ま、いざ酒を造るってなっても、今の俺には解決すべき課題が山ほどある。困ったな。
机に拳を置いて、頭の中を並べ直す。外の音はどうでもいい。とりあえず現状を整理して、やることを考えよう。
まずは俺の弱点だ。
一つ、酒を造るための知識が無いこと。どういう仕組みで造ってるのかは、文官時代に調べて本で読んだ程度の知識しかねえ。部屋の本棚にはあんまり読んでねえのか新品同然の酒についての本が並んでる。幸いお飾りの俺には大した仕事も任されてねえし、時間はそれなりにあるからな。あれを読んで知識をつけるところからだ。隣に経営についての本もあったがそっちには興味ない。俺にここを継ぐ気はねえし。
次に一つ、酒を造るための環境が無いこと。道具や施設自体は揃ってるが、周りの誰にもよく思われてないおかげで、俺が自由にそれらを使えるってことは無いだろう。元の体の持ち主も現場にはほとんど興味無かったみたいだし、使ってるだけで不審に思われそうだ。跡取りのくせして家業に無頓着とは、おかげで今の俺にしわ寄せが巡ってきれやがる。恨むぜ。
次に一つ、この体は酒に弱いってこと。匂いだけなら大丈夫、俺の体に拒否反応は出なかった。問題なのは飲むことができねえ、やったとしてもとてもじゃないが飲み込めねえ。度数が高いのか、味が合わないのか、一瞬だったから原因は分からねえが、これを解決しない限りは先に進めないのが一番の問題だ。当分は飲むにしても、ごく少量を口の中で十分に含ませてから飲み込む、こういった方法を取らなきゃ無理がある。
最後に一つ、前世の経験が精神的な恐怖として俺の心に根付いちまってること。あのとんでもない苦しみは今でも簡単に思い出せる。ある甘さの角度、瓶口の冷たさ、光の反射の具合、ああいう細かい合図が重なるだけで、体が昔の毒の瞬間を引っ張り出してきて呼吸が浅くなる。今のままじゃ他の酒は飲めるようになっても、ここの酒だけがずっと飲めないままだろう。それは嫌だ、ここの酒はマジで美味かったんだ。俺は諦めねえ。
勉強自体は継続的に続けよう。これについてはいつやろうとどこでやろうと、やればやるだけ有利になるはずだ。
……となると、最初にやることは──
「──現物の調達、か。酒に弱かろうが、酒が怖かろうが、とりあえず現物が無きゃ何も始まらねえからな」
そうだ。ビビッてばっかで本読んでるだけなら俺は一生スタート地点のままだ。まずは酒と道具を自分用に準備する、これが先決だな。
酒自体は昨日俺がこっそり飲もうとした「試飲」のとこのを勝手に取っていけばいい。盗むのなら俺の本分だ、その気になれば誰にもばれずに持ち出せるし、液体なら量が減ってても気づきにくい。問題は道具の方だな。コイツは数が減ったら確実にバレるし、バレればまた邪魔者扱いされて取り上げられるのが関の山だ。設備に関しては持ち運ぶこともできねえ。
なら、全員が寝静まった夜を狙うか? ……いや、ダメだ。仕事が終わる時間なんて酒の具合でコロコロ変わるだろうし、時期によっちゃ夜中も交代でとか、見張りがついてるとか、鍵が閉まってるとかがあるかもしれない。ちょっとリスクがデカすぎる。
できるなら、昼夜関係なく、道具を俺が持ってても、あるいは一人分が使われてても誰にも文句を言われない、そんな状況が造れたら完璧だ。
「……そんなことできるか?」
一人の力で届く棚と鍵はたかが知れてるぞ。建物の図面もまだ完全に把握できてない場所で、独力で盗みを成功させバレる前に元に戻す。いくら俺が前前前世で盗賊だったとはいえ、そんな芸当ができるほど俺は大物だった訳でもない。
──じゃあ、協力者が要るな。別に協力者自体は多くなくていい。何なら一人でいい。伝手の多い協力者が最低でも一人いれば、複数人と仲良くならなくてもソイツ経由で複数人の手を借りることができる。
