【完結】俺は死んだはずだよな?   作:破れ綴じ

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新しい仕事とアピール失敗

 幌の内側が低くて、頭を少し傾けていないと梁にぶつかる。車輪が石畳の継ぎ目を拾うたび、腰の骨がひとつずつ数えさせられた。鼻の奥は乾いた麻のにおいと、馬の汗の酸っぱさ。油差しの甘い匂いが混じって、喉がざらつく。公用の灰布の箱馬車ってのは見た目こそきちんとしてるが、中身は荷台だ。役人向けの座り心地は、誰も金を払ってねえのがよく分かる。

 向かいにはタリエ、その横にソラナ。板座の端でちょこんと膝を揃えるのは相変わらずで、揺れるたびに肩がびくっと跳ねてた。

 

「で、今日の仕事はなんだ。これでどこまで行くんだ」

 

「倉庫街の奥の詰所です。今日の仕事は盗難の取り調べですね」

 

 声を出すと、幌の中の乾いた空気が舌に刺さった。もう少し水を飲んどくべきだったか。

 対してタリエはいつもの落ち着いた声だ。

 

 にしても取り調べか。俺も兵士だった時に一回受けたな、それも目の前のタリエ本人に。文官ってのはこういう仕事もしなきゃいけないのか。大変だ。

 そういえば。あの時はコイツ一人だったが、今回は三人なのか? よく分からねえ。

 

「──お前、前にどこぞの兵士にも尋問ってやつ行ってただろ。あの時は一人じゃなかったのか」

 

 タリエの目が一瞬止まる。揺れに合わせて動いていた視線のリズムが崩れて、俺の顔で引っかかるみたいに固まる。

 ん? 質問を間違えたか? あの時は確かに一人だったよな? 何もおかしいことはないはず……。

 

「……? あの時も先輩いましたよね? 僕が中で、先輩とソラナさんが外で」

 

 ──は? 俺もいた? 中? 外? 

 

「……あ、いや、そうだった、な。そうだそうだ俺もいた。ちょっとド忘れしてた」

 

「本当に大丈夫ですか先輩? 最近とにかくほぼ全部の仕事忘れてますよね」

 

「だ、大丈夫、ですよ……。私だって、その、忘れることありますし……えへへ……」

 

「悪い悪い」

 

 いや分からねえよ。

 あの取り調べは確かに俺とタリエの二人きりだったはずだろ。あの時俺とソラナも来てて何か仕事をしてたって? 記憶違いか? 少なくともソラナとその頃の俺を見た覚えは無い。

 些細な仕事内容を忘れてるってのは確かに無能をアピールするにはもってこいだろうが、こういうちょっと特殊な仕事の内容すら全部忘れてると流石に怪しい。要は王に仕えてるはずの由緒正しい真面目人間が、大事な仕事の内容覚えてないってことになるからな。ただのアピールにしちゃ正直リスクがデカすぎる。

 だから仕事内容はできるだけ把握しとこうと思ったんだが。

 

「全く……気を付けてくださいね。隣の部屋から壁の穴伝いに尋問を聞いて、内容の記録とか調査するだけの仕事なんですから。大事とはいえ忘れるような仕事じゃないでしょう」

 

「の、覗いちゃだめ、ですよ。覗くと、気づかれるので……」

 

 ……ああ、なるほど。

 壁のどっかに穴があって、隣の部屋からそれを聞いて色々するってことか。尋問相手には気づかれないように「一人でやってる風」に見せて、後ろで情報の裏取ったりする仕事役がいる訳ね。そりゃ対面相手とだけ喋ってるつもりの俺じゃ気づかなくて当然だ。

 へえ、あの時壁の向こう側にはソラナと俺がいたんだな。結構惜しかったな。もう少し待ってれば俺になる前の文官アシェルがどんな奴か確認できたってのに。

 

「そうだそうだな。思い出した。穴だの、なんだの、そういう段取りがあんだな。で、今日はそれ」

 

 わざとぶっきらぼうに返しとく。間抜けさは出すが、無知は出しすぎちゃいけない。線引きはそこだ。

 

 揺れが深い。車輪が曲がるたびに幌の骨がぎしぎし鳴いて、御者が舌打ちしやがった。街角の果物屋が声を張る、馬が耳を振る。

 全部まとめて箱に詰めて運ばれていく感じが、俺にはどうにも落ち着かなかった。前が盗賊だからか? 今日の俺は取り締まる側な訳なんだが。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 詰所の廊下は狭くて、壁紙なんて洒落たものはなく、剥いた石がむき出しだ。灯りも薄いし、油皿の芯が長すぎるのか、炎がふらついて煤の匂いが鼻に刺さる。

 

