【完結】俺は死んだはずだよな?   作:破れ綴じ

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一人寂しい顔と危機的状況

「上からの指示で、本日急に押収庫の閲封と再封の監記の仕事が入った。書記局から二名寄越すことになってな。──タリエ、ソラナ、二人で行ってこれるか?」

 

「は、はい!」

 

「えっと……は、はぃ……!」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 さあ仕事開始だってなる直前で二人が吏長に呼ばれてった

 なんださっきの、新しい仕事の指示か? タリエは書板の紐を肩に回しながら視線だけこちらへ寄越し、ソラナは封具の袋を抱え直して袖口の糸を指でつまんだ。席を動かすのはあの二人だけ、他に指示はないらしい。てことは他の奴は通常どおり、俺が出る日じゃないってことか。まあ急に知らない仕事なんざ投げられても俺にはどうしようもねえしな。

 それにしても、なんだ閲封と再封の監記って。ここで働き始めてもう4週間近く経ってるが聞いたことねえぞ。

 廊下へ出る足音が重なっていく。二人が扉を抜ける前に、俺は立て付けの陰に身を寄せ、声を落とした。

 

「おい、タリエ。監記ってなんだ。あんまない仕事だよな?」

 

「そう……ですね、多い仕事ではないかも。監記は、押収庫の封を一度だけ開けて、封内の品目・枚数・重量を帳簿と照らして確かめる仕事ですね。封蝋の跡や縄の色目、押印の位置が記載と一致していることを確かめたら封を戻して、帳簿と封の双方に同じ刻の記録を残します。現場規程で、書記官二名で読み上げと記載の照合を行う決まりになってるんです」

 

「へえ」

 

 聞いてもまあ、大した感想は出てこなかった。文官ってのは忙しい仕事なんだなとしか思えねえ。まあ俺に関係ない仕事なんだから変に考える必要も無いんだが。

 

「もう行かないと。押収庫は遠いですし、移動含めて、三、四時間かかると思いますけど……なるべく早く戻りますね」

 

「い、行ってきます。アシェルさん、が、頑張ってください、ね」

 

 別に早く戻る必要も無いと思うが。頑張るってのもどういうことだ。仕事しに行くのはお前らだろ。

 

「おう。気を付けろ」

 

 なんてことは言わず。

 そのまま扉が鳴って、ふたり分の気配が外へ流れ、室の空気が少し軽くなった。こうなると妙に机が広く見えるんだよな、両隣がいないってのはかなり印象が変わるもんだ。

 にしても三人一緒じゃないってのは意外だな。この体に成り代わってから常に三人一緒だった気がしたから、てっきり元の体の持ち主の頃から何するにしても三人でやってるもんだと思ってた。そういう日もあるってことか。

 

 まあ、俺のやることは変わらねえ。いつも通りなんだから、二人に色々教えてもらいながら普段と同じ仕事をして、終わりの鐘が鳴ったら帰る。今日は止める二人もいないから適度に無能アピールができるチャンスでもある訳だ。

 砂皿をひと撫でして粒を均し、穂先の割れた筆を下げ、使えるやつを手前に立てて。こういう細かい段取りにもすっかり慣れちまった。水袋をひと舐めして喉を濡らし、控えの表紙を撫でて紙の毛羽を寝かせて──。

 

「配り物です。午後に回収します」

 

「……ん? おう」

 

 別課の若いのが札束を抱えてきて、決まり文句を置いていった。目だけで会釈を返して、札の角を軽く叩いて机の端に寄せる。

 次に紙を配られてた年配の文官は、相変わらずの背の丸さだ。筆を寝かせて行を埋めてる。あんなやり方でよく書けるな、と常々思う。

 窓の向こうで荷車が一台、橋のほうへ抜けていった。車輪の拍が二つ欠けて、すぐ消えた。

 扉の金具が遠くで一度だけ鳴った。顔を上げかけて、すぐ紙に戻した。別の班が通り過ぎただけだ。なんで一々動揺してるんだ。

 

 なんだか今日は余計に気が散ってる気がするぞ。鐘の音が鳴るのはまだか。いや、焦るような時刻じゃないのは分かってる。分かってるはずだが、どうにも落ち着かねえ。

 どうした俺──仕事に集中しろ、いつも通り二人に教えてもらいつつ進めるだけ……って。

 

「あっ」

 

 あいつらいないんじゃ仕事教えてもらえねえじゃん。

 ……あれ? 今日の俺何もできなくねえか? 早く戻るとか、頑張れとかってそういうことか? 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 落ち着かない原因が分かったところで、どうすることもできねえし。黙ってほどほどの仕事のフリを続けて。既に昼の休憩を越し、二人が出発してからもう5時間近く経った。

 

 遅くねえか? 

