前回の密会から一週間、今日もまたあの廃礼拝堂に来た。
「ごめんなさい、シェラ。少し遅れたわ」
扉が開いてルシアが入ってくる。短い言葉だが声が弾んでいた。表情も明るい。久しぶりに見る本当の笑顔だ。
何かいいことでもあったのか? いや待てよ、ルシアが嬉しそうってことは俺にとって良くないことが起こる前触れなんじゃ……って、俺は何を考えてんだ。ルシアが喜んでるなら俺も喜ぶべきだろうが。
「いや、俺も来たとこだ。気にしなくていい」
「そ、じゃあ本題に移るわね」
ルシアが恒例の手紙の交換すら足早に終わらせて俺の前に立つ。いつもならすぐ読もうとするのに、今日はそれがない。
それに距離だって気持ち近い、なのに今日は威圧感がない、むしろ嬉しそうで目が輝いている。なんだなんだ、一体何があった。
「エドウィンの件、功績として認められたの」
「……へえ」
ああ、それでか。
エドウィンを捕まえられた件は確かに凄まじい功績だろうな。王女暗殺計画の黒幕を捕まえたんだから。ルシアにとっちゃ夢に近づく大きな一歩だ。そりゃ嬉しいだろう。良かったじゃねえか。
俺が兵士のアシェルなら特に何も考えず祝ってやればいいんだがなあ。執事のアシェルはルシアとそこまで仲が良いわけでもねえし。不憫な立場だよ。
「あなたが渡してくれた情報のおかげ。本当にありがとう」
「いや、別に。俺は大したことしてねえ」
「ううん、あなたのおかげ。あなたが協力してくれなければエドウィンは捕まえられなかった」
ルシアが顔を上げる。目が真っ直ぐ俺を見ている。
……むず痒いな。俺自身エドウィンに恨みがあったのも確かだが、それとは別にルシアのためを思ってやったことでもあったし。上手くいったならそれで一番なんだが──
「だから次もお願いしたいの」
「……次?」
……おっと?
何だか話の流れがマズい方向に行ってる気がしてきたぞ。
次って何だよ。変にもったいぶった言い方しないで欲しいんだが。
「ええ」
ルシアが一歩近づく。声が少し低くなったが、それでも喜色を隠しきれていない。
「──そろそろ、ガルトンを捕まえられるかもしれない」
「……えっ」
………………えっ?
何だって? ガルトンを?
「あなたが渡してくれた情報を繋げていったの。そうしたらガルトンに繋がる線が見えてきたわ」
「! いや待て、あれは」
た、確かに。俺はルシアが俺を助けるため、ガルトンを牢にぶち込むつもりなのは知ってた。そのために俺を脅した訳だし、功績を積む以上の一番の目的なのは知ってた。
知ってたが、俺としてもガルトンが捕まっちゃ困る。今の俺の立場はガルトンがいるが故だし、ガルトンが捕まるってことは俺も捕まるってことだ。
そして何より──兵士の俺なんて存在してないってことがルシアにバレちまう。
それだけはマズい。これまでの態度を見る限り、もしバレれば俺は激高したルシアによって、成り代わったことを後悔するレベルで叩きのめされるのが確定する。
そうなりゃルシアの経歴にも傷がつきかねないし、よりにもよってあのルシアに極限まで痛めつけられながら、心の中じゃ次の人生があるのかどうか不安を覚えながら死んでいくなんて最悪の展開を迎えることになっちまう。
だからこそ、この密会で俺が渡す情報はガルトンと直接繋がらないばっかりを選んでたはずだった。他の犯罪者の弱みとか債務者の裏事情とか。ガルトン本人には繋がらないようにわざと選んで渡してたはずなのに。
なのに、繋がるってどういうことだよ。
「エドウィンの資金の流れを辿ったの。そうしたらガルトンの名前が出てきた。かなり骨が折れたけど」
……あれえ。
「それだけじゃない。あなたが渡してくれた他の情報も全部ガルトンに繋がってる。賄賂に口止め料に債務者への脅迫。大変だったけど、全部ガルトンが関わってるって突き止めたわ」
骨を折って分かるような情報じゃなかった、はず、だろう……!?
