「ラウラは魅せてくれたぞ。俺の予想を超える力を。……お前らはそれに続けるか?」
七曜暦1206年、6月下旬。
Ⅶ組に与えられた試練。ナギト・ウィル・カーファイとの一戦。
総勢17名で挑んだこの一戦、10分と経たない内に三分の一が失神させられた。
今はリタイアしたラウラが痛手を与えたものの、それは“生死流転・剣全一如”なる剣技でなかった事にされた。
「つかクロウ、お前はそろそろ本気だせ」
皆が距離を測っている間に、ナギトはひとつため息をしてクロウに水を向ける。
「…………ま、仕方ねーか」
どう言い訳しても丸め込まれるとわかったクロウは嘆息してから蒼き闘気を爆発させた。
“デスティニーブルー”。本来、騎神とより深く繋がった不死者のみに与えられる機能。騎神の力を生身で発揮する絶招。
不死者ではないクロウは、それを不完全ながらもものにしていた。
リィンの“神気合一”、ラウラの“洸天剣翼”に勝るとも劣らぬ強化倍率。
今のナギトであっても最大級の警戒が不可欠。人の身で騎神の力を発揮するとはそういう事なのだ。
「他はどうだ?武人ならざる者も奥の手はあるだろう?」
ナギトは期待の眼差しを向ける。これまで演習や指導を通して成長したⅦ組。彼らの力は以前とは比較にならず、各々が自己を高める術を持っていた。
それに加えてエマとミュゼによるアーツで多重のバフがかけられていた。
ナギトがそれを待っていたのは、彼らの真の実力を見たいのもあるが、それ以上にラウラとの対決で削られた体力を戻すためだ。
息を整えたナギトは「それでいい」と大物ぶって再び剣を構えた。
数多の強化がかかっているとは言え、“無縫真気統一”状態のナギトとやり合える可能性があるとすれば、それはリィンとクロウだけだ。ガイウスも常に聖痕を発動できればそこに参戦できるが、それをするには未だ修行不足だった。
旧Ⅶ組の面々は経験値でナギトに迫り、新Ⅶ組は気概でナギトを追うが、それはすぐに肉体の性能に反映されるわけではない。
回復やサポート、囮や助攻、できる事は多い。
やるべき事は定まっている。第二ラウンドの幕開けだ。
「まず………これはどうだ?」
嵐の暴威が顕現した。ナギトは呼吸を整えると同時にこの戦技の準備をしていた。
“狂嵐怒涛・雷影後哭”───ナギトが八葉刀神流と呼ぶ己が剣技の集大成。そのひとつ。
渦巻く螺旋と轟く雷鳴、吹き荒ぶ風。それらは嵐という形で表現された。
たとえ達人であっても絡め取り撃滅せしめる絶技。
「嵐が巨大化する前に───クロウ!」
「ああ、叩くぞ───リィン!」
だが、今この状況ならば弱点はある。
ナギトの手練手管はもはや割れている。徹底的に勝利に固執しても、どこか残る甘さ。常に相手を試すような趣味の悪さ。
この“狂嵐怒涛・雷影後哭”はそれが表出したものだ。
ナギトは回復と同時にこれの準備をした。しかしそれはⅦ組にバレないように細やかなものだ。つまり初期出力は低い。それをいきなり出す事で相手に衝撃を与えて最大出力まで持っていく腹だったのだ。
それを見抜かれて、ナギトは嗤う。確かにリィンとクロウの合技ならば、この初期段階の嵐を消し去れるだろう。
しかしそう容易にやらせるわけが───
「聖痕よ───!」
ナギトが2人の迎撃に太刀を持ち上げたのと同時。再度、空から巨大な槍が降り注いだ。ガイウスの“吼天鳳翼衝”だ。
ついさっき撃ったはずのSクラフト。未だ慣れぬはずの聖痕で、ほとんど連続と言っていい解放は埒外の出来事だった。
ガイウスにそれを可能とさせたのは“黄金吼”。
ナギトは選択を迫られる。リィンとクロウの合技か、ガイウスの奥義か。どちらを止めるか。
