市場の石畳は人の足で磨かれて、朝の光を鈍く反射してた。
付き添いの買い付け係が、店を指差す。看板には靴と鞄の絵。店先には革製品が並んでて、職人が奥で作業してる姿が見える。
「執事長、まずはこちらの革細工の店へ」
「ああ、分かった」
今日はレミの指示で、ガルトン邸で使う革製品の買い付けに来ている。
普段なら、食材や日用品は商人が屋敷に売り込みに来る。向こうから「今日はこれが入荷しました」「旬のものがございます」って具合に。だから、わざわざ市場まで出向く必要はねえんだが。
ただ、革製品、特に特注品や、急ぎで必要になったものは別だ。それに、所謂「裏の用途」の品もこれに該当する。業者と直接話をして、仕様を確認して、納期を決める。
執事長の仕事はそういったブツの総合的な管理なんだが、まあこれも記憶喪失って体の俺を仕事により早く慣れさせるための行程の一環なんだろうな。
店の中に入ると、店主が顔を上げて、俺を見て、すぐに表情を変えた。
「これはこれは、ガルトン様のお屋敷の──」
「革の手袋を十組、それと書類鞄を二つ。至急で頼みたい」
「承知致しました。手袋のサイズと、鞄の仕様をお聞かせ願えますか」
店主が羊皮紙と羽ペンを取り出す。俺は懐から、レミが用意したメモを出して読み上げた。サイズ、色、仕上げの種類。鞄は書類が百枚入る大きさで、鍵付き。納期は一週間以内。
「一週間……少々厳しいですが、ガルトン様のお屋敷のご依頼でしたら」
「できるか?」
「はい。職人を増やして対応致します」
「なら頼む。代金は納品時に屋敷で払う」
「ありがとうございます」
店主が深く頭を下げる。
ガルトンの名前を出せば、いくつかの店はこういう特別な対応をしてくれるらしい。金払いがいいのか、それとも──弱みを握られてるのか。両方あり得るのがおっかないな。
……そういえば。
ふと思いついて、俺は店主に尋ねた。
「──なあ、アシェルって名前の奴を知らねえか?」
店主が顔を上げる。少し考えるような顔をして、首を横に振った。
「アシェル……ですか。いえ、存じ上げません」
「そうか。手間取らせたな」
店を出れば、買い付け係が「次は金物屋ですね」と言って、先を歩き出す。燭台の補充と、鍵の予備を作らなきゃいけないらしい。
俺はその後ろをついていくだけ。記憶喪失って体だから、どこに何があるかなんて知らねえ。案内されるがままに動くしかねえ。
それにしても──アシェル、か。
盗賊アシェル。処刑された後の見習い兵士アシェル。出血死した後の文官アシェル。毒死した後の酒家アシェル。多分、焼死した後の探検家アシェル。餓死した後の、今の執事長アシェル。
どれも全員、「アシェル」って名前。初めを除いて、全員真面目人間。成り代わりなんて現象が起きてること自体は置いといて、毎回同じような人間に成り代わってるのは、間違いなく偶然じゃねえよな。
じゃあ、次の「アシェル」も、既にいるんじゃねえか──なんなら、この王都のどこかにいるんじゃねえか? もし、今の俺が死んだら──次に成り代わる先が、探せば見つかるんじゃねえか?
もし存在してるなら、ソイツの職業とか、人間関係とかを事前に把握しておくことで、次の人生を上手く運べるようになるかもしれねえ。元々の体の持ち主には奴には悪いが、俺にはちょっとどうにもできねえし……。
そう考えて、さっき店主に尋ねてみた。でも、知らないと言われた。
金物屋に入る。店主が顔を上げて、「いらっしゃいませ」と声をかけてくる。今回の注文は「燭台と鍵、納期は三日後、代金は納品時」。店主がメモを取って、「承知致しました」と頭を下げる。
ここでも尋ねてみたが、結果は……。
「いえ、知りませんが……何か?」
──と。まあ、そんなすぐ見つかるとは思ってなかったが。
その後も、いくつも店を回ることになったが、中々「アシェル」は見つからない。
てことは、この市場にはいないのかもな。もしかしたら、王都のどこか別の場所にいるのかもしれねえし──そもそも、次の「アシェル」なんていないのかもしれねえ。
そう思いつつ、毎回、同じことを尋ねる。相当回ったぞ。何軒目かもう数えてねえぐらいに。
だが、答えはいつも同じ──「知らない」。
もしかしたら、次の「アシェル」を探すこと自体が間違ってるのか?
