トールズ士官学院第Ⅱ分校、特務科Ⅶ組。
入学して間もない彼らはHRの鐘が鳴ると途端に静かになる。チャイムを合図に静かになるのは、まだ学院に慣れていないからか、あるいは心構えによるものか。
どちらにせよ士官学院生として好ましいかは怪しいラインだ。
チャイムの終わり頃に、担任教官であるリィンがひとりの男を伴って教室に入ってきた。
黒い髪は眉にかかる程の長さで横に分け流されており、黒い瞳はどこか達観しているように感じさせる。
リィンと似通った特徴を持つ男は、しかし生徒たちにリィンとは全く違う印象を与えた。
「ごほん」とひとつ咳払いをしてリィンはにこやかに話を始めた。
「おはよう、みんな。昨夜は良く眠れたか?突然ですまないが新しい教官を紹介する。ナギト・ウィル・カーファイ教官だ。今日からこのⅦ組の副担任となる」
紹介を受けたナギトは一歩前に出て低頭し、自己紹介を始める。
「ご紹介にあずかりました、ナギト・ウィル・カーファイです。今日から皆さんの副担任となります。受け持つ授業は武術教練を半分と、他の教官が欠席された時の代理です。どうぞよろしくお願いします」
挨拶の後に再度頭を下げるナギト。昨日のナギトの様子を知っているリィンからすれば、お前誰だよ案件だが、そこは苦笑するに留め、今日の予定を生徒らに伝える。
学院生活3日目の彼らには、この第Ⅱ分校について知ってもらう事になる。学院の各施設の紹介や生徒間の交流、カリキュラムも本日発表される。言わばレクリエーションだ。
「──と言うわけで今日は、この第Ⅱについて色々と知ってもらう事になる。本格的な授業は明日からだ。……とりあえず、ナギト教官への質問タイムを設けようか」
リィンはそう言って副担任の登場に驚いていたⅦ組のメンバーに質問の機会を与える。
「はい」と挙手したのはまさしく美少年といった顔立ちのクルト・ヴァンダールだ。
よし、顔と名前が一致してるぞぅ!とナギトは心の中でガッツポーズ。残りの3人の生徒も全員わかる。その内のひとりは忘れたくても忘れられない少女なのだが。
「僕の名前はクルト・ヴァンダールです。ナギト教官、質問なのですが……なぜ人数の多いⅧ組やⅨ組ではなく、僕らⅦ組の副担任に?」
尤もな疑問だ。ナギトがⅦ組の副担任を希望しオーレリアがそれを受諾したからだが、まさかそれを言うわけにもいくまい。
「知っての通りⅧ組は戦術科、Ⅸ組は主計科と、科名からわかる通り目的がはっきりした科だ。しかし特務科Ⅶ組…科名だけじゃわからんだろう?おそらく、Ⅶ組には特務と銘打たれた様々な任務を遂行する事になるはずだ。そして、様々な任務をこなすにあたり、柔軟さが必要になる。……行ってしまえばⅦ組はⅧ組やⅨ組と比べて難しいクラスなわけだ。だから上は俺をⅦ組の副担任にしたんだろう」
「だろうって…‥推測ですか!?しかも任務っていったいどういう事ですか」
「人事権は分校長にあるからな、俺の関知する所じゃない。推測だが…まぁあながち的外れでもないと思う。任務云々の話は……Ⅶ組である時点で俺にはあるビジョンが見えてるから出たワードだ。未だ正式なカリキュラムに組まれてるわけじゃないが……どこぞに実習でも行った際に特務科ならではの授業があるんじゃないかって事だよ」
ナギトの言葉はすべて推測である。このクラスがⅦ組という事は旧Ⅶ組と同じく各地に特別実習に行くのでは、という考えだ。
とりあえず疑問が解消されたらしいクルトは渋々と着席した。
続いて挙手した、というか挙手しつつ立ち上がったのは快活そうなピンク髪の女生徒。ユウナ・クロフォードだ。
「私、ユウナ・クロフォードっていいます。クロスベル出身です。ナギト教官は武術教練の半分を受け持つって話ですけど、残りの半分は誰が受け持つんですか?」
「リィン・シュバルツァー教官だな。本当は全部リィンの担当だったんだけど、俺が半分奪った形になるな」
冗談めかしてナギトは言うが、本当の事なので実は笑えない。英雄たる《灰色の騎士》の授業を奪った事で生徒から恨まれないか今から心配だ。
