「若も意外と話せる奴だったんすね、まあ下戸ってのが致命的っすけど! がはは!」
「おう、ありがとな」
「うっす、じゃ、失礼します!」
あれから色々調べてみた。家の人間に色々聞いてみて。
何か話をしようとする度にほぼ全員から嫌な顔をされるが、リアンの帰属意識の高さを参考に、ここの酒がいかに素晴らしいかを懇々と語ってみた。あの酒がどれだけ美味いかは前世で体験済みだ、今でも鮮明に思い出せる。そうすると大体の奴は気を良くして照れ隠しをするように笑いながら色々喋ってくれた。単純か?
それで分かったのは、この家の当主である俺とリアンの親父がほとんど滞在してねえってこと。
この親父とやらは「癖はあるが上等」な我が家の看板酒を配合と工程(火入れ・清澄・寝かせ方)まで設計した張本人らしい。味の芯を言語化できるのは親父だけ、という共通認識があって、家の人間のほとんどから尊敬を集めているんだとか。
で、酒好きな性分が災いして今は飲みすぎで体を壊し、峠の湯治場に長逗留中だそうだ。医者の指示で当分禁酒、納得いってないらしいが近寄れば絶対飲んでしまうため造り場への立入は禁止されていて、おかげでこっちには長いこと来れないらしい。手紙自体はたまに届くが、体裁の挨拶ばかりで現場指示は極端に少ないと職人からぼやいてやがった。
この家にいる人間はほとんどが親父の当時の知り合いとか、弟子とか、そのまた弟子とかで構成されていて、例にもれず全員が無類の酒好きらしい。結構荒っぽい奴が多くて、静かな場所が苦手みたいで。なるほど、下戸の俺が絡みにくくて疎まれる訳だ。
母親についても聞いてみたが、全員なんだか気まずそうに黙り込んでしまうので、多分聞いてはいけないのだろうと把握した。俺の母親ってことは親父の妻ってことだから、彼らにとっては師匠の嫁になるんだな。
これを聞くときは俺を腐す奴もいなかった。いくら嫌ってる相手とはいえ面と向かって、母親がいなくなった子供に圧をかけるのは流石に気が引けたんだろうか。
そして同様に、「俺の婚約者」について教えてくれる奴も誰一人いなかった。
こっちは母親関係と違って、皆あからさまに嫌な顔をして喋るのを渋ってた。ありゃ「相手が俺だから話したくない」っていうより「プライドが邪魔して認めたくない」から喋ろうとしないって感じの口ぶりだったな。もしかすると、その「婚約者」って奴も俺と同じくらい、もしくはそれ以上に苦手意識があるのかもしれない。
「参ったな……」
俺が一番知りたかったのはその婚約者についてだったんだぞ。
嫌われてる手前あんまりしつこく聞きすぎるのもよくねえし、元の俺なら知ってるはずの知識なんだから無理に詳細を聞き出せば怪しまれること必至だ。
リアンに後継ぎを譲るって言った手前、この情報がどう後々ノイズになるか分からねえ。もし今からはもう無理だってなればリアンとの約束もおじゃんになっちまう。対策はさっさと練るに越したことはない。
でもな、誰に聞くかな。俺への苦手意識が薄くて、俺の質問に素直に答えてくれて、俺が変なこと聞いても疑問に思わない、あるいは思考停止で応えてくれる──
そんな都合のいい奴が偶然いてくれれば話は早いんだが……。
*
「──なあ。今から俺は何故かあらゆる記憶を失った長男坊アシェルだ。そう考えてくれ」
色々な道具に囲まれてるリアンの部屋の中。油灯の煤が天井に薄く曇って、焦げた匂いが鼻の奥に刺さる。そんなときにふと思いついた。
そうだ、コイツに聞けばいいじゃねえか、と。
「兄貴、大丈夫か? さっき思いっきり吐いてたのが響いてんじゃないか?」
確かに、胃袋が灯の熱と酸の残りでまだぐずってる気がする。木の椀に入れたぬるい水をひと口、舌の裏で転がしてから飲み下した。まあ吐いちまったのは味が悪いだけじゃなくて、前世の苦い思い出が蘇ってきたせいでもあるが。これマジでなんとかならねえかな。
「いや、それとは関係ねえ。あれは混ぜてみた柑橘の果汁が合わなさ過ぎただけだ。気にすんな」