 嫌な予感はしてたが、アイツら全然帰ってくる気配がねえ。正直これ以上誤魔化すのも限界だぞ。あの二人がいないだけで違和感がすげえし、仕事内容を曖昧にしか把握できてねえからどれぐらいのミスが許容範囲なのかも分からねえままだ。俺は最悪な時間の使い方をしている。

 

「──もしかしたら、二人に何かあったんじゃねえか……?」

 

 ここでピンときた。今のタリエとソラナは予期しない問題にぶち当たって、それで帰りが遅れてるんじゃねえか? 

 さっき感じてた嫌な予感ってのも、もしかしたらそれのことかもしれねえ。俺の嫌な予感はよく当たる。それは前世でも前々世でも証明済み。

 そうこうしてちゃいられねえ。心配とかそんなんじゃねえが、二人に何かありゃ困るのは俺だ。今助けに行けばこの居心地悪い空間から逃げ出す理由にもなる。丁度いい。

 

 俺は立ち上がって、便所まで走った。扉を引いて中に入る。

 袖を歯で引いて右腕を捲り、甲の骨の出方を親指で探った。兵の頃に医務室でよく見た「拳の骨折」の形を手の内で並べて、当てる場所を決める。小指側の出っ張り、ここなら大事にはならねえが、筆も握れるほどの余裕も残らねえ。やろうと思えば根性でも直せるだろ。

 拳を作る。第二関節の上に皮が薄く張る。壁の角へそっと当て、息を入れて、吐く拍子に体重を落とし、これ以上ないくらい思いっきり──! 

 

「──ッ、グァッ……!」

 

 いってえ! クソ! 当たり前だ。狙ってやるとはいえ骨折なんざいてえに決まってる! 

 骨の中に潰れた豆みたいな感触があって、鈍い音が手の内側だけで鳴った。声が出そうだ。歯で舌の根を押さえ、背中を板に預けた。指の腹がじんじん痺れて、甲の皮膚が一息で熱くなる。脈が包帯の代わりを始め、腫れが膨らむのが自分の目でも分かる。よし、いいぞ、ちゃんと折れてるな。

 袖の内側に忍ばせておいた古布を引き出す。濡らさず、乾いたまま巻いた。包帯の下では血が押し出されているから、きつくしすぎると指の色が飛んじまう。二周巻いて、結び目は手首の外側。

 握りを試すが、無理だ。筆を「挟む」だけならいけるだろうが、書くのなんて到底不可能。理想的だな。

 

 閂を上げて外へ出る。廊下の光が白い。手首をだらりと下げて、布の白をわざと目立たせる。誰かに見られても、説明の手間が省ける。便所の陰から出る前に、右手の甲をもう一度だけ見て、色の変わり方を確かめる。紫に寄る前段階。ちょうどいい。誰からどう見ても、「焦って便所に駆け込み、滑って手を強く打った間抜け」の完成だ。

 机の列を抜けて、吏長のところへ一直線に歩く。涼しい目がこっちを向いた。相変わらず隈の濃い目だ。今からストレスでもっと濃くなるかもしれねえが。

 机の前で足を揃え、包帯の上から小指を浅く曲げ、甲を見せる。

 

「便所の枠でやっちま……やってしまい、ました。右の小指、です。字も押しも無理なので、医務に行かせてくれ。今日の分の賃は要らねえ……要らないんで」

 

「……何やってるんだお前」

 

 吏長は包帯の位置と手の角度を一往復見た。分かりやすいぐらいに呆れてる。

 俺はアピールも欠かさない。ほら、鈍臭いだろう俺は? 反逆とまでは言わねえが、無能には見えるだろ? 

