【完結】俺は死んだはずだよな?   作:破れ綴じ

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2. 文官
残した仕事と次への目論見


 ……は? 

 俺は死んだはずだよな? 

 

 頬に冷たくて硬い木の感触。机かこりゃ? 

 手を伸ばせば指に紙の感触。遠くで楽器の音が響いて聞こえる。

 

「先輩、先輩……! 起きてください。……先輩、ほんとに」

 

 誰かに肩が揺すられる。反射で腰元を探った。刃がない。ああ違う、今の俺は見習い兵士なんだった。だからそんなとこにナイフが無いのは当たり前……。

 あ、いや? 今揺れた袖が布だ。鎧の重みもない。これは兵士の装備じゃない。

 夢だったのか? あの三週間全部? 頭が混乱する。

 俺はやっぱり盗賊のままで、見習い兵士に生まれ変わった夢を見てて。で、最後に刺されて。待て、腹、痛くない……。おかしいぞ。

 

 盗賊の俺も首を落とされて死んだはずだ。兵士の俺も出血多量で死んだはずだ。今俺が生きてる、息をしてることはおかしい、はず。ゆっくり体を起こして目を開ければ、ほんのちょっと視界が揺れて、焦点が合う。

 黒髪を低く束ねた若い男。細い眉。落ち着いた灰の目。知ってる顔だ。三回会ったことがある。でもなんでここに。

 

「……タリエ」

 

「はい。僕です。──袖、朱つきますよ。先輩」

 

「ここは……今、は……?」

 

「今は祝祭中ですよ。あと少しで終わるんですから、もうちょっとだけ頑張りましょう、アシェル先輩」

 

 先輩……? 

 

 机の上に名前が書かれた札が置かれてる、アシェル。そこは俺と合ってる。盗賊の頃も、兵士の頃も世話になってた俺の名前。見上げれば部屋の出入り口にでっかく「市務課」の文字。

 頭が真っ白になる。息が詰まる。な、なんだ。どういうことだこれ。

 

「……ここ、どこだ」

 

「ほら、飲んでください。三日詰めてるんで、誰でも落ちます。はい」

 

 タリエが水を押しつけてくる。冷たいのが喉を通る。吐くのを堪える。

 なんだこれ、なんなんだ。どうしてタリエがここに、俺はどうなって──。

 

 死んだはずだ、という言葉が喉まで来る。飲み込む。言ったって説明がつかない。

 目線が机の上を撫でるように動いていく。朱肉台、押し具、紐袋、封緘切り。紙の端は波打っている。壁の板、字が並ぶ。読めるが、意味が頭に入らない。音だけが胸の奥で響く。

 こんなこと、前にもあったような……。

 

「先輩、立たないでください。フラついてますから、座って。……ソラナさん、水をもう一杯取って来てもらえますか?」

 

 隣の机で、茶髪の女がびくっと肩を揺らし、薄紙の束を抱えてゆっくり移動する。目がこっちに絡み、じりじり残る。俺が睨み返すと、女は逃げるようにコップを持って走っていった。

 いや、違う。睨んでない。ただ見られてるのが苦手だ。今みたいな訳わかんねえ時は特に。

 

「……俺、ここで、何を」

 

「……? どうしたんですか先輩、いつもと口調が違いますけど……」

 

「……ああ、そうかよ」

 

 だんだん頭が冴えてくる。変な汗が噴き出してきた。俺の脳が認めたくない正解を導き出したが、心が言うことを聞かなくて飲み込めない。

 よく考えれば体がおかしい。盗賊時代に山ほど受けた傷の感覚が無いし、見習い兵士時代に鍛えたあの筋肉がまるで見当たらない。声もさっきから全然違う。ドスの効いた感じが抜けてる。凄んでも鋭い声なんざ出やしねえ。

 つまり、これは、あれか。俺が盗賊から、兵士に成り代わった時と同じ……。

 

「先輩」

 

「……なんだ」

 

「今日は、よく喋りますね。珍しいです」

 

 珍しい、か。

 そうだろうな。ここにいた「元の俺」は多分、黙ってやるやつだったってことだろう。

 俺は違う。敬語に矯正しようとして数日でやめた男だ。多分そんな口調も似合わない。

 

「……タリエ」

 

「はい?」

 

「お前は……王都の文官の、タリエで合ってるよな?」

 

「な、なんですか急に。そうですけど」

 

「じゃ、じゃあ、俺は誰だ」

 

「誰って……。寝ぼけてるんですか?」

 

 寝ぼけてるかもしれないが。問題はもっと深刻だ。

 ゆっくり。肩が小さく震える。指先が冷たい。

 俺は札を握ったまま、机の下で足を一度だけ踏む。

 

「あなたは王都政院、書記局市務課の書記官、アシェル先輩じゃないですか」

 

 長ったらしい名前。多分、俺みたいに学のない奴が「文官」って呼ぶところの正式名称。

 じゃあなんだ。これは、三度目のチャンスってことなのか? 

