魔女の隠れ里エリン。ナギトがそこを来訪した本題は、浄化の魔法についての報告を受けるためである。
「エマから話は聞いておるな?」
着席したローゼリアがそう切り出した。
浄化の魔法とは、《黒の騎神》イシュメルガの思考システムから悪意を取り除くための手段である。
ナギトが敵視し、オズボーンを操るイシュメルガとは、悪意に染まった思考システムの事を指す。この思考システムから悪意を除けばイシュメルガはただの《黒の騎神》に戻り、事態は解決すると思われている。
ナギトはこの魔法の開発を魔女たちに依頼していた。そして、それが完成したと先日報告を受けたのだ。
「はい。完成したと」
「うむ。ヴィータ」
「はい、婆様。……ナギトくん、これを見てくれるかしら」
ヴィータは持参していた紙束をナギトに差し出す。掲題されているのは“浄化の魔法”。
「浄化の魔法についてまとめた資料よ。口頭でも説明するけど、それがある方が理解しやすいと思って。後からでも見返せるしね」
「ありがたい」
ぱらぱらと紙束をめくって浄化の魔法の仕様について流し読みする。ミリアムが後ろに来て、同じく内容を見ている。
「さて、それじゃ早速説明するかのう。エマ」
「はい。……浄化の魔法は、数種類の魔法をミックスさせた新しい魔法となっています。中には禁術も含まれ、術者を危険に晒すものもありますが……、ひとまずは完成と言っていいかと思います」
資料にもなかなか物騒な事が記載されている。安全に配慮してエマ、クロチルダ、ローゼリアの3人が揃って発動しなければならないようだ。
「でも、発動条件が厳しいのよ。ナギトくん、5枚目を見てちょうだい」
紙束の5ページに目を通す。
ナギトの表情は曇った。
「…………マジっすか?」
「大マジよ。浄化の魔法を発動するためには………イシュメルガを屈服させる必要があるわ」
ナギトの問いにクロチルダが答える。自分で語った事なのにクロチルダも頭を抱えたい面持ちだった。
「屈服……あのイシュメルガを?……無理くせー」
ナギトもまた実現可能性について検討する。
イシュメルガは、これまでに二度負けている。いずれもこことは別の世界の出来事だが、二度の敗北はイシュメルガから慢心を取り払った。
それに負けさせたとしても、素直にイシュメルガが屈服するとは思えない。アレは幾星霜に渡り己が野望を果たさんがために暗躍していた。とても気が長く、不屈の精神の持ち主なのだ。
「この魔法において、対象を屈服させるのは第一段階……まずここを乗り越えねば話にならぬ」
ローゼリアは小さい背丈でふんぞり返った。ローゼリアはそのまま視線をクロチルダにやった。
「……ナギトくん、屈服させる…とはどういう事になるかしら……?」
それはつまり、相手の心を折るためにはどうすべきか、という意味だろう。
完璧に、完膚なきまでに心を折る、以上のものが屈服だ。
「負けを認めたくない相手に打ち負かされる。自分に有利な状況で、格下相手に負ける。……そんな感じですかね」
こんなやつに負けるわけがない、という相手に負ける。こいつになら負けてもいい、という相手に負けたとてあるのは納得だ。屈服ではない。
力の差を見せつけるのは悪手という事だろう。
本来なら勝てる相手に、実力を十全に発揮したうえで負ける。これが屈服の条件だ。
「騎神戦は必須になりそうですね……」
すでに騎神の大半はこちらにある。とは言えイシュメルガの強さは他の騎神とは一線を画す。イシュメルガを除く六騎神を相克させてやっと伍せるといったところか。
しかしナギトにはそこまで相克を進める気はない。圧倒的に性能が劣る段階でイシュメルガに挑むしかなさそうだ。乗り手の技量でなんとかするしかない。
「それで屈服までさせて……次は………」
ナギトはページをめくる。
「そこからは私たち魔女の出番です」
