「……?」
……やべ。
思わず口走ったが……何を言ってんだ俺は。
こんな唐突に、こんな説明もなしに、本来何の関係性もない女がいきなり「俺はアシェル」なんて言い出したら普通に怪しいだろうが。しかも前髪がボロボロの。
でも、もう遅い。言葉は口から出ちまった。タリエの顔見れば案の定困惑してやがる。当たり前だよな。せめてもうちょっと上手い言い方があっただろうに、焦りすぎて頭が回ってなかった。
「アシェル……さん?」
……? タリエが首を傾げる。困惑してるが、驚いた様子はない。むしろ丁寧な口調で、いつも通りの落ち着いた態度。
なんでそんなに……って、ああそうか。タリエはこの店をよく利用してるから、ここの店員の名前が「アシェル」だってことも知ってるのか。つまり今のタリエは「店員のアシェルさんが自己紹介してきた」って思ってる。そういうことか。完全に誤解されてやがる。
「ええと……いつもお世話になっています。今日は追加の注文で──」
「い、いや! 違う! 俺はそのアシェルじゃなくて!」
慌てて遮っちまった。
タリエが言葉を止めて、「何を言ってるんだこの人は」って顔でまた首を傾げる。
深呼吸しろ、落ち着け。ちゃんと説明すれば分かってもらえるはずだ。今度こそちゃんと言うぞ。
「し、信じてもらえるか分からねえが! 俺は、文官の、アシェルだ! お前と一緒に働いてた、書記局の、アシェルなんだ!」
──言い切った。今度こそはっきりと、誤解の余地がないように。
タリエの表情が一瞬止まる。理解したのか? 信じてくれたのか? ──いや、違う。タリエの目が、さっきまでの困惑とは違う何かに変わっていく。疑念、というか。警戒、というか。そういう色が混じり始めてる。
「……どういう、ことです」
タリエの声が、わずかに低くなった。冷静に、慎重に、言葉を選んでる感じで。一歩、タリエがこちらに近づいてくる。
お、おかしいな……? カウンター越しなのに、距離が縮まるだけで圧が強くなったみたいな……。
「いや、俺は──」
「アシェル先輩は──男性、でしたよね」
そ、即答。
灰色の目が俺をじっと見てる。表情は変わらない、でも目の奥に何かがある。疑念、というよりとてつもない不信感みたいなものが。待て、なんかまずい方向にいってるような……。
「それは、その……体は違うが、中身は俺なんだ。その、ちょっと変な状態で、今」
「中身、ですか……」
小さく頷かれた。でも──絶対納得してない。むしろ「なるほど、そういう主張をするんですね」って感じで、俺の言い分を記録してるだけだ。
ああクソ、こりゃ完全に尋問の流れだ。文官の頃のタリエみたく、尋問の時にこうやって相手の言葉を繰り返して、相手に喋らせて、矛盾を探す、みたいな。
今、俺に対して同じことをしてやがる。俺の説明を聞いてるんじゃない、俺の説明の「おかしさ」を確認してる。信じてない。完全に信じてない。むしろ俺が嘘をついてることを前提に話を聞いてる。
「ええと、つまり。あなたは、文官のアシェルさんの中身が、別の体に移った、と。そういう主張ですか」
「そ、そうだ」
「なるほど」
また頷かれる。でも信じてない。完全に信じてない。むしろ「なるほど、そういう嘘をつくんですね」って顔してる。目が、さっきより冷たくなった気がする。いや、冷たくなったんじゃない。元々冷静だったのが、さらに研ぎ澄まされた感じだ。心臓がバクバク鳴ってる。落ち着け、落ち着けよ俺。でも落ち着けない。どうすればいい? どう説明すれば信じてもらえる? このままじゃ完全に嘘つきだと思われちまう──
「──冗談じゃない」
「……タ、タリエ?」
「急に、何を、言うかと、思えば……」
声がさらに低くなる。タリエの手が震えてる。
……ま、待て。なんか怒ってないかこれ? 触れちゃいけないとこ触れちまったりしてないか、これ?
