1.たいようモード(前)-mode of the sun-
▽ 12月中旬 長野県・飯島町・七久保/ 16:35
以前出会ったのは夏のことである。卓こそ囲んだが、正面きってつぶさに容姿を観察したわけではない。声も、姿も、ほとんど記憶らしい記憶は残っていなかった。それでも京太郎は、その少女にすぐ気づくことができた。少女には人目を惹く華のようなものがある。その存在感が、京太郎に彼女を忘れさせなかったのかもしれない。
「――よう」
と、言葉を探すものの、京太郎は二の句を次げない。考えてみれば、少女を探すという目的だけがここしばらく脳裏にあって、そこからどうするか、といった点はきれいに抜け落ちていた。
絵本を手に、見合って言葉を探す京太郎を、少女は茫洋とした目で見つめている。記憶を手繰るような目線である。大きな瞳の直向さに気後れして、京太郎は視線を下へ外す。
ダッフルコートの前を開いた少女の胸元に、名札が掛かっている。
名札には、『六年二組 宮永照』と書かれていた。
(二ツ年上か)
新しい情報ではある。だが話題の取っ掛かりになるようなものではない。いよいよ言葉に窮する京太郎はとりあえず初対面の日のことを謝りたいが、一方的に頭を下げて満足するようでは、時間を費やした意味が何らない。とりあえずといった風情で会話の切り口をかれが見出すのと、照が口を開くのは同時だった。
『麻雀』
と、和声が響いた。
京太郎は苦笑し、夏に出会った頃よりすこし背が伸びたらしい照の目も、偶然を楽しむように細められる。
「……どーぞ」
「うん」
促す京太郎に応じて、照が言葉を紡いだ。
「麻雀は、まだ続けてる?」
「もちろん――」
京太郎は即答した。
「頭の天辺までどっぷりだ。おかげで夏からこっち、成績はぐんぐん下がってる」
「そう。それは、悪いことを教えたかな」
「とんでもない」少し顔を曇らせた照を見、京太郎は慌てて否定した。「ずっと、あんたにありがとうって伝えたかったんだ。あのとき、最初に麻雀をやったのがあんたたちじゃなかったら、おれは、麻雀の楽しさなんてわからないままだったよ」
「そんなことはないと思う」
「あるよ」京太郎は言下に言い切った。「とにかくおれはそう思ってて――すごく、いま、楽しいんだ。だから、ありがとうってずっと言いたかった」
「……どう、いたしまして」
こころもち身を引いた照の視線が、当て所に困ったように彷徨った。大げさな物言いに、彼女が戸惑っていることはさすがに京太郎にも察せた。
京太郎自身は、自分の言葉を毫も誇張したつもりはない。ただ理由のない疎外感から世に拗ねていたかれはいま、巷間の子供たちとひとしなみに、麻雀という世界に没頭することができている。それは京太郎にとって、まったく生まれて初めての感覚である。そして感動のきっかけは、紛れもなく照と囲んだ最初の卓にあった。自分の感謝をどうすればうまく伝えられるか、考えたところでやりようは浮かばない。
結局、かれは、万感を込めて伝えるしかない。
「ほんとに、ありがとうな」
真っ直ぐ照の目を見て、伝えた。
京太郎の直截な感情を突きつけられた少女は、まるで動じなかった(彼女は一貫して無表情だった)。わずかに顎を引いた仕草が、感謝の受領を京太郎に伝えた。そこで肩の荷をまとめて降ろした気分になって、京太郎はようやく人心地がついた。
「いや、だからどうってこともないんだけどさ。――それだけだよ、おれがいいたかったのは」
首をかしげた照は、京太郎の視線を正面から受け止めている。思案げな顔にも、困った顔にも、何も感じていない顔にも見えた。麻雀を介して異性との交友関係がずいぶんと広がった京太郎から見ても、照は特異な少女だった。容姿や実力ではなく、空気がどこか違う(浮世離れ、という表現をかれが知っていれば、照をそう評したに違いない)。
白々とした図書館の照明の下で、二人は数秒沈黙を共有する。京太郎は視線を外すタイミングを失って、照の鳶色の瞳を覗き込んでいた。深い色だった。薄明の湖面を思わせるほど凪いだ虹彩は、感情を容易に読み取らせない。反面、彼女の前に立つと、京太郎は奥深い部分まで見通されているような気分になった。
