……この人を皆さんは覚えているんでしょうか(´・ω・`)
俺の人生は、どうしてこう、ツイてないんだろう。
あの牢獄に入れられた日からずっとそんな風に思い込んで……もう頭がおかしくなりそうだ。
俺はただの見習い兵士だった。真面目にやってたはずだ。訓練だってサボらなかったし、上官の命令にも従ってた。
実際に調べれば俺には何の前科もないことだって分かるし、できるかぎり人にも優しくしてきたことだって調べがつく……と思う。問題点といえば、ちょっと妄想癖があって、頭の中で考えすぎてしまうことだが……今更そんなこと考えても意味は無い。
なのに、ある日突然、身に覚えのない罪を着せられた。
祝祭の書類がどうとか、押し具の痕跡がどうとか。全く知らない証拠を突きつけられて、弁解する言葉もろくに思いつかなくて……気づけばこの冷たくて臭い牢獄の中だ。何を間違えたのか、何も間違えてないはずなのに……。
しかも後から聞いた話だと、俺の前に疑われてた人がいたらしいじゃないか。確か……「アシェル」とかいう名前の同期だ。そいつはアリバイを証明して逃げ切れたらしい。で、そいつが逃げ切ってすぐ俺の持ち物にあの紙きれが入ってた。
ふざけないでほしい。
なんで俺なんだ、確かに知り合いも少なくて、狙いやすい人間だったかもしれないが……俺はただ、真面目に生きてただけなのに。
そんなこんなでもうそろそろ一年。俺は完全にここで腐り続けてしまった。
外の世界がどうなってるのかも分からない。王都で騒ぎがあったとか、危険な「教会」がどうとか、看守たちの噂話はたまに聞こえてくるが……もう俺には関係ない。どうせ俺はこのまま、誰にも知られずに死んでいくんだ──
「彼ね──ほら、起きて」
「……え?」
あ……あれ?
食事の時間か? それとも尋問か? でも、今日は特に用事とか無かったはずだよな?
というか、この女……どこかで見たような。あの兵舎でたまに顔を見ることがあったような……。
ああでもあり得ないよな。ほんの一年ちょっとで見習い兵士が王城で働く兵士になってる訳がないんだし。そもそも何の用で──
「──出なさい。釈放よ」
「……はい?」
「連れてまいりました」
「ご苦労、ルシア」
え! え? なんでだ? なんで俺が──エリザベト様の御前に連れてこられたんだ!? ご丁寧に身支度まで整えられて!
ていうか、この兵士──ルシアって見習い兵士だ。訓練の最中もよく周りの奴らを引っ張ったり水を配ってたりしてた。ようやく思い出したが……なんでこいつが王城にいるんだ?
というか、他にも文官の男女二人と──見たことねえ女が部屋にいるし……誰だこいつら? 俺みたいな一人の罪人のために、こんな大物が集まるなんて……処刑の宣告でもされるのか?
「で、かの者が件の?」
「はい、エリザベト王女殿下。この男が例の件で投獄されていた人物で間違いありません──そうだな? タリエ」
「はい。元々明確な証拠がありましたが、ご命令されていた再調査を基に──その証拠が後に捏造されたものであると判明しました」
タリエ……タリエって!
あいつ、アシェルが捕まった時に尋問を担当してたヤツじゃないか!
俺の時は別の相手が担当だったが……あいつ、ただの文官じゃなくて、王城所属のエリートだったのか?
──つまり、そのタリエに指示してる隣のあの女は……ただの文官じゃなくて、それ以上の……!?
ちょ、ちょっと待ってくれ。今の俺の身に何が起こってるんだ。
俺はこれから処刑されるのか? それとも解放されるのか?
それで──あそこにいる美人は誰なんだ。
周りとは明らかに違う、王女が近くにいるってのにいかにも平民ですって恰好してて、少し薄汚れた色だがきちんと整えられた髪を束ねている──俺のことずっと見てるあの女は。
……どこかの貴族の娘がお忍びで来ている? いやでも、それなら王女に傅きもせず、あんな貧相な服とあんな自由な体勢で座ってる訳がない。そんなことしたら不敬だってのが分からない貴族はいないはず。
……っ!
