【完結】俺は死んだはずだよな?   作:破れ綴じ

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危機脱出と命を懸けた逃走

 もうすっかり日も暮れた押収庫。俺は意を決して中に潜り込んだ。

 人が来ないと分かり切ってる荒くれ共は見張りを置いてない。そうなりゃ侵入は容易。元々盗賊やってたこともあって隠密行動にはある程度の自信がある。少なくともこんな奴らに見つかるようなヘマはしないはず。

 右手はまだ腫れが引かないし、握り拳を作ろうとすると骨が「やめとけ」と熱で脅してくるから、無理に力がかけられねえ。左に寄せて、肩と腰で支点を作って、足の置き場だけでなんとかバレないように。

 今やることはただ一つ、孤軍奮闘、二人の救出作戦だ。気づかれずに奥の扉へ行く。奥の部屋からは声がしなくなった。二人とも中で縮こまってるんだろう。焦りで足を速めたら全部台無しになるぞ、気をつけろよ、俺。

 

「紙だって言ってんだよ、分かるだろ。薄い三つ折り、角が丸い、焦げ筋がひとつ」

 

「そんなもん、山ほどあるって」

 

 ──紙? はあ? 紙きれかよ、探し物は。金や刃物とかじゃなく、紙切れ一枚に血走ってるってどういう了見だ。頭の悪い冗談かと思うが、声の張りは本気だ。まあでも、ここで突っ込み入れてる余裕はない。

 棚の列は二つおきに通路が切れていて、端の方は荷札の色がごちゃついてる。視線は低め、足の置き場と影のつながりだけ拾う。床は乾いてはいるが、油じみの古い暗さが残っている場所がある。ああいう所は踏むと靴底が微妙に滑る。音が鳴るのだけは勘弁だぞ。

 

「おい、その束は上に回せって言ってるだろ。下段を掘れ。薄いのは下に落ちやすいから」

 

「はいはい分かったよ。どいつもこいつも好き勝手言いやがって」

 

 声の方向と荷の動きが合ってないし、指示してる奴はいるが絶妙に連携が取れてない。内容も共有できてないし、本人たちもそれが何なのか把握できてなさそうだ。てことは気の知れた仲間内とかじゃなくて、なんかの目的で集められた有り合わせのグループか? 何にせよありがたい。そういう奴らは大抵隙だらけだ。

 運びの二人が台車の鼻先を切り返す拍で、柱の影から棚の陰へ滑る。右手の腫れが脈打つたび、皮膚が裏から引っ張られる感じがして、反吐がこみ上げる。急いで噛み殺した。吐いたら終わりだ。

 灯は抑え気味。油の匂いは弱い。鼻の奥で熱が引かないのは緊張のせい。

 

「おい、そっちは違うって言ってんだろ。こっちを先に──」

 

「あーもう、てめえ黙れって!」

 

 喧しい奴らだが言い合いに夢中なおかげで案外すんなり部屋の前まで来られた。ここまで奥に来ればアイツらの視界からも外れる。やっと一息吐けそうだ。扉に耳をつければ中から浅い呼吸と歩き回る音が聞こえてくる。こりゃ出られないことに焦ってるタリエと恐怖でパニクってるソラナだな。

 指先で取っ手の根を探った瞬間、板の奥から腕にいやな突っ張りが這い上がってきた。ああ、クソ……鍵が潰れて噛んでやがる。誰だこんな強引に扉を閉めやがった奴は、荒くれの名に恥じない脳筋っぷりだな。

 薄くてある程度の硬さがある板でもあれば、盗賊の侵入よろしく無理やりに開錠できるんだが……そんな都合のいいもんあったっけか? 今から戻って押収庫からそれっぽいものこっそり探すわけにもいかねえし……。

 

 あっ。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 医務の受付に渡すはずだった小札は想像以上の働きをしてくれた。お前は扉をこじ開けるためにいてくれたんだな。吏長の気遣いには感謝してもしきれねえ。

 扉を開ければ、書板を抱えたまま立ち尽くしてるタリエと膝を抱えてガタガタ震えてるソラナの姿。幸いどっちも怪我とかはなさそうだ。開いた扉に二人とも警戒してたが、入ってきたのが俺だと分かるや否やそれ以上の驚きを顔に宿した。

 

「えっ、あっ、アシェルさ──」

 

「(待て、静かにしろ、大声出すな!)」

 

