1度目の演習からリーヴスに戻ったトールズ第Ⅱの面々は平和な日常に戻っていた。
生徒らは日々のカリキュラムを相手に喘ぐ事もあるが、教官陣はそれを微笑ましげに導いている。いたってまっとうな学院生活だった。
とある日の放課後、ナギトは廊下で「よろしいでしょうか」と呼び止められた。
「うん?どうしたのかな、ゼシカ君」
交わす視線でナギトはゼシカの意図を見抜いている。というか、さっきの授業の最中からすでにゼシカはナギトに熱い視線を注いでいたのだ。
「どういうつもりですか?」
「主語がないぞゼシカ。人にものを尋ねる時はもっとわかりやすく伝えなさい」
教官らしい注意に見せかけた挑発だ。ゼシカはむっとしたが冷静を纏って質問をし直した。
「さっきの武術教練の授業です。武術教練だと言うのに座学で…しかも大して意味のない内容です」
「先人の教えは後になって腑に落ちるものだよ」
ニヤついたナギトのセリフを無視してゼシカは続ける。
「私は名門と謳われるトールズに入学しました。第Ⅱであってもそれは同じです。……本来ならリィン教官が武術教練を担当していたと聞き及んでいます。それをあなたが半分奪い、私たちに無為な時間を過ごさせている。………あなたはどういった意図でここの教官として立っているのですか?」
末尾に疑問符こそつけているものの、それは間違いなくナギトを責める言葉だった。その質問に形式的に答えたとしてゼシカは納得すまい。
「……話題をいくつか飛ばす。つまりお前は試したいわけだな。俺がこのトールズ第Ⅱの教官足り得るか否か」
「──!?……………さすがに最低限の洞察力はあるようですね。話が早くて助かります」
宣言の通り、ここから交わされる言葉をいくつか省略してゼシカの本題へと踏み込んだ。驚愕したゼシカだったが、すでに対戦の意志を引っ込める気はなく、それをするにはまだ若かった。
「着いてきなさい」と言ってナギトが案内したのはアインヘル小要塞だった。すでにこうなる予感があったため、授業が終了した後にシュミット博士には話を通した。
「……やけに準備がいいですね」
小要塞の一区画にて、得物である槍を構える前にゼシカはナギトに視線をやった。
「授業中から熱視線を注いでくれてたろ?こうなると思ってたからな。博士にはもう話を通しといた」
事もなげに言うナギトに、今度こそゼシカは驚愕を禁じ得なかった。
「恐ろしいほどの洞察力……八葉に伝わる観の目というものですね。カーファイの名は伊達ではないというわけですか」
「よく知ってるな。さすがはシュライデン流の次代か」
ゼシカに先んじて得物に手をかけたナギト。柔らかに構えた姿にゼシカは芯から理解した。洞察力もそうだが、武術の腕前も自身より遥か上位に位置するのだと。
すでにこの手合わせの目的はすげ変わっていた。先とは違う緊張感の中でゼシカは槍を構える。
「一手…ご指南願います、ナギト教官」
「オーケー。他流試合といこう」
そして完璧に、完膚なきまでに、ゼシカはナギトを教官として慕う事になるのだった。
☆★
自由行動日がやってきた。
ナギトは昨日までにやるべき業務は終えていて、文字通りの自由行動が許された日だ。もちろんシュミット博士の手伝いなどの雑務はあるものの。
リィンは本校在学時と変わらず他人の頼みを引き受けて忙しそうにかけずり回っている。
昼下がり、ランチを食べようとしていた時分だった。
「ご一緒にしても?」
「おう」
ナギトの返答を経てテーブルの向かい側に座ったのはアーサーだった。時折見せるやんちゃな部分は鳴りを潜めて貴族子弟らしい振る舞いのまま店員を呼んで注文している。
ナギトは手に持っていたサンドイッチを頬張り、むしゃむしゃしてから嚥下。優雅然とコーヒーを飲むアーサーに問いかけた。
「どしたん?」
「いえ、特段別に。たまには副担任と仲良くランチでもと思いましてね」
嘘八百である。いや、まるきり嘘というわけではないが、アーサーにとって“仲良くなる”は手段であって目的ではない。
見透かすナギトはしかし指摘はせずにニヤケ面を披露するだけだ。
「その顔、生徒に不人気になりますからやめた方がいいですよ」