指をさされたぞ。何を言うつもりなんだ。場合によっては、これが俺の生死を決めるかも──
「──そうそう、確かにコイツだった。間違いない。釈放してやってくれ。無実だ」
「……え?」
「ふむ。貴方がそう言うなら、間違いないだろう。ただ今よりこの者を無罪放免とする」
「えっ!?」
「其方が投獄されたのはこの国に巣食う膿によるものだ。それを防げなかった責任は我ら王家にある。後ほど正式に謝罪の場を準備するが……まずは謝罪させてほしい。申し訳なかった」
「え、ええ……え?」
む、無罪……放免? 俺が?
今まで誰も信じてくれなかった俺の無実を、この見ず知らずの美女の、たった一言で?
いや、「再調査」って言葉も聞こえたが……間違いなくその判定を決定づけたのはこの美女だ。というか、エリザベト様が今、「貴方がそう言うなら」って……この女の言葉一つで、王族の決定が覆ったのか? そんな馬鹿な話が……。
「コイツはもう大丈夫なのか?」
「手続きは既に済ませてあります、先輩」
「冤罪期間の補償金も準備した。少なくとも囚われていた倍の期間は遊んで暮らせるだろう」
「そうか。エリザベトもタリエもベラもありがとな。ルシアは……もう離してやって良いと思うぞ」
「そう? なら、はい」
ど、どういうことなんだ。
エリザベト様がこの女の指示を聞いて、タリエとベラって文官が俺を自由にするための手続きをしていて、俺を抑えてたルシアも離れて、その上開錠までしてくれた。
国のトップたちが、この女の一言で動いてるのか? この女は何者なんだ。王女の姉妹か? いや、それにしては態度が砕けすぎているし、そんな存在なら国民が知らないはずがない。王子ならいるが……つい最近死んだと聞いているし、そもそも性別が違うじゃないか。
「で、だ。釈放されたのはいいが……コイツ、これからどうするんだ?」
というか、この女。
さっきから口調はまるでガラの悪い男そのものだ。声は……男とも女ともとれるような声色してるが……。
というか、これからって……。
「いくら金があるとはいえ……ずっと職無しじゃいずれ困るだろ? 牢屋暮らしが長かったんだ、それの面倒も見てやらねえと」
「あ……いや、その……」
……確かに図星だ。
逮捕された時点で間違いなく兵士の職は解雇されてるだろうし、家賃も払えてないから追い出されてるはずだ。釈放されたところで、俺には行く当てがない。金だけ貰っても困る。
そう考えると、仕事探しは焦らないといけない。
元々、自分の妄想癖のおかげで上手く他の仕事はできず、消去法的に兵士を目指すことになった自分だ。一度でも牢屋に入っていた人間が今から兵士を目指すことは不可能だろうし、そもそもそんな人間を雇ってくれるところはあまりない。誰かに推薦してもらうでもしないと、再就職は絶望的だ。
「俺が頼み込めば、ここの奴らに次の仕事を回してもらえると思うが……」
「え!? ま、待ってくれ! 俺には無理です! 俺には難しいことはできない!」
「ん? そうか?」
な、何を言い出すんだこの女は!
推薦してほしいとは思ったが……まさか、このお偉いさん方に俺の仕事を紹介させようとしたのか!?
気持ちはありがたいが、何の経験も無い俺にそんなことできる訳が無いし、そんな偉い人間に囲まれるのも御免被る! 図々しいかもしれないが、そういう人間なのだから仕方ないのだ。
というか、つい砕けた感じで喋ってしまったが……大丈夫なのか?
