6月中旬。領邦会議と時を同じくして、帝都ヘイムダルでは市民にとあるものが無償配布された。
戦術オーブメントARCUS Ⅱである。
昨今凶暴化する魔獣に市民が自衛の手段を得られるように───という理由だった。
しかも配布されたARCUS Ⅱは通信範囲の拡大化と、それに伴って戦術リンクの範囲を拡張している。外出している家族の安全をリアルタイムで確かめられるというわけだ。
今は試験的なもので帝都市民の約半数、40万人強に与えられたが、ゆくゆくは全帝国市民に配布されるとのこと。国家予算が動く話である。
これを主導したのは帝国政府、ギリアス・オズボーンであった。
☆★
時は少し遡り────
「───そうか。やはり不可能だったか」
バルフレイム宮、宰相執務室にてオズボーンは《黒のアルベリヒ》から報告を受けていた。
執務室でアルベリヒと会話すること自体が今やリスキーだったが、通信を傍受されるよりは遥かにマシだ。
そういった理由でアルベリヒからの報告は毎回口頭で行われていた。
「はい。かの者の姉──オーレリア・ルグィンの細胞を用いた実験でも適合率は規定値を突破せず───。あるいは、いちから培養できれば結果は異なるかもしれませんが………。いや、おそらく問題の本質はそこではない。アレの資格は肉体の性能や血縁ではなく……むしろ精神面を試しているフシさえある……。強靭な精神ならば良いという話ではなく────」
「だからこそのサブプランだ」
オズボーンに話していたつもりが、つい研究畑の人間として仮説を立てるのに夢中になったアルベリヒ。オズボーンが話を乗っ取って進める。
「失礼いたしました。──ええ、しかし考えたものですな。我々に資格者がいなければ、他所からもってくればいい…とは」
「間に合ったのも奇蹟的だがな。…‥40万人もいれば、さすがにひとりくらいは適合する者もいよう」
「RFへの協力要請……この肉体が役に立ちましたな。一個師団分の生産ラインを代用してはしまいましたが」
「黄昏が始まれば再稼働させるのに問題はなかろう。………始まれば、の話だがな」
「よほどあの者を警戒されているようですな」
オズボーン陣営にとって最大の敵はナギトであった。皇帝に取り入って権力を得てからは黄昏に至る道筋を丁寧に潰していっている。
ただの知者なら暗殺して終わりだが、類稀なる武勇も誇るのだから厄介この上ない。
「私見を述べても?」と確認を取ってからアルベリヒは室内を歩きつつ語り始めた。
「ナギト・カーファイ───あの者が我々の障害となっている最大の要因は、あの太刀を用いた斬撃があるからです」
「ふむ」とオズボーンは首肯する。アルベリヒの言う斬撃とは“八葉一閃”の事だ。オズボーンも完全な納得はないものの、一定の理解はできる。
「あの斬撃さえ無効化してしまえば我々の戦力で充分に対処できるものと思われます」
「ほう?あれを無効化する手段を見出したか?」
オズボーンもまた一角の武人である。百式軍刀術の達人であり、軍略にも優れていた事から宰相になる前は次期元帥の候補として名前が挙がっていたほどだ。
武を極めたわけではないため、あの一閃の真なるところはわからないものの、その脅威度は充分に理解している。アルベリヒがそれへの対抗策を得たとなれば興味深い。
「ええ。──おそらくあれは空間そのものを切断しています。次元斬とでも言いましょうか。人の身でありながら、どのようにしてそういった事を実現しているかは不明ですが………。そうとわかれば、切断された次元を接着させて元に戻せばあの斬撃は無効化したと言えるでしょう」
説明を受けたオズボーンの胸中に湧き上がったのがどういった感情なのか、アルベリヒにはわからなかった。「それで?」と促されて先を続ける。
