実はずっと前から憧れていました。
なんて言ったらあなたはきっと笑うでしょう。
縛られて、生きている。
それはとても大切な約束。
愛しい時間を与えてくれる契約。
終わるはずのない人として生きる時間。
縛られて生きている。縛って生きている。
あなたはきっと笑うでしょう。それが縁だと笑むのでしょう。
だから私はあなたに憧れたのです。
大切なものに縛られて、それで笑うあなたに憧れたのです。
これはきっと恋ではありません。
日々に笑うあなたへの、ほんのささやかな憧れなのです。
私にできない生き方をするあなたへの憧れなのです。
あなたはきっと笑うでしょう。生き方なんて自分で決めろと笑うでしょう。私の迷いを笑うでしょう。
あなたはきっと、笑いかけてくれるでしょう。
☆★
敵はこちらが来る事を読んでいたのか、ナギトたちの道程には人形兵器が立ち塞がり、トラップが仕掛けられていた。
しかしリアンヌの槍が人形兵器を貫き、ハーウッドの手管を知るシャロンの知見により罠は回避された。
やがて最深部に辿り着く。牢に繋がれて意識のない《鉄機隊》の戦乙女たちを背後に、そこにいたのは3人の者たち。
「来たな、《鋼》の」
真っ先に口を開いたのは青いファーコートを着込んだ男。野生的、ではないがどこか危険な香りのする、火傷痕を顔に残した男だった。
「エルロイ・ハーウッド……、デュバリィたちを解放しなさい。今なら見逃してあげましょう」
「おぉ、怖ぇな……そう凄むなよ、聖女サマ?……とは言っても、そのマスク越しじゃ迫力半減ってとこかな?」
ニヤリと笑みながら彼は言う。どうやら彼こそが蛇の使徒第四柱《千の破戒者》その人らしい。
リアンヌの烈気に当てられてなお軽口を叩ける胆力たるや。この最深部に仕掛けた罠の存在もあるだろうが、改めて使徒の恐ろしさを感じる。
「こらこら旦さん、そんな挑発せんと……。はじめましての人もおるみたいやし、自己紹介でもしとこかな」
そんなハーウッドを諌めつつ、一礼したのは黒ずくめの女だった。帽子から垂れ下がったベールが目線を隠し、豊満な肢体を黒き衣装で隠している。
「ルクレツィア・イスレ」
女はそう名乗った。ミリアムが背後にアガートラムを侍らせつつ言った。
「情報局の機密ファイルで見た名前だね。結社の執行者No.Ⅲ………確か《黄金蝶》だっけ?」
「正解。まだ若いのに賢いなぁ…《白兎》ちゃん。《刀神》さんと併せてはじめましてやね。クルーガーは…もう何年ぶりやろか、久しぶりやねぇ」
シャロンは釘付けだった視線をわずかにルクレツィアに移した。
「レティ姉様………」
《月光木馬團》───、クロチルダから聞いた《身喰らう蛇》に吸収されたという組織の縁らしく、ハーウッドとルクレツィア、シャロンは殺伐と久闊を叙している。
「お前さんが執行者を休業してからだから……何年目だ?」
ハーウッドもまたシャロンに言葉をかけるが、その最中にも彼女は待ち構えていた3人目にちらちらと視線をやっている。
会話が成立しないと踏んだハーウッドは今度はナギトを標的とした。
「話は聞いてるぜ、“特異点”。どうやら世界が生まれ変わる前はかなりぶっ飛んだ事をしやがったみてぇだな……?」
それはナギトが己の全存在を使って世界の時間を巻き戻した事への言及だった。今や塗りつぶされた、かつて存在したIFの物語。オズボーンがリベールに戦争を仕掛けた世界線の話だ。
「それこそ“特異点”の力技だよ。今はそう無茶をするつもりはないから安心するといい」
無法を極める“特異点”の権能はほとんど何でもありだ。それを相手取るとすれば、これ以上に恐ろしい事はない。
前の世界でナギトとハーウッドには接点がなかった。彼がナギトについて伝え聞いたふうなのもそれが因なのだろう。
「こっちの自己紹介はいらなそうかな」
ナギトは太刀を抜いた。もうさっさとケリをつけてしまいたい。その焦りを見抜かれている。
「おいおい、やけに性急じゃねえか。こっちはお前さん宛ての伝言を預かってるんだぜ?」
「………伝言?」
「ギリアス・オズボーンからだ」
ハーウッドの出した名前に少なからず驚いた。考えてみれば当然の事だが、オズボーンと結社は手を組んでいる。いずれ出くわすであろうナギトへの言伝も可能性としてはあり得たはずなのに、オズボーンはそうしないとどこかで思っていたのだ。
