八葉を継ぐ者──AAA──   作:クラウンドッグ

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義兄弟

 

 

 

 

 

「はーーー……………」

 

 

 

呼気が抜け落ちていく。溜まっていた疲れが、宿していた緊張感が、使命に似た願望が。抜け落ちていく。

 

今この時だけはそれでいいのだと心底思えた。

 

 

 

温泉郷ユミル、凰翼館の露天風呂での事であった。

 

 

 

 

リアンヌの救援要請で囚われの身となったデュバリィたちを助け出した後、僅かな休憩を挟んでナギトとミリアムはルーレ市を出発した。

 

 

囚われていたデュバリィたちに何か仕込まれていないか検査するために、アリサにはラインフォルトに準備できる医療体制を整えてもらっていたが、そのついでにミリアムの事も診てもらっていた。

ミリアムはOzシリーズとされる人造人間ではあるが、普通の人と同じく成長もする。終末の剣に変じる因子が物理的に存在するのなら、それを取り除けないかという期待もあったのだが、それは見事に裏切られた。

不明な領域はあったものの、それ以外は基本的に普通の人間と変わらない身体構造らしく、さすがは結社の《十三工房》の一角に数えられていた地精の技術力と言えた。

 

ナギトとシャロンの会話にアリサやミリアムがいなかったのはそう言った理由で。

アリサとの別れに際してもナギトは普段通りを通し、シャロンもまたアルベリヒについては口を噤む約束を守ってくれるようだった。

 

 

 

そしてナギトはミリアムを連れてユミルへ向かう事にした。要件は2つある。どちらの緊急性は低いものの、ルーレまで来ればユミルは目と鼻の先だ。各地の仕事を効率的に片付けるためにはこういったムーブも必要になる。

 

 

ユミルに到着したナギトは、まずこの地を治めるシュバルツァー男爵家を訪ねた。ナギトが以前、シュバルツァー姓を名乗っていた際には世話になっていた家だ。ある意味で実家とも言える。

というかテオを父さん、ルシアを母さんと間違えて呼ぶ事にしている。それだけ世話になって、それだけこの家を愛せているのだ。

 

 

突然の訪問に驚いた様子のテオ・シュバルツァーだったが、挨拶の後にナギトに手紙を渡した。

ユン・カーファイからのものである。ナギトの養父にして剣の師匠。それがあるとわかってナギトは「うーわ」と言ってしまった。

 

ナギトがユミルに来た理由のひとつは、ユンへの言伝を残す事だった。望み薄ではあったが、今のこの状況で彼の力を借りられれば力強いと思い、助けを求める手紙をシュバルツァー家に預けようと思っていたのだ。

 

が、どうやらそれはあの養父には見抜かれていたようで。先回りしてシュバルツァー家にナギト宛ての手紙を残していた。内容は要約すると“今回は手を貸すつもりねーから。がんばってね”というものだった。ファック。

 

 

それからナギトはここに来た本命の要件をテオに告げようとしたが、そこで温泉に浸かってくる事を勧められた。テオ曰く「ひどい顔だ」との事で、さすがに父は誤魔化せないのだとナギトは驚いた。

その忠告に従い凰翼館の露天風呂に入っているというわけである。

 

 

 

「ナギトの顔、すっごくだらしないよ?」

 

 

露天風呂に湯着姿のミリアムがやってきた。相変わらず羞恥心のない小娘だ。

 

 

「いいんだよ。ここはそういう場だ」

 

 

「でもナギトの気持ちもわかるなぁ……。ここ、気持ちいいもんねー」

 

 

隣で湯に浸かったミリアムは言った。ナギトの同じように「はー」と息を漏らしている。

 

 

「だろー?……リィンが風呂馬鹿になるのもわかるってもんだ……………」

 

 

2人してだらりと心地良い湯加減に身を預ける。

 

 

 

こうしていると、ナギト・シュバルツァーだった頃を思い出す。

雪山で意識を失っていた所を救われ、シュバルツァー家に引き取られてユミルで過ごした一年。

リィンと共にトールズ士官学院に入学してトリスタで過ごした一年。

 