「ではナギト教官は急きょこの第Ⅱに着任する事になったのでしょうか?」
会話に混ざってきたのは2人目の女生徒。アルティナ・オライオンだ。内戦時は敵になったり味方になったりと、忘れられない人物だ。
「そうだね。元々第Ⅱの教官陣に俺の名はなかった。事情があってな、昨日分校長にかけあった次第だ。アルティナ・オライオン」
アルティナは名前を呼ばれた事に反応するが、質問への回答には納得がいったようで、ユウナと共に着席した。
そして、最後のひとりが手を挙げる。
「どうぞ、アルトリス・ルグィンくん」
ナギトは彼の名を呼ぶ。新Ⅶ組の、4人目の生徒。アルトリス・ルグィンの名を。
彼はそのファミリーネームが示す通り、この第Ⅱ分校の長であるオーレリアの弟であった。佇まいからわかる実力は、それこそ数年前にナギトやラウラがトールズ本校で新入生最強なんて言われてたのが恥ずかしくなるレベル。
ゆっくりとアルトリスは立ち上がり、青ざめた顔をナギトに向けた。
「先生は……何者ですか………?」
震えた声で、そう問いかける。何者か。ナギトにとって、その質問は特別な意味を持つ。
アルトリウスは青ざめたままだ。この問いが冗談の類でない事を、その眼差しが物語っている。
動揺、恐怖、疑念。様々なものがアルトリウスの胸中に渦巻いている事をナギトは感じ取っていた。
その表情は真剣そのものだ。生徒の真剣な質問には教官として真摯に向き合いたい所だが───
アルトリウスがどういった意図でこんな質問をしているのかわからないが、少なくともこの場で答えるべきではないと判断できる。
「何者ですかーって、もうちょっと具体的な質問にればアーサー?ナギト教官が困ってるでしょ」
と、そこで困り顔を披露したナギトに助け舟を出したユウナが「こらこら」とでも言いたげに場の緊張を解きほぐした。
「そう…だね……」
アルトリウスはそれで顔を伏せたかと思うと、次に顔を上げた時には整った造形の微笑みを見せてきた。
「では改めて。アルトリウス・ルグィンです。アーサーとお呼びください。分校長オーレリアの弟です」
「よろしくアーサー」とナギトもにこやかに返すが、イケメン度合いで負けているのは明白だ。美男美女が多い第Ⅱだとは思っていたが、このクラスの男子は一際美形だ。
「質問ですが……カーファイという姓は、八葉一刀流のあのカーファイですか?」
違う、とナギトは直感する。この質問は、さっきの問いかけを具体的にしたもののように聞こえるが、違う。
アーサーはなぜかさっきの問いかけを、この質問で上書きしようとしている。これはナギトでなくても、教室の誰もが違和感を抱くに足る変化だった。
そっちがその気なら、とナギトは追及しないまま質問に答える。
「俺とユン・カーファイに血縁はないよ。ただ俺は確かにカーファイだし、八葉一刀流の使い手だ。これでいいかな?」
「はい。ありがとうございます。それでその佇まいなわけですか……納得ですよ。おかげでビビっちゃいましたけどね」
笑いながら着席するアーサー。その言葉は偽りに満ちている。そうまでして誤魔化すのは、先程の問いかけが失言であるという自覚があるからだろうか」
──アーサーはどこか異質だ。
アルトリウス・ルグィンらしくない。初対面で、らしくないというのもおかしな話だが、ナギトにはそう感じられた。
実姉オーレリア・ルグィンと身体的な類似はある。白銀の頭髪。紫紺の瞳。しかし精神的な類似性がない。貴族子息らしくない、とも違う。ゆえに異質。
こいつは、もしかすると────
その後も生徒たちとの交流は続いた。
これがナギトと新Ⅶ組の出会いの軌跡。
☆★
ナギトの朝は早い。というのも、日課の鍛錬をするためだ。校舎の屋上で瞑想を終えたナギトは登校してくる生徒たちを見てつぶやく。
「そろそろ下りるかね」
ナギトは帝都近郊にあるリーヴスという町に今年新設されたトールズ士官学院第Ⅱ分校の教官になっていた。分校長オーレリア・ルグィンに頼み込み、リィンの担任する特務科Ⅶ組の副担任として就任し今に至る。