どちらも、だ。
まずガイウスの槍を斬り消し、返す刀で2人を止める。そう決めたナギトは天墜槍を一閃した。次いで2人を薙ぎ払おうとして、妨害される。
アリサ、フィー、ユウナによる遠距離攻撃。わずかに遅れてエマの魔法とミュゼのアーツが炸裂した。そのいずれもがナギトにダメージを与えるどころか返報されてユウナの意識を刈り取った。
だが、ナギトの足止めは成功している。リィンとクロウの合わせ技によって“狂嵐怒涛・雷影後哭”はかき消された。
────だけではない。
「──惚れるねえ」
「おおおおおぉぉっ!!」
ガイウスが吼えた。“黄金吼”。すでに焼きついたはずの聖痕の力を引き出す。惚れ惚れするような意地だ。
ガイウスは顕現した大槍でナギトを薙いだ。さすがの大物相手に今度は受け流せずにナギトは吹き飛ぶ。
石柱群からナギトが弾き飛ばされた。そこに追撃する2つの影。リィンとクロウだ。
「蒼覇───」
クロウのダブルセイバーが暗黒の闘気を纏う。
「十文字───」
リィンの太刀が灰色の焔を纏う。
2人はありったけを込めて駆ける。
「───連斬!」
駆ける。駆ける。駆け続ける。
幾重にも繰り返されるX字の合技。それはナギトの螺旋で絡め取れる力・速度・鋭さを超えていた。
斬撃の合間に体勢を立て直そうとしたナギトに横槍が入る。石柱群を飛び出したフィーとクルトだ。
「──リーサルクルセイド!」
「──奥義・天眼無双!」
さすがにまずいと思ったナギトは出し渋らない事にした。
「生死流転────」
クルトのSクラフト“天眼無双”をエネルギーとして太刀に充填。その半分を使ってフィーの“リーサルクルセイド”を減衰させるフィールドを展開。
「───剣全一如」
しかしフィールドを貫通してくる銃撃にナギトは晒された。威力は半減しているとは言えなかなか痛い。
「破空 : 突!」
残ったエネルギーで指向性を絞った“破空”。それをクロウに差し向けて連携を崩す。
クロウの追従を失ったリィンはリスクを鑑みて突撃から剣撃に切り替えた。
空中で刃音が響く。鋼のぶつかり合う太刀の声。およそ十合切り結び、鍔迫り合う。
ナギトの手がリィンの太刀に伸びた。柄を握る。無刀取り、ではないがリィンの得物を奪う気だった。
「甘い!」
だが、それは舐め過ぎというもの。
すでに剣聖半歩手前のリィンにそんな事は通じない。ナギトは失策の痛手を負う事となった。
左の肩口から肘にかけて裂傷が刻み込まれる。
続く剣舞を厭ってナギトは力強くリィンを弾き飛ばした。
危なげなく着地する両者だったが、ナギトはそこを狙われている。クロウの“クリミナルエッジ”。円を描くダブルセイバーだったが。
ピッ、と飛んできた赤い雫にクロウの視界が奪われた。ナギトは己の出血を投じて目潰しとしたのだ。
クロウの振るう刃に翳りが生じ、ナギトは三度“生死流転・剣全一如”。クロウの意識と力を奪い、己が傷を癒した。
少し遅れてエマの転移によって付近に現れる残されたメンバー。死力を振り絞ったガイウスはすでに脱落している。
ここまでで新旧Ⅶ組の半数弱がリタイアしている。それなのにナギトに傷はない。痛打を与えたものの、すぐに再生されてしまっている。
打つ手があるのか。そういった思考の鎖がⅦ組を囚える事はない。数々の試練を乗り越えたⅦ組は百折不撓の精神を獲得していた。
「良い目だ。が……実際どうだ?まだ勝ち目があると思ってる……?」
にやつくナギトの口撃。Ⅶ組の意志を挫くための。
しかしそれは彼らをさらに昂らせるための起爆剤となった。
