ……」と果汁を飲んでるソラナ。

 当然俺は酒を頼んだ。俺も吏長ぐらい酔い潰れれば、周りから嫌な目で見られるかもしれねえからな。

 店の婆が新しい壺を抱えて俺らの卓へ来る。口を布で拭いてから、俺の前にどん、と置く。

 

「ほれ、うち自慢の酒だよ。匂いは薄いが、味はいい」

 

「へえ」

 

 口だけそう言って、喉の奥を固める。どうせあの頃みたいに酸っぱくて、薬臭くて、樽の木くずが舌に当たるんだろ。無理やり流し込まれた酒を思い出す。あれは喉が拒んで、鼻に逆流して、次の日は頭が割れた。まあ多少の犠牲は仕方が……。

 

「……なんだこれ」

 

 ……刺さらねえ。喉が楽に通るし、腹に入っても荒れねえ。温かいだけだ。舌にねばつく嫌な残りもない。薄いのに、味は死んでいない。穀の甘みが少し残る。水みたいな顔して、水じゃない。

 盃を見直す。色はやっぱり薄い。臭くもない。もう一口。喉が勝手に飲む。肩がほぐれた。目の奥が重くならない。むしろ冴える。

 

「……うめえ。嘘みてえだが、うめえ」

 

 口から出て、ちょっと驚く。酒がうまいなんて言葉、生まれてこのかた使った覚えがない。二口、三口。腹に火がつく。火っても暴れない。静かに広がって、手先が軽くなる。

 

「先輩がお酒飲むところは初めて見ましたね。結構強いんですか?」

 

「いや、知らん。俺もあんまり飲まねえから。……でもこれうめえな。良いとこの酒はこんなもんなのか?」

 

「さ、さあ……? 私は飲みませんし……」

 

「僕も分からないですね」

 

「ふーん……。──なあ、もう一杯頼んでいいか!」

 

 頼めば、壺がもう一つ来て、盃が勝手に行き来した。

 

 それから何杯か飲み続けたが、まるで嫌な感じがしねえ。とにかく不思議な感覚だ。

 なんだかいい気分もしてきたな。腹が温いし、笑い声も近くなった。気づけば肩の力が抜けてる気がする。

 盗賊の頃の俺の体が酒に弱かったのか、それとも今の体が強いのか。飲んでる酒が違うだけか。理由は分からないが盃を空ける手が止まらねえ。

 外の風が一度入ってきて、汗が引く。盃を置く手は安定して、足もぶれない。てことはこの体が強かったんだな! 

 なんだか面倒な思考が飛んで行って、今日はただ飲むだけでいい気がしてくる。

 

 あれ? でもなんか俺には目的があったような……? 

 まあいいか! 今楽しいからな! 思い出したらでいいだろ! はっはっは!




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