 口を急いで手でふさぐ。ハッとした顔でこくこく頷くソラナ。

 あぶねえ……。せっかくここまでバレねえようにしたのに、俺が入ってきたことが原因で作戦失敗だなんて、目も当てられねえぞ。

 

「(どうしてここに……)」

 

「(あんまりにも帰りが遅かったから勝手に抜けてきた。おかげで右手ぶっ壊すことになったぜ。後で吏長に口裏合わせ頼む)」

 

「(ひっ……!?)」

 

 変色した右手を見せれば二人の喉から細い声が微かに鳴った。ああ、いつも机で作業してる文官にはちょっと刺激が強いか、迂闊だったな。袖の奥に押し込んで見えないようにして、左で胸の前を軽く叩いて「大丈夫だ」の合図だけ置く。二人の目が俺の手元から顔へ戻ってきて、そこでようやく呼吸が通る気配がした。喉が上下してる。震えは残ってるが、多少は安定した。

 

「(……せ、先輩)」

 

 タリエが書板を胸に当てたまま、眉をきっちり揃えた顔で俺を見る。いつもの落ち着いた声に戻ろうとしてるのが分かる。戻そうとして、まだ戻り切ってない感じだ。

 

「(ア、アシェルさん……ほ、本当に……アシェルさん、ですよね? 来て、くれたんですか……?)」

 

 ソラナが袖の端を指でぎゅっとつまんで、目だけこちらに上げる。泣きそうってほどじゃないが、少しでも強く触れたら崩れる。その感じ。

 

「(ああ俺だ。生憎証明できるようなもんは持ってねえし、とにかく俺だ。察しがついてると思うが、助けに来たぞ)」

 

 そう言うと、二人の顔に同じ形の驚きと、同じ重さの安堵が一緒に出た。なんだ、ちゃんと効くじゃねえか、この短い言葉でも。怒鳴られる覚悟で抜けてきた甲斐がある。

 言いながら耳を外へ向ける。袋をひっくり返す音、台車の軋み、誰かの舌打ち。細かい合いの手は飛ぶのに、肝心な「誰が何をやれ」の芯がない。寄せ集めってのはああいう音だ。

 

「(とりあえず詳細は後だ。簡単に説明するぞ。外は四人。ばらけてる。見張りはいねえ。人が来ないと思ってんだろうな。ちなみに俺は一人だ。装備とかもない)」

 

「(……大丈夫ですか、それ?)」

 

「(まさかこうなってるとは思ってなかったんだ。しょうがねえだろ)」

 

「(まあ、はい……)」

 

 罰が悪そうな顔をして、タリエの肩が一度だけ上下した。困ったような風だが、もうすっかり呼吸の速度は整ってる。書板を持つ手の力も抜けた。こいつはこうやって自分を戻せる真面目な奴だ。

 

「(で、だな。俺たちはここから逃げ出したい訳だが、ただ逃げ出す訳にはいかねえ、分かるか?)」

 

「(な、なんで、ですか……? 早く、逃げちゃった方がいいんじゃぁ……)」

 

「(……もしかして、奴らの探しているものが結構重要なものってことですか?)」

 

「(……えっ、あっ……。そ、そういう……?)」

 

 おお。タリエは察したみたいだ。遅れてソラナも思い当たったらしい。

 そうだ。今までの会話からあの荒くれ共は「金銭目的じゃなく」「探し物を明確に把握してなくて」、わざわざ文官が押収庫を開ける日にやってきたあたり「計画性を持って」行動を起こしてる。

 となると上に誰かいてソイツの指示で動いてる可能性が高いだろう。ソイツが何者かは知らないが、もし「王国に敵対的な存在」で、かつ「狙いが重要な意味」を持ってるなら、職務中に盗まれちまった文官の責任は重い。

 なんなら最初から文官が裏切ってて、荒くれを手引きし、交渉中に仲違いした、って風に思われる可能性もある。そしたら二人は厄介を押し付けられた上に、スパイ容疑までかけられちまう訳だ。

 

「(可能性は高いだろうな。つまり俺たちはここから脱出しつつ、身の潔白を証明する必要もある)」

 

「(そ、そんなこと、できるんですかぁ……?)」

 

「(まあ、アイツらを返り討ちにして兵に差し出せば一番手っ取り早いんだがな)」

 