「あるさ」と言ったのはリィン。戦術リンクによってメンバーたちの動きを把握しているリィンは勝ちの目が残されている事をわかっていた。
「ほう」と眉尻を上げたナギトの期待に応えるようにそれは展開された。
「パレス・オブ・エレギオン!」
幻想の城郭が出現する。エマのSクラフトは本来、味方を守るための城壁だ。しかし今はリィンとナギトのみを内部に発動している。
「まさか───、逆展開か!?」
ナギトを内部に残す意味。それはパレス・オブ・エレギオンの効果の反転だ。内側から外側にかけての衝撃を逸らすものであるというナギトの考察は、しかしまだ甘い。
「いいえ。両相展開です」
端的に言ったエマの卓越にナギトは心中で快哉した。
つまりこの結界は外から内への攻撃を通しつつ、内部のリィンには守護を与えてナギトの攻撃を弾き返すもの。
ナギトであれば反射の効果を無視してパレス・オブ・エレギオンを斬る事も可能だが───
「追加だ、パイセン!」
アッシュの仕込みハルバードが結界の内壁を囲むように渦巻いた。高速回転するヘッド部分は触れれば裂ける牙であった。
ナギトと言えどリィンをいなしつつアッシュの武器とエマの結界を斬り消すのは容易ではない。
「かか、チェーンデスマッチみたいだな」
しかも外から内への攻撃を通すとなればその他のメンバーのクラフトやアーツもナギトを妨害するだろう。中々に良くできた代物だ。
「──鬼気解放」
ナギトの軽口への返答に、リィンが“贄”の力を全開にした。
これまでの“神気合一”は実戦用に制限時間を伸ばす代わりに出力を下げたもの。しかしこの段に至って出し惜しみはしない。
「──鬼疾風」
《風の剣聖》に迫るスピード。“贄”の力、仲間からのバフ。この一戦に懸ける想いが、リィンをそこに連れていく。
だが、ナギトもまた速度においてはアリオスに勝るとも劣らない。
風切音と雷鳴が結界の中で連続する。2人の姿を視認できる者はいなかった。
しかし、やはりここでも戦術リンクが活きる。Ⅶ組メンバーはリィンとのリンクを通してナギトの次のアクションを読みつつあった。
「ここ───!」
いち早く仕掛けたのはクルトだった。戦闘開始から積極的に攻めに参加し、それでもまだ倒されていない。前に少し指導したのが効いたのか、他のメンバーよりナギトの動きに敏感だ。
クルトの双剣から放たれたのは黒と白の波動“相剋剣”。ナギトが避ける方向を読んだクルトのアシストだ。
それはほんの僅かにナギトの意識を逸らすための一撃。クルトもSクラフトを使ったばかりで気力の消耗が激しかった。
ナギトは肉薄した“相剋剣”を蹴り潰した。ダメージはあるが、無視せねばリィンへの対処は不可能だった。
だが、戦術リンクで繋がっていたリィンはクルトのアシストを見逃さない。ナギトの意識が己から逸れた一瞬で、三体の分け身と共に太刀風を鳴らした。
「七ノ太刀、刻葉!」
斬撃の嵐が炸裂する。ナギトは嵐を螺旋で巻き上げつつ思考する。ここで“刻葉”?もっと上位のクラフトを使えたはずだ。ならばこれは次のための助走に過ぎない。
斬撃の嵐がほどける。リィンの狙いが不透明な事から、多少無理に切り上げたナギトにはダメージが蓄積されている。
ナギトを視認したリィンは跳躍した。太刀には蒼焔が集束している。その刃の一筋のみに。次いでナギトは周囲からの熱を感知した。
結界の内壁を電鋸よろしく回転していたアッシュのハルバードヘッドと鎖にも蒼焔が纏化されている。
しかもそれが収縮を始めていて地上のバトルフィールドを狭めてきていた。
「小癪」