もしかしたら、次は成り代わらないのか?
もしかしたら、次に死んだら──本当に、終わりなのか……?
胸の奥が冷たくなる。
人生が二回以上あるって時点でこれが贅沢だってことは分かってんだが、つい次のことを考えちまう。今の生活を一刻も早く抜け出したいが、抜け出した先に──次があるのか? それが分からない。
「執事長、これで本日の買い付けは終了ですが……」
買い付け係が、遠慮がちに声をかけてくる。
「あ、ああ。分かった」
結局、何も分からない。次の「アシェル」がどこにいるのか。そもそも存在するのか。成り代わりの条件は何なのか。
分からないまま、俺は市場を歩き続けた。
*
買い付けを終えて、屋敷への帰り道。
市場の端を抜けて、大通りに出る。馬車が通り過ぎて、行商人が荷車を引いてる。石畳の上を、人が行き交ってる。
通りの両脇には店が並んでる。パン屋、肉屋、布屋。その中に、酒屋があった。
店先に樽が並んでて、看板には葡萄の絵。窓の向こうに、陶器の壺が並んでるのが見え……ん?
『バレク家──マドリー及びグロス家協力』
「──ん!?」
足が、勝手に止まってた。買い付け係が「執事長?」って振り返る。
「ちょ、ちょっと待ってろ!」
み、見間違いじゃねえよな? さっき確かに、「バレク」と「マドリー」って書いてたよな!?
窓越しに、もう一回確認したが……間違いねえ。札には確かに、バレクの名前と、よく見りゃ「リアン」って文字も。それに続いて、マドリーの名前が並んでる。
グロス家ってのは確か──薬家の名前だ。あんま意識したことは無かったが、何度か耳にはしてた。あの壺の形、釉薬の色、札のデザイン。どれも見覚えがある──いや、正確には、見覚えがあるはずのものだ。
……てことは!
あの二人が、あの両家が、ちゃんとした製品として作り上げたってことじゃねえか。
俺が酒家にいた頃、両家初の共同製品になるはずだった酒。元は俺の個人的な欲望から始まった、「酒に弱い奴でも飲める、でも味は本格的な酒」。
俺も飲むことはできたが、途中で死んじまって、あれをモノとして売り出すまでには至らなかった。
でも。あれがあるってことは。二人の名前が書かれてるってことは。
リアンとマドリーは、俺が死んだ後も、ちゃんと形にしたってこと。二人が険悪だった両家をまとめ上げ、バレク家とグロス家が協力して、商品として世に出したってこと。
それも、ただの試作品じゃない。こうして市場の酒屋で売られてるってことは、ちゃんと評価されてるってことだ!
「……良かった」
思わず声が零れる。
そうか。リアン、マドリー。お前ら、ちゃんとやってるんだな。俺が死んだ後も、立ち止まらずに前に進めてる。やべえ、なんか、嬉しいな。
罪悪感もある。約束を破ったこと、あの火事で死んだこと、二人を残して消えちまったこと。でも、それ以上に安堵の気持ちが止まらなかった。
あの二人は、大丈夫だな。
俺がいなくても、ちゃんとやっていける。
「執事長、何かありましたか……?」
買い付け係の声が背中に届く。
「ああ、悪い。行こう」
振り返らない。振り返ったら、また色々考えちまいそうになる。
リアンとマドリーは、ちゃんとやってる。
バレク家とグロス家は、協力関係を続けてる。
あの火事の後も、二つの家は繋がってる。
それが分かっただけで──今日、ここに来た意味があった気がした。
「……あれ。さっきの人、見るだけ見て何も買っていかなかったね」
「本当だな。例の新酒を見てたみたいだが……まあしょうがねえか」
「だね。あの酒、モノは良いけど、お互いの家が相当仲悪いから。最近は特に」
「あれじゃ長く続くか怪しいからな。どっちかの次期当主が死んだんだっけか?」
「さあ? でも、弔いがどうとかで、これだけは完成させるってのは聞いたね……」
*
屋敷に戻って、ようやく午後の業務も終えた。
書類の整理、使用人への指示、明日の予定確認。レミが横にいて、俺が仕事にすぐ慣れるよう的確に指示を飛ばし、変な動きが無いか逐一チェックしてる。相変わらず、息が詰まりそうな管理体制だ。
「本日の業務は以上です。お疲れ様でした、執事長」
「ああ」
レミが一礼して、部屋を出ていく。扉が閉まる音と共に足音が遠ざかっていった。
これで、俺もようやく気を抜ける。
「はあ……」
──ただ最近、レミのことが、どうにも引っかかる。
レミは確か、前にこう言ってた。「私は執事長が来るずっと前からガルトン様に仕えてきた」「旦那様への忠誠」と。
でも──本当にそうなのか?
