Mimicry 汚れた天才とニセモノサッカー   作:イリノイ州の陰キャ

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4、Bugaboo system

 

 観客スペースで立ち見をしていた帝国陣は、ピッチを見下ろしながら騒然としていた。

 

「おい、あの2番……」

「ああ。あの動き、偽WBだろ?」

 

 外から見ているとよく分かる。右サイドのライン際々の位置から、突然中に入り込み、フォワード陣をウイング化させ、自身はCF化するその動き。

 敵のマークやポジショニングを混乱させるためのムーブメント、いわゆる〝偽〟◯◯と呼ばれるような戦術だった。

 

「驚いたよ……お前が相内瑞を見つけてきたとか言い出した時には。それも、彼の経歴を知らないまま」

 

 キャプテンらしき帝国の生徒の一人が、ピッチ上を縦横無尽に走り回る相内を見ながら、思わずといった風に小さな声でそう漏らした。

 

「だってオレ、普段は別に他の選手とか興味ねーし。ま、でも、前からすげぇ奴だったってことは、それってオレの見る目がすげぇってことじゃね!?」

「…………」

 

 蕪木イチカは、輝くような目でキャプテンの男を見上げた。中学生ながらに2メートル近い身長のその男は、イチカの無邪気な視線を涼しげに躱し、渋面で相内のプレーを値踏みした。

 

「だが、やはり現時点では、彼を帝国に迎えることはできない」

「えぇ? なんでよ! キャプテンも見たじゃん! あいつをハーフに入れたら絶対活躍するって! ピボーテの補強するんじゃねーの!?」

 

 帝国は一ヶ月後のフットボールフロンティアに向けて、敵情視察を兼ねた新戦力の確保に動いていた。

 彼らは確かにそのブランドに相応しい実力者揃いであるが、今年になって配属された新監督は、影山以上の完璧主義であるという。

 

「確かにパスワークはいい。一人で突破に持ち込める攻撃力もある。それに、ほぼ単独で偽WBを成立させる戦術理解度……」

「だろ!? だろ!? 入れとけって! このスーパーエースの推薦だぜ!?」

 

 イチカは掴みかかる勢いで抗議しながら、ピッチ上の相内を何度も指差した。

 

「それともあいつが前に起こしたとかいう〝事件〟のせいか!?」

「いや……技術さえあれば、人柄は問わない。勝利こそが帝国サッカーだ」

 

 帝国にかかれば、一個人の詳細かつドメスティックな経歴すらも容易に手に入る。相内瑞の経歴にはその実力とは裏腹に、一つの問題があった。

 しかし、彼の懸念点はそんなところにはなく、それでいてもっとシンプルな答えだった。

 

「だがな……」

 

 キャプテンの男は少し溜めてから、ため息混じりにその理由を語った。

 

「まだ必殺技を見ていない」

 

 どんな劣勢であろうと、発動さえできれば一発で逆転できる超強力な手札。普通のプレーと必殺技とでは、その意味や価値に大きな隔たりがある。

 たとえプロにも劣らない比類なきプレースキルを有していようとも、必殺技のあるとなしとで、その選手の価値が決まってしまう程度には。

 

 

 

 ロールインで横に転がしたボールを逆足で内側に大きく跨ぎ、逆方向へのフェイントを見せながら、僕は相手とボールの間に体を入れ、ボールをガードする。

 

「オコチャダンス……!」

 

 フェイントで大きなアドバンテージを稼ぎながら、中央から斜めに左エリアへと走るが、背後でフォローに入っていた次のディフェンスが追走してきた。

 

「行かせるかッ!!」

 

 右足でロールしながら、相手と体を突き合わせて加速していく。

 僕は一度カットインの雰囲気を醸し出しつつボディフェイントで揺さぶりをかけ、さらにロールからオコチャダンスを繰り出した。

 

「そいつはもう見てンだよッ……!!」

 

 並走してくるディフェンスの右足に青い光が溜まっていく。必殺技の予備動作だ。だが、相手は発動を逸った。

 

「喰らえッ!! スピニング――――!」

 

 僕の進行方向のはるか前方で〝スピニングカット〟が発動する。が、その時点でボールは止まっていた。

 

「バカ違う!! ラボーナ!!」

 

 僕は先ほどのオコチャダンスの動きからそのまま、後ろから交差した右足でボールを蹴り止め、追走してきたディフェンスを剥がした。

 オーバーランで前に出過ぎてしまったディフェンスの後ろに、大きなスペースが空いている。

 