「全霊を尽くすがいい。さもなくば獅子座を見上げる事になるだろう。……だとよ」
「……そう、か……………」
この場合、“獅子座”とはギリアス・オズボーンを意味する。彼の前世たる《獅子心皇帝》から連想させるものだ。“獅子座を見上げる”とは、彼に敗北し地に伏せた視点からそれを見上げる事になる────、というわけではない。
獅子座──星座というものは、空に浮かぶ星々に連なりを見出し、像を結んだもの。文字通り宇宙にあるものだ。それを見上げる事になる、とは──────
「やけに含みがあるじゃねぇか。意味も伝わったみてえだし……通じ合ってる♡…ってわけか」
「はっ」と乾いた笑いが出た。オズボーンはイシュメルガを宿している。おそらく内心の隅々まで見透かされているわけではないのだろう。
だから、イシュメルガにはわからない形でメッセージを残した。
「まあ、飲み友だからな」
ナギトはハーウッドの挑発にそう答えた。するとハーウッドは目を丸くして大爆笑。
「ハッハッハッ!あの《鉄血宰相》を相手に飲み友と来たか………こりゃあ大した大物だ。……そうは思わねえか……《黒の工房》のダンナ?」
そして話を振ったのは、その場に待ち構えていた3人目────《黒のアルベリヒ》だ。
「……いや、甚だ不愉快だ。畏れ多くもあのお方を飲み友達などと」
アルベリヒは言葉通りに不愉快そうに眉根を歪ませている。しかし次の瞬間には真顔に戻り、それから狂気に笑んだ。
「だが───こうもあのお方の計算通りに事が運ぶとはな。その点については愉快だ、と言っておこう」
オズボーンはこの展開を読んでいたのだろう。何せナギトとリアンヌの協力関係はバレている。彼女の部下の救出にナギトが手を貸すと理解していたのだ。
「そちらのOz-73はこちらの所有物だ。速やかに返却願おう」
「聞けないな」
「では…《鉄機隊》隊士3名との交換ではどうか」
「お断りだ」
ミリアムを渡すつもりはさらさらない。ナギトもアーサー世界でアルベリヒの非道は見てきた。人の道徳というものが抜け落ちたバケモノだ。
「というか、そもそもだ……こっちは囚われた《鉄機隊》隊士の奪還に来てんだぜ。交渉するってんならこうだ………この場は見逃してやるから人質置いて逃げな」
今度はナギトがニヤリと挑発。話が通じない事を理解したアルベリヒは舌打ちした。
「傲慢!強欲!……実に結構な事じゃねえか、“特異点”。……交渉は決裂、って事でいいんだよな……?」
大仰な身振りと共にハーウッドが凶悪に微笑む。肉食獣のような瞳孔が、爛と潤った気がした。
「ああ。……一応言っとくけど、交渉決裂の要因をあんたも担ってんだからな……猛毒オヤジ」
ナギトの指摘にしかし、ハーウッドは笑みを深めるばかり。戦いに逸っている──?いや、そう思わせたいのだ。
「……それで、君はどうするのだね────結社《身喰らう蛇》執行者No.Ⅸ《告死戦域》のクルーガー………私の生存が確定した時点で君とイリーナ会長との契約は切れたはずだが」
そこでアルベリヒはシャロンに水を向けた。この場に到着してからずっと、彼女の意識を奪っていたのはアルベリヒの存在だ。
フランツ・ラインフォルトの肉体に宿る《黒の工房》の主の意識。
「私、は………………」
シャロン・クルーガーと《告死戦域》の間で揺れる女にナギトはその名を呼びかける。
「シャロンさん!あいつは断じてフランツ・ラインフォルトじゃない…!」
「……ナギトさま………しかし、私は………」
しかしそれだけでシャロンの立ち位置は決まらない。
「……今はこの成果だけで充分としよう。……さて、始めるとしようではないか!黄昏に至る第一戦を!!」
アルベリヒが指を鳴らすと、室内を人形兵器とOzもどきたちが埋め尽くした。数的有利も覆され、その数で分断された。加えて人質もいる。
どうしたものか───ナギトがそれを定めるより早く戦闘は開始された。
☆★
マッチアップとしてはこうだ。
リアンヌvsハーウッド
ミリアムvsアルベリヒ
ナギトvsルクレツィア
ただし相手側には多数の人形兵器がいるものとする。
