【完結】俺は死んだはずだよな?   作:破れ綴じ

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上手く行かないアピールと懐かしい顔

 朝の束が机に落ちる音を聞いた時点で、手が勝手に指の腹で紙を数え始めてた。

 最近どんどんここの仕事に慣れてきてる気がする。とにかく規則だらけでさっさと抜け出したいのは変わらないのに、いくらヘマしようとしても上手く行ってないのが長引いてる原因だ。喉の奥で小さな舌打ちが鳴りそうになるが、顔には出さないでなんとか耐えている。

 タリエが肩越しにのぞき込み、いつもの落ち着いた声で内容の解説を始めていく。コイツは仕事が始まってすぐに段取りを俺に聞かせるようになった。急に人が変わって仕事内容をド忘れした俺を周りから庇いつつ、スムーズに仕事が進むよう工夫することがコイツの中で当たり前になって来てるんだ。

 どうしてただの先輩のはずの俺にそこまでするのか。元の体の持ち主はどれだけタリエからの好感度を稼いでたんだ。

 

「先輩、今日は巡察の回報を通りごとに束ね直して、昨夜から今朝までの時刻をそろえます。欠けた番号は小印で記録して、控えの余白に番号だけ追ってください。索引は僕が差し替えます」

 

「通りで分けてから刻をそろえる。抜けは数字だけ落とす、だな。分かった」

 

 そういう俺も、口の端が勝手に「きちんとやれる側」の返事を用意するのが腹立たしい。単純な手間は嫌いじゃないが、単純を繰り返す間にいずれ忘れることになる作業を指が学習していくのがもっと癪だ。覚えるなら俺の都合で覚えたいんだが。

 

「ア、アシェルさん。その束は、前の人の癖が混ざってる、ので……先に右端の通りの列だけ見て、癖が同じやつをまとめると早いです、よ。えっと、そうすれば、作業がずっと楽になりますから。えへへ……」

 

 背後からソラナが箱を抱えてやって来て、卓の空きを肘で作りながら、指先だけで紙の端を押さえた。言い方は相変わらずぎこちないくせに、コイツも言っている内容が「教える側」のそれになってきた。目には明らかにやる気が乗っている、そういう顔をするようになったのはここ最近だ。元々の真面目で堅苦しかった俺がミスを頻発したせいで、逆に自分の自信につながったってことだろうな。自信のつき方が性格悪すぎるだろ。

 正直見ていてむずむずするが、実際に仕事は進むから余計に何も言えねえ。あ、いや、俺は仕事進まない方が都合良いはずなんだが。

 

「その癖だけ先に拾って束にするってことだな」

 

「は、はい。印は小さめ、でお願いします。大きいと、あとで索引の色が見えにくくなっちゃうので……」

 

「おう」

 

 ソラナが自分で言い足して、箱のふたを胸で押さえ直した。目は紙から外さない。動きは慣れが多くて無駄が少ないくせに、口調だけ同じところがコイツらしい。

 返事を短くすると、舌の裏がむずつく。ここで「無理だ」って言えるようなら話は楽なんだが、自分でもできると分かりきった内容を「できない」とは言えなかった。何度も教えられてる訳だし、流れを乱そうとすると罪悪感の方が勝っちまう。そういう嘘をつくのは苦手なんだよ。

 

「先輩がだんだん元の勘を思い出してるみたいで、今日はすぐ済みそうですね。これなら先輩がおかしくなる前と変わらないかもしれません」

 

 タリエは仕事を覚え始める俺に満足げだ。だんだん面倒見がいいというか、責任感が強いというか、真面目な性格ががっつり顔を出してるように思える。あと相変わらず一言多い。

 

「ア、アシェルさん、今の印、ちょうど良いです。小さくて、でも、見落とさない大きさです」

 

 ソラナは些細なことでも褒めてくるようになった。少しとはいえ明確に上に立ててることの余裕がそうさせるのか。コイツに限っては元の体の持ち主より懐かれてるようにさえ思えてきた。

 

「先輩、最後の束です。終わらなくても大丈夫です。午後に回します」

 

「……まあ、いけるだろ。終わらせるか」

 