ナギトはにやつく。考えられた作戦だ。土壇場で口頭での伝達もなかろうに、互いの意思を疎通する絆の力。戦術リンクの助けもあれど、己をここまで追い詰めるⅦ組の総力に。
ナギトはここで、ひとつ腹を決める。
「不細工にいこうか!」
“雷神烈破”。瞬時に得物に充填された闘気は雷撃に変じてリィンに殺到した。
リィンは蒼焔を宿す太刀にてそれを一閃。雷撃を斬り散らす。
落下するリィンの目は捉えた。砕いた雷撃がナギトの太刀に集束するのを。
「雷神轟破!」
二撃目の雷撃は先ほどのものより規模も破壊力も上だ。ナギトの闘気の扱いの巧さが顕著に現れている。己の最大火力と外付けの火力を足したのが“雷神轟破”だ。
しかし指向性の収束にまで意識が向かなかったのか、ナギトの放った雷撃は結界の隅々にまで散っている。まだぎりぎり斬れる範疇だ。
リィンは太刀を再度一振り。迫る雷撃を斬り払った。それにより散った雷が、またしてもナギトの太刀に集束していく。繰り返すつもりなのだ。
「───!?」
それだけでないのをリィンは見た。
“雷神轟破”は結界を埋め尽くす雷撃であった。それによりアッシュの武器に纏われた蒼焔はかき消され、結界の作用によって雷撃はナギトに弾き返される。
散った雷、弾き返された雷。それをナギトは一刀に込めている。これはただの繰り返しではない。続けるたびに威力を上げるナギトの自傷覚悟のSクラフトだ。
「雷神滅破───!」
エマのパレス・オブ・エレギオンがなければノルドの高原には大きなクレーターができていたであろう一撃だった。
リィンも本当の意味での奥の手を出さなければ死を覚悟するほどの。
刃を染めあげていた蒼焔の色が変わる。
「刻焔纏刃───!」
それこそはナギトが見出したリィンの特異性。
《時の至宝》と《焔の至宝》の後継たるリィンのその兆し、その残滓。
黒き焔が。あらゆるものを瞬時に焼き尽くす刻の焔が。
刃が衝突した。拮抗はなかった。
ナギトの太刀“明星村正”は“八葉一閃”を土台にした“生死流転・剣全一如”で迎え撃っている。
リィンの刻焔も太刀も斬り飛ばした。
しかしリィンの刻焔もまたその性質を持ってナギトの太刀を灰へと変えた。
すでに両者の得物は半ばから折れた状態だ。しかも2人ともが雷撃に灼かれてもいる。リィンの刻焔は“雷神滅破”を燃え散らしたが、それは己に向かう致命的なものだけ。身体には重大なダメージが与えられている。ナギトもまた己の戦技が結界に弾き返された事によって損害を被っていた。
闘志は萎びず。視線は交錯する。
着地したリィンの身体が沈む。地を這うような鋭い一閃を狙っている。その背に刻焔の球体を背負う二段構えだ。
だが、それは悪手だ。
ナギトは折れた太刀を上段に構える。振り下ろす一刀で、リィンも刻焔もひとまとめに斬る。
「光の翼───!?」
折れた太刀を“光の翼”で補う瞬時の判断。太刀の刃圏は一時的に元のそれより拡張されている。
「俺はアルゼイドの婿だぜ?」
リィンの計算外をナギトは勝利の確信を持って───。
「収縮せよ、我が幻想の城!」
だが。ここで更なる奥の手をⅦ組は出した。
エマの詠唱はバトルフィールドとなっていたパレス・オブ・エレギオンを縮小させるものだった。
それは瞬時に縮まって太刀を上段に振り上げたナギトを拘束した。
「オマケだ!」
ついでに戦場を回っていたアッシュのハルバードヘッドもまた円を縮小して太刀を振り上げたナギトの腕を拘束する。
この程度の拘束なら、一息でちぎれる。ナギトは絶技にて吸収した刻焔のエネルギーを身体の強化と回復に回そうとして、肩口を貫かれたのを理解した。
白銀の刃がナギトの右肩を穿っている。
