君の奇跡の愛(ワンダー・オブ・U)   作:時崎

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老人

 

 

 鳥のさえずりが、オラリオに響く。

 通りでは、子供たちのはしゃぐ声が絶えず響いていた。石畳の上を駆け回る足音と、笑い声の合間に響く木の棒のぶつかる音――オラリオの街角に広がる、ごくありふれた昼下がりの光景。

 その光景を、老人は店内で古びた木製の椅子に腰かけて眺めていた。

 黒い帽子に黒い外套に身を包み、厚手のマフラーを首に巻いている。陽射しが強いわけでもないのに、彼の肌を外気に晒す部分はほとんどなかった。片手に握られた木製の杖は、立ち上がるための道具というより、もはや彼自身の一部のように自然に馴染んでいる。

 

 老人は小さな薬屋を営んでいる。

 その店は、賑やかな商会がひしめく大通りからわずかに外れた場所に、ひっそりと佇んでいる。派手な看板もなければ、人を呼び込む声もない。

 軋む木の扉と歪んだ窓枠は、まるで時間そのものが木材に刻みつけた皺のように残り、色褪せた外壁には静寂が染み込んでいた。

 店内を満たすのは、乾いた木の匂いと、薬草が発するわずかな青臭さだけ。人を惹きつける華やかさは微塵もない。

 

 その時だった。駆け抜けていた小さな影が、不意に人垣の一角へとぶつかる。

 子供の軽い身体は衝突の勢いに弾かれ、背中から石畳に倒れた。ぶつかった相手は三人組の狼人の一人。

 子供とぶつかった狼人は、まるで舞台役者のように大袈裟に身をよじらせ、尻を地面に落とす。

 わずかな衝撃でしかないはずの足を押さえ、呻き声を漏らしていた。

 

「痛ぇ!…あぁ、痛ぇよ!」

 

「大丈夫ですか兄貴!」

 

「おいおい、やべぇぞ、折れてるってこれ!」

 

 仲間がすぐさま駆け寄り、狼狽するふりをして声を張り上げた。

 群衆の目をこちらへと引き寄せるための、あまりにもわざとらしい仕草。

 

「…ご、ごめんなさい」

 

 子供の心臓は恐怖で早鐘を打ち、細い肩は震えていた。喉を詰まらせながら、ただ小さく謝罪の言葉を繰り返していた。

 

「お前、謝るだけで許されてると思うのか!? 兄貴は骨折れてんだぞ!」

 

「お前の親はどこだよ!?…ヴァリス払ってもらうからな!?」

 

 群衆の中から一人の女が進み出て、震える腕で子を抱き寄せた。

 

「…私の子が何かしましたか!?」

 

 母親は必死に子を庇いながら、蒼ざめた顔で立ち尽くしていた。声は震え、足は今にも崩れ落ちそうに見える。それでも子を背中に隠す姿には、決して退かぬ意志が滲んでいた。

 

「おいおい、お前んところのガキのせいで兄貴の骨が折れてんだよ!」

 

「痛ぇ、痛ぇ…」

 

 狼人の男は石畳に腰を落としたまま、わざとらしい呻きを繰り返す。足を強く抱え込み、まるで骨が粉々に砕けたかのような演技をしてみせる。その横顔には、痛みよりも悪意が濃く浮かんでいた。

 血走った目は子供を射抜くように睨みつけ、その眼差しに晒された幼子は息を詰めて震えた。

 通りを行き交っていた人々は足を止めかけるが、誰も近づこうとはしない。

 一人の者を除いて。

 

 大きな影がゆっくりと近づいてきた。

 杖を突きながら歩み出たのは、黒い帽子に顔を隠した、老人である。

 静かに、まるで歩みそのものが音を拒むかのように、群衆の前に現れた。

 

「あ、アケフさん…」

 

 子供を抱き寄せていた母親が、安堵に滲んだ声で呟いた。

 彼が来たことを知った周囲の人々も、ほっとしたように肩の力を抜き、皆その場から離れていった。

 その光景を見て狼人は眉を顰める。

 

「おい、なんだ? どこの奴か知らねぇがお前には関係ねぇだろ」

 