どうしてナギトが校舎の屋上で朝の鍛錬を、しかも型稽古等ではなく瞑想をやっていたのか。
寮のトレーニングルームでは熱心な生徒が鍛錬に励み、学院内の訓練室にはオーレリアがいる。オーレリアに捕まってしまえば、学院の設備を破壊して回るような手合わせが始まる事間違いなしだ。
そしてなぜ鍛錬内容が瞑想なのかと言うと、それはナギトがオーレリアに「実力は秘せ」と命令を受けているからである。
教官としての適性を測る試験で垣間見せたナギトの力が第Ⅱ分校の秘密兵器になると思ったらしい。
というわけで、ナギトは朝から校舎の屋上で瞑想するという、傍目からすると奇怪な行動をとるようになったのだ。
朝の教官会議が終わり、受け持つ生徒たちの待つクラスに向かうナギトだが、振り返ると肝心のリィンが机から離れていない。
「すまんナギト。授業の準備が終わってないんだ。先に教室に行ってHRを始めててくれ」
「了解。できるだけ急げよ。教官が遅刻なんて示しがつかんぞ」
悪そうに言うリィンにナギトは冗談混じりに返す。ナギトは生徒たちの待つ教室にひとりで向かう。
ナギトが副担任を務めるⅦ組は少人数のクラスだ。
「うーっす」と教室に入ったナギトはそのままHRを始める。そこですかさずひとりの生徒が疑問を口にしたり
「ナギト教官、リィン教官はどうしたんですか?」
ユウナ・クロフォード。クロスベル出身であるの快活な女子。
「リィンか……あいつはアレだ。昨晩部屋に連れ込んだ女を捨てようとした挙句、刺されて治療中だ」
「また一瞬でバレるような嘘をつかないでください…」
ため息混じりにツッコミを入れたのはクルト・ヴァンダール。ヴァンダール流双剣術を操る男子だ。
「リィンなら教官室で授業の準備中。HRやっててくれ、だとさ」
「それでナギト教官が何事もなかったかのようにHRを始めたのですね。納得しました」
抑揚のない声音で納得したと言う彼女はアルティナ・オライオン。《黒兎》のコードネームを持つ
「まあ、リィン教官の甘いマスクと名声があればそうなってもおかしくない話、ですかね」
そこで口を挟んだ男は、Ⅶ組4人目の生徒アルトリウス・ルグィン。分校長オーレリアの弟だ。
「やっぱそう思うだろ?さっきの冗談が予言になるかもしれねーと思うと恐ろしいな、生徒諸君」
「なにが予言だ!生徒たちに人聞きの悪い事を吹き込むんじゃない!」
ガラガラとドアを開けて教室に入ってきたリィン。彼はやれやれとため息を漏らすと停滞していたHRを再開させた。
本日全ての授業が終了し、夕方のHRではリィンが翌日の自由行動日について説明する。
自由行動日とはその名の通り、一切の授業がなく、自由な行動が許される日だ。
しかし明日に限っては部活動を決めてもらう、という旨を語った。
第Ⅱは新設されたばかりのため部活動は本来ない予定だったが、分校長オーレリアの意向によりやることになったわけだ。ちなみに部活動で使う予算はオーレリアのポケットマネーから出る事になっている。伯爵である事に加え、元領邦軍の司令官だ、ミラはたんまりなのだろうが、それにしても太っ腹な話である。
それから部活動を明日中に決められない生徒は生徒会に強制参加となり学院に奉仕する事になっている。
そうした連絡事項を伝え終わりHRは終了、放課後となる。
その後、教官室での教官たちの話し合いも終わり、今日のお仕事も終了だ。
機甲兵教練に加え、教官たちにすら知らされていない新たなカリキュラムに「きな臭くて早めに戦線離脱したくなる」という冗談を言い残してランディは退散する。
「やはりまだ壁を感じる」と言うリィンにトワは「気さくだし話しやすい」と語る。壁があるのは確かだが、ランディの元々の人の良さがそれを緩和しているのだろうとナギトは見ていた。
それにリィンは昨年の任務でランディの仲間に敵対した事もあり、そういう意味でもやはり壁はあるのだろう、と残念そうに目を伏せた。
「そんな狭量な男じゃないだろ、あいつは。たぶん意固地になってるだけだ」
気遣うように、ではなく当然のようにナギトは語る。