エマが言った。件の魔女3人がかりの魔法の開始するタイミングがここだった。
「これは禁術──本来、対象の信頼なくば成立せぬのだが……それを屈服という形で代用し、開かれた彼奴の精神に潜り込む」
ローゼリアはテーブルに肘をついて前のめりになる。ナギトから話を聞かされて、盟友ドライケルスの敵討ちに燃えているのだろう。
「危険じゃないですか?……いくら屈服させた後とは言え……イシュメルガの悪意は大陸に火をかけてまで神にならんとする程………その只中に飛び込むのは………」
ナギトは懸念を口にした。イシュメルガの精神に潜り込む…と言うが、その精神とはつまり、悪意に染まった思考システム──イシュメルガという闇そのものだろう。
「ええ……だから3人必要なの」
クロチルダが浄化の魔法について語り始める。
「まずイシュメルガを屈服させる第一段階……これを果たした人には楔であり鎖として働いてもらう──とは言っても私たちが術をかけてそうするのだけど」
「楔であり鎖………」
鸚鵡返したナギトはニュアンスとしては理解できるが、いまいちその中身まではわからない。
「屈服を心が開いた状態として、それは屈服させた人物に対してのものです。私たち魔女はあくまで第三者ですが……その人物を媒介する事でイシュメルガの精神に潜り込む事ができます」
「なるほど」と相槌を打つ。エマのわかりやすい解説だ。
「という事は…その人物も同じようにイシュメルガの精神に入る?」
「はい、その通りです」
「仲間たちに伝えておけ。そのような役割が回ってくるかもしれん、とな」
ナギトの理解をエマが肯定し、ローゼリアが補足する。「わかりました」と言ってクロチルダの解説に戻った。
「その人物を楔と鎖にする仕事を婆様にやってもらうわ」
これでまずひとり、というわけだ。
「そしてイシュメルガの精神に入るわけだけど……その補助には私がつくわ」
「補助?」
「ナギトくんが言った通り……イシュメルガの精神は闇そのもの……剥き出しの人の心には負担が大き過ぎるのよ。だから、イシュメルガの精神に入る役目のエマと、楔にして鎖たる媒介者には精神的なプロテクトをかけなくてはならない………これが補助。私がやる事になっている」
「ふむ」と再度相槌。
「そこからは………、ナギトくんにもわかりやすいように言うと、イシュメルガに暗示をかけて思考システムを初期化する。これがエマの役目ね」
「暗示、ですか」
「厳密に言えば違うんですが、結果としてはナギトさんが望む通りになるかと」
「それが思考システムの初期化?」
「うむ。浄化の魔法と銘打ってはいるが、その実はイシュメルガの思考システムから悪意を取り除くわけではなく、思考システムが悪意に染まる前に戻す……そういった仕組みじゃな」
ナギトの疑問をひとつずつ氷解させていく魔女たちの弁。
「それってさー、確実にできるの?」
そこで口を挟んだのは、これまで黙っていたミリアムだった。
「確実に、とは言えないけど勝算はあるわ。ナギトくんのおかげで実験もできたしね」
「ふーん、それならいいや。ゴメンね、説明を邪魔しちゃって」
クロチルダの説明を受けて引っ込むミリアム。その懸念は尤もだが、ここは信じる他に道はない。
「まとめるわね」とクロチルダは前置きして解説を続けた。
「まず魔法を開始する前段階として、イシュメルガを屈服させる必要がある。…困難だとは思うけれど、やってもらうしかないわ」
まずこれを乗り越えなければならない。味方の起動者たちには再度気合を入れさせなければ。ナギトもまた気張る必要がある。
「そして、その第一段階が終わったら婆様が屈服させた人物をイシュメルガの精神に入り込むための媒介者にする」
「うむ」と首肯してやはりやる気充分のローゼリア。
「そしてイシュメルガの精神に入るのは、その媒介者とエマね。私はその補助」
