Mimicry 汚れた天才とニセモノサッカー 作:イリノイ州の陰キャ
条知中サッカー部は、歯にもの着せず言ってしまうと、弱いチームだ。
現在全国規模でおこなわれている中学生年代の大会は三つ。
一つは体育連盟が主催する、参加可能チームが中学校の部活に限定されている夏季大会の「全国中学校体育大会」。
クラブチームの参加も認められる、JFA主催の冬季大会「高円宮杯U-15サッカー選手権大会」
最後に、少しでもサッカーに知識がある者ならば誰もが知る、春季大会の「フットボールフロンティア」。
このうち一つでも、条知中が予選を通過した記録はない。
「聞いてくれよスイ!!」
ダン、と机が叩かれて、僕は思わず身を引いた。倉前さんは頬を上気させて、笑っていなくとも一目瞭然の喜色を表情に浮かべていた。
「ウチと練習試合してくれるってチームが見つかったんだ!」
彼女は練習で着ていたらしいジャージ姿のままだった。よほどその事実が嬉しかったらしい。着替えるのも忘れて教室にすっ飛んできたのだろうか。
「どこ?」
「
「ん、んん? ホントにどこ……?」
フットボールフロンティアの常連校の名前は、大体覚えている。忘れていても聞き覚えくらいはあるはずだ。
だが、灰尊中なんて学校、全く聞いた覚えがない。この学校のサッカー部も負けず劣らずの無名なので、あまり他校を強く言える立場ではないが、そこまで実力の通っている学校ではないと見るべきか。
「知らねぇの? 茨城の中学で、前回大会で本戦出場まで勝ち上がってるらしいぞ!」
「そうなの……?」
最近は競技としてのサッカーからは離れがちだったせいだろうか。確かに昨年の大会中継は見ていないが、一昨年の大会は確認している。おそらくその昨年が本戦初出場なのだろう。
「まさかそんなトコがウチと練習試合組んでくれるなんてさぁ。私ものんびりしてられねーわ!」
彼女はもうジャージのまま1限を受けるつもりらしく、その格好で席に座ると、机に教材やら部活用のノートやらをしまい始めた。
傍目に少し見えた部活用ノートには、シャープ記号の隣に6、と書いてあった。B5の普通のノートだが、すでに五冊は埋めてしまったようだ。
「暇だったら応援来てくれよ! 次の土曜日! ウチの校庭でやるからさ!」
彼女の目には、あわよくば新入部員を、という思惑が透けていた。僕にサッカーの面白さを見せつけてやろうという魂胆らしい。
……そんなものは、見せられずとも知っている。誰よりも知っている。しかし、彼女にそれを言ってどうする?
「行け、たら……」
少し言い淀みながら、僕は何とか返答の言葉を捻り出した。行かない、とは言えない。サッカーを純粋に楽しむ誰かに、水を差すようなことは、口が裂けても。
「うん。行けたら行くよ」
行かない時の常套句だと勘付いたのか、倉前さんは微妙な笑顔で僕の肩を叩いた。
「ま、考えといてくれ。絶対面白いからさ!」
羨ましい。僕にはもう、ここまで純粋にサッカーを好きだとは言えない。僕がそんなことを言ったら、それはサッカーに対する侮辱になる。
やはり気が乗らない。一度でも直に見てしまったら、ピッチへの憧れが抑えきれなくなってしまいそうだった。
まずは軸足を前に出し、右足のインサイドでボールを引きずりながら軸足の裏を通して、足が交差した瞬間にラボーナの要領で逆側に蹴り出す。
軸足のステップとボールの軌道に騙された相手は、見事に重心をつられてボールを取り損ね、僕は悠々とその背の裏に回った。
「ラボーナエラシコ……!」
今日も高架下の金網フェンスには、救い難い卑劣漢が集まっていた。
楽して金を儲けるために。あるいは、この冒涜的な玉転がしの敗者を罵り、お門違いの溜飲を下げるために。
「何してんだ下手くそぉ!! さっさと奪えよッ!!」
「今日こそあのクソ生意気なガキの面を剥がしてやれぇーッ!!」
その光景は丁度、そこの街灯の周りを飛び回るアブラゼミの群れに似ている。集まっても一匹でもうるさいところとか。
「いい加減……! クソッ!!」
両足のVターンで右に振って、使い慣れた左片足のVターンでさらに切り返す。そしてシザースでボールと相手の間に体を入れながらボールを逃がし、相手を背負う体勢でキープした。
今日もボールは僕の足下にある。ボールタッチはとにかく小刻みに。だが、確実に方向を付けて性格を出しながら、視線と足踏みを駆使して敵を振り回す。
「このっ……!」