「クロス!! 上がれッ!!」

 

 ライン際1センチのほとんど余白がない左いっぱいから、マイナスに転がるボールを敵陣ゴール前へと強く蹴り出した。

 

「通すな!! 飛べ!! 止めろ!!」

 

 インフロントで擦り上げたボールは、緩やかにカーブしながら、半月を描いて落ちていく。

 

「よっしゃあ! このまま……!!」

 

 条知のCFがキーパーと空中で競る。体格的にはこちらのほうが有利で、ヘディング対決ならば間違いなく勝利していた。

 

「させるかッ!!」

「くっ……!?」

 

 しかし、空中での衝突で体勢を崩されたはずのキーパーは、ここで闘志を発揮した。驚異的な伸びを見せたキーパーの手が先に届き、ボールはキャッチされてしまった。

 

「あー、惜しいな」

 

 少しクロスの位置が高かったか。マイナス方面へ蹴るよりはマシだが、もう少し溜めるか、あるいはキーパーが飛び出せないニアに蹴るべきだった。

 

「なんだよあのドリブル……人をバカにしやがって……!! 挑発だろ!!」

「罵倒も侮辱もされてねぇだろ。それより、あんな簡単にフェイントにつられやがって」

「うるせぇ!! 元はと言えばテメェが右で潰し損ねたからだろうが!!」

 

 相手チームの揉める声が聞こえてくる。大きくピッチを斜めに横断するだけで、ディフェンス陣はこの乱れ具合だ。

 普段から試合中の意思共有や声かけを怠っているチームほど、こういうプレーに対応できない。少なくとも高校サッカーではほぼ通用しない手だ。

 

「プレスバックくるぞ!! さっさとパス出せ!!」

 

 相手のキーパーが怒声を響かせる。あちらもCBの位置からビルドアップを始めようとしたのはいいが、パスを捌ききれていない。

 あれほど乱れていた攻撃姿勢から、存外早く守備体勢に戻った条知中のプレスに、あちらのフォーメーションの整備が間に合っていないのだ。

 

「そこだ……!」

「くそっ……!!」

 

 ミドルの密集地帯で乱打戦が始まり、こぼれたボールが条知中の選手によってキープされる。しっかりと自身のゾーンを守っていた選手によって、だ。

 相手は気付いているだろうか。フォーメーションが乱れているのが、自分達のチームだけであるということに。

 

「おい! なんでそんなに横に広げてるんだよ!! 絞れよ!」

「左の縦抜かれんだろ! てめーこそ1対1で抜かれてんじゃねーよザル野郎!!」

 

 僕が走っているのは中盤の位置ではなく、厳密には1.5列目だ。僕が一人でサイドチェンジをするほどにポジションを逸脱しようとも、背後では二列目が3ミドルに変形し、3バックは崩れずにそのまま残る。

 つまり、僕のドリブルにマークを引っ張られているのは相手の選手だけ。ポジションの流動を理解していないチーム、必殺技や長いボール頼みのチームほど、策にハマりやすい。

 

「いい寄せだったぞ! 底まで戻して組み立てよう!」

 

 土谷の声が響き、奪ったボールが彼の下まで落とされる。

 中の密集状態で、敵は自陣ドン引き。この場面なら簡単な縦ポンのパスで通さず、ポジショニングを安定させたくなる気持ちは分かる。

 

 しかし、ゴールの気配がする時は、狭いコースでも狙っていくべきだ。

 

「土谷さん!! 前! ゴロ!」

 

 僕は思いきりラインを下げるようにマイナスに走りながら、土谷に対してショートパスを指示した。センターサークルのド真ん中、僕が走り込む先を指差しながら。

 

「なっ……!?」

「早くッ!!」

 

 頼む。ここに出してくれるだけで、あとは最終ラインに残っていていい。今がチャンスなんだ。中央に揃っている今が……!

