始めるしかない。
──向かい合った。向かいには薬家のお嬢様マドリー。卓の間に抜けた雰囲気なんか置いちゃいけない。置けば足をすくわれる。
「前置きはいらないわね、結局やることは一緒なのだし」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「? ……まあいいでしょう、初めは近況報告から」
前置き……やっぱいいとこの坊ちゃん嬢ちゃんの見合いだし、初めは礼儀正しい挨拶みたいなもんから始めてたんだろうか。誰も見てないのをいいことにそのパートすっ飛ばすってんなら俺としては大歓迎だ。正しい礼儀作法なんざ初めから一欠片たりとも残っちゃいねえ。
ちょっと不思議そうな顔をされたのが気になったが、そのまますぐに次の話題へ移った。何がおかしかったのか知らねえが、変に追求されないのなら俺としても気にすることじゃない。とりあえず相手の話に専念しよう。
「先月言っていた在庫の問題は解決したわ。今季の仕入れ、乾物は予定どおり、香材は半歩上。新薬の開発は依然進行中。配合の見直しは今後の課題かしら。市の顔合わせは月末、承りは前期比で少し上。個人的なことなら、体調にも学業にも問題無しといったところ。──それで、貴方の方は?」
滑らかに並べられて余白がない。こっちが差し込む暇も作らねえ。
まあ俺には関係ねえ。近況報告ったって俺は細かいこと何も分からねえんだ。だから、予め考えてきた回答で押し通すだけ。
「うちはいつも通りだ、前言ったときと変わらねえ」
「……そう。いつも通り──珍しいわね、普段はもっとしっかり説明してくれるのに」
何やってんだよ元の俺。なんでこうも真面目連発してやがんだ。いくら親睦深めるためとはいえ、ライバルの家にべらべら情報喋りすぎるのもどうかと思うぞ俺。
畜生、長く喋ればボロが出る。短く刻むのが今日のやり方だ。視線だけ合わせて、相手に文句挟ませる余地を造らないように。
「期日は守ってる。動きは帳場で見てる。外とのことは滞りなし。それで十分だろ」
「十分かどうかは立場で変わるのよ──納め先の顔色は」
「いつも通りだ。変な話は聞いてない」
「職人の気配は」
「いつも通りだ」
「貴方自身は」
「いつも通りだ」
三つ受けて三つ返す。押し返されても形は崩さない。全部前と変わらないの一点張りでなんとか押し切る。マドリーの目が少し細くなる。苛立ちに振れたか、観察に寄ったか。揺れはあるが、崩れる気配はない。
そのままいくつかの問答を繰り返し、それも全部同じ言葉で押し切る。
「……まあいいでしょう。こちらからは以上、そちらは?」
「一つだけ、持ってきた」
よし、呼吸が切り替わった。ここで持っていく。薄布を解き、卓の脇から手前に寄せる。
今日持ってきた「準備」。酒家には満点に見える、薬家には無神経に見える、準備に時間もかからない、あとで詰められても言い訳が通る。これ以上の駒はない。
「うちで一番の酒だ」
視線は伏せず、相手をじっと見つめる。ここで目を逸らせば何か企みがあるって認めてるのと変わりねえ。俺は俺として、相手を喜ばせる最上の方法としてこれを選び、それが相手の癪に障る。その状況を作り出すんだ。
「……ふざけているのかしら」
「まさか。俺にできる最高の持て成しだぞ?」
「薬家が席で酒を立てるの、嫌うと知っていて?」
「はて? 酒が嫌いな人間なんざいる訳ねえと思ってたが」
「……」
いける。向こうは明らかに眉を顰め始めた。
酒家ならどう考えても大絶賛されるこの品で、どうかこのまま「誇り高き薬家をあんな酔いどれと結ばせるとは何たる屈辱か」とでも考えて幻滅してくれ。何なら家にその話を持ち帰ってくれてもいい。酒家を嫌ってる薬家ならきっと反発する。そのまま流れで縁談を崩せればこれ以上ない成功だ。
「──貴方は酒に弱いと聞いていたのだけれど」
「期待に添えなくて申し訳ねえな。下戸なら薬家の反発も薄かったかもしれねえが、生憎俺はそうじゃないのさ」
実際には下戸だが。この場ではそう思われないことこそが重要。
この瓶の中身も、一旦空にして着色料を混ぜた水を入れただけにすぎねえ。だから俺が今この中身を飲んでも何も問題は起こらない。わざとらしく酒の匂いをさせるために元々あった中身は別の瓶に入れて持ってきた。
「今までの貴方はどうしたの? 今日はかなり様子が違うみたい」
「こっちが素なんだよ。いずれ結ばれる相手なんだ、腹割って本音で話さねえとって思ったのさ」
「こっちが、素……」
目を伏せ、考え込むように下を向いたマドリー。
そうだ、いいぞ。俺とは分かり合えねえって理解しろ。婚約を取り決めた親父に文句を言いたくなるくらい、お前の中で俺の評価を地に下げろ。
「じゃあ、頂こうかしら」
──は?