フェイントは一つ覚えていたところで意味はない。静止状態からのダブルタッチには反対方向へのボディフェイントが不可欠だし、シザースは相手の足を止めるための動きだ。
組み合わせて騙す。分かっていても取れない場所にボールを置く。これがほとんどのフェイントの常であり、最奥の妙技。
「15分!! 止まれ!!」
コールが響いても止まろうとしない挑戦者を、管理人が二人がかりで押さえ付けてコートの外に出した。
「んだよッ!! 今日も〝ハズレ〟かよ!! まともなプレーヤー以外消えろや!」
「何が元ジュニアユースだ!! 取れねぇディフェンダーなんか辞めちまえ!!」
今日も酷い罵声が響く。今日の相手は仲間に動画を回させながら、頻りに元ジュニアユースであることを吹聴していた高校生だった。
動画サイトで一度だけ見た顔だ。サッカー系の配信者で、ただ少し過激な企画を混ぜて差別化を図ろうとしていた人。
「引っ込めド下手くそ!! 才能ねぇんだよ!!」
「底辺配信者が!! 二度と来るな!!」
今日の録画がどんな出来になるか、あるいは公開されずに終わるかには一抹の興味がある。
ただ、去り際に僕の面を恨めしそうに睨み付けてきたので、少なくとも僕のことをよく見せる動画にはならないだろう。
「今日もお前の勝ちだ。持っていけ」
「……じゃあ、僕はこれで」
今日は続けて挑んでくる相手が多くて、かなり遅い時間になってしまった。早く帰らないと。
フェンス扉から殺到してくるフーリガン共をいなし、人の気配のしない柱の裏まで逃げてから腰を下ろした。
「ふぅ……」
背中には金の気に悪酔いした博徒達の熱狂を感じていた。足の疲れをまるで他人事のように感じながら、ローファーに履き替えていると――――
街灯に照らされていた僕の足に影がかかった。
「その制服、
声が、特徴的だった。
少年役の女性声優みたいなハスキーな声。
精悍なスポーツ青年になる手前の、ニュートラルな特有の声には、注意深く聞いてみたい気分にさせられる。しかし、特徴的というのはそのことではない。
なぜか声で分かった。まだ顔も見ていないこいつは、多分サッカーをやっている。
「ねー、ちょっとお話しよーよ。生クリームパンマンくん」
僕と街灯の間に立って影を作ったのは、黄色いメッシュの入った派手な赤髪の少年だった。
「…………僕のこと?」
「それしかないでしょ。そのお面」
僕は思わず面越しに自分の顔に触れた。初めて名前を知った。語呂が悪くて仕方ないが、むしろ覚えやすい気もする。
「で、どーなの? そんなに時間は取らせないからさ!」
「……歩きながらでよければ」
「いーよ! やったね!」
彼はトレシューを袋に入れる僕の手を引っ張って、無理やり立たせてきた。
「オレは帝国のレギュラーにして、超新星スーパーエースファンタジスタの、
「あ、うん……」
手を差し出され、僕は咄嗟に握手をしてしまった。すると彼はにんまりと笑顔になり、左手でピースサインを突き出してきた。
確かに彼の着ている制服は、帝国学園のそれだ。反して、履いている靴はローファーではなく、統一感に欠ける黄色いトレシューだった。遅くまで練習していたのか、その靴のままここまで走ってきたようだ。
「それで、僕に何か用?」
「いやさー、高架下にとんでもねぇ中学生が出没してるって聞いちゃって? 偵察」
偵察と言いながら、僕に接触してきたことに、何か悪意や害意を含んだ思惑がある様子ではなかった。
というより、立ち振るまいや話し方からして、彼は自由な性格をしているようだ。きっとこれも帝国の監督から言われてきた偵察ではなく、彼の個人的な興味だろう。
「つーかさ、なんでそんなお面してンの?」
「これ……身バレ防止。こんなことしてるって学校にバレると、まずいから」
部屋にあって、たまたま手に取ったから顔を隠すのに使っているだけで、これでなければ目出し帽でも被っていたところだ。
「あー。なーほーね。ウチならンなこと気にしねーだろうなぁ」
「ウチって、帝国?」
「そー! 帝国!」
帝国学園には、影山が理事長を務めていた時代の規則や風習が色濃く残っているという。そのためか、外部にほとんど学園内の情報が出回らない。情報統制もあの男の専売特許であったとか、どうとか……。
生徒自身も帝国に属するという意識から、規律を守ろうという姿勢に厚い。無遠慮なマスコミ相手に完全な無言によって拒否を示す生徒達のインタビューが、たまにニュースで報道されているくらいだ。