「はい」とまたエマも頷く。優しげな面持ちの彼女も責任感に押し潰されぬ覚悟の焔を宿している。
「イシュメルガの精神に潜り込んだら、浄化の魔法で思考システムを初期化するわ」
「なるほど……その初期化にエマと媒介者が巻き込まれる恐れは?」
「ないわ。これは単体を指定する魔法。例えイシュメルガの精神の内側にいたとしても、それがエマたちに及ぶ心配はない。………それから初期化が済めば私と婆様でエマと媒介者をイシュメルガの精神から引っ張り上げる。………以上が浄化の魔法の全工程になるわ」
説明を聞き終えて、ナギトは再び紙束に目を通す。
「何か質問はあるかしら?」
最後までページをめくり、それが記載されてないことを確認して、質問をした。
「まず前段として屈服させますよね。それからイシュメルガの精神に入って暗示をかける……、ここでイシュメルガの抵抗はない想定?」
ここで魔女3人は顔を見合わせた。同時にあごを引く。どうやら幾度となく重ねられた論題のようだ。
「イシュメルガを屈服させた本人──媒介者ね。その者を通じてイシュメルガの精神に入り込むから抵抗はない……というのが私たちの希望的観測ね」
微苦笑しつつクロチルダが言った。
「じゃがもちろん、抵抗される可能性も充分ある。その事から媒介者にはリアンヌか……ナギト、おぬしにやってもらおうと思っておる。シュバルツァーやアームブラストの小僧らではちと不安じゃしな」
リィンは“冥我”の境地に至ったし、クロウもまたメンタル強者だ。どちらに任せても不足はないと思うが、安牌を取るなら確かにローゼリアの人選が正しいかもしれない。
「そうなると……ひとつ問題が」
「問題?」と聞き返したローゼリアに、一拍置いてから答える。
「件の第一行程が終わった時には俺とリアンヌさんのメンタルが弱体化してるかもなんですわ……」
「……………なんじゃと……?」
たっぷり間を置いて、湧き上がった怒りを収めるようにローゼリアはそのわけを問うた。
「いや……ね、新魔法の開発に注力してほしくて言ってなかったんですけどね?」
ナギトの自己弁護は見るに耐えない愚かしさを醸している。ローゼリアは薄々理解しているのだ、ナギトがまた何か良からぬ事を企んでいると。
「イシュメルガを弱体化させるために、その悪意──瘴気とも言うべきですかね。……これを《銀の騎神》を通してリアンヌさんに吸収・封印してもらおうと考えてまして………」
「おぬしは…………!……どうしてそんな──」
それからしばらくローゼリアの説教と発狂によって話は中断された。
物や魔法が飛び交ってナギトをめった打ちにして、いよいよまずい段階になってエマとクロチルダによってローゼリアは制止された。
「……………まあ、手段として有効なのは認めよう。……しかし、可能なのか?」
イシュメルガを弱体化させるにあたり、リアンヌを当てにする。それはリアンヌ本人と言うより《銀の騎神》アルグレオンの特性を鑑みての作戦だった。
「おそらくは。アルグレオンが《大地の聖獣》の性質を受け継ぐという話が真であるなら……、聖獣アルグレスが帝国を蝕む呪いを引き受けたように、《銀の騎神》アルグレオンもまた同じ事ができるはず………って推論ですね」
「ふむ………一応の筋は通っておるか………?」
ローゼリアはアゴに手を当てて思考する。確かに道理には適っているように見える。
「……それと」とナギトが何かを付け足す姿勢を表す。ローゼリアは辟易したようにため息。
「まだ何かあるのか?」
「いや………イシュメルガを屈服させるのであれば、弱体化させるのは悪手かな、と思いまして」
「屈服………イシュメルガに対して十全な敗北感を与えるために、弱体化という手段は合っていない…という話ですか?」
聞き返したエマに「そうそう」と肯定してナギトは続ける。