彼女が王女より上の立場の人間だった場合、不敬罪で再逮捕なんてことも……。
「あー……じゃあルシア。お前のとこで引き取れねえか?」
「無理ね。近衛兵は精鋭部隊よ。ブランクのある彼をいきなり入れるわけにはいかないわ。鍛え直しが必要ね」
……いや、でも、この女は今、俺の再就職先を探そうとしてくれてるのか。
対してルシアはドライだが……まあ、俺も見習いだったし、近衛なんて夢のまた夢だ。無理なことは分かってる。
ただ、そこまでしてもらう理由が分からない。
この女に何か他の目的があるのか、それとも──そういう約束をした経験が、覚えていないだけであるのだろうか……。
「じゃあ、俺が探してやるよ。着いてきな」
「……は?」
「元々お前のことは助けるつもりだったんだ。迷惑じゃなけりゃ一緒に仕事探しに行こうぜ」
スッと立ち上がった彼女は俺の手を引いて……つ、つよっ!?
え!? この女結構力あるぞ!?
「ちょ、ちょっと待ってくれ! あんたは一体……!」
「いいからいいから。悪いようにはしねえって──じゃあなエリザベト! コイツは連れてくぞ!」
ていうか、なんだこの状況!
美女に腕を引かれて、二人で王城から……役得といえば役得だが……!
「え、ああ。相変わらず唐突だな──ではまた明日、シェラ殿」
「せ、先輩! 護衛は……!」
「よせ、タリエ。今はレミが監視しているから問題ない」
お、俺はどうなるんだ。
ついさっきまで牢屋の中にいたのに、今はこぎれいな服を着せられて、王女様と謁見した後、謎の美女と二人でこれから職探しだなんて。
さっきから、まるで予想できないことの繰り返しで……!
「……エリザベト様、明日って? 私、明日は工房に行けませんが……アシェルと何か?」
「あっ」
*
「……で、コイツを雇えねえかなって話なんだが」
あの後、シェラ──と名乗る謎の美女に連れてこられたのは、王都の奥の方にある小さな工房だった。
さっきまでいた場所に比べれば外観は古びているが、中はインクと紙の匂いが漂う、落ち着いた雰囲気の場所だ。
ただ、そこにいる面々のおかげで、妙な雰囲気になっているような……。
「……無理だ」
一人は、作業机に向かって黙々と筆を走らせている、無愛想な青年だ。
「写本は、素人にいきなり、できるものじゃない……それに、今は俺一人で十分、だ。新人を育てる余裕も、給料を払う余裕もない。お前さえいれば……いい」
「だよなー。まあ、そう言うと思ったよ」
シェラは、特に落胆した様子もなく頷いてる。
俺としても、こんな職人気質の場所でやっていける自信はない。断られて正直ほっとした部分もある。
仕事を探してくれるのはありがたいが……どうしてこんな場所を選んだんだろう。
「あら、それなら私が相談に乗りましょうか~?」
もう一人は、上品な衣服に身を包んだ、柔和な笑顔の女性だった。
ニコニコしながら口を挟んできたあたり……そういった仕事の斡旋に経験があるのかもしれないが……。
「私、この辺りの物件をいくつか持っているのよ。もし貴方が何か商売を始めたいなら、空いてる店舗をお安く貸してあげるわよ~? 初期費用も相談に乗るわ」
「えっ……い、いえ、商売なんて……」
危ない危ない!
慌てて首を振ったその判断はきっと正解だ。商売なんてやったこともないし、何を売ればいいのかも分からない。元兵士の俺にできることなんて、剣を振るうか荷物を運ぶくらいだ。
そういう職じゃなくて、もっと地に足の着いたものを始めるべきなのは分かっているが……店を持つなんて、ちょっと想像ができない。
「そう? 残念ね~。彼女のお友達なら、特別サービスしたのに~」
「お友達……?」
振り返れば、「そうか……職探しって難しいな……俺は仕事選べたこと少ないからな……」と唸ってるシェラの姿。
この女、ただの知り合いレベルじゃなくて、こんな大家さんとも懇意にしてるのか? 随分と可愛がられてるみたいだが。それに、仕事を選べたことがないって……もしかしたら相当な立場の人間なのかもしれない。
いやまあ、王女と知り合いなんだし、それに比べれば大したことではないか……。
……というかそれ以上に、さっきから気になるのが。
最後の一人──何故か完璧なメイド服を着こなした、冷ややかな美女。
彼女はこの工房の隅で直立不動のまま、俺たちをじっと見つめている。
「……あの、彼女は……?」
この古びた工房に、あまりにも不釣り合いな存在だ。
仕立ての良いメイド服に、隙のない立ち姿。王城にいてもおかしくないような、本物のメイドの風格がある。なぜこんな場所にいるんだ?