 二度目は割と満足して終えたつもりだったんだが。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 俺は机の上に仕事の山らしい紙束が積まれてるのを無視して、壁の掲示に沿って「トイレ」の札を見つけ、逃げるみたいに廊下を折れた。石畳の廊下は祝祭の泥を踏んだ靴でざらついている。扉の取っ手は冷たい真鍮、押すと木が軋む音。中は石床で、灰の匂いと苛性のにおい、薄い水音。一番奥の小さな個室を選ぶ。鍵は横倒しの鉤。閉めると金属が鳴って、外の音が半拍だけ途切れたみてえな気がする。

 文官っていう生き物は祝祭の時期、忙しすぎて休憩なんてとってられないらしい。じゃあ、気持ちの整理がしたかったら? トイレに引きこもれってことだ。幸いにも、俺はさっきまで気絶したように眠っていた、様子のおかしい先輩だったらしいしな。止める奴はいなかった。

 

 腰を下ろす。目を閉じる。

 三つ数えて、指を開く。手を見る。

 

 喉が動く。飲み込む。

 死んだはずだ。盗賊の俺は首を落とされて死んだ。

 兵士の俺は腹をやられて、ルシアに肩を貸されて、視界が狭くなっていって、──それで終わった。間違いなく終わった。

 今ここで息をして、便所の灰の匂いにむせていることは、理屈ではおかしい。でも、鼻は匂いを拾って、腹は固くなる。生きてる体のやり方で。この体の筋肉は、紙と椅子と鍵束で育った筋肉だ。肩甲骨の裏が、椅子の背の形で痛む。前とは完全に違う体っていう証拠。

 

「……てことは、あれだよな。また、俺成り代わったのか」

 

 盗賊の頃、縄を解くための指の節の固さがあった。兵士の頃、槍を握る胼胝の弧があった。

 今の指は──紙でできてるみたいだ。親指の腹に朱の線。さっきまで突っ伏してたからだろう。爪の縁には黒い紙粉が詰まってる。こっそりくすねた封緘切りで軽くこすると、繊維が白く立った。刃物の感触に体が勝手に喜び、すぐに嫌になる。ここでは刃を喜ぶ筋肉が無いってのに。

 

「何を俺は引きずってんだ、クソ……」

 

 ポケットを探る。

 鍵束。なんのだこれ。家か? 今の俺には自分の家があるのか? 人生初めてだ。

 給金袋。細い文字で「祭期手当」。分厚いな。兵士の給料とは比べ物にならねえ。

 それから──誰かの書いた小さなメモが出てきた。

 

『先輩、昼は食べましたか タリエ』

 

 字が真面目すぎて、角が全部立ってる。紙の端には水の輪染み。眠くて手が震えたんだろう。

 待てよ。タリエってこんなやつだったか? 俺の知るアイツは何にでも一言多い、性悪なイメージだったんだが。

 

「はあ……」

 

 声が漏れた。自分の声。兵士のときより軽い。低いところで響かない。

 便所の壁には細い落書き。「祭は金の雨」「朱を無くすな」。へえ。お高く留まった文官でも、こんなバカ兵士みたいなことやってやがんのか。昔の思い出が絡まって勝手に親近感が湧く。

 

「そうだ、ルシア……」

 

 ルシアはどうなったんだ。

 今、アイツはどうしてる。報告は通ったって言ってたよな。俺の死骸はどうなった。見習いの死は、誰が書式を書くんだ。あと、ちゃんと俺の遺言は伝わったのか。

 目を閉じると、ルシアの横顔が勝手に出てくる。毎朝一緒に走ってた時に見れたあの顔。

 喉の奥がまた動く。笑いじゃないが、吐き気でもない。戸惑いは音にならなかった。

 

 扉の向こうで、誰かが咳払いした。

 

「──先輩?」

 

 タリエの声だ。ためらいがちに、心配そうな。

 早いぞ。まだ五分も経ってないんじゃねえか。

 

「あ、ああ。すぐ戻る」

 

 声が勝手に出た。落ち着いて聞こえる。そう聞こえるように、喉の位置を一つ上げた。

 

 戻って、どうするんだ。俺は何をすればいいんだ。

 いや、これは生き返ったことに対する動揺とかじゃない。幸い、生き返るのは二度目だ。普通の人間よか慣れている。

 それよりマズいのは、俺はマトモな教育なんて一度も受けたことがねえし、ここの仕事なんて微塵も知らねえってことだ。兵士の頃なら上の言うこと聞いて周りに合わせてればよかったが……。

 

 戻って、俺は仕事するのか? やったこともない仕事を? 