「じゃあ僕は部屋に入って待機しておくので、お二人は隣の部屋で準備をお願いします」

 

「はいよ」

 

「じゃ、じゃあね……!」

 

 今回の尋問担当のタリエが正面の扉の前で襟をちょいと整える。ああいう仕草はこいつの癖だ。余計な音が出ねえ手つき。

 移動中に聞いてた話だと、尋問ってのは必ず三人態勢で行われるらしい。俺たちはよくアシェル、タリエ、ソラナの三人組で組まされてたみたいだ。普段はタリエと俺が交代で尋問役だったらしいが、「今の先輩は物忘れが激しすぎるのでちょっと任せられません」の一言で俺はお隣組行きが決定した。英断だと思うぞ、実際覚えてねえし。

 ソラナは人見知りが激しいせいで一度も任されたことが無いらしい。うん、俺もコイツに喋らせるのは無理だと思う。

 

「わ、私……鍵、開けます、ね」

 

「おう、頼んだ」

 

 俺とソラナは横の細い扉へ回る。金具は古くて、触る前から鳴りそうな顔してた。カチ、って乾いた音。鍵はすんなり回った。手入れはしてあるみてえだな。

 隣室は薄暗い。高いところに小さく窓がひとつあって、埃が光の筋でまだらに見える。壁には聞いてた通りの、分かりにくい丸い穴が開いてた。握りこぶしより小さく、位置はそこそこ高い。隠れて聞くにはうってつけだろう。

 

 ソラナが革袋から板と紙、それから細い筆を出す。今回取り調べる事件についての書類とかそんなんだろう。相変わらずどういう紙なのか見当もつかない。俺の時もああいう準備がされてたんだろうな。

 壁の向こう、タリエのいる部屋は静かだ。椅子をずらす小さな音、机に何かを並べる乾いた音。こいつの準備はいつも騒がしくない。物の置き方に嘘がない。

 

「──ふふふ」

 

 笑った、と思って横を見た。

 ソラナの口角がゆっくり上がってる。目は涼しいままだが、まだ何も始まっちゃいねえのに、もう薄い笑いが張りついている。

 

「(始まるぞ、静かにするんだろ)」

 

「(は、はいっ)」

 

 正面の廊下のほうで靴の音が増えた。二人分、いや三つ。歩幅の合わない靴が石を打つ。金属が擦れる低い音が混じる。手鎖か? 脂の匂いと酒、それから安い香の粉っぽさが乗ってきた。汗に香を振りかけて誤魔化すと、ああいう匂いになる。雑な奴だな。

 扉が内側に押されて、金具がこすれて、向こうの空気が一度ふっと動き。間を置いて、男の声が穴から流れてきた。

 

『よお役人さん。手ぇ回すの早えな。俺は忙しいんだ、さっさと終わらせてこれ解いてくれねえか?』

 

『座ってください。順に確認します。あなたと違って僕は本当に忙しいんですから』

 

 タリエの声は低めだ。いつも俺たちに見せるのとは違う余所行きの声だな。俺の時もこんなだった。イヤミったらしい言い方と相手を見下したみたいな喋り口もあの頃と一緒。むしろ強まったようにさえ思える。まあ見習いの兵士とただの小汚え容疑者じゃ態度もちょっとは変わるか? 

 看守か何かが椅子を乱暴に引く音とドカっと腰を下ろした音。それに足で床を蹴ってみせる音が、わざとらしく一回多く響いた。癖だな、こういうの。

 

『はっ、確認、ね。俺は──』

 

「(へぇ)」

 

 ソラナが喉の奥で、細く笑った。ほんの息ほど。孔の向こうじゃなくて、こっち側の空気が冷たくなる。

 

「(こ、こういう声。ねちょ、って、してますね。低いのに、軽くて。きっと心が、や、やすいんです)」

 

「(……お前、始まる前からそれかよ)」

 

「(えへへ……。別に、好きじゃない、だけです。でも……こ、こっち、来る前から、分かります。アレは、きっと、クロだって)」

 

 おお。あからさまに見下してる。目が笑ってないぶん、口の端だけが悪い。ちょっとだけ引いた。

 あれか? 普段自分に自信が無いからあからさまにヤバそうな奴見ると安心するのか? 性格悪いな。文官ってのは性格が悪くねえとなれねえのか、それとも性格悪い奴ばっかり文官になるのか。

 壁の向こうで、タリエが息を一つ吸った音。紙がすべる音。机の上でなんか広げたんだろう。

 

『まず、倉庫の管理人の名前と持ち場を確認します。あなたがそこにいた理由を──』

 

『俺は通りすがりだよ。荷のことなんざ知るかっての。他にも人はいただろうに、役人はこれだからいけねえ』

 