 

「そうか……じゃあ、やってみろ」

「どうも……!」

 

 要求通りのパスを受けて、そのままマイナスに走る。視界外からのダッシュを狙って、後ろから追いかけてきているフォワードがいるのは事前に確認済みだ。

 

「お、おい!! 後ろ来てるぞ!!」

「無茶すんな!! 出せ!!」

 

 味方からのパス要求の怒声を無視しながら、僕はそのまま左のタッチライン側に走り込んだ。

 今、敵はほぼ僕の背面ピッタリまで付いてきている。そして、ここでターンをするにしても、中を切りたがるはずだ。

 

「いい加減にしろよ! キラー……!!」

「今……!」

 

 僕から見て左側から、相手フォワードが遅れ気味に並走の形となった瞬間、僕はヒールでボールを背面、つまりプラス方向に落とした。

 その位置は僕が走ってきた方向。つまり、センターサークルだ。

 

「え……」

 

 図ったように、そこにいたインナーハーフの選手の足にボールが吸い付く。

 

「おぉ!! 助っ人!! ナイスパス!!」

 

 フォワードがハーフラインを割ってハイプレスを仕かけてくる状況、味方は僕の狂ったポジションの埋め合わせも兼ねて、僕がロストすることを想定してカバーに入る。

 カバーに入るのは一番近い選手だ。彼の位置を自陣側へと降ろしたかった。そして、その位置まで降りてくれば、ボールを受けた本人も僕の意図に気がつくだろう。

 

「あっ……! 走れ!! 中!」

 

 僕のパスを受けたここで彼が選択したのは、左右に振って敵の中心部分を手薄にするパスではなく、左コーナー方面へと向けた強い浮き玉のスルーパスだった。

 

「それだよ……!!」

 

 綺麗に入った左側へのパスに、縦方向への走り込みに慣れた左WBが軽いトラップで反応する。

 僕は思わず小さくガッツポーズをしながら、守備陣を切り裂くようにバイタルへと走った。

 

「通さすな!! クロス塞げ!!」

 

 左のコーナー際で持った彼は、ファルカンフェイントや無駄シザースでボールをコネて、味方が上がってくる時間を捻出した。

 僕と同タイミングで走りあがった選手は4人。既にペナルティに侵入しているフォワード二人にはマークが付いており、バイタル手前の僕ともう一人の前には、ミドルが3人待ち構えている。

 

「クロスじゃない!! 落とせ!!」

 

 そして、こういう攻め攻めの時は、CBを一人残して、何も言わなくてもディフェンダーが上がってくる。

 

「こっちか……!」

 

 左際に落とされたボールにディフェンダーが反応し、左インサイドで軸足の裏を通すように中へとパスを繋げた。

 

「ここで……!」

「足出すな!! スルーッ!!」

 

 そのボールに合わせたハーフの味方に強く制止の声を浴びせ、そのボールをスルーさせた。

 まんまとおびき寄せられた敵ディフェンダーの分、ペナルティの前に穴が空く。

 

「抜けろ!!」

 

 スルーさせた味方に対して、僕はその間に入るように指差しながら、ボールを確保して中へ切り込んだ。

 

 この形になれば、もう大声でコーチングをする意味はない。条知中の面々も気付いているはずだ。

 ディフェンスラインを上げられない場所までボールを持たれ、しかもその位置に味方が通った時点で、ボール奪取には来られない。

 間に入ったその選手にポストプレーをされれば、外から戻ってくるウイングと、僕の両者に自由ができる。だからと言って僕に人数を割けば、中に入った選手にパスがつながり、ラインを下げた後ろのCBと、1対1となる。

 

「ふざけっ……この……!!」

「潰れろ!! ホーン……!!」

 

 結局相手選手は後者を選んだ。必殺技の発動よりも早く、斜め左前に出したパスが、中に入り込んだ選手へとつながった。

 

「止めろ!! 死んでも通すなッ!!」

 

 それは叶わない。なぜなら、左WBが、中気味に下がってフォローに来ている。パスコースが見えている状態での1対1。相手の最後の防御壁は、簡単なキックフェイクにまんまと騙され、無意味なスライディングで砂を削った。

 

「行け!! シュート!!」

「今度こそ……〝スネークショット〟!!」

 

 絶好機に合わせて必殺技が炸裂する。無回転シュートのように小刻みに蛇行するシュートは、ニア側の中央部分に向けて空を切った。

 

「ナメるなぁッ!! 〝キラーブレード〟!!」

 

 チョップのように振り切るパンチングが的確にボールの中心を捉え、一瞬だけボールと拮抗する。

 そしてボールは収められないまでも、ゴールネットに嫌われ、逆方向へと弾かれた。

 

 最後まで中に走り込んでいた、僕の方向に。

 

「おい!! そいつを止めろ!! 撃たせるなぁーッ!!」

 