そのナギトの口ぶりを不思議に思ったリィンは「ナギトは前からランドルフ教官の事を知っているのか?」と尋ねた。
「まあ多少はな。……俺はな、リィン。お前に語ったよりずっと不可思議な体験をしてるんだぜ」
ニヤリ、と口角をいやらしく上げて笑う。
ナギトがリィンやラウラに語り聞かせた世界の話はあくまでもクロウが煌魔城から生還するまでの物語。その後の展開や、ましてや無かった事にした世界の歴史など、語るわけがない。
「ランディとは俺が少し話してみる。見せかけだけの壁なら取り払ってやるよ」
「それじゃ」とナギトは教官室を出る。楽しい放課後の始まりだ。
ランディの気配を辿ってみると、その足は食堂に向かっている事がわかる。小腹が減ったのか、あるいは生徒たちと交流を図りに行ったか、どちらにせよ時間を置いた方が良さそうだ。
そらなら先に日課をやってしまおう、とナギトは階段を登って屋上に出た。
無人の屋上で鼻歌をうたいながら学院内を見渡す。こうしていると、まるでトールズ本校時代のようだ。
「〜♪」
いつものそれをうたい終えると、ナギトの熱唱中に屋上に来ていたアーサーが話しかけてきた。
「鼻歌なんて随分と上機嫌ですね、ナギト教官」
「これは日課だよアーサー」
と、ナギトは返事をする。アーサーがそう言ってくるだろう事は予想済みだ。
「日課…ですか?」
聞き方から察するにアーサーはナギトの日課を知らなかったらしい。
ナギトが放課後、屋上を占有する(鼻歌をうたいながらボーっとするだけだが)ため、放課後の屋上にはしばらく立ち寄らないのが生徒たちの暗黙の了解になりつつあった。
「うん、日課。……儀式みたいなもんかな」
「儀式?」とアーサーは怪訝そうな顔をする。儀式とは。この教官は放課後の屋上で悪魔でも呼び出すつもりかと。
「昔を思い出すための、な」
ナギトの言葉でアーサーの疑問は氷解した。
昔を思い出すための儀式。放課後屋上で“琥珀の愛を”うたう事が。
「それは、いったい………?」
語るナギトの哀しみを秘めた瞳を前にそう問わずにはいられない。しかしナギトは哀しみを胸にしまって、いつもの道化を表に出す。
「おっと、これ以上はもうちょい絆レベルが上がってからでないとな。俺をそこらのチョロインと一緒にするなよ〜?」
「絆レベルって……教官────」
呆れと困惑が混ざるアーサーに「そういえば」とナギトが話題を変える。
「アーサー、部活は決めたか?」
「いえ、まだです」
「そうか。明日までまだ時間はあるしな。もしお前が生徒会に入る事になったら生徒会長にするって分校長が言ってたぞ」
「………あの姉貴なら言いかねませんね」
うーむと唸ったアーサーは姉がそう言う様を想像してしまったらしく、苦笑いをした。
「やったね、内申爆上がりだ!」
「それくらいで内申点くれるような人じゃないでしょ」
茶化すナギトにアーサーはツッコミを入れる。ナギトは笑いながら「それもそうか」と言って立ち去るそぶりを見せた。
「んじゃ俺はこれで。俺が屋上にいると入りづらいみたいな風潮あるらしいからな」
「気にしなくていいのに」と続けて口を尖らせたが、まあ難しい話だ。2日遅れで赴任してきて妙に馴れ馴れしいし、武術教練を屋内で行い、挙げ句の果てにはマジックを披露する。早朝から屋上で瞑想したかと思えば放課後には歌い出す。現在、ナギトは生徒らの間で変人扱いされつつあった。
「ほな」と言ってナギトは食堂の方に消えていった。残されたアーサーは「部活か……」とつぶやき夕陽を見た。
「帰宅部でもあればな……」
☆★
校舎の屋上と食堂はつながっている。設計者は考えたものだ、と思ったが、後から貴族の邸宅になる予定だったと聞いて……食堂(パーティルーム)から抜け出した男女が屋上で涼み、屋上から繋がっているもうひとつの建物(現在のクラブハウス)にベッドイン、という狙いがあったのかも、と邪推してみたりした。
屋上から食堂に入ったナギトは階下にランディを見つけた。ユウナと談笑しているようだ。2人は同じクロスベルから来ている事もあり、話も合うのだろう。