“生死流転・剣全一如”で吸収したエネルギー。特に回復に回したそれが役目を放棄したかの如く力が抜けた。
「貴様も知っているだろう。我が祖先はこの姉妹剣をもって不死の王を討伐した」
「聖剣エルヴァース───ユーシス……!」
それはアルバレア家に伝わる聖剣の一振り。
ナギトを貫いている剣は、かつて不死王とされた魔物を倒した得物だ。
「剣の性質───伝承攻性か………!?」
「エルヴァースは不死の者からその不死性を奪うのだろう………この場合は治癒の阻害と言った方が正しいだろうがな」
ユーシスの言う通りに、ナギトの治癒は妨害されていた。
すでに眼前ではリィンが折れた太刀を突きつけていて、身体はエマの結界によって動けず、武器を振るう腕もまたアッシュにより拘束されている。
「詰み、だな」
リィンは言った。誰がどう見てもナギトに反撃の目はなかった。実際これまでのナギトであればここで勝利を譲り渡していただろう。
しかし、この場でのナギトの仕事はまだ残っていた。
「…いやぁ……まだ王手くらいじゃないか………?」
リィンはナギトのことを良く知っている。共に歩む仲間として。切磋琢磨する義兄弟として。憧憬を抱く八葉の剣士として。
この試練において、ナギトは暴君の如き剣士として振る舞った。Ⅶ組にとって埒外の強さを見せつけた。リィンは憧れを深めた。
だから、警戒心は上限を叩いていて。だから、見誤る。
「みんな離れろ!」
ナギトの奥の手がまだあると。それは正しい。しかし刻焔を突きつけて脅せばナギトは敗北を認めていた。
リィンが距離を取る選択をすることまでナギトの手の内───だったわけではないが。
「
☆★
そこからはまさに。まさに蹂躙であった。
何をされているのかわからない。ひとりずつ、あるいは複数人まとめて意識を奪われて戦線離脱していく。
リィンもまた不可視の圧力に殴られて膝をついた。
「──────」
ナギトの雰囲気は此度の高原で初めて会った時と同じものになっていた。
これが何なのかリィンには理解できない。まるで空間を制圧しているかのような感じだ。
ナギトの傷はいつの間にか癒えている。エルヴァースは引き抜かれ、エマの城砦もアッシュの鎖による縛もすり抜けて、ナギトはそこに立っている。
「お前を残した理由はわかるな?」
雰囲気が元に戻る。希薄だった存在感が息を吹き返して、そこにナギトがいるのだと主張する。
同時にリィンを押さえつける圧力も消えた。しかし、受けたダメージまで回復するわけではない。
折れた太刀を杖に呼吸を整えるリィン。ナギトと視線が交わって、彼の言いたい事を理解した。
「俺が………俺だけが、置いていかれている」
「……ちょいニュアンスは違うが、まあそうだ」
ナギトはリィンの苦悩を肯定した。
Ⅶ組のメンバーはすでにアーサー世界で決戦に臨んだ時のレベルになっている。
リィンだけが違った。あの時すでに《剣聖》になっていたリィンだが、この世界においてリィンは未だ壁を乗り越えられていない。
「俺はこれまで……お前に剣を教えることはしなかったな?」
「ああ。……ナギトはあくまで師兄………その一線だけは守ってくれていた」
立ち上がる。“贄”の力も至宝の力もすでに失せて、膝が震えている。それでもリィンは立った。
「老師から預かったよ。託された。お前が剣聖に至る試練に臨む資格を」
ナギトは懐から巻物を取り出した。リィンはそれに見覚えがあった。アーサー世界で剣聖となるリィンに試練として立ち塞がったカシウスが持っていたものだ。
つまりそれは、老師ユンの代理の証である。