「そ、そうか? ……そうか! 記憶喪失ゲームだな、オッケー!」
リアンが親指を立てる。相変わらず元気で素直だな。遊びとして捉えてこっちを疑う気配がまるでない。それもどうかと思うが。
樽片を積んだ隅に腰を移す。木肌が背に触れて、乾いた粉がシャツに移る。リアンは扉の閂を軽く下ろし、外へ「誰も通すなよ」と声をかけてから、俺の向かいにしゃがみ込んだ。膝の上で手をこすり合わせて、落ち着かない癖を出している。
「で、兄貴。何から埋めてく? 蔵の道具の呼び方とか、若い衆の名前とか、後は……悪だくみとかか?」
「いや、そういうのじゃねえ」
言いながら、木の椀の縁を指でなぞった。蜜が薄く乾いていて、指先にぺとりと残る。言葉の切っ先が喉の奥で引っかかる。息を整えてから、真っ直ぐに見る。
「──俺の婚約者って、どういう奴だった……?」
リアンのまつ毛が一瞬止まって、油灯の光を拾った。笑いかけた口が、そこで静かに閉じる。「なんでそんなこと聞くんだ?」って顔だ。直後に「あっこれ記憶喪失ゲームだったな!」って笑顔に戻る。忙しねえ。
「薬家のマドリーのことだな? ヤな奴だぜ!」
……ん? それだけ?
てかまた薬家? なんなんだよそれ。
「あ、いや。もっと詳しく、あと薬家についても」
「あれ、足りなかったか」
情報も足りてないが、考えも配慮も足りてないぞ弟よ。
肉体は実の兄弟だが、中身は違うんだよな。コイツを弟と呼んでもいいものなのか……。
リアンは膝を抱え、かかとで床板をとんとん叩いた。板の芯が乾いて鳴る。
「薬家ってのは、うち、酒屋のライバルだな! ここらでデカい家はうちとあそこだけだ。あいつらは人を治す薬を作ってるとこで、粉にしたり煎じたり塗ったり吸わせたり……手はいっぱいあるけど、まあとにかく健康第一って家! だから『とにかく飲めばなんとかなる!』っていううちとはめちゃくちゃ仲がわりいの。なんか不健康だとかさ!」
「へえ」
「で、うちと違うところを分かりやすく言うとだな、うちは『うまい酒を造って人に出す』が出発点で、出す側の都合から考えることが多いだろ? でも向こうは『体を守るために効きを揃える』のが出発点なんだ。最初に見る場所がぜんぜん違うから、同じ席にいても『まずこれ』が合わなくなる。それのせいですぐ揉めてんの! 特にお互い若い衆はバチバチだな!」
「ふーん」
酒ばっかり造ってるバレク酒家に対して、健康至上主義の薬家もあると。近所だとそこが二大名家みたいな感じだと。
確かに仲は悪くなりそうだな。こっちは酒好き飲んだくれの集合体みてえなとこだし。飲んでるだけじゃ健康にも悪いだろうから向こうの印象は最悪だろ。逆に言えば酒の都合にぐちぐち文句言ってくる薬家もうちからしたら印象最悪、と。だからアイツら中々話したがらなかったワケだな? そもそも口に出すのも嫌ってことか。
「うちと薬家の関係はなー、昔っから噛み合わないのは本当なんだが。それぞれのトップ、まあ両方の親父が長男と長女をそれぞれ婚約させようって昔約束したらしいんだよ」
「? なんでだ」
「知らねえ。なんか利があるからそうしたって親父は言ってた! 実際親父は酒ばっか飲んで体壊してるし、薬家も酒がなんか『消毒』ってのに使えるから、って聞いたことあるけど」
ああ、なるほど。
酒家は薬家のこと敵視してるが、ちゃんと分かってるやつは酒だけじゃどうにもならねえ、より長生きしてより飲むには薬も必要なことが分かってんだ。薬家も酒家のこと敵視してるが、酒の持つ消毒効果は侮れねえし、手さえ組めればもっと開発の幅が広がるんだな。
だからお互いのお偉いさんは下っ端の仲が悪かろうと手を組んだ方がお互いのためになるって考えて、それの橋渡しとして長男の俺と向こうの長女のマドリーって奴を婚姻させることにしたと。
「で、マドリーはな、向こうの長女で、兄貴の婚約者! 兄貴と同い年で、あとめちゃくちゃ薬家の人間って感じでとにかくヤな奴だ! 酒のこと見下してるし、薬だけがあればいいだろって思ってそうだし……多分婚約もホントはどうでもいいと思ってるんじゃねーか?」