おい、なんだ。何やってる。なんでグラスを差し出す。
「は、お前。飲むのか? 酒だぞ?」
「ええ。注いで頂ける?」
こっちから目を逸らさない。なんだこれ、試されてるのか? 薬家の人間は酒を嫌ってるはずだろう?
なのに、なんで。
「本当は隠していくつもりだったのだけれど、今は丁度周りに人もいないし。ポーズだけで終わらせるつもりだったけど、せっかくだから」
おい、待て。何言うつもりだ。
予想と違う。本来ならここで「やっぱり酒家の人間は信用できない」と言われるはずで──
「私個人は、お酒が好きなのよ」
──おいマジかよ! んなもん予想できるかよ!
*
ゆっくりと二つのグラスに注ぐ。まさか香りの演出用に持ってきた本物の酒を使うことになるとは思わなかった。
注ぐ前に、二瓶の口縁を同じ布で拭う。俺のグラスには持ってきた着色水を、マドリーのグラスには本物の酒を。二つの瓶を重ねて持ち、向こうから見て不自然に見えないように。
「今日は初めからおかしいとは思っていたの。あんなに真面目ぶってて、形式的だった敬語を一度も使ってない」
……チッ。また敬語かよ。
それだけは俺の力じゃ誤魔化せねえのに、毎回これで一悶着起こりやがる。
「貴方が相手にどう思われるかのリスクを顧みず本音で話すと言ったから、私も本音で話してみようと思ってみただけ」
「俺がわざと性格を偽ってるとは思わなかったのか?」
「思わなかったわ。今までの貴方は何を考えてるか分かりにくくて少し不気味だったけれど、今の貴方は自然体で私も話しやすい。だからこっちが素なのは事実、でしょう?」
「そう、そうだが、そうなんだが……」
確かに今の俺は素だが、前と違うのは中身ごと全部変わっちまってるからだ。だが、逆にそれが「自分を完全にさらけ出し、嘘偽りなく喋ってる」風に見せちまってるのか。なんて誤算だよ!
酒がグラスの半分ぐらいを占めたあたりで零さないように水の流れを切り、そのまま差し出す。そしてマドリーは、抵抗を見せたり強がったりするでもなく、本当に口をつけて、味わってそれを飲みやがった。
マジかよ、マジで飲めるのかよ。俺も悟られないように自分のグラスに入った水を浅く口に含んで飲み込む。クソ、美味そうに飲みやがって、羨ましい。俺は飲めねえってのに。
「ふふふ、確かに美味しい。流石名酒というだけあるわね」
「……薬家の人間は酒を飲まないんじゃなかったのかよ」
「そうね、全員がそうだと思う。私は偶然試す機会があって、それで気に入ったわ。ただ、皆が反発する中で次期当主だけ異なる意見を取り上げる訳にもいかないし、黙っていたの」
「じゃあ、酒家を嫌ってるってのも、お前個人じゃ違うのか?」
「いえ? 酒家が嫌いなのは間違いないわ。あそこの人間は美味しいお酒を飲めればいい、酔んで騒げればいいなんて考えの人間ばかりで品が無いもの」
「そ、そうなのか。じゃあ、実は俺も──」
「でも貴方は違うみたいね。さっきから注ぎ方も、飲み方も堂に入った雰囲気で、流れるような動きだった。流石酒家の跡取りと言ったところかしら?」
「……おう、ご明察」
流れるような動きなのは盗賊の頃からの癖だ。無駄な動きを削れば削るほど生存率は上がる。決して綺麗にものを飲むために意識してたわけじゃない。
堂に入った雰囲気なのはリアンと実験してるからだ。貴重な酒を零す訳にはいかねえから細心の注意を払ってた。決して人に気に入られたいからじゃない。
畜生、乱暴に零せばよかったか? いや流石にそれは勿体ない。飲めないだけでこの酒が好きなのは俺だって変わらない。だからそんな真似はできねえ。