「お疲れ様です」
ナギトは階段を降りて片手をあげる。
「カーファイか、お疲れさん」
「ナギト教官、どうしたんですか?」
ナギトと同じようにひょいと手を挙げたランディと、純粋に驚いた様子のユウナ。
「2人が親密そうにしてたんで、これはもしや生徒と教官の禁断の関係かと思いまして。茶化しに来ました」
ナギトのボケにランディは愉快そうに笑い、ユウナは顔を真っ赤にした。
「私とランディ教官はそんな関係じゃありません!」というセリフ付きだ。
ユウナの大声が食堂に響き渡り、視線が一斉にユウナを向く。ユウナは我に帰ると居心地が悪そうに首を縮こめた。
「悪い、冗談だよ」とナギトは低頭し、それから“ランディと仲良くなろうぜ作戦”を開始した。
「2人はクロスベルからでしたよね。それで愛称で呼び合ってるわけですか。俺もそう呼んでも?」
ユウナはランドルフをランディと呼び、ランディはユウナをユウ坊と呼ぶ。
「俺はかまわねぇぜ。ならこっちもナギトって呼ばせてもらうわ」
「是非とも、ランディ」
「私はダメです」と頬を膨らませてそっぽを向くユウナ。どうやらさっきのからかいを根に持ってるらしい。
「悪かったよ、ユウナ。勘弁してくれ」
意外と素直に謝るナギトに怒りの行き場をなくしたユウナは「むぅぅ…」と唸っている。
そんなユウナを庇うように、声のトーンを落としたランディが割って入った。
「それでナギト……いったい何の用だ?」
ナギトがこの場に現れたのが偶然ではない事を見抜いている。
「ま、もっと仲良くしてーな…ってところですよ」
傍目から見ればなんて事はない会話だ。しかし当人たちからすれば少しばかり重要な意味合いを持っている。
「そりゃあお前さん………」
どういう意味だ、とランディは続ける事はなかった。その言葉がどういった意図でもって放たれたものか明白であるからだ。
ランディは瞑目し、僅かばかり思考に耽る。数瞬の後、いつも通りの柔和な笑顔でナギトを見上げた。
「気ぃ使ってくれてありがとな。確かに俺も妙に頑なになってた気がするわ。……わかったよ、善処してみる」
ランディの発言の意味がわからないユウナは「?」だが、ナギトからすれば一安心だ。
「助かりますよ、ランディ教官」
ナギトもまた柔和に笑い「それじゃ俺はこれで。引き続き歓談をお楽しみください」とウィンクをして食堂を出ていった。
ひとまず“ランディと仲良くなろうぜ作戦”は完了。あとは当人たちが勝手にやるだろう。
ナギトは時刻を確認すると寮へ戻った。
☆★
夕食を終え、風呂から上がったナギトは自分の部屋に入ると机の上に一枚の紙片がある事に気づいた。
それにはナギト宛てのメッセージが書いてある。
『学院にて待つ。 アーサー』
さてさて、これはどうしたものか、とナギトはため息をつく。このまま放置してアーサーを翌朝まで待ちぼうけさせるのも面白そうだが、それは色んな意味で怒られそうだ。実質行くという選択肢しかないわけだが………
ナギトは再度紙片を見やる。
短く『学院にて待つ』というメッセージからは多少の物々しさを感じた。
思えば、アーサーは最初からナギトに対して何らかの想いを抱いていたかのように見えた。それは信頼や情といったものではなく、疑念や警戒の類いだ。
部屋の端にある太刀に目をやるナギトだが再度ため息をつくと視線を逸らした。
武器は持たず、対話の意志がある事を強調しよう。それに相手は生徒だ。仮にも教官である自分から争いを仕掛けるスタンスはまずかろう。
ここ2週間弱の期間でわかっていた。
アルトリウス・ルグィンは強い。新入生じゃ破格だ。しかしナギトには及ばない。いざ戦う事になっても“幻造”がある。なんなら徒手空拳でもいい。
ナギトは紙片を握りつぶしてゴミ箱に投げ捨てると学院に向かった。
学院のグラウンドにアーサーはいた。
夜間訓練用の照明にライトアップされたアスファルトの地面は黒く光を反射している。機甲兵教練も行われるグラウンドは機甲兵が暴れてもいいように充分な面積が確保されている。