ガルトンの前では従順だ。命令を聞いて、報告をして、頭を下げる。完璧な部下の姿。
でも、俺といる時は違うような気がする。「外様が気に入らない」とも言ってたが、屋敷全体で見ても勤務年数はバラバラで、レミはまだ浅い奴らに対して特に態度を変えることをしない。
俺を「従える立場」になりたいとも言ってた、「実権を握る」とも。ただ、それなら記憶を失った俺をさっさと処分して、繰り上がり式に上の立場になればいいだけだろう。それに、ガルトンへの忠誠がメインなら、自分の立場がどうより、俺が信用できるかどうかを見極めるべきじゃねえのか。あの言い方じゃ、ガルトンにより有用かどうかってことよりも、自分の立場を優先してるように見える。
あと──エドウィンの件。あの時、俺は記憶喪失の状態で「説得」をやった。まあなかなか上手くできたと思うし、ガルトンも満足してたからその結果に問題は無いだろうが。
で、レミは俺を褒めた。「お見事でした」と。
……おかしくないか?
レミは俺を「従えたい」はずだ。俺が無能なら、それを口実に実権を握れる。
なのに、俺が成功したことを素直に褒めるし、ガルトンに「執事長は記憶を失ってるせいで仕事ができません」なんて報告もしてない。
むしろ、俺のミスを庇ってる。
実際これまででミスを一度もしてないなんてことはない。些細ではあるが、レミが見てる中でちょっとやらかしちまって、これはヤバイんじゃねえかって震えたことも一度や二度じゃねえ、なのに。
なんでだ?
忠誠を誓ってるなら、主人に全部報告しろよ。執事長の不審な行動を見逃す理由がないだろ。
実はレミは、ガルトンに忠誠を誓ってない?
──いや、そんなはずはねえよな。幼い頃から仕えてきたって本人が言ってたし。実際、ガルトンを見る目は従順な配下そのものだ。
「……分かんねえ」
考えれば考えるほど、矛盾が増える。レミの言動が、どうにも噛み合わない。
いや、俺が考えすぎなのかもしれねえな。実際に見たわけでもないレミの強さにビビッて、とにかく俺に有利な思考をしようとしてるだけなのかもしれない。
深く考えるのは止めよう。せっかく気を緩められるんだ。
常に気を張りすぎてたら、いつか俺の方からボロが出そうだしな。
窓の外を見る。もう夕暮れが近い。空が赤く染まり始めてる。
そろそろ明日の予定を確認しておかなきゃな。レミが用意した書類に目を通す。使用人への指示に、納品の確認に、ガルトンへの報告に……。
こうして仕事にだんだん慣れていく俺を見てると、こんな状況なのに明日も、今日と同じような一日になるんだろうって思っちまう。
レミに見張られながら、一般的な執事の業務と、ちょっとヤバめの薄暗い業務の繰り返しで──
その時、遠くで何かが割れる音がした。
*
「ガルトン! 出て来い!」
お、おお……?
遠くから怒鳴り声が聞こえてきた。声が壁越しに響いてくる。何だ? 何が起こった?
「俺の家族を返せ! 金を返せないからって、家族を人質に取るなんて!」
なんだなんだ債務者か!? わざわざここまで乗り込んできやがったのか!?