「こんなこと家では言えないのだけれど、別にお酒が好きでもいいじゃない。ダメだからといって徹底的に断絶するのは、たとえ体に良くても心を貧しくするもの」
「薬家の連中はそんなに厳しいのか。一つの考えに拘り過ぎるのはどうかと思うんだが」
「もっと多様な見方をすべきなのは賛成よ。うちの人はとにかく視野が狭すぎるの。でもそれは酒家も同じじゃないかしら?」
「確かに……」
飲み終わったグラスを差し出して「おかわりは頂ける?」と宣うマドリー。渋々注ぐ俺。なんだか奇妙な空間になってきやがった。
にしても、いい加減にここらで距離を作っておかねえとまずいぞ。元の目的が婚約の破断だったんだ。俺が持ちこんだ予想外のイベントで逆に良い雰囲気になったなんて絶対あっちゃいけねえ。
酒で嫌われる作戦が通用しなかった、なら失言を狙って落胆させる作戦に変更だ。極端な奴は勿論ダメ。ごく自然に俺たちは合わないんだと思わせなきゃいけねえから、ただ下げるだけの会話じゃなくて、二人の方向性は違うんだと思い知らせる方針で喋らねえと。
酒が入って若干上機嫌になってきたマドリーは俺の性格の変わりようを指摘してきた。そして「こんな本性を隠してただなんて、今までの会合は退屈だった?」と。
これはどうだ? マドリーは今回の会合を楽しんでるんだから、否定するのが正解か?
「いや、そんなことはないぞ。お前みたいな美人と逢引ができて退屈なワケがない」
「そ、そう……?」
頬が微かに赤らむ。な、何だ、失敗したか? それとも酔いが回ってきただけか? クソ、分からねえぞ。
次にマドリーは「二つの家、どっちが良いのかしらね」と会話を続けた。これはどうするか。さっきは変に媚びるようなことを言ったからダメだったんだ、酒の方がいいと断言すべきだろう。
「悪いがうちの方が上だな。酒の味なら何処にだって負けない自信がある」
「あら、言うじゃない。でも──自分の仕事に誇りを持てるのは素敵なことよ」
そう言ってほほ笑むマドリー。ん、これどっちだ? 褒められたのか? ただの挑発か?
話題は「好みのタイプ」へと変わった。下世話だな。三杯目のグラスを返しつつ、「酔ってるのか?」なんて考えが浮かぶ。
さて、今度はどう答えるべきだろう。好みなんざ考えたこともなかったが、ここで同じ答えが出て共感されるのはまずい気がする。そうだ、コイツの苦手なタイプをわざと言えばいいんだ。さっき「騒げればいい酒家の人間は嫌い」とか「一つに拘らず多様な見方ができる方がいい」とか言ってたな。今の粗暴な俺を「自然体で話しやすい」とも言ってた。それなら──
「いつでも明るくて、目標に一直線で、あと粗暴さとはかけ離れた上品な女だな!」
「ふ、ふうん。そう……へえ……」
あっこれダメな奴だ。しまった、相手の好みを外すことばっかり考えてて、相手の性格と一致してるかどうか考えることを忘れてた。このお嬢様どう考えても静かなタイプじゃねえし、家の発展っていう目標に一直線だし、礼儀作法に精通してる上品そのものじゃねえか。
気づけばマドリーは目の前で手を合わせながらこっちを見ていた。
なんだか雰囲気が微かに甘い。
「……私、昔からあまり殿方と深く関わったことがなくて。この婚約だって、酒家の人間なんか絶対嫌だと思っていたし、事実先月までの貴方は不気味で、きっと上手く行かないと思ってた」
流れが良くない。非常に良くない。さっきからこの女にリアンと同じレベルのチョロさを俺は感じはじめている。リアンがチョロいのは歓迎だが、この女がチョロいと俺は困る。
気を正しく持ってくれ。お前の目の前にいるのはお前が大嫌いの酒家の人間だ。今のお前は酒が入ってるからそう思ってるだけだ。頼むから前向きな感情のまま今日を終わらせるのは止めてくれよ。