ここをチョイスしたアーサーの意図にため息を禁じ得ない。
「来ましたね、ナギト教官」
グラウンドの中央で佇んでいたアーサーはナギトの姿を認めるとそう言った。声音には敵意がわずかに滲んでいる。
「ああ、何の用かねアーサーくん。補習は受け付けてないんだが」
しかしナギトはいつも通りの様子で返事をする。アーサーにとってはそれが癪だった。敵意があると見抜いていながら、武器も持たずにやって来た挙句、減らず口を叩く。
しかしここで腹を立てては相手の思う壺だとアーサーは怒りを鎮めた。
そしてナギトのように余裕を持って、慢心を煙のようにくゆらせて、演技がかった様子で言葉を紡ぐ。
「ナギト・ウィル・カーファイ───カーファイの名を持ち、自由自在に八葉一刀流を操る、誰も知らない男。……何者かと思いました。Ⅶ組の副担任なんて。物語に描かれないモブキャラかも、と思ったが………あなたのような人が端役なんてありえない、と判断した」
アーサーの言い回しは独特だ。それに聞き慣れないワードがいくつか。しかしそれこそがナギトの“アルトリウス・ルグィン”という人物への考察を加速させる。
「要求はたったひとつ……トールズを去れ、リーヴスを去れ、帝国を去れ!──ここから出ていけ、俺たちに関与するな、という意味です……ナギト教官」
なんて言い草だ、とナギトは思う。屁理屈をこねて相手を困らせるのが好きなナギトでもこれには正論で返したくなる。
ついでにくすぐりも兼ねて情報を小出ししておこう。
「それはさすがに無理あるってわかって言ってるだろ。……だけどそうだな、今のセリフでお前の正体がわかってきたかもしれない。……本来ならありえないんだが。もしかしたら俺とお前は協力すべきかもしれん」
「はあ?」
怪訝そうな表情のアーサーに、ナギトはニヤリと笑って夕刻の言葉を繰り返した。
「おっと───これ以上は絆レベルが上がってからだって言っただろ?」
「教官……あなたは。………………いいでしょう、従えないと言うならば力づくで追い出すまで」
アーサーはついに剣を抜いた。身の丈ほどもある大剣。装飾は少ないがどこか荘厳さを思わせる不思議な剣だ。間近で見ると刀身に文字が刻まれている事がわかる。ナギトには読解不明の古代の文字だ。
「魔剣……いや、聖剣の類いか。アーティファクトじゃねぇだろうな、それ?」
アーティファクトとは大崩壊以前に人類が女神から授かったとされる聖遺物。その形状、能力は多岐に及び、未だに力を残しているアーティファクトは七曜教会が回収、管理する事になっている。
アーサーの構える大剣は見るからにアーティファクトとしての力を残す代物だとわかる。
「よくわかりましたね。ですが許可はとっているのでご安心を。学院に迷惑はかかりません」
「許可だと?……アーサー、お前まさか教会の関係者か?」
「それも正解。七曜教会は封聖省、星杯騎士団所属の正騎士が、俺の身分です」
アーティファクトを所持する星杯騎士。それも正騎士。ナギトはそれでアーサーの年齢に見合わない強さに合点がいった。
正騎士ともなれば、遊撃士協会基準で正遊撃士クラスだ。
「一応聞くけど、もう話し合いではどうにもならない?」
「この期に及んでまだそんな事を………、まあ教官という立場上そうならざるを得ないのはわかりますが。……さあ、構えてくださいナギト教官。八葉一刀流には無手の型があると聞きましたよ。……尤も、無手で俺に敵うとは思わない事ですね」
可視化されるほどに高められた白銀の闘気が噴出する。それはナギトにとり瞠目に値するものだった。
なるほど、これは強い。リィンに聞いた以上、想定以上だ。天狗になるのも頷ける。
「おいおいアーサー、授業を聞いてなかったのか?」
ナギトが手を前に突き出すと、そこに太刀が現れる。“幻造”で編んだ実体を持つ幻だ。
「気功術は極めれば魔法の真似事もできるってな」
今度はアーサーが目を見開く番だった。授業で掌サイズのナイフを出したり消したりするのとは違う。太刀は今まさしく宙空から出現したのだ。
「召喚術……結社の者か………?」