 

「……痛みは」

 

「握れば相当。おかげで半分までしか握れねえ、です」

 

 吏長は引き出しから小札を取り出し、机に置いて印を落とした。乾いた音が一つ。

 なんだこれ。医務室に必要な何かか。

 

「医務の受付にこれを出せ。今日の席は欠勤扱い。賃は控えから差し引く。印具は置いていけよ。以上」

 

「了解」

 

 腰の袋を両手で外す。右は使わない、ていうか使えねえ。左の指で口紐をほどき、印具を一つずつ机に並べる。角をぶつけないように置いたのが自分でも可笑しい。それぐらいいてえってことだが。

 吏長は紐の結び目を確かめ、頷く。視線が「行け」と言った。流石に言葉がなくても分かる。

 部屋を出れば、後はもう自由だ。忙しい吏長が医務室までわざわざ様子を見に来ることもねえだろうし。

 手の内の痛みがまた一つ鼓動を打つ。息が短くなる前に、深く吸って吐き、脇腹の収縮で痛みの波をずらす。

 

「案外上手く行くもんだな。いてて……」

 

 せっかくもらった小札だが、生憎俺には用が無い。コイツの用途と意味は分からずじまいで終わるワケだ。

 ちゃんと建物を出る前に押収庫の場所を確認。確かに遠いな、まあでも行けなくはない。図から目的地を探るのは盗賊時代に何度もやって慣れっこだ。

 足を石畳へ踏み出した。外は光が強い。包帯の結び目が微妙に緩んでいて、脈の度に布がわずかに浮く。袖の中でもう一枚の布切れを引き出し、包帯の上から押さえた。血の滲みが外へ出てこないように口を被せ、結び目を手首の内側へ回す。痛みが一段上がって、右手の役に立たなさがよりはっきりした。やりすぎだったかもな。

 

 門の影が背中から離れ、足元の石の色が明るく変わった。風が包帯の布を撫でて、布の繊維が痒いが、まあ我慢できる。痛みも目下は耐えられる。これで、堂々と席を外せる。

 もし二人と入れ違いになるようなら大人しく医務室に戻ろう。そう考えながら、目的地へと歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 川沿いに出た時点で空気の重さが違って、押収庫の白い壁がやけに乾いて見えた。石畳は磨かれすぎてて靴底が音を鳴らしそうなのが欠点だ。

 正面の扉は閉まってるのに内側の気配がやたら近い。裏へ回る細い路地に体を滑らせ、壁と柵の隙間から中をのぞける角度を作った。木の隙間越しに見える帳場の卓、その向こうにタリエの肩と書板、手前にソラナの横顔。二人の向かいに、腰へ短剣を差したのが二人、棍棒一本ぶら下げたのが一人、扉側にも一人いて計四人。

 番……じゃねえな。顔つきが違う。目が濁ってて、動きが荒い。こいつら、ただの荒くれか。タリエが鍵を開けた隙に潜り込んだか、他の窓かなんかをぶち破ったか。

 マジで異常事態起こってるじゃねえか。

 

「それ、袋に手を入れないでください。市の押収品です。外へ持ち出せば犯罪になります」

 

 タリエは丁寧な声のまま、机の端から一歩も引かずに言った。声音は低いが芯は折れてない。相変わらず真面目だな。武器持ってる相手にそれはどうかと思うが。

 向かいの短剣持ちが鼻で笑って、封の縄を指で弾く。

 

「犯罪ねえ。ここにあるもん全部大したもんじゃねえだろ。今さら一本抜いたところで誰が数える。帳面はあとで適当に合わせりゃいいのよ」

 

 まあ、そうだろうな。押収庫っていうが、他に人もいねえし、番の人間もいねえ。

 本当に貴重な押収品なら、こんなとこじゃなくてもっと王都の大事なとこに隠すだろ。ここにあるのは大抵小さないざこざで取り押さえたものか、ただの落とし物、せいぜいそんなところじゃないか? 