「(僕たちには無理、ですね……)」

 

 だろうな。ここにいるのは普段運動とかすることもない文官三人。武器もない。俺は盗賊と兵士の経験があるから最悪不意打ちなら一人はやれるだろうが、逆に言えば一人が限界だ。

 対して敵は四人。数の有利を取られてる上に、相手にはそれぞれ武器がある。連携は取れてないが、それは俺たちだって同じ。マトモに戦うって選択肢は初めから見込みゼロ。

 ただ「職務中に襲撃を受けたが、相手の狙いは阻止した」って形を取れなきゃここから逃げ出せても後が大変だ。じゃあどうするか。

 

「(つまりだな、俺たちの目的はアイツらがお目当てのものを見つけた瞬間にそれを強奪して逃げること。自分たちの身の安全と、可能な限り抵抗した証と、内通していない証拠の三つを揃えて、ここから離れることだ)」

 

 二人の目が縮まる。「本当にそんなことできるのか」と言いたげな目だ。俺も正直そこまで上手くいくとは思ってねえが、他に選択肢もない。

 

「(安心しろ。最悪走れなくなったら俺が担いでやるし、詳しく言えないがスリには自信がある。お前たちはただやること頭に叩き込んどけばそれでいい)」

 

「(っふふ……! なんですか、それ……!)」

 

「(ス、スリって。先輩、経験あるんですか……?)」

 

 二人の緊張が少し和らいだ。そうだ、それでいい。緊張で手元が狂って全員終了なんて一番避けたい展開だ。

 俺は扉の方へ視線だけやって、すぐ戻した。いま扉を押せば通れる。けど、それは次の仕事だ。今は二人を落ち着かせて、作戦を練れ。優先順位を間違えるな。人生に二回失敗済みの俺が言うのもなんだが、昔から俺はこういう危機を乗り越えてきた。だから今度もきっといける、はず。

 

「(——それじゃあ、作戦を考えるぞ)」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「おい、あったぞ。三つ折り、角が丸い、焦げ筋一本、糸穴……これだ、間違いねぇ!」

 

 声色が変わった。明らかに正解を確信してる声。よくやったぞ荒くれ、それが俺たちの作戦決行の合図だ。

 声が跳ねた拍で、灯の端が揺れ、掲げられた薄い影が一瞬だけ白く浮く。肘を伸ばして、手首を反らし、指先が物を持つ形になる。そこまで見えりゃ十分だ。間髪入れず棚影から肩だけ出し、懐の薄板の先を紙の端に滑らせて、指で挟む。内側で板のささくれが皮膚に噛み、紙の軽さが肋に貼りつく。掲げた手が空を掴むまで一拍。

 咄嗟の事であっけにとられた男が怒号を放つが、それが明確な言葉になる前に次の物陰へ避難済みだ。完璧。

 

「(出口のほうへ寄れ。合図で音立てろ)」

 

「(はい!)」

 

「(は、はい……!)」

 

 指二本で「準備」、掌を下に返して「今」。合図を出したらそれぞれ左右に移動して、物音を立てる。ここには物がとにかく多いからやろうと思えば音なんざ出し放題だ。

 タリエが棚の楔を抜いて、木を短くきしませる。甲高い一音が壁に当たって薄くなり、一人の顎が上がって腰の柄に手がいく。

 反対側、ソラナが砂に小石をまぜ、車輪の前で足先で広げる。鉄が低くひとつだけ唸る。音は短くすぐ死ぬが、やいのやいの騒いでる連中は考え無しにまっすぐ突っ込んでくる。

 おかげで奥にいた男たちは注意が左右真っ二つに割れた。その隙に俺がより出口に近い物陰まで先導し、安全と次に進む場所を確認した後、指示を出してタリエとソラナも移る。吐く息の長さで歩幅を合わせ、通路を一本ずつ食っていく。夜の闇もあって警戒してれば相手の視線も通りにくい。俺たちの進む音もバカな荒くれ共の怒号でかき消される。

 

「今の音はどっちだ!」

 

「おい! 部屋は鍵閉めたんじゃなかったのか!」

 

「畜生! あいつらどこ行きやがった!」

 

 怒鳴りがぶつかり合って意味を失う。自分たちが散らかした押収物の山で、誰がどこにいるかも分かってない。こうなりゃアイツらはもう怖くねえ、意味のない怒鳴りは穴だらけだ。怖いのは相手が何を考えてるか分からねえ沈黙だ。