「……そうか、なるほど。大体理解したぞ。ありがとうな」
「へへ! どういたしまして!」
ぶんぶん揺れる尻尾が見えそうなリアンの頭を撫でつつ、俺は思考に耽った。
この婚約話こそが、次期当主候補を俺からリアンに移行させてない理由だろうな。
同い年ってことはほぼ同時期に次期当主へ引き継ぎができるし、両方にとっても都合が良いんだろうな。どっちか片方の引き継ぎは早けりゃ、結婚するときには当主歴にある程度の差ができちまって、最終的にそれが両家の力関係に影響を与えちまう。公平にやるなら同い年の子供同士でくっつけるのが一番ってなったワケだ。だから、消極的だろうと俺を切って年の離れたリアンに鞍替えすることができねえと。
ただ、上の意見をまだ当主にもなってない俺が無理やり撤回するのは厳しそうだな。薬家のマドリーもそれは同じ。
利点を理解できてねえ下っ端は婚約自体が無価値だと考えてるからさっさとリアンに乗り換えるべきだと思ってる。薬家の連中も酒家を嫌ってんだから、いくら呑めないとはいえ俺を歓迎するってこともなさそうだ。
その上、俺はそもそも引き継ぎしたくねえし、さっさとリアンに乗り換えてもらいたい。だが、マドリーとリアンが婚約することになれば、両家のパワーバランスが崩れてより面倒な関係になっちまう。
あれ? 俺詰んだかこれ?
リアンに譲ることを約束したクセに、俺の力だけじゃ排除できないとんでもねえノイズが出てきたぞ?
「だから俺、兄貴がどうするつもりなのかなーって思ったんだ。俺に譲るってことはなんか解決策があるってことだろ?」
「当たり前だろ。解決策、ばっちり準備済みだ。今はまだお楽しみだから秘密だけどな」
「マジ!? すげえよ兄貴! んじゃ俺楽しみにしとくから!」
「……おう」
嘘だ。んなもん今初めて知ったのに準備できてる訳ねえだろ。お前が疑うことを知らないとにかく素直な性格で助かったところだ。
にしても、あー……どうすっかなこれ。早めになんか考えとかねえとな……。
*
この体になって大体一週間が経った頃、今日も俺はリアンとの実験を終え、まあ失敗し、痛む頭を押さえながら、廊下を歩く。それだけのはずだったのだが。
向こうから足音。扉が半分だけ開いて、若手の顔が覗いてきた。妙ににやけてる。
「若、そろそろ今月のやつっすよね、どうされます?」
「ん? おっと……。──なんだそれ、今月?」
「おお、マジで口調変わってら。あ、いや、そうじゃなくて」
急に言われたんで荷物入れてた鞄が掌からずるりと抜けかけた。慌てて握り直し、そのまま聞き返す。
最近職人たちの俺への当たり方がほんの少し柔らかくなった気がする。今までは近づくだけで「厄介事が来やがった」って感じだったんだが、今の俺は何も干渉しないし、前と違ってお堅い感じでもないから、若干苦手意識が薄れかけてるのかもしれない。
ああ違う。それよりもまず、「今月のやつ」って何だ。まずそれを把握しとかねえと。
「えっと、月いちの親睦の顔合わせですよ。ほら、昔から『続けとけ』って言われてるやつ」
「続けとけって……誰が言った」
「そりゃ親父さんじゃないっすか。『いずれ結婚するんだから仲良くしておけ』って毎月会ってるでしょ」
「会ってるって……誰に」
井戸の底からひゅう、と冷たい風が立ち上がるみたいに、腹の内側が縮んだ。毎度恒例の嫌な予感、とまではいかないが、とにかく良い結果が出てこないことが容易に想像できた。
だって、毎月一回、顔合わせ、いずれ結婚する。今初めて知った情報だが、どうにも心当たりがあるんだから。
「何言ってんですか若。クソ薬家のマドリー嬢ちゃんに決まってるでしょ」
「──────ああ、そうだった、そうだったな」
うーわ。最低だ。
見たこともねえ親父よ、てめえ自分と相手の子供に何やらせてんだ。おかげで顔も知らねえ婚約相手との逢引が予定に追加されちまったぞ。
しかもクソ薬家って。マジで嫌われてやがる。部下がこれなのに上手くいくと思ってんのか? 本気で?