「ああ、レミか。コイツは俺の……まあ、専属メイドみたいなもんだ」
「せ、専属メイド!?」
思わず声を上げてしまうのも仕方ないことだと思いたい。
じゃあますます──このシェラって女、一体何者なんだ? 王女に顔が利いて、大家にも可愛がられてて、専属のメイドまで連れてる? 見た目はただの美人なのに、持ってるコネクションが異常すぎる。
……あの、ゴミを見るような冷たさの視線を止めてもらえないだろうか。
なんだか変な動悸がさっきから鳴りやまなくて気分が悪い。俺の中で、この工房の下積みや起業という選択肢よりも、「この場所から逃げ出したい」という感情が若干上回りかけている。
大方、自分の主人に振り回されているのが赤の他人という状況を面白くないと思っているのだろう。それはどうにもできないし諦めてほしい。
「ま、ここは無理そうだな」
呑気なのは目の前でポンと手を叩くシェラだけだ。
だんだん、この女がヤバいヤツなんじゃないか、って思えてきた。俺は魔法や呪いなんてものは信じないが──そういう系統を振り撒いて色々な人間を支配している悪霊か何かなんじゃないかともう思い始めている。
流石に言い過ぎた。ちょっと妄想が飛躍しすぎだ。
ただ、間違いなくあのメイドはその手先だ。おそらく指示一つで殺しでもやってしまうような……そんな普通とはかけ離れた存在なんだ。
「カルも忙しそうだし、ロエマさんの提案もハードルが高いし。次行くぞ、次」
「あ、ああ……」
ああよかった……!
これでようやく出られるらしい。背中に突き刺さる、隠す気も無いメイドの視線から、一刻も早く逃れたかった。
ただ、分かったのは──この女、絶対にただ者じゃないということ。
本来なら関わっちゃいけない人種だ。でも、もう逃げられない。俺の運命は、この謎の美女に握られてしまってる。死んだはずの運命から拾われた命だが、このまま心臓が持つかどうか、怪しくなってきた。
明確に俺の味方をしてくれることだけが不幸中の幸いだ。
次に連れられる場所が、もう少し俺の胃に優しい場所なら少しは助かるんだが、はたして……。
*
「よう、兄貴! いらっしゃい!」
「あら………………シェラね。今日は早いのね?」
店に入ると、すぐに二人の男女が出迎えにきた。
一人は、元気そうな少年。もう一人は、知的な雰囲気の美女で、顔の半分を覆うように布がかかっている。二人とも仕立ての良い服を着ているし……この店の責任者なんだろう。少年はかなり若いが……奥に同い年ぐらいの少女もいるし、そもそもここにいる人間が若めなのかもしれない。
……兄貴? 少年はシェラをそう呼んだのか?