 出口を見れば、脇に突っ立ってるのが一人。腰には短剣。組んでた腕をほどいて近づく影を探してる。逃げるなら出口に近づかなきゃいけねえからな。アイツを出し抜けなきゃここは抜け出せねえ。

 

「(もう一つだ、短く。——今)」

 

 俺の合図に合わせてタリエが別の楔を抜き、短い鳴き。ソラナが反対で麻ひもを指で弾き、細い音。出口の男がそっちへ首を半分だけ向ける。

 

「(出口に寄れ、煽りすぎるなよ!)」

 

「(了解です……!)」

 

「(い、いきます……!)」

 

 二人が通路の端までじわじわ出て、出口の男の視界の隅に入る。男の口角が上がる。場をひっかきまわしてたネズミを見つけて勝利を確信した顔だ。若い男と女の文官、体格の差もあって見下ろす構図が気を大きくさせてる。

 ──だよな。お前は二人しかいないと思ってるよな。潜り込んだ俺に気づかなかったもんな。

 

「おら、止まれてめえらァ!」

 

 動かないタリエとソラナ。露骨に恐怖した二人の顔。腰に手を回す。短剣を探す手の動き。

 ──そして、空振る手。

 

「……! 俺の短剣はどこに──」

 

「お前の背中に刺さってるよ」

 

「──なっ」

 

 そのまま振り返る前に俺は短剣を深く押し込んだ。赤黒い血が飛び、その隙に二人が両隣を駆け抜けていく。

 な? 俺はスリが得意なんだ。こんなもん掠め取るくらい左手だけで十分だぜ。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「よし二人とも! そのまままっすぐ走って振り切るぞ!」

 

「はい!」

 

「はっ、はい……!」

 

 森道は暗いのに、足場だけはやたら正直で、土が沈むところと根が浮くところを容赦なく踏ませてくる。例の紙は胸の中で押さえてるが、右手は使い物にならないから、左の前腕で押さえ直すたびに肋に当たって息が削がれる。

 

「先輩……! さっき刺した人って……!」

 

「気にするな! 殺しちゃいねえ、急所は外した! 正当防衛だよ!」

 

「そ、そうですか……よかった……!」

 

 嘘だ。

 急所がどこだなんて知りやしないが、確実に動きを止めるため肺に突き刺さるよう短剣をぶっ刺した。まあ十中八九死んでるだろう。ただそれを馬鹿正直に真面目人間のコイツに言って、変な躊躇いを生ませる訳にもいかねえ。嘘でもいいから今は逃げるが勝ちだ。

 背後から足音が三つする。やっぱり俺が刺した男は死んだか? 少なくとも追ってこれない重症ってことだな。ざまあみやがれクソったれ! 

 

「先輩、あそこ、左に倒木」

 

「乗り越えるな! 脇低いぞ、腰から抜けろ!」

 

「は、はいっ」

 

 タリエは声が落ち着いてる。ソラナは肩で呼吸してるが、足はまだ出る。出る足に余計な言葉はいらない。曲がりは少ない一本道、狭い空が木々の梢に切り取られて、星は見えない。油の匂いが薄くなって、土と苔の湿りが勝ち始める。押収庫が森の腹に落ちてるせいで、人の気配は皆無だ。人気のある通りに出るまでに距離が要る。なんでこんな場所に作ったんだよ! 

 体力はない。へばったら即負けだ。そう思うと三人とも足が止まらない。だが畜生、道は一本、森は厚い、通りまで遠い。人気のあるとこへ一直線、なんて悠長にやってたら追いつかれて終わりだ。だったら──道を変えるだけ。

 

「曲がるぞ! 通りは捨てる、山道に上がる!」

 

「えっ、先輩、どうして──」

 

「なんでそんな道、知っ、て──」

 

「後だ! 今は信じてついてこい!」

 

 大丈夫だ。兵士の頃ルシアが正規の兵士になったらとよく語っていたことを思い出せ。タリエに負けず劣らずのド真面目なアイツはあの頃から王都での巡回経路まで頭に叩き込んでた。

 俺の記憶が正しけりゃこっちの山道はその巡回経路だ。途中で兵士にさえ会えれば、アイツらを抑えてくれるかもしれない。

 

「──うあっ!」

 