「あなたは……何を言っているか分かってるんですか……?」
す、すまねえ。分からねえ。
何言ってるか自分でもよく分かってねえ。
「いや、でも。俺は本当に──」
「アシェル先輩は、亡くなったんです」
タリエの声が、一段と低くなる。手がカウンターを掴む。爪が白くなってる。
「あの人は、僕の命の恩人で」
「僕が尊敬してる先輩で」
「僕が、今の仕事を続ける理由で」
目が、俺を見てる。いや、見てるんじゃない。睨んでる。完全に睨まれてる。
「それなのに──あなたは、あの人の名前を、騙るんですか」
ああクソ、マズい。これは本当にマズい。タリエは今、本気で怒ってる。
いや、怒ってるだけじゃない。何か、もっと深いところで傷ついてる。俺が文官のアシェルの名前を騙ったってことが、タリエにとっては耐えられない冒涜になってる。
「ち、違う! 騙ってる訳じゃ──」
「じゃあ、どうしてそんな訳の分からないことを言い出したんです」
ああもう!
タリエは今、俺が証明できないことを確信しつつある。そして、俺が文官のアシェルの名前を騙る嘘つきだと判断しつつある。
言葉が出てこない。このままじゃ完全に嘘つきだと思われる。でも本当のことを言っても信じてもらえてない。完全に、詰んでる。
「あなたは──誰ですか」
息が詰まる。何を答えればいい。何を言えば信じてもらえる。言葉が出てこない。喉が引きつる。
「どうして、アシェル先輩の名前を知っているんですか」
タリエがまた一歩、カウンターに手を置いて、身を乗り出すように。
これは、ルシアが俺を問い詰めた時と同じだ。ルシアが俺を通してみてた兵士のアシェルへのドロドロした感情みたいなものが、タリエにも見える。
「何が、目的ですか」
ど、どうしよう、俺は何を言えば──
*
「──っ、違う! 間違えた! 俺は、アシェルじゃない!」
「本人じゃ……ない?」
口から勝手に言葉が飛び出した。タリエの動きが止まって、目が僅かに揺れる。
本人だって言おうとしたがもうそれが無理なのはついさっき証明済みだ。俺はアシェルだ、で通そうとしたがあのままじゃ間違いなく上手く行かない。疑われたまま、タリエは気分を害して二度とこの店に立ち寄らなくなるだろうし、そうなりゃもうどうしようもない。タリエの近況も聞けないし、ソラナについても何も調べられない。
でも、本人じゃないって言って。次に何を言えばいい?
じゃあ、俺は誰だ? アシェルの何だ? 親戚? 友人? いや、そんなの説得力が無さすぎる。もっと近い関係じゃないと。もっと、もっと──
「そ、そうだ! 俺は、アシェルの──娘だ!」
言った。完全に嘘だ。でも、他に方法が思いつかねえ。
娘、って言えば、名前を知ってることも説明がつく。性別が違うことも説明がつく。これしかない、これで行くしかない。悪い、タリエ、今のお前には本当のことは言えそうにない。
「……娘?」
「そうだ! 娘!」
タリエの表情が変わる。固まってた顔が、少しだけ緩む。
信じた、のか? いや、まだだ。まだ疑ってる。でも、さっきまでの敵意は少し薄れた気がする。これだ、この路線で行けば何とかなるかもしれない。
もう一回、自分に言い聞かせるように。俺はアシェルの娘だ。文官のアシェルの娘だ。だから名前を知ってる。だから、ここに来た。それで通すんだ。
「えっと、親父……父さんが、お前、タリエのことを話してた! だから知ってるんだ!」
「アシェル、先輩が……?」
疑念が少しだけ揺らぐ気配がする。でもまだ信じてない。そりゃそうだよな、急に娘だなんて言い出して、それだけで信じてもらえるわけがない。もっと何か、もっと具体的なことを言わねえと。
そうだ、文官の頃の話だ。その頃の話をすれば、信じてもらえるかもしれない。父から聞いた、って言えば筋が通る、はず。
「──父さんは、言ってた。タリエは真面目で、几帳面で、仕事を丁寧にこなす後輩だって。あと、ソラナっていう同期がいて。あと、上司はベラだった。あと、あと……」
「………………もういいです。いいですって」
「いや! まだ信じてないだろ! 大丈夫、他にも色々思い出せば……」
「ああもう、いいですから! 分かりましたから! そこまで知ってるなら信じますから!」
タリエが両手を上げて俺の言葉を遮った。
