因習村VS異世界帰りの勇者 作:オシガマ侍
十五歳の時に勇者として異世界に渡り、苦節十年。やっと魔王を倒して地球に戻る条件が整った。
勇者なんて聞こえはいいが、実際のところは高性能な戦闘奴隷だ。現地人の魂では耐えることの出来ない強力なスキルを植え付けられ、勇者の紋──実際はモンスター寄せの印──によって戦わざるを得ない状況にされた。
死ぬのは嫌だ。おまけに「魔王を倒せば元の世界に還してあげる」なんて女神に言われた俺は、黙々とモンスターと闘い、その親玉である魔王を討った。
丁度、一週間ほど前のことである。
魔王の居城から王都に戻り、女神を祀った神殿の前に俺はいた。
入口の横には白銀の鎧を着た神殿騎士が二人立っている。騎士達は俺を見てもニコリともせず、つまらなそうな表情を浮かべている。
「てめーらの希望をかなえてやったんだ。もっと嬉しそうにすればどうだ?」
「ふん。十年も掛けて偉そうに……。さっさと神殿に入って、元の世界にもどれ」
随分な態度だ。魔王を倒すまでは「勇者様!」という感じの扱いだったのに、用が済んでしまえばこんなモノなのだ。
「やっとこの糞みたいな世界、糞みたいな女神とおさらばできる」
「いいから、さっさと行け!」
俺の手を引っ張ろうとする騎士二人の手を払い、自ら神殿の敷地に足を踏み入れた。
石畳を歩いていると、周囲から刺すような視線を浴びせられる。見習いのシスターまでもが、俺に敵意のある表情を向けていた。
ここまで嫌われる理由はない筈だが、女神が何かしたのだろうか?
「勇者を早く追い出さないと、災いが訪れる」なんてお告げを下したのかもしれない。
魔王がいなくなったこの世界において、俺は最も注意すべき存在の一人だ。そもそも女神に対しての信仰心を持たない。さっさと追い出したほうが安心なのだろう。
一瞬「暴れてやろうか?」とも思ったが、それが何の意味も持たないことにすぐ気づいた。
女神はそんな俺の思考パターンまで読んでいるのかもしれない。
白けた気分になりながら神殿の奥に進み、「女神の間」の扉の前に立つ。
ここにも神殿騎士が二人。鎧の意匠を見る限り、入口の奴等よりも上の位だ。
二人の騎士はジロリと俺を睨むと、鼻を鳴らしてから扉を開けた。扉の向こうには暗闇が広がっている。
闇の中を進む。背後でバタンと乱暴に扉が締められる音がした。
「ちっ、品のない奴等だ」
俺の声に反応するように、真っ暗だった空間に灯りが灯った。天井から強い光りが差し、ぼんやりと形を結ぶ。
女神だ。
形は曖昧だが、中空に浮かぶ存在は、女神としか思えない神々しさを纏っている。
『勇者チバよ――よくぞ、漆黒の魔王に打ち勝ち、絶望に覆われた世界に光をもたらしてくれました。幾千の命が脅かされ、希望が風前の灯となったこの地に、貴方は剣を掲げ、魂を燃やし、恐怖に立ち向かった。その勇気と覚悟は、まさに神々の祝福を受けし者の証。貴方の戦いは、ただの勝利ではありません。それは、世界の運命を変えた奇跡であり、人々の心に再び希望の火を灯した、尊き偉業であります。この平和は、貴方の犠牲と献身の上に築かれたもの。勇者チバよ、どうかその剣を休め、故郷の地で、貴方自身の平穏を見つけて──』
「つまり、とっとと地球へ帰れってことだな?」
女神は一瞬押し黙る。
『そういうこと。貴方も早く、地球に還りたいでしょ?』
「あぁ。こんな糞ったれな世界の為に身を粉にして働くのはもうこりごりだ。さっさと地球に戻してくれ。……ところで、場所は指定出来るのか?」
俺の力があれば、地球上のどんな地点に転移させられても生き延びることが可能だろう。しかし、面倒はごめんだ。自分の家の近くに戻りたい。
『大雑把な指定なら出来る。貴方が暮らしていた島には間違いなく転移させられるでしょう。時代も貴方がこちらの世界に来たのと同じ時期に設定するわ』