「実際イシュメルガの精神構造がどうなってるかわからない以上、確たる事は言えんが………単なる勝敗とは別にイシュメルガに敗北感を与える手段がなくてはならない…と、そう思うわけですよ」
イシュメルガは強大だ。しかし倒すだけならやり方はある。騎神に頼らずナギトが単身で挑めば勝つ事自体は可能だ。しかしそれでイシュメルガが屈服するかと問われれば怪しいラインである。
それはアルグレオンの特性を利用して勝った場合も同様だ。弱体化しているのなら、それは実力では劣っていない証明にもなる。本調子なら勝っていたと言い訳ができるからだ。
屈服させるためにはそういった言い訳の余地なく叩きのめすしかない。
ナギトは自身の指先でとんとん、と額をつつく。
ここまで作戦と魔法の噛み合いが悪いとは思っていなかった。さすがに想定外だ。
まずイシュメルガを屈服させるというのが特大のハードルとなっている。
「……イシュメルガを屈服させる………この条件を甘くする事はできませんか?」
ゆえに、ナギトの提案がこうなるのは自然と言えた。
エマとクロチルダの視線がローゼリアを向く。緋色の魔女はしばらく瞑目して押し黙った。それはローゼリアが覚悟を決める時間であった。
「結論から言えば、可能じゃ」
何か問題があるのだろうと察したナギトはローゼリアの次の言葉を待つ。
「しかし、かなり危険な賭けになる。……それに───」
言い淀んだローゼリアの代わりに、また別の声がした。
「私はいいわよ」
テーブルの下から現れた黒猫はセリーヌ。エマの使い魔だ。彼女はずっとナギトたちの足元で話の行く末を聞いていた。
「グリアノス」
そして、クロチルダの使い魔である蒼鳥グリアノスもまた姿を現した。こちらは口を聞けないが、その意思はセリーヌと同じようだ。
「………妾もとうとう腹を括らねばならぬ、か…」
視線を落としたローゼリアにとって、これは地獄への道が舗装されたような心地であった。
「妾の正体は至宝《紅い聖櫃》の聖獣──《翼ある灼獣》ローゼリア…………、という事は知っておるな?」
ローゼリアは説明する。己の正体と、その後継としてセリーヌとグリアノスを生み出した経緯について。
ナギトもアーサー世界で聞いてはいたが、再び説明される事で理解が深まる。
ローゼリアが語るのは、聖獣としての後継者候補である2匹の使い魔の力を再び己に統合し、言わば完全体になる事で魔法の出力を上げるというものだった。
「問題というのは……その後、セリーヌとグリアノスが元に戻るかわからない、って事です?」
「そうじゃ。事が終われば再び黒猫と蒼鳥として分離するが、それが元のセリーヌとグリアノスとして戻るかはわからぬ。初めての試みじゃしの。……最悪の場合、記憶が抜け落ちて全く別の存在になる事もあろう」
セリーヌとグリアノスに動揺はない。おそらくそこまでわかった上での意思表示だったのだろう。
「おぬしらの覚悟は受け取った。時が至れば妾に取り込むゆえ、後悔のないよう過ごせ。………してナギトよ、こうなると話が変わる。……わかるか?」
「さっきも言った、イシュメルガの精神の抵抗の話ですか?」
「そうじゃ」とローゼリアは鷹揚に首肯。
「イシュメルガの精神の抵抗………、それにその前段階である屈服をせなんだ場合でも、一定の敗北感は与えねばならぬ」
やはり、どうあっても戦闘は避けられないようだ。
今ここでチョチョイと遠隔でイシュメルガの悪意を祓えるとは思っていなかったが、ナギトの想像以上に難しい問題のようだった。
「それと役割分担も変わる。妾とヴィータは交代じゃ」
「それが……セリーヌとグリアノスを取り込む理由?」
「うむ。妾の力を取り戻し、魔法の出力を上げるというわけじゃな。イシュメルガの精神世界を踏み荒らす魔力を得られるじゃろう」
ローゼリアの聖獣としての能力を取り戻す事で、イシュメルガの精神に入るエマと媒介者を守護する力を底上げするのだ。