シェラは女のはずだが……まあ、姉御肌ってことなのかもしれない。
「おう、リアン、マドリー。ちょっと頼みがあってな」
「なんだなんだ? 兄貴の頼みなら何でも聞くぜ!」
「ええ。貴方の頼みなら、断る理由はないわ」
「助かるよ。コイツに仕事を世話してやってほしくてさ」
うわっ。
二人の視線が一斉に向いて来た。リアンと呼ばれた少年は元気いっぱいでぐいぐい来るような感じの、マドリーと呼ばれた女性からはこっちを見定めるような雰囲気をひしひしと感じる。どっちも圧があるぞ。
「へえ、兄貴の紹介か! なら大歓迎だぜ! うちは今、人手不足なんだ! 酒造りは体力勝負だからな、お前みたいにガタイのいいヤツは助かるぜ!」
ああいやでも、大丈夫そうだ。
こっちの少年はだいぶさっぱりしていて、性格もよさそうな気配を感じる。
牢屋から出てきたばかりの俺だが、彼なら受け入れてくれるかもしれないし、シェラも推薦しているから問題なく職に就けるかもしれない。
それに酒造りか。力仕事なら兵士時代の経験が活かせるかもしれない。悪くない話だ。
「うちも歓迎よ。新しい薬の治験……いえ、被験者が足りていなかったところなの。貴方の紹介なら、身元もしっかりしているでしょうし……ふふ、楽しみね」
……治験って言わなかったか? 被験者? 身元?
その笑顔、何か裏があるようにしか見えないんだが。こっちはちょっと合わないかもしれないな。
「おいマドリー、脅すなよ。コイツは普通の仕事を探してるんだ」
「あら、人聞きが悪いわね。正規の報酬は払うわよ? ……多少の副作用は保証できないけれど」
ああ、合わないみたいだ。
今確信した。美人には気を付けないといけないらしい。勿論隣にいるシェラにも気を付ける必要がある。
「ま、まあ、どっちにするかはコイツが決めることだが……どうだ? バレク家か、グロス家か、待遇は悪くないと思うぞ?」
「まあ、それは確かに……」
シェラの言うことは筋が通っている。酒のバレクと薬のグロスといえば中々に有名どころだ。兵士の頃からずっと知ってる名前だったし、いくらシェラと関わっているとはいえ、そこまで有名な名前を掲げているなら、とんでもない職場ってこともないだろう。
「なあなあ兄貴、今日はこっち泊っていかないのか?」
「そうよ。たまには元の家に顔出してみてもいいんじゃないかしら?」
「お、おおっと──じゃ、じゃあちょっと考えといてくれ。俺は二人と話してくるから……」
あ、あれ。
シェラが二人に連れていかれてしまった。もう少し教えてほしいことがあったんだが……。
まあ、仕方ないか。あの二人とは知り合いみたいだし。
じゃあ俺は店員のあの少女にでも話を聞いてみるか……。
「なあ、君……」
「ん? 誰? アシェル兄の知り合い?」
「え? あ、ああ。そうだけど……」
アシェル兄? この子もシェラをそう呼ぶのか?
さっきの少年も「兄貴」と呼んでいたし、そもそも名前が違うじゃないか。偶然にも俺の前に濡れ衣を着せられていた彼と同じ名前だし。この店の人間はどうなってるんだ。
「そっか……アシェル兄の知り合いなら──手出すわけにはいかないか」
「……は?」
「アタシさ、あんまりアシェル兄に知り合いが増えてほしく無いんだよねー」
手出す? 今、なんて言った?
俺の聞き間違いか? それとも、若者の間での流行りの冗談か?
なんだか俺に対する態度がかなりきつめな気がする。初対面だからこれが通常運転なのかは分からないが、どうやら嫌われてしまったらしい。
「なに、何を言って……?」
「なんでもないよ。アタシとアシェル兄の関係を邪魔しないなら殺しはしないから安心してー」
「!?」
な、なんだって?
殺しはしない? ちょっととんでもないこと言わなかったか?
……いや、冗談じゃないぞ。彼女の目は本気だ。腰のあたりに手を伸ばしているが、そこには何がある? ナイフか? それとも別の凶器か?