だから望むのは、俺の言うことを聞いてくれる協力者。周囲から信頼を寄せられてて、現場を訪れることに違和感がなくて、ある程度の知識がありそうで、それなりに自由な時間があって、俺が差し出せる代償で釣ることができそうな奴。
そんな都合のいい奴が偶然いてくれれば話は早いんだが……。
*
「なんだよ兄貴、話って」
呼び出しに渋い顔するだろうな、とは思ってたが案の定。あからさまに俺は不満ですが何かって顔をぶらさげたリアンが床を余計に踏みつけてやって来た。眉が尖って、靴先で空気を蹴ってる。
「ああ、悪いな」
「ホントだぜ! 用があるのはそっちなのに呼び出しとか。あーあー、やっぱ長男ってのは偉いんだな!」
むしろ部屋に入ってからそのイライラはピークに達してるような気もする。やっぱ自分がスペア扱いなのが相当コンプレックスになってるのか。
俺は立ったまま、机の端を指さした。椅子は一つだけ、「とりあえず座れ」って視線をやる。リアンは腰を浅く乗せた。背もたれに寄りかからない、早く切り上げたい時の姿勢だ。
これだけ反抗的な態度だが、俺はコイツこそ協力者に丁度いい人材だと思ってる。
コイツは長男の俺より家の人間から期待されてる。俺が期待されなさすぎってのもあって、相対的に「マシに見える」どころか、「こっちに跡を継いでほしい」って思われてるほどだ。こんなガキなのにそう思われてるあたり、全く能力がないってこともあり得ないだろう。
しかもこの体の元の持ち主と違って、現場に訪れることを特に禁止されてる訳でもない。リアンなら別に仕事場にいたっておかしいとは思われないってこと。余計な事してこなかったか、友好的な相手には意外と従順なのかもしれない。
それから、酒に関する知識も今の俺よりは多少ありそうだし。スペアとしてまだ修行中の身、かつまだ子供だから、実際に仕事をしてる訳じゃない。ってことは、時間もある程度自由が保障されてるんだ。
俺の言うことを聞いてくれるかどうかは怪しいが、それは俺が差し出せる代償で釣り上げることができればなんとかなる。
ここから先は正直俺の願望込みの推測になってはいるが。昨日俺が「悪い、そんなつもりじゃ」と言ったとき「そんなつもりじゃなかったのかよ! なら俺が悪かった!」と言い切って去っていった。知り合いに名前を尋ねるなんてポカやらかしたのは俺なんだから悪いのは間違いなく俺なんだが、アイツはたった一言で考えを改め、謝って出ていっちまった。俺との会話をさっさと切り上げたかっただけの可能性もあるが、本気で自分が間違ってたのだと思い込んでの謝罪だったのかもしれない。少なくとも俺はそうだと見てる。あれはそういう顔だ、多分。
てことはつまり、「もしかしてリアンはめちゃくちゃちょろいんじゃねえか?」ってこと。ここまでの色々な事情に鑑みれば、こう思い至るのも致し方ないだろう。
だからコイツを舌戦に持ち込んで、上手いこと丸め込むことで懐柔し、そのまま協力者としての立場に据える、それが俺の作戦だ。
目の前のリアンは膝を揺らしながら「どうせ家業の話じゃねーんだろ……。ここ継ぐくせに、酒には興味ナシとか。誇りとかねーのかよ……」ってボヤいてやがる。まあ待て、お前にとって悪い話じゃあないはずだぞ。
「最初に一つ。次からは俺が、お前の部屋に行く。呼び出しはもうしねえ」
酒や道具が俺の部屋に持ち込んであったら、誰かに覗かれたときの言い訳を考えなきゃいけなくなる。ただ、リアンの部屋ならそれぞれものがあっても誰も文句は言わない。そう思っての発言だった。
……なんだ? さっきまで揺らされてたリアンの膝が止まった。少し見開いた目が俺の顔に戻る。肩の角度が半段だけ落ちた。どうしたんだコイツ。