テーブルに届けられたサンドイッチを手に取りながらアーサーはナギトに忠告してやる。額に浮かんだ青筋を引っ込める事ができたのはギリギリだった。
その後は他愛無い話をした。学院にはもう慣れたかとか、カリキュラムがどうとか、剣術についてとか。
食後のコーヒーを飲み干して、それからアーサーは尋ねた。
「そろそろ絆レベルは上がったか?」
変わる口調と雰囲気に、ナギトはそらきた、と笑んだ。
「ちょっと話したくらいでオチるほど尻軽じゃねーよ、俺は」
「じゃあどうすればいい?」
「好きな女の子の話でもする?」
ギロリとあからさまにアーサーは睨んだ。
「睨むなって、冗談だろ。……そうだな………この後時間あるか?」
アーサーが「ある」と言うとナギトは付いてくるように指示をする。2人は会計を済ませると店を出て街道に向かった。
「さっきもちょっと話したが……お前の剣はまだ青臭い。スペックごり押しって感じだな」
歩きながら、ナギトは言う。アーサーは少しカチンと来たようで、「お前は違うのかよ」と問うた。
「俺はそらもう超絶技巧派よ」
と言うが、アーサーは疑わしげな視線を向ける。アーサーは先月にナギトに挑んで、その実力の一端を垣間見ている。が、超絶技巧派と自賛するほどの技を見せてもらった記憶はないし、1回目の演習においてもナギトは実力を披露していなかった。
「どうだか。んで、その自称超絶技巧派のナギト教官は何を教えてくれるつもりだ?」
「色々教えたい事はあるが…まずは基礎強化だな」
「基礎ぉ?」とアーサーは怪訝な表情をした。剣術の基本なら修めたつもりだ。今更の教えなど蛇足のように思える。
「前に授業でも話したけどな、闘気による肉体の強化、これがお前はまだ甘い。…確かにお前の武装は特別だ、それは認めよう。本気ならリィンに匹敵するかもな?……だがお前自身はまだスペシャルじゃない」
アーサーはこれまで人一倍努力してきた自負がある。トールズ内で言えば、本校を含めても生徒たちの中ではNo.1の自信もある。ナギトの言葉はそんなアーサーの積み上げてきたものを軽視するものだった。
「ちょっと見せてやる」
「無縫真気統一」と、唱えたナギトを見て、そんなアーサーの怒りは納得へと変貌した。
「わかるか……さすがだな」
“無縫真気統一”はナギトの極まった絶招であり、その肉体強化の倍率は一流の武人の数倍に及び、肉体に流れる闘気の流れは完璧に統一されて体外に漏れ出る事はない。
武人は強くなればなるほど、絶招を用いた際には周囲に漏れ出る
ナギトが絶招を解除する。アーサーの驚嘆はようやく収まった。
「ここまでやれとは言わねえよ。お前に今回教えるのは闘気の集束についてだ」
ナギトの絶招は闘気の集束を一要素としている。まずナギトは目標地点を定めさせ、自身が教えを請うに相応しい人物である事を示した。
「臨時授業を受けよう、ナギト教官。俺に力を貸してくれ」
そこからアーサーの訓練は数時間に及んだ。
訓練が終わる頃には、アーサーの闘気集束の技術は以前の倍近くまで伸びていた。
「ぴろーん」
地面に尻をついたアーサーは肩で息をしながら、間抜けな声を出したナギトを見上げた。
「なんだ?」
「絆レベルが上がりました」
「───はっ」
アナウンスよろしく喋るナギトとその内容にアーサーは笑った。
こんな青春があっていい。こんな1ページを刻むのも一興だ。そうして人々は日々を暮らしていくのだ。
ナギトは己の学生時代を思い出しながらアーサーに手を貸して立ち上がらせる。
人にものを教えるものそう悪くない心地だと、教官らしい感慨を抱きながら。
☆★
アーサーの訓練が終わった頃にはすでに日が翳っており、ナギトは「奢ってやるよ」と言ってリーヴスの宿酒場バーニーズへと足を踏み入れた。
そこではリィンとランディが酒を酌み交わしながら夕飯を食べていた。
「おっ、やってんな。何の集いだこりゃ」
「おうナギト、先にやらせてもらってるぜ」
「ランディ教官から誘われてな。成人祝いはしてもらってたんだけど、改めてって感じだ」
リィンはつい先日に20歳になった。酒が呑める年齢だ。呑みニュケーションという言葉があるように、古来より酒は人間関係を円滑に回すための歯車だった。