しかもそれらのせいでろくに連携も取れていない。大技を使って一掃しようにもデュバリィら人質を傷つけてしまう恐れもあった。
ルクレツィアは虚空から引き抜いた金色のダスクグレイブを用いてナギトと剣舞を演じている。
「これはどない?」
ダスクグレイブが地を突き刺した──否、開かれた異空間を突き刺したと言うべきだ。
背後に開かれた窓から空間を跳躍したダスクグレイブ。その刃を弾き返す。
「あらまあ、初見で対応しはるんやね」
「それ《外の理》のだろ。警戒くらいするさ」
ケルンバイター、アングバール、聖女の槍。どれもゼムリアストーンの得物以上の代物だ。
「経験豊富なんやね」
ルクレツィアの戯言を無視してシャロンの方を見やる。押し寄せる人形兵器とOzのなり損ないたちを相手にしているが、その動きにいつもの精彩はない。普段のシャロンなら、こんなもの一蹴だろうに。
「シャロンさん」
呼びかける。剣戟の中でも、確かに響く重い声音。
「どうか迷わないで。戦って」
間近で刃を交わすルクレツィアと、目が合った気がした。黒いベールに包まれたその奥の瞳と。
薄く微笑むルクレツィアは、やはり手加減しているのだろう。ナギトの余裕はそこから生じている。
「あなたとイリーナ会長との契約は知っています。それに甘んじて、あなたがシャロン・クルーガーであった事も」
“シャロン・クルーガー”はイリーナとの契約で縛られた“《告死戦域》のクルーガー”の姿だった。
それはまさに、己の本分は《C》だと言ったクロウに通ずるものだ。
「でも、あれはフランツ・ラインフォルトじゃない。契約はそのままだ。あなたはシャロン・クルーガーのままだ……!」
「ですが……あのお姿は…紛れもなく…………」
しかしシャロンの動きには変化は生じない。手足の如く操っていた鋼糸もダガーも、今やナマクラ同然だった。
動揺しっぱなしのシャロンの隙をついてOzの一体が急襲を仕掛ける。もたついたシャロンをカバーするように剣刃が閃いた。ナギトの“神威残月”がOzを切り裂いて破壊する。
「だったら!……だったら─────もし仮に、あれがフランツ・ラインフォルトだったとして…!」
ルクレツィアの攻撃をいなしながら言葉を紡ぐ。
「あなたが、イリーナ会長との契約から解放されたとして……!」
それは“もしも”の話であると同時に今の物語だった。
「ごめんナギト!そっちに行った!」
ミリアムの忠告だ。次の言葉を吐き出すより早く、人形兵器の群れをかき分けて紫銀の傀儡が躍り出た。アルベリヒの操る戦術殻ゾア=バロールだ。左右合わせて6本の触腕がナギトに襲いかかる。斬った。“八葉一閃”。何の抵抗もなく斬り落とされた触腕を半ばから振りかぶるゾア=バロールの追撃。避けて、カウンターの足刀をトンと当てる。
ゾア=バロールは背後のアルベリヒを巻き込んで吹き飛び、壁に激突した。
アルベリヒは自身のダメージとゾア=バロールの損耗を鑑みて転移でこの場を離脱する。判断の早い事だ。おかげでナギトはシャロンを説得するのにアルベリヒの茶々入れを勘案する必要がなくなった。
「あらまあ。うちとやり合いながら、工房長さんも相手にして、その上クルーガーの説得なんて……欲張りなんやねぇ」
ルクレツィアの感嘆には対話拒否をもって返答とした。
「螺旋流壁」
渦を成す螺旋の壁はドーム状に展開され、ナギトとシャロンのみを内側に残す。
「続きだ、シャロンさん。………もしあなたが、ラインフォルトのメイドという役割から自由になったとして…………それで、あなたはどうしたい?」
すでにシャロンはへたりこんでいた。何もかもが揺らぎ、思考は埋め尽くされている。
フランツ・ラインフォルトの生存。
イリーナ・ラインフォルトとの契約。
シャロン・クルーガーと《告死戦域》のクルーガーの狭間で。
「私が…………どうしたいか………………?」
それでもナギトの声は届き、しかしてシャロンの目はまだ虚ろだ。
そんな事は考えた事もなかった。これまで自由なんてなかった。《月光木馬團》の一員として、《身喰らう蛇》の執行者として、ラインフォルトのメイドとして。いずれも役割を羽織っていただけだ。
シャロン・クルーガーも《告死戦域》も真の己ではない。真の己とはなんだ?自由を得た時に何かを望む己とは?