さっきまでの敵意は完全に消えて……てことは、信じてもらえた、のか? いや、完全には信じてないだろうが、少なくとも嘘つきだとは思われなくなったみてえだ。よかった。本当によかった。
「本当に、アシェル先輩の……」
タリエが俺を見る。目がまだ少し疑ってる。でも、さっきまでの冷たさは完全に消えた。
状況的にはこれ、被害者の娘だと思われてるのか。娘どころか全然本人なんだが……いやまあそんなことどうだっていい。これで、何とかなる。これで、タリエと話ができるはずだ。
「その、すみませんでした。まさか、いつも通ってる店の店員さんが、先輩の娘さんだとは知らず。その、ついカっとなってしまって……」
「──っ! い、いや、いいんだ。俺も、変な言い方しちまったし。むしろ、こっちこそすまない。なんか、焦っちまって」
ああ、タリエからすれば被害者の娘を疑って詰問したって風に見えてるのか。相変わらずバカ真面目な男だな、コイツ。勝手に変なこと言い出したのは俺なのに。
謝るべきなのは、むしろ俺の方だ。嘘をついてる。娘だなんて、完全に嘘を。でももう撤回できねえ。そんなことしたらまた怪しまれるし……。
いやでも、とりあえずこういう形に持っていけたのはラッキーだった。
このいざこざを皮切りに友達ってことになれば、今後の交流の糸口になる。そうすれば、これ以降もタリエと繋がれるし。そうすれば、いずれソラナのことも聞ける。文官の俺が死んだ後もある程度は一緒にいたはずだ、今行方不明だが、タリエから情報が得られれば、どうなったかの足掛かりがつかめるから──
「──でも、そうでしたか。それなら丁度良かった」
「……ん?」
……な、なんだ?
急に雰囲気が変わったぞ。何を言うつもりだ?
「実は僕も、協力者が欲しかったんです。一人では、どうしても限界がありますから」
……協力者? 何の話だ? タリエは今、何を言ってる?
俺の頭が追いつかない。協力者って、何を協力するんだ?
タリエが俺を見る。目が、真剣だ。本気で何かを求めてる。本気で、俺に何かを期待してる。半信半疑ながらも、その「協力者」とやらが欲しくて仕方がないって目で。俺が娘だって言ったことで、ようやく仲間が見つかったと思ってるような。
でも、何の協力だ? 俺にできることなら何でも手伝ってやりたいが。一体、何を──
「だから、もしよければ。一緒に、仇討ちをしませんか」
──?
「……か、かたきうち?」
*
「僕は、アシェル先輩を殺した犯人を必ず見つけ出して、復讐するつもりです」
「えっ……マジで?」
「マジです」
マ、マジだったかあ……聞き間違いじゃなかったかあ……。
いや、急に仇討ちとか言い出すからまさかとは思ったが。コイツの目を見れば、冗談じゃなくて本気だってことが伝わってくる。
「先輩は、政府及び上層部に繋がる人間の不利益に繋がると判断されて狙われたんだと思います」
「お、おう……」
……まあ、半分当たりで半分外れってところか?
上層部の腐敗に関する取引を妨害し、過労から快復したその日のうちに毒を盛られて死亡。だから確かに、傍から見れば上に都合の悪い人間だったから殺されたって風にも見える。実際にはあの毒はベラを狙ったもので、俺は完全に対象外なんだが。
「今僕は、昇進するために必死に働いています。文官としてより高い成績を残し、上層部に上り詰めることで、その犯人を見つけ出そうと思っていて」
そういやコイツは大した交流のない兵士のアシェルが死んだときでさえ、約束を守れなかったって落ち込んでた。生意気ではあるが、結構傷つきやすかったりするんだ。
それが、同じ職業で何週間かの時間をそこそこ仲良く過ごしたから、変に拗らせちまったのか。
「そして、犯人が分かったら──これを、飲ませます」
タリエが小瓶を取り出した。光を反射してきらめいて、中に透明な液体が入ってる。
何だあれ? 薬か? それとも……。
「これは現場──まあ、何故かうちの元吏長の自宅だったんですが。そこに残されていた毒物そのものです」
「──っ!?」
「床に吐血がしみ込んでいて。色々な危ない伝手を使って、吐血の中から含まれていた毒物を特定しました」
「げえっ!!?」
と、ととと特定!? あの劇薬の!?
うげえ! 思い出したら気持ち悪くなってきた!!
「犯人が分かったら、これを飲ませてやるんです」
タリエが小瓶を撫でる。優しく、愛おしそうに。な、なんだよその手つき……!