「ARCUS Ⅱの改造と並行して裂かれた次元を融着させる技術を開発しています。完成は目前です」
そこでオズボーンは「フッ」と声を漏らした。それがやはりどういった意味を持つのかアルベリヒには理解できない。
アルベリヒはナギトと一度対峙している。
《鉄機隊》の戦乙女たちを人質に、拠点に潜入させて結社の者たちと共に迎え撃った。
ナギトの“八葉一閃”により撤退を余儀なくされたが、アルベリヒの目算では“八葉一閃”さえ取り上げてしまえば、ナギトの個人戦力は《猟兵王》で十二分に対処できるものだ。
「閣下、ご指示さえあれば私の指揮の下であの者を無力化してご覧にいれましょう。さすれば黄昏を始めるための障害はなくなるも同然です」
オズボーンは数瞬思考して、それから「いいだろう」と腕組みをした。
「ただし、時期を見計らう事だ。あの者は近頃、単独で行動する事が少ないようだからな」
「Oz-73でしたか。常に行動を共にしているのは。……ふむ、あの程度であればさしたる問題はないかと。むしろ“終末の剣”を手に入れる好機とも言えましょう」
「ミリアムだけではない。トールズ関係者や《アナザーフォース》の者たちもいよう」
「ええ、承知しております。……しかし事が上手く運べば“太陽の聖剣”を用いたサブプランではなく“終末の剣”で聖獣を弑すメインプランに戻れる可能性も………」
オズボーン陣営はすでに“太陽の聖剣”を確保している。
確証こそないものの、聖剣であれば堕ちた女神の聖獣を弑する事も可能だろう。しかし“終末の剣”であれば聖獣を弑す確証がある。メインプランを走らせたいのは当然の話であった。
「わかっている。……だから時期を見て実行しろと言っているのだ」
「これは失礼いたしました。──すべてはイシュメルガ様のために」
アルベリヒは恭しくこうべを垂れた。
☆★
「ふむ、特に異常はなかったと」
「ええ、このARCUSには特に変な仕掛けは施されていませんでした」
オズボーンの政策によって突如として帝都市民に配給された新型のARCUS Ⅱ。ナギトは技術と魔法の二面から調査してもらっていた。
まずはラインフォルトに調べてもらった。正規の発注により生産されたものだとわかった。仕様によって従来のARCUS Ⅱよりやや大きく作ったらしい。大きくしたサイズによって空いたスペースに生産時にはなかった回路が後付けされている事がわかった。
これは導力通信の範囲を拡大するものと判明した。
エマたち魔女にも調査してもらったが、こちらは空振り。市民に配布された新しいARCUS Ⅱからはいかなる神秘も感じられない、と。
現状わかった範囲ではこのARCUS Ⅱに怪しいところはない。
政策で言っている通り、リンクで繋がった相手の安全を常に把握できる範囲と導力通信の範囲が拡大されただけの代物となる。
「どう思いますか、ナギトさん?」
ナギトに問いかけたのはエマだった。ノルド高原でのⅦ組の試練の後、ナギトはエリンの里に来ていた。もちろんミリアムも伴っている。諸々の話を聞くためだ。
用意された一室で、テーブルを挟んでナギトとエマは向かい合っている。テーブルには例のARCUS Ⅱが置いてあった。
「うーーーーん……………わからん!」
ナギトは腕組みして散々呻いた挙句、何もわからない事を明かした。
「いや、ぜえーったい裏があると思うんだけどなぁ……」
なおも「むむむ」と眉間に皺を寄せるナギトにエマは嘆息した。
このARCUS Ⅱそのものには特別な仕掛けはない。それが判明した程度でどんな裏が潜んでいるのかわかるはずがない。
「………もしかして、端末か……?」
ナギトの脳裏に浮かんだのは“ゴスペル”だ。
《七の至宝》のひとつ、空の至宝《輝く環》。
その端末となったのが“ゴスペル”だ。