(あのときも、そうだった)
と、かれは思う。想起するのは照と初めて出会った日の帰り道である。あの日、京太郎はいつもの『衝動』に見舞われた。ふと、命をつまらない天秤に載せてみよう、と思いついた。それを実行するのにためらいもなかった。麻雀に夢中な最近はなりをひそめているが、あの手の戯れを京太郎は度々行動に移しては、自然な帰結として大きな怪我を負うことがあった。
大抵の人はそんな京太郎を見、注意力が散漫な子供と見なした。じっさい、腕白な子供とはそうしたもので、周囲が京太郎の性質に疑いの目を向けるようなことはない。京太郎も胸裏に抱える希死念慮について、誰かに打ち明けたことはない。
しかし、照はあの日、それを一目で看破したのである。
かれを苛んでやまない心持を見破ったのも咎めたのも、宮永照が初めてだった。
(――だからか。おれは、こいつに、だからまた会いたかったのか――)
目前の少女に自分がこだわり続けた理由を、京太郎はふいに諒解した。
とたんに、居た堪れないほどの羞恥がこみ上げた。目元が赤らみ、京太郎はとっさに照から目線を外した。一刻も早く、この場から離れたかった。しかし、逃げることを思いついたかれが口を開きかけるすんでで、照が、
「――立ち話もなんだから、うとうか」
と、言った。
「え?」
「麻雀」自らの手に目を落として、照は続けた。「うとうか」
「喜んで、っていいたいけど――」京太郎は図書館の壁時計を見やった。「もうすぐ閉館だぜ、ここ。外も真っ暗だ」
「じゃあ、やめる?」
問われた京太郎は口ごもった。かれにとって麻雀の誘いは、いつだって魅力的だった。相手がこの少女ともなればなおさらである。
逡巡は一瞬だった。麻雀卓が常備されている一風変わった談話室を、見るだけ見に行こうという話になる。
結果から言えば、その日、京太郎と照が再び卓を囲む機会は来なかった。二人が訪れた談話室は無人だったのである。古びた型の灯油ストーブがひとりきりで気を吐いて、室内をやや暑いくらいに暖めている。コートを脱いだ照は一通りあたりを見回して雀卓に腰を下ろすと、
「誰もいないね」
と見たままを呟いた。
「ああ」
京太郎も散漫な相槌を打って、照の対面にすわった。
二つ年上の少女の身体は、ハイネックの白いセーター越しにも、徐々に子供の域を脱しつつある線を描いている。女性らしさという観点では照よりも石戸月子のほうが(年少にもかかわらず)成熟しているが、なぜか京太郎は、照に対して月子にはない気恥ずかしさを覚えていた。
部屋の空気は、からからに乾燥していた。暖房が立てる音は無個性で、二人が言葉を切ると、しじまは耳が痛いほどになる。手遊びに、京太郎は卓上に置かれたケースを覆して牌を撒いた。洗牌の要領で、裏返し、散らし、揃えて積んだ。四つの山を作るまでには、まだ二分近くは掛かってしまう。
照は、ほんの少しだけ目に感心を浮かばせていた。
「だいぶ上手くなった」
「飽きるまで続けてるからな」と、京太郎はこたえた。「だけど飽きないから、いつまでもやってんだ。そりゃ、こなれもするさ。――そういえば、こんなの知ってる?」
積んだ山を、京太郎は注視する。観察に数秒を費やして、かれは指を牌に伸ばし、136枚の内4枚を捲って見せた。
すべて、{白}だった。
「――」照が、目をまん丸に見開いた。口も少しだけ開いた。「すごい。どうやったの」
「あれ?」予想と違う反応に、京太郎は頭を掻いた。「みんな知ってると思ったけど、そうでもないのかな。{白}って他の牌と高さ違うじゃん。だから山にあったら場所わかるよなって話。まあ、今のところ実戦で役に立ったことねーけど」
「……」
捲られた{白}を適当な牌と並べて、少女は目を眇める。顔が触れんばかりに牌を凝視する照は、人慣れしない野良猫を連想させた。
数秒ほど続けたところで、照が、疑わしげな目を京太郎に向けた。
「嘘ついてない?」