「シャロンさん」呼びかける。その意図すら、今の彼女にはわからないのだろう。
「あなたがラインフォルトのメイドである義務がなくなったとして、それで《告死戦域》のクルーガーに戻る必要はないんだ」
「ですが……私は……イリーナ会長との契約で………」
イリーナ・ラインフォルトとの契約。彼女の夫であるフランツが帰って来るまでラインフォルトに仕える事。その約束がなくなってしまったら、自分は《告死戦域》に戻るしかない───そう思っていた。
「そんなものはどうでもいい」
しかしナギトはそう断じた。
確かに、論理で考えればそうだ。
契約に縛られて役割を強制されていた自分だが、その契約がなくなれば自由の身だ。結社の執行者はあらゆる自由が約束されている事もあり、気ままに振る舞っていい。
しかし、自由な自分というものをシャロンは想像する事ができなかった。
ナギトは嘆息した。クロウなら甘ったれんなと蹴飛ばす場面だろう。相手がリィンならそうしていた。
だが彼女は未だ己で決断した事もない赤子だった。
「シャロンさん。あなたの人生でこれが最初の選択かもしれない。………一歩が踏み出せないのなら、こっちから半歩だけ歩み寄りましょう」
ナギトはへたりこんだままのシャロンに手を伸ばした。
「少なくとも俺はあなたにシャロン・クルーガーであってほしい。きっとアリサも。Ⅶ組のやつらだってそうだ。……たぶんイリーナ会長も」
“シャロン・クルーガー”という役割を羽織っていた彼女。しかし、その行動のすべてが契約によるものだったとしても、そこに生まれたものは嘘じゃない。
「俺たちの第三学生寮の管理人で。ラインフォルト社のスーパーメイドで。料理はめちゃうまくて、食後のティータイムなんて最高だ。………そんなあなたが好きなんだ。頼りになって、ちょっぴり謎めいてる年上のお姉さんが、俺たちは大好きなんだ…!」
それは“シャロン・クルーガー”という契約に縛られた人物に対してというだけではない。彼女自身さえ知らない生来の在り方をも意味している。
「だからシャロンさん……この手を取って。あなた自身の意志で、シャロン・クルーガーの人生をまた新しく始めるんだ」
ナギトにこれ以上の言葉はない。これ以上ないくらい会心の誘い文句だったと自賛できる。それでも彼女がどう転ぶかはわからなかった。
「ナギト様…………」
やがて彼女は決断した。己の在り方を再定義した。
ナギトの手を取って立ち上がる。
「ありがとうございます。こんな不甲斐無い私を、励ましてくださって」
「構いませんよ。あなたにはたくさん借りがある」
主に学生寮で美味い飯を振る舞ってくれた事に対してのものだった。
「もうすぐこの繭もほどけます。外は激戦の最中でしょう……注意してください」
2人は斬撃の繭──“螺旋流壁”を見やる。
「わかりました。………それにしてもナギト様、女性を口説くのがお上手になられましたね?」
場にそぐわぬシャロンの発言に吹き出してしまうナギト。気を取り直してわずかな思考時間で考え抜いたナイスな返答をしてみる。
「トールズ時代に目覚めてたらバラ色の学生生活だったでしょうにね。今は婚約者のいる身ですから」
リィンの口の上手さに少しは近づけただろうか。というかあの男、自覚なく周りを口説くもんだから在学中のナギトの気苦労は絶えなかった。
「何をおっしゃっているのですか……素晴らしい青春だったでしょう?…………私には少し眩し過ぎました…………」
「………あなただってまだ若いでしょ。青春するにも遅くはない。………それにほら、あの人………えーと、アントンでしたか?彼もいるでしょう」
恋多き旅人アントン。リベール、クロスベル、エレボニアを渡り歩いた青年はことごとくフラれながらも、シャロンと出逢った。付き合ってこそいないものの、今でも文通はしているという。