 あれ? いきなり絶体絶命じゃないか? 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 机、紙、朱肉、木槌。タリエが回覧札を三枚、俺の前に立てて置く。

 

「先輩、A列は印影照合してから受理印。B列は訂正印先です。C列は差替禁止なので──」

 

「待て、A列B列C列ってどれがどれだ」

 

「いつもの通りです。札の色、見てください。赤、青、黒。赤がA。青がB。黒がC」

 

 ああ、あれはそういうことなのか。赤、青、黒。なんか並んでるなとは思ってたが。

 とにかく一番上の紙束を取る。角がざらつく。申請34‐C。読みは分かる、意味は分からん。当たり前だ、無理に決まってんだろ、初見だぞ。

 

「先輩、Cは最後です。今はAを優先。屋台の線が止まってます」

 

「Aは赤だったよな」

 

「……どうしたんですか先輩、まだ寝ぼけてます? 僕にこの仕事教えたのも先輩じゃないですか」

 

 知らん知らん知らん知らん! 悪いが一切記憶にない。

 赤い札の束を引き寄せる。朱肉台の蓋を開けると、ねっとりした朱が光ってる。押し具は二本。丸と角。どっちだ? なんでこんなもん二つあるんだ。一つでいいだろうが。

 

「丸、です」

 

 俺の仕草に疑問を覚えつつも、タリエは見ないで答える。視線は自分の机の書類に刺さったまま、手だけが器用に動く。印影照合表に目を流し、薄紙を一枚めくる音が隣で続く。

 今の時期ろくに休憩も取れないぐらい忙しいって言ってたからな。そんなもんか。

 俺は丸い押し具を持ち、朱に軽くあてる。つけすぎたか。紙の角が湿っちまった。

 

 トン。

 押した。滲んだ。丸が楕円になった。紙が吸い込んだ朱が、水たまりみたいに広がってる。

 

「先輩、左上角からです。右下じゃありません」

 

「……そうかよ」

 

 紙をひっくり返す。左上角は、もう滲んだ印が占めている。次の紙。今度こそ左上。朱、押し具、紙。もう一回。

 少しはマシだが斜めだ。傾いている。汗が背中を流れる。机の角の朱が袖に付かないように肘を浮かせると、肩が痺れる。文官ってのは、なんでこんな面倒なことしなきゃいけねえんだ。

 

「先輩、印影照合は?」

 

「それって、何だ、いんえい、しょうごう……?」

 

「ほんとに大丈夫ですか? 口調も変ですし、目開けたまま寝てます?」

 

 タリエが瞬きもせずに俺の手元を一秒だけ見て、薄紙の束を一枚押し付けてくる。薄い繊維に、細かい印の見本がぎっしり並んでいる。

 なんだか語調は丁寧だが、不遜で生意気なタリエの姿が戻って来てるような気がする。やっぱコイツこっちが素だな。

 

「この列の四行目が担当主任の見本です。濃さと欠けが一致するか見てください。違えば偽印。合っていれば受理印」

 

「……四行目」

 

 目が泳ぐ。印影なんて丸にしか見えない。欠け? 濃さ? 何を言ってる? 

 

「……ソラナさん、比べ見お願いできますか」

 

「は、はいっ」

 

 ソラナって呼ばれた女が隣の席から恐る恐る来る。薄紙と申請を重ね、光に透かす。指先が細かく震えている。喉が鳴る音が近い。視線が一瞬、俺の喉に絡んで、すぐ逃げる。

 

「──こ、これは、合ってます。そ、その、三つ目と五つ目の欠けが同じ、なんでぇ……」

 

「ありがとうございます。先輩、受理印お願いします」

 

「あ、ああ」

 

 トン。

 

「先輩、角押しです。中央は主任決裁の場所。潰れると出戻ります」

 

「わ、分かってる」

 

 分かってない。分かってないのに口がそう言う。

 三枚。四枚。五枚。遅い。遅いのは分かる。腕の節々が紙と椅子の高さに合っていない。押すたびに肩が強張って、呼吸が短くなるみてえだ。

 

「先輩、控帳に連番、お願いします」

 

「先輩、字が太いです。力を入れすぎのような」

 

「先輩、受けお願いします。ああ、そっちじゃない!」

 

「受理印の押し具は先輩の懐です。離席は一分以内でお願いします」

 

「印章を持っていっちゃだめですよ。盗難扱いになりますから」

 

 分からねえ分からねえ分からねえ! 