冗談だろ。ルシアの本気度を甘く見てた。いくら俺の生死がかかってるからって、ほぼ何の関係もない情報からそこまで足取りを掴むなんて。兵士じゃなくても食っていけるだろお前。
ルシアの目が鋭くなる。こういう目をするときのルシアは本気だ。止められない。
「証拠はもう十分。あとはタイミングだけ。上層部の許可を取って、近いうちに王国正規の部隊で正式に殴り込みに行くから」
タイミング。タイミングって何だよ。
殴り込みってガルトン邸にか。マジで言ってんのかコイツ。
「ちょ、待て、それは」
「ガルトンの仕事に関わっている以上、もちろんあなたも捕まえることになるけど」
ルシアが俺の肩に手を置く。
「大丈夫。あなたは協力してくれたし、できるだけ刑が軽くなるように、内部協力者として減刑の嘆願を出すわ。シェラは強制されていた、ガルトンに脅されていたって。そういう形にする。だから心配しないで」
刑が軽く。軽くって何だよ。捕まることには変わりねえじゃねえか。いやそもそも俺は別に減刑してほしくて協力してる訳じゃねえんだが。そもそも兵士のアシェルが存在しないとバレた時点でその約束は意味を成さなくなっちまうぞ。
お前は俺の立ち位置を知らないからそんなこと言えるんだが、俺実は裏の業務に関わってた執事長なんだから。
「裏切りがバレたら屋敷での肩身は狭いかもしれないけど、私達が辿り着くまで頑張って生き延びてね」
「生き延びてって……そんな簡単に……」
裏切りがバレたら俺は即座に『説得』の対象だぞ。レミに殺されるか地下の処分室で拷問されるかの二択だ。生き延びられる訳がねえだろ。
「もう少しだから。もう少しでアシェルを助けられるから」
目が潤んでいる。本気で嬉しそうだ。本気で俺を助けられると思ってる。いや違う。俺じゃない。兵士の俺を助けられると思ってる。ああもうややこしい!
手を握らないでくれ。力が強え、爪が食い込んで痛え。
──ていうか、この会話もどうせレミに見られてるんだよな。
あれ? 俺大丈夫か?
「わ、分かった」
それしか言えなかった。ルシアの目が嬉しそうに細くなる。
「ありがとう。じゃあまた来週」
ルシアが扉へ向かう。振り返ってもう一度笑顔を見せて消えた。
マジかよ。あれが、今回の人生で最後に見れるルシアの笑顔になるのかもしれねえのか……?
*
廃礼拝堂を出て、石畳の路地を帰ってると背後から足音がした。
振り返らなくても分かるぞ。どうせレミだろ。あの監視魔に見られてたってことは分かってるし、もう驚きもしねえ。俺が把握してる以上、向こうも今更隠れる気がないんだろうな。
「お疲れ様です、執事長」
「……ああ」
ほらやっぱり。
さっきの話の内容聞いてた癖に俺を詰めることもなく、平気で隣に並んで歩いてくる。相変わらず何考えてるか分からねえ。
「今日の密会は、充実していたようですね」
「全部見てたんだろ」
「ええ」
何の躊躇もなく認めやがって。
もういいや、ルシアの手紙読もう。
「先ほどの手紙ですね。拝見してもよろしいですか?」
嫌だぞ。つっても拒否権なんてねえだろうが。
便箋を広げれば、いつも通りのルシアの文字が並んでた。エドウィンの件についての報告、功績が認められたこと、ガルトンを抑える証拠が手に入ってもうすぐ会えること。肩が触れそうな距離で隣のレミが覗き込んでく……近い近い近い。
こんな直接的なメッセージを見てもレミは眉一つ動かさない。じゃあなんでコイツはガルトンに仕えてんだ。なんで俺が外様だから気に入らないなんて嘘ついたんだ。
あれか? 忠義は無いが、長年の付き合いによる愛着みたいなもんがあるってことか?