シャロンはアントンの顔を思い浮かべて、それから笑んだ。
「そうでしたわ…………アントン様に限りませんが…………私はこんなにも多くの人に……。幸せ者だったのですね……私は」
「あなたが紡いだ縁ですよ」
シャロンの感慨をナギトは短く、そりゃそうでしょ…とでも言うように笑った。
「ナギト様、この戦いが終わりましたら………あなた様にお伝えしたい事がございます」
「愛の告白と罪の告白ならご勘弁願いたい」
これまたナイスな返しができた…と見当違いの感想を抱くナギトだったがシャロンの方が上手だった。
「うふふ」
笑うだけだ。それだけで色んな意味が含まれているようで、ナギトは恐ろしく感じた。
「うふふて」とナギトがツッコミを入れたその時、螺旋の壁は役割を終えて消え去った。
リアンヌとハーウッドの対決は未だ決着はついておらず、ナギトが抜けた穴を埋めるようにミリアムがルクレツィアと戦っていた。
「このお姉さんちょー強いんだけど!ナギト!」
ナギトの姿を認めたミリアムは助けを求める。手抜きとは言えミリアムに武闘派執行者の相手は荷が勝つか。
「おうさ!」
ミリアムに迫るダスクグレイブを弾いて救援に成功。そのナギトの居住まいを見てルクレツィアはシャロンに視線をやった。
「どうやら……説得は上手くいったみたいやね。クルーガー……いや、シャロンちゃんも自分の道を定められたってとこやろか」
「まあな。ルクレツィア……すまない。ありがとう」
《月光木馬團》時代───、いやおそらくそれ以降もルクレツィアはシャロンの事を気にかけていたのだろう。姉気分としての振る舞いだ。妹同然に思っていたシャロンが自らの足場を得たのなら、喜ばしい事だった。
「はい。レティ姉様…………新しい私をご覧になってください」
シャロンはその場で翻って鋼糸とダガーを取り出す。ナギトのよく知るシャロンの姿───
「ラインフォルト家のメイド、《告死戦域》のシャロン・クルーガー───推して参ります!」
それは彼女の欲張り。自由というなら、それを謳歌するまで。
ナギトの予想を上回る、新生シャロンの初陣だった。
☆★
そこからのシャロンの働きは実に鮮やかであった。鋼糸とダガー──己が得物を十全に振るい、迫り来る人形兵器やOzもどきたちを一蹴。
ついには囚われていたデュバリィら3人の《鉄機隊》隊士を確保する。
ナギトやリアンヌでもこうはいかない。同じ結果は出せようが、過程がまるで違うのだ。
「おっとと……人質を確保されちまったか。こりゃあこっちの任務は失敗、かな…?」
すでに戦闘は一段落していた。絶対敵である《黒のアルベリヒ》は退却し、意思を持たぬ兵器たちはそのすべてが沈黙している。
「戯言を。あなたもルクレツィアも……最初から争う気などなかったでしょう」
ランスを虚空にしまったリアンヌはそう言った。ナギトも同じ感想だった。シャロンの事もあるだろうが、それにしてもこの2人はやる気がなさ過ぎた。
「どうだかな。それを見極めるためにやり合ったわけだが…………俺もレティもアンタら相手じゃ役者不足だったみてぇだぜ?」
ハーウッドは取り出した葉巻に火をつけて、紫煙を吐き出しながら言う。彼らは相応の力をもって戦いに挑んだが、リアンヌやナギトにとってすればまるで手抜きのようだったと語っているわけだ。
「それにクルーガー………いや、ラインフォルト家のメイド《告死戦域》のシャロン・クルーガーだったか…………いくらなんでも属性盛り過ぎだろ。………ま、それも良いとは思うがな」
次いでハーウッドはシャロンに視線を向ける。その目はやはり、どこか身内に向けるようなそれで。昔馴染みという間柄は容易く敵味方で色分けできるようなものではないのだ。