そこからまた魔法の手順を確認した。とは言ってもクロチルダとローゼリアの役割が交代した以外の変更点はない。
まず騎神戦でイシュメルガを降し、クロチルダによって起動者の誰かを“楔にして鎖”たる媒介者に設定、ローゼリアがエマと媒介者を守護する結界を張りつつイシュメルガの精神世界に潜航。エマが魔法によってイシュメルガの思考システムを初期化。ローゼリアとクロチルダが精神世界から二者を引っ張り上げる。
以上でミッションコンプリートだ。
煮詰まりかけた話を終えた5人は落ち着いた雰囲気で茶を飲んでいた。
ひとまずの打ち合わせは終わり、あとは本番を残すのみ──といった状態だ。
そんな時にナギトはなんでもないふうに話を振る。
「そう言えば、その浄化の魔法……回数制限は特にないですよね?」
「そうじゃが……何故そんな事を聞く?」
ナギトは「いやね」とかぶりを振って思考を巡らせた。嫌な想像だが、今後の問題の提起にもなる。
「今回俺たちが打倒しようとしているイシュメルガ───イシュメルガの悪意は、あくまで《黒の騎神》の思考システムが悪意に染められたもの。なら────」
それは根っこへの言及だ。
イシュメルガの思考システムが悪意に染まったのはなぜか。
この帝国を、世界を混沌に導かんとするイシュメルガの悪意とは何か。
「なら、イシュメルガの思考システムを悪意に染めた何者かがいる──そういう話かしら?」
「な……、まだ黒幕がいるんですか……!?」
クロチルダの理解に、エマが食いつく。ナギトはまさにそういった話をしている。
「黒幕………、黒幕と言うべきなのかな、これは……?」
「どうやら、もう当てはついているようじゃな?」
「まあ仮説なんですが」と前置きしてナギトは言った。
「イシュメルガの思考システムを悪意に染めた存在。そしておそらくは《大地の聖獣》アルグレスが自らに封じた呪い。その根源は───巨イナル一」
三者の反応は総じて驚嘆であった。
ミリアムはこの手の話にはついていけないのか、茶菓子を楽しんでいる。
「巨イナル一…………それが帝国に蔓延る呪いの正体じゃと……!?いったい何を根拠に……」
「だから仮説ですよ。……でも聖獣や騎神に影響を与える存在として、これ以上に適格なのはないでしょう?」
「さすがにトンデモ理論だと思うけど………、ナギトくん…あなたの仮説、そう思うに至った理由を聞かせてくれるかしら?」
クロチルダに促されるままにナギトは語り出す。
「巨イナル一は……ひとつになりたがっているんだと思います」
「ひとつになりたがっている……?」
わけもわからない、と声を出したのはエマ。ナギト自身、これは飛躍した考えだという自覚があった。
「巨イナル一……それが誕生したのは《焔の至宝》と《大地の至宝》が激突したため。それによって二つの至宝の力は溶け合い──しかして安定せざるもの。内部で相克するがゆえに無限の力を有する“鋼”。………ここの認識は合ってますよね?」
「うむ」というローゼリアの首肯を見届けてナギトは続けた。
「内部での無限相克と、それによって生じる無限のエネルギー………それは巨イナル一の内側で未だ二つの至宝の決着がついていないって事でもあると思うんですよ」
「うーむ」という微妙なローゼリアの反応を横目にナギトはさらに続ける。
「それとは別に、巨イナル一となったのはあくまで二つの至宝の力のみ………その器まで融合したわけじゃないでしょう?」
「………」と、もはや無言になったローゼリアから目を離して、ナギトは言い切る。
「巨イナル一は、本当の意味でひとつになりたい。器も力もひとつになった完全なる至宝……《鋼の至宝》として」
話し終えたナギトに対し、魔女たちは黙りこくっている。即座に反論されないあたり、一考の余地はあったか。