「ウチさ、めっちゃ校則厳しめだろーなーと思うじゃん? 実はね、その通り!! すンごいうざってぇクソ校則だらけなのでした!!」
「その口ぶりでやっぱり校則厳しいことあるんだ」
「ありまくりよ。サッカー部なんかキモい慣習に囚われて女子マネ取らせてくんないしさー」
彼は屈託のない笑顔でそんなことを言った。表情や声音は朗らかなものだが、雰囲気に反して意外と口は悪いようだ。
「でも、ま――――」
しかし、彼は突然それまでのニコニコ顔から一変して、思わず身の危険を覚えるような獰猛な笑顔を浮かべ、犬歯を尖らせながら舌なめずりをした。
「実力のある奴はその限りじゃない」
そっちが本題だというのはすぐに分かった。また、それを僕に伝えてくる理由も、何となく察するものがあった。
「確かに中々スーパーなボールキープだったね。ま、オレのほうがもっとスーパーなんだけど」
挑発的な発言には、少なからず僕のサッカーの実力に対する興味が見えた。こんなところに来るだけあってか、彼の本筋はやはりそこにあるらしい。
「お前も中学生なンっしょ? 何年?」
「……1年」
「うはっ! 一緒だ一緒! オレも1年なんだよ! つか、決め打ちでタメ口使ってたンだけど」
先ほど彼は帝国のレギュラーだと言っていた。それが嘘でないなら、1年生にして実力者揃いの帝国のベンチを奪取したということになる。
本当なら恐ろしい才能の持ち主だ。歴代の帝国学園でも、1年の頃からレギュラーに食い込むほど際立った選手と言えば……
中盤から最適な味方にボールを散らす絶対的な司令塔にして、あふれるイマジネーションから、本人も芸術的なフェイントを得意とするドリブラーであった、鬼道有人。その人しか思い付かない。
「ねぇ、お前さ、ウチ来ない?」
「ウチって……」
「オレん家じゃないよ? 帝国ね帝国、帝国学園。キャプテンにはオレから推薦しとくからさ」
口調とは裏腹に、冗談を言っているような様子ではなかった。彼がどれほどのプレーヤーかは不明だが、帝国のサッカー部に見出される程度の才能は、残っているらしい。
僕もまだ捨てたものではなさそうだ。ほとんど腐らせているけど。
「ウチはいいぜぇ〜? 学校住めるくらい設備は充実してるし、練習相手には困ンねーし、実力さえありゃ好き放題! オレみてぇにさ!」
「あー……どうしようかな」
そして朧げだが、一生腐らせているような気がしている。僕の頭の中には、このままピッチに上がることなく、ゴロツキ相手に安い技を披露するだけのサッカー人生が映し出されていた。
それでいいとも思っている。一度泥に汚れたスパイクで、神聖な芝に足跡を付ける訳にはいかないから。
「ねー、名前だけでも教えてよ。大丈夫。通報とかしねーし。オレ見てりゃ分かるっしょ? むしろ法律とかブッ壊せるならブッ壊したいタイプよ」
「くく……何それ」
内容はギャグですらない妄言だったが、その勢いに負けて笑ってしまった。彼は僕の笑い声を聞き逃さず、勝ち誇るように胸を張ってしたり顔を浮かべた。
「お? 笑った? 笑ったね! じゃオレの勝ちー! 罰ゲームに名前教えなさい!」
「いいよ。罰ゲームなら仕方ない」
僕はお面を外し、頭を振って目にかかる前髪を除けながら、はにかみ気味になる口角を押さえながら自己紹介をした。
「僕は
「スイか! よし覚えた! 顔も名前もバッチシね! オレのこともスーパーファンタジスタイチカさんって呼んでいいからな!」
「分かったよ。イチカ」
「おーい! 聞いてたか? ま、いいや。そのうち自分からオレの名前を称えたくなるぜ? それまでは呼び捨てでいーよ!」
イチカは、嘘を使い分けられるような、そんな小器用な奴ではなさそうだった。そんなプレーヤーには見えない。彼にはゴールハンターに特有の自信があった。
そういう奴等は往々にして、大言壮語に悪気がない。嘘を吐くつもりなのではなく、自分を信じているから。
「今の話覚えといてよ。また今度来るからさ。結構本気ね? マジと書いて
イチカは交差点の信号前に差しかかる頃合いに、その軽薄な口調に反して、一分の隙もない無表情で僕の目を覗き込んできた。
試すような目だ。コーナーいっぱいの位置でクロスを狙わず、あえてデュエルをしかける時の選手の顔付き。
「…………考えてはみるよ」
嘘だ。僕はやらない。ピッチには帰らない。そう決めたじゃないか。
彼とやるサッカーは楽しそうだなんて……そんなこと、思っていない。