 シュートとキーパーに目を奪われていたディフェンダー達は、2歩の差で僕に追いつけない。

 そして、ゴール左側で必殺技を使った使ったキーパーが、今から飛び出しても、右側には間に合わない。

 

 だから僕はわざと〝キーパーのいる左側に〟チップキックを蹴った。

 

「はっ……!?」

 

 届かないまでも何とかボールに指を掠めようと飛び出していたキーパーは、体勢を崩しながら右側に滑り込む。

 視線だけは、自らと交差するように頭上を過ぎるボールに奪われながら。

 

 ぽす、と、柔らかな浮き玉がゴールネットに当たり、そのまま押し出されるようにネットを沿って地面に落ちた。

 

「あ……」

 

 キーパーは、ぽっかりと口を開けたまま、引きつった目蓋の下で余計に丸くなった目で、僕を見上げてきた。

 

「…………」

 

 一瞬だけ目を合わせて、僕はネットの下敷きになったボールを出した。1分でも惜しい。ピッチの上で息を吹き返した自我を抑えきれない。まだ、プレーを止めたくはない。

 

「やらないんですか?」

「お、おぉ……」

 

 少し遅れて、土谷が絞り出すような、言葉にもならない声を漏らした。

 

「す、すごいな君!! え、ええと、名前は……」

「相内です。相内瑞」

「そ、そうか! オレは――――!」

 

 ピイィィィ!!

 

 ボールをセンターに戻す前に、断続的な長い笛が鳴った。前半終了のホイッスルだ。

 

「土谷ツトム先輩ですよね。倉前さんに聞きました」

「お、おう。そっか、聞いてたか」

 

 僕はその場にボールを落として、ぞろぞろとピッチを出る条知中の選手達を見渡したあと、まだフィールドに残る灰尊の選手陣にも視線をくれた。

 

 ピッチに立ち尽くす相手チームのディフェンダーは、自らの中核を成す何かを打ち砕かれたかのように、暗い表情で俯いていた。

 

「何だよ、これ……」

 

 ……胸が空いてたまらない。負かした相手が卑屈な顔で僕を見上げてくる時、僕は僕自身の居場所を強く実感する。

 

 やはり戻ってくるべきではなかった。一度でもラインの内側を踏み締めてしまったら、この大きな盤上への執着を、もう抑えきれなくなってしまう。

 

 

 

「撤収するぞ」

 

 その一言に敏感に反応した帝国選手陣は、そそくさと帰り支度を始めた。

 

「まだ試合終わってないスよ?」

 

 前半中を無言で見ていたイチカであったが、流石にキャプテン相手に様子の一つも窺わず、という訳にはいかない様子だった。

 

「……見るまでもない。結果は見えている」

 

 帝国の主将は、もはやこの試合から興味を失っていた。

 

「ま、そこはオレも同感だけどね」

 

 灰尊の選手陣と、条知中とで、その目の輝きに大きな差があった。必殺技という強大な飛び道具ではなく、戦術や足元の技術という点で、たった一人の選手にこうも違いを見せつけられ、彼らは傍目から見ても分かりやすくプライドを傷付けられていた。

 

「つーかさ、結局どーなの? オレのイチオシの相内スイは? やっぱオレ的にはウチに必要だと思うんだけど」

 

 イチカは今の前半戦で、自身の審美眼により強い自信を持った様子であった。

 

「条知中……珍しくお前が強く提案してくるだけあって、見に来た価値はあった。あの選手一点においてのみは」

 

 そこで帝国のキャプテンは、ピッチから降りて水を飲む相内の姿を一瞥して、失望感ばかりを感じさせる深いため息を吐いた。

 

「だが、相内瑞の獲得に関して、結論は変わらない。奴は必殺技を使わなかった。途中出場の25分間とはいえ、その間、一度たりともだ」

 

 大仰な名前で呼ばれるだけあって、必殺技とは、強豪にはなくてはならないものだ。頼りきりになるチームがこのようにやられてしまうのは確かだが、そうでないチームもいる。

 戦術、技術、必殺技。全てを兼ね備えたチームと戦う時、その一つでも欠けているチームが、果たして有利などと言えるだろうか。

 

「必殺技の使えない選手など、帝国にはいらない」

 

 その結論に意義のある者はいなかった。唯一不満顔だったイチカでさえ、反論の言葉が見たからず、膨れてそっぽを向くだけだった。

 

 

 

 今日の試合の最終スコアは1対0。我が中学、条知のサッカー部の勝利に終わった。

 