──まあいいか。メインはこっちだからな。
「で、ここからが本題なんだが、俺に協力してほしい」
「……っ、けっ! 何の対価もなしに言うこと聞いてくれるだなんて、やっぱ上に立つ人間は持ってる余裕がちが──」
「で、後継ぎについてなんだが、俺はしない。お前に譲る」
「──……は?」
「安心しろ。俺の計画に協力さえしてくれればいい。そしたら、事が終わり次第俺はすぐに出ていくつもりだから」
「はっ、えっ、はぁっ!!?」
椅子がきしんで、リアンの腰が前に滑った。目がでかくなって、喉ぼとけが一回上下する。口は開いたまんま、言葉が出てこない。いつもなら真っ先に噛みつくくせに、今日は声が追いついてねえ。
これが望みだったんだろ? 実際俺にこの家を継ぐつもりはないし、この家を引っ張っていけるほどの能力もない。立ち退くのは確定事項だ。
ただ今はそれを利用する。目の前にはコンプレックス抱えて、俺の立場をギラギラした目つきで奪い取ろうとしてるガキがいる訳だからな。俺が自分から差し出せば困惑するのとは同時に、誘いに飛び乗ってくるはずだ。
「──まっ、待て兄貴! それでどうするつもりなんだっ、家のことは結局興味なしか!?」
ん……? こいつ結構帰属意識が強いのか? 自分の家に誇りがあるなら、俺が後継ぎを蔑ろにするような発言するのはまずかったか?
待て、結構勢いついてるぞコイツ。何言えば──
「好きなことやれりゃそれでいいって!? そうはいかねーだろ!」
「おい待て、違う! 落ち着け、いや、違わないかもしれないが。俺は酒に弱い奴でも飲める酒を造りたかっただけだ。あの味が飲めないってのは何よりも惜しい、だろ!?」
「!? な、なっ……!?」
──しまった。思ってたこと正直に言っちまった。
なのに、なんかリアンの反応が思ってたのと違う。喉ぼとけが上下して、口が開いて止まったままだ。これは、セーフだった……のか?
「そ、その。酒を造る、のか!? 兄貴は、飲めないだろ……? なのに、なんで」
「なんでって、作りたいからだ。実際に俺が具合を飲んで確かめながら造るつもりだぞ。俺が飲めなきゃ、意味がねえからな」
「なに、なにを言って……。飲めないくせに、どうしてそんな無理して──」
リアンの声が震える。最後の方はおかげで聞こえなかった。
気をつけろ、俺。ここでの反応が次を決めるぞ。後継ぎを譲るのが無理なだけなら、急いで他のメリットを提示できなきゃこの話はおじゃんになる。このまま何もできずにただ追い出されて、王都に手ぶらでとんぼ帰りは嫌だからな。
「……なあ、後継ぎの話は。その、ほんとに……?」
「ああ、本当だ。冗談で言っていい話じゃねえだろ」
「お、俺でいいのかよ。俺、ただの、スペアなんだぞ、なのに……!」
俺が肩をすくめると、リアンの視線が机から俺に戻って固定された。ふっと拳がほどける。さっきまで膝で刻んでた苛立ちが、どこかへ引いていくのが分かる。顔の血の気が戻って、子どもっぽい色になった。
スペア? 何言ってやがる。今の俺じゃどう足掻いてもこの家を継ぐことはできないし、多分今までの話を聞く感じ、前の俺と比べても多分お前の方が適任だぞ。
「当たり前だろ。『スペア』なんて誰のことだ。俺の計画にはお前だからいい、いや、お前じゃなきゃダメなんだよ。なあ、リアン」
言ってから、自分で苦笑いが零れちまった。なんか計った台詞みたいに聞こえたかもしれねえ。実際は勢いだ。うだうだ考えるより先に口が動いた。ただ、出た言葉に嘘はない。
「っ……よっしゃ!! よっしゃあ!!」
リアンが背もたれにガンとぶつかって跳ね、それでも座り直して、拳を胸の前で二回握り直した。肩が一気に軽くなる。さっきまでの刺が見当たらない。やっぱりこいつは筋を見せればまっすぐ懐く。息が荒い。