深夜1時。いつもなら真っ暗な角部屋の窓から光が漏れていた。
家の鍵を開けると、廊下に居間のほうから照明の光が差しており、玄関のライトを付けなくても足下がよく見えた。そこには、女性用のフォーマルなパンプスが揃えられていた。
「母さん」
母は姿勢よく椅子に座り、テレビを見るでも携帯を触るでもなく、ただじっとしていた。疲れているのだろうか。
「帰ってたんだ」
母は仕事が忙しく、中々家に帰ってこない。身の回りのことを何でもやってもらわないといけない年齢でもないので、そのことについて特に不満はない。
むしろ、その目の下の痛ましい黒クマを見ていると、一人息子が(中学生の時分とはいえ)稼業も手伝わずにほっつき歩いていることへの罪悪感が激しくなる。
「帰ってたんだ、じゃないわよ。今何時だと思ってるの?」
銅像のように動かなかった母だが、僕が部屋に入ると、途端に首を回してこちらを睨み付けた。
「ごめん。ちょっとコンビニ……」
「言い訳はやめなさい。1時間も待ってたのよ」
「…………」
母は目ざとくも、言い訳用に持っていた僕のコンビニ袋をひったくり、中に入っていたゼリー飲料の容器に似たアイスを開けて食べ始めた。
「サッカーよね。その制服の汚れ」
「違うよ。学校で友達と遊んでただけ」
「学校がこんな時間まで開いてる訳ないでしょうが。お母さんに嘘吐かないの!」
冷蔵庫を開けると、先ほど家を出る前に作っておいた生姜焼きの皿が、ちょうど一人分なくなっていた。
母は先に夕飯を済ませたようで、水切り場には少し濡れた椀がかかっていた。
「生姜焼きどうだった? 今日のは結構うまくできたと思うんだけど」
「すぐ話を逸らそうとする……! 美味しかったわよ! はぁ……もういいから、早くご飯食べて、お風呂入って寝なさい。遅刻なんかしたら許さないからね」
明日も平日だ。学校まで歩いて5分の距離なので、いつもつい油断してしまうが、たまに遅刻しそうになる。
母の言う通りだ。さっさと夕食やら入浴を済ませて寝てしまおう。
「ねぇ、スイ」
そう思って居間の扉に手をかけた僕の背に、ふと思い出したかのように母が疑問を投げかけてきた。
「サッカーはもういいの?」
その質問におそらく、大きな意図はなかった。
「クローゼットにボール隠してるの知ってるわよ。まだ未練があるんじゃないの?」
「…………隠してるんじゃないよ」
いつのゴミの日に出せばいいのか分からないだけだ。空気もしばらく入れていない。
「ねぇ、スイ、あの時のことだったら……」
「違うって。本当に違うよ。飽きたんだ」
とっくにサイズが合わなくなったトレシューも、土汚れのひどいマーカーも、裏地の布が剥がれかけているすね当ても、捨て忘れているだけだ。未練がある訳じゃない。ただ、放置しているだけ……。
「そう……」
母はそれ以上聞いてこなかった。母はパウチアイスの中身を全て吸って干すと、立ち上がってゴミ箱にそれを捨てた。
「あ、待ちなさい。まだ話が残ってるの」
話が途切れたので、それで終わりかと思い背を向けたが、またもや母に呼び止められた。
「帰りに
「そうなんだ」
前に二人でスーパーに買い出しに訪れた時、倉前さんのほうも母親と洗剤を買い足しに来ていたので、面識がある。
こう言っては角が立つかもしれないが、どっちの母親も口を開くと止まらないので、僕と彼女はお互いに気まずい思いをしたものだ。
「土曜日に練習試合するんですって? あんた見に行ってきなさいよ。どうせ帰宅部でやることもないでしょ?」
「えぇー……」
「どうせやることなくて家に引きこもってるんでしょ。不健康だから日光浴びてきなさい」
「はいはい……」
見るだけだ。見るだけなら、別に関係ない。行かないで母に怒られるよりは、一度でも言っておいたほうが円い。
「サッカー、ね……」
今はまだ「ネガトラ」の瞬間だ。ボールは僕の足下にはない。耐えなければならない時間はある。誰しも。
ネガティヴ・トランジション
ボールを奪取された直後の、攻撃から守備への移行タイミングを指す用語。長いので大体ネガトラとかネガとか呼ばれる。対義語はポジティヴ・トランジション。
通常の守備時とは若干感覚が違う。ボールの位置が敵陣に決定している状態では、決まったゾーンを守るようにスペース重視の守備をする場合が多いが、ネガトラ時にはスティール狙いの鋭いタックルを繰り出すなど、チームによってその瞬間の動きを変えている。