この少女、カタギじゃない。裏社会の人間だ。それも、相当手慣れた。
「ま、待ってくれ……!」
「ん? 待つって何が?」
「ひっ……!」
本能的な恐怖を感じてしまったのも間違いでは無いはずだ。
あのメイドの殺気とはまた違う、もっと原始的で暴力的な殺意。
少なくともこの店を出ることはできるかもしれないが、この店で働き続けるとなれば……いずれ本当に殺されるかもしれない。かつて兵士として働いていた身としては情けない限りだが、もう俺はリスクに近づきたくないのだ。
「おーい、話は終わったか?」
「あ、アシェル兄! おかえり!」
あの少女の表情が一瞬で変わった。
さっきまでの殺気はどこへやら、満面の笑みでシェラに抱き着いている。ここだけ見れば仲睦まじい姉妹のようなのに……あんまり似ていないな。
「どうだった? 彼は使えそうか?」
「うーん、どうかなー? ちょっと弱そうだし、すぐ壊れちゃうかも?」
「そうか……まあ、ずっと幽閉されていた身だし、仕方ないのかもな」
シェラはどうやら真意に気づいていないらしい。
その無邪気な「壊れちゃうかも?」という言葉の裏にある意味を理解しているのは、俺だけなのだろう。
とにかく無理だ。この店で働くなんて自殺行為だ。あの少年と女性はともかく、あの少女がとにかく危険すぎる。アンタの妹(?)のせいだと言ってやりたいが、それを言えば殺されることも分からないほど馬鹿ではない。
「その、俺には……荷が重そうで……」
「そうか。まあ、無理強いはしねえけど」
シェラはあっさりと引いてくれた。
少年は残念そうに、女性は興味を失ったように肩をすくめる。そして少女は──シェラの背後で、俺に向かってニヤリと笑い、指で首を切るジェスチャーを……。
……俺はもうだめだ。
「じゃあ……どうしようか。もっと知り合いの多い人間がいるから……ソイツに聞いてみるか?」
「あ、ああ。それで頼む」
もうとにかくこの店から早く出してほしい。
背中を支えながら力を入れすぎず、ゆっくり押してくれるシェラが良い奴に見えてくる。
この女、本当に何者なんだ? 裏社会の重要人物か、あるいは国を影から操る黒幕か。俺はとんでもない「怪物」に関わってしまったのかもしれない。
*
俺はまたしても、とんでもない場所に足を踏み入れてしまったらしい。
「……で、こいつの仕事、なんとかならねえかな?」
最後の望みとしてシェラに連れられて来たのは、路地裏にある怪しげな建物だった。
中に入ると、鼻をつくような甘い香の匂いと、壁一面に並べられた蝋燭。そして部屋の中央には、誰かの木彫りの像が祀られている。
部屋には、二人の女性がいた。一人は、祭壇の前で祈りを捧げていた、ローブ姿の女性。もう一人は、退屈そうに宙に浮いている大きな帽子をかぶった女性……浮いている? もうおかしい。
というか、これはもう。どう見ても。カルト教団のアジトだ。
なるほどなるほど、シェラの正体はそういうことだったのか。
「また変なのを拾ってきたねー。ボクの眷属の時間は貴重なんだよー?」
宙に浮いた少女はもうずっと不満げだ。
そもそもケンゾクとはなんなのだろうか。「ボクの」と言うあたり、所有物を意味する言葉なのだろうが……少なくとも俺が普通に生きていて知る単語ではないことだけは確かだ。
「悪いなノエリス。でも、放っておくわけにもいかなくてよ」
「どうでもいいよ、そんなの。魔法で記憶を消して、適当な村に捨ててくれば?」
……?
おそらくシェラは相談する相手を間違えているらしい。すごく物騒な会話が聞こえてきた。
魔法ってなんだろうか。手品か何かの比喩か? それとも本気で……いや、浮いてる時点で只者じゃないのは確かだが。
「ソラナ、お前は信者と親交があるだろ? 誰か、こいつを雇ってくれそうなヤツはいないか?」
「ま、任せてください! 全員に、通達して! い、一番の職場を見つけてみせ、ます!」
「おお!」
おおじゃないが。おおじゃないぞ?