「(ふふ)」

 

 ソラナの笑いが一段、濃くなる。孔の縁に指を置いて、爪でこそっと木を撫でてる。

 すげえ嬉しそうだ。そんなに盗人の醜態を見るのが好きか。俺が尋問されてるときもこんな感じだったんだろうか。結構生意気だったし、あり得るかもな。聞こうと思えば聞けるけど正直聞きたくねえ。普通にショック受けそう。

 

「(さ、最初から、こう。ば、ばかにしてるとことか、感じが悪いとか。あ、ほら! 今、い、椅子、蹴りました。い、いばりたくて。ね、ね!)」

 

 ──周りで自分以上に変な奴がいると、相対的に自分を見る目は冷めてくもんだ。

 俺の頭は「ここで『無能』を見せるのは難しいな、ただ聞いてるだけの仕事だからな」って冷静に考え始めてた。自分が直接出る訳じゃないから転げる舞台がない。せいぜい、書き写しで字を間違えるくらいだが、わざとらしいとすぐバレるし、ソラナはそういうのに結構目ざとい。

 穴からは、タリエの一定の声。男の舌打ち。椅子の脚が床を鳴らすたび、ソラナの口角がまた少し上がる。まあ日頃の激務のストレスと人間関係の煩わしさをこういう形で発散してなきゃやってられないのかもしれない。

 まあ、今後長い仲になるだろうし、心の中でだけ擁護しておくか。

 どうせこの尋問もすぐ終わるだろうし、その時は「お前の言う通りだったな」って言ってご機嫌でも取ってやろう。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ──終わんねえ。

 結構苦戦してやがる。

 

『はいかいいえ、ねえ。そんな遊びはよそでやってくれよ』

 

『遊びじゃないと何度言えばっ、事実確認ですから!』

 

『だったら事実を持ってこいよ。僕ちゃんさっきから紙遊びしかしてねぇじゃんか』

 

『この……っ!』

 

 タリエの声の端が硬くなる。いつもの平らな感じが乱されてやがる。椅子の脚が床を引っかく音がさっきより荒い。

 こりゃわざとだな。相手の話には乗らないで、とにかく雑音増やして煽ってるんだ。自分が捕まるかどうかよりも相手がどういう反応するか楽しんでる。すっかり乗せられてやんの。まあタリエも若いからな。こんなもんか。

 

「(あれ、あれぇ……? ど、どうして?)」

 

 横で、ソラナの指が紙の端をいじっては離す。さっきまでの薄笑いが張りつかない。口角が迷って、目だけが速く揺れてる。さっきまで馬鹿にしてた奴が中々ボロを出さないせいで、思い通りの展開にならないのが悔しいんだろう。コイツも若いからな。こんなもんか。どっちも多少感情的すぎる気がするが。

 俺の時と違って、明確な物証がある訳でも無さそうだし。調子には乗ってるが、お堅い役人には悟られない距離を保ってる。バカそうに見えて思ったよりバカじゃなかったってことだ。

 

 まあ、今の俺にとってはどっちに転がってもいいな。俺は別に正義に燃える熱い男でもねえし。アイツが捕まろうが、放されようが正直どうでもいい。

 むしろこれはチャンスじゃねえか? このままなにもしないで、運よく証拠を挙げられれば、二人が頑張ったおかげだって言えばいいし、もし無理なら俺の責任だって言えばいい。前者なら二人に恩を売れるし、後者なら俺への無能アピールになる。

 舌打ちの音が穴をくぐってきて、指で弾いたみたいに短く跳ねる。椅子の脚がさらに荒くガリガリ床を削ってる。容疑者の笑いとタリエの怒りの混じった掛け合いがまた響いた。

 いいな。コイツがしぶといおかげでちょっと得しそうだ。

 

『はいかいいえ、だぁ? 子どもの数取りじゃあるめぇし。ほら、片月待てって教わってねえのかよ、僕ちゃん』

 

『……何を。揶揄ってるんですか? いいから、質問に答えてくださいよ!』

 

『ははは! アホらしい。役所の坊ちゃんは灯り全開だもんなぁ?』

 

「(あっ)」

 

「(えっ?)」

 

 おいおいおいおい。

 あーやらかしやがった。それ言うのかよ。油断しすぎだぞ、せっかくボロ出してなかったのに。

 

「(なんで『片月待て』って言っちまうんだよ、あーもう終わりだな)」

 

「(……ア、アシェルさん?)」

 

 呼びかけられて振り向いた。眼鏡の奥からソラナが不思議そうな目でこっちを見てる。

 ん。なんだ? どうした? 