「わかった。それで十分だ。早くやってくれ」
『では……』
歌うような声が女神の間に響く。
天つ理に従いし時空の門よ、今ここに開かれよ。
星の記憶を宿せし者、勇者チバよ──。
汝が歩みし道は、光となりて世界を照らした。
その功績、万象に刻まれ、永劫に語り継がれん。
今、汝を生まれし地へと還す時が来た。
風よ、導け。水よ、清めよ。火よ、守れ。大地よ、抱け。
四界の力、ひとつとなりて、転移の環を満たせ。
我らの祈りと感謝を込めて
門よ、開け。時よ、流れよ。空よ、裂けよ。
勇者チバよ、地の理へと還りたまえ──
──光りが俺の身体を包み、視界が全て白で埋まった。
◇◇◇
「………か?」
「……ですか?」
「…大丈夫ですか?」
顔のすぐ傍で、声が発せられていることに気が付いた。若い女の声だ。その声には焦りの色が含まれている。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
「ひっ!」
パッと瞼を開けると、顎を引いて距離を取った女の顔がある。声の印象と変わらず、容姿は若い。まだ、大学生だろう。俺よりも少し年下だ。
むくりと上半身を起こし、女と対峙する。
女はアウトドアブランドのウィンドブレーカーにトレッキングパンツ、登山靴といったいで立ち。
ちなみに、おれはチュニックにパンツ、腰にポーチという軽装。現代日本でもそれほど浮かない恰好をしている。
女から視線を外して周囲を見渡すと、樹々に囲まれていた。どうやら俺は日本の山のどこかに転移したらしい。
「驚かして悪かったな。ところで、ここは何処だ?」
「えっ? わからないんですか?」
「直近の記憶がまるでない。頭を打ったタイミングで記憶を失ったのかも」
もちろん嘘である。しかし、この嘘を話をスムーズにするために必要な嘘だ。
「そんなこと、あるんですね……」
「あぁ」
俺はわざとらしく後頭部を摩る。「痛てぇぇ」と呟きながら。
「ここは松平ケンのミゾオチです」
松平健のみぞおち? 何を言っているんだ? この女は。
「いや、この場所はどこなのかと」
「ですから、松平ケンのミゾオチ郡です」
なんだろう。この違和感。
「松平ケンって、地名?」
「……そうですけど。48都道府県の一つですよ? まさか、それも覚えてないのですか?」
おい! 県が一つ多いじゃねえかよ! なんだよ、松平県って! ふざけるなよ! あの糞女神め! なにかミスりやがったな!
「ちなみに、今は西暦何年?」
「2025年ですけど?」
俺が異世界に転移したのは2025年。つまり、同じ年だ。2025年には松平県なんてふざけた県名はない。つまり、ここは俺が暮らしていたのとは別の地球……!? あぁ! 頭クラクラする!!
「大丈夫ですか!?」
「……大丈夫だ。急に頭痛が酷くなっただけだ。もう収まった……」
まいったな。東京に戻ったところで、俺の家があるかどうかも微妙だ。そもそも戸籍とかあるのだろうか? この世界に俺が存在していたか怪しい。非常に面倒なことになったぞ……。
「とりあえず街に行きたいんだが、どっちに行けばいい?」
山の中にいては何も分からない。今はとにかく情報が欲しい。そう思って街へのルートを尋ねると、女の顔が曇った。
「実は、私も迷ってしまって……」
マジかよ……。
「スマホの地図アプリは?」
「この辺り、ネットもGPSも届かないみたいで……」
GPSも届かない? どうなっているんだ……。
「一旦状況を整理しよう。ここは松平県のミゾオチ郡の山の中。GPSも届かない場所で、道に迷ってしまった、と。ちなみにお姉さんは何処へ向かっていて、道に迷ったの?」
「オナバラ村に行こうとして」
オナバラ村?