何言ってんだ、タリエ。飲ませる? 犯人に? 復讐つっても、ただ殺すんじゃなくて、苦しませて、苦しませて──そういう、ことなのか……?
「アシェル先輩が味わった苦しみを、そいつにも味合わせてやるんです」
うーわそういうことなんだ。いや、流石に拗らせすぎだぞお前……。
文官だろ? 誰がやったとか調べる人間じゃねえだろ? 大丈夫かそれで?
そんな危ねえもんまで仕入れて、もしバレたら自分だってただじゃ済まねえだろうに、どうしてそこまで──
「僕は、アシェル先輩の無念を晴らすためなら、何でもします。犯人を殺せるなら、刺し違えたっていい。それだけ、僕はそいつが憎い」
「!? ま、待て! 刺し違える!? 何言ってんだお前! やめろそんなこと!」
「そんなこと? 何をするかは僕の自由です。そもそも僕は先輩を殺すような王国は見限りました。そんな国に仕える気はありませんから」
「……!」
ヤバイ……ヤバイヤバイヤバイ!
何でも、って。何でもって、どこまでだ? どこまで、何をやるつもりなんだ、お前。そんな──自分を犠牲にするようなこと言うんじゃねえ。お前は真面目な文官だったはずじゃねえか。
「あなたも、先輩を──父を殺した相手が憎いでしょう? だから協力してください。大丈夫、危ないことは全部僕がやるので」
今のタリエは──ルシアと同じだ。
目が死んでたのもそのせいだ。どこか壊れちまってる。
俺が死んだことが、まさかここまで響いてるとは思わなかったが。
それが心に残りすぎて、相当な重荷になっちまって、とてつもない復讐心に憑りつかれちまってる。
「協力──してくれますか?」
……コイツをこのままにしておくのはダメだ!
実際の俺は今もピンピンしてるし、別に復讐してやりたいだなんて思ってねえが、それを今喋ることはできない。信じてもらえなかったのはさっき実証済みだ。
それでも、タリエがこうなっちまったのは多分、俺のせい、俺が死んだせいなんだ。そんなことのせいで、真面目な文官の人生を復讐に捧げさせるなんて間違ってる!
タリエは精神的に不安定だ。当時のショックから抜け出せなくて、今もこうやって追い詰められちまってる。
「ああ、こちらこそ、よろしく……」
だから、俺がついてねえとダメだ。今は協力するフリだけだが……。
いずれなんとしても、俺がコイツを真人間に戻してやらねえと!
*
「──あれ? そういえば……」
「……どうした?」
「いえ……。アシェルさんは……先輩の、娘──なんですよね?」
……そ、そう言ったよな、俺?
タリエの顔が、少しずつ青ざめていく。あれ? なんか間違えてたか? 急いで適当言ったからあれだが、何か致命的な矛盾でも──
「と、ということは……アシェル先輩に娘ができた時点で……」
──あっ。
「……いや、まさか、そんな。先輩って……」
待て。待て待て。自分の年は分からねえが、これぐらいの娘がいるってことは、少なくとも十数年以上前に生まれたってことで。十数年以上前に生まれたってことは、十数年以上前にアシェルに娘ができたってことで。十数年以上前のアシェルって──何歳だ? えっと、文官の頃の俺は二十代半ばくらいで──
「あ、ああ! 違う違う!」
マズイ! もし俺が娘なら、俺はアシェルが十にもなってないときにできた子供ってことになっちまうじゃねえか! そうなると、なんかこう……色々マズイ!
でもそれを誤魔化すってなると、娘がダメだから……。
嫁……もダメだ! こんなガキの嫁いる方がさらにやばい気がする!
妹……もおかしい! 親が兄と妹に同じ名前つけたことになっちまう!
適当な知り合い……いや、誰だよ俺! 実際には文官アシェルとは赤の他人だけど!
じゃあ、じゃあ、じゃあ……!
「あっそうだ姪! 俺、姪! 親父じゃなくて、叔父だった! 勘違いしてた!」
「……え、えぇ? どういうことなんですか……?」
ごめん俺のせいだ! ややこしいよな! 悪かったよ畜生!
感想やご意見をお待ちしていますのでよろしければ……(´・ω・`)
お気に入り・評価・ここすき等も、可能であればぜひお願いします。非常に助かります。