 

「(か、『片月待て』って、何ですか……?)」

 

「(? 有名な合言葉だろ。北の連中が会合でよく使うじゃねえか。『今はまだ早いから月が半分出るまで待て』って)」

 

「(し、知りませんけど……そ、その、合言葉……?)」

 

「(──ん?)」

 

 えっ、有名だろ? 

 んなもん盗賊の界隈じゃ全員知ってて当たり前の話じゃねえか。アレが出たってことは所属してる団だって割れるし、発言は記録してんだからクロ確定の証拠にもなるだろ。何を急に……。

 

 ──あっ。

 

「(ちょ、ちょっと資料持ってきます、ね! タリエ君にも、伝えます!)」

 

 ……しまった。あー、やっちまった。完全に余計な口を滑らせた。

 そうかそうか、当たり前だ。文官がんなこと知ってる訳ねえじゃねえか。うっかりしてた。

 ソラナは椅子を蹴るみたいに立ち上がって、紙束と筆を胸に抱えたまま、ほとんど駆け足で扉のほうへ向かった。眼鏡の奥の目はいつもの怯えたような揺れじゃなくて、妙に澄んでて、なんか決定打を見つけた獣みてえに真っすぐだった。

 

 扉を開けるときの金具の音が、狭い部屋に甲高く響く。ソラナが廊下に出た音と、正面の部屋の戸をノックする音。向こうでタリエが一拍置いて返す声がした。壁越しに微かにタリエとソラナの声が混じる。ひそひそなのに、速い。紙の擦れる音。

 やらかしたな、これじゃ「俺が気付いた」って筋書きが丸出しだ。油断してたの俺の方じゃねえか、ああもう……。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 扉が閉まる音が背中で小さく弾んで、静けさが戻る。俺たちは三人で詰所を抜けた。

 あの後二人に問い詰められ、アイツの所属までべらべら喋ることになった俺のおかげで、ものの見事に余罪が見つかり流れでしょっぴけることになっちまった。

「なんで役人がそんな言葉知ってんだよ!」と叫ぶ男は一転して酷く焦った顔だった。近いうちにあの合言葉も変わるかもしれないな。

 

「先輩!」

 

 タリエが呼ぶ。若干興奮気味の声だ。取り調べが上手く行ってなかったことも相まって、俺の独り言が大きな助け舟になっちまったらしい。

 

「あの言い回し、どうして知ってたんですか!?」

 

「わ、わたしも気になります……! あ、ああいうの、ど、どこで……?」

 

 階段を降りる足音が三つ、段ごとにばらける。俺は手すりの鉄の冷たさを指で確かめるふりをして、口の中の乾きをどうにかしようともがいてた。どう言い訳するか、そりゃ普通知るはずもねえ言葉のはずだし……。

 

「……その。街で、だ。耳に入ったことがあった、だけだ」

 

「どこで?」

 

 階段の折り返しでタリエが足を止める。声は強くない。知りたいだけ、って顔で。

 

「……市門の近く。荷のやつらが、言い合ってた。耳に残ってただけだ」

 

「へー! いつ頃です?」

 

「いや、つい、……最近。いつって言われると……まあ、昨日じゃない。そんなとこだ」

 

「そ、そういうの、耳に、入ること、あるんですね……アシェルさん、耳、いいから……」

 

 ソラナが助け舟みたいに言って、眼鏡を両手でくいっと上げた。責める調子じゃない。こっちも単に気になってるだけの顔。

 ああでもやりにくい。俺にとっちゃ尋問されてるのと同じだ。矛盾が出ないように言い訳考えるのも楽じゃねえんだぞ。

 

「僕ら、紙の中ばかりなので。そういう裏の言い回しとか疎いんです。だから気になっちゃって」

 

「いや。俺も、うっかりで口が滑っただけだ。大した発見でもねえよ」

 

「そ、そんな! すごかった、ですよ……!」

 

 このままじゃ二人して、あれはこれはと聞いてくる気がした。

 なんとか話を逸らさねえと。

 

「──そ、そうだ! 飲み行くぞ二人とも!」

 

 そうだ酒だ。あれがあればなんか面倒な考えは吹っ飛んで気分も楽になるし、俺も嬉しいし、話も逸らせる。やっぱり酒だ。あの旨い飲み物が全てを解決するんだ。

 

「えっ、僕飲まないんですけど」

 

「わ、私も……」

 

「いいから! 俺が奢る! ほら、さっさと戻るぞ!」

 

 もう全部面倒だ。

 証拠がどうとか合言葉がどうとか、俺が知ってるはずねえだろって話をこれ以上掘られたら、いよいよ首が回らなくなる。

 だから今はとりあえず、酒だ。

 飲んで誤魔化して、笑って誤魔化して、明日の朝には全部うやむや。

 それで十分、のはずだ!




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