「これより老師ユン・カーファイに代わり、ナギト・ウィル・カーファイがリィン・シュバルツァーを試す。剣聖に至る儀をここに始めん」
今この場で、ナギトは儀式を執り行おうとしていた。リィン・シュバルツァーが剣聖として立つか否かの儀を。
リィンは疲労困憊も良いところで、むしろ“贄”の力に飲まれなかったことを評価してもらいたいくらいだが───泣き言は言えない。
「ナイトハルト教官の水練の授業を思い出せよな。………もうすっかり肩の力も抜けただろ?」
堅苦しい雰囲気を脱ぎ捨ててナギトは笑って見せる。トールズ一年次の水練の授業にて限界までいじめられたⅦ組は逆にタイムを縮めたが、今のこれとは状況が違い過ぎた。
そんな的外れにリィンは失笑し、その笑ったぶんだけ力が湧いた気がした。
「いくぞリィン。────我は彼」
ナギトもゆるりと笑い、太刀を下段に構えた。いつものリィンと同じ構えだ。ナギトはリィンの影に成り切るつもりだった。
リィンもまた震える膝を叱咤して太刀を構え直す。
「───彼は我」
瞑目。
迷いも焦燥も、努めて無視する。
やがて心が凪いで。それからリィンは開眼した。
眼前にあったのはノルドの高原ではなく真白な心象の世界。そこにはリィンが最も恐れる己が立っている。“贄”の力に飲まれた自分。白銀の頭髪は鬼角のように、狂気の金瞳は血を求めているようだ。
「───参る!」
ナギトは師の教えを想起した。痛いのも怖いのも我慢して、どれだけ遠い道のりでも諦めず、未来に向けて歩む。数多の縁を紡ぎ、数多の絆に生かされて。自他を活かす活人剣を。
克己の精神は疲労を忘れさせた。
リィンはもうひとりの己と剣を交える。
交えて、交えて、交えて。相手は自分だ。いくらやっても決着はつかない。
克己では足りない。今までの自分を超克する必要がある。
リィンは唱える。
「我は彼、彼は我────」
するともうひとりの自分も鏡のように同じ文句を唱えた。
「我は彼。彼は我」
超える。“贄”としての己を。リィンの決意は新たな境地を─────
「されど────」
「そして」
─────?
もうひとりの己は、鏡としての己は言葉を続けていた。
“そして”とは。それは、先の言葉に続くものだ。否定の逆だ。肯定だ。
「ふ」とリィンは微笑った。もうひとりの自分にナギトが透けて見えた。その意図を理解した。なんとも甘く、厳しい師兄だ。
それはナギトが師弟に期待する境地。
それはいずれリィン・シュバルツァーが辿り着く境地。
「我は彼。彼は我。そして─────」
リィンは唱える。続けた。
「そして…………汝もまた我が内に在るならば────!」
それは、リィン・シュバルツァーという存在の全肯定。
これまでの自分を。今の自分を。これからの自分を。認める。
己の強さも弱さも認めて。己の内に在る全てがリィン・シュバルツァーを構成する要素だと肯定する。
それはもちろん、“贄”としての己もだ。
「─────冥我神気合一!」
「冥技──────刻焔無仭剣!」
☆★
リィンは己を超克した。自己の全てを肯定した。“贄”としての自分さえも。飲み込んで力として昇華させた。
リィン・シュバルツァーはここに《剣聖》となった。
「良いものを見させていただきました」
気絶しているⅦ組に代わり、それを見届けたのはリアンヌ・サンドロットだった。《鉄機隊》の三人娘もいる。
「……いえ、俺なんかまだまだです。ナギトや……貴女にだって敵う気はしません」
「当然ですわ」とデュバリィは胸を張っている。敬愛するリアンヌが持ち上げられた事に鼻高々と言った様子である。
「……ですが、俺はここからです。いずれは自分の剣を極めてみせます」
