帝都ヘイムダル。
バルフレイム宮、宰相執務室にて。
「首尾はどうだ?」
音もなく部屋に現れた男にオズボーンは尋ねた。転移で静かに、死者らしく気配も薄いアルベリヒに対して。
《黒の騎神》イシュメルガ。帝国に悪意を振り撒く元凶。《黒の工房》──地精はいつしかそれに取り込まれてしまった。それからはずっとイシュメルガの配下として動いてきた。
歴代の工房長の肉体を転々とし、悠久の轍の後に現れたのが大帝ドライケルスの転生体であるギリアス・オズボーンだ。
偉大なるイシュメルガの起動者に相応しい傑物。契約と呪いに縛られた生きる人形。
アルベリヒは敬意を払う。その人格ではなくイシュメルガの起動者であるという一点のみで。
だからこそ、自分の出現に驚きもなく言葉をかける彼に驚嘆はなかった。この程度はできて当たり前なのだから。
「今からOzのスペアを作成するのは間に合いそうにありません。醸成も必要ですし───、やはり74…もしくは73を取り戻すべきと進言致します」
Oz-74、アルティナ・オライオン。あれこそが終末の剣となるべく生み出された人造人間。
Oz-73のミリアム・オライオンもまた終末の剣と成り得ると主人は語ったが、最良の素体はアルティナだった。
「現状では不可能だろうな。オライオン姉妹には強力な護衛がついている」
アルティナにはリィンとオーレリアが。ミリアムにはナギトがついている。
現状のオズボーン勢力では彼女たちを奪還するための戦力がなかった。
「《猟兵王》を動かしたとて容易にはいくまい」
陣営が有する最大の戦力は《猟兵王》ルトガー・クラウゼル。好敵手との死闘から甦った不死者。《紫の騎神》ゼクトールの起動者。
彼を終末の剣奪還に向かわせたとしても勝算は高くない。
「それは…………」
アルベリヒは一考した。ルトガーによる剣の奪還の可否。しかしそれはすぐに棄却される。
そもそもルトガーも“記憶持ち”だ。今でこそ自分たちに従っているが、ナギト陣営と接触させては裏切られる可能性があるため迂闊には動かせない。
ならば奪還を成せる武力はオズボーン──イシュメルガを除いて他にない。わけだが、主人をそんな小間使いのように働かせるわけにもいかず。
「いえ、諦めるのは早計かと。結社の連中や我が工房の戦力を用いれば───」
「迂闊な事はよせ」
書類に目を落としていたオズボーンがアルベリヒに忠告した。視線を上げて交わらせる。
その昏い瞳にアルベリヒはハッとした。どうして自分は対等な立場のように彼に意見ができていたのか。跪いて頭を垂れる。どうにかして言葉を紡ぐ前にオズボーンが口を開いた。
「仮にも公の立場のある私と貴様たちの関係が、万一にも露見すればすべてが破綻する。わかっているのか」
「申し訳ございません。……しかし」
「あまり煩わせるな。気をつけろと言っているのだ。………すでにこのバルフレイム宮にもあやつの手の者が入り込んでいる」
それはナギトが忍ばせた間諜だ。すでにバルフレイム宮に支える人間の大多数はオズボーン勢力に敵対していた。
「陛下の協力あってこそだろうが…………、すでに我々にとってここは敵地に等しい」
間諜とは言ってもその専門職は昨今バルフレイム宮に雇われた極一部のみ。あとは前から勤めていた者たちを抱き込んだに過ぎない。
それでも宰相という立場のオズボーンは迂闊には動けない状態になっていた。
「………ならば、皇帝を除けばいいのでは?黒キ星杯に至るためのアルノールの血には3体のスペアがあります」
「口を閉じろ。そういった発言が迂闊だと言っている」
どうにか挽回せねば、という思いが空回りする。オズボーンが視線のみで放つ圧は、アルベリヒに重くのしかかっていた。
「言われた事のみをやっていればそれでいい。………Ozの確保が難しいという話だったな」
「はい」と答えるアルベリヒ。こうして話題は原点回帰した。
「ならば、終末の剣以外のもので聖獣を弑すしかあるまい」
「しかしアレは………確実なのですか?」
「私の見立てでは、アレは女神の聖獣を害するだけの性質を持っている」
女神の聖獣を弑するための条件。人の想念を宿した武装。アルティナやミリアムといった終末の剣候補は人と交わらせる事で感情を育ててその条件を満たすつもりだった。