 てことはコイツラの目的は、金目のものじゃなくて、取られた何か大事なものを無理やり取り返しに来たってところか。

 短絡的だな。見つかった後の事を考えてねえ。

 

「いい加減にしてください。合わせる前に持ち出すのは駄目です。僕たちはここで確認を終えて戻らないといけないので。今触っている袋を置いて、部屋から出てください」

 

「タ、タリエ君、ねえ、こ、こういうのは、吏長に言ってからにしよ……危ないよ……」

 

 完全に怯え切ったソラナが小声で袖を引く。手が震えているのがここからでも見えた。うん、アイツはこういうのに毅然とした態度で立ち向かっていけるほど肝の据わった女じゃないしな。

 棍棒の男が一歩踏み出し、卓の縁を棍でコツンと叩く。紙が跳ね、ソラナが肩をすくめる。

 

「おとなしく座ってろよ、書きものの人。兄ちゃんもやさしい口で人の手を止めようとすんな。気分が悪い」

 

「止めます。そこに触れるのはやめてください。僕の書板には指一本触らないでください」

 

「はあ? なに、兄ちゃん、偉いの?」

 

 短剣の柄が卓を叩いて金具が鳴る。タリエは視線を落とさず、余計な言葉を一個も挟まない。ああ、そういうのは逆に相手の癇に障るぞ。止めておいた方がいいのに……。

 棍のやつが口の端を歪め、小さく笑った。

 

「うるせえのは──閉じ込めときゃ静かになるな」

 

 ──あれ、これ結構ヤバイ感じか。

 扉側に立ってた一人が、帳場の横にある予備棚の小部屋の扉を開けた。縄の束と替えの札、空の箱が積んである狭い部屋だ。

 短剣二人がタリエとソラナの間に割って入り、太い腕が肩を押して、小部屋の中へ二人まとめて押し込んじまった。紙が一枚床に滑って、角がひらりと返る。

 扉が閉まり、外側から横木がかかる鈍い音。さらに下の方で楔を噛ませて槌が二発。腹に響く。表口の男が手早く鍵を確かめてから、低く舌打ちした。

 

「終いだ。袋出せ。早ぇとこ済ませるぞ」

 

「兄ちゃんの書板はどうする」

 

「置いとけ。俺らには関係ねーだろ」

 

「はっ! 喚いたとこでこの人気の無さだ! どうせ誰も来ねーし気づかねえよ!」

 

 おいおいおいおい……。相当マズイ状況だぞ。

 胸の内で舌打ちが続き、場の温度が一段下がった気分がした。四人はそのまま押収庫を荒らし始める。何を探してるかは知らねえが、少なくとも効率を考えた探し方じゃないことは明白だ。学のなさが見てとれる、荒くれなのは間違いねえ。

 

『待て、お前たち! 開けるんだ!』

 

『タ、タリエ君! 危ないよっ! 落ち着いてぇ!』

 

 扉を叩く音。明らかに二人とも焦ってるのが声に表れてる。

 タリエのやってることは正しい。きちんとした規則に則って動いてるだけだ。問題は相手がそんなのお構いなしって奴だったこと。

 ソラナみたく相手に歯向かいすぎないのは命拾いしやすいが、逆に言えば自分の取れる行動の幅を極端に狭めちまう。

 おまけにここは番がいねえ。今回の仕事もそこまで重要じゃない形式的なものだ。次ここに人来るのが当分先って可能性もあるんじゃねえか。

 

 今から戻って上の連中に報告するか? 俺の嘘はバレるが、アイツらを助けるためにはそうするべき──いや、目離した隙に荒くれ共が二人に手を出さない保証がねえ。ここを離れるのはリスクがデカすぎる。

 戦うか? ──無理だ。相手が一人か、もしくは俺が兵士のままだったなら可能性はあるが、武器持ってる複数人に文官の俺が頭から突っ込んでいって無事で済む訳がねえ。状況を見ないまま迂闊に飛び込んでたら、見つかった瞬間同じ部屋にぶち込まれて終わりだっただろう。

 文官が仕事中に部外者と問題起こして押収品を荒らされるってのもマズイ。俺は一部始終を見てるからいいが、例え些細な押収品とはいえ客観的に見れば危ない奴らに政府の所持品を渡す手伝いをしちまったともとれる。利敵行為だと見なされれば二人の処罰だってあり得るぞ。

 

 つまり、俺のやることは。

 援軍のない中で、気づかれないように押収庫に忍び込み、四人に見つからないようにタリエとソラナを助け、ついでに二人は無実で巻き込まれただけの被害者であることを証明すること。それも運動が苦手な文官の体で。

 ……まさかここまであぶねえ状況だとは思わなかった。どうする……?




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