 何回そうぶちまけそうになったか。なんか流れで真面目に仕事やっちまってるが、マジで一つも情報が頭に入ってこねえ。

 一分で廊下の回覧を受け、また席に戻る。その一分の間に、俺の机の山は微妙に形を変え、増えていた。タリエの机の山は微妙に減っていた。ソラナの机は崩れかけていた。

 

「ソラナさん、B列こちらへ。先輩の控帳が追いつくまで、差戻しを止めます」

 

「わ、私が、やるんですかぁ!?」

 

「しょうがないでしょ! 先輩の様子がおかしいんだから」

 

 勿論他にも色々なところから文官たちの悲鳴に似た指示が飛び交ってる。

 両隣がタリエとソラナの二人だから、俺のとこにはあんまり指示が飛んできにくいらしい。元々の席の配置が二人を壁にしてんだな。タリエはともかく、ソラナは「今すぐに死んでいいですかぁ」って言いながら涙流してるが。

 

 マジで忙しすぎだろ!? 頭おかしいんじゃねえか!? 

 そうこうしてたら、また声が飛んできた。今度は何だ! 

 

「先輩、それ角押しからですって!」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 外へ出たら真夜中、というか朝に近い夜だった。祝祭は終わって、辺りは朝まで飲み明かしてる連中と飲み潰れて寝っ転がってるやつだけ。祭りの頃の騒がしさはほとんど薄れてる。

 何もわからないまま、周りに無理やりやり方を聞いて、全部の作業が終わる頃にはこの時間だった。タリエが言うには、厳密にはまだやることが残ってる、が今日はここまで終わらせればいい、というとこまで来たらしい。次の出勤は昼からでいいと。

 てことは、明日以降も少なくない仕事があるってことだ。タリエはそのまま用事があるからと言って封筒持って港行の馬車に飛び乗り、ソラナの口からはなんか魂みたいなものが出ていた。

 タリエ元気すぎねえ? あとなんでソラナはこの仕事やってんだ? 

 

 鍵束を握る。金属の重みが掌を引っ張る。生憎俺は家の鍵がどれか分からねえし、そもそも家がどこか分からねえ。今日は野宿か? 盗賊の頃に散々やったから慣れてるぞ俺は。

 額を指で二度コンコンと叩く。よくやる癖だ。こうでもして意識を保たないと路上でそのまま二回目の気絶を始めそうだった。

 

「そもそもなんで俺までこんなことやってんだ……?」

 

 便所に行くフリしてさっさととんずらかけばよかったじゃねえか。タリエに呼ばれたからって振りほどいて走れば……。

 ──無理だな。今の体にそんな体力があるとは思えねえ。

 

「じゃあ明日の仕事をバックレるか?」

 

 いやいや待て待て。昨日と今日で俺は変わったが、局で働いてる連中には今日の俺の顔が割れてんだ。逃げたらまた探される。そういう柵を残したままってのはゴメンだ。

 全員から、「ああ、アイツはここにいなくて当然だよ」って思われた状態で消える、それが最低条件だ。それができなきゃ逃げ出しても、連れ戻されるって恐怖から逃げられねえ。

 残るなんて選択肢はない。規則に絡まれた暮らしは絶対に無理だ。見習い兵士の頃もそこそこ不便だったが、今度はその比じゃない。

 じゃあ俺が取る選択肢は──。

 

 まず一番。明日、いの一番に上に掛け合って、この仕事を辞められるよう頼むこと。

 問題は仕事って辞めようと思って辞められるのかが分からねえこと。

 次に二番。とんでもない失態をやらかして、上から強制的にクビにされること。

 こっちは上手くできそうだ。どういう問題が起こるか分からねえから手段は慎重に選ばなきゃいけないが。

 最後に三番。誰にも文句を言わせない立場まで成り上がって、自分の権限を乱用して好きに辞める。

 これは……無理そうだな。今の仕事ぶりを見れば一目瞭然だ。考えはするが、無理な内容だろ。

 

「ん? 兵士の俺はどうして同じ方法で逃げなかったんだっけ……?」

 

 何か大事なことを確認し忘れてるような……。ああ、頭が回らねえ。

 ──まあ、いいか。大事なことなら後で思い出すだろ。今のこれは疲れてるからだ。さっさと寝れる場所見つけるぞ。




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