それがなければどれだけ強力な武装でも聖獣を弑する事は不可能。黄昏への道を切り拓く事は叶わない。
「急げ、期日までに間に合わせろ。─────“太陽の聖剣”の発掘をな」
☆★
「手紙を2つ、預かってます」
「こんにちは」と朗らかに挨拶をしたナギトは懐から手紙を取り出した。
「あなたの旧友と、弟分から」
そしてそれを、ギリアス・オズボーンに手渡す。
クロスベルでルーファスとの面会を終えたナギトはミリアムとゼネフォードを連れて帝都に来ていた。
要件を済ませる合間にオズボーンへの預かり物を渡しに来たのだ。
「テオから……?……それにジョンか……!」
オズボーンは手紙を受け取ると、差出人の名前を見て目を細めた。
宛先をギリアス・オズボーンとした手紙の差出人はテオ・シュバルツァーとジョン・ディーシー──ゼロからのものだ。
「フフ……これはまた予想外の方向だ」
オズボーンは驚愕を収めると手紙を机に置いてナギトに向き直る。ナギトは当然のように応対用のソファに腰掛けた。
仕方なく茶を用意したオズボーン。「結構なお点前で」とお決まりの文句を聞いて、言葉を投げかける。
「テオとは縁が切れたものだと思っていたが………、よもや君が紡ぎ直すとはな」
ナギトを片目を瞑ると、もう片方の黒瞳でオズボーンを覗き込む。そうしてその発言が本心である事を悟って「はあ」とため息。
「あんたら親子ってそういうとこだよな。……そんな性格じゃ生き辛いだろうに」
リィンもそうだが、オズボーンはなんでもかんでも背負い込みたがる。自分が苦しむ事で他者が楽になるならそれでいいと思っているところがある。
「それを言うなら君もではないかな……?」
オズボーンは半分呆れたような疑いの目線を向ける。ナギトはかぶりを振った。
「俺はいいの。好きでやってんだから」
だがオズボーンは違う。イシュメルガにやらされているのだ。本意ではないとしても、自ら選んだ未来だからいいのだ、と言いそうだが、ナギトに言わせればそんなものはクソッタレだ。
「それで……調子は?」
茶を啜って話題を変えた。
「ぼちぼち、と言ったところだ」
こんなものは探り合いにも勘定できない挨拶みたいなものだ。
オズボーンを友人だと言うナギトに、かつての畏れはない。それで彼の偉大さが損なわれるわけではないが、ナギトはギリアス・オズボーンを等身大の男として捉えられている。
だからと言って腹の探り合いで勝てる気はしないが、それならそうとやりようはいくらでもある。
「そちらはどうだ?」
「こっちもぼちぼちですねぇ」
はじめから決めていればいいだけだ。情報を全く開示しない、とそう心に決めていれば探り合いは不毛となる。
この場においては両者ともがそうしている。
仲良く茶を飲んでいたとしても敵同士なのだ。
ふとナギトがじっ、とオズボーンを見つめた。
「……私の顔に何かついているかね?…………リィンとはさほど似ていないだろう……?」
「顔立ちは母親似だとか。目元なんかは似てるんじゃないですか?」
思えば、体格もオズボーンほどガッチリしていない。有り体に言えばリィンは細マッチョだ。しなやかな筋肉は東方剣術と相性はいいだろう。
「無駄ナコトダ……」
オズボーンの背後に黒い靄が浮かぶ。半ば透明ながらも圧倒的な存在感を放つそれ。話に割り込んで来たのはイシュメルガの思念体だった。
「色々ト画策シテイルヨウダガ………貴様タチに勝チ目ハナイ………」
どうやらナギトの視線に気づいて姿を現したようだった。
ナギトがオズボーンを見たのは、イシュメルガとの繋がりを改めて視るためだった。
「モハヤ他ノ騎神タチモ屑鉄トハ侮ラヌ………」
オズボーンとイシュメルガの繋がりは堅固だ。斬ろうと思えば斬れるものの、騎神の加護を失うオズボーンは不死者でなくなる。死ぬのだ。彼を救いたいナギトからすれば打てぬ一手である。
「吾ガ神トナル世界ノ未来ハ絶対ダ………!」
ならば、イシュメルガの思考システムから悪意のみを切り離せるか?これも否である。思考システムそのものを騎神から切除する事はできようが、そうなると騎神は不完全となる。オズボーンが死ぬ可能性がある事からこれも却下だ。
「無駄な事だ」
ナギトは言葉を返す。
「お前は俺に諦めて欲しい。なんせもう二度も負けているからな。そのためなら言葉程度は惜しむまいよ」