 タリエがずっこける。もう限界なのか、足が上がらず段差に躓いて靴が飛んでいった。

 

「はぁ、はぁ、もう……無理ぃ……」

 

 ソラナは体力が尽きたのか、露骨にスピードが落ちてやがる。クソ、走らせすぎたか。

 

「耐えろ! 兵士に会えれば後はどうにでもなる! ──ああもういい、俺が担ぐ! しっかり掴まっとけよ!」

 

 腰を落として背中を差し出し、タリエを無理やりに乗せる。ソラナを両手で抱きかかえて、タリエの腕を首に回す。大丈夫、コイツらは軽い。

 もうひと踏ん張り、いけるはずだ! どれだけ兵士の頃に根性鍛えられたと思ってる! ここを乗り越えれば──

 

 ──本当にいけるのか? 悪寒が背筋を撫でた。

 そもそも今の俺たちの格好だって相当不審だ。ボロボロになって二人の男女を掴みながら走る口の悪い男。服は所々破れて、王都の文官にはとても見えない。必死になって逃げてるのだって、疚しいことがあるからそうしてるとも取れるだろう。絶対こっちの味方をするとは限らねえんだ。

 もし兵士に会って、協力してくれたとして、ソイツが負ける可能性だってある。相当強い兵士じゃなきゃ、武器を持ったガタイのいい三人の荒くれは厳しいかもしれない。もし負ければ、俺たちも負けだ。だってもう走れねえ! 

 不安が頭の中を支配する。でも俺にはもうこれしかない、二人はなんとしても逃がさなきゃいけねえ。コイツらはただの真面目に仕事してただけの文官だ、こんなとこでハメられた形で殺されていい謂れがねえ! 

 

 背後の足音がひとつ、根に引っかかった。罵声がひっくり返る。残り二つが肩で押し合い、また速度を出してくる。体力じゃ勝てない。勝てない勝負は場所で勝つ。巡回路まであと少し。耳の奥に、石が擦れる音がごく薄く混じった。出た。石の溝だ。夜でも足裏は嘘をつかない。

 ああ、頭が痛くなってきやがった。俺の体力切れが近い証拠だ。どうやってどうやって──! 

 

「──灯、灯だ……!」

 

 いた、いたぞ、本当にいた! 兜を被って、分厚い装備とかっちりした槍を掴んでる。

 もうコイツに頼るしかねえ、コイツを絶対味方につけろ! 頼む! 

 

「誰? 止まりなさい──」

 

「──頼む! 助けてくれ! 追われてるんだ!」

 

 俺は喉を裂く勢いで叫ぶ。相手に「まず事情を」なんて言われる前に即決でこっちに引き込む。

 もうタリエとソラナはほとんど気絶していた。喋れるのは俺だけだ。ここで選択肢を間違えりゃ全部が詰むんだ。

 

「──俺はっ、兵籍切り替えの最優秀者ルシアのダチだ! 助けてくれ!」

 

「……そんなことを、信じられると思う?」

 

「『アシェルから話したいことがある』と言われている! これを言えば伝わるはずだ、だから今は助けてくれ!」

 

「……!」

 

 俺はルシアの立場を利用した一言を放った。アイツが優秀なのは知ってるが、最優秀かは知らねえ。それを一般兵も周知してるか知らねえし、目の前のコイツがルシアに好意的かも分からねえ。ただ、今の俺には差し出せるものが何一つない。自分が有名な奴の知り合いだとハッタリを張ることしかできない。

 兜の兵は一瞬だけ気配を揺らして、その後後ろからくる三人の追っ手に気づいた。すぐさま槍を構える。堂に入った動き。

 ああ、協力してくれるのか! 望み薄の賭けだったが、やっぱルシアの友人なら放っておけないと思ったのか──。

 

「──言っておくけど、貴方みたいな文官の友人がいたなんて聞いたこともない。だけど、その言伝には興味があるわ、物凄く」

 

「だから、嘘かもしれないけれど味方をしてあげる。確かに向こうの方が悪者っぽいし」

 

「大丈夫、荒くれ三人程度なら私の敵じゃない。だからさっきの約束、忘れないでね」

 

 何か言ってる。でももう俺には聞こえなかった。

 ただ目の前のコイツが勝つことを信じて、そのまま気絶するように意識を失った。

 

 

 

「──私がそのルシアよ、相手が悪かったわね」




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