「――い、いや、ホントだって。良く見りゃわかるだろ」
「……知らなかった」牌を摘んだ照が、首をかしげながら言った。「高さで牌を見分けるなんて、考えたこともなかったから」
「ガン牌って、手牌透けるレベルじゃねーとほとんど意味ねーからなア」京太郎は苦笑した。
そこからは、比較的滑らかに会話がすすんだ。閉館を報じるチャイムが鳴り始めると、コートを着込み始める照に合わせて、京太郎も帰り支度を整える。といっても、かれは基本的に教材を家に持ち帰らないため、荷物は体操着の入った鞄だけである。他方照はきちんと使い込まれたランドセルを背負っていて、京太郎はそのアンバランスな組み合わせに吹き出した。
「なにかおかしい?」照が言った。
「なにもおかしくない」京太郎は笑いながら答えた。
公民館の職員に暖かい飲み物を手渡された二人は外に出て、染み入るような寒さに首をすくめた。どこか遠くで、『遠き山に日は落ちて』のメロディが鳴っていた。冬の黄昏はごく短く、見渡す景色はすっかり夜である。雪でも降りそうなほど、その日の風は冷たかった。
照などはコートだけでなく、手袋、マフラー、イヤーマフまで揃えた完全装備である。冬らしい装いは手袋程度しかない京太郎を見て、そんな彼女は眉を顰めた。
「寒そう。見てるだけで寒い」
「寒いけど、寒いだけだからな」京太郎は飄々と答えた。実際は相当堪える寒風であるが、かれは見栄っ張りである。
照は少し思案して、
「マフラー貸してあげる」
と、言ってきた。
「おお」ちょうど、暖かそうだな、と思っていた京太郎は、断ることを思いつきもせず、そのマフラーを受け取った。
「その代わりにお願いがある」と、照は心なしか言いにくそうに呟いた。
「金ならねーぞ」
照は首を振って、こう言った。
「くらくてこわいから、一緒に帰って欲しい」
目を瞬いた京太郎は、もう一度あたりを見回して、それはそうだと納得した。
会話が得手とはいえない二人である。帰路で会話が弾むようなことはなかった。訥々と、切れ端のような言葉を交し合って、記憶にも留まらないような時間を過ごした。少なくとも照にとっては、同道者が異なるだけの、いつもの道のりだったはずである。
京太郎にとっては、少し違った。かれはどうにかして、照ともう一度卓を囲みたいと考えていた。であれば、素直に打ちたいと言えばいい。それで白黒は着く。いつもの京太郎ならそうしたはずである。しかし、どういうわけか、かれの喉から簡潔な言葉が出ることはなかった。
結局かれは、照の自宅にたどり着く前に、マフラーの借用を延長することにして、週末に返す約束を取り付けた。
照は素直に頷いて、
「ありがとう、京太郎。――それじゃあ、またね」
薄っすら笑うと、家の灯りに飛び込んでいった。
照の笑顔は、自然極まりなかった。しかしだからこそ、明らかに作ったものだと京太郎にはわかった。
それは彼女なりの気遣いに基づく作為で、不快を覚えるようなものではない。
けれども、何かが京太郎の胸に詰まった。
一頻り首を傾げると、マフラーを少しきつく巻きなおして、京太郎もまた家路に着く。
(名前――)
と、かれは思った。
(覚えてたのか)
空を見た。冬の夜気は酷く透明で、例年のことながら、星が鮮明に観測できる。
それが照のにおいだと気づくと、不思議と顔が熱くなった。
▽ 12月中旬(土曜日) 長野県・飯島町・須賀邸/ 09:20
翌日に照との約束を控え、京太郎は面子集めに腐心していた。
特に照に断りを入れてはいないが、当日京太郎は、彼女と麻雀を打つ心算である。そのついでにマフラーを返却する。となれば面子を集めなければならない。ただ打つだけであれば級友でもよいのだが、叶うならば強い打ち手で卓を囲みたいとおもう京太郎である。
そうなると候補は限られて、かれが頼るのは池田華菜か花田煌となる。池田は当然として、花田も実は、近在の小中学生ではトップレベルの打ち手であった。
しかし、
『悪い。日曜は先約ありだ』
『あー、すみません、わたし丁度、日曜に友達のお誕生日会がありまして……土曜日だったら大丈夫なんですがっ』