生意気にも言い切ったリィンにデュバリィは憤慨しつつも張り切っている。
「剣に限らず…武の道は広大無辺────。ただひとつを極めることすら困難でしょう。しかし、その領域に至ったあなたならできるはずです。………今はただ祝福を。新たな《剣聖》の誕生を祝わせていただきます」
「リアンヌさん…………ありがとうございます」
アーサー世界においてもリアンヌはリィンが《剣聖》に至る様を見ていた。間近にいたⅦ組と違って遠目にだが。それでもこの世界で再びこの光景を見られたのは幸運と言うしかない。
幼少の頃から知っていた少年が立派になったのだから、リアンヌの感慨もひとしおである。
「俺からも、改めておめでとう…リィン」
「ナギト………ありがとう。…………ある意味で君のおかげかもな。俺が……俺自身を認めることができたのは」
「かか。高望みかとも思ったけどな。……めっきり姿を見せねえジジイの代わりをやった甲斐があるってもんだ」
老師ユンを悪し様に言うナギトにリィンは苦笑した。会えないのはタイミングが悪いだけ──と思っていたが、どうやら避けられていたようだと今ならわかる。
「老師はナギトに託してたんだろう。自分の代理を十全以上にこなせる人物と見込んで」
「んなこたわかってる。けどな、弟子の巣立ちを見送るのは師匠の役目だろ。今度会ったら文句言ってやれ」
リィンの老師へのフォローをばっさりと切り捨てるナギトに再度苦笑。確かにナギトの言い分も正しいが、おそらくユンの見立てはそれ以上だ。リィンの兄弟子として、兄弟分として隣に立ってきたナギトが相手役を務めたからこその結果だ。
完全な影ではなかったナギトだったからこそ、リィンは己の全てを肯定する冥我の境地に至れたのだ。
「フフ………、それでは私たちはこれで失礼します」
仲の良い義兄弟の言い合いを微笑ましげに見届けたリアンヌは別れを切り出した。
「……今回はありがとうございました。ここまで付き合ってもらって………」
「構いません。私もあなたに協力すると言った身です。可能な限り要請には応えましょう。………それに、あちらも終わったようですしね」
リアンヌは遠く北の空を見つめた。
もはやナギトの気配感知の範囲よりも遠いが、それは本校に与えた試練の事を言っていた。
「………本校の相手は誰だったんだ?」
それを察したリィンはナギトに問う。演習の締め括りとして立ち塞がる達人──分校はリアンヌがそうだったが。
「お義父さん───アルゼイド子爵閣下だよ」
「それは────。俺たちはⅦ組全員だからなんとか突破できたけど………本校の選抜メンバーだけじゃ厳しい相手なんじゃないか……?」
「だろうよ。難易度的には本校と分校に差はないとは思うが。…………ま、なんにせよ塩を贈るのはここまでかな」
「ずいぶんとセドリック皇太子に期待しているようですね?」
笑みながら、リアンヌはナギトに言葉を向ける。
「そりゃあね。俺とオズボーンを超えると言ったんだ。期待したくもなる」
仲間内にはすでにセドリックが第三勢力として立ち上がった事を言っている。
「だからこそ全力で迎え撃つし、全力で仕掛ける。……が、今のままじゃ何もかもが足りない。今回の演習を乗り越えてさえ不足感は否めない。………彼が俺たちに割り込む余地の有無は置いといて。これは次代への投資でもある」
ナギトはそれを問いへの答えとした。
ナギトはセドリックが間に合わないと踏んでいる。セドリックも決戦に向けて色々と画策しているようだが、ナギトとオズボーンの間に割り込むには知恵も力も足りない。だからこれは、次代の皇帝たるセドリックへの先行投資なのだと。