「でもさ、二つの至宝の器……ノルド高原とブリオニア島にある巨像にはもう何の力も残ってないんじゃないの?」
疑問を呈したのはミリアムだ。茶を飲んで一息吐いた後、ごく自然に放った質問は的を射たものであった。
どうやら話についてこれなかったわけではなく、普通に理解して普通に質問してきている。
「そうだな。だから騎神という新しい器をひとつに統合するために帝国を呪っている」
今や中身を失った至宝の器。これをどうにかする事はできないだろう。だから巨イナル一は騎神を使って新しい器を作ろうとしている。
ナギトの仮説はそういうものだった。
「帝国を呪う巨イナル一………それが真実だとしたら───」
理解すると同時に独自に考察を深めていくエマ。そこに水を差すようにナギトは言った。
「巨イナル一にそんな意識があるのかわからんけどな。……内部で相克が続いてるんなら、それは二至宝がまだ争い続けてるってわけだから……その闘争心が現世にも影響を及ぼしてる…だけかもだし」
ここで仮説その2を披露する。とは言え違うのは巨イナル一が帝国に呪いを振り撒く過程であって、結果は同じなのだからやるべき事は変わらない。
「ふむ……とりあえず帝国の呪いの元凶が巨イナル一だとして………、それが魔法を繰り返し使えるか聞いた理由じゃな?」
ひとまずの理解を示したローゼリアに「そうです」と返す。
「つまりは……EOS計画が成功してイシュメルガの思考システムから悪意を取り除いたとしても……またいつか呪いによって汚染される。その度に………いえ、その前にまた浄化の魔法によって思考システムをまっさらな状態に初期化する────。それが可能なのか、という話ね?」
ナギトの伝えたい事を察して要約したクロチルダ。首肯で応じて答えを待つ。
「可能、だと思います。魔女は魔法を子々孫々と受け継いでいくものですから。この浄化の魔法には禁術も含まれていますが………お婆ちゃん」
「うむ。致し方あるまい。イシュメルガの思考システムが悪意に染められるのと比べれば、はるかに軽いリスクじゃろう」
話はまとまった。今回のEOS計画が成功するとして、その後もイシュメルガの悪意に世界が晒されないとも限らない…という想定だったが、浄化の魔法が受け継がれていけば、その不安もなさそうだった。
と、そこでこの問題の根治について言及したのはエマだ。
「しかし……この浄化は対処療法に過ぎませんよね。帝国の呪いそのものを何とかする事はできないんでしょうか?」
「うーむ……大地の聖獣すら穢れさせる呪い───どうにかしたいのは山々なのじゃが……」
エマとローゼリアは揃ってうんうん唸っている。ナギトとクロチルダは目が合った。
「ナギト、何か気付いてるんじゃない?」
クロチルダとナギトの無言のやり取りに気づいたミリアムが目敏く突っ込む。
「まあ………呪いの元凶が巨イナル一として……、それ自体を何とかするのは不可能じゃない、かな?」
「と言うか、ナギトくんの仮定を真実だとすると………騎神が相克を終えれば呪いも消える──そうじゃないかしら?」
当然の帰結だ。クロチルダが言った事はまさにナギトが考えていた通りの事だった。
「だったら──」
「──でも、EOS計画では騎神の相克は行わない想定です。やったとしても2回──いや3回まで。帝国の呪いそのものをどうこうする気はありません」
エマの発言を遮ってナギトは計画の結末を語った。これは前から言っていた事だ。帝国を強大な国家として残す。そのために騎神は必要だし、不死者であるオズボーンとリアンヌをこの世に留めるためにも《黒の騎神》と《銀の騎神》は残す。リィンとクロウの相棒である《灰》と《蒼》もだ。
「……帝国に蔓延る呪いを…放置したままにする………そういうことですか………?」
エマの重い言葉に「そうだ」と軽々に返して希望的観測を口にする。