「はぁ……はぁ……みんな、お疲れ!」

 

 整列と挨拶を終わらせた後、少し息を絶やしながら、土谷が爽やかな笑顔で全員に声をかけた。

 

「交代枠のいないオレ達が勝てたのは、全員が最後まで走り切ったからだ」

 

 後半、流石に走り疲れてきたところ、灰尊が交代可能数の5枠をフルに使って選手を入れ替え、強烈な猛攻撃を仕掛けてきた。

 いわゆるキックアンドラッシュというものだ。交代して元気な選手を前に走らせ、パワープレー(ビルドアップをせずに長い縦パスを入れる戦略)と体衝突で攻めてきた相手の迎撃で手いっぱい。後半は防戦一方だった。

 

「みんな、ありがとう。これであいつにもいい報告ができるしな」

 

 酷い危険プレーをもらった彼は、検査の後、一ヶ月程度の療養を言い渡されたらしい。どうやらボール越しに蹴られた胸の骨に、軽いヒビが入ってしまったという。

 病院での意識もはっきりしているようなので、しっかりと回復に専念すれば、プレーの復帰に問題はなさそうだ。

 

「それと、助っ人。相内瑞、だよな?」

「あ……はい。どうも」

 

 いざこうして注目を集められると、非常に居心地が悪い。ぽっと出の1年がポジション無視のエゴプレーで出しゃばって、横から得点をかっさらい、しかも大きな声でコーチングまで……。

 僕疎ましく思われても仕方がない。僕は恐る恐る前に出て、しかし決してキャプテンよりは前に出ないようにしながら、メンバーの様子をうかがった。

 

「…………」

 

 差し出されたのは拳ではなく、握手を求めるかのように開かれた手だった。

 

「え……」

 

 先輩と思われる2人が、率先して前に出てきたと思ったら、2人とも照れくさそうにはにかみながら手を差し出してきた。

 

「さっきは、スパイとか頓珍漢なこと言って悪かった。ありがとな」

「なんか……ポジション無茶苦茶だったけど、そんなにやりにくくなかったぞ」

 

 部外者が好き勝手プレーして、反感をもらう覚悟も当然していた。だからこそ、こんな風に言われると、どうしたらいいか分からなくなる。

 

「い、いえ……」

 

 一抹の罪悪感に苛まれながら握手に応じると、その後ろで土谷が満足気に頷きながら近付いてきた。

 

「なぁ、相内、部に入らないか?」

 

 そう言って、土谷は僕の肩に手を置いた。恵まれた体躯で見下ろされると、思わず「はい」と言ってしまいそうになる。

 そうでなくても、僕はサッカーへの未練を、自分でも認めている。強く押されたら承諾してしまいそうな気分だった。

 

「い、いや、僕は……」

 

 しかし、そういう訳にもいかない。僕は取り返しのつかないことをした。競技者として、最低のおこないを――――

 

「一人怪我しちまったし、このままじゃメンバー足りないんだ! あいつが戻ってくるまででもいんだ。頼む!」

 

 顔を上げると、ピッチで一緒に走っていた選手達や、倉前さんもみんな、僕のほうを見ていた。

 さっきとは違う。疑いや、敵意ではない。もう僕をチームメイトの一員だとでも思っていそうな、警戒心に薄い表情。

 

 本当に、大らかな……。

 

「その人が……」

 

 あの日から、僕の中ではせめぎ合う気持ちの天秤に、サッカーへの愛憎が均等に重石を乗せ合っていた。

 僕の中でどちらとも決着の付かない陣取り合戦だったが、今日になって、突然こんな風に、誰かの期待を乗せられると、もう……。

 

「その人が、戻ってくるまで、なら……」

 

 気付けば、自分でも己の意思かどうか定かではないような、ほぼ無意識な返答が唇を突いて出た。

 

「お? お、お、おぉ!? ホントか!? よぉーしッ!! じゃあそのユニフォームはもうお前のだからな!! これからよろしく!!」

「ちょ、土谷さん、い、痛い……!」

 

 高揚した土谷にバシバシと背中を叩かれ、頭が揺らされてクラクラしてきた。

 

「早速、明日から練習来てくれよ! お前のこと知りたいし、オレ達のことも教えたいし、とにかく色々な!」

 

 キャプテンの喜びようが伝播したのか、僕はいつの間にか部員達に囲まれ、押し合いへし合いの中心で潰されていた。

 運動部にしては規模の小さい部で、新入部員ということもそうさせるのだろう。トボトボと撤収していく灰尊中のベンチの静まりようと、酷く対照的だった。

 