急いで扉を開けて廊下に出る。
玄関の方向から、まだ声が続いてる。使用人たちの悲鳴も混じってる。角を曲がって、玄関ホールへ。
男が一人、刃物を持って立ってた。使用人たちが後ずさりしてる。
コイツの顔は見覚えがある。債務者リストに名前があった男だ。ガルトンに金を借りて、返せなくて、家族を担保に取られた奴。追い詰められて、自暴自棄になったのか。それでここに乗り込んできやがったと。
衛兵は何してやがんだって声を出そうとして──男の服の赤い染みと玄関ホールの向こうに見える血の跡で察しがついた。
クソ! 衛兵は既に撃破済みかよ! んな大層な力があるなら変なとこから金借りるなってのに!
どうする? 他の衛兵が来るのを待つか? でも、それまでに使用人が怪我するかもしれない。俺が前に出るか? いや、刃物持ってる相手に素手で──
「──ま、待て! 落ち着け!」
気づいたら、俺は前に出てた。
男の目が、俺に向く。血走ってる。理性が飛んでる。
「誰だお前は! ガルトンを出せ!」
「待て、話を聞くから。だから、刃物を下ろせ」
「ふざけるな! お前も同罪だ! ガルトンの犬め!」
ああもう! それは事実だが、とにかく話にならねえ。前になんか出るんじゃなかった!
男が刃物を振り上げ、俺に向かって──
「っ!!」
咄嗟に後ろへ跳んだ。あぶねえ! 速え!
刃が目の前を通り過ぎて、風が頬を掠める。
マジかよ……。ルシアほどじゃねえが、今の俺がどうにかできる相手じゃねえってのが一瞬で分かった。それぐらいの力量差がある。クソ、衛兵の増援は!? なんでまだ来ねえんだ!?
男がもう一度、刃物を振り上げた。
その時──廊下の奥から、カツカツと、テンポは早いが規則正しい足音。
レミだ。
無表情のまま、俺の背後から、あの男よりも遥かに速いスピードで急接近して、次の瞬間──
「──は?」
レミの手が、男の手首を掴み、捻る。ほんの短い動作なのに骨が折れる音。
男が悲鳴を上げる。刃物が床に落ちる。金属が石を叩く音。レミの膝が、男の背中に突き刺さって、男が地面に叩きつけられる。鈍い音。
全部で──三秒も経ってない。
俺は、呆然と立ち尽くしてた。
「な、何が──」
レミが、一瞬で男を制圧した。
速すぎる。正確すぎる。容赦がなさすぎる。
あの動き──ルシアと同じくらい、いや、もっと速いかもしれない。
暗殺要員だってのは知ってた。裏帳簿に「処分担当」って書いてあったのも知ってた。
でも、実際に見ると──想像以上だ。
「執事長、お怪我はございませんか?」
レミが、男を押さえつけたまま、俺を見る。
無表情。いつもと変わらない、冷たい目。
「……だ、大丈夫だ」
声が、震える。
衛兵が駆けつけてきた。遅えよ。
「申し訳ございません! すぐに連れて行きます!」
男を引きずっていく。男は呻き声を上げてるが、抵抗する力はもう残ってない。
いや、違う。さっき床に落ちたと思ってた刃が、男の両手を重ねるように貫いてる。
横を見れば、手に若干の赤い跡を残したレミがハンカチーフで手を拭いていた。
──いつの間に。
「お目汚しを、失礼致しました」
それだけ言って、レミは一礼した。
俺は──何も言えなかった。
コイツ、こんなにヤベえ奴なのかよ。
思ってたより、ずっとずっと想像以上に、ヤバい。
あの速さで、あの正確さで、俺を殺そうと思えば──一瞬だ。
抵抗する間も、叫ぶ間も、気づく間もなく、一瞬で、終わる。
だんだん仕事に慣れてきたせいで感覚が麻痺してたが。レミの本当の実力を見たことが無かったせいで無意識のうちに油断してたが。
こんな奴を、敵に回したら──俺は、死ぬ。確実に、死ぬ。
「メイドを呼んで、汚れを掃除させます。私は先ほどの方の『説得』に伺いますので」
「あ、ああ……」
俺は、それしか言えなかった。
一歩間違えれば息の根を止められるのは自分なんだと──改めて思い知らされた。
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