「そも、呪いと言っても人々に大きな影響はない。エマ、お前や俺だって呪いに冒されてはないだろう?……それに、ローゼリアさんだって長生きしてるのにそんな気配はない。《大地の聖獣》が穢れたのが特別だと考えた方が自然じゃないか?」
「うーん…………」
未だ納得し切れないエマにナギトは追撃する。
「それに悪意ってのは人の内側から生じるもの………ごく自然な人の営みの一部だ。人が悪意を抱くのを呪いのせいにしてはいけない。人の業と向き合い、乗り越える事こそがその時代を生きる人々に課せられた使命だ」
尤もらしい事を言うナギトにエマの心は揺らいでいく。
エマ・ミルスティンは善き魔女である。正しきのために生きてきた。負の遺産を後の世に残さないために生きている。
ただ、ナギトの論にも納得できる。この呪いは帝国が成立する瞬間からそこにあった。帝国民は呪いと共に生きている。これはおそらく帝国の気風にも影響があるのだろう。呪いを見過ごす事はすなわち、これまでのあるがままの帝国を残すという意味でもあった。
「悪意とは人々に芽吹く心。呪いはそれに水をやって育てるだけだ。………もちろん注意は必要だが、今すぐどうこうしなきゃならんわけじゃないだろ?」
「……わかりました。ここは…説得されてあげます」
ナギトの言い分にエマが引き下がる。その文言に「どうも」と微苦笑してナギトもまた論舌を止めた。
「イシュメルガの思考システムが悪意に染まったのは何故じゃ?」
そこで新たに疑問を口にしたのはローゼリアだ。
帝国に蔓延る呪い。その影響は軽微だが、それによってイシュメルガが悪意に目覚めたのは何故か。
「知りませんよ。てかこれまでの話も妄想でしかないですからね」
ナギトは茶を飲みつつそれを躱した。
「ええから話してみい。その妄想とやらを」
しかしローゼリアはナギトに何かしかの想定がある事を見抜いていた。
「ぱっと思いつくのは2つ」とナギトはやや気だるげに応じた。これまでと違う語気は、これがこれまでの筋の通った考察と違い、妄想の類の話だからだ。
「仮説その1として……《黒の騎神》が巨イナル一の影響を受けやすかったという説。………《黒の騎神》は他の騎神と比較して大きな力を持つ。その分だけ巨イナル一との繋がりも深く、それによって思考システムが汚染された……という考えですね。ただこれは《黒》に次ぐ力を持つと言う《金》や《銀》にその予兆がないので…可能性として薄そうです」
ナギトは立てていた指のひとつを折った。残る仮説はひとつだ。
「もうひとつが……《黒の騎神》が騎神全体の、呪いへの防波堤になっていた説。この仮説その2の線も薄そうですね。何せもう防波堤が決壊してるのに他の騎神への呪いの伝播は確認されてない」
残っていた一指を畳む。ナギトの思いついた仮説はどちらも可能性が低いと本人が語った通りの出来だった。
「ふむ……確かにこれは妄想じゃのう。これまでと違って根拠がなさ過ぎる」
ローゼリアの悪態に「すんませんね」と拗ねながらナギトは言う。
「君でもわからないなんてね。“理”の地平から、この事は見えないのかしら?」
クロチルダの挑発とも思える発言にナギトは大仰に肩を竦める。
「“理”はそんな万能じゃありませんからね。この視点は常識外の事には弱い。ある程度の証拠があるならともかく……」
しかしナギトはその期待に応えられない。
“理”の視点、“観の眼”、大雑把に表現すれば“大局観”だが、これはあくまで既存の摂理を軸に世を俯瞰する視点でしかない。魔法や至宝などの超常的なものが絡むと途端に機能不全を起こすのだ。
「ふぅん…………そういうものなのね……………」
「なんすか、今の絶妙な間は…………」
クロチルダの失望とも発見とも思える声音にナギトは噛み付く。評価されるのは嬉しい事だが、過大評価からの失望は心が痛む。
ナギトの微妙な表情と共に、この話し合いは終わりを迎えるのだった。