いずれもナギトの人生に欠くべからざる時間だった。

そのおかげで今もこうして生きていられる。

 

 

あの頃は“特異点”としての願いも失っていた。記憶喪失によって過去を一切合切奪われて。

だからこそナギト・シュバルツァーは生まれたのだが。

 

記憶喪失……その遠因となったのはカルバード共和国での敗北だ。《剣帝》レオンハルトとの一戦。実力は互角ながらも覚悟の有無で敗北を喫した。前の世界の再現されたリベル=アークでリベンジは叶ったが、あれは苦い記憶だった。

 

 

今となっては良い思い出だ。これまでのすべてが今のナギトの糧となっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

───────本当にそうか?

 

 

燻っていた罪悪感が鎌首をもたげた。

 

 

《剣鬼》による100人斬り。共和国首都イーディスで起こした凶事。歴史上稀に見る大事件。

 

 

あれは本当に必要な事だったか。仕事とは言え戦士でもない人物を殺めたのは。

 

 

 

罪も罰も今は後回しだ。そんなものに囚われて足を鈍らせるわけにはいかない。

 

 

自分はいつか、それに追いつかれる時が来るのだろうか。

 

 

その答えは出ず──────

 

 

 

「お先」

 

 

 

────立ち上がり露天風呂を出る際の貌は決意と覚悟で雁字搦めになったナギト・ウィル・カーファイのものだった。

 

 

 

☆★

 

 

 

ナギトがユミルに来た理由は2つ。ひとつはユンへの伝言─こちらは先回りされてすかされたが─。もうひとつはテオへの協力要請だ。

 

とは言ってもナギトがテオに求めるのは大それた事ではない。シュバルツァー男爵としての彼ではなく、テオ・シュバルツァー個人への頼みだった。

 

 

 

久々の再会を祝してテオは山で狩りをして、その肉を夕食として出された。舌鼓を打ちつつ会話を弾ませて───、それからテオの私室でナギトは要件を切り出した。

 

 

「テオ父さん。……あなたとギリアス・オズボーンが義理の兄弟関係にあった事は知っています」

 

 

かつてはオズボーンも、ナギトと同じようにシュバルツァー男爵家で引き取られた少年期を過ごした。その中でオズボーンはテオと親友になった。

 

 

いきなりの指摘に目を剥いたテオだったが、一瞬の後には穏やかに微笑んでいた。それはまるで郷愁に浸っているかのように。

 

 

「そうだな………確かに私は彼と───ギリアス兄さんとは、君の言うような関係だったよ」

 

 

《鉄血宰相》になる前、イシュメルガに取り憑かれる以前のギリアス・オズボーン。

穏やかでありながら強い芯を持っていた事は想像に難くない。Ⅶ組で言えばガイウスが近いだろうか。

ドライケルスはノルドにいた時期もあるようだし、それがあの大器の由になっているのかもしれない…とふと考えた。

 

 

「尤も、君とリィンのように対等ではなく、ギリアス兄さんには助けられてばかりいたがね」

 

 

ナギトとリィンはあくまで対等だ。ナギトはリィンを立てるし、リィンはナギトに対抗する。

兄貴然として振る舞っていたら、良かれ悪しかれ今の関係性はなかっただろう。

 

 

 

「それで、私に何をさせたい?」

 

 

 

テオの雰囲気が変わる。昔を懐かしむ男から、領民に寄り添うシュバルツァー男爵へと。

 

 

 

「……大きな戦争が起ころうとしています。……彼主導の元に。俺はそれを止めるべく動いています」

 

 

 

事は順序立てて。されど簡潔に。

 

 

 

「あなたに力を貸してもらいたい。テオ・シュバルツァーさん」

 

 

 

ナギトの言葉を受けてテオは瞑目し、それから目元を揉んだ。事前にオズボーンとの関係性に言及したこと。“テオ・シュバルツァー”とわざわざフルネームを呼んだ事からも、望んでいる事は明白だ。

 

 

 