わかりやすい奴だな、コイツ。
*
「よっしゃ! 任せろ! てか、それならそうと最初から言えよな! 俺なんか変にイライラしちゃったし!」
「いつもこうじゃないのか?」
「えぇっ!? いつもなワケねーじゃんか!」
椅子から半分立ちかけて、また腰を戻す。跳ねそうな膝を手で押さえながら、顔だけ近い。目がまっすぐで、こっちに刺さる。
ここでぐだぐだ理屈を足すと、せっかく上がった温度も冷める。さっさと約束詰めちまおう。
「じゃあ、お前に頼みたいことな。酒の味とか成分とか、色々調整して実験するための道具を一式揃えて俺用に準備しておいてほしい。あと、酒について詳しくなれる本、どれ読めばいいかとか、教えてくれると助かる。酒の方は俺が自分で試飲用のを準備する。試してる間、潰れねえように実験にも手伝ってほしい」
「おお、おお! マジじゃん! ちゃんとしたお願いじゃん! 本気なんだな!」
「初めからそう言ってるだろ」
「そうか! なぁ兄貴、じゃあさ、俺、兄貴の味方だかんな! 誰がなんか言ってきたら俺が先に言う! いや言わせねえ! うわ、やべ、やる気出てきた! やる! 俺、やれる!」
「落ち着け。机蹴るな。足、揺れてる」
なんか、すごい変わりよう。さっきまで盗人を前にした番犬みたいだったのに、今は尻尾がブンブン勝手に振れてる姿まで見えてくるみたいだ。そこまで当主になりたかったのか。野望がでかいタイプかもしれねえ。だとしたら将来有望だな。
「いやー俺、兄貴のこと誤解してたわ! 真面目ぶってて、無口で何も言わなくて、酒への興味とか欠片もなくて、家をデカくしようとか微塵もなくて、そのくせして後は継ごうとするバカヤローだと思ってた!」
「おい、酷くねえか?」
元の俺そんな酷い奴だったのか?
なんか俺が成り代わる前の奴って、毎回真面目で、堅物で、基本無口で、ノリの悪くて、その上全員同じアシェルって名前なんだが。
兵士とか文官みたいな規則に厳しい職業ならまだしも、協調性が必要な仕事だととことん合わねえんだな。勉強になったぞ。
「へへ、わりいわりい! 今はそんなこと思ってねーから! 安心して!」
「あー、おう。お前がその気になってくれるなら俺はもう何でもいいぞ」
「っ! 兄貴マジで変わったな! 口調とか、性格とか! 俺は今の兄貴の方がずっと好きだぞ!」
……なんだか、思ったより懐かれちまった。
まあいいさ。元々従順な手駒を手に入れることが目的だったんだ。何するにしても反抗的なままだったら時間の無駄でしかない。これぐらい懐いてくれた方が俺にとっては都合が良いさ。
とりあえずリアンの頭を撫でてみた。気持ちよさそうに喉を鳴らすリアン。コイツ益々犬っぽいな。
*
「そういや兄貴、そうだった。聞くの忘れてたんだけどさ」
「ん? どうした?」
リアンが荷物を次々と部屋に運び込んでくる最中のことだった。
俺が扉を閉めたところで、リアンがくるりと振り返ってきた。さっきまでの上ずった笑いがどこにもなくて、ちょっと不安げで目だけまっすぐだ。なんだなんだ、どうした。
「兄貴さ、俺に後継ぎ任せるんだよな?」
「おう、そうだぞ」
「ならさ、『あのこと』は親父になんて言うの? そこまで俺に代わりをやらせるってのは流石にまずいじゃん?」
「──『あのこと』……?」
なんだ、『あのこと』って。
また俺の知らない情報だぞ。後継ぎに関係するってことは、元の俺に関係するってことだよな? なんかやり残したことがあるってことか?
「いやさ……兄貴、婚約者いるじゃん。それ、どうすんの?」
「は……?」
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