 自分の口から言葉が自然に出てくる。終わらせたいのか。終わらせて気持ちよくなりたいのか。書けば書くほど、「抜け出す」って目標から遠ざかる気がするが、この状況を上手く乗り越える方法が思いつかない。馴染む気がないのに、この場に馴染んでいく気がする。

 ──ああ、俺はこれでいいのか? 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 休憩の鐘が鳴ったので筆を置き、控帳に栞を挟んで外套を肩に掛けた。鼻の奥にこびりついた朱と油の匂いが濃い。こういう頭に籠った熱を追い出すには外気が一番だ。階段を降りる間でさえ、指の腹が紙の層の厚みをまだ数えてるみたいな感覚になって、染みついた自分の癖にぞわりとした。

 

「クソ、休憩は休憩だ。仕事のことは一旦忘れろ」

 

 声にしておかないと、自分が真面目な文官にまた一歩近づいてしまいそう。

 戸外の光に出ると、石畳の白っぽい反射が目に刺さり、喉の奥が乾いたまま上下する。門前の通りは昼前の混み方で、人と荷の音が早口に重なり、脂と布と鉄の匂いが鼻を抜けていく。井戸の脇に水売りが立っていて、木の杯を片手であおってみせるだけの手短な合図を寄越したので、顎で返した。

 

「一杯くれ」

 

「はいよ、まいど」

 

 料金を渡して水を受け取った。ああ冷えてる。ありがてえ。

 ぐっと飲みこんですぐ返すと、水売りは杯を桶に差し戻しながら黙って別の客のほうへ目をやった。冷めてるのは売り手も同じなんだな。まあ一回飲んだ人間にはもう用がねえか。

 外套の襟を指で直して通りの流れを斜めに見ると、荷車の軋みの向こうで、揃った靴の音が跳ねるように近づいてきた。二人分の拍が寸分違わず重なって、そのすぐ後ろに軽い金具の揺れが一つついてくる。耳が勝手に高さと歩幅を測って、列の隙間がどこで細くなるかとか考えだして、視線を柱の影に逃がした。

 

「違う、今は難しいこと考えるな。休憩中だ」

 

 自分に言い聞かせているうちに、列の先頭を歩く若い下役が手で道を示し、人の流れを人一人分だけ細くする合図を出した。肩の落とし方に無駄のない背中が通る。髪は低い位置でひとつに結び、襟の留め具は正しい位置で揃い、腰の革の吊り具は余りを丁寧に巻いて収めてある。足の着き方にばらつきがなく、石への音まで均一だ。横顔が光で白く照らされて、耳の形がはっきり浮いた瞬間、喉の奥が勝手に細くなった。

 

 だってあの顔は俺の知ってる顔だから。

 一つ前の人生で、とにかく見慣れた、整った顔だった。

 

「……ルシア?」

 

 口に出したら、膝がうっかり一歩分退きかけた。反射で樽と井戸の隙間の狭い影に身を滑らせ、背中に湿った木の冷えを受ける。

 筋肉が勝手に壁の位置を探すこの癖は、どうにも抜けない。柱の陰から視界の端だけで追い、息を乱さないように腹で押さえる。

 

「──待て、落ち着け。今の俺は、向こうの知ってる俺じゃない」

 

 そう言ってから、影に貼り付いている自分に薄く笑いが出かける。

 なんで俺は隠れたんだ。あれか? あんな死に方しておいて普通に生きてることが気まずいのか。そうかもしれないな。今再会したら何を喋ればいいか思いつかねえし。

 見たとこ装備におかしいところは一つもない。前はよく紐の通しを一つ飛ばしていたはずだが、今日は飛ばしてない。装具の金具は無駄に鳴らさない持ち方に変わっていて、歩くたびに音が静かにまとまる。

 俺が直させた癖だ。何度も指で結び方を直させた。一人でもちゃんとできるようになったんだな。やるじゃねえか。

 

「でも、なんで王都だ? 見習いが来るとこじゃねえだろ」

 

 喉に残った冷えがあっという間に引いて、胸の内側がざわつく。見張りの列に見習いが混ざること自体は珍しくない。だが、ここは王都。俺が知っている割り当てでは、見習いが王都の中まで来ることはあり得ない。