「この『アシェル』とは、執事長のことでは? 先ほどまで目の前にいたのに、何故直接言わないのでしょう」
「……さあ」
それが違うんだよ。コイツの思うアシェルとお前の思うアシェルは同じ人間なんだけど別人なんだよ。言っても分からねえと思うが。
俺の曖昧な返事を聞いて、レミもそれ以上を聞いてこなくなった。多分俺が隠し事してることは察してるんだよな。その上で俺が喋らないのを理解して黙ってるんだ。
もういいや、こんな状況じゃ集中できねえし、やっぱり帰って読もう。
屋敷まであと少しってところで、レミがまた口を開いた。
「そういえば、執事長」
「……何だ」
今度は何を言い出すんだ。一々心臓に悪いからやめてほしい。
「最近、旦那様とヴェミーニ侯爵の関係に何やら動きがあったそうです」
「そうか」
ヴェミーニ、か。ガルトンのライバルで膠着状態にある相手。
動きがあったってのは、スパイが情報収集に熱を上げてるとか、どっちかの家が向こうのシマに手え出したとかそういうことか。
「いずれ大きな争いになると予想されます」
「……そうか」
「ええ。そして──」
レミが僅かに声を落とす。
「裏切り者も多く、現れることでしょう」
──ああ、なんだそういうことかよ。
これはあれだ、警告だ。今は何かの都合があるから見逃してくれてるが、有事の際には情報を流してる裏切り者として、俺を真っ先に『説得』の対象にするぞって圧をかけてるんだ。
まあ、そりゃそうだよな。俺は実際明確に裏切り者な訳だし、俺に関係してなくても、何か問題が起こったら俺に擦り付けられたりもするんだろうな。
レミの視線が、俺に向く。
一瞬だけ。でも、確かに。
「ですから、執事長も──くれぐれも、お気をつけください」
もし、何か大きな出来事が起これば、その時にきっと俺は殺されるんだろう。俺を殺す相手が誰になるかは分からねえが、まあいい死に方はできなさそうだ。
でも、今逃げ出そうとしたらルシアに怪しまれる。「アシェルを何処へやった!?」って、逃げても逃げても追いかけてくるだろうし、そうなったらもう二度と関係を修復するのは無理になるだろうな。
「……分かってるよ」
ただ、とりあえずこう答えるしかない。
*
「あー……」
茶がうめえ……。
やっぱり金のある家は執事の自室に置かれてる茶葉まで超高級品ってことかよ。
まあ自室つってもこの場所はもう何回もレミに勝手に荒らされまくってるんだけどな。
これまでの暮らしでやってきた全部が裏の仕事って訳じゃない。
こうやって、ただ主人や客に茶を出すこともあった。まあ毎度のこと初めの頃は出来も最悪だったが、これもレミにビシバシ鍛えられて、今じゃだいぶ飲める方になってきたと思う。
レミはまだまだだって言ってたが、少なくとも俺の貧乏舌にはこれで十分だ。今はこんなもん飲んで現実逃避するぐらいしかやりたくねえ……。
もう一口飲んで、茶器を机に置いて。
さて、どうしたもんか。
ルシアが言ってた「近いうち」ってのは一体いつのことだ。「また来週」って言ってたから少なくとも明日明後日にすぐってことはねえだろうが……。
そもそもルシアが上層部に報告してから実際に動くまでにどれだけ時間がかかるのかも分からねえ。兵士や文官の頃の記憶を頼りにすれば、大規模な作戦ってのは準備に時間がかかるはずだが。エドウィンの功績で勢いがついてるルシアがどこまで進行を急かせられるかが鍵だな。
ルシアは俺を協力者として扱ってくれるらしいが、それは「兵士のアシェルが存在する」って前提での話だ。存在しないとバレりゃ、俺はただルシアを騙してた詐欺師ってことになる。そうなりゃルシアは俺を許さねえだろうし、減刑の嘆願なんてしてくれるはずもない。むしろ自分の手で俺を締め上げようとするんじゃねえか。
レミはどうする気だ。あの女は全部知ってるのにガルトンに何も言わねえ。忠誠心が嘘だってのはもう確定してるが、じゃあ何のために黙ってる。俺が何かするのを待ってるのか。それとも、別に目的があるのか。「お気を付けください」ってあたり、ガルトンの目の前で裏切りとかしたらその時は流石に手を下すんだろうが。
ソラナがどこにいるのかも分からないままだ。とりあえず共同墓地には行ってみたが、ソラナって掘られてる石は無かった。だから生きてると思う。森の中で一人死んでるとかだったらどうしようもない。
それに、次の「アシェル」がどこにいるかも見つかってない。もしこの成り代わりが今後百回続くなら、既に百人のアシェルがどこかにいるはずだ。なら一人ぐらい王都にいてもいい気がするが、今まで散々探して全く見つかってない。もしかして、本当にいないのか。じゃあ、次に死んだら、俺は──
頭ん中がぐちゃぐちゃだ。整理しようとしても、新しい疑問が次々湧いてくる。
とりあえず、今できることは何だ。
逃げ出すか。いや、レミに見つかるしルシアにも追われる。
ガルトンに全部話すか。冗談、自白するようなもんだ。
レミと交渉するか。いや、何を交渉材料になる。アイツの望みも分からねえのに。
ルシアに本当のことを……いや信じてもらえねえな。レミに打ち明けたときの反応を思い出せ。
どれも無理だ。選択肢がねえ。
落ち着こうと思って茶を流し込んだが、すっかり冷めちまってた。
ああもう最悪だ。なんでこう悪いことはいっぺんにやってくるんだ。
とりあえず厨房に新しい湯を取りに行かねえと……。
*
厨房に向かう途中、廊下の角で使用人たちの声が聞こえてきた。
「執事長、本当に変わりましたよね」
「ああ。前は話しかけるのも怖かったのに」
「今は気さくですし、味見も頼めますし」
変わった、か。まあ、中身が別人なんだから当然だ。
今でもう……七週間か? それだけ経てば、こうやって使用人たちとの距離も縮まってくる。前々から使用人たちが俺に対する態度を緩和させてたのは知ってたが、果たして元の俺はどれだけ近寄りがたい真面目人間だったんだ、逆に興味が湧いてくるぞ。もう一回あの森で成り代われれば今度こそ、前の俺と会話ができるんだがな。まあそんな上手くいくことはねえだろうけど。
湯を取りに厨房の扉を開けようとして、手が取っ手にかかる直前で、中の会話が続いてるのが聞こえた。
「昔を思い出しますよね」
年配ってほどじゃないが、間違いなく俺より年上のメイドの声。
懐かしそうな響きがある。誰かの思い出話でもしてるのか。
「執事長がいらした頃は、私もまだ若くて」
「本当に。もう随分経ちますものね」
……ん?