「俺としちゃ全く意味が分かりやせんが、若は酒が飲めねえんですし、向こうからのウケもいいんじゃねえですか?」
「お、おう。そうだな、でも俺、仮にもバレク家だから多分向こうにとってもあんまり──」
「でも毎回何かしらの準備してるじゃねえですか。結構本気だと思ってたんすが。あれ、違う?」
うーーーわ。マジかよ。
もう会うこともないであろう元の俺よ。何顔合わせに準備なんかしてやがんだ、俺何もしてねえぞ、このクソ真面目が。
今からでも間に合うか? でも「今月はどうする?」って聞かれるってことは、普段はもう準備終わってるってことだよな。じゃあやっぱり今からじゃ遅すぎるってことじゃねえか畜生。
……いっそのことその顔合わせで大失敗して、その流れで婚約を破談にさせるか? そうすれば目下の悩みを解決して円滑にリアンへの引き継ぎを促すことが──
いやダメだ! 意図的に失敗するのはダメだ!
リアンの帰属意識の強さを見れば、アイツが家をデカくすることに肯定的なのは見れば分かる。いくら家督を譲るためとはいえ、わざわざ親父がめちゃくちゃ昔から仕込んでた契約を俺が自分の意思で反故にするのはリスクがデカすぎる。それでリアンが納得できなきゃ、今の態度だって変わっちまうし今後の協力だって打ち切られるかもしれねえんだ。
そう考えると、わざと失礼なことを言うとか、今月だけ何も準備しないとか、そもそも顔合わせに行かないって方法もアウトだな。俺側にやる気がないことがバレれば、次期当主候補脱落だけじゃなく勘当まで視野に入れることになるだろう。そうなりゃ俺の目的は道半ばで強制終了になっちまう。
じゃあどうすべきだ?
酒家からすればちゃんとやってるように見えて、薬家からすれば好感度急落必至であり、今すぐに準備ができて、かつ後で親父に詰められてもちゃんと言い訳が効きそうなもの……。
「リアンに相談……は本末転倒だな。ああクソ……! こんなときに酒が飲めれば……!」
「弟、暴言、飲酒……。コイツほんとに若か……?」
*
そうこうしてるうちにとうとうこの日が来ちまった。
厚い石壁の廊下は冷えていて、靴底が旗石をかすかに鳴らす。案内の若手が扉の前で身を引いた。黒鉄の取っ手に手をかけると、冷たさが骨まで刺さるみたいだった。
「こちらで」
声が細く揺れて、同じだけ俺の指も震えた。深く息を吸って、扉を押す。来ると分かっていても、やっぱりどうしても緊張はするもんだ。しかもこっちは初対面なのに、今までと変わらないように接しないといけない。
安くない金が使われたとある店の貸し切りの客間。石の床に毛織の敷物、壁にはほんの少し色褪せたタペストリー。最上級ではないとはいえ、両家とも曲がりなりにも上流階級。大事な舞台ではしっかり金を使うらしい。
机を挟んだ奥の長背の椅子に彼女の姿が見える。肩まででばっさり切られた明るい髪に、力強さを感じさせる赤い目がギラギラと不服そうに光っていた。
まつ毛がわずかに揺れ、低い声が落ちる。
「いつも通り手短に済ませて、お父様へのポーズとしておきましょう。よろしくて?」
我の強そうな声。他人に踏み込み過ぎない俺とはとにかく相性が悪そうだ。破談にするのは簡単そうだが、それとはまた別に圧がかかる。
俺は頷き、視線を床の敷物に落とす。心臓の音が跳ねる気配──。
彼女の視線が一瞬、俺の手元の薄布に留まり、すぐ戻った。
空気が浅く凍ったまま、対面が始まる。
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