 もしかして結構大きな問題が起こってて、それに見習いが駆り出されてんのか? 勘弁してくれよ。アイツは結構抜けてるとこがあるんだ。俺が見てないとこで死なれでもしたらとにかく目覚めが悪い。

 

 でも、聞くな。ここで聞ける筋合いじゃねえ。

 今の俺の顔も、声も、歩きも、ルシアの知っている俺じゃないんだ。向こうの目に映るのは、市務の文官アシェルで、朝に走ったりはしない、紙束を触ってるだけの人間だ。ここで追う理由もないし、追ったところでまともに説明できる自信がねえ。

 

「見れただけで十分だ。俺が感傷に浸ってるだけさ」

 

 そうだ。気にするだけ無駄。自意識過剰だ。

 休憩の終わりの鐘がそろそろなるだろう。水だけ飲んで終わりってのは勿体なさすぎる。

 歩き出せば、さっきまで体に貼り付いていた冷えが薄くなり、代わりに膝の内側にさっきの緊張が残っているのがはっきり分かった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「あれは兵籍切り替えの仕事ですね」

 

「兵籍切り替え」

 

 へえ、また新しい仕事が出てきたな。よく分からんがそれもほんとに市務課の仕事なのか。もうちょっと軍事に関係するとこの仕事なんじゃねえか。

 タリエが簿冊を三冊持って、自分と俺とソラナの机の真ん中にすっと差し出した。

 

「普段はこんなにいないんですが、今年は少し人数が多いみたいなので。午後はほぼ全てこれの処理になるかもしれません」

 

 ふと周りを見れば他の机のやつも同じ簿冊を持って仕事を始めてる。部屋全体の空気が仕事の方向へ少し倒れていく。確かに、量が多いってのは間違いないんだろう。

 

「受理と控え、索引はこっちですね」

 

「あ、あの。見本板は、これ、です。欠けは、こっちの、下の右寄りで、輪の位置は、ここに、ちいさく残しておくと、あとで、照合が早いですよ……ええと、輪がひとつだと、規整が良い、ふたつだと、歩度も、良い、って、そういう、意味、です」

 

 ソラナが薄紙と見本板を俺の前に置き、指の腹で板の角を軽く叩く。俺は簿冊の背を掌で撫で、金具の冷えを指に移しながら、納得している風の顔をした。

 

「名と徽章番号、推薦者、査閲の要点が並んでいて、輪の数で評価の大枠が分かります。備考には臨時配置の記録や、武器の可否が短く入っています。官印は軍務の台へ回しますが、市門の出入り帳や徴の突き合わせのために、市務でも控えと索引を持っておく必要があるので、午後はこれの確認に集中するんです」

 

 言いながらタリエは表紙の金具を卓の線に合わせて止め、開く位置だけ俺に預けるみたいに手を離した。俺は椅子の背に肩甲骨を預け、肘だけ卓の端に置き、視線を紙へ落とす。

 

「最初の束は輪がひとつの行が多いはずです。推薦は斥候の副長や班長が中心で、備考は列の維持や装具の扱い、合図の理解といった型どおりの語が続きます。双環が増えるのは途中からですね」

 

 タリエの指先が頁の上段を示す。

 

「つぎの頁から、門の隊長の推薦が混ざります。臨時配置の記録が増えやすいので、備考のとこが若干詰まり気味ですね」

 

「見本板、こっちに、置き直します。輪が、ふたつのやつは、押しが深いことが多いので、欠けの位置、ずれに、気をつけてください。……あ、今日は、版が、混ざってるって、聞いてます」

 

「……分かった。忘れたらまた聞くかもしれねえが、今は一応把握した、つもりだ」

 

 そんな感じで説明が続く。いつにも増してやることが多い。初見でおぼえきれるのかこれ。なんでこんな面倒な仕事しなきゃいけないんだ。

 

「その、仕事内容は理解したが、結局これは何の意味があるんだ? どういうことをしたくてこの仕事があるんだ? この、兵籍切り替えってのは」

 

「? ……ああ、確かにややこしい仕事ですからね。兵籍切り替えは見習い兵士が正規の兵士に代わる手続きですよ」

 

 少し戸惑ったようなタリエの顔。そして次に説明。

 ……「見習い兵士」が「正規の兵士」に変わる? 