「とにかく、そっちの戦力がこっちの思惑を上回ったってだけさ。……俺はこの件から手を引くぜ、《鋼》の。そもそも《幻焔計画》は俺の管轄じゃないしな。……使徒連中の手前、同調はしたが……………」
ハーウッドの視線はナギトとリアンヌの間を行き来した。見定められている。
「こうなった以上、俺はお役御免だ。ここから先は高みの見物を決め込ませてもらう。……ギリアス・オズボーンと“特異点”──ナギト・カーファイのやり合いをな」
ハーウッドは最後に一吸いすると葉巻を落として踏みつけた。まだまだ残っているだろうに、リッチな事だ。
「《鋼》の───いや、今はリアンヌ・サンドロットと呼ぶべきか?お前さんの活躍も愉しみにしてるぜ…?」
「それに応えるわけではありませんが……私も全力を尽くしましょう。彼女の真似ではありませんが───《槍》と《鋼》……その両面の私として」
「ハッ!若者の熱気に当てられたか?250年以上生きるアンタが」
「余計なお世話です」
ハーウッドはリアンヌの返事を聞き届けると「じゃあなー」と気軽に言って転移で消えた。
「ごめんなぁ。旦さん、デリカシーとかない人やから」
ルクレツィアは慣れた様子で消えたハーウッドのフォローをした。それからその真っ黒な、まるで喪服のような衣装の端を摘んで一礼をした。
「ほなウチももう消えますわ。……聖女様、ご武運を祈ります」
訛りのある口調で一礼した姿勢のままルクレツィアの姿も消えた。
これにて本格的に任務は完了。デュバリィら戦乙女3名の救出。なんならアルベリヒに手傷を負わせた。そしてなによりシャロンの覚醒が報酬となった。
クロチルダに連絡し、魔女の転移術によってルーレに戻る。息苦しかった防毒マスクを外して一息。
「これでOKですね、リアンヌさん。……あのハーウッドってやつも本気じゃなかったみたいだし………デュバリィさんたちに何か仕込まれてる事は────」
なさそうだ、と言おうとしてリアンヌに遮られた。
「それでも警戒すべきなのが、あの最悪の男です。《千の破戒者》ハーウッド………彼の擬態は見破っているでしょうが………、放つ言葉のすべてに毒が仕込まれています。決して油断せぬよう」
ルクレツィアと同じくシャロンの成長を見届けたハーウッドも無粋な事はしなさそうだとナギトは考えていたが、それが甘いという忠告だった。
それからややあって、まだ目を覚さないデュバリィたちはラインフォルト専属の医療機関で診てもらった。異常なし。しかしそれでも独学でBC兵器を新開発するハーウッドに油断はできず。
リアンヌは一時帝国を離れる事にした。
「これでも伊達に“聖女”と呼ばれてはいません」
卓抜した魔法使いであるクロチルダでさえ、デュバリィたちの身体に異常なしと判断したが、それは魔法方面でのスキャンであり、ハーウッドのBC兵器ならばそれらに引っかからずに宿主を殺める事も可能だとも考えられる。
そうしてリアンヌが仄めかしたのが七曜教会を頼る事だった。確かに教会ならばデュバリィらに仕込まれているかもしれないBC兵器を発見する事ができる可能性はあるし、彼らでも無理なら真っ当な医療でも常外の神秘でも無理だという事になる。
その理屈はわかるが「危険過ぎる」とナギトは止めた。
確かに生前のリアンヌ・サンドロットは七曜教会から聖女認定をされている。しかし彼女は結社の使徒──教会とは相容れない存在としても活動していた。果たして教会の門戸は開かれるかどうか。
だがリアンヌの意志は固かった。最新の医療機関でも魔女の技術でもわからないなら、あとは教会を頼る他ない。取り越し苦労だったとしても、娘たちを見捨てるかもしれないという恐怖が勝るのだ。
決心したリアンヌをナギトは送り出す事にした。いかな事があろうと決戦までには帝国に戻る事を条件として。