イシュメルガの狙いを看破したナギト。前の世界とアーサー世界の2つでイシュメルガは敗北を経験している。そこから学びを得たイシュメルガは確かに強敵だろう。それでも勝機がないわけではない。
「次も俺が勝つ」
大胆不敵なナギトの宣言に、イシュメルガは業を煮やしたのか靄が集束して剣となった。アーサー世界でオズボーンが得物として振るっていた赤黒の終末の剣。
「ヲヲヲヲヲッ───!」
それが雄叫びと共にナギトに突撃した。着座して茶を啜る隙だらけのナギトに、その切先が───
「よせ、イシュメルガ……!」
──その切先が、届かない。
抜刀一閃。赤黒い終末の剣は真っ二つになっていた。
オズボーンの制止も聞かず行動した末路である。
「ヲヲヲッ!」
しかし、分たれた剣は再び裂帛を放つとその場で靄として拡散した。それはナギトの総身を包んで魂を黒く染め上げんとする。
「むんっ!」
が、それも失敗に終わった。黒き悪意など入り込む余地もないほどにナギトの精神は完成されていた。
弾き出されたイシュメルガはそのまま消え失せる。
「俺を従えたいなら、せめて本体が出てこい。分身程度じゃ話にならんぞ」
ナギトがこうまで容易くイシュメルガをあしらえたのは、それが分体だったからである。
「君はもはやドライケルスより獅子心なのではないかね……?」
それでもナギトの強靭な肉体と精神はオズボーンをして驚嘆の位にあった。
「さすがにそれは過大評価…という事にしておきますよ。あなたも例の件がなきゃ乗っ取りなんてされなかったでしょう」
尋常な手段ではドライケルス──オズボーンを悪意に冒せないと理解したからこそイシュメルガは事件を起こしたのだ。その事件で死に瀕したリィンを救うためにオズボーンはイシュメルガに魂を売った。
「それに多少なり警戒はしてましたからね。この状況で俺が黄昏のための“贄”になる事ほど最悪な流れはありませんから」
ナギトは太刀を納刀すると再び着席する。大帝ドライケルスの転生者であり百式軍刀術の達人であるオズボーンの目からしてもイシュメルガの剣を斬り払ったナギトの一太刀は絶賛すべきものだった。流麗にして無駄のない一閃。腕っぷしならすでに世界でも指折りだろう。それに多くの者たちを巻き込んで事態に対処する政治力や胆力も申し分ない。
「そんな目で見ても、そのつもりはありませんからね。そのためにあなたを救うんだ」
ナギトはオズボーンの視線の意図を理解したのか、そう言った。絶妙にイシュメルガにはわからないようにだ。
「そうか……伝言は受け取ってくれたようだな」
──“「全霊を尽くすがいい。さもなくば獅子座を見上げる事になるだろう」”
オズボーンが《身喰らう蛇》に残したナギト宛の伝言。その意味は、己がすべてを背負ってイシュメルガの悪意を自身諸共消え去るつもりである事を暗喩している。
つまるところ、オズボーンはナギトを後の帝国を任せるための後継者と目しているのだ。オリヴァルトやルーファスなど有望な者たちもいるが、現状ではナギトが一番となる。
しかしナギトはそんな面倒な政治などに関わりたくないためオズボーンに釘を刺したのだ。
「………ならば、再び宣言するとしよう。……我が覇道……止められるものなら止めてみるがいい。さもなくばこのギリアス・オズボーンが相克の果てにイシュメルガを“巨イナル一”とするだろう……!」
これもまた、絶妙に嘘はついていない。
世界の王になりたいイシュメルガと、それを排除したいオズボーン。騎神という力とまとめてどこかへ消え去るつもりなのだと言っているのだ。
「受けて立とう……ギリアス・オズボーン。あなたの野望を打ち砕く。俺たちは未来を手に入れる。八葉を継ぐ者として、《皇の手》として……そして何よりあなたの友人として───あなたを降し、あなたを救う」
そしてまた、ナギトも宣言する。
イシュメルガの姿を確認した事もあって目標を再認識できた。
黄昏を止める。帝国を強大なまま残す。オズボーンを倒してイシュメルガの悪意を滅ぼす。それで最後にみんなで酒を呑む──だ。
「それでは」と一礼してナギトは退室する。まだまだやる事は山積みだ。
ナギトはまずバルフレイム宮に来た目的、皇帝ユーゲントへの中間報告を行った。