「それはどんな字を書く?」
「女に腹で女腹村です」
やはり聞いたことのない地名だ。
「この辺りなのか?」
「たぶん、その筈なんですけど……。今は土砂崩れの影響で車で村まで行けなくって……。それで、私は歩いて向かっていたんです……」
頼りない表情で女は呟く。
この女を放置して一人で行動した方が早く街に辿り着きそうではあるが……。少なくとも、倒れていた俺のことを心配してくれた子だ。何かしら礼をしたい気持ちもある。
「とりあえず、その女腹村を探そう。夜になる前に辿り着かないと、野宿することになる」
「はい……」
地球? に戻って早々、俺は見知らぬ女と知らない村を目指すことになった。
◇◇◇
「大丈夫か?」
「……はぁはぁ……。ちょっと疲れちゃいました……」
同行する女の名前は一ノ瀬。普段は東京の大学に通う大学二年生だとか。体力はあまりないようで、既にバテバテだ。
無造作に地面に腰を下ろし、樹を背にして項垂れている。
「……千葉さんは、タフですね……。もう四時間ぐらい歩いているのに、全然平気そう」
そう言いながら、一ノ瀬はリュックから水のペットボトルを出した。水はもう一センチほどしか残っていない。それでも喉の渇きには勝てず、一ノ瀬は蓋を開けて水を飲み干した。
「……千葉さんは、喉乾かないんですか……?」
「いや、そんなこともないが、これぐらいならまだ平気だ」
異世界では飲まず食わずで丸二日モンスターと闘っていたりしたからな。たまに、モンスターの血を啜りながら。それに比べたら山歩きなんて、全く問題にならない。
「もう水はないのか?」
「……はい。どうしよう……」
一ノ瀬は空になったペットボトルを泣きそうな顔をして見つめている。
「俺が湧き水を探してくる。ペットボトルを貸してくれ」
「えっ? いいんですか?」
「一ノ瀬は休んでいろ」
ペットボトルを受け取り、適当に歩く。五分ぐらいウロウロした後で立ち止まり、ペットボトルの蓋を開けて右手の人差し指を飲み口に当てた。
指先に魔力を集め、【水】をイメージ。
問題なく魔法は発動し、ペットボトルは水で満たされた。
「よし」
どうやら俺が異世界で身に着けた魔法はそのまま使えるらしい。
「こっちはどうだ」
腰に着けたポーチを開き、中のアイテムを脳内でイメージする。大丈夫。空間魔法が付与されたマジックポーチもちゃんと機能している。
これなら、どれだけ道に迷っても水や食料に困ることはない。一ノ瀬さえ気にしなければ、野営道具一式も使える。保存食を食べれば、数か月のサバイバルだって可能だろう。もちろん、この山に長居する気はないが。
魔法や魔道具の件はしばらく、隠しておこう。この世界の常識を理解するまでは、慎重に行動した方がいい。
「さて、戻るか」
俺は充分に時間を潰してから一ノ瀬のいる場所に戻り、水で満たされたペットボトルを渡した。一ノ瀬は目を丸くしてから笑顔になり、「大事にします」と一口だけ水を飲んだ。
「今何時だ?」
「十五時です」
「なんとか日が暮れるまえに、女腹村に辿り着きたいな。歩けるか?」
「休んだから、大丈夫です」
一ノ瀬が立ち上がり、きょろきょろと周囲を見渡す。
「どっちに向かっていたんですっけ?」
なるほど。方向音痴らしい。よく一人で車も通れない山奥の村を目指そうと思ったな。
「こっちだよ」
「ですよね。私もそんな気がしてました」
少しだけ俺に慣れたようだ。
一ノ瀬は俺の指差した方向に歩き始めた。
◇◇◇
灯りを見つけたのは十八時をまわった頃だった。見晴らしのよい場所から下を見ると、点々と灯りがあったのだ。おそらく、女腹村で間違いないだろう。
「もう少しだ。頑張れるか?」
「はい。いけます」
徐々に視界が暗くなる。一ノ瀬はLEDのペンライトを頼りに歩く。俺は【夜目】のスキルを持っているので平気だ。
「千葉さん、ちょっと歩くの早くないですか?」
「一ノ瀬が遅くなってるんだよ」
「だって、暗い中を歩くの大変じゃないですか」
少しいじけたような声を出す。
確かに、普通の大学生が夜の山道を歩くのは大変だろう。この先は下り坂だ。転びかねない。
「手をかせ。転びそうになったら、俺に掴まれ」
「えっ……」
「怪我をしてからじゃ遅い」
少し躊躇った後、一ノ瀬は俺の左手を握った。随分と冷たい。
「しっかり握ってろよ」
「はい……」
虫の鳴を聞きながら、慎重に山を下っていく。徐々に集落の灯りが近くなる。合計で五十戸ぐらいはあるだろうか。
谷間に広がった女腹村はひっそりとして、人の気配がしない。まだ二十時を過ぎたぐらいだが、村人は寝てしまっているのだろうか?
「着いた……」と一ノ瀬が漏らした。
どこからが女腹村かと言われれば疑問だが、確かに到着した実感はある。玄関に灯りのついた平屋がすぐ側にあるからだ。
「で、どうする? 一ノ瀬は何かあてがあって、この村に来たんだろ?」
「はい……。でも……」
一ノ瀬は申し訳なさそうに、スマホのディスプレイを俺に見せる。
「この村に友達の実家がある筈なんです。で、今その友達は実家に戻っていて……」
「なるほど。友達の実家に泊まる予定だったけど、連絡が取れない、と。一軒一軒表札を確かめるか?」
LEDペンライトを借りてすぐ側の平屋を照らす。ぱっと見、どこにも表札はない。田舎過ぎて、表札なんか必要ないのかもしれない。
「どうしま──」
「あんたら、何をしてる」
突然、闇の中から声がした。一ノ瀬が俺の右手を強く握る。
ヌッと姿を現したのは、ひょろりとした長身瘦躯の男だった。