折悪しく、二人の都合がつかない。次善の策として石戸月子に渡りをつけたが(彼女は週末は大体京太郎の家にいるので、改めて誘うまでもなかった)、もう一人が如何ともしがたい。この際初対面でも構わないと、京太郎は顔の広そうな池田へ心当たりを尋ねた。
『あたしも別にそっちが地元ってわけじゃないからなァ』と、池田は言った。『顔見知りってくらいなら、染谷まことか井上純とか……あ、でも連絡先知らないし』
嘆息する京太郎である。面子とは不思議なもので、立つときは連日立つものだが、合わないときは全く合わない。
「ウチの父さん所に出入りしている人でよければ都合つくかも」
と、提案したのは月子だった。今日も今日とて我が物顔で須賀邸に居座る彼女は、台所で朝食を作っている。違和感しかない光景だが、最近は京太郎も慣れてしまった。片道四〇分の距離をものともしない月子に、尊敬の念すら覚えている。
「でも、それ大人だろう。
「子供好きって言ってたから大丈夫だと思うけど――ちなみにむかし、インターハイに出たらしいわ」
「へえ」
「でも東京行ってAV女優になっちゃって、それでも食べられなくなったからこっち戻ってきたんですって。お近づきのしるしにその人が出演してるDVD、もらったのよ。いいでしょう」
「べつに」
「ちなみにタイトルは、『パイのおねぇさん~カンチャンずっぽし~』。瑞原はやりにはあんまり似てないけどね、さすがに美人よ」
「きいてねーから。あと、そのひとには声掛けなくていいから」
「なぜ」
「小学生にAV渡すような大人は、ちょっとな」自分が小学生であることを棚に上げて、京太郎は正論を吐いた。
「じゃあどうするのよ。打ちたいんでしょう、その人と」
「そうだなァ」京太郎は宙を見つめた。「この際、探しに行ってみるか。――花田さんトコの教室なら、たしか、今日開いてただろ」
「そうね――」
台所から香る甘い匂いに釣られた京太郎が月子の手元を覗くと、ちょうどフレンチトーストが四切れほど出来上がったところだった。続いて月子は、冷蔵庫に余らせていた玉ねぎとにんじんを不ぞろいな形でみじん切りにする。刻み終えた野菜とグリーンピース、スイートコーンは溶いた卵に絡められて、フライパンの上で手早く炒められた。
「麻雀は頭脳労働だから、糖分は取らなくちゃね」
「砂糖でも舐めればいいじゃねーか」
「須賀くんは女の子にモテなさそうねえ」
月子は呆れたように呟いて、皿に野菜炒めを移した。
「せっかくだから、花田さんのところで食べるお弁当も作りましょうか」
「任せるよ」
「はいはい――」
はたと手を止めて、月子はなんともいえない顔になった。
「どうした?」
「――なんだかわたし、須賀くんのお母さんみたいじゃない?」
「気のせいだろ」
言って、京太郎は冷蔵庫からミネラルウォータのペットボトルを取り出した。
月子は腑に落ちない表情で、しきりに首を捻っている。
――石戸月子という少女は、他人と自分の間に深くて越え難い一線を引いている。
縁を持って数ヶ月になる京太郎は、月子の対人関係の処方を知った。彼女は基本的に人を嫌っている。触れ合いともなれば忌避しているといってもよい。その反応はほとんどアレルギー的で、月子の言によれば『体質の問題』らしかった。
初対面からは想像がつかないほど月子と親密になった花田や池田もその例外ではない。月子は他人との物理的な接触を極力避けている。
その例外が京太郎なのだと打ち明けられたのは夏休みの終盤だったが、以来今に至るも月子の『体質』が改善された気配はない。恐らく永遠に快癒はしないと月子は語った。嘘にしては告白する月子の表情は恬淡としていて、口ぶりにはきっぱりとした断念があった。一生を持ち越す覚悟などというものを京太郎は知らないが、月子の意思はそれに近いような気がした。
京太郎は、月子との出会いのやり取りを思い返して、つい、
『――おれの身体があれば、どうにかなるのか』