ゴスペルそのものには特なる性質はないが、《輝く環》はゴスペルを窓として導力停止現象などを引き起こしていた。
1202年にリベールで起きた出来事だ。
「端末?」
「これそのものに大した仕掛けはなくて、大元の能力を行使するだけの窓…的な?」
「大元とはなんです?」
「わからん!…特定のアーツを使うと変な挙動するとか?」
「……はぁ。ナギトさん、それが宰相たちにとってどう有利に働くんですか」
あまりにもわからな過ぎてテキトーぶっこいたナギトにエマの諫言が刺さる。
「うっ」とダメージを受けたナギトは再び思考回路を巡らせる。
何か目的があるはずなのだ。帝都市民に戦術オーブメントをばら撒くなど、裏があるに決まっている。
表向きの理由も、まあわかる。通信網の拡大は近代化には必須だ。しかし何も戦術オーブメントである必要はないはずだ。市民の自衛力の強化にも繋がるが、その分だけ秩序が脅かされる危険もある。
「うーん、逆か………?」
「逆、とは?」
漏らしたナギトにエマが鸚鵡返しする。思考の整理を手伝ってくれているのだ。
「何も特別な仕掛けがないなら、ARCUSの通常機能を使うのが目的……?」
「ARCUS───ARCUS Ⅱの通常の機能とは、何を指しますか?」
ARCUS Ⅱに通常から備わった機能。
クォーツスロット
導力魔法
戦術リンク
ブレイブオーダー
導力通信
導力メール
写真撮影
大まかにはそんなところか。先代のARCUSと同じく開発者モードもあるそうだが、その方面にナギトは明るくない。しかしラインフォルトの調査では開発者モードにも変な仕掛けはなかったようだ。
「オーダー、か………?」
ブレイブオーダー。ナギトが至った解は、それだった。
「オーダー──ブレイブオーダーはARCUS Ⅱから備わった機能ですね。作戦指示──とは言いますが、オーダーを出す本人の思考回路の共有とも言えますね」
エマの補足は完璧にナギトが望んだものだった。
戦闘時の思考回路の共有とはつまり、戦いへの向き合い方の共有だ。戦闘思想の共有だ。
「後付けの通信拡大の回路が、深度の拡大を意味しているとすれば……」
「深度?」とエマは疑問系で尋ねた。これまでと違い、今度こそエマはナギトの思考に置いていかれている。
「そうだな……何と言うべきか………ARCUSの特徴は戦術リンク、それとⅡになって可能になったブレイブオーダーだな?」
「そうですね。戦場において常に味方の動きを把握できる戦術リンク。作戦指揮を瞬時に伝達するブレイブオーダー。この2つがARCUSの特徴です」
「深度…というのは、その機能の強化だ。例えば戦術リンクはリアルタイムで味方の動きを理解できるが……そこに思考の共有までできれば、もっとすごいと思わないか?」
「………確かに、それは革新的ですね。とすれば……それをオーダーに置き換えて考えると…………」
ハッとしたエマ。その思考はナギトに追いついた。
「戦い方の共有、戦闘思考の共有──思想の共有」
「まさか────イシュメルガの思想をARCUSを、オーダーを介して伝達……精神を汚染させる………!?」
それが、ナギトの出した答えだった。
「仮定を重ねた最悪の想像だけどな。実際別の狙いがあるかもだし───、市民からARCUSを取り上げる根拠にはならない」
オズボーンの狙いが何であれ、市民に支給されたARCUSを回収すれば、それは無為となる。
しかし回収の名目が立たない。仮説を重ねた想像…では根拠にならず、正当な理由なくば《皇の手》の権力であっても不可能だった。
「手詰まりのようじゃな。ならば今度はこっちの話を聞いてもらおうか」
そこで部屋に現れたのはローゼリア。傍らにはクロチルダと、里を見て回っていたミリアムもいる。
ナギトがエリンの里に再訪した本題が語られる事となるのだった。