「そっちは?」と聞くリィン。アーサーを連れているナギトだったが、説明は任せてリィンらのテーブルに着いた。
「補修ってとこですかね。……おかげで自由行動日が潰れました」
「はは。その様子だと実りがあったみたいだな?」
「そうですね。武術教練の授業を座学でやってるのが不思議に思えるほどに」
とアーサーは皮肉半分に言葉を差し向ける。ナギトは店員から受け取ったビールを嚥下してから笑ってみせた。
「机上と実践は両輪だ。どちらも欠くべからずだ。この第Ⅱはその運用目的のせいか実践に寄ってると思ってな。せめて俺の授業は理論やらを伝えようと思ったわけよ」
表情や雰囲気、普段の言動からは信じられないほど真面目な回答にリィンは目を見張った。
今も美味そうにビールをかっくらうナギトだが、腹の内ではそんな事を考えているのだと。
「けど第Ⅱは座学にも力を入れてるだろ?クロスベルの警察学校より厳しいと思うぜ?」
と、ランディから反論が飛んでくる。こちらもビール片手に雑談気分だ。
「それはあくまで士官候補生としての知識だろ。俺が言ってるのはいち兵士、もしくはいち戦士としての実戦のための知識。武術教練ってのはそういう事でしょ」
「なるほどなぁ」と酒瓶を傾けるランディ。ごくごくと喉を鳴らして、ニヤついた笑みをナギトに向けた。
「で、効果はあるのか?」
「今んとこナシ!」
がはは、と2人で顔を見合わせて笑う。リィンとアーサーは苦笑していた。
「正直な話、時間が足りねえ。簡略化してはいるけど、俺の授業は師が弟子に修行つけるような内容だからな。……補修を受けたい生徒は歓迎するんだけどな」
ニヤっと笑ったナギトにリィンもランディも、なんならアーサーまでもが眉根を上げた。
先月の演習地の襲撃の際は列車の上から動かず、武術教練の授業では座学。生徒たちはナギトに無能の烙印を押している。そんな生徒たちがどうしてナギトに補修などをつけてもらいたいと思うだろうか。
これはある意味でナギトの狙い通りの展開である。
「仕事を効率的に片付けても、増えるのは給料じゃなくて仕事だからな。能ある鷹は…ってのはそういう事だろ?」
「かっかっか!」と大仰に笑う。ナギトが無能を装っているのは生徒からの質問やらの追加の仕事を増やさないためだと言っているのだ。
しかもそれで生徒らからの冷たい視線も、第Ⅱの運用上はいつかはひっくり返る。それが今から楽しみだと言わんばかりの大笑に「いい性格してんな」とランディは苦言を呈した。
「つーかよ、今は生徒の数が少ないから回ってるけど来年以降生徒が増えたら教員の数がこのままじゃ足らんだろ。早めに募集かけといたがいいんじゃねーの?」
「だったら君がその分まで負担すればいいのではないのかね。今の仕事量は余裕でこなせるのだろう?」
と、そこで現れたのはミハイル・アーヴィング。第Ⅱの教官のひとりで、いわゆる教頭のような役割を担う人物だ。
隣にはトワも連れていて、奇しくもこの場でオーレリアを除く第Ⅱの教官陣が勢揃いした事になる。
「旦那…いつから?」
ランディはこれまでのナギトの失言をミハイルに聞かれてないかひやひやしている。ナギトとリィンはミハイルが宿酒場に入ってくる前から気配でわかっていたためこの邂逅は予想通りだ。
「つい今しがたからだ」
「あはは…ごめんね?話、聞いちゃった」
冷然とするミハイルと申し訳なさそうにするトワ。その2人を前にナギトはしかし笑みを消さない。
「お疲れ様です。お先にやらせてもらってますよ」
なんなら余裕たっぷりにジョッキを掲げる始末だ。ミハイルもこれには嘆息して勧められるままに席に着いた。
「さすがに気まずいんですが。帰ってもいいですか?」
教官に囲まれる生徒ひとりという図に音を上げるアーサーだったが、ナギトに肩をばしばしと叩かれて立席を阻止される。
「そう言うなよ。楽しいだろ?」
「パワハラだな」
「パワハラだね…」
「パワハラだぞ、ナギト」
ランディ、トワ、リィンからハラスメントだと指摘されるがどこ吹く風、ナギトは楽しい宴会の始まりだと言うように追加のビールを注文するのだった。