3人の娘たちを保護してリアンヌは東の方角に消えていった。
朝日が昇り始めていた。
☆★
ナギトは腕時計を確認した。午前5時過ぎ。
朝日につられて小鳥たちが歌い出す頃合いだ。
ザクセン鉄鉱山に向かうのだろう、朝が早い坑夫たちの背中を見送ってシャロンはナギトに向き直った。
「ナギト様、今回はありがとうございました。……私が、私自身として立ち上がるきっかけをいただけて」
「あの場に《黒のアルベリヒ》がいたのは偶然ですけどね。それに俺はちょっとばかし手助けしただけだ。決めたのはあなたですよ、シャロンさん」
確かに決めたのは自分だ。しかし自分がシャロン・クルーガーであると定めたのは、ナギトの誘導があったからだ。
誘導、なんて悪辣な表現はよそう。あの言葉は本心からのものだった。つまり、シャロンにシャロン・クルーガーであって欲しいという願い────
「あんなふうに熱心に口説かれたのは初めてでした……」
頬に手を当ててうっとりとしたシャロン。そんなあからさまな演技にナギトはため息をひとつ。
「にしても、ラインフォルト家のメイド兼《告死戦域》のシャロン・クルーガーとは………。予想を上回る全部盛りでしたね」
ナギトとしてはラインフォルト家のメイドのシャロン・クルーガーとして定まれば良かった。しかしシャロンはそこに執行者No.Ⅸ《告死戦域》のクルーガーも上乗せしたのだ。
いくら焚き付けたとは言え、階段をすっ飛ばして登るような覚醒には笑うしかない。
「ええ………。これからの私は、これまでの私の全部でありたいと思いましたので。……そう思えたのも、ナギト様のおかげですわ」
「本当にありがとうございます」と頭を下げるシャロンに、ナギトは「どういたしまして」と応える。
「ナギト様…………今回の件、アリサお嬢様とイリーナ会長に伝えて良いものでしょうか……?」
フランツ・ラインフォルト────《黒のアルベリヒ》の存在についての話だ。彼女らにとってフランツは亡き父、亡き夫。それが実は生きていた、なんて話になれば混乱は確実だ。
「アリサお嬢様に“怒らないでくれ”とおっしゃっていたのはこの事なのでしょう…?」
つい昨日、ナギトはアリサにそう言った。その内容すら伏せたが、アルベリヒの存在を指していたのは今となっては明白だ。
ナギトはアルベリヒの対処についても考えていた。つまりはフランツ・ラインフォルトを取り戻す手段を。
だが、いくら考えても無理筋だった。フランツはもう死んでいるのだ。かつて《告死戦域》のクルーガーが仕留め損ねたと思っていたその時に。
そして、《黒のアルベリヒ》がその死体に宿った。フランツは地精の系譜で、その縁だという話をアーサー世界で聞いている。
不死者であるアルベリヒの間隙を突いてフランツの意識が浮上する事も知っている。
だが、それだけだ。
フランツを生者に戻す手段もなければ、その肉体からアルベリヒのみを排除する事もできない。
ナギトの技量であれば、フランツの肉体からアルベリヒの魂を斬り離す事もできるが、黒の従僕である事実で不死者となった肉体はアルベリヒを取り除けば死体に戻る。
オズボーンのような鋼の精神性で常にフランツがアルベリヒの意識を抑え込む事ができるのであれば話は違うが、それも無理だ。
オズボーンに“全部拾う”と言った口でフランツを見捨てる事に忸怩たる想いはある。
しかし。冷酷な表現になるが、ナギトにとってフランツの価値とはその程度なのだ。彼の命を救う事に手間をかけて、それ以外が疎かになっては元も子もない。
アリサには不義理を働く事にはなるが、すでにラインフォルト家はフランツとの別れを済ませているのだ。わざわざほじくり返す事はない───と、自らを納得させている。
「………………あなたに任せます、シャロンさん。そも、俺が口止めしたところであなたには彼女たちに話す自由がある」