「ここは、私たちの店の前でね…騒がしい君たちのせいで迷惑が掛かってるんだよ…すぐさま立ち去るんだ」

 

 そう一言放ち老人は背を向け店の方へと足を進めていった。

 彼らは苛立ちに顔を歪め、互いに視線を交わす。

 

「おい、待てよ、お前!」

 

 一人の狼人が老人へと一歩踏み出した、その瞬間だった。

 空を横切る影が彼らの頭上をかすめた。一羽の鳥だ。

 なぜか低く飛んだたそれの羽ばたきが、彼らの視界を遮き、足を進めた狼人の顔に、鳥の糞がべっとりと落ちた。

 

「うわっ、ちくしょう汚ぇッ!!」

 

 慌てて拭おうとした瞬間に、後ろにいる仲間の顔面に肘が直撃する。

 

「痛ぇ! 目が!」

 

 後ろにいた仲間は、目を押さえたままよろめき、地面に尻もちをついている兄貴分に勢いよくぶつかった。

 二人の体は無様に絡み合い、そのまま横へと転がる。

 その先にあったのは、割れたまま放置されていた大きなガラス片だった。

 鈍い音と共に目を押さえた狼人の後頭部が突き刺さり、刃のような破片が頭蓋を貫いた。

 ピクリと痙攣した後、血がどろりと流れ出し、石畳を赤黒く染めていく。

 

「お、おい、大丈夫かよ!」

 

 兄貴と呼ばれた狼人が心配していると、フンを付けられた男が老人に向かって走りだした。

 

「このクソ爺がァァッ!」

 

 怒号と共に突進したその瞬間、一羽の鳥が突如として急降下した。

 硬質な嘴が頭蓋を貫き、ゴキッ、と肉と骨を穿つ音が響いた。

 男の足はもつれ、勢いのまま地面に倒れ伏す。頭からは温かい血が流れ出し、石畳に赤黒い染みを広げていった。

 

「…な、なんだおま―――」

 

 言葉の続きを吐き出すよりも早く、残された男の頭上でギシギシと不吉な音が鳴った。

 古びた建物の窓枠が軋み、長年の湿気で緩んでいた留め具が外れる。重たい木枠が重力に引かれるままに落下した。

 

 ドゴンッ!

 

 肩口を直撃した衝撃は骨を砕き、男の体を強引に石畳へと叩き伏せた。呻き声が喉の奥で震え、血の混じった唾が口端から滴り落ちる。

 視界は揺れ、世界が遠ざかっていく。

 

「い、いやだ……助け……」

 

 力を振り絞るように伸ばした指先が、瓦礫の間を掻く。だがその先にあったのは、先ほど砕け散った陶器の鋭い破片だった。

 崩れ落ちる体重が刃のような破片を押し込み、眼窩を突き抜け、喉を裂き、脳を穿つ。

 男の身体が一度大きく痙攣し、そのまま動かなくなった。

 

 いつの間にか、周囲の人々の姿は通りから消えていた。悪態をつかれていた子供も親も、もちろん姿はない。

 先ほどまで子供の笑い声が満ちていた空間は、あっけないほどの静寂に包まれている。

 倒れ伏した狼人たちの身体は、もはや「形」を辛うじて留めているだけだった。  

 額を貫かれた男は眼球が零れ落ち、口から泡立つ血が流れ続けている。

 窓枠に打ち砕かれた肩は皮膚と骨がぐちゃりと潰れ、骨片が肉の中から突き出し、脈打つごとに血潮が噴き出しては地面に黒い斑点を広げていった。 

 広場に残されたのは、石畳を照らす強い日差しと、どこからか聞こえる鳥の鳴き声。

 そして一人の老人だけだった。

 

「厄災の流れは条理の流れ、この世の理は誰にも抗えない…たとえ神であろうと…なんだろうと……それが」

 

「ワンダー・オブ・U」

 

 老人はゆっくりと杖を突き、店の中へと戻っていった。

 

 




ジョジョリオン読み終えた勢いで書いちゃいました。
続く予定は一応ありますが、不定期更新です。
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