セドリックもまた己の不足を感じてナギトの誘いに応じて演習に参加していた。
決戦の場に至る資格を得るには急激なレベルアップが不可欠だからだ。だから領邦軍の大規模演習で民衆に蓄積した不満を解消するために声明を出したりもした。
「ふむ……私も同じ見立てですが…………、どうか油断はせぬよう。足元ほど視界に入らぬものです」
「忠告感謝します」とナギトが言うとリアンヌは頷いてデュバリィらと共に退散した。
それからしばらく、無言のまま高原の風に身を任せたいた。
戦いで火照った身体を心地好く冷ましてくれるノルドの風は、なるほど気風の良いガイウスの故郷だと思わせてくれた。
はた、と疑問を覚えたリィンはナギトに問いかけた。
「そういえば………ナギト、老師に会ったのか?」
それはナギトがリィンの奥伝の試しを引き受けるに当たり、その委任状とも言える巻物を待っていたから出た疑問だった。
「いんや。俺の友達経由で送ってもらっただけ。あのジジイは俺も避けててなー」
愚痴っぽくナギトは言った。
「友達?」とリィンが聞き返すと、ナギトは自慢げにニヤリ。
「リヴァル・アルヴァンスってやつ」
「どこかで聞いた名前だな………《皇の手》の第四指だったか?」
「ああ。しごできなやつだよ」
リヴァルは世界各国を結びつけるために動いてもらった後にユンを捜してもらった。ダメ元だったが見つけられたためナギトも驚きだった。
リヴァルが優秀なのもあるだろうが、ユンもある意味で便宜を図ったのだろう。
「あーっと………忘れない内に。リィン、太刀抜け」
ナギトは思い出したように言った。
リィンは不思議に思いつつも鞘から太刀を引き抜いた。
先の戦闘で折れてしまった愛用の剣。思い出の得物ともお別れだ。
「───ほい」
ナギトが指先を向けると、太刀は瞬きの間に元通りになっていた。
「これは……ッ!?」
次いでナギトは自分の太刀も修復する。こちらもまたリィンの刻焔によって半分以上が灰になっていたものだ。
「“特異点”の力、なのか……?」
こんな無法を、リィンは他に知らない。だが、それは失われたはず────
「そだな。この程度なら爪の先くらいの消費になるかな」
「……いや、そうじゃなくて。その力、無くしたってリアンヌさんが言ってたんだけど───」
「んー?そら勘違いだな。………まあ、無くしたものはあるが」
ナギトはリアンヌの見立てを勘違いだとばっさり切り捨てた。確かに思い返してみれば、彼女も断言しているわけではなかった。
「勘違いって………。いや、それより無くしたものだって……!?」
「これはお前らには関係のない話だ。この別れは俺だけのものだ。お前たちに立ち入らせるつもりはない」
問い詰める語気のリィンを、さらに強い語気でもってねじ伏せる。その断言に尻込みしたわけではないが、リィンは引き下がる事にした。
「ナギト、今日…この後は?」
話題を変えたリィン。その視線が告げる望みはナギトも理解している。
「予定はなし。今日くらいは付き合うさ。ノルドの集落にも改めて礼を言わんとならんしな」
ノルド高原は本来、帝国の領土ではない。そんな場所で小規模ながら演習を行なったのだから、そこに住まう者たちへの感謝は不可欠だった。
元から根回しはしていたが、終わった後に礼をするのも当然だと、これはそういった言及であった。
それから2人は仲間たちが意識を取り戻すのを待ってノルドの集落に向かった。本校の生徒らも演習のカリキュラムが終わり合流。
その日のノルドの夜は祭りの如く騒がしく過ぎていくのだった。