「私に君の力になれるだけのものはない。アルゼイド子爵閣下のような武勇も、領邦軍のような戦力もない。社交界と距離を置いているし、他所の貴族とのコネクションもない」

 

 

 

言ってから、目を開ける。目の前の息子の表情は優しく、されど厳しく凪いでいる。

求められているものは、わかっている。

 

 

 

「私に……ギリアス兄さんとの義兄弟という関係性を利用しろと………そう言うのか」

 

 

 

それはテオにとって最後の拠り所であった。

とても場に出す気はない最後の切り札。出せばそれが役が成立しないブタだとわかっていながら、それでも後生大事にとっておきたかったもの。

 

 

「そうです」

 

 

例えそれが失われても、今のテオにさしたる痛手はない。とうに縁が切れた義兄より、妻と息子と娘がいれば、それだけで幸せだからだ。

 

それでも、ギリアス兄さんとの思い出は胸に仕舞っておきたかった。あの懐かしい思い出に郷愁を覚えるのは自分だけだと確信したくなかった。彼にとって自分との思い出は価値のないゴミだと、そう思いたくはなかった。

 

 

 

「テオ父さん」とナギトが呼びかける。優しく胡散臭い勝負師の顔。ギリアス兄さんとは近いようで遠く、《鉄血宰相》とは遠いようで近い、そんなナギト・シュバルツァーの。

 

 

「………俺は、この家を出たその日に受け取ったシュバルツァーの誇りを忘れた事はありません。少なくとも明日の己に恥じる今日を生きた覚えはない」

 

 

 

──“「シュバルツァーの誇りを君に」”

それはナギトが記憶を取り戻し“ナギト・シュバルツァー”を辞めた日にテオからもらった言葉だった。

領民に寄り添うシュバルツァー男爵家の者らしからぬ行いをした自分には過ぎたものだと思ったが、それがあったからこそ今のナギト・ウィル・カーファイがあるのだと断言できる。

 

 

 

「そう在れたのは俺が“ナギト・シュバルツァー”として生きた年月があるからです。そう在ろうとできたのは“ウィル・カーファイ”として生きた年月があるからです。その両方が俺なんです。その両方で俺なんです」

 

 

だからナギトはウィル・カーファイの名と記憶を取り戻しても“ナギト”の名を捨てなかったのだ。この名前こそが、自分がシュバルツァー家の一員であった証なのだから。

 

 

 

「それはきっと、ギリアス・オズボーンも同じだと思います」

 

 

テオにとっての“ギリアス兄さん”である彼と《鉄血宰相》である彼。人が変わったような変貌ではあるが、そのどちらもで“ギリアス・オズボーン”なのだ。

 

《鉄血宰相》の中に“ギリアス兄さん”が生きているのだとナギトは言っているのだ。

 

 

 

「だが……彼との縁はリィンを預ったのを最後に途切れている………。私の言葉で彼が翻意するとは…………思えない……………」

 

 

 

それはテオの弱音で、本音であった。

彼が鉄の意志で何かを成そうとしているのはわかっていた。その内容がナギトの口から語られた。帝国民が一丸となってそれを打破すべき事もわかる。

しかし幼き日の思い出を──聖域を、穢す度胸が────

 

 

 

「でも、彼が生きたいと願う最後の一押しくらいにはなってくれるはずです」

 

 

 

──その度胸が、その覚悟が─────

 

 

 

「少なくとも俺はリィンにそう言われたら、生きたくて生き生きしちゃいます」

 

 

 

───その覚悟が、決まった。

 

 

「ふっ」とくだらないギャグで笑わされる。

そのくらいなら、と思わせられる。自分の思い出がどうしたと。息子たちが頑張っているのに、親である自分が臆病でどうすると。そう思わせられる。

 

 

 

 

「手紙を書こう……ギリアス兄さんに。ナギト、君に託すぞ……必ず彼に届けてくれ」

 

 

 

 

かくして、旧き兄弟愛の証はナギトに託された。

それはやがてギリアス・オズボーンの手に渡り、彼を郷愁に誘ったという。

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