今のナギトにラインフォルト家の事情に深入りするだけの余裕はない。アルベリヒの件が露呈すれば否応なく巻き込まれるだろう。それは防ぎたいが、ナギトにシャロンの口を封じる手段はなかった。
「ナギト様……ひとつ、約束していただけないでしょうか。…………あの人たちを悲しませない、と。……それさえ約束してくれましたら、私は……」
それはつまり、アリサやイリーナにアルベリヒの存在が露見する前に消せという事だろう。
ナギトは元からそのつもりだ。しかし決戦前にそうできるかはわからなくなった。今回の戦闘でナギトはアルベリヒに“八葉一閃”を見せてしまったのだ。警戒して決戦まで姿を見せない可能性も充分にあった。
「約束します」
ナギトはシャロンを正面から見据えて言った。
約束なんてできるわけがない。せいぜいが最善を尽くす程度だ。それでも面倒事が減るのなら、嘘をつく誠意も必要だ。
シャロンはその嘘を見抜いている。しかし「わかりました」と追及を避けた。そんな嘘を言ってしまうほどの、重く鮮烈な決意をナギトに見たからだ。
あまりにも強い。トールズ時代からそうだったし、それは今でも
理想と現実の間でもがき苦しみ、それでも前進する強靭なる精神。苦しさをチラ見せして仲間の協力を取り付ける強かさ。最善の結果に辿り着くためにあらゆる物事を利用する冷徹。
20歳そこそこの人間が装備していい武器ではない。自分を嫌悪してしまいそうな、そのやり方は。
「ナギト様。………私はあなた様に憧れております」
まばゆい朝日を一身に浴びながら、シャロンはそう言った。言葉を受けたナギトの姿は逆光でよく見えない。
「……それが、伝えたいって言ってた内容です?」
「はい」とシャロンは肯定した。言うべきだろうか。言わない方がいい?僅かな葛藤でできた間をナギトは待った。シャロンは言う事にした。言うべきだ。背負わせる荷が重くなるとして、それが彼の力になるかもしれないなら。
「生きる目的があり、それに縛られながらも自由であろうとする生き様に。使命に縛られながらもご友人方と生きる日常を大切にする有様に。大切な方たちを守るためにすべてを背負い、そのためにあらゆる物事を利用する辛さを表に出さない在り方に。……私にはできない生き方をするナギト様……あなたに───」
───憧れている。
現実にその未来は遠いとしても。諦めず、投げ出さず、強がって、歩き続ける。その希望を、信じているから。
まるでシャロンにはできない生き方だった。
その憧れが信じて、声をかけて、手を伸ばしてくれたからこそ、これを言う勇気が出た。
自由を選んだ今なら、彼の前で少しは胸を張れるだろうか。
逆光の中のナギトは穏やかに微笑んだ気がした。
「……ご安心ください。これは恋心などではありません」
ナギトには婚約者がいる。ラウラ・S・アルゼイド。この憧れは恋ではないし、そう定めた。もし恋だと言ったら彼は困るだろうか。
太陽は昇り、ナギトから逆光のベールは剥がされた。その顔は何とも言えない表情で、言うべきを言ったシャロンの悪戯心が自由を行使した。
「………あわよくば、とは思っていますが♡」
ナギトは破顔した。いつも通りに、冗句を尽くす構えに移る。
「やめてくださいよ。これでもハニートラップには弱いんで」
「あら。……ならこのシャロン・クルーガーを妾にでもして下さいますか?」
にっこりと笑っていうシャロンに本気の色はない。それでも魅力的なお誘いにナギトの心は揺れてしまう。
「…………やめときます。アリサとも拗れそうなんで」
それがこの会話の末尾となった。
「うふふ」とシャロンは淑やかに笑い、それにつられて「かっかっか」とナギトも笑う。
───やはり、あなたは笑いかけてくれました。