待ってくれシェラ、それは……いいのか? やってくる職業はマトモなものなのか? 俺にはとてもそうは思えない。今確実にはっきりとしているのは──この不可解な状況への恐怖だけだ。
「あの、その……俺は、もう……」
「あー……まあ、そうだよな。ここもちょっと、お前には刺激が強いか」
もう震える声しか出ない。限界だ。
刺激が強いとかの話じゃない。分かってるなら連れてこないでほしい。
王城、怪しい工房、危険な店、そしてカルト教団。どこへ行っても、俺の居場所なんてない。むしろ、行けば行くほど命の危険が増していく。初めは都合が良いかと思っていたが、釈放された時点で喜ぶのを止めておくべきだったのだろう。
「はぁ……困ったな。あらかたツテは当たったんだが……」
俺のためにここまでしてくれるのはありがたいが、連れて行かれる場所がことごとく異常すぎて、正直もう帰りたい。仕事というのは自分で探すものだ。人の力を借りるべきではなかったのだ。
「ねえ、そんなに面倒ならさ、キミの権限で何とかできないのかい? 命令一つでしょ?」
……権限?
いや、王女に顔が利き、大家や商人を動かし、カルト教団や魔法使いとも繋がっている。確かに、只者ではない。ないが……命令一つで人を自由に動かせるほどの権力を持っているというのか?
じゃあ、コイツの正体は、やはりとんでもない権力者……。
いや、それは違う。それなら初めから数少ない一部の人間に聞いて回らずとも、すぐ近くにいる人間に頼めばいいし、拒否されたとしても無理やり押し通せばいい。それをしなかったということは、今は権力者ではないということじゃないのか。
「いやいや、お前な……死人が命令なんて出せねえだろ」
……し、死人!?
シェラは……死人だというのか?
まさかまさか! あり得ない! 死人なら動いているはずがない!
……じゃあ、かつて凄い立場にあった存在、あるいは一部の集団で崇められている存在だったり? これも十分あり得ないが、死人が動いている理由付けとしてはあり得なくない。
そして……例えば、かつてはある国の姫として生き、邪神を崇める宗教の旗本として活動し、長き時を経て今この時代に蘇った……とか。
もしかしたらそうなのかもしれない。
兄貴や兄という呼び方はその宗教特有の特別の呼称であり、美女のような見た目でありながら喋り方が男性なのも、その特異性を示すものなのではないか。その重要人物であるシェラにはメイドや、信心深い店員がついている。その魔の手は王家にまで及んでいて、その活動拠点が今この場所であると。
信者と頻繁に交流しているこのローブの女性は広報的な存在であり、浮いている少女は実行部隊のような役割を担う立場。牢屋の中で聞こえていた「教会」がどうのといった会話もこのことを指すのではないだろうか。
いやでも、どうなのだろう。
死人というのはまた別の言葉を指すもので、彼女自身を意味するものではないのかもしれない。彼女本人の口から「死んだのは自分である」という言質を引き出せなければ、決めつけるのは早計というものだ。今のところ、今の考えはすべて俺の妄想でしかないのだから。
逆に言えば。
もしシェラが本当にそんなことを言ってしまえば……俺は本当にこの邪教から逃げられないということなのだが。
「そもそもなあ、ノエリス……」
ああ、シェラ。
どうか、なんでもないと言ってくれ。俺の考えを否定してくれ。
この部屋はただ趣味が悪いだけで、周りの人間に変人が多いだけで、君はただの意味深なだけの美女であると、どうかそう言ってくれないか……!
「(王子としての)俺は死んだはずだよな?」
ああ……!
俺はやっぱり逃げられないらしい。
これで後日談終わりです。
多分これで描きたかったことは大体書けたと思います。
感想や意見や評価やここすきや誤字報告をして応援してくださった皆々様には多大なる感謝を。
一つ一つに小躍りしていましたので。
明日の夜(2026/01/06 0:00)に、設定集みたいなおまけを投稿して完全に終わろうと思います。
長くなりましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました(´・ω・`)
文章練習でまたいくつか後日談を書こうと思うのですが、需要ありますか?
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ある
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ない