 

「──優秀者は後ろの頁だったよな?」

 

「そうですけど……ちょっと先輩どうしたんですか? ちゃんと前から順番に見ていかないと」

 

「ああいや待ってくれ。確認したいことができただけだ」

 

 頁をめくる。とにかく後ろの方、ここに載ってなきゃ別の簿冊かもしれねえが。俺の頭にピンときた考えが、とりあえず手を突き動かした。

 見つけた。門の隊長の印。備考が四行で、短剣可が付いてる。相当な成績優秀者の頁だ。

 俺の指が上段の左の行を軽く叩き、紙の下から革金具の匂いがふっと立つ。一人一人確認して、字形の細い癖を辿ったところで、喉の奥の膜が急に乾き、舌が歯に貼りつく。視界が自分の意思より先に行の冒頭へ戻り、読み間違えまいとする筋肉が勝手に固くなる。

 

 いた。

 ルシアだ。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「そうか、俺がいなくてもちゃんとやってたんだな、アイツ」

 

 ルシアは正規の兵士になって、それで王都に来てたんだな。変な問題が起こって見習いが駆り出されてるわけじゃなかったと。良かった良かった。謎も解けたし、アイツの努力が実を結んでいるようでこっちとしても祝ってやりたい気分だ。

 あれを見つけた後は素直に仕事した。ルシアが順調だって分かって気分が良かったのもある。おかげで余計に周りへ迷惑をかけようなんて気持ちはすっかり消し飛んでた。

 にしても、二重の輪に隊長からの推薦ね。備考の欄にも成績優秀者だってことがびっしり。よっぽど頑張ったんだろう。

 むしろ、俺との約束があるから頑張ってるみたいなとこがあるんだろうか。やっぱり次見かけたときは声をかけてもいいかもしれねえ。

 

 仕事の終わりを告げる鐘が鳴って、周りが片付けの準備を始める。もちろん俺も帰る準備は済ませた。つっても俺は家の場所が分からないから、そこらで見つけた安宿に向かうだけだが。

 

 外套を片手で引き上げて肩へかけ、腰袋の結び目を親指で二度つまんで固さを確かめる。回廊に出ると石が昼の熱を吐ききって、足裏に冷えが気持ちよく上がってきた。外門の閂を通ると、夕の空気が顔に触れる。通りは人が少し薄くなって、荷車は歩くみたいな速さで軋み、道端の油皿がぱち、と小さく弾けた。

 

「ア、アシェルさん! 忘れもの、ですよ!」

 

「ん?」

 

 振り向くと、回廊の影を抜けたソラナが両手で薄い麻の手布を抱えて駆けてきて、つま先で減速しながら俺の前でぴたりと止まった。角に粗い糸で俺の印が縫い取ってあって、指先に当たる麻の冷たさがそのまま掌に移る。

 

「机の、す、隅に置きっぱなしでした。印が、あるので、アシェルさんの、だと」

 

「俺のだ。助かった。宿までこれないと汗が落ち着かねえ」

 

 手布を外套の内側に滑らせると、布の乾いた匂いが胸の辺りでふっと軽く広がった。

 マジか。良い知らせに浮かれすぎてて、ものを入れ忘れるなんて珍事起こしちまったか。盗賊の頃ならあり得ない失態だな。

 

「わざわざありがとな。暗いとこは足元見ろよ。転ぶからな」

 

「は、はい。──おやすみなさい、アシェルさん」

 

「おう。おやすみ」

 

 素直に礼を言う。今の俺はただただ素直だ。こんな気分なら、偶然ルシアとばったり出会っても変に力入らず、兵士の頃の俺そのままで話せるかもしれない。

 まあ、そんな偶然ないか。ちゃんとした兵士サマはきっと忙しいだろ、こんな近くにいる訳がねえ。今日、一回見れただけでも良しとしよう。またそのうち会えるかもしれないからな。

 

 

 

 

 

「──アシェル?」

 

「いや……いない。人違い、か。確かにさっき名前が聞こえた気がしたんだけど……」




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