と、訊いた。月子は不機嫌そうな顔であれは冗談だといい、質問には答えなかった。京太郎は月子を気の毒に思い、力になりたいと思ったが、裏を返せば、かれが月子に向ける感情はそれだけだった。麻雀スクールでの敗戦から、月子は良い方向へ変わっている。生きるのにも難儀していた少女は、上手い立ち回り方を苦心して見出そうとしている。麻雀も人付き合いも停滞を嫌って、どこかへ進もうとしている。
翻って京太郎は、この数ヶ月、麻雀をしているだけだ。そして、それ以外に何をする気にもなれない。自分が抱えている問題について、かれはここのところ殆どまともに考えることを止めていた。月子のように受け入れることも、誰かに打ち明けて相談する気にもなれなかった。
京太郎は、本気で、
(麻雀だけを打って、そして死にたい)
とまで考えている。一種の逃避である。かれは勝負の熱に浮かされ、遊戯に没頭していた。
須賀京太郎は麻雀に取り付かれた。その奥深さや不条理さ、残酷さに魅入られた。
ただし、かれ自身に目的はなかった。たとえば子供らしい夢――プロを目指すことはもちろん、『強くなる』ということさえ志向していない。かれはただ麻雀を打ち、打ち続けて、行き着くところまで行ければそれでよかった。際どい勝負、不利な勝負が本望だった。だから牌理を月子に学んでいるし、上達の手間を惜しむことはない。しかし勝利への欲がかれにあるかといえば、それは否である。
麻雀には巧拙がある。強弱もある。そしてこの二つは、それぞれ次元が異なる尺度である。いまの京太郎は、あえて分類すれば『巧くて弱い』打ち手であろう(もちろん、実際的には技術もまだまだ拙い)。
かれは、感覚的に自分に
こうした指摘を、京太郎はすでに月子の教師である春金清から受けていた。「好きにやればいいと思うけどさ」と断った上で、彼女は京太郎の上達に甲斐がないことを告げたのである。
恐らくは変心を期待したのであろう忠告は、やはり京太郎に響かなかった。向上心は排他性に似たところがある。そして京太郎の持つ攻撃性は、全て自分に向いている。
かれは変わろうとは思っていない。変化を待望することもない。かれは相変わらず消極的な自殺志願者でしかない。歪な自意識は今も世界からの拒絶を感得しているし、夜眠ることも未だに得意ではない。
麻雀との出会いは少年を慰めたけれど、変えてはいない。
――今はまだ。
▽ 12月中旬(土曜日) 長野県・飯島町・町立小学校/ 10:10
見知らぬ学校には、異国に近い情趣がある。通いなれた校舎と似て非なる構造や、歳は近いのにまるで見覚えのない顔ぶれが、感覚をおかしな具合に錯綜させるのである。
冬季ということもありグラウンドに人影は殆どなかったが、体育館では剣道の稽古が行われていた。竹刀が打ち合わされ、床を踏み鳴らす音がかすかに響いている。肩を並べて門を抜けた京太郎と月子は、校舎二階の窓で手を振る花田の姿を見つけた。
「おはようございます!」
「花田さんはいつも元気ね」勢い良く二人を迎えた花田へ、月子がひらひらと手を振った。
仲良さげに挨拶を交わす花田と月子を見、京太郎は目を細めた。少女たちの語らいを尻目に、かれは教室内を見回す。室内に三つ置かれている卓の内、二つが埋まっている。責任者である講師は、どうやら席を外しているようだった。家庭用の全自動雀卓をわざわざ毎週小学校に持ち込む講師は、かつて実業団で鳴らしたという初老の男性である。この講師には以前春金も師事しており、花田が月子と卓を同じくした所以はそのあたりにあった。
顔見知りがガールズトークに興じる間、京太郎は進行中の卓の戦況をざっと眺めた。一見して麻雀の実力がわかればそれほど楽なことはないが、現実的にはそうも行かない。結果どこを見るかというと、京太郎は姿勢や打ち方を見ることにしている。それで少なくとも打ち慣れているかどうかは察しがつくからだ。
(ここに来るのも初めてじゃないし、強いやつがいりゃアとっくに知ってるだろうけどさ――)
窓際に位置取り、教室を概観する。空調の効いた室内は暖かく、冬の陽射しも思いのほか心地よく、京太郎の眠気を誘った。