「断じてノー。……種明かしをするとだな、この太刀は俺がイメージしたものを闘気で形作ったもの。想像を現実に編み上げる戦技。名を“幻造”という」
「なるほど……人の身ならぬ“分け身”のようなものですか……」
アーサーは静かに警戒を強める。
“分け身”は最上級のクラフトのひとつだ。その“分け身”に類する戦技を使うナギトに、やはり只者ではないだろうと。
「さて、しょうがないからやるとするか。安心しろアーサー、この太刀、ちゃんと刃引きしてあるから。痛いだけだ」
「──ほざけっ!」
先手を打って飛び出したのはアーサーだった。矢の如きスピードでの一撃は、しかし受け止められる。否、受け流されている。
剣が受け流された感触がしたかと思うと、その直後にナギトの太刀がアーサーの腹部を打つ。
相手の力を受け流し、その勢いを利用する螺旋の技術の基礎だ。
しかしアーサーは表情を歪ませるだけで身体の動きは鈍らせなかった。
鋭い一撃がナギトに迫る。太刀を振った直後からのカウンターは難しく、ナギトは跳躍して刃を躱した。
「二撃目は良かったぞ、ナイスガッツ。ああいう攻撃に相手は意表を突かれる。……これからもその根性は維持し続けるといい」
着地したナギトは先ほどのやりとりにそう評価を下す。アーサーはその挑発に青筋を立てた。
「まだ教官気取りを続けるかっ!」
アーサーは叫ぶようにその名を唱える。
「フレア」と。
途端、剣を炎が包む。アーサーはそのまま剣を振りつつ突進した。
炎は斬撃となってナギトの身に襲いかかる。斬撃を防いでも避けてもアーサーに肉薄されるのは目に見えている。
ならば、とナギトは素早く納刀すると、すぐさま抜き放った。速過ぎる居合は鯉口から剣閃を飛ばす。
神速の居合“神威残月”は炎の斬撃をかき消すだけに留まらず、アーサーの突進を止めるに至った。
生じた一瞬の隙を見逃すナギトではない。
雷が、奔る。短い雷鳴が聞こえるより速く、アーサーは防御する。
まるで見えない、というのが感想だ。しかし何とか捉える事はできる。目で見るのではなく気配で追う。でなければナギトの“迅雷”は防ぎようがなかった。
通り過ぎたナギトを振り返り、直後──背中に強い衝撃。骨が折れたのではないかと思うほどの、剣撃に似た打撃。それはまさしく、先ほどナギトが“迅雷”で斬りつけた軌道をなぞるような。
「“
挑発じみたナギトのセリフに対応する余裕は、ない。
迅雷、迅雷、迅雷、迅雷────
そして“貴き復讐”により生じる遅延攻撃はアーサーをめった打ちにした。
1を防ぎ2を追えば、1の幻影に背中を斬られる、というのが“貴き復讐”の真髄だ。つまりは一度防御に回ってしまえば防ぎようのないクラフトだ。この戦技を回避するには、常に動き回りつつ敵対者を捌く以外に道はない。
わずかな時の気絶からアーサーが目を覚ますと、ナギトに首元を掴まれて持ち上げられているところだった。
絶体絶命の四文字が脳裏を過ぎる。しかし、アーサーは剣が自らの手に収まったままである事に気づいた。
しめた。ガラティーンの真の力を解放できれば状況をひっくり返せるかもしれない。
情緒のない表現をすれば、アーサーの所持する“太陽の聖剣ガラティーン”は、音声認識で溜め込んだ力を解放する。
アーサーは痛みに耐え、なんとか喉から声を絞り出す。
「マルス────」
「奥の手か?出させるわけないだろ」
しかしそれはナギトが首を強く締めた事で阻止されてしまう。
「朝まで寝てろ」
ナギトはそう言うとアーサーは気絶させた。今度こそ大剣ガラティーンはアーサーの手から落ちたのであった。
ナギトは“幻造”の太刀を霧散させて舌打ちする。
「あーあー、汗かいちゃったよ。風呂には入り直しかぁ……」
その元凶となったアーサーを忌々しげに見つめて少しした後、いい事を思いついた、とばかりににんまりと歪んだ笑みを浮かべたナギトであった。
翌朝“僕は負け犬です。そっとしておいてください”と書かれた張り紙をつけたアーサーがグラウンドにて発見されるのだが、それはまた別の話。