「でも、貴方には少し興味が出てきたわ。だから、今は、そこまで抵抗がないかも……」
うわー……。
*
戸の向こうで二つの声が重なった。金具が小さく鳴り、廊下の足音が止まる。
「おう若、そろそろ帰りですぜ」
「お嬢様、そろそろお帰りの時間です」
うちの若いのと薬家の侍女が部屋の向こうで言う。
マズい。もう少しだけ待ってくれねえか。あの後もありとあらゆる選択肢をミスった気がするんだ。もう空気が緩みすぎて、初めに見られた緊張化はまるで存在しない。良い雰囲気なんてもんじゃない、本気になる一歩手前みたいな状態にマドリーはなっちまってる。この女、想像以上だ。いくらなんでもチョロすぎるぞ。
「あら、もう終わり? 今回は時間がとても早かった気がするわ」
「そ、そうだな……」
「ねえアシェル。次も飲みたいから、来月も『準備』してくださる?」
「おう……」
これはマズい。このまま終われば二人の関係は冷え込むどころか一気に加速する。せっかく今世で手に入れられそうだった自由に一気に雲がかかる。それはダメだ。
喉の奥が前へ出そうになる。今なんとしても止めねえと、じゃなきゃこの雰囲気で流されちまう。
「なあ、マドリー」
「? はい、何か?」
椅子を立ち上がり、扉の方へ歩こうとするマドリーの前へ立ちふさがる。その扉を超えりゃ次のチャンスは一か月後だ。それだけはできない、今ここで言わなきゃならない!
「俺には『酒に弱い奴でも美味しく飲める酒』を造るって目標がある」
言った瞬間、胸が熱くなる。嘘は混ぜない。下手に嘯けばまた変な誤解される。俺にその気はないって本心をただ伝えるんだ。
「へえ、素敵じゃないの」
くると思っていた返しじゃない。けれど引かない。ここで止めたら全部が薄まる。
「だから、俺はその目的のためなら家督を弟に譲ったってかまわないと思ってる」
「……つまり?」
自分で言っておいて、胃が強く縮む。家の重さを軽い口に乗せるのは楽じゃないが、今そんな圧に負けちまえば後で間違いなく困ったことになる。
対するマドリーの目はまっすぐだ。逃げ道はない。ここで選択を間違えれば俺は詰む。
「その、つまりだな。俺は自分の望む酒を造るために両家の発展とか関係改善とかだってどうでもいい、なんならこの縁談だって壊れてもいいって思ってるんだ」
言い終わって、手のひらがにわかに汗ばむ。実際には壊れてもいいってどころか、壊れてくれると嬉しい、だが。部屋の匂いが濃くなった気がした。時計の音はないのに、時間だけがゆっくりに感じる。
ここまで言ったんだ、これ以上明確な発言は家の方からどう思われるか分からない。頼む、幻滅してくれ。俺は自分の道を選びたい。リアンに家督を譲りたい。そのためにここで線を引くしかない。
「そう」
平らな返事。脈の音が自分に近い。外から戸を叩く合図。侍女の控えめな咳払い。俺は視線を逸らさない。せめてこれだけは……。
「気にすることはないわ」
っ、何を──
「地位や利益より、自分の仕事を愛しているのね。それはとても素敵なことよ、私は気にしない。むしろ見直したわ」
ああ、この分からず屋が……!
*
「なあ兄貴! あのマドリーが結婚にすげえ前向きなんだってよ! あんなに上手くいってなさそうだったのに凄いな! 何やったんだ?」
「こんなはずでは……」
「あん? でも兄貴とマドリーの婚姻が上手く行っちまったら俺の家督問題はどうなるんだ? ん、これ良かったのか?」
「こんなはずでは……」
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