昔? 俺が、いらした頃?
何の話だ。元の俺がここに来たのは割と最近の話なんだろ。レミだって、「外様」とか、「外から来た奴が執事長になったのが気に入らない」って言ってたはずだ。
なのに、使用人たちの口ぶりじゃまるで俺がかなりの古株みたいに聞こえるんだが。
「確か、この屋敷が建った時からでしたよね」
「ええ。旦那様がまだ小さな商人だった頃」
屋敷が建った時? 小さな商人だった頃?
いやいや、おかしいだろ。それって、一体いつの話だ。ガルトンが成り上がる前ってことか。この屋敷を建てるより前から、俺はガルトンに仕えてたって言いたげじゃねえか。つい最近来たばっかりの奴がそんな時にいるはずねえのに。
「もう八年以上ですか」
「十年、だったかしら」
は、八年、十年……?
何、言ってやがる。十年前から俺がここにいたって、そんな訳ねえ、だろ。じゃあ、なんだ? レミは十年以上前から仕えてるのか? 仮にそうだとして、十年の付き合いの人間を外様だなんて呼ぶのか?
「あ、執事長」
扉を開けると使用人たちが振り返った。俺の顔を見て、少し驚いたような表情になって。
「邪魔して悪い。その、湯をもらいに来た」
「はい、少々お待ちください」
声が掠れた。喉が渇いてるせいじゃない。
少しのことがひっかかって、それで喉元まで気が回らなくて。
「な、なあ。さっき、俺が昔からいるって話してたが」
「あ、あら! 聞かれていましたか。ええ、そうですよ」
聞き耳を立てられてたと察して、メイドが恥ずかしそうに微笑む。
ただのその内容は、当たり前のことを言ってるような、そんな顔だ。疑問を持ってない。ただの事実を述べてるだけの顔だ。
そんなはずないのに。
「いや、俺が来たのは最近、だろ? 昔っつっても、大して昔じゃねえはずだ」
レミが言ってた言葉をそのまま口にした……なのに、使用人たちの反応が変だ。顔を見合わせて、困ったような表情になる。何を言ってるんだこの人、って顔で。
「執事長、何を仰ってるんですか」
「執事長は、昔からいらっしゃいますよ?」
「旦那様がこの屋敷を建てられた時から、ずっと」
若いメイドが本気で不思議そうに首を傾げる。嘘をついてる風には見えない。演技してる様子もない。ただ、本当に、そう思ってる。執事長は昔からいると。
「記憶喪失で、そういうことも忘れてしまわれたんですか?」
記憶喪失。そうだ、俺は記憶喪失ってことになってる。だから、こういう質問をしても不自然じゃない。むしろ、記憶を取り戻そうとしてる姿に見えるだろう。それは助かる。助かるが、何かおかしいよな。何かが、間違ってる。
それなら──
「じゃあ。レミは……?」
アイツは言っていた。俺よりずっと前からガルトンに仕えていると。
「メイド長ですか?」
「メイド長は、比較的最近いらっしゃいましたね」
「ええ。旦那様が王都で名を上げられてから、お迎えになったと聞いています」
「優秀な方だと評判でしたから」
評判なんてどうでもいい。アイツが優秀なのは身に染みて分かってる。俺が気になるのは、レミがいつからいるのかってことだ。
俺より前からって言ってるんだから、俺が十年前からなら、レミは……。
……どれくらいだ?
十五年? 二十年?
いや、待てよ。レミの年齢から考えても、そんなに前からってのは無理がある。
じゃあ、何年前だ?
俺が誤解してるのか、見逃しちゃいけないようなことを見逃したのか。
でもそうじゃなきゃ、おかしいはずなんだ。だから──
「メイド長がいらしたのは、確か……」
「三年ほど前だったと思います。おそらくは」
「それが、どうかしましたか? 執事長」
……んん?
おかしいよな……?
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