「はは……」

 

 こんな風に、純粋にサッカーが好きなヤツ同士で囲み合うのは、いつぶりだろう。フェンスを取り囲む博徒達の目にはない輝きが、彼らの目にはあった。

 

 

 

 汚れたユニフォームを鞄に入れて、僕は恐る恐る、家に帰ってきた。

 借り物の靴は既に返した。ユニフォームも制服に着替えたので、一見には、母に気付かれることはないはずだ。

 

「ただいま……」

 

 昼の11時30分。グラウンドの整備や、備品の運搬を手伝っていたら、昼食に丁度いい時間になっていたらしい。扉を開くと、焼いた鮭のいい香りがしてきた。

 

「おかえり」

 

 休みの日は積極的に料理をしたがる母の手によって、食卓には僕の帰宅時間を測ったかのように出来立ての味噌汁と茶碗が並べられていた。

 

「ほら、手洗ってきなさい」

「あ、うん……」

 

 言わないと。部活動の参加には、保護者の同意を証明する捺印付きの申請書が必要だ。母の印鑑を事前に見つけておくような悪知恵は僕にはなかった。というか、それは母に対する不義理だ。

 

「その、僕、実は……」

 

 だから僕の口から言わなければならない。ならないのだが……何と言えばいい? 僕のせいで、母にも大きな迷惑をかけた。今更またサッカーに復帰したら、もしかしたら今度はもっと……

 

 

「サッカーやりたいの?」

 

 

 肩が飛び跳ねるのを押さえられなかった。なぜ、とか、どうして、とかも言えなかった。ただ驚いて、阿呆のように口を開けて母を見つめることしかできなかった。

 

「分かるわよ。サッカーやってきたんでしょ」

「…………」

 

 念入りに制汗剤を使い、体の汗も学校のシャワーで入念に流しておいたのに、母には全てお見通しだったようだ。

 僕は観念して、鞄の中から条知の青いユニフォームと共に、部活申請届を取り出した。既に僕の署名と、部長である土谷の署名がある一枚の紙。

 

「いいわよ」

 

 母は、驚くほどすんなりとそれを受け取った。

 

「でも、やるからには本気でしょうね」

「うん」

 

 惰性や、遊びでやるつもりはない。僕にとってあの広大なピッチは、宇宙空間で唯一酸素の吸える安全地帯のような場所だ。

 生半可な気持ちではない。ただ、何かきっかけが欲しかったのかもしれない。誰かのためだ、なんて言い訳が。そのせいで今日まで、無意味な足踏みをしてしまった。

 

「そう。なら、頑張んなさい」

 

 母はそれだけ言うと、さっさと自分の分の昼食に箸を付け出した。

 

「うん……」

 

 新しくスパイクを買わなければ。それから練習着と、すね当ても。

 

 





アンダーラップ
 国内ではインナーラップとも言う。オーバーラップがボールを持った味方の外側を走って追い越す動きに対して、アンダーラップは内側(右サイドなら左が内側、左サイドなら右が内側)に走り込む動き。
 オーバーラップは主にクロスが目的だが、アンダーラップはそのままシュートや中へのラストパス、ポストプレーなどに移行する場合が多い。


条知中サッカー部の基本システム

3-5-2(3-4-1-2)
 攻撃時にはポストプレーができるインナーハーフが上がり気味、左右ウイングバックが幅を取る。センターバックからビルドアップし、中盤を繋げず外から持ち出す。
 守備時はプレーエリアに合わせて片方のWBが最終ラインで落とし、さらに対応するフォワードが降りて幅をとることで、4-3-3の形にする。

↓ 相内瑞 右WB型

3-4-3(3-3-1-3)
 左がプレーエリア時には相内が幅を取るが、右で彼が持ち出した瞬間、上がりながら極端に中に入り、フォワード化。後ろで中盤選手全体が右にスライド(突然右の選手が消えたら、バランスを取るためこうせざるを得ないので、何も言わなくても勝手にこうなる)。左インナーハーフがアンカーとなる。
 また、右CFが持ち出した時は、大外に見せかけたアンダーラップでパスを受け、そのまま中央に流れてフォワード化。左右CFが中央寄りでウイング化する。
※開始時やビハインド時の攻撃姿勢なので、守備時やカウンター警戒で中を絞りたい時は4-3-3。
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