欠伸をかみ殺し、目じりを擦ろうとしたところで、左側からの強い視線を感じた。
(なんだか、図書館を思い出す絵面だな)
と、思いながら京太郎が顔を向けると、そこに見知らぬ子供がいる。近い。咄嗟に背を逸らし、一歩後退した京太郎は、現れた子供の全体像を視界に収めた。背丈は低い。可愛らしい顔立ちをしているが、服装はパーカにジーンズという出で立ちのうえ髪型もどっちつかずの長さで、性別を判じかねる。大きな瞳は照とは異なり種々の感情に溢れていて、物怖じの無さは幼さと容姿から来る自負によるものと思われた。
「おまえ、見ない顔だな」
というせりふを聞いて、
(女か)
と、京太郎は思った。耳に捉えた声が、高く柔らかい質を持っていたからだ。
「ああ、ここの生徒じゃないからな、おれ」と、京太郎は答えた。「あそこの――花田サンの知り合いなんだ」
「……フーン」
じろじろと遠慮の無い目で見回してくる少女である。
「おまえも麻雀打つのか?」
「うん」と、少女は頷いた。「始めたばっかりだけど――」
「へえ、おれもだよ。夏に始めたばっかりでさ」
「そうなのか!」と、急に少女が食いついた。「あ、じゃあじゃあ、――まだ、点数計算とかできない!?」
「それはないわ」京太郎は即答した。「まあ、別に点数計算出来ても強さには関係ねーけど」
「ぐっ。そのヨユーがイヤミっ」なにやら少女は傷ついたようだった。
「おや、もう仲良しさんですか? すばらですっ」と言いつつ会話に割り込んできたのは、月子と話を終えたらしい花田である。
「あの、いきなりなんだけど」と、京太郎は早速本題を切り出した。「明日、一人面子がほしいんだ。誰かいねーかな」
「ええ、電話の件ですよね」花田は心得ていると微笑んだ。「いますよ。すばらな人材が、ちょうど!」
「お、だれだれ」
「その子です」
と、花田は京太郎の隣の少女を指差した。
「こいつ?」京太郎は不信感を露にした。「いま、自分で初心者って言ってたけど――いや、まあ、おれもだから人のことはいえねえけどさ」
「ま、そうなんですけど」花田は苦笑した。「でも、強いですよ。条件付なら、たぶんわたしよりも」
「へえ――そりゃすげえ」
思わず感心して、京太郎はまじまじと少女を見詰めた。得意絶頂という風情の少女は、思い切り胸を反らしている。
「とはいえ、口でもいってもわからないですよね。――せっかくですし、試しに打ってみましょうか。ちょっと、びっくりすると思いますよ」
「それは願っても無いけど、そっちはいいのか?」自信満々な花田に圧されて、京太郎は少女へ問うた。
「わたしは一向にかまわない
「そうか――じゃあ、よろしく。おれは須賀京太郎」手短に京太郎は名乗った。「そっちは石戸月子。で、おまえは?」
大げさな見得を切って、少女はこたえた。
「人は、わたしを天才少女と呼ぶ――片岡優希とは、わたしのことだじょ!」
「片岡さん、早速だけれどその語尾イラつくから止めてくれない?」にこやかに月子が片岡を脅しに掛かった。
「ひい!」素早く京太郎の背後に避難する片岡である。「あ、あいつ――人殺しの目をしてるじぇ……!」
「とりあえず、決まったからにはさっさと打とうぜ」京太郎は素早く卓へ牌を広げ始めた。
「須賀くんホントいつもマイペースですね」花田が苦笑していた。
「時間は有限だし、人生は短いし、麻雀はなるべくたくさん打ちたいし」と、京太郎は言った。
「そうだ、須賀くん――」と花田がいたずらっぽく微笑んだ。「あの子、あんなんですけれども、あまり舐めないほうがいいですよ?」
「花田さんが強いっていうやつを、舐める気は無いよ」
▽ 12月中旬(土曜日) 長野県・飯島町・町立小学校/ 10:30
ルール:半荘戦
持ち点 :25000点持ち・30000点返し(オカ:20000点)
赤ドラ :なし
喰い断 :あり
後付け :あり
喰い替え:なし
ウマ :なし
起親(東家):片岡 優希
南家 :石戸 月子
西家 :花田 煌
北家 :須賀 京太郎
2